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2013年11月

2013年11月30日 (土)

スキタイ、シュールホフ、中国役人、馬鹿な男、ラ・ヴァルス ゲッツェル指揮

Shimbashi

サラリーマンの聖地、新橋駅前のSL広場。

そのSLも、冬の装いを纏うようになりました。

毎年違います。

酔ったお父さんたちは、これを見てウキウキして、そして元気に電車に乗って、お家に着いたら小さくなっちゃうのでしたぁ。(By 自分)

でも、この機関車のように、元気に力強く、いつまでも突っ走りたいものです。

今日は、そんな気分まんまんにしてくれる、威勢のいい、そして派手な1枚を!

もう、もう、最高なんだ、これ!

指揮は、サッシャ・ゲッツェル。

神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者です。

Goetzel

 プロコフィエフ  「スキタイ組曲」

 シュールホフ   バレエ音楽「オジェラーラ」より

 バルトーク    組曲「中国の不思議な役人」

 ホルスト      歌劇「パーフェクト・フール」からバレエ音楽

 ラヴェル     「ラ・ヴァルス」

  サッシャ・ゲッツェル指揮 ボルサン・イスタンブールフィルハーモニー管弦楽団

                   (2011.6 @イスティンエ、イスタンブール)


激しかったり、おもろかったり、血の気が多かったり、そして優美でお熱かったり。

このCDのコンセプトは、20世紀初頭の各国の舞踊音楽にあります。

彼らの1枚目のCDも、同じようでして、レスピーギに、F・シュミット、ヒンデミットです。
そちらは、また1月に入りましたら取り上げます。

まずは、このコンビのご紹介。

サッシャ・ゲッツェルは、1970年、ウィーンフィルの第1ヴァイオリン奏者を父として、ウィーンに生まれる。
そして、ウィーンならではの、自身も優れたヴァイオリン奏者としてのウィーンフィル入り。
われらが小澤さん、ムーティ、メータらのもとで、オペラやオーケストラコンサートで奏者としてしっかり活動。
そして、フィンランドの指揮者輩出の名指導者パヌラの教示も受け、指揮者としても活躍を始める。
ヨーロッパ・北米・日本とその指揮活動は、またたく間に広まり、現在、フィンランドのクオピオ交響楽団、トルコのボルサン・イスタンブールフィルの指揮者を務めるほか、フランスのブルターニュ・フィルハーモニクと神奈川フィルハーモニーにもポストを得ております。
 オーケストラばかりでなく、オペラの力量も秀逸で、ゲルギエフのキーロフで「ドン・ジョヴァンニ」を指揮したり、ウィーンのフォルクスオーパーではウィーンフィル創設者の「ウィンザーの陽気な女房たち」を指揮し、さらに日本公演も行いました。

親の七光りを越えて、ゲッツェルさんは、指揮者として完全独立。
世界の楽壇が今後求める、有力な指揮者の仲間入りをしております。

神奈川フィルは、ほんとうにいい指揮者を見つけ、つかまえたものです。

初共演を聴くことは逃しましたが、そのあとのマーラーを振った定期を聴きました。
その時の、面白さは、のちのちでも自分の書いたブログを読んで、悦に入ったりしてしまうくらいのナイスなもので、あんな爽快かつ気分のいいコンサートはなかったな。
オケメンバーも大絶賛、このときがこのコンビを決定づけるきっかけとなりました。

ボルサン・イスタンブールフィルは、1999年スタートのまだ若いトルコの首都のオーケストラですが、最初は室内オーケストラから始まったようです。
東西の接点、アジア・ヨーロッパの融合するトルコのイスタンブールのオーケストラですよ。
オケ好きとしては、とても気になる存在だった。

Borusan_istanbul_filarmoni_04_t_ben


欧米のオケは、メジャーは当然として、いまやいろんなマイナーレーベルから、各国のオケが、日本のオケもふくめて聴ける時代で、ほんとうに珍しいのは、東南アジアや南アジア、中近東、南米、アフリカのオーケストラ。
トルコは、それに比したらずっと先進的だし、ヨーロッパ。
イスラムの国でありながらのヨーロッパ国としてのオーケストラです。

それをウィーンの指揮者が指揮をする。
こんな面白いことはありません。

こんな激しさと特徴あふれるダンス音楽ばかり、気をてらったわけではないでしょう。
だけど、民族臭は少なめで、思ったよりスタイリッシュで、そのアンサンブルも緻密で完璧。
でもさすがに、フォルテの場面や、アレグロでは、元気がとてもよろしい。

ゲッツェルさんの、ジャンピングホップが目に見えるようだ。

でも、演奏に聴く、切れば血が吹き出るような鮮烈さはどうだろう。

プロコフィエフのまがまがしさと、モダーンなダンディズムにも妙にあってるし、シュールホフの世紀末退廃系のごちゃまぜ感も、なぜか納得の混在ぶりですよ。

ゲッツェルの指揮の鮮やかさは、この前半ふたつで持ってよくわかります。
キレがいいし、思いきりがいい。

マンダリン(中国役人)では、摩訶不思議な、怪しさが、思いのほかすっきり明快すぎるのだけれど、この軽快なまでの快走ぶりが実によろしい。
と思っていたら。
最後の追いつめ方は、だんだんと切羽つまってきて、もー、どーにでもしてくれ的に荒れてしまうのがイイ。

ホルストの「パーフェクト・フール」は、「どこまでも馬鹿な男」と訳されるけれど、皮肉たっぷりの含蓄に富んだオペラ。
ファルスタッフやパルシファルといった、最高のオペラ作曲家が行きついた先をもじったりしてる。その音楽もユーモアと哀調いりまじる、なかなかに含蓄ある曲。
 これをゲッツェルさんは、構えることなく、英国音楽ならではの、しみじみ感を醸し出しつつで、聴きごたえある演奏を行ってる。
①序奏と地の精の踊り、②水の精の踊り、③火の精の踊り

最後は、歌い口も鮮やかな「ラ・ヴァルス」。
タメも充分、細かなところまで微細に心くだきながら、最後のフィナーレまで、生き生きと、ラヴェルの鮮烈な音楽を盛り上げていきます。
 

これを聴いたら、誰しも、イェーイ、ブラボォーーってなりますよ!

Goetzel

ともかく、ゲッツェルさん、生きがよくって、粋もいい。
しゃれじゃないけど。
その音楽は、いま生まれたばかりのような、鮮度の高さがあって、きっとその音楽性と指揮ぶり、人間性に、オーケストラという有機体が惚れ込んで、一体化して輝かしいものとなって生まれてくるんだと思う。

知られてないけど、こんな面白くていい指揮者は久しぶりだよ。

このCDでは、ゲッツェルの魅力は完全にわからない。
実演で、こんどは、思わず笑えるくらいの激しい指揮ぶりを体感していただきたい。

まだ、あの4点ジャンプは健在なのだろうか・・・・!

神奈川フィルへの1月の登場は、あと1ヶ月後。

Goetzel_kanapfill

  ブラームス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲

      石田泰尚&山本裕康

  ワーグナー タンホイザー序曲

  R・シュトラウス ばらの騎士組曲

   サッシャ・ゲッツェル指揮 神奈川フィルハーモニー

         2014年1月26日 14:00 ミューザ川崎


ウィーン人が指揮する、素晴らしいプログラムでしょ。

ゲッツェル主席客演指揮者就任披露。

R・シュトラウス生誕150周年。

これから完全ブレイクする指揮者ゲッツェルさんの本格コンサート、是非立ちあってみませんか。
わたくしもまいりますよ!


過去記事

 「ゲッツェル&神奈川フィル マーラー」

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ジョージ・ハリスン

Queens_square_2

みなとみらい、クィーンズスクエア。

はいもうなにもいうことないですね、きれいです。

何度もいいますが、ワタクシはイルミネーション大好きなんです。

George_harison


11月29日は、ジョージ・ハリスンの命日でした。

もう12年も経ちます。
2001年に、ジョージが58歳の若さで、肺癌と脳腫瘍とで亡くなって。

あのときは、ほんとうに驚き、悲しみました。

ビートルズの一番若いメンバーで、80年に凶弾に倒れたジョン・レノンに続いての大ショック。

解散後すぐのころに聴きだした中学時代から、ジョージが一番好きだった。

物静かで、瞑想的で、その歌声も優しく、音楽造りもナイーブ。
初期時代は、まったく目立たなかったけれど、中期あたりから、インド音楽に目覚めたり、ギターの名手として、メンバーに確固たる存在を示し出したジョージ。

その音楽はちょっと陰りある抒情派。
シタールを取り入れて、オリエンタルなムードも漂わせた「ラバー・ソウル」あたりからが本領でしょうか?

解散後も、独自の活動で、音楽仲間とのコラボレーションでは一番豊かだった。
バングラデッシュの分離独立には、音楽によるサポートの巨大なムーヴメントを造った。
コンピューターミュージックの領域にも入り込み、クラシカルなコンテンポラリーサウンドにも近づいた。

晩年は、シンプルで透き通るような存在と、その音楽だった。

こんなジョージが好きでした。

「アビーロード」にある名作「サムシング」がとても心に沁みる今宵。
泣きそうになっちゃった。
この曲を聴いて、もう40年だよ。

ほかにも、ジョージの好きな曲はたくさん。
このベスト盤のことも、また次の機会に譲りたいと思います。

時の経過を無残に思いつつ、でも、音楽とその声は色あせないのでありますね。

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2013年11月28日 (木)

隅田川沿線のにゃんにゃん

A

スカイツリーの隅田川を挟んだ北側。

ここで、繰り広がられた、にゃんこの愛憎劇をご紹介。

ちょいと前のこと。

1

このあたりのにゃんこたちは、みんな首輪をしてました。

そう、猫を愛する方々が首輪を着けてあげてるんですね、きっと。

野良猫認定されないために。

白にゃんが、ワタクシの前を通りかかりましたよ。

2

いつものように、「おいっ」と声をかけると、やってきましたよ、こっちに。

3

なにもそんなに近くまで・・・。

こんなアップ写真しか撮れないじゃん。

4

そしたら、突然、横の方からブチが、それこそぶっ飛んできて、白を追い込めるじゃありませんか。

ぎゃおぎゃお、ぎゃぎゃぁ~

ただならない雰囲気に、近くいたオバサンも、「やめなさいってば、喧嘩は」とか言って止めてます。

5

完全封じこめのブチの勝利。

6

白は手も足もでない、横からみた図。

7

ん?

どうどう?  って顔してブチ。

8

そして、こちらになにごともなかったように、すりよるブチ公。

9

い、いったい、なんざます??

あいつは、まったく。

せっかく、あのバカな人間と遊ぼうと思ったのに、プンプン、ざぁます。

10

ふん、かってにおし。

と、立ち去る白にゃんなのでしたぁ~

続く。

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2013年11月27日 (水)

バッハ 2つのヴァイオリンのための協奏曲 シェリング&マリナー

Nakai_mikan

いまがさかり、神奈川西部のみかん。

温暖で、かつ、画像の奥に見える大山を中心とする丹沢山系の恵みもあり、水もきれいで、寒暖の差がそこそこある。

男子なもので、そんなに多く食べないけれど、地場のみかんや柑橘系は、体に合うような気がします。

誰も監視してないのに、こんなに実ったみかん畑が続く道で、ふとどきなことをする人はいません。
カラスや野鳥さえも、満たされてますし。

Bach_szeryng

  バッハ 2つのヴァイオリンのための協奏曲

     Vn:ヘンリク・シェリング、モーリス・アッソン

 サー・ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・セント・マーテン・イン・ザ・フィールズ

                      (1976.6 @ウェンブリー、ロンドン)


バッハの2曲のヴァイオリン協奏曲と同じく、1717~23年にかけてのケーテン時代に書かれた名作。
この時代、バッハは仕えた領主レオポルド公が大の音楽好きで、公付きのオーケストラもあったことから、その宮廷のためにカンタータや声楽作品というよりは世俗的な管弦楽や協奏曲作品を多く作曲しました。

そんななかの、一連のヴァイオリン協奏曲は、いまではヴァイオリニストのみなさんの重要なレパートリーとして定着しておりますし、教則的な意味でもはずせない存在なのですね。

ヴィヴァルディの様式にも通じる、コンチェルト・グロッソ的な華やかさを持ちつつ、しかし、バッハ本来の求道的、求心的な、音楽の美しい綾取りを持つ、この2重ヴァイオリン協奏曲。

2本のヴァイオリンだけど、まるで1本のように聴こえちゃう。

それだけ、お互いに絡み合い、お互いにオーケストラとも溶け合い、融合してしまう、思えば稀有の美しさ。
ことに第2楽章は極めて美しく、献身的なデリケートな美感を感じる。

かつて、1987年に上演された映画「愛は静けさの中に」を封切で観たことがあります。

アメリカの片田舎の聾唖学校に赴任した若い教師ジェームズと、そこで働く卒業生のサラの美しく、哀しい愛の物語。

 音楽好きなジェイムズが愛したのは、バッハのこの曲で、その第2楽章が映画のなかに流れていました。
ときに、この曲のレコードに針をそっと落とすジェイムズ。
でも彼は、大好きなこの曲が楽しめないと言う。
彼女には聞こえないから・・・。

ふたりの抱擁も、この曲が背景じゃなかったかな。
ショッキングな、サラの過去が判明。
同情ではなくて、真実の愛を悟り、語るジェイムズ。
そして、ついに発したサラの、振り絞るような叫ぶような声は、当然に美しいものでなかったけれど、真実の、心からの声でした・・・・・そして、涙にむせった若き日に一夜でした。

もう26年も前の映画ですが、心に残るものでした。
誰と観たかは、ご想像にお任せします。

バッハのこの曲を聴くと思いだします。

シェリングと、その弟子アッソンのこの録音は、ピュアなマリナー&アカデミーの楚々とした好伴奏に恵まれ、当面、この曲のナンバーワンでしょう。

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2013年11月25日 (月)

11月は、なにかと誕生月、バックス 交響詩「ティンタジェル」 トムソン指揮

Ninomiya_sea_1

相模湾の夕暮れ。

相次ぐ台風や低気圧の持ち込む大波で、砂浜はどんどん浸食され、海水浴場は壊滅しつつあります。
もっと西にある三保の松原も、かつてのものとは違ってきていると思います。

湘南から西湘にかけての、白砂青松は、徐々に昔のものとなりつつあります・・・・。

自然に手を早々にいれることもあたわず、難しい問題です。

それは、さておき、わたくしのブログ、「さまよえるクラヲタ人」は、静かに、わたくしの誕生日とともに、生誕の月を迎えていたのでした。

ブログの方は、8年になりました。

最初の記事は、2005年、二期会の「さまよえるオランダ人」上演で、エド・デ・ワールトの指揮でした。
以来、書きました、記事数今日まで2,116本。
われながら、よく書いたものですが、同じこと何度も書いてる気もします。
PCアクセスは、カウンター表示のとおりですが、携帯からのアクセスをカウントすると207万ということになりました。

ここであらためまして、御礼を申し上げます。

ブログというツールから生まれた繋がりや仲間もたくさん。
中には実際にお会いして、コンサートをご一緒したり、盃を酌み交わしたりする方々も生まれました。

自分では、より真剣に音楽を聴くようになり、音楽以外の背景もいろいろと調べるようになったしで、もろもろ、ブログの効能をたっぷりと堪能しているのです。

8年たって、わたしの音楽嗜好は不変でありつつも、当ブログの方向性を、あらためましてここに整理しておきたいと思います。
食と酒は、いまは手抜中の別館に以降してます。

 ・神奈川フィル・・・・・経済的にも、時間的にも、もうあまりコンサート通いは
              しなくなった。
              そのかわり、ブログを通じて神奈川フィルを聴くようになり、
               今では、わたしには欠かせない大切な存在となりました。
                   心底楽しんでます。そして心から応援してます。

 

  ・アバド・・・・・・・・・・もう40年のお付き合いです。
              わたしにとってお兄さんのようなにこやかな存在。
              ずっと聴いてきました。

 ・ワーグナー・・・・・・こちらは、40年超のお付き合い。
             人柄はアレだけど、その音楽と総合芸術的な存在は圧倒的。
              聖地バイロイト詣への思いは、昨今のヘンテコぶりで
             揺らぎつつあり。

 ・英国音楽・・・・・・・その全般を愛す。
              ディーリアス、エルガー、RVW、ブリテン、フィンジ、バックス、
              ハゥエルス、ホルスト、アイアランド、ブリッジ、ブリスetc

 ・世紀末系・・・・・・・こちらもほぼ全般
             マーラーは食傷気味だけど、新ウィーン楽派、ツェムリンスキー
             シュレーカー、コルンゴルト、退廃系各所

 ・オペラ・・・・・・・・・・なんたって好きです
              ワーグナー、R・シュトラウス、プッチーニ、ヴェルディ
             モーツァルトもうなんでもOK

 ・ハイティンク・プレヴィン・マリナー・・・・好きですね。
             
 ・ベイスターズ・・・・・こちらも長いお付き合い。もう38年。
              甲子園で優勝に立ち会って、15年。

 ・ねこ・・・・・・・・・・・・存在が好きです。いぬも負けずに好きです。

 ・バッハも、モーツァルトも、ベートーヴェン、シューベルト、ベルリオーズ、
  ブラームス、チャイコフスキー、ブルックナー、ドビュッシー、ラヴェル、
  あぁなんでも好き

 ・音楽、音楽がないと生きてけない。

音楽禁止令が布告されたら、人間やめます。

ブログ、自分の道を好きなようにまいります。

これからも、よろしくお願いします!
              
                              

Bax_2

  バックス   交響詩「ティンタジェル」

    ブライデン・トムソン指揮 アルスター管弦楽団

              (1983.4 @アルスターホール、ベルファスト)


アーノルド・バックス(1883~1953)は、本ブログでも何度も登場している英国作曲家。
生粋のロンドンっ子なのに、ケルト文化を愛し、イングランド北部・スコットランド・アイルランドの地をこよなく愛した作曲家。

その音楽も、ノーブルさや慎ましさよりは、シャープでシビア、でも抒情にも富んた様相に包まれていて、そのいずれもが、イギリスの海岸地方の厳しい自然を思わせるものです。

交響曲は7曲、交響詩は多数、協奏作品、室内楽、器楽、声楽と、オペラ以外に広範囲の曲を残してます。

神奈川フィルの新シーズン1発目、4月の次期常任指揮者、川瀬賢太郎さんの就任披露コンサートの第1曲めが、この曲です。
バックスの音楽を愛するものとしては、愛する神奈川フィルで、この曲が聴けるという、このうえないスタート演目なんです。

1917年に、バックスのピアノ作品のほとんどにインスピレーションを与えたピアニスト、ハリエット・コーエンとともに訪れたイングランド南西部のコーンウォールにあるティンタジェルの街。
そこのティンタジェル城は、遠くローマの時代に端を発するもので、のちにケルト、アーサー王の伝説もある場所です。
その城や、その下にある絶海をイメージした、海の潮風や潮の匂いすら感じることのできる、魅力的な音楽です。

英国は、日本と同じ島国です。
内陸部と海岸地帯では、その文化や風物はまるで異なります。
海にまつわる英国の音楽は、そのいずれも、わたしたち日本人の心にも響くものばかり。
ことにバックスの音楽は、そうした風景も背景にあることから、一度なじむと、すっかりはまることになります。

コーンウォールといえば、ワーグナー好きならば、「トリスタン」の故郷として思い浮かびます。
メロートの剣に倒れ、忠臣クルヴェナールによって運ばれた里が、コーンウォール。
海の見える朽ちた城で、トリスタンは海を遠く眺め、イゾルデの到着を恋い焦がれるのです。
そんな音楽も、じつはこのバックスの曲の中に響くのであります。

また、来年の定期の前に、この曲は、ほかの手持ちの音源を比較しながら取り上げてみたいと思います。

ブライデンとアルスターの演奏は理想的なものですね。

Tintagel1

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2013年11月23日 (土)

神奈川フィルハーモニー第294回定期演奏会 垣内悠木希 指揮

Landmark

ランドマークプラザの恒例のツリー、今年はディズニーキャラクター。

Landmark_3

ちょっとボケてしまいましたので、再チャレンジしなくちゃ、です。

これを見て、いくつかのまだあるスポットで写真をパシャパシャしながら、みなとみらいホールへ着いたら、あら残念、ロビーコンサート逃しました。
コンマス就任予定の崎谷さんを中心とするドヴォルザークの三重奏だったそうな・・・。

出足に失敗。ドヴォルザークで耳慣らしして、ブラームス。
素敵な流れだったのにね。

Kanaphill201311

  ブラームス   交響曲第3番 ヘ長調

  ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第3番 ニ短調

            ヴォカリーズ~アンコール

         ピアノ:清水 和音

    垣内 悠希 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

          (2013.11.22@みなとみらいホール)

ロマンティックな旋律をふんだんに含んだ3番を並べたコンサート。
実によく考えられたプログラムでした。

当初、ソリスト予定の田村響クンが、体調不良で降板し、急遽ベテランの清水和音さんが代役に。それはかえってナイスな結果を生むこととなりましたが、そこはまた後に。

指揮する垣内氏は、35歳。
早くから指揮の勉強を始め、芸大・ウィーン国立音大を経て、2011年にはブザンソン・コンクールで優勝。2年先に優勝していた、山田和樹とともに、神奈川出身、ウィーン在住の注目株・・・・プロフィールより。

ブラームスの冒頭から、左右の動きが激しく、オケへの指示も忙しい。
この人、ブラームスには合ってない。
それが、今風の音楽の風潮なのだろうか。
スマートな外観を整え、響きは過剰でなくスリムでコンパクトに押さえ、脂肪分ゼロ、ノンカロリーなさらさら系の音楽。
強弱の対比に細心の注意を払い、ハッとさせる美しい弱音にこだわる場面もあり、手振りでオケを抑えるところも何度もあった。

一方、われわれ聴き手(少なくともワタクシのような世代)が、ブラームスの音楽に求めるのは、大らかな歌いまわしと、音楽と一緒に呼吸したくなるような安堵感。
そしてブラームスの遅れてきた男のロマン。

そうしたものと離れたところにあった、いやあろうとした垣内氏のブラームス。
フレーズの橋渡しは、みんなつながって聴こえたし、間がまったく感じられず、音楽に浸るいとまを与えてくれず・・・でした。
このへんで、不平不満はやめときましょう。
だから、終楽章のアレグロは、エンディングを除けば、そんな不満は少なめ。
それでも、神奈川フィルはしっかり鳴るから、オケに助けられてるともいえるかも。
コンマス就任予定の崎谷さんが座ったヴァイオリンは、ちょっと薄目な感じだったかな。
それは、ラフマニノフにも感じた。
中低音は、万全。木管の音色もいつもの神奈川フィルで、2楽章は音色を堪能。

辛口に書いてしまいましたが、5年前のシュナイト&神奈川フィルの演奏のような本物には、めったに出会えないのだと痛感。

休憩ロビーでは、降り番の石田コンマスの、いつものファッションの後ろ姿を発見。
ヴァイオリン持ってなくても存在感が違う。

後半は、清水和音さんがメインだし、ラフマニノフはピアノが引っ張れば、オーケストラがよく鳴るから安心だ。
でもちょっとこもり気味のピアノの音に聴こえたけれど、どうだったのだろうか。

アンコールのヴォカリーズでは、絶美のラフマニノフ節を堪能させてくれた清水さん。
協奏曲では、淡々と、この手の内に入った曲を弾かれてまして、技巧をひけらかすとか、大仰に構えたりすることもない大人の演奏ぶり。
指揮者との格の違いを見せつけたワケですが、とくに前半が、もうひとつしっくりこなかった、というのがわたくしの印象。
やはり急場だったことが影響したのでしょうか。
カデンツァと、アンコールが素晴らしかったという不思議な印象。
そして、オケにピアノの響きが消されるところもありました。
いつも同じ席で聴いてて、こんなことないのですが、まして大ピアニスト・ラフマニノフが書いたスコアだから、そんなことは決してないとは思うのですが・・・。

そこをもっと泣かせて欲しい、オケとともに、ここでは泣き崩れるようにして欲しい・・・と、思う自分ではありましたが、淡々とした中にも、清水さんのピアノには、ラフマニノフの音楽に惚れこみ、その音符ひとつひとつを信じた無為の行為としての演奏の素晴らしさがあったように思います。

信ずれば通ず、よけいなことはせずとも、音楽は素晴らしいのですから。
わたくしと同世代、若い頃からやんちゃで眩しい本格派だった清水さんが、到達しつつある境地なのかもしれません。

終楽章のコーダの感動の高まりは、ライブならではで、どきどきの大盛り上がりに、お約束の「ジャンジャカジャン」ディ・エンド。
ブラボーたっぷり飛んでました。

しっとりと、心に沁みるヴォカリーズを聴かせていただき、月の輝く横浜の街へ消えてゆくのでした。オシマイ。

恒例の、「We love 神奈川フィル」のメンバーで、みなとみらいの夜景を肴に一献傾け、楽しく談じたのはいうまでもありません。

Welove

ブルーダル君も、今夜も黙ってキリンビール

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2013年11月22日 (金)

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 アシュケナージ、ベルマン

Suqare_garden

京橋に新しく出来た、商業&オフィスビルから。

いいですねぇ、これまた。

いい歳して、クリスマスとイルミネーションが大好きなんですよう。

冬の澄んだ空気に、映えるツリーやイルミ。

ロマンティックなチャイコフスキーやラフマニノフ、後期ロマン派の音楽にぴったりとくると思っているのはワタクシだけ?

今夜です!

  ブラームス   交響曲第3番 ヘ長調

  ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第3番 ニ短調

       ピアノ:清水 和音

  垣内 悠希 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

          2013年11月22日 金曜日 19:00 みなとみらいホール


横浜の街を彩るイルミネーションに、いっそう華をそえるような、キラキラしたラフマニノフが聴けるでしょう。


Rachmaninov_p3_ashke

  ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 ニ短調

          Pf:ウラディーミル・アシュケナージ

  ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                        (1985.8 @アムステルダム)

4曲のラフマニノフの協奏曲のなかで、一番長大。
レコード時代は、これ1曲で1枚。
CD時代になって、2番との組み合わせも可能になって、かえってますます1・4番が日蔭者みたいになっちゃってあまり聴かれなくなった気がする。

それはそうと、交響曲第1番への非難総口撃から立ち直ったラフマニノフは、ロシアからヨーロッパ各地へと、ピアニストとして活動しながら、作曲活動も盛んにおこない、そんな中、アメリカへ向かう際に仕上げられた3番の協奏曲。
ニューヨークで、自身のピアノで1909年に初演。

ヨーロッパ演奏旅行中に起きた革命で、祖国へ戻れなくなり、転々と過ごし、最後にはナチスの登場で、アメリカにて亡くなることになるラフマニノフ。

この曲には、まだそんな望郷の思いは出てませんが、すさまじい技巧のピアノと、しっかりした構成に富むオーケストラとが奏でるメロディアスで、ロマンティックな情感あふれるこの3番も、2番に負けず、最高の名曲だと思います。

ロシア・ソ連から、逃れた芸術家はそれこそたくさんいますが、音楽家はとくに西側での活動もある程度許されていたので、息苦しい故国から逃れる人も少なくなかった。

ホロヴィッツ、アシュケナージ、ベルマン、この3人がこの3番をそれぞれ録音してます。

ホロヴィッツに関しては、ライナーとのものや、晩年のオーマンディとの記念碑的なライブなどがありますが、それらはまたの機会にして、より聴きやすく、安定した演奏としてアシュケナージ盤を聴きました。

抒情派としての売込みだった若き頃の、ピアニスト・アシュケナージ。
この曲を4回も録音してます。
最後のハイティンクとの共演では、堂々たる濃密なオーケストラを背景に、余裕たっぷり、構えの大きい、それでいて繊細で歌心にもあふれた演奏です。
最近のこの曲の録音はあまり聴いてないのですが、わたくしの中では、これが一番。
オーケストラの素晴らしさも、ハイティンク&コンセルトヘボウの最良の時期のその最後の輝きみたいな切なさをも感じる素敵なものです。
欲をいえば、デッカではなくて、フィリップス録音だったらよかった。

アシュケナージは、あとプレヴィン盤もすばらしくて、煌めきはそちらの方がうえ。

Bermanabbado

       Pf:ラザール・ベルマン

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                     (1976 @ロンドン)


リヒテルが幻(まぼろし)じゃなくなって、その次に出現したる、まぼろしピアニストは、ラザール・ベルマンだ。
鉄のカーテンの向こう側に潜んでいたベルマンが、忽然と前世期の遺物みたいなヴィルトォーソとして西側に姿をあらわしたときは、音楽界は沸騰しました。
75年頃だったか、レコ芸の裏表紙に大々的に宣伝された、熱情ソナタが第1弾だったかと。
そのあとは、カラヤンやジュリーニ、そしてこのアバドとの共演と、メジャーからひっぱりだこ。
ソ連崩壊の前後に故国を去りました。

2005年には亡くなっていますが、晩年はその名前もあまり聴かれなくなり、少し寂しい最後でした。

いま久しぶりに聴き返してみて、いま風のスッキリクッキリ系の演奏に慣れた耳には、妙に新鮮で、テンポは揺らさずとも、歌い回しを大きく表情付けも豊かにすることで、こんなにも情念あふれる演奏になるのだと思った次第。
タッチの力感あふれる強靱さとともに、柔らかな表情は、抒情的なアシュケナージとはまた違うふくよかな魅力も感じます。
そして、歌いまくるアバドの指揮にあわせての、第2楽章の哀切を極めたピアノにはほとほとまいります。
のちにアバドはジルベルシュタインとベルリンで録音してますが、あの他人行儀的な生真面目さと変わって、ここではロンドンの気心知れたオーケストラとともに、歌また歌、そしてムソルグスキー真っ青の暗い響きも引き出してます。
 その二人が大爆発する終楽章のエンディングには、思わず快哉を叫ばずにはいられません。

これまたわたくしにとっては懐かしい青春のひとコマみたいな演奏です。

以上、ラフマニノフ大好きオジサンでした。

あと数時間後には、横浜でこれを聴きますよ。

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2013年11月19日 (火)

ブラームス 交響曲第3番 バルビローリ、ザンデルリンク

Azumayama_3

先週末の晴れ渡った吾妻山山頂。

このモミジは、春紅葉なので、春から夏が一番赤くて、いまは寂しく、焦げたような色合いになり果ててました。

それでも澄んだ初冬の青空には、とても美しく映えて見えるのでした。

朝早くに登ると、地元の方だけ、少ししか遭遇しないので、この空と海の絶景をひとり占めにできます。

11月の神奈川フィルの定期演奏会は、ふたつの第3番。

ブラームスの交響曲とラフマニノフのピアノ協奏曲。

ともに、秋から初冬にかけての悲しみ本線、哀愁号みたいな、泣き節の音楽です。

なんてすてきなんざましょう。

  ブラームス   交響曲第3番 ヘ長調

  ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第3番 ニ短調

       ピアノ:清水 和音

  垣内 悠希 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

          2013年11月22日 金曜日 19:00 みなとみらいホール


ピアノソロが、若い田村響さんが、健康上の理由から降りることとなり、清水和音さんに。
わたくしと同年代、大学生の頃、清水さんの人気、特に、キャピキャピ系の女子大生からの人気ぶりはすごくて、まぶしすぎた。
そんな和音さんの、円熟のラフマニノフが楽しみだ!!

今宵は、まずブラームスの方を。

ブザンソン優勝の若い垣内クンが、どんなブラームスを聴かせてくれるか、まったくの未知数です。

でも、間違いなく、そうならないであろう演奏の音源を今日はあえて聴いて、当日のサプライズを期待したいと思いました。
おまけに、往年のウィーンとドレスデンの響きを堪能しちゃうわけですよ、お客さん。

Brahms_sym3_barbirolli

  サー・ジョン・バルビローリ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                         (1967.12 @ウィーン)


セラフィムの廉価盤になったとき、一挙に買いそろえて聴いたバルビローリのブラームス。
大学の頃ですから、もう37年も前のレコードです。
今でもきれいに保存してありますよ。
アバドの4つオケを振り分けた最初の全集のレコードとともに、実家の棚に永久保存クラスの存在です。

このある意味バルビらしい、粘着質のブラームスは、不思議とウィーンフィルの濃厚サウンドとマッチして、どこまで愛らしく、切なく、哀しく、ふるいつくような優しさにあふれてます。
一方で、フォルテの輝きや雄々しさは薄目で、ウィーンフィルの丸っこい音色が魅力的。

ウィーンフィルは、カラヤン、このあと、ケルテス、ベーム、バーンスタイン、ジュリーニ、レヴァインとこの曲を録音していますが、ウィーン訛り丸出しなのが、このバルビ盤が随一だし、バルビローリという刹那的で歌い回しに執着したケレン味たっぷりの指揮者の個性をたっぷり引き出したのもこのオーケストラならではというところ。

わたくしは、この3番の交響曲、歳と共に第2楽章が一番好きになりました。
秋空のような寂しさと、中間色系のウォームな響きがいかにもヨーロッパの自然と空気を感じさせてくれます。
この楽章の一番素敵な演奏が、またこのバルビ盤です。
ブラームスの英雄交響曲なんて、思ってもみたくないワタクシには、こんないじらしい歌心に満ちた演奏がいいのです。

ついで、この楽章が、渋さとともに、シャープな男気さえも感じさせるのがザンデルリンク盤。

Brahms_sanderling

  クルト・ザンデルリンク指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

                       (1972.3 @ドレスデン)


ちょっとゴツゴツした感じもするブラームスだけど、東西分離時代、古き良き、古式ゆかしいドイツの音色を一番受け継いで保っていたドレスデンの魅力が100パーセント味わえる名録音。

この録音の頃に、ザンデルリンクとクルツに率いられ来日した初ドレスデン。
テレビやFMで何度も聴きました。
ザンデルリンクの指揮で、ベートーヴェンの8番とブラームスの1番。
中学生ながらに、その音色の渋さはよくわかりました。
なんたって、ブラームスはカラヤンやアバドばっかりでしたからね。

中間トーンの、木製の手作り感と、頑固親父みたいな一徹さ。
この指揮者とオケにしてしか味わえない渋いブラームス。
同時期に指揮者であった、スウィトナーが振ると、もっと甘さが出て、ほのぼの感が増すのですが、ザンデルリンクの容赦のない厳しさは、頑迷だけど、ちょっぴり微笑むブラームスの味わいがあるのです。

そしてキモの2楽章は、ほんとーに、渋くてハードボイルドだけど、ドレスデンの優しい音色は言葉にできません。

同時期のアバドの演奏も好きだけど、オケとの兼ね合いは、なんといってもこちらの方がずっと上。
ドレスデンのブラームス。
ザンデルリンク以降、あんまりよくない。
ハイティンクは1番しかないし。

ティーレマンが、ほどよく枯れてくれるのを待つしかないけど、オケ自体がかつての姿は一面で、よりインターナショナルに変わってしまった。。。。もう味わうことのできない、絶滅してしまった音色なのだろうか・・・

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2013年11月17日 (日)

シェーンベルク 「清められた夜」 バレンボイム指揮

Ninomiya3

低気圧の去ったあとの、急激かつドラマティックな夕暮れ時を捉えることができました。

夕焼け大好き男が、そのフェイヴァヴァリット嗜好をはぐくんだのは、この場所。

実家の家の、2階にあった自分のお部屋から見た夕焼け。

かつてはなかった建物もありますし、木々が変化して、富士山の頭も見えなくなってしまったけれど、小さな街が海から北側に開ける様子を、こうして横から眺めることができます。

右手は丹沢・大山山系、左手は吾妻山です。

夕暮れ時は、窓から見えるこんな景色を眺めながら、ワルキューレのウォータンの告別や、パルシファルのラストシーン、トリスタン、マーラーの第3や第9、ボエームやトスカ、ディーリアスの儚い音楽の数々、・・・・、あげればキリがないくらいの音楽たちとともに過ごしました。
若くて、多感な日々ですが、歳を経てしまった今では、それらはノスタルジーにしか過ぎず、この場所に戻ってこれるのは年に数回のみ。
自ら選んだ道とはいえ、都会の現実の厳しい日々にさらされる毎日です。

多くの方々にも共感いただける現実ではないでしょうか。

身をおいた境遇から脱することは易くありませんが、音楽はかつての自分に近付けてくれる、なんら変わらない存在なのです。

そう思うと、音楽を聴かないという自分は想像もできないし、音楽の数々のその存在に感謝したくなるんです。

今夜は、そんなノスタルジーかきたてる、そしてあの夕焼けが、だんだん藍色の空に染まって、やがてこの西の空に金星が輝き、暗い空にまたたいてゆくのを眺めて聴いた、シェーンベルクの「浄夜」を。

Barenboim_schoenberug


   シェーンベルク  「清められた夜」

     ダニエル・バレンボイム指揮 イギリス室内管弦楽団

                   (1967.6@アビーロード・スタジオ、ロンドン)


後期ロマン派、濃厚な情念あふれるスウィートかつ、どこか苦みも聴いたサウンド。

全編がそんな感じの「浄夜」。

1899年の作曲、シェーンベルク25歳の若き日の作品。

わかりますよ、25歳。

だれしもあった(ある)、20代の燃え盛るような思い。

それは人生に対してであったり、仕事に対してであったり、そして恋愛に対して!

そして、年々、そんな思いはいずれも遠くになりゆき、すべてが客観的になったり・・・・。

ドイツ世紀末の詩人、リヒャルト・デーメルの詩「女と世界」のなかの同名の詩に触発されて書かれた弦楽六重奏曲が原曲で、シェーンベルク自身による弦楽合奏版の編曲の方が演奏機会が多いですね。

いまは「浄夜」という呼び名の方が一般的になったけど、わたしには、いまだにかつて呼び親しんだ「清められた夜」というタイトルが相応しく思える。

どこか古風な感じと、「静」とひた隠しにした思いと、陰なる行為の果て・・・・

  男と女が寒々とした林の中を歩んでいる。
  月がその歩みにつきそい、二人を見下ろしている。
  月は高い樫の木の梢のうえにかかっている・・・・・


原詩ですが、その彼女は、違う男の子どもをはらんでいる。
告白する女。
男はすべてを受け入れ、静かにふたり、月の光のなか歩んでゆく・・・・。

すべては月の光で清められるのでありました、なーんて。うまくいくかね?

今夜は、わたくしにとって懐かしく、カラヤンとともに、忘れ得ぬ、バレンボイムの25歳。
そう、シェーンベルクがこの曲を書いた同じ歳での録音で。

ほぼ、バレンボイムの指揮録音デビュー時の頃のものです。

ピアニストに限らず、器楽奏者が、オーケストラという大きな自分のキャンバスを得たときに、表現意欲過多となる傾向がある。
オイストラフ、ロストロポーヴィチ、アシュケナージ、エッシェンバッハなどに思い当たること。
でも、バレンボイムは、どこか違う。
そんな様相もあるけれど、最初からピアニストと別の顔として、指揮者の並々ならぬ手腕と、生まれながらの指揮者的な不敵な要素も持ち合わせていた。
イギリス室内管を指揮してスタートしたキャリア当初から、堂々たる演奏と、濃厚な表現ぶりが際立っていたように思う。

カラヤンのような綺麗な濃密さとは違い、同じ濃厚さを持ちつつも、爽やかさも持ち合わせた青年が背伸びしたような味わいを持っている。
そんな感じが、「清められた夜」には妙に相応しい。

その後のバレンボイムの歩みは、みなさまご存知のとおり。
若いころの、大人びた演奏の方が好きだな。

このレコード、「ジークフリート牧歌」とヒンデミットがカップリング。
ワーグナーが実に素敵な演奏でした。

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2013年11月16日 (土)

神奈川フィル第9・フラッシュモブ

Azumayama_2_3

富士山と、相模湾、久しぶりに両方を拝むことができました。

所用あって、実家に帰りまして、朝早く吾妻山に登りました。

まだ誰もいない山頂。

抜けた青空に、白の頂きの富士と、箱根の山と真鶴、右には丹沢さんと大山。
大島も、江の島も、みんなくっきり見えました。

神奈川西部の至芸の光景ですよ。

そして、今日は忙しいこともあって、わたくしの至芸ともいえる、神奈川県のオーケストラ、神奈川フィルのフラッシュモブを、全国のみなさまにご案内。


素直に、うれしくなる光景。

そして、ここに居合わせた方々の驚きと喜び。

なによりも、子どもたちの反応のよさ。

まったく予期もしないなかで、音楽に遭遇した人。

音楽の持つ力を感じます。

素敵な動画をご覧ください。

  永峰 大輔 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団・合唱団

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2013年11月15日 (金)

武満 徹 「秋」 沼尻竜典指揮

Kenrokuen

金沢の兼六園。

雪吊りもあって、この画像は数年前の12月。

ちょっと冬枯れが寂しく、妙に風情があります。

年々、寒暖の差が激しくなって、夏と冬の割合が増していると思います。

それが今年ほど強く感じます。

春も秋も、ほんのちょっとしかなかった・・・・。

困ったものだ。

明確な四季がってこそ、日本の風情なのだから。

Takemistu

 武満 徹  「秋」
     
      ~琵琶、尺八、オーケストラのための~


    尺八:横山 勝也    琵琶:中村鶴城

      沼尻 竜典 指揮 東京都交響楽団

                   (1996.7 @芸術劇場)


武満徹の日本楽器、琵琶と尺八のための作品といえば、いうまでもなく、「ノヴェンバー・ステップス」ということになりますが、オケを除いた「エクリプス」とともに、その姉妹作ともいうべき作品が、同じ編成による音楽。

1973年の作曲で、その初演はいつ、どこでだかブックレットには書いてません。

武満作品は、存命中は、あまりに普通に演奏会にかけられ、しかも初演も、ごくふつうに巡り合うことができたから、知らぬ間に聴いている、ということが多い。

でも、この「秋」は、この沼尻盤が初聴きだし、ほかの演奏もないのでは。

ノヴェンバー・ステップスが、和と洋、すこしおっかなびっくりなコラボレーションの中に、絶妙の緊張感の美を孕んでいたのに対し、こちらは、和楽器も、西洋オーケストラにしっかり組みこまれ、馴染んでいて、でもそれがごく自然で、オケをリードする形で、ソロをオケが聴きながら、武満サウンドを微細に変幻させながら着いてゆく・・・とのそんな風情にあふれた音楽に感じました。

解説によれば、和楽器ふたつにも、ちゃんとした楽譜が書きしるされているとありまして、これはもう、横山勝也&鶴田錦史の独壇場じゃなくて、それを受け継ぐ和楽器奏者たちを念頭にもおいた普遍作品ともなっているのでした。

色彩的ですらある、この「秋」に、日本の静謐な秋も重ねることができますが、それは同時に、劇的な季節の変貌の一瞬であるいまの「秋」終りをも、わたくしには符合させることもできるのでした。
それほどに、ときに劇的な武満作品です。

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2013年11月14日 (木)

シューベルト 交響曲第4番「悲劇的」 マリナー指揮

Yudepea

いきなり、いつになく食材にて失礼しますよ。

ビールはわかりますね。

そして、その相方は、落花生。

今が旬、冬には炬燵入って、ぬくぬくとして、落花生とみかんで、お茶。

こちらは、その落花生を煮た、「ゆで落花生」。

わたしたちは、それを「ゆでピー」と呼びます。

その落花生の最大の産地は、千葉県八街市。
その街に、うちの息子は通ってます。
そして、私のいま住むお家は、そのほぼ隣。

そもそも落花生は、中国から伝わり、日本で初の栽培地は、神奈川県大磯町。
いまでは大磯では、さほどではありませんが、より土壌が適した内陸の秦野市が、神奈川県の落花生の生産中心地。
それに次ぐのが、わたしの育った二宮町。

というわけで、わたしの人生には、落花生が着いてまわっているのです。

子供時代、学校から家まで、何軒も落花生屋さんがって、豆を炒る香ばしい匂いと、機械の音を毎日聞いて過ごしました。

Syoutou_daining

地鶏としめじ、にんにくの焼き物、自家製さつま揚げ。

これも肴に飲むんだな。

ゆで落花生とともに、こんな素敵なツマミで楽しめる店を渋谷でみつけてしまった。

学生時代を過ごした若者の街なのに、いつしか敬遠してた渋谷で、こんな大人も楽しめるお店を確保した喜びは、思わず、朗らかにシューベルトを聴きたくなる心境ですよ。

Schubert_marriner

  シューベルト  交響曲第4番 ハ短調 「悲劇的」

   サー・ネヴィル・マリナー指揮
     
       アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

                        (1981@ロンドン)


「悲劇的」というタイトル。
なんで悲劇的なんだろうと思う。
抒情性と優しさが、ハ短調という非劇の曲調に勝っていると思う。

なのに、なぜか、シューベルト自身が、この曲の完成後、「悲劇的」のタイトルを自ら冠した。

同じ「悲劇的」の名前を持つ身近な曲は、ブラームスの「悲劇的序曲」がニ短調、マーラーの交響曲第6番がイ短調。
シューベルトは、ハ短調で、思えばベートーヴェンのようでもあります。

それでも、悲劇的な様相は、マーラーがいちばん。
ついで、いつもいかつめらしいブラームス、そしてなによりも苦虫かみつぶしたベートーヴェンさんは、悲劇的というタイトルはないけれど、やたらと暗の部分でのマイナス嗜好がその音楽に現れてます。
もちろん、その半面の突き抜けた勝利や、明晰さが生きてくるのがベートーヴェンなのですが。

そして、われらがシューベルトは、自分が悲劇と思いつつも、その音楽の底には必ず、豊かな抒情に裏打ちされた優しさがあるものだから、決して暗くもないし、切実さもありません。
でも、どこかに死の影を見出すことにもなる。

そんな優しさと、陰りのあるシューベルトが大好きです。

そして、アバドとサヴァリッシュとともに、マリナーのこの交響曲演奏は、スマートできびきびとしつつ、英国的なノーブルな清々しさがありまして、こちらもとても大好きなのです。
陰りの部分は、ちょっと弱め。

第2楽章の滔々たる抒情の素晴らしさは、いつまでも浸っていたい、緩やかなる慈しみの世界です。マリナーのさりげなさが実にいい。
終楽章の、ちょっと不安を感じさせ、ちょっと先を急ぐかのような風情は、アカデミーの俊敏なサウンドが実によく生きてます。

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2013年11月13日 (水)

モーツァルト セレナード第9番「ポスト・ホルン」 アバド指揮

Nihonbashi_2

今年も、ハロウィンのあとはクリスマスムードに。

節電のジレンマは、LEDのバリエーションが増えて解消したけれど、かつてのような華美に走ったイルミネーションはもうありません。

工夫を凝らした冬の美しさを、こうして街角に演出してくれれば言うことありません。

毎年同じでも全然いい。むしろその方がいいし、季節が巡ってきた喜びもあるというもの。

こちらは、日本橋の三越前です。

昨年は、この画像で、ベネデッティ嬢のコルンゴルトでした。

今年は、ギャラントに、モーツァルトのセレナードを聴きました。

Mozart_posthorn_abbado

  モーツァルト セレナード第9番「ポスト・ホルン」 K320

   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                            (1992.9 @ベルリン)


この大きめで、交響曲クラスのモーツァルト作品の、悲喜こもごも入り混じった愛らしさといあったらありません。

中学3年のクリスマスの頃に発売され、高校に入ってすぐに買い求めた「ポストホルン」のレコードは、ベームとベルリン・フィルのもの。
夜のブルーな色のヨーロッパの庭園、おそらくザルツブルクでしょうか、その幾何学的な美しさと青が、とてもクリスマスに似合っていた。
そのベーム盤は、いまもって、この曲の最高最大の演奏のひとつ。

カラヤンがけっして指揮することはなかった、モーツァルトの大きなセレナード作品。
「ハフナー」「ポストホルン」「グランパルティータ」の3曲。
ベームはオケとDGの求めに応じて、それ以外のセレナードも含めてしっかり録音を残してくれました。

アバドは、「グラン・パルティータ」は演奏することがなく、それは朋友メータがCBSに録音した。
ベルリン・フィルにとって、モーツァルトのセレナードは重要なレパートリーなのです。
ラトルもいずれ、一挙に取り上げる予感がします。

もちろん、モーツァルトですから、ウィーンフィルが積極的であって欲しい演目なのですが、何故かレヴァインぐらいしかありません。

郵便配達のポストホルンを全7楽章のうちの6番目のメヌエット楽章で、そのトリオにおいて可愛いピッコローネのあい方として活躍させた。
これゆえのタイトルですが、曲自体は、愉悦性と憂愁さとがまじりあった、シンプル兼ちょっと複雑なモーツァルトの素顔が垣間見れる内容です。

音楽旅行に明け暮れた若き日々。パリへの楽旅がお抱えにもなれず、なにひとつ変わらずに、心底嫌なコロレド司教のもと、ザルツブルクに帰還したモーツァルト。
その頃に生まれたこの「ポストホルン」。
憂鬱なほの暗さとともに、パリ風に木管が華やかに歌いまくるギャラントな中間部の前後にほの暗さもにじませ、トータルには明るく爆発的なセレナードとして整えたモーツァルトの才は、まさに天が付くものです。

3楽章と4楽章の、典雅で夢見るような音楽には、もう何年も、何年も、魅惑されっぱなし。
ウィーンの木管もいいけど、ベルリンの独特の透明感と鮮やかさは、ベーム盤も、こちらのアバド盤も同じです。
吹いてる管楽奏者も、柔らかな弦も、きっとにこやかに指揮している指揮者も、モーツァルトの音楽に心酔しきっているのが、音だけでわかります。
アバドにこうした曲を指揮させたら、もう最強です。
オーケストラと一緒に、歌いまくり、どんどん高めつつ、天上に昇り詰めていってしまいます。

ほかの楽章でも、リズミカルでよどみない進行は、アバドならではで、テンポ感がよろしい。
早めのテンポ設定ながら、それを感じさせないのは、歌心でしょう。

アバドは、このセレナードの前後に、この曲と関連性の強い行進曲を、それぞれ2つ配して録音してます。
当時の演奏会様式も考慮した、実にアバドらしい考察です。
そしてアバドは、演奏会では、このポストホルンから、4つの楽章を抜き出して、「ポスト・ホルン交響曲」としても、ウィーンとベルリンで演奏してました。

いま一度、大好きな3楽章と4楽章を聴いてます。

そして、今宵は、これでお休みといたします。

なんだかいい夢みれそうです。

ちなみに、ベーム盤のジャケ。

Posthorn_bohm

おやすみなさい。

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2013年11月12日 (火)

テレマン 「ハンブルクの潮の満干」 ピケット指揮

Shibaura_3

芝浦運河の一部です。

このあたりは海岸でした。

海水浴場になっていたらしい。

信じがたい都会のひとコマ、江戸時代は、この海辺を見ながら東海道中。

Telemann

 テレマン 管弦楽組曲「ハンブルクの潮の満干」~水の音楽

    フィリップ・ピケット指揮 ニュー・ロンドン・コンソート
         
                     (1996 @ロンドン)


テレマン(1681~1767)って、よくよくその生没年を見たら86歳まで長生きしたんですね。
どうりで、その作品数はやたらと多いに、オールジャンルに渡ってます。
でも、地味な存在なのです。

バッハやヘンデルとまったくの同時代人であることで、彼らがあまりにメジャーなものだから、かえって日が当たらない印象を残してきてしまった。
でも、昨今は広く聴かれるようになりましたね。

一番の有名どころでは、ターフェル・ムジーク(食卓の音楽)、トランペット協奏曲、そして今日の管弦楽組曲。
あら、いまウィキしましたら、この方、作品数ダントツで、ギネス保持者じゃないですか!
消失・未発見を含めて4000曲。
とんでもない数です。
テレマンの音楽全集を作るレーベルがあったら、それこそギネス級ですな。

バッハやヘンデルのドイツ的な厳格な音楽にくらべると、テレマンは、もう少し華があって、ある意味でフランス風のギャラントな香りもします。
そのあたりがまた、数の多さとともに、ドイツでメジャーになれなかったところでしょうか。っ声楽作品やオペラなど、バッハになかったジャンルを一度聴いてみたいと思ってます。

テレマンの水上の音楽とも呼ばれるこの組曲は、1723年のハンブルクの海上保安庁設立100年に際して書かれたものらしいです。
エルベ河口の歴史ある港湾都市の古を偲ぶようにして聴くことのできる、たおやかで、優美さも感じる序曲と9つの組曲です。

 序曲
 1.サラバンド「まどろむテティス」  2.ブーレー「目ざめるテティス」
 3.ルール「恋するネプチューン」  4.カヴォット「戯れるナイヤードたち」
 5.道化芝居「ふざけるトリトン」    6.「暴れるエオリス」
 7.メヌエット「好まれる西風」     8.ジーグ「潮の満干」
 9.カナリー「陽気な舟人たち」


こんな感じの曲たちで、急緩急の序曲が10分あまりで、ほかは1~2分の楽しい小曲たちです。(恋するフォーチュンクッキーは入ってません~笑)

オーボエ、リコーダー、フルート、弦楽4部、ファゴットを加えた通奏低音による構成。
各曲で編成も変わり、曲もさまざまな各国の舞曲で、その多彩さはなかなかのもので、聴いていて無条件に楽しく、あれこれ考える必要もございません。
そこがいいとこ。

Teleman

かつて、中学生のときに、コンサートホール・レーベルからこの曲やトランペット協奏曲を組み合わせたレコードが出ていて、何故か購入しました。
バロック音楽そのものが珍しくて、無性に欲していた時分でした。
当然に現代楽器によるもので、パリの楽団のものでした。
のんびりとした、ちょっと田舎くさい演奏だったように記憶してます。

で、いまは、古楽器による、キビキビとしたピリオド演奏となります。
印象が全然違う。
陰りはまったくなく、すべてに光があたっていて明るいことこのうえなし。
通奏低音で鳴っているテオルボの音色も典雅なものです。

いまではこうなのでしょう。
一方で、わたしは、大昔、それこそ純な時期に聴いた、モコモコとしたバロック音楽も、どこか懐かしく、それこそ「いびつな真珠」をこそ、そこに感じたりもするのでした・・・・。
しみじみ。

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2013年11月10日 (日)

ヴェルディ 「群盗」 ガルデッリ指揮

Kaikousiryoukan

横浜の開港資料館。

もともとは、英国領事館、1931年築だそうな。

5月の撮影なのでツツジ映ってますが。

完全にヨーロッパしてます。

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  ヴェルディ  歌劇 「群盗」

 マッシミリアーノ:ルッジェーロ・ライモンディ カルロ:カルロ・ベルゴンツィ
 フランチェスコ:ピエロ・カプッチルリ  アマリア:モンセラット・カバリエ
 アルミーニョ:ジョン・サンドール     モサール:マウリツィオ・マッツェルリ
 ローラ:ウィリアム・エルヴィン

  ランベルト・ガルデッリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                    アンブロージアン・シンガーズ
                   合唱指揮:ジョン・マッカーシー

                   (1974.8 @ロンドン)


ヴェルディのオペラ、11作目は、シラーの戯曲「群盗」。

半年間の休養中に友人で翻訳家マッフィーとのなかで芽生えた題材が、この作品。
本職ではないけれど、台本作成に挑んだマッフェィー。
フィレンツェとの契約による製作でしたが、強いソプラノとテノールを必要とする構想だったので、劇場側がそうした歌手を手配できないことが判明し、ヴェルディは、すぐさまに「マクベス」に方向転換したことは、前作記事にて書きました。

1947年3月、特異な「マクベス」の初演あと、すぐさま中断していた「群盗」をロンドンのハー・マジェスティーズ劇場のために作曲再開。
弟子のムツィオを伴ってロンドンに向かうが、弟子に歌手の様子などを偵察に先に行かせ、自分はパリで待機。
ロンドンは陰気で霧に包まれ、でも喧騒も激しい大都会・・との知らせを受けるヴェルディですが、この花の都パリには、かつて知り合った未亡人ジョセッピーナがいた。
自身も妻子を亡くして、ひとり、仕事に邁進してきたヴェルディの心の友でもあった彼女。

やがて、ロンドン入りして、相変わらずのものすごい集中力でもって「群盗」を仕上るヴェルディですが、歌手の技量が思ったほどでなく、それに合わせて、以前仕上がっていた場面も書き換えたり、さらに、マクベス前後で到達した筆致の違いもあって、作業は難航したとあります。
またロンドンの湿気の多い気象も気に障ったらしい。
ともあれ、47年7月に「群盗」を完成させて、ロンドンの劇場の誇る歌手を配して初演。
女王も列席してのその舞台は、そこそこの成功をおさめるも、批評家筋には芳しくなく、ヴェルディもそそくさとパリに向かってしまい、当地でジョセッピーナとの友愛と甘い生活に入ることとなります。

残されたこの「群盗」というオペラ、劇の内容がはしょられて、多分に荒唐無稽なものだが、「マクベス」で浮き彫りにされた登場人物たちの鮮やかな性格表現は、かつての初期オペラにはないものだし、相変わらずの美しく魅力的なアリアやあふれ出る旋律たちの数々も素晴らしい。

フリードリヒ・フォン・シラー(1759~1805)は、いうまでもなく第9の原詩の詩人・劇作家・思想家で、その劇作は多くのオペラを生んでます。
ドン・カルロ、ウィリアム・テル、オルレアンの少女、メッシーナの花嫁などなど、ほかの作品も多くの作曲家たちの創作意欲を刺激しました。
初期の作である「群盗」は、シュトルム・ウント・ドランクの流れにあるとされ、古典主義からの脱却、感情優先という極端な行動をその信条とする内容になってます。
そのあたりが、この物語の唖然とする結末に如実に出てまして、え?ってな気分になる部分です。
いえね、原作を読んでないから、オペラの何もそこまで的な急激な結末のみの感想で決めつけちゃってますがね。

18世紀ドイツ ザクセン

第1幕

 ザクセンのはずれ、森の中
カルロが、一冊の本に集中している。
まわりでは泥酔した連中が騒いでいる。
彼は、この酔っ払いたちは、私の犯した恥ずべき過ちの生んだ仲間だと激しく悩み、父の城や、若き日々を過ごした恋人のアマーリアを偲んで歌う。
(カルロは奔放な生活を過ごしたかどで、父城主マッシミリアーノ伯から勘当されている)

そこへ、弟フランチェスコからの手紙が届き、そこには父は兄を許す気が毛頭ない、と書かれてある。
カルロはこれを読んで自暴自棄となり、酔って勇ましく歌う盗賊団に合流してしまう。

 フランケン地方 モール城
兄に嘘の手紙を送り付けたフランチェスコが、今度は実の父に標的を絞って、父の命の灯が低くなった・・・とその邪悪な思いを歌う。
部下、アルミーニョを呼び、父に、カルロがプラハ郊外で戦死した、アマーリアは弟と結婚するようにとの偽りの報告をさせるように強要する。

城の寝室
マッシミリアーノが椅子にかけて寝ている。
傍らでは、アマリーアが、この父がカルロを罰したときは憎みもしたが、いまはそんな怒りも失せ、父を愛し、カルロとの甘い思い出にも浸ることができる。。とカヴァティーナを歌う。
目を覚ましたマッシミリアーノは、カルロがわしを恨んでいるだろうと、夢の話をする。

 そこへ、フランチェスコとアルミーニョがやってきて、先の嘘の報告をさせる。
マッシミリアーノは、フランチェスコのもとへ倒れ込み、アルミーニョは、この嘘をお許しくださいと、後悔しまくる。
あぁ亡くなってしまった、と嘆くアマーリア。
実は気絶している父を足元に、地獄よありがとうと独白のフランチェスコ、では、わたしが主だ!と宣言する。

第2幕

 モーア城の礼拝堂
アマーリアは悲しみにくれ、跪いて祈っている。
フルートに導かれ、ハープにのって美しいアリアを歌う。
私の心のなかのカルロ、そして神さまが心に降りていらっしゃる・・・・。
そこへ、アルミーニョが忍んできて、カルロが生きていると事実を伝える。
一転、明るく、輝かしく、神はわたしの悲しみを聞いてくださったと歌う。
ここにおける歌唱の技法は、目を見張るものがある!

フランチェスコがやってきて、祝宴になんで出てこない、と責める。
あらためて、迫るフランチェスコに、この悪漢めと憎しみをあらたにし、彼が自分を引き寄せた隙にナイフを取り上げ、下がりなさい、と言い放ち、森の中へと逃げ去る。
フランチェスコは、復讐は新たな苦痛なり、とほくそ笑む。

 ボヘミアの森
盗賊の仕事ののちに、人々が放った火に巻き込まれ、仲間のローラをあやうく救出したカルロ。称賛を浴びつつ、ひとりになり、こんな立場に身をやつし、怒りに燃えつきそうだ、あぁ、もう会えない聖女よ・・・と歌う。
そこへ、盗賊たちが飛びこんできて、千人の兵士に取り囲まれてしまったと報告。
いざ、逃げようと、勇壮な合唱。

第3幕

 城に近い森
アマーリアは、あいつから逃れることができて安心した一方、男たちの怪しい声に慄く。
そこへカルロがあらわれ、ふたりは喜び抱き合う。
恐ろしい声をさっき聞いた、という彼女に、カルロは、アマーリアは何も知らないのだと独白。応えられない苦痛の質問に悩む。
彼女はフランチェスコの悪行を語り、ふたりはついに愛の星が輝く、なんて言っちゃって、二重唱を歌う。

ひとりになったカルロは、やはりいまの立場では彼女と会うことができない、永遠に離れてしまおうと、懐からピストルを出して自決しようともするが、プライドが許さない。
悩むカルロは、城の塔のもとで、アルミーニョに出会う。
問えば、塔にとらわれのマッシミリアーノに食事を運ぶ途中で、父はまだ死んではいなかった。
息子カルロとわからない父を救いだし、ことの顛末を聞き出し、さらに父は、こんなことをしでかしてもまだフランチェスコはわが息子なのだといい、またも気絶。
盗賊たちに、わたしの父だ、介抱してくれ、そして復讐だと叫び一同の協力を仰ぐ。

第4幕

 
 城内
フランチェスコが取り乱して登場。死が立ち向かってきた、この騒ぎが聞こえるかと、アルミーニョにただすが、そんなものは聞こえません、と応える。
彼は、夢の内容を語って歌う。
白髪の老人が最後に出てきて、呪われたものに、神の子は、そのお心を傷めることはないと言われた・・・・。そ、それは最後の審判の夢じゃないですか、と恐怖におののくアルミーニョ。
 フランチェスコは司祭を呼び、救済の祈りを乞うが、あなたにはふたつの犯罪がある、尊属殺人と兄弟殺しだ、神のみぞが救済なりをできるだろう、人には及ばぬことと断る。
フランチェスコは、久遠なる神にいま祈ります、初めて、そして永遠に・・・と懇願。

カルロのもとで、それとは知らない、助け出されたマッシミリアーノは、息子よ、フランチェスコよと、案じる。
そして、天は許してくれない、カルロを断じたままに失ってしまったからと語る。
カルロは、思いつく。この老人に祝福してもらおうと。
見知らぬ親切な方よ・・・と暖かい祝福をあたえ、カルロは感涙にむせぶ。
 そこに仲間の盗賊軍団がやってきて、親分と呼びかけてしまうが、カルロは、お前らは誰だ?と言い逃れる・・・、しかし、フランチェスコを取り逃した報に、安堵し、変わりに、女をとっ捕まえたとの報告に愕然。
 もう逃げられない。
カルロは、父よあなたの息子は、彼ら盗賊のチーフなのです、と告白。

「もうおしまいだ・・・・」カルロ
「いいえ、わたしは、あなたとずっと一緒よ」アマーリア
「お頭、そりゃ裏切りだーーー」盗賊軍
「なにがなんだか・・・・」マッシミリアーノ爺

こんな混乱が生じ、むちゃくちゃに。

そして、カルロがとった結論は・・・・・

いきなり、アマーリアを刺殺。

周囲の騒然をよそに、カルロは、「絞首台へ!」と言い残し、立ち去るのでした。

                

最後の端折りがすさまじくて、なんで恋人を殺しちゃう?
自殺はタブーなのはわかるけど、プライド優先の主人公の身勝手に怒りを覚える、そんな結末。

そんな内容とは別に、3人の登場人物にあてらた、それぞれ二つないしは三つのアリアは、とても素晴らしい。

ソプラノに要求される技巧は最高度で、ことに2幕のものは上下する音域のブラヴーラ唱法はすごいものがある。
一方の悲劇的な、ある意味一方的な向こう見ず的なテノールは、このあとの暗い背景を持つヒーローの萌芽だし、邪悪がウリのバリトンロールは、フォスカリとマクベスによって培われた硬派的存在となっている。
1幕のフランチェスコのアリアは、邪悪な信条を歌うわけだが、旋律が滔々と甘過ぎて、歌が溢れすぎ、厳しさ不足。
しかし、4幕の神の宣告の夢の物語では、まるで、マクベスの最後を思わせるような、やぶれかぶれ感と必死の壮絶感も出ており、のちのリゴレットをも想起させます。
 同時進行した、マクベスの様相も、ここではしっかりと聴き取ることができて、ヴェルディの傑作のひとつとして、歌手に恵まれれば認識できるオペラと思います。

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カバリエ、ベルゴンツィ、カプッチッリ、ライモンデイの4人。
もう完璧すぎます。
あの時代の素晴らしさを、いまもって素晴らしいフィリップスのロンドン録音によって確認できます、永遠の名演のひとつです。
ガルデッリほどに、ヴェルディの音楽を体得した指揮者はいませんし。

レコード時代、このジャケットを何度も見て、手に取って、購入することはなかった。
懐かしい思い出です。

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2013年11月 9日 (土)

ブラームス クラリネット三重奏曲 シア・キング

Morioka

晩秋、まっさなか、というより、今日は寒かった。

ほんの1か月前は、異常な夏日で、半袖でもよかったのに、カーディガンやコートの出番がいきなりやってきた。
北海道では雪も降りました。

秋はどこへ。

もう秋は去ってしまい、紅葉も秋の名残を楽しむ昨今の気象になったのでしょう。

こんなきれいな落葉が楽しめればいいですが、葉の色も淡く薄くなってきたように感じる。

こちらは、もうだいぶ前の盛岡のお城のそばの公園で。

ほんと、美しい。

Brahms_clarinet_trio_2

 ブラームス  クラリネット三重奏曲 イ短調 OP114

         クラリネット:シア・キング

    チェロ   :カリーネ・ゲオルギアン

    ピアノ   :クリフォード・ベンソン

 

            (1983.1 @バルナバ教会 ロンドン)

ブラームス晩年のクラリネット三部作。

「クラリネット三重奏曲」、「クラリネット五重奏曲」、「クラリネット・ソナタ」。

作品番号では、114、115、120です。

いずれも、ブラームス晩年ならではで、1891~97年の作品。

3つの創作が並んだのは、ひとえに、天才的かつ美音を誇った、クラリネット奏者、クラウス・ミュールフェルトがあってのもの。

58歳になったブラームスが知り合ったミュールフェルトのクラリネットの音色と技量。

大いに感化を受けて、生みだした3つの作品群。

晩年ということもあり、そして華やかさよりは、質実を伴った、内面的な人声のような渋い楽器クラリネットの捉え方。
そして、いかにブラームスがミュールフェルトの吹くクラリネットに短期的に魅せられていたかということが、この時期を近接して書かれた作品たちを聴くことによってわかる。

ウィーンのウラッハや、その後のプリンツ、シュミードルなどが受け継いだウィーンの伝統もまた裏打ちされたブラームスかもしれません。
まだ100年ちょっとですから、斬新で、世紀末的な演奏が生まれることも期待できます。

4つのバランス配分のとれた楽章からなります。

どの楽章も、クラリネットを主体に、チェロとピアノが渋すぎるほどに着き従い、浮ついたところが一切ありません。
憂愁と生真面目な硬さ、これが魅力。

いかにもブラームス風な、深刻かつ切羽詰まったような第1楽章のあと、五重奏曲の甘さにも通じるような、伸びやかかつ、どこか切ない雰囲気も感じさせるようなアダージョの2楽章が続きます。
ここでは、クラリネットは主部旋律を奏でるとともに、チェロやピアノが美しく歌う背景を巧みに、そして渋く演じます。
このある意味、三位一体の共演は、秋の日の夕暮れように、淡い赤い色のグラデュエーションで、ほんとうにうっとりと美しいのです。

残りの、時として寂しく、快活な楽章たちも捨てがたいのですが、いまひとつの個性不足。

イギリス主体の3人の組み合わせによるトリオは、わたくしには、申し分のないものでした。

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2013年11月 8日 (金)

ベルリオーズ 幻想交響曲 シモノフ指揮

Hamamatsucho201311

早や、11月も第1週が過ぎました。

このところ気ぜわしくて、音楽もろくろく聴けてません。

でも月が変わったら、これを登場させて、あれを聴かなくちゃ始まりません。

今月の小僧は、東京消防庁の機関員さん。
一番、第一線で活動される方々です。
都内にいると、駅や繁華街で事故があったときなどに、必ず見かける、頼もしき方々です。
わたしたちを守ってくれる皆さまに感謝です。

そういえば、大学の同期に東京消防庁に入庁した仲間がいました。
いま、どうしているでしょうね。

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   ベルリオーズ  幻想交響曲

    ユーリ・シモノフ指揮 スロヴァニア・フィルハーモニー管弦楽団

                (1994.5.26 @リューブリヤナ、ガルス・ホール)


スロヴェニアは、ユーゴスラビア連邦共和国から分離独立した国で、1991年のこと。
もうその頃は社会人だったから、その後に起きた他のユーゴ諸国の独立にまつわる戦闘・紛争は、昨日のことのように思い起こされる。

わたしのような世代には、ユーゴは社会主義国歌として安定していて優等生みたいな国だと思っていたし、学校の世界史でもそんな風に学んだもんだ。

時の流れとともに、みんな変わってしまうし、いずれも歴史に流されてしまう。

そんなスロヴェニアの有力オーケストラのひとつが、こちらのフィルハーモニーで、体制時代は、わたしたちには、ロヴロ・フォン・マタチッチの指揮で記憶にとどめられる存在。

かつてFM放送を通じて聴いてきたけれど、その録音がもこもこ系でショボイ。
だから演奏も、マタチッチゆえの太さはあるけれど、どこか霞の向こうみたない印象があったオーケストラ。
のちに安売り駅ナカセールのリューヴリアナ放送だかも、そんな印象で、キレがなかった。

さてさて、ロシアからの爆演おじさんシモノフさんは、このオケと格別なタイトルはなかったけれど、何枚かの音源を残していて、この幻想はそれらのなかの1枚。
 ジャケットには、ベートーヴェンやラフマニノフの交響曲、白鳥の湖やロメオなどのバレエ曲らの音源も紹介されてますよ。

シモノフの爆演ぶりは、スタジオ録音では若干伝わりにくく、ライブでないと、その爆発ぶりは伝わりにくく、ひょうきんな動きを観察する楽しみも含めて絶対的に生演奏の人なのです。

きっとこの幻想も、手兵のモスクワフィルとの組み合わせでホールで聴いたら、重量感と超爆発ぶりに、風圧すら感じて、ぶっ飛ぶことでありましょう。

それがこのスロヴェニアでの録音は、ライブにもかかわらず、おとなしめで、オケの技量もあれれなとこもああって、微爆にとどまっているのです。
これはひとえに、録音のデッド感がまたもやもたらすモコモコ感にほかなりません。
音のレベルも低くて、ボリュームを目いっぱいにあげないとダメです。

シモノフの作りだすスケール感は広大で、テンポは悠揚せまらず、堂々たる歩みは機関車のごとく揺るぎなく、ベルリオーズの描いたキテレツ感と異常性をある意味引き出してます。
ヴァルプルギスのねちっこさは尋常じゃなく、最終の追い込みもインテンポで、まったく踏み外さず、ごんごん来ます。
最後の和音をこんなに伸ばす演奏は、何万と聴いてきた幻想で初めてですよ。

全曲通じて58分。
ほぼ最長の幻想。

1楽章の丹念さは、粘着にも通じるし、ワルツもタメが大きくておもろい。
すごいのは20分をかけた野の風景。
とまりそう。
ベルリオーズのすっきりした抒情が、ここでは濃厚な原風景になって迫ってくる。
これもまたおもしろい。こんなの聴いたことない。

オケの頑張りは讃えたいが、違ったオケで、また思いきり「幻想」しちゃってもらいたい、そんなシモノフさんでした。

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2013年11月 4日 (月)

ボロディン 「だったん人の踊り」 小澤征爾指揮

Autumn_1

秋のまっさかりです。

連休も終わり、どこにも行かなかったワタクシは、駅のディスプレイを見て、なごんでおるのです。

リスに、赤とんぼまでいますよ。

でも、このお休みは、日本シリーズがことのほか喜ばしかった。

こうでなくっちゃいけない、そんな結末でしたよ。

日本を明るくする出来事のひとつでしたね。

オレンジ色のファンの方には、来年も申し訳ありませんが、今度はわが方ベイ軍に頑張らせていただきますよ。

Ozawa_cso

   ボロディン 歌劇「イーゴリ公」~「だったん人の踊り」

     小澤 征爾 指揮 シカゴ交響楽団

                  (1969 @シカゴ)


なんだか忙しくて、土曜の晩以来、音楽も聴く暇なく、月曜の夜遅くになっちまいました。

意図しなかったけれど、ダンス系の音楽を聴いていたことに気付いた(笑)。

短くて、モリモリした曲で、しかもロシアと思って、即コレ。

小澤さんの、44年前の記録から。

CBSとRCAに録音を初めていた小澤さんは、シカゴのラヴィニアで活動するようになって、EMIにシカゴ響と録音を始めた。
CBSには、トロントとニューヨークフィルとロンドンのオケと少しだけ。
RCAには、トロント、ボストンやロンドンのオケと。

ヨーロッパの老舗EMIは、当時、やはりレーベルとしての格の違いがあった。
やがてパリ管との組み合わせも実現し、日本人を喜ばせてくれました。

70年代前半は、そんな小澤さんの活動で、日本では、日フィルとのコンビがフジテレビで見れる時代。

艶やかさと、伸びやかさが身上の生き生きした表情。
ごつさや、威圧感や腹に響く重厚な迫力は、ここにはありません。
しかし、リズム感のよさと、弾みっぷりは、あの当時のレコード界を飾った巨匠たちの演奏スタイルにはなくって、目の覚めるような軽快さとスピード感は、世界の聴き手に新鮮な驚きを与えたに違いありません。
 緩やかな歌い回しもとても上手なものですから、オケが気持ちよく付いていってるのがよくわかります。

Ozawa_cso_3

ピチピチで小ざっぱりの小澤さんの音楽は楽しく、聴くわたくしの脳波にも若い刺激を与えてくれますよ。

全曲盤を映像や音でも持ってますが、いまもって聴き通したことのない「イーゴリ公」。
長すぎなのです。
ワーグナーなら、まったく苦にならないけれど・・・。

だからしばらく、いや、この年になったらもう無理かな、全曲制覇。

キエフの大公、イーゴリ公とだったん人たちとの闘いのドラマ。
だったん陣営での、コンチャク・カーンのイーゴリ公へのもてなしは、だったん人たちの男と女のなまめかしさと勇壮さの入り乱れる華やかなものでありました・・・・。とさ。

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2013年11月 2日 (土)

グリエール バレエ組曲「赤いけし」 ダウンズ指揮

Tokyotower_201309

薄暮の東京タワーが、これもまた美しい。

冬バージョンのライトアップになる前です。

これから寒くなって空気が澄んでくると、もっときれいになってくる。

Gliere_red_poppy_2

  グリエール バレエ組曲「赤いけし」

   サー・エドワード・ダウンズ BBCフィルハーモニック
     
                       (1992.11@マンチェスター)


ロシアの世紀末作曲家、レインゴルト・グリエール(1875~1956)、検索すると、その濃すぎる顔と、お胸の勲章は、CCCP、ソビエト連邦の刻印を付けております。

そう、グリエールさんは、ロシア末期の濃厚時代を経て、まさに体制下を生きた本格派なのです。

ロシア革命は1917年。
グリエールはそのとき、42歳の壮年期で、ロシア五人組に続く、ロシア近代派ともいうべき存在として、ロマンティックなラフマニノフやスクリャービン(前期)らとともに並ぶ存在だった。

革命の前と後を、検証すべき立場にはありませんし、それほど聴いてませんが、グリエールさん、前もあとも、あんまり関係ないように思います。

ここで、以前の記事をそのまま引用しときます。

 

ウクライナ出身の作曲家で、その生没年を見ると、スクリャービン、ラフマニノフ、シェーンベルク、シュレーカーなどと同世代で、後期ロマン派の最終地点にあった人のひとりと年譜上は認識されます。

>キエフ生まれで、プロテスタント系、モスクワで勉楽し、タネーエフなどに学んだ後に、ドイツ・ベルリンに留学。
帰国後、作曲活動とともに後進の指導をおこない、プロコフィエフやハチャトリアンもその教え子の中に見出せます。

その間、ロシアはソヴィエト連邦となり、グリエールは国の中枢を担う音楽家となったが、そうした経緯もあって、いま、その姿や音楽の大半は目に耳に届きにくいものとなってます。

ソ連邦後は、その音楽が赤系とみなされたりしたことも、その一因だったかもしれません<

グリエールのロマンティックな音楽だけを聴いてれば、体制のことなどは、まったく感知することができません。

だがしかし、バレエやオペラ、管弦楽といったジャンルでは、その主題が、体制のそれ風になっていることが、演奏機会の喪失や誤解を生んでいると思います。

「赤いけし」は、1927年、革命10周年で書かれたバレエ作品で、作者はもう、ソヴィエトの重鎮として胸そらして君臨してた時分です。

全曲版は聴いたことがないのですが、組曲版のこのダウンズ盤を聴くにつれ、その音楽は、ロシア同時代のラフマニノフやスクリャービンはおろか、チャイコフスキーやグラズノフ、タネーエフを思わせる、豊かなロシアン・ロマンティック・サウンドを感じさせます。

このバレエの要旨は、正直、その頃のものありありで、まさに赤いです。

物語の舞台は、中国なので、作曲した、そのころの世界史は、日本がアジアの名主として台頭し、中華民国の後ろ盾になり、ソ連は南下を続け、共産化を推し進めていく時分。

そんな歴史背景を念頭に、バレエの筋は・・・・「中国の港町の娘、タオ・ファと、その港に寄港した、ソ連兵というか、ソ連船の船長との悲しい恋の物語」なのです。
「赤いけし」は、当時の平和の象徴、まさに、赤だからかつてのかの国、いまや、Chinaですが・・・・。

その「赤いケシ」は、ポピーと英訳されてますが、「ケシ」は、アヘンの原材ともなるとされ、ヤバイ植物だけど、広範に「ケシ」は、暖色系の花「ポピー」でもあります。

よくわからないけど、赤いケシは、そんな当時の世界風潮をあたまにおいて、この濃密な音楽を聴くことで、ますます、赤く怪しげに光るのでした。

組曲版は6曲。
クーリーの踊り、情景と踊り、中国の踊り、フェニックス、スロー・ワルツ、ロシア水兵の踊り。

チャイニーズ・ムード満載、絵に描いたようなエキゾシズムと、ロシアン世紀末の融合する濃厚なサウンドも、わたしのような後期ロマン派男には魅惑の音色でしかない。

ヴァイオリンソロを伴うフェニックスなんて、とろけそうよ!

以前とりあげた、「イリヤ・ムーロメッツ」と同じく、むせかえるような、なまめかしくも、悩ましい音楽は、わたしの五感にぴたりときます。

シャンドスにグリエールの録音をたくさん残したダウンズさんは、こうした大規模サウンドとオペラがお得意。
いい感じです。
併録は、初期臭プンプン、チャイコフスキー風の第1交響曲ですぞ。

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2013年11月 1日 (金)

神奈川フィル 来シーズンプログラム発表

Kanaphill

神奈川フィルハーモニーの来シーズン(2014~2015)の公演ラインナップ が本日発表されました。

鶴首してました、この発表。

みなとみらいホールでの定期を1回増やして10回に。
定期のくくりで音楽堂シリーズを継続して、古典を中心に個性豊かな指揮者を。
年末第9を県民ホール定期のスタートとして、風格ある名曲シリーズに。

本定期をコアに、玄人受けもする本格派プログラムと、フレッシュな古典と、大名曲。
じつによく考え抜かれたものだと、手放しで喜びたいです。

詳細はホームページをご覧いただくとして、曲目だけ、ざっと書いときます。

「みなとみらい定期公演」

 4月 川瀬賢太郎
      バックス 「ティンタジェル」
      シューマン ピアノ協奏曲 伊藤恵
      ブラームス 交響曲第1番

 5月 現田茂夫
      團 伊玖磨 「アラビア物語」
      モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第4 崎谷直人
      ドヴィルザーク 交響曲第7番

 6月 川瀬賢太郎
      マーラー  交響曲第2番「復活」  300回定期

 8月 小泉和裕
      グラズノフ 「四季」
      チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」

 9月 キンボー・イシイ=エトウ
      ガーシュイン キューバ序曲、パリのアメリカ人
      バーンスタイン 交響曲第2番「不安の時代」 三舩優子

10月 湯浅卓雄
      エルガー 弦楽セレナーデ
      コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲
      エルガー  交響曲第3番

11月 金 聖響
      クセナキス ピソプラクタ
      ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番 ギョーム・ヴァンサン
            ブーレーズ メモリアーレ
      ラヴェル  ダフニスとクロエ第2

 1月 サッシャ・ゲッツェル
      コルンゴルト 「シュトラウシアーナ」
      R・シュトラウス 最後の4つの歌
            ブルックナー  交響曲第9番

 2月 川瀬賢太郎
      ヒンデミット ウェーバーの主題による変奏曲
      ウェーバー クラリネット協奏曲 アンドレアス・オッテンザマー
      チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」

 3月  広上淳一
      ラーション 田園組曲
       ステンハンマル ふたつの感傷的なロマンス
      シベリウス ヴァイオリンと弦楽のための組曲 小林美樹
      シベリウス 「タピオラ」
      グリーグ 「ペール・ギュント」組曲1・2

音楽堂定期

 5月  宮本文昭
       ハイドン 交響曲第1番
       モーツァルト ファゴット協奏曲 鈴木一成
       ビゼー  組曲「子供の遊び」
         〃   交響曲

 7月  鈴木秀美
       CPEバッハ シンフォニア
       ハイドン 交響曲第88番 V字
       ベートーヴェン 交響曲第5番

 2月  川瀬賢太郎
       リゲティ ミステリー・オブ・マカブル 半田美和子
       ハイドン チェロ協奏曲  門脇大樹
         〃   交響曲第60番 うかつ者

県民ホール定期

12月  小泉和裕
       ベートーヴェン 交響曲第9番

 1月  サッシャ・ゲッツェル
       チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 小山実雅恵
       ベートーヴェン 交響曲第3番 英雄

 3月  川瀬賢太郎
       チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 郷古 廉
          〃       交響曲第5番

どうです、全国のみなさん。

神奈川フィルは、ますます本気です。

アニヴァーサリーを迎えるR・シュトラウスは薄目ですが、その分、古典から現代まで万遍なく、なかでもベートーヴェンとチャイコフスキーを特集。
それに、アメリカ音楽、イギリス音楽、ロシア音楽、北欧音楽、そしてコルンゴルト。

何度も何度も、このブログで書きましたが、ついに石田コンマスと神奈川フィルによるコルンゴルトが聴ける。
しかもその夜は、エルガーのペイン編による第3交響曲。
どちらも、ライブ録音して欲しいくらい。
おまけに、ゲッツェルのひねりの聴いたプログラムでは、コルンゴルトのシュトラウシアーナと4つの最後の歌、それにブル9というもの。
個人的には、このふたつが最大の楽しみ。
それと、オープン曲のバックスの海を感じるシャープな「ティンタジェル」も期待の1品。

それから、300回記念公演は、「復活」だ。
川瀬クン、若さを大爆発させて欲しい!
何をやっても許す!

音楽堂の熱い宮本さんに、古楽兄弟の鈴木さんのピリオドも素敵そうだ。

小泉さんは、ロシア物がいいし、われらが現田さんの團伊玖磨にドヴォ7、聖響さんのクセナキスとブーレーズなんてのも、新潟の友が飛んできそうな演目だ。

まだ今季もたくさん残ってますが、こうして先の楽しみを心に刻んで、元気に、体に気をつけて過ごしていきたいと思っちゃってます。
            

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