ワーグナー 「ジークフリート」 ティーレマン指揮
夏の思い出、富士山とひまわり畑。
山中湖にある公園から。
ひまわりは人が植えこんだものだけど、こんな自然一杯の景色に心癒されない人はいない。
ここまで車で行きましたが、ごく至近に、山梨県の有力スーパーであります、オ○ノが新築オープンしてました。
住んでいる方もたくさん、そして週末・休日の人口増をも見込んでのこと。
以前、犯罪はA○○Nのあるところで起きる、みたいな本を読んだことがあるけど、いまこそ、法的な規制もできて少なくなったが、田んぼのど真ん中に、忽然と巨大ショッピングセンターが出来てしまうという現象が各地に起きました。
そして、そこに行くには車という、いわば密室の移動手段で、ショッピングセンターに入り込めば顔や姿を隠しこめることができる・・・・・、そんなようなことが書かれていたと。
全国一律に、同じものが手に入ること、それはそれで素晴らしいのですが、地域の良さをこれまた一律に封じ込めてしまうということはあります。
いまは、そんな概念は超えて、そこだけの存在でなくて、地域に根差した街づくりとしての一体化が図られるようになったかとも思い、先の書物の警鐘もまた一時のものとなった気もします。
なんだか支離滅裂になってきました。
今日は、最近の演奏で聴く「リング」シリーズで、「ジークフリート」であります。
4部作間の時間配列を記すと。
「ラインの黄金」
↓ 約30年?
ウォータンが徘徊し、ウェルズングとワルキューレを生みだす
「ワルキューレ」
↓ 約18~22年?
ジークフリートが青年に
「ジークフリート」
↓ 数日から数ヶ月
ジークフリートが知恵をつけ、冒険に旅立つ
「神々の黄昏」
野山あふれる田舎育ちのジークフリートは、無邪気に育ちながらも知らずに殺し屋となり、ブリュンヒルデに出会い愛と知恵を授かりながらも、だまされ、裏切り、そして死んでしまう。
短く述べれば、そんな人生のジークフリート。
まったく主体性のない、英雄なのでありまして、育ての親に恐竜退治を目的とされ、武器も爺さんのウォータンから遠回しに与えられ、ブリュンヒルデのもとに誘導されるわけだ。
「神々の黄昏」では、姉さん女房のブリュンヒルデのご加護を抜け出したと思ったら忘れ薬でもってすべて忘却。
結局、強い意志をもって、その生を貫徹したのは、この4部作のなかでは、ブリュンヒルデだけではあるまいか。
ジークフリートは、たいてい金髪で描かれるが、それは北欧神話ならではでもある。
北欧・バルト・そしてドイツに分布する元来の金髪圏(そんなのがあるか不明だけど)から、ゲルマンの優位性の象徴としてもナチスは眼を付けたわけで、「金髪のジークフリート」なんていうあだ名の国家保安本部長官ハイドリヒなんてのもいた。
そここに、ナチスの影を残すワーグナーなのであるが、それを徹底的に排除し、禊を自らを傷つけながらもリアルに行うのがドイツ人。
全然、英雄っぽくないジークフリートの存在を際立たせる演出も多い。
実際は、上に述べたように、ジークフリートは力持ちで不死身だっただけのあまちゃん的存在に思うのですが、そこがまた愛すべきところなのであって、その冒険ぶりが描かれた「ジークフリート」は、長大で、男ばかりの世界ですが、捨てがたい魅力が満載の作品なのです。
そして、うれしいのは、4部作唯一のハッピーエンド。
死はあるものの、明るく、抒情的な楽劇です。
その明るさの一端を担っているのが、ミーメ。
このおっちょこちょいぶりは、実に憎めない存在。
瀕死のジークリンデから、ノートゥンクと赤子のジークフリートを預かって、20年近くを育ての親として過ごす。
見ず知らずの赤子を育てるって、優しすぎだろミーメ。
このあたりに、ちょっと色を添えたのがトーキョー・リングのK・ウォーナー。
ジークリンデの着ていた出産の苦しみの血に染まった肌着のようなものを、形見のように出してきて、怪しく抱きしめたりもしてた。
そんなある意味怪しいミーメが、英雄の子と認識してなくては、大きくなったら恐竜退治という野望を抱くわけがないのだが、ジークフリートに脅されながら語る生い立ちには、そこらへんのことが抜けてる。
だから知らずに愛情だけで育て、やがてこの子のバカジカラに着目して、後付けで恐竜退治への道を用意したといいわけだ。
でも、一方で20年も可愛がったジークフリートが憎いわけがない。
恐竜退治のあと、毒の飲み物で、育て子ジークフリートを殺そうという計画にも、その感情が入り込み、錯乱状態におちいるというのが、ミーメの自分でペラペラと告白しちゃう最後の場面の心理なのだ。
こんな風に思い解釈すると、ミーメとはほんといいヤツなんだ。
それをあっさりズバっと殺しちゃうジークフリートは、キレやすい子供なのかも。
その子供を大人にするのが、伯母兼女房のブリュンヒルデなところがスゴイですな。
横浜・びわ湖で行われた、ローウェルスの第二次ワルキューレ演出。
わたくしは、まったく好きでなく賛同しがたいけれど、あの幕切れのあと、あの解釈では「ジークフリート」はどうなるんだろ。
おそらく、最初から最後まで、近親相姦絶対ダメのフリッカは歌うとこないのに出ずっぱり。
あげくには、ウォータンの浮気の相手、エルダにも、その娘ブリュンヒルデの始末をくってかかるのではなかろうか。
ハッピーエンドは、よけいに浮いた無秩序なものとなり、ウォータンはなおのこと、家に帰りたくなり、終末を望み放浪しまくる。
そして、フリッカは、フンディンクのように、ギービヒ家の連中を用いてブリュンヒルデとジークフリートを破滅させようとするだろう。
彼女には、ラインの黄金=リングなどは目になく、夫の不行状といびつな愛の形態をいさめることしか頭にないのだから。
あの演出の延長では、そんな風なことしか想像できなくて、「リング」は、ワルキューレの愛の形態のみがクローズアップされ、ウォータンの数々の計略の失敗がもたらす家庭における敗北しか描くことができないのだ。
そこに、「リング=指環」はまったく関係がない。
あの演出家に4部作を作らせたらどうなるだろう。
いま考えても腹がたつ。
でも。「カプリッチョ」は、あとあとまで涙が浮かぶほどに素晴らしかったことは、ここに書かねばなりませぬ。
あれは本当にセンスがよかったし、泣けた。
しかし、今回は、ダメ。
今宵は、散文、書き散らしです。
ワーグナー 「ジークフリート」
ジークフリート:ステファン・グールド ミーメ:ゲルハルト・シーゲル
さすらい人:アルベルト・ドーメン アルベリヒ:アンドリュー・ショワァ
ファフナー:ハンス・ペーター・ケーニヒ エルダ:クリスタ・マイヤー
ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン 森の小鳥:ロビン・ヨハンソン
クリスティアン・ティーレマン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
(2008.7,8 バイロイト)
2006~2010年のバイロイト「リング」は、ティーレマンが指揮を担当し、これまで、ウォルフガンクのマイスタージンガーとパルシファルから始まったバイロイトでの指揮が、ついに「リング」を任されたことで、バレンボイムやレヴァインの跡をつぐ、いわば「バイロイトの音楽監督」の地位を手にいれたチクルスなのだ。
2000年から今にいたるまで、ティーレマンは、ローエングリンとトリスタン以外はすべて指揮してきました。
残るそのふたつも時間の問題。
当初からずっと聴いてきましたが、年々凄くなる。
デビューの年の演奏では、あの当時よくいわれた、無用なゲネラル・パウゼが多すぎて、緊張のブツ切れと違和感をやたらと醸し出していた。
リングを指揮したあたりから、そうしたあざとさも消え、そんなことをしなくとも音楽が意図せずに雄大なドラマを語りだすようになった。
ライブ録音された、2008年の演奏でも、オーケストラは極めて雄弁で雄大。
自然な大河のような流れのなかに、「ジークフリート」が持つ固有の抒情も浮き上がらせることができていて、細部にわたるまで緻密なところがすごいと思える。
いまのところ、わたくしがティーレマンを無条件で賛美するのはワーグナーとシュトラウスぐらいなのでありますが、ろくに聴いたことないベートーヴェンやブラームス、ブルックナーはどうも敬遠中。
ベームのワーグナーのような火の玉のような興奮を味わわせてくれるのだが、ベームがモーツァルトもかっちりとすっきり聴かせてくれたようなセンスはいまだにない。
そこがティーレマンの伸びしろの部分なのだろうか。
ここでのジークフリートのグールドは、ほんとに素晴らしいと思う。
たしか、タンホイザーでデビューしたころは鈍重なイメージもあったが、強さと若い軽やかさも備え、母を思う繊細な感情表現も素敵なものだ。
この人が、新国でのちにトリスタンを歌い、それはまた、悲劇的な色彩の濃い素晴らしい歌唱でさらなる進化を示したのだった。
ミーメのシーゲルは、歴代のミーメに名を連ねる、おもしろ歌唱だ。
これはいい。バイロイトのミーメは、過去から見てもすべて最高だな。
ただし、グールドとの声の対比ではいまひとつ、もう少し軽くてひょろひょろしてた方が・・。
アクの強いドーメンのさすらい人は、押しつけがましい要素もその声にあって、探索者としての立場にはぴたりだ。
軽めのショアのアルベリヒもいい。
新国でもお馴染みのワトソンも、わたしには明るい屈託のないアメリカ娘のようで、このジークフリートでは成功していると思えた。
そして、この音盤のよさは、祝祭劇場の響きを完全に捉えた録音の素晴らしさ。
ワーグナーの見立てたこの劇場の音響は、137年を経ても変わらずに木質の響きを保っているのでありました。
最後に、このときのドルストの演出。
ワルキューレのみが映像で確認できるけれど、わたしの好みではないな。
気色悪い。
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コメント
今晩は、よこちゃん様。 暑さ寒さも彼岸までとは良く言ったもので、日中暑いと思っても、陽が沈む時間は早くなり朝晩めっきり涼しくなりました。
中畑監督退任との事…やはりと言うべきなのかどうか。。。
好投しても白星より黒星が先行する番長を気遣ってくれた監督の言葉を嬉しく聞いていましたがねぇ…
あまちゃんも残り3回。
寂しいなぁ。。。来週から腑抜けてしまいそうです。
よこちゃん様はアキちゃん派、ユイちゃん派、若き日のハルちゃん派?
それともアダルト組の春子さん派、ひろ美さん派、美鈴さん派?なんのなんの安部ちゃん派、花巻さん派?
それとも熟女 夏ばっぱ派、弥生さん派、メガネ会計ばばあ派?
みんな魅力的な女性たち。
好きですねぇ。サヨナラはつらいです
投稿: ONE ON ONE | 2013年9月25日 (水) 22時48分
ONE ON ONEさん、こんにちは。
過ごしやすい季節が巡ってきましたね。
中畑監督は、球団として遺留して残留、という線だと思います。観客動員数を大幅に伸ばした功績も高いです。
でも、わたしには対オレンジのあまりのふがいなさが腹立たしいです。
あそこと、もう少し対等に戦っていれば、CS間違いなかった・・・・・。
あまちゃん症候群。
今週、燃え尽きそうです。
でも、「ごちそうさま」は食べ物が主役みたいだから、食いしん坊にはたまらない。
そして、朝から笑わせてくれますねぇ、ONE ON ONEさん。
恋多きオヤジには、誰も選べねェよ。
ちょっと劣化した(?)美鈴さんかなぁ~(笑)
GMTとかまめりん、寿司屋の店主も最後には出て着て欲しいです!
投稿: yokochan | 2013年9月26日 (木) 08時47分
アムステルダム・オペラの今回でお釈迦になる演出の実演を観てきました。
書きたいことは、超盛りだくさんなのですが、アバド指揮の事で余韻が継続しておられるので、細かいことは、書きません。
ただ、ネザーランド・オペラ(ダッチ ナショナル オペラ)は、’百聞に一見にしかず’の劇場です。日本人にとって過小評価しすぎの劇場でしたよ。。。。
投稿: T.T | 2014年2月20日 (木) 20時37分
T.Tさん、こんにちは。
ご配慮、ありがとうございます。
日本にいらっしゃらない間に、いろんなことがおこり、アバド追悼に浸りたかったのに、いろんな事象がおこり、不愉快なことともなりました。
一切を遮断して、アバドに集中したかったので、申しわけありません。
日本にいると、オランダのオペラは、あまり近く感じませんが、T.T さんが、かくまでおっしゃるとは、かなりの水準とお見受けしました。
神奈川フィルをはさんで、あと半月ぐらいは、アバド専門といまいります。
おそれいります。
投稿: yokochan | 2014年2月23日 (日) 01時03分
アムステルダム、2月17日から名称変更になって
ダッチ ナショナル オペラ になったのです。これから、新体制へとやんわり陣容が変わっていく過渡期のメンバーになり出したから、行くのなら今のうち。
いずれ、書きたかったこと書きますね。いっぱいあるので。指輪だけでなく。。日本に来て欲しい新しい人材いたし。
投稿: T.T | 2014年2月23日 (日) 10時01分
ダッチ ナショナル オペラですか、なんかピンときませんが、充実の度合いは、推定できますね。
いずれの機会に、是非お聞かせください。
投稿: yokochan | 2014年2月27日 (木) 23時28分
60の声を聞いて、ようやく『ジークフリート』を『自分のもの』に、出来つつあるようです。冒頭のティンパニ弱奏のもと、ファゴットが『ミーメの思案のモティーフ』を奏でると、背筋がゾクゾクッとするように、なったのですね。ジークフリートが大蛇を倒した直後の、速いテンポのミーメとアルベリヒの口論の場も、ウキウキしながら耳を傾けられるように、最近変わりましたから。最近国内DVDとしては廉価に再発された、メトのレヴァインが振り、イェルザレム、ツェドニク、ベーレンスの出演によるDG盤も視てみたい気が‥。因みに所有ディスクは、ショルティ指揮のDecca盤とヤノフスキ指揮のEurodisc盤のみです。
投稿: 覆面吾郎 | 2020年11月10日 (火) 13時16分
「ジークフリート」をだんだんとわがものに!
おめでとうございます。
リングのなかでも一番地味な男の世界の楽劇、ハッピーな3幕より、1,2幕の牧歌的なところが好きだったりします。
この作品、ミーメが面白くないと締まりませんが、歴代のキャラクターテノールを楽しめるのも、このオペラを聴く喜びのひとつだと思います。
投稿: yokochan | 2020年11月11日 (水) 08時29分