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2013年12月15日 (日)

ワーグナー 「神々の黄昏」 S・ヤング指揮

Yuurakucho1

有楽町の交通会館は、今年も、このように天使を階上にかたどり、駅周辺と一体化した美しいイルミネーションに絢どられております。

今年、ほかの場所でも目立つのは、グリーンです。

高輝度のはっきりした色合いが、街の冬を美しく、そして暖かく飾ってます。

Gotterdemarung

   ワーグナー  「神々の黄昏」

 ジークフリート:クリスティアン・フランツ  ブリュンヒルデ:デボラ・ポラスキ
 グンター:ローベルト・ボルク         ハーゲン:ジョン・トムリンソン
 アルベリヒ:ウォルフガンク・コッホ     グルトルーネ:アンナ・ガブラー       
 ワルトラウテ:ペトラ・ラング         第1のノルン:デボラ・フンブレ       
 第2のノルン:クリスティナ・ダメイン    第3のノルン:カトゥーヤ・ピーヴェック   
 ウォークリンデ:ハ・ヤング・リー      ウエルグンデ:マリア・マリキナ       
 フロースヒルデ:アン・ベス・ソールヴァング

  シモーネ・ヤング指揮 ハンブルク国立歌劇場管弦楽団/合唱団

   
                演出:クラウス・グート

                         (2010.10 @ハンブルク)


「ジークフリート」以降、かなり間の空いた「リング」ですが、ようやく「神々の黄昏」を。

4部作間の時間配列をここにあらためまして。

 「ラインの黄金」
           約30年?  
            ウォータンが徘徊し、ウェルズングとワルキューレを生みだす
 「ワルキューレ」
     ↓    
  約18~22年?
            ジークフリートが青年に
 「ジークフリート」
     ↓    
    数日から数ヶ月
            ジークフリートが知恵をつけ、冒険に旅立つ
 「神々の黄昏」

神さまは歳をとらない。
壮年の強い意志と悪だくみの若さを持った、ラインの黄金のときのウォータンが35歳とすれば、ワルキューレでは、65歳のシニア。
さらに、ジークフリートの成長を鑑みて、ジークフリートでは85歳のさすらい老人。
まぁ、不老不死が前提だからそんなこと考えなくてもいいのですが、最後の「神々の黄昏」では、ウォータンの老いぼれぶりが、娘のワルキューレのひとり、ワルトラウテの口から語られる。

徘徊さすらいの老人は、槍を孫に折られて、力を失い、終末を待っていて、若さのもとの林檎も食べなくなってしまったと。
ブリュンヒルデが指環をラインの乙女たちに、返すことを熱望していると。

もとはといえば、アルベリヒが盗んだ黄金を、卑怯にも横取りしたことに端を発した「指環抗争」。
その再奪取にかけて生み出したウェルズング族の末裔に、コケにされ、追放した娘に、遠まわしに指環返還のお願いをするも、ふざけるなと一蹴される。
自業自得の憐れな神様の姿がウォータンなのです。

神々の長を、そんな風に描くなんて、ワーグナーの劇作の才は、ほんとうにすごいものだと感心します。
かつては、ウォータンを神聖で神々しい存在として描いていた演出も多く、演奏面でもそうしたことが前提となっていたはずです。
ハンス・ホッターという名歌手の存在も、まさにそうした流れのなかにあります。

しかし、70年代半ば以降のウォータンは、それまで見過ごされてきた、いや触れずにおいたウォータンの行動の矛盾と悪辣さを、まるで小男のようにして描くことであぶり出す演出も、はばからず登場してきました。
神々の黄昏には、ウォータンは登場せず、見張り役のカラスだけが出てきますが、このリングの締めくくりにも、ウォータンが撒いた種が暗い影を落とし、何人もの人物が死に、最後には紅蓮の炎で持って「無」となってしまうのです。
 ワーグナーのト書きには、「ワルハラ城も炎に包まれ、右往左往する神々が見える」とありますから、不老不死の神さまたちも、これでお終いなのでしょう。

ウォータンだけが、ひとり生き残る・・・という意地悪なお仕置きも読み替え演出としては面白いでしょう。

 そして、もうひとりの、おばかさんは、リングの主要人物ジークフリート君です。
前作「ジークフリート」で、思いきり自然児ぶりと、無邪気な殺人ぶりを見せつけた彼ですが、本心は冒険が命。
ブリュンヒルデにいろんなことを伝授されたし、不死身の術も備わっている。
元気に田舎を飛び出したけど、大都会は甘くない。
成熟した社会に戸惑いつつも、ギービヒ家の客分から家族へとなってしまう。
なんら躊躇なく忘れ薬と、最後の思い出し薬を飲み干す人の良さ。
しかし、グンターに化けて、ブリュンヒルデを強奪したときに、なぜ、指環も取り上げたのだろう。

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 本来自分がファフナーの洞窟から持ち出し、自分のものであることを認識していたからか。
また、自分の剣、ノートゥングのことは忘れていないし、自分の名前すらちゃんと覚えてる。
そこにあるジークフリートの矛盾。
もしかしたら、山の頂で、ブリュンヒルデに出会った時以降の記憶のみを消し去ることができた、優れた飲み物だったのだろうか、ハーゲンの忘れ薬は!
こんな矛盾の数々は、第3幕で、ラインの乙女たちに看破されるのだが、それを鼻で笑い、自ら悲劇に足を踏み込むということが英雄的であったりする。
 ともあれ、憎めないヤツなのですが。

これらの矛盾した連中と大きく異なる、芯のある、ぶれない人物がブリュンヒルデ。
ワルキューレでの登場から、ずっと最後まで、「愛」を貫いた高潔の気高い女性。
彼女は間違いなく尊敬できます。
人間としてカッコよすぎます。
あらゆるオペラの登場人物のなかで、一番素敵で、立派な女性だと思います。
ジークフリートの矛盾に騙され、彼を憎み弱点を漏らしてしまうのも、愛するがゆえの行為ですし。
ですから、昨今のヘンテコ演出でも、一番いじりにくいのがブリュンヒルデの存在なのではないでしょうか。
せいぜい、妊婦にするくらい?。。。

あとひとり、ハーゲンもぶれてませんね。
アルベリヒの意志を継いだ闇の軍団の血族だけど、親父とはまた違う独自路線で、憎っき神々系ウェルズング族の末裔をたやすく抹殺する。
正統派の悪党だけど、殺したその場で、指環を取っちゃえばいいのに、チャンスを逃し、最後は川に引き込まれて、あえなく終わり。
もうちょっと頑張って欲しかったぞ。
しかし、ハーゲンは、立派な歌手が演じ歌うと、実に舞台映えする役柄だ。
ワーグナーの書いた、バスのロールは、どれもこれも良いです。
ダーラント、マルケ、ハーゲンにグルネマンツ・・・。

そこへ行くと、グンターやグートルーネは性格表現も弱いものですが、彼らも演出次第では、すごいモンスターに化けたりしますから面白い。
キース・ウォーナーのトーキョーリングでは、彼らは神経質な良からぬ企業家で、近親相姦的なムードも醸し出していた。
そんなところに現れるワイルドなジークフリートや、高飛車な強い女ブリュンヒルデは、異次元からやってきた眩しい存在だったに違いない。
わたくしは、そんな風に歌われるギービヒ家の兄妹が好きだし、どこか気の毒でならない。

今回の、リング・チクルスは、古いものばかり聴いてる自分には珍しい、昨今のワーグナー演奏で組んでみました。

 「ラインの黄金」   ヤノフスキ

 「ワルキューレ」   ゲルギエフ

 「ジークフリート」   ティーレマン

 「神々の黄昏」    S・ヤング

女子指揮者リングとして話題になった、シモーネ・ヤングのハンブルグ・プロダクションのライブ録音。
リング全体は、まだ聴いてませんが、全曲であれば、こちらは映像が欲しいところ。
リブレットにある豊富な舞台写真を見ていて、そう思いました。

Hunburug_gotter_1

しかし、演出全体の色調は暗く、救いのない雰囲気を感じる。
いまや人気演出家のクラウス・グートのプロダクション。
グートといえば、二期会のパルシファルや、アーノンクールのフィガロをの人。
写真とハウスのHPにある映像から察するに、みんな病んでるし、舞台は病院か?
いやな感じではありますが、映像の最後に、おそらくラストシーンと思われる場面があって、それはちょっと泣かせてくれそう・・・・。

ここはしかし、音だけを楽しみました。

このシモーネさんの、ワーグナー、実によろしいのです。
最初から最後まで、隅々に活気と、舞台ならではの一気呵成の迫力もみなぎっています。
リズム感もよく、ノリもいいです。
そして、ここはこうして、粘って、ガンガン鳴らして、的な、自分にしっかり根付いた聴きどころを、漏らさず、そうしてくれます。
女性指揮者的な細やかさ(なんて表現自体がナンセンスだけど)は、ここでは感じません。
男も女もなく、普通にしっかり指揮してるわけですが、いま風のこだわりのなさと、すっきり感あるワーグナーでもあるところがよいです。
ヤノフスキの熟練濃密度、ティーレマンの巨大なずっしり感あふれる充実度、などにくらべると、まだ小粒ではありますが、実に堂々としたワーグナーでして、ドイツの高水準の劇場の日常をしっかり体感できるものです。
 ゲルギエフよりは、はるかにずっといいです!

そして歌手も充実。
なかでも、ポラスキのブリュンヒルデがしっかりと録音されたことは嬉しいことです。
彼女のアメリカ的な、世界を救う的な大らかさに、その後加わった細やかな歌いぶりと、従来のパワー。
最後はちょっと疲労の色がうかがえますが、実に感動的なブリュンヒルデだと思います。

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それと、これもわたしたちには懐かしい、フランツのジークフリート。
新国ですっかりおなじみの、気の置けないジークフリートがここでも聴けました。
すっかり手の内に入ったジークフリート、巧妙な歌いぶり。

トムリンソンのこれまた巧いハーゲンは、暴力的でなく、知的ないやらしさが横溢してます。
あと、いまやブリュンヒルデを歌うようになった、ペトラ・ラングの凛々しいワルトラウテも印象に残りました。

ハンブルク・シュターツオーパーの抜粋動画サイトはこちら。  →Humburug

海外のオペラハウスのサイトは、ダイジェスト映像が満載で、それらを次々に見て、いまの風潮の一旦を垣間見ることができるし、そうしてお酒でも飲みながら過ごす楽しみがあります。
このハンブルク・リング、今年のバイロイトの馬鹿野郎よりは、はるかに筋が通っていそうに感じましたがいかに。

ワーグナー・イヤーも残すところ数日。
2回、ワーグナーサイクルやると言った、最初の大風呂敷は、どこいった・・・・、自分。
なんとか、「パルシファル」で仕上げを図りたいところです。

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コメント

この神々の黄昏、初日の演奏、眠ーーーい時間にインターネットを起動させて、NDR生放送を録音してあります。

今、どこかの片隅にあります。

思った印象は、ポラスキ、よく歌ったね。です。声の伸びに翳りがあった時期ですから。

このときを境に、ガブリエーレ・シュナウトも同じだけど、大きな役を歌わなくなった。

ちょっと本題からそれるけど、ガブリエーレ・シュナウトがエレクトラを歌った1992年3月、自分の観たバスチーユオペラが、題名役デビューだったのを思い出しました。

ポラスキも20年近く、ブリュンヒルデ役を維持させたのですよね。立派なものです。

どうもブリュンヒルデを歌う歌手の賞味期限15年から20年に感じます。ビルギット・ニルソンも。ギネス・ジョーンズも。ヒルデガルト・ベーレンスも。
今歌っている、スーザン・ブロック、イヴリン・ヘルリツィウスもこの役の後期。リンダ・ワトソンも。
もっと短いのは、ニーナ・シュテンメ、デボラ・ヴォイト。
すぐに歌わなくなったのは、ナディーヌ・ゼクンデ。

クラウス・グート演出のワーグナー作品で長持ちするのは、ウィーンだけかも。面白いのだけど、演技づけが大変そう。歌手が変わるたびに手入れし続けなければならない部分が多すぎそう。。

グート演出のチューリヒの’Parsifal'、あと数年後にRevivalできるかな?ドレスデンの’マイスター’、もしかしてお釈迦なんじゃない。

投稿: 今日も普通人 | 2013年12月16日 (月) 08時14分

普通人さま、毎度ありがとうございます。

ポラスキは、何度か日本公演で見て、聴いて好きな歌手です。
アバドの出待ちで、ごく近くでお会いしたこともありますが、すごくでっかい、そしてにこやかで大らかな方でした。
シュナウトも何度か聴いてますが、珍品はサントッツァ。
叫び声のようでした。

ブリュンヒルデ、イゾルデ級の歌手の寿命は、そうなりますね。
例外は、メードルとヴァルナイ。ニルソンも長いと思いますよ。

投稿: yokochan | 2013年12月18日 (水) 23時41分

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