リスト ピアノ協奏曲第2番 ベルマン
芝増上寺を大門方面から。
東京タワーは近づくにつれ、先の方しか見えなくなります。
早朝の図は、これまた荘重なのでありました。
リスト ピアノ協奏曲第2番 イ長調
Pf:ラザール・ベルマン
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ウィーン交響楽団
(1976.6 @ウィーン)
リスト(1811~1886)は、ハンガリー生まれ、ドイツ・オーストリアに活躍した人でしたが、その生涯の詳細を細かに知る人はあまりいないのではないでしょうか。
わたくしも、そのひとりでありますが、わたくしの場合、リヒャルト・ワーグナーとの関連性においてリストを捉えることが多いので、ますます、作曲家としてのその存在をあまり知らないということになるんです。
肖像や写真を見ると、痩せていてスマートでお洒落な紳士。
神経質そうで、どこか近寄りがたいオーラを放っている。
でもビジュアル的には、とてもイイ男で、ちんちくりんのワーグナーとは全然違う。
そのワーグナーとは、娘コジマの強引な再婚相手であり、義理の父であるとともに、ワーグナーの最大の理解者。
ワーグナーより2年早く生まれた義父リストは、婿より3年長生きする。
年上で長生きもしたうえに、むしろ名声をどんどん高めていったワーグナーと親子関係にあったリストは、その個性的で超絶的な技巧をようするピアノ作品の数々の生みの親であるとともに、ワーグナー作品が生まれたバックボーンを支えた偉大な功績者なのであります。
具体的に、ローエングリンの初演を受け持ち、リングも相談にのり、なによりも娘コジマの親として。
交響詩というスタイルを編み出したのもリストの大いなる功績ですが、ふたつあるピアノ協奏曲も、従来の協奏曲の枠にとらわれない独創的な、いわば交響詩的な作品であります。
切れ目なく単一楽章として演奏されますが、こまかくは6つの部分に分かれてます。
極めてロマンティックで、感傷に濡れそぼったような場面も続出しますが、1番のような明確さと外へ向かう外向的なエネルギーには不足します。
しかし、ロマン派が円熟し、幻想味満点の内省と華やかさの入り混じる曲調は、聴けば聴くほどに魅力的です。
22分ほどの曲ですが、1番とともに、聴くときの気分によっては、それ以上にロマンティックな思いに浸らせてくれる音楽です。
1930年ロシア生まれ、76年当時、忽然と姿をあらわし、幻級のピアニストと称されたラザール・ベルマンの演奏でこそ、前世期をも感じさせもするグランドなピアノ。
ベルマンより年上だけど、ヨーロッパの伝統を頑固に身に付けたジュリーニとの共演。
当時の手兵ウィーン響が、ベルマンの復古調のピアノに併せて、録音のせいか丸みをおびて、マイルドでいにしえのサウンドに聴こえる。
ロンドンのオケでやったらもっとバリッとした音になったかもしれない。
でも、この時代のジュリーニのウィーンとシカゴでの活躍は目覚ましいものだった。
ベートーヴェンからリスト、ピアノの世界でも、そんなに遠くないような気がしますし、ある意味、どちらも幻想的なシンフォニストだったと思います。
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コメント
西田敏行が歌っていた「もしも、ピアノが弾けたなら」
じゃーないけど。
このレコードジャケット、懐かしいわー。
けど、このピアニスト、アナログ録音後期もいいところで現れて、デジタル録音になった途端、また名前が消えていったでしょ。
Wiki見てたら、運の悪い、国から迫害に近い状態にあったんだね。。
投稿: もしも、ピアノがヴィトゥルオーゾのように弾けたなら。 | 2013年10月 3日 (木) 08時23分
うわっ、今回もロングネームですね(笑)。
ベルマンを知る人にとっては、このジャケットは懐かしいと思います。
そしてわたしには、ジュリーニとウィーン響のコンビも懐かしいです。
75年にこのコンビの来日公演を聴きました。
ベルマンが忽然と登場したときも衝撃でしたが、忘れたころに消えてしまいました。
わたしには、70年代後半のノスタルジーの象徴のひとつみたいな人です。
投稿: yokochan | 2013年10月 5日 (土) 23時36分