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2013年10月20日 (日)

ヴェルディ 「マクベス」 ムーティ指揮

Kabukiza

ライトアップされた歌舞伎座は素敵に美しい。

後ろのビルも東京の風景になじんできました。

Macbeth_muti

  ヴェルディ  歌劇「マクベス」

 マクベス:シェリル・ミルンズ       マクベス夫人:フィオレンツァ・コソット
 バンコー:ルッジェーロ・ライモンディ  マクダフ:ホセ・カレーラス
 マルコム:ジュリアーノ・ベルナルディ  待女:マリア・ボルガート
 医師:カルロ・デル・ボスコ        従者:ジェスリー・フィソン
 暗殺者:ジョン・ノーブル          先駆け:ネルソン・テイラー
 幻影1:クリストファー・ケイト       幻影2:サラ・グロスマン
 幻影3:ティモシー・スプラックリン

  リッカルド・ムーティ 指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                   アンブロジアン・オペラシンガーズ
                   合唱指揮:ジョン・マッカーシー

              (1976.7 アビーロードスタジオ、キングスウェイホール)


ヴェルディのオペラ10作目は、いよいよ名作「マクベス」。

1846年、胃痛と体調不良を押して完成させた「アッティラ」のあと、ヴェルディは医師の勧めで、6ヶ月間の休養に入ります。
北イタリア、ヴェネト洲にある美しいレコアーロという地で、ひと月の間、保養生活を送ります。
この地の鉱泉水を飲み、ヴェルディは元気を取りもどすのですが、いまでもここの水は効能豊かなようですね。

Recoaro1

さらに、以前より交流のあったマッフェイとも親しく接し、ドイツやイギリス文学の翻訳を業とした文化人の彼との日々は、ヴェルディの創作欲を大いに刺激しました。
一回り以上歳の差のあったマッフィーの若い妻クラーラも、知識人で、ミラノでサロンを開催して、多くの文化人との交流もありましたが、当のマッフィーとはすれ違いばかり。
政治的な考えも異なり、ついには離婚ということになり、マッフィーさんは、その痛手をヴェルディとの文学談で紛らわしておりました。

そこで、話題に上ったのが、シラーの「群盗」。
さっそく、ヴェルディはマッフィーに台本製作の依頼をします。
次の仕事の依頼先であるフィレンツェでの上演をもくろんでのことです。
作曲を開始した「群盗」では、力強いテノールを念頭にしており、それは、ナポリで惚れ込んだ「アルツィラ」を歌った歌手をあてこんでのものです。
しかし、フィレンツェがその歌手を手当てできないことがわかると、ヴェルディは「群盗」の筆を置き、すぐさまに、マッフィーとの交流の中で芽生えたシェイクスピア劇の「マクベス」構想に切り替え、今度は、毎度のコンビ、ピアーヴェに台本依頼。
主役をバリトンに据えるため、フィレンツェでも上演が可能と判断したヴェルディの動きは早い。
猛然と仕事に熱中し、1947年の2月に「マクベス」を携えてフィレンツェに乗りこみます。
翌3月に、「アッティラ」初演1年で、新作を上演。
その間の1年の半分を静養にあてていたヴェルディの作曲の勢いと情熱は、まったくもってすさまじいものがあります。

これまで、「ふたりのフォスカリ」という渋い心理劇はあったものの、歴史スペクタルの中に、愛国心を鼓舞する熱々路線を引いてきたヴェルディは、この「マクベス」から、初期作を脱し、中期の森へと入り込んで行くわけです。

>シェイクスピアの原作にほぼ忠実。
この原作もアバドのレコードを聴いてから読んだが、簡潔ながらシェイクスピアがマクベス夫人に与えた邪悪な野望の持主という性格は恐ろしいものであった。
そしてそれに鼓舞されて人生を狂わせてしまうマクベス。
 ヴェルディもシェイクスピアの意そのままに、マクベス夫人を歌う歌手は「完璧に歌うのでなく粗くて、しゃがれたようなうつろな響き」を持ち「悪魔的な感じ」を求めたという。

そして、マクベス夫妻の歌のスコアには、「ソットヴォーチェ」とか「叫び、うつろに」「しゃべるように」・・・・、といった指示がたくさん書かれている。

 このオペラの二人の主役がいかに難しく、性格描写が求められるかがわかるというもの。<
 (以前のアバド盤の時の記事より引用)

ヴェルディは、18年後、パリのために、「マクベス」を改訂し、そのフランス語版のイタリア訳の版がいまもって上演・録音される版となっております。
初稿は聴いたことがありませんが、基本ラインは同じで、愛国的な合唱に手が入り、バレエが追加されたほか、よりダイナミックになったされます。

1040~1057年 スコットランド

第1幕

 3組の魔女たちが歌うところに、マクベスとバンクォーが登場。
魔女は、マクベスがコーダーの殿となり、やがて王ともなる。バンクォーは王の父となると予言する。そこへ、マクベスがコーダー領主となったとの使者が現れ、二人は驚く。
 マクベスの居城では、夫の手紙を読み野望にメラメラと燃える夫人がいる。
おりから、王ダンカンが今宵やってくるとの報に、帰館した夫に王暗殺をしむける。
ついに刺殺してしまうマクベスは、おお殺っちまったとおののくが、夫人は凶器の短剣を夫から取上げ、王の部屋へ置きにゆく。やがて大騒ぎとなる・・・・。

第2幕

 国王となったマクベス。魔女の言葉を一緒に聞いたバンクォー親子の存在が気になってしょうがない。
ならいっそのこと、と夫婦で次の殺害をたくらみ、刺客を雇ってバンクォーを殺してしまうが息子マクダフは逃げおおせる。
城の広間に客人をもてなすマクベス夫妻。しらじらしげに、バンクォーはいかがした?とか言いながら、バンクォーの席に座ろうかなどと言うと、血にまみれたバンクォーの亡霊が座っているのが見え動揺しまくるマクベス。
夫人はその場をとりなし、夫を励ます。

第3幕

 マクベスは魔女たちに気になる未来を見てもらおうとする。
魔女たちは、幻影を呼び出し、その幻影が語る。「マクダフに用心、女から生まれた者でマクベスに勝つ者はいない、バーナムの森が動かない限り戦いに負けない」と。
有り得ないことばかりに意を強くしたマクベスだが、王たちやバンクォーの亡霊が現れ、バンクォーの子孫たちが生き返ると聞かされ気絶してしまう。
 帰って夫人に報告し、二人でマクダフの城を攻めてしまえと毒づく。

第4幕

 マクベスの暴政に悲しむ人々の合唱。復讐に燃えるマクダフに亡き王の息子マルコムは、バーナムの森の木々を切ってそれを手に持って姿を隠そうと作戦を練り励ます。
城ではマクベス夫人が狂乱の死の境に立っている。
手についた血のしみや匂いに囚われてしまっている・・・・。
 マクベスは今しもイギリスと組んで攻めこようとするマクダフ軍に毒づき、最後の時が近づくのを悟り、自分の墓には悪口しか残されることはないと歌う。
そこへ、バーナムの森動くとの報。くそっとばかりに武器を持って戦場へ出るマクベス。
マクダフと出会い、母の腹をやぶって取り出された生い立ちを聞かされ、マクベスは「地獄の予言を信じたゆえ罰を受ける。卑劣な王冠のために・・」と歌い破れ死ぬ。
 勝利に沸く民衆とマクダフとマルコム。 

                       幕

Macbeth_muti_2

いうまでもなく、マクベス夫人のふたつの長大なアリアがもっとも聴きもの。
最初の登場のアリアでは、邪悪さも表出し、強烈な存在としてのマクベス夫人。
最後の狂乱の場では、自分の手に付いた血の幻影に怯える夫人。
これらを歌うメゾの領域の歌手は、いまもってマリア・カラスがどうしても頭をよぎるのですが、全曲盤で、いまもって最高のマクベス夫人と確信しているのは、こちらのフィオレンツァ・コソットであります。
まっすぐに伸びたピーンと張りつめた強靭な声。低域から高域まで、無理なく駆使される豊かさと技量。どんなに強く歌っても耳にうるさくない。
ヴェルディの指摘したような、しゃがれた声では決してないけれど、権力を狙い鼓舞し、やがて転落してしまう、強くて弱い女性を完璧に歌いだしているコソットの見事なマクベス夫人です。

同じことが、ミルンズのマクベスにもいえていて、完璧なのですが、声の威力に頼り過ぎの部分と、美声があっけらかんと響きすぎて、悲劇色を打ち出せないうらみもありました。
でも、わたくしは、ミルンズの声が大すきですよ。

贅沢にもカレーラスとライモンディを配するEMIならでは豪華版。

録音時35歳のムーティの熱血かつ、情熱と表現意欲に富んだオーケストラが見事。
イギリスのオケとは思えない、強靭なカンタービレと歌をニューが付いていたころのフィルハーモニアから引き出してます。
EMIらしからぬ、芯のある録音もよいです。

Macbeth_muti_3


当時、ムーティを擁していたEMIは、お互いにライヴァル心むき出しだったアバドのいたDGと、これまた何かにつけはり合うことが多かった。
アイーダと仮面舞踏会は、EMIがいち早く録音したが、「マクベス」は、DGがスカラ座に乗りこんで、数十年ぶりのスカラ座全曲録音を復活させた演目だ。

スカラ座上演に合わせて、歌手もバージョンアップさせたアバド盤と、その1年後のムーティ盤は、当時のイタリアオペラ界の名歌手の相関図でもあります。

皮肉なことに、両盤のキャストを混ぜ合わせると、史上最高のキャストができあがります。

マクベスはカプッチルリ、夫人はコソット、バンコーはギャウロウ、マクダフはカレーラス。
指揮とオケは、アバド&スカラ座に軍配。

ムーティもいいけど、ロンドンのオケはスカラ座の比じゃないし、ヴェルディが踏み込んだ人物たちの心理の綾を表出した音のドラマをアバドは緻密さと、解放感とでもって表現しつくしているから。

ブログでのヴェルディオペラ制覇まで、あと6作(改作除く)。

過去記事

 「アバドのマクベス」



 

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コメント

こんばんは。実はムーティの「マクベス」アバドを持ってからキャストに魅かれて購入。オケはアバド、スカラ座の方が充実しているけどミルンズ、カレーラスが聴かせてくれます。
実際はフィレンツェ版よりパリ改訂版の方で上演されているようだけど。「第3幕」にバレエ音楽が入っていてアバドがスカラ座やベルリン・フィルの「序曲集」で録音していてムーティはどうなのかな、と思ったら入ってましたね。実際の舞台では踊り手の手間で使われないけど。
ヴェルディの「全曲盤」入手不可能なのが多い中、yokochanさんたくさん持ってらっしゃるのね。
ムーティはこの頃、歌劇場指揮者の卵だったでしょう。

投稿: eyes_1975 | 2013年10月22日 (火) 00時17分

eyes_1975さん、こんにちは。
アバド、ムーティともに、素晴らしいキャストに惹かれますね。
オケは雲泥の違いですが。
このバレエ音楽は、単独で聴く分にはいいけど、オペラの中だと緊張感が途切れて間延びしますね。
パリという都市の当時の聴衆の嗜好がよくわかります。
同時期の「タンホイザー」も同じことが起きてます。

ヴェルディのアニヴァーサリーですから、これを機に、手元にないものを集めることができました。
こんな機会は、もうないでしょうね!

投稿: yokochan | 2013年10月22日 (火) 09時01分

TOCE-9481~82と言う対訳抜き国内盤CDで持っていますので、貴ブログ拝見を機会に聴き直した次第であります。ムーティの踏み外さない範囲で、動的で切れ味の鋭い指揮ぶり、よろしいですね。主役陣の粒も揃ってますし、最近WarnerからムーティのヴェルディEMI録音集大成が、セット化されたようですが、『アイーダ』『仮面舞踏会』を単品で既に持ってますので、購入済みの音源とのダブりが生じる為、カウンセリング踏ん切りが付いておりません(笑)。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年5月25日 (土) 10時32分

打ち込みミスで、『購入する』が『カウンセリング』に、なってしまいました。失礼致しました。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年5月25日 (土) 10時34分

アバド好きとしては、同じ作品を常にぶつけてくる、ムーティとEMIに、嫉妬したものです。
スカラ座のキャストをそのまま使ってしまった、アイーダや仮面舞踏会などなど。
でも、アイーダは素晴らしかったし、このマクベスもアバドに迫る名演でありました!
なんたって、コソットが!

投稿: yokochan | 2019年5月28日 (火) 08時31分

最近中古品で、そのアバドのミュンヘン-ライヴがイタリアMoviment-musica盤で出回ってましたので、聴きました。アイーダのアーロヨが、ムーティ盤ではカバリエになっていますね。故-福永陽一郎さんの『私のレコード棚より』と言う本によりますと、当時FMでも放送されたとか‥。まさしく白熱のライヴと称すべき、力演でしたね。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年5月30日 (木) 07時34分

アバドの、ミュンヘンオリンピック時のアイーダライブは、NHKFMで実際に聴き、ものすごく興奮しました。
同じライブCDがモノラルで出てまして、ご指摘のものと同じものですが、なんとかバイエルン放送局あたりから正規に復刻されないかと思ってます。

投稿: yokochan | 2019年5月30日 (木) 08時25分

アバドがライヴで振ったドリームキャストをほぼそのままかっさらって、ムーティのデビュー盤にあてがうとは、当時のEMIの首脳陣には凄まじい遣り手が、居られたものです。モノーラルから1960年代いっぱい迄、ウィーン-フィルをほぼ専属下に置いた英Deccaにも、モーリス・ローゼンガルデンと言うトップの力が大きかったらしいです。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年5月31日 (金) 10時35分

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