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2013年11月10日 (日)

ヴェルディ 「群盗」 ガルデッリ指揮

Kaikousiryoukan

横浜の開港資料館。

もともとは、英国領事館、1931年築だそうな。

5月の撮影なのでツツジ映ってますが。

完全にヨーロッパしてます。

Verdi_i_masnadieri

  ヴェルディ  歌劇 「群盗」

 マッシミリアーノ:ルッジェーロ・ライモンディ カルロ:カルロ・ベルゴンツィ
 フランチェスコ:ピエロ・カプッチルリ  アマリア:モンセラット・カバリエ
 アルミーニョ:ジョン・サンドール     モサール:マウリツィオ・マッツェルリ
 ローラ:ウィリアム・エルヴィン

  ランベルト・ガルデッリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                    アンブロージアン・シンガーズ
                   合唱指揮:ジョン・マッカーシー

                   (1974.8 @ロンドン)


ヴェルディのオペラ、11作目は、シラーの戯曲「群盗」。

半年間の休養中に友人で翻訳家マッフィーとのなかで芽生えた題材が、この作品。
本職ではないけれど、台本作成に挑んだマッフェィー。
フィレンツェとの契約による製作でしたが、強いソプラノとテノールを必要とする構想だったので、劇場側がそうした歌手を手配できないことが判明し、ヴェルディは、すぐさまに「マクベス」に方向転換したことは、前作記事にて書きました。

1947年3月、特異な「マクベス」の初演あと、すぐさま中断していた「群盗」をロンドンのハー・マジェスティーズ劇場のために作曲再開。
弟子のムツィオを伴ってロンドンに向かうが、弟子に歌手の様子などを偵察に先に行かせ、自分はパリで待機。
ロンドンは陰気で霧に包まれ、でも喧騒も激しい大都会・・との知らせを受けるヴェルディですが、この花の都パリには、かつて知り合った未亡人ジョセッピーナがいた。
自身も妻子を亡くして、ひとり、仕事に邁進してきたヴェルディの心の友でもあった彼女。

やがて、ロンドン入りして、相変わらずのものすごい集中力でもって「群盗」を仕上るヴェルディですが、歌手の技量が思ったほどでなく、それに合わせて、以前仕上がっていた場面も書き換えたり、さらに、マクベス前後で到達した筆致の違いもあって、作業は難航したとあります。
またロンドンの湿気の多い気象も気に障ったらしい。
ともあれ、47年7月に「群盗」を完成させて、ロンドンの劇場の誇る歌手を配して初演。
女王も列席してのその舞台は、そこそこの成功をおさめるも、批評家筋には芳しくなく、ヴェルディもそそくさとパリに向かってしまい、当地でジョセッピーナとの友愛と甘い生活に入ることとなります。

残されたこの「群盗」というオペラ、劇の内容がはしょられて、多分に荒唐無稽なものだが、「マクベス」で浮き彫りにされた登場人物たちの鮮やかな性格表現は、かつての初期オペラにはないものだし、相変わらずの美しく魅力的なアリアやあふれ出る旋律たちの数々も素晴らしい。

フリードリヒ・フォン・シラー(1759~1805)は、いうまでもなく第9の原詩の詩人・劇作家・思想家で、その劇作は多くのオペラを生んでます。
ドン・カルロ、ウィリアム・テル、オルレアンの少女、メッシーナの花嫁などなど、ほかの作品も多くの作曲家たちの創作意欲を刺激しました。
初期の作である「群盗」は、シュトルム・ウント・ドランクの流れにあるとされ、古典主義からの脱却、感情優先という極端な行動をその信条とする内容になってます。
そのあたりが、この物語の唖然とする結末に如実に出てまして、え?ってな気分になる部分です。
いえね、原作を読んでないから、オペラの何もそこまで的な急激な結末のみの感想で決めつけちゃってますがね。

18世紀ドイツ ザクセン

第1幕

 ザクセンのはずれ、森の中
カルロが、一冊の本に集中している。
まわりでは泥酔した連中が騒いでいる。
彼は、この酔っ払いたちは、私の犯した恥ずべき過ちの生んだ仲間だと激しく悩み、父の城や、若き日々を過ごした恋人のアマーリアを偲んで歌う。
(カルロは奔放な生活を過ごしたかどで、父城主マッシミリアーノ伯から勘当されている)

そこへ、弟フランチェスコからの手紙が届き、そこには父は兄を許す気が毛頭ない、と書かれてある。
カルロはこれを読んで自暴自棄となり、酔って勇ましく歌う盗賊団に合流してしまう。

 フランケン地方 モール城
兄に嘘の手紙を送り付けたフランチェスコが、今度は実の父に標的を絞って、父の命の灯が低くなった・・・とその邪悪な思いを歌う。
部下、アルミーニョを呼び、父に、カルロがプラハ郊外で戦死した、アマーリアは弟と結婚するようにとの偽りの報告をさせるように強要する。

城の寝室
マッシミリアーノが椅子にかけて寝ている。
傍らでは、アマリーアが、この父がカルロを罰したときは憎みもしたが、いまはそんな怒りも失せ、父を愛し、カルロとの甘い思い出にも浸ることができる。。とカヴァティーナを歌う。
目を覚ましたマッシミリアーノは、カルロがわしを恨んでいるだろうと、夢の話をする。

 そこへ、フランチェスコとアルミーニョがやってきて、先の嘘の報告をさせる。
マッシミリアーノは、フランチェスコのもとへ倒れ込み、アルミーニョは、この嘘をお許しくださいと、後悔しまくる。
あぁ亡くなってしまった、と嘆くアマーリア。
実は気絶している父を足元に、地獄よありがとうと独白のフランチェスコ、では、わたしが主だ!と宣言する。

第2幕

 モーア城の礼拝堂
アマーリアは悲しみにくれ、跪いて祈っている。
フルートに導かれ、ハープにのって美しいアリアを歌う。
私の心のなかのカルロ、そして神さまが心に降りていらっしゃる・・・・。
そこへ、アルミーニョが忍んできて、カルロが生きていると事実を伝える。
一転、明るく、輝かしく、神はわたしの悲しみを聞いてくださったと歌う。
ここにおける歌唱の技法は、目を見張るものがある!

フランチェスコがやってきて、祝宴になんで出てこない、と責める。
あらためて、迫るフランチェスコに、この悪漢めと憎しみをあらたにし、彼が自分を引き寄せた隙にナイフを取り上げ、下がりなさい、と言い放ち、森の中へと逃げ去る。
フランチェスコは、復讐は新たな苦痛なり、とほくそ笑む。

 ボヘミアの森
盗賊の仕事ののちに、人々が放った火に巻き込まれ、仲間のローラをあやうく救出したカルロ。称賛を浴びつつ、ひとりになり、こんな立場に身をやつし、怒りに燃えつきそうだ、あぁ、もう会えない聖女よ・・・と歌う。
そこへ、盗賊たちが飛びこんできて、千人の兵士に取り囲まれてしまったと報告。
いざ、逃げようと、勇壮な合唱。

第3幕

 城に近い森
アマーリアは、あいつから逃れることができて安心した一方、男たちの怪しい声に慄く。
そこへカルロがあらわれ、ふたりは喜び抱き合う。
恐ろしい声をさっき聞いた、という彼女に、カルロは、アマーリアは何も知らないのだと独白。応えられない苦痛の質問に悩む。
彼女はフランチェスコの悪行を語り、ふたりはついに愛の星が輝く、なんて言っちゃって、二重唱を歌う。

ひとりになったカルロは、やはりいまの立場では彼女と会うことができない、永遠に離れてしまおうと、懐からピストルを出して自決しようともするが、プライドが許さない。
悩むカルロは、城の塔のもとで、アルミーニョに出会う。
問えば、塔にとらわれのマッシミリアーノに食事を運ぶ途中で、父はまだ死んではいなかった。
息子カルロとわからない父を救いだし、ことの顛末を聞き出し、さらに父は、こんなことをしでかしてもまだフランチェスコはわが息子なのだといい、またも気絶。
盗賊たちに、わたしの父だ、介抱してくれ、そして復讐だと叫び一同の協力を仰ぐ。

第4幕

 
 城内
フランチェスコが取り乱して登場。死が立ち向かってきた、この騒ぎが聞こえるかと、アルミーニョにただすが、そんなものは聞こえません、と応える。
彼は、夢の内容を語って歌う。
白髪の老人が最後に出てきて、呪われたものに、神の子は、そのお心を傷めることはないと言われた・・・・。そ、それは最後の審判の夢じゃないですか、と恐怖におののくアルミーニョ。
 フランチェスコは司祭を呼び、救済の祈りを乞うが、あなたにはふたつの犯罪がある、尊属殺人と兄弟殺しだ、神のみぞが救済なりをできるだろう、人には及ばぬことと断る。
フランチェスコは、久遠なる神にいま祈ります、初めて、そして永遠に・・・と懇願。

カルロのもとで、それとは知らない、助け出されたマッシミリアーノは、息子よ、フランチェスコよと、案じる。
そして、天は許してくれない、カルロを断じたままに失ってしまったからと語る。
カルロは、思いつく。この老人に祝福してもらおうと。
見知らぬ親切な方よ・・・と暖かい祝福をあたえ、カルロは感涙にむせぶ。
 そこに仲間の盗賊軍団がやってきて、親分と呼びかけてしまうが、カルロは、お前らは誰だ?と言い逃れる・・・、しかし、フランチェスコを取り逃した報に、安堵し、変わりに、女をとっ捕まえたとの報告に愕然。
 もう逃げられない。
カルロは、父よあなたの息子は、彼ら盗賊のチーフなのです、と告白。

「もうおしまいだ・・・・」カルロ
「いいえ、わたしは、あなたとずっと一緒よ」アマーリア
「お頭、そりゃ裏切りだーーー」盗賊軍
「なにがなんだか・・・・」マッシミリアーノ爺

こんな混乱が生じ、むちゃくちゃに。

そして、カルロがとった結論は・・・・・

いきなり、アマーリアを刺殺。

周囲の騒然をよそに、カルロは、「絞首台へ!」と言い残し、立ち去るのでした。

                

最後の端折りがすさまじくて、なんで恋人を殺しちゃう?
自殺はタブーなのはわかるけど、プライド優先の主人公の身勝手に怒りを覚える、そんな結末。

そんな内容とは別に、3人の登場人物にあてらた、それぞれ二つないしは三つのアリアは、とても素晴らしい。

ソプラノに要求される技巧は最高度で、ことに2幕のものは上下する音域のブラヴーラ唱法はすごいものがある。
一方の悲劇的な、ある意味一方的な向こう見ず的なテノールは、このあとの暗い背景を持つヒーローの萌芽だし、邪悪がウリのバリトンロールは、フォスカリとマクベスによって培われた硬派的存在となっている。
1幕のフランチェスコのアリアは、邪悪な信条を歌うわけだが、旋律が滔々と甘過ぎて、歌が溢れすぎ、厳しさ不足。
しかし、4幕の神の宣告の夢の物語では、まるで、マクベスの最後を思わせるような、やぶれかぶれ感と必死の壮絶感も出ており、のちのリゴレットをも想起させます。
 同時進行した、マクベスの様相も、ここではしっかりと聴き取ることができて、ヴェルディの傑作のひとつとして、歌手に恵まれれば認識できるオペラと思います。

Verdi_i_masnadieri_gardelli4

カバリエ、ベルゴンツィ、カプッチッリ、ライモンデイの4人。
もう完璧すぎます。
あの時代の素晴らしさを、いまもって素晴らしいフィリップスのロンドン録音によって確認できます、永遠の名演のひとつです。
ガルデッリほどに、ヴェルディの音楽を体得した指揮者はいませんし。

レコード時代、このジャケットを何度も見て、手に取って、購入することはなかった。
懐かしい思い出です。

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コメント

群盗。モナコのレコードで1曲だけアリアを知ったのがきっかけです。ご紹介のレコード、最高の演奏ですね。大賛成いたします。ガルデッリのヴェルディは名演奏ぞろいです。
さまよえる様の「レコード時代、このジャケットを何度も見て手に取って購入することはなかった」という言葉。泣けます。私も同じ経験をしたからです。当時はとてものこと買えなかったんです。7500円とか。学生であった私には絶対に無理な金額でした。でも欲しかったし聴きたかった。しかも、このアルバム以外で仮面舞踏会とかウェルテルとか、他のオペラを買っちゃっていて群盗のようなマニアックな作品は予算的にムリだったんです。でも欲しかった!
そして、平成になりネットの時代になった。そこそこおこづかいが増え私はオークションでご案内の録音をレコードで購入しました。その価格、なんと300円。
え?なに?300円?しかも状態が極めて良好という^^;人生の皮肉!この演奏を20代で心ゆくまで味わえていたら私はもっと豊かな学生時代をすごすことができたのに!と思う。
今って本当にステキな時代。今日はさまよえる様のブログを見てこのレコードをしみじみと聴いて過ごします。聴きたくて欲しくて手にとってはため息をついていた20代のアノ頃を思い出す。涙止まらず。
それにしても、主役の4人!すごすぎるぞ^^

投稿: モナコ命 | 2013年11月11日 (月) 09時03分

この カルロ役を歌える人が、本当、希少なくらい居ない。

2010年歳暮れ、ファビオ・サルトリが調子悪く歌えず、急遽歌手(Zurab Zurabishvili)を調達したことが、チューリヒであって。僕は、サルトリがきちんと歌った日。
トマス・ハンプソンのフランチェスコ。
カルロ・コロンバーラがマッシミリアーノ。
イザベル・レイがアマリア。
アダム・フィッシャー指揮。

もう、チューリヒ、イタリアオペラで、豪華キャスト組めないだろうね。。

群盗 のような作品も無理。。。総支配人がホモキ、音楽監督がファビオ・ルイジだもん。駄目駄目駄目!!!!

投稿: 都合の悪いこと観て見ぬ振りして良いところだけ獲って’群’がって’盗’む人。 | 2013年11月11日 (月) 21時56分

モナコ命さん、こんばんは。
モナコ命さんも、同じクチだったのですね。
あの時代の若者は、みんなそうだったのですね。
1枚ものでも2500~2900円。
それ掛ける枚数でしたし、オペラはたいてい3枚組。
ワーグナーは5枚組。
とんでもない金額!

いまの大容量メディアの恩恵は、オペラにありますね。
たいていのオペラが2CD,ワーグナーも3~4CD。
しかも、2~8千円でたいてい揃います。

しかもなんですと、レコードって希少ではなく、そんなに安く放出されてるんですか!
対訳を大きな文字で読めることを考えたら、声楽・オペラは中古国内レコードですね!

素晴らしい買い物をされました。

それにしても、指揮といい、歌手といい、このひと組は凄まじく素晴らしいですね!

投稿: yokochan | 2013年11月12日 (火) 23時04分

都合の悪いこと観て見ぬ振りして良いところだけ獲って’群’がって’盗’む人。

もう笑いが止まらないくらいのスゴイ、ハンドルですよ。
怪しすぎて、削除しようかと思ったくらいで、中身でわかりました(笑)

これの実際の舞台を海外でご覧になってらっしゃるとは驚きです。
日本では、故若杉さんがびわ湖で上演したのかもしれません。
ですがきっと歌手が揃わず、新国では上演不能でしょうね。
メスト時代のチューリヒもまた変化していくのですね。
わたしは、できれば期待したいところです。

投稿: yokochan | 2013年11月12日 (火) 23時10分

このオペラのディスクは、後にボニング指揮のウェールズ・ナショナル・オペラ管弦楽団、サザランド、マヌグエラ他のDecca盤も出ていたようです。出来栄えは、やはりお取り上げになったPhilips盤が磐石でしょうか。

投稿: 覆面吾郎 | 2020年12月 5日 (土) 10時15分

このオペラは、隠れたる傑作だと思いますが、この演奏があれば、もうほかはいらないと思ったりもします。
ご指摘のデッカ盤はとうを過ぎたサザーランドと緩そうなボニングの指揮ということで、きっと今後も聴くことはないと思います(笑)

投稿: yokochan | 2020年12月 9日 (水) 08時42分

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