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2013年12月23日 (月)

ヴェルディ 「ファルスタッフ」 ジュリーニ指揮

Nakadori

丸の内仲通りの一隅に、ちょっとした庭園スペースがあって、いつもそこは素敵なのでした。

このシーズンは、プーさんたちのイエローなツリー。

ツリーには、蜜蜂の巣が飾られてますよ。

Verdi_falstaff_giulini

    ヴェルディ  「ファルスタッフ」

 ファルスタッフ:レナート・ブルソン   フォード:レオ・ヌッチ
 フェントン:ダルマチオ・ゴンザレス  カイユス:マイケル・セルス
 バルドルフォ:フランシス・エガートン ピストーラ:ウィリアム・ウィルダーマン
 フォード夫人アリーチェ:カーティア・リッチャレッリ
 ナンネッタ:バーバラ・ヘンドリックス 
 クイックリー夫人:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
 ページ夫人メグ:ブレンダ・ブーザー

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団
                      ロサンゼルス・マスターコラール

            (1982.4 @ロサンゼルス、ミュージックセンター ライブ)


ヴェルディ(1813~1901)最後のオペラは、喜劇となりました。

1892年に完成、翌年80歳の年にスカラ座で初演。
もしかしたら、これが最後のオペラとわかっていた聴衆は、熱狂的な歓声と称賛をイタリアオペラの最大の作曲家に浴びせた。

ワーグナーは、半音階の大悲恋楽劇「トリスタン」と、ハ長の喜・楽劇「マイスタージンガー」を対のようにして重ねて作曲した。

ヴェルディも、悲劇的な「オテロ」と、そのあとは喜劇の「ファルスタッフ」を晩年に、対のようにして創作。
ともに、シェイクスピアの原作で、ボイートの台本。
晩年に巡り合った、彼らは、後世のわたしたちに、このような素晴らしいオペラの傑作を残してくれました。
ですから、いまだに恵まれない、作曲家としてのボイート、ことにオペラ「メフィストフェーレ」なんかは、ちゃんと聴いて評価しなくてはいけません。

この大傑作オペラの記事を、自分ではたくさん書いてるつもりだったけど、よくみたら、新国の観劇記事しか残してないことに気が付きました。
音源は、それこそたくさん持っているのに。
カラヤン、バーンスタイン、ショルティ、ジュリーニ、アバド。

ともかくヴェルディ指揮者でなくても、このオペラを好んで指揮する大家が多い。

それは、「オテロ」とともに、シンフォニックなアプローチが可能な作品だからだろうか。
作曲を進化させたヴェルディは、先にワーグナーが到達したように、そしてお互いが影響しあったように、「オペラ」を旧弊の概念から脱却させ、音楽優位の総合芸術としての概念で確立させた。

「オテロ」以降、アリアという歌手の見せ場が、劇の中で突出してしまわないように、ドラマと音楽の流れの中に、しっかりと埋め込んでしまった。
モノローグ(独白)とも言うべき、登場人物の心情吐露に変わったわけで、そこにはアリアのような形式はなく、長さも長短あり、劇の流れの効果のなかで、歌われる。
したがって、歌手の名技性をひけらかしたり、大むこうを唸らせるような派手な歌はなくなりました。
そうして生れた、ある意味自由な心情吐露は、素晴らしい旋律を伴って、プッチーニに受け継がれたのであります。

このような背景から、オテロとファルスタッフに、交響的な演奏も可能なのでして、歌手を楽器のようにして扱った、カラヤンが、この二つのオペラを得意にしたのもうなずけます。
バーンスタインの快活な演奏にも、その流れを感じますが、ショルティはまたちょっと複雑で、軸足はオペラ指揮者かもしれません。

シンフォニー指揮者としても練達であるジュリーニとアバドは、ともにシンフォニーオーケストラを指揮しながら、オペラの呼吸をオーケストラに完全に植えつけてしまい、歌手たちもそれを背景に生き生きと振る舞っているのが聴いてとれます。
そして、ともに過去、レコード・アカデミー賞を受賞(アバドは大賞)しております。

それに反して記事が少ないことを反省し、これからちょくちょく書こうかと思ってます。

このオペラの舞台経験は、さほど多くなくて、82年の二期会(小澤征爾指揮)と、2007年新国立(ダン・エッティンガー指揮)の2回だけ。
どちらも鮮明に覚えてます。
舞台にすると、まさに喜劇としての色合いを濃く感じ、そこに、若い恋人のロマンスと、夫婦の倦怠期と愛情、そして男の遊び心と、それより上手の女性の強さ・優しさ・したたかさ、こんなもろもろのことを、目の当たりにし、楽しめることができます。

このオペラの詳細は、「オテロ」もそうですが、全曲チクルスの中で、また来年か、再来年の記事で取り上げたいと思います。

今日の音源は、それこそ、元オペラ指揮者だったジュリーニが、オペラからはしばらく足を洗い、その後、長らくを経て、ロサンゼルスフィル時代に、ロスフィルをピットに入れて上演した記念碑的なライブ録音であります。

最初の開始音から感じる明るく、軽い響き。
見通しがよく、透明感にあふれている。
いずれ取り上げる、アバドとベルリン・フィルも同じようなイメージを持つ。

ともに行き着いた境地。
でも、弾むような若さを持つのはアバドの特徴だけど、ジュリーニの演奏には、いつものようなゆったりとしたテンポの運びのなかに、もしかしたら貴族?と、ほんとうに思わせるノーブルさを、サー・ジョンに感じさせもする面白さがあります。

このオペラで大切な、いくつもある重唱。
歌手たちのハーモニーをくっきりと響かせ、オーケストラも混濁することなく、しっかりつけてゆく、この熟練の手腕は、オペラ指揮者ジュリーニそのものです。
ロスフィルの音色も、ここではヴェルディにピタリ!
メータの、プレヴィンの、サロネンの、いまやドゥダメルのロスフィルの音。
ずっと好きだったけど、ジュリーニ時代がもっと長ければ、きっとこのオケはもっとスゴイ存在になっていたかも。

豪華な歌手たちに、いまさら、なにを言えばいいでしょう。
でも以外に一番好きなのは、リッチャレルリのアリーチェ。
ふるいつきたいほどの豊かな声です。

それと当時絶頂期だったゴンザレスのフェントンは、驚きの美声。
故テッラーニのもったいないくらいのクイックリー夫人。
同じく、ミスター・フォードのヌッチの凛々しさ。

ブルソンのファルスタッフは、当初からその豊穣な声が素晴らしいと思ってました。
でも何度も聴くと、そこにややドラマ性の空虚さを感じる場面があったりします。
今年、ブルソンをいろいろ聴いてきて、そんな思いを抱くようになりました。
カプッチルリやヌッチを聴いて、思うブルソンなのですが、その声自体は極めて立派で、しかも美声。素晴らしいと思います。

しかし、「オテロ」と「ファルスタッフ」、このふたつの傑作は、こうして連続して聴くと、その完璧な出来上がりに感服しまくりです。

過去記事

 「新国立劇場 D・エッティンガー指揮」

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コメント

ファルスタッフ、Verdiのオペラで、一番技術的に難しく書かれている作品のひとつですよね。

第3幕冒頭の、オケの縦のラインが合わないと、みっともなくなります。

何よりも歌手のアンサンブルが多いので、各楽曲の互角の歌手の集まりでないと一気に破綻するオペラですね。

かといって、遊び が多く求められますし。

********
Falstaff、

実演は、
・ブリン・ターフェル、ジェーン・ヘンシェルが出たウィーンの新演出。

・1995年のスカラ座来日公演。

・貴殿が挙げられている'新国’のD・エッティンガー指揮のRevival公演。です。

けど、感動しているのは、新国立劇場です。Revival上演に出た男性歌手大物ふたりのアンサンブル です。

CDは、持っていません。

投稿: T.T | 2013年12月24日 (火) 09時38分

T.Tさん、まいどありがとうございます。
新国の、あの上演は素晴らしかったですね。
タイトスとブレンデルのふたりは最高。
口から水を吹くのも、大笑いでした。
ジョナサン・ミラーズの演出は、ほどよくってとても好きです。

そして、豊富な舞台体験にうらやましく思います。
CDは、わたしの方が上手ですが、このオペラは実演が楽しいです。
そろそろ、新国で新演出が欲しいところですね。

投稿: yokochan | 2013年12月25日 (水) 23時52分

ジュリーニとロスアンジェルス・フィルにはかなりの思い入れがあります。彼らのブラームスの1番のCDや、かなりの批判を受けたベート-ヴェンの3番など今も聞いています。ところでこの「ファルスタッフ」ですが、CDを持っていますが、とてもいい演奏です。ただし、購入当時は、話の筋もわからず、ただ夢中に聞いておりました。やっと近年、その作品と、演奏の真価がわかってきたので、これから聞き込みたいと思います。この演奏を取り上げていただき、ありがとうございました。

投稿: 新潟のbeaver | 2013年12月29日 (日) 22時36分

新潟のbeaver さん、こちらにもありがとうございます。
もう少し長くとどまって欲しかったロスフィルのポストですね。
わたしも、当時のベートーヴェンとブラームスは大切にしてます。
あの演奏の延長と集大成が、このヴェルディだと思います。
ヴェルディ連続シリーズは、持ち越しとなりましたが、再度のファルスタッフには、アバドを考えてます。

投稿: yokochan | 2013年12月30日 (月) 13時26分

こんにちは、初めてお便りさせていただきます。いつも楽しく拝見しています。ジュリーニのファルスタッフは私のヴェルディ初体験でした。大学時代に訳もわからないまま買いましたが、以来30年の愛聴盤になりました。最後の作品から入るという変わった聴き方になりましたが、それもジュリーニ愛のなせる業。昨日も2013聞き納めには、シカゴのグレートとこのファルスタッフをLPレコードで堪能しました。歌に溢れたジュリーニをこれからも聴き続けていきます。取り上げていただき、ありがとうございます。

投稿: 越中の辰年 | 2014年1月 1日 (水) 08時13分

越中の辰年さま、はじめまして。
コメントどうもありがとうございます。
この音盤が出て、もう30年近くになりますね。
わたくしは、EMIの後期、DGの時代のジュリーニが一番好きです。
聴き納めに選ばれた、シカゴとのグレートは、わたくしも、大切な1枚です。
後年のものより、この時代の歌いぶりのほうが生き生きしておりましたね。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: yokochan | 2014年1月 2日 (木) 18時01分

このオペラと、プッチーニ/『ジャンニ・スキッキ』は、喜劇的なストーリーながら日本人には結構厳しい作品では、ないでしょうか。早口言葉でまくし立てる重唱重視の会話劇で、聴くだけの立場の鑑賞者にも、難物と言う印象です。ディスクは、LPでショルティ旧盤、CDでカラヤン旧盤
、アバド、トスカニーニ、プッチーニは『三部作』でガルデッリのDecca盤を、所持してはおりますが‥。

投稿: 覆面吾郎 | 2020年2月24日 (月) 16時23分

御指摘の通り、言葉の渦ですね。
シュトラウスの晩年作品も同様に思います。
こうした作品は、まず舞台を体験してみると、音楽としての魅力もさらに引き立つと思います。
いまでは、映像かもです。

投稿: yokochan | 2020年2月26日 (水) 08時28分

かつて20代の頃割りと出入りしていたレコード店のオッサンも、このヴェルディの作品よりニコライの『ウィンザーの陽気な女房たち』の方が、好きで楽しめる‥と言ってましたから。当時はLP時代でしたが、既にKINGからDecca原盤のクーベリック盤、ポリドールよりDG原盤のクレー盤が、発売されておりました。まぁ、作曲家や演奏家の好き嫌いの激しい質で、それがきっかけで決裂しちゃったのですけれども‥(笑)。

投稿: 覆面吾郎 | 2020年2月26日 (水) 17時18分

ニコライのウィンザーは、クーベリック盤をかつて記事にしました。
ファルスタッフは作曲家の創作欲を刺激するのでしょうね。
エルガーに、ヴォーン・ウィリアムズなど、いい作品がたくさんあります。

投稿: yokochan | 2020年2月29日 (土) 08時34分

以前住んでいた市の図書館で、志鳥栄八郎さん編著の『大作曲家とそのレコード』のヴェルディの項に、リア王のオペラ化を試みながらも結局は断念し、それに関する草稿も総て破棄なさった‥と、書かれておりました。もし実現していたらどんな作品になっていたか‥と、想像の種は尽きません。また『マクベス』が晩年に手掛けられていたら、どんな作品になっていたかとも、思います。

投稿: 覆面吾郎 | 2020年3月14日 (土) 22時33分

そうですね、リア王の話は私もどこかで読んだことがあります。
ヴェルディとシェイクスピア、ワーグナーではありえない関係性ですね。

投稿: yokochan | 2020年3月17日 (火) 09時09分

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