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2013年12月22日 (日)

ヴェルディ 「オテロ」 クライバー指揮

Yurakucho

有楽町マリオンの吹き抜けです。

有楽町センタービルというのが正式名匠だそうですが、この建物が出来て、もう30年近くになる。

当初は、西武と阪急というふたつの百貨店が2館入居するとうバブリーな存在でしたが、いまでは映画館はそのままに、西武は撤退し、JR系のルミネと阪急のメンズ系の商業施設となってます。

まったく、時の流れとその変化は速いものであります。

ここの吹き抜けは、銀座方面と有楽町駅とを結ぶ通路にもなってますから、いつも結構な人ごみであります。

さて、ワーグナー、ヴェルディ、ブリテンのアニヴァーサリーの今年も、冬至の今日、あと数日となりました。

最初にうちたてた、大計画は半ば達し、半ば崩壊。

ワーグナーの自身数度目になる全曲記事は、音源と映像で2度やろうと思ったけど挫折。
ヴェルディは、オペラ全曲をやろうと思ったけど、いまだ半分。
ブリテンは、あと1作でこちらはなんとか。

という訳でして、持ち越しのヴェルディ、せっかくの生誕200年なので、後期の大傑作をふたつ聴くことにしました。
その全曲順番聴きとしては、来年にまた取り上げることになります。

Verdi_ottelo_kleiber

  ヴェルディ  「オテロ」

 オテロ:プラシド・ドミンゴ      デスデモーナ:ミレッラ・フレーニ
 イヤーゴ:ピエロ・カプッチルリ   カッシオ:ジュリアーノ・チャンネッラ
 ロデリーゴ:ダーノ・ラファンティ  ロドヴィーゴ:ルイジ・ローニ
 モンターノ:オラツィオ・モーリ   伝令:ジュェッペ・モレッリ
 エミーリア:ジョネ・ジョッリ
 

 

  カルロス・クライバー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                    ミラノ・スカラ座合唱団
 
              合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

                     (1976.12.7 @ミラノ・スカラ座)


日曜の朝から、こんな高エネルギーの音楽と演奏を聴いていいのだろうか。

ヴェルディが最後期73歳で完成した「オテロ」は、その音楽も、シェイクスピアの戯曲をもとにしたボイートの台本も、いずれも高密度で、どこをとってもひとつも無駄がなく、文字通り完璧の一字に尽きる傑作であります。

ムーア人の将軍が英雄から、ひとりの直情的な男として、嫉妬と疑念に狂ってゆき、やがて自滅してゆく、そんな男の悲劇を描き尽くした2時間のドラマ。

カルロス・クライバーの、それこそ、切れば血の吹き出るような圧倒的な興奮と輝きに満ち溢れた指揮。
最後の、透徹したオテロの死の場面に向かって、その音楽はひたすら真っすぐに突き進んでゆく。
 そうした直載な突き進む推進力もありながら、物語の各所に応じた場面場面での切り込みの深さ。
毎度おなじみ、羽毛のように柔らかくそっと、時に理不尽なほどに強烈に、時に抒情と濃厚なロマンを・・・・。
すべての着地点がいずれもK点越えでして、もう嫌になっちゃう。

不満は、もうこれに慣れると他が聴けなくなってしまうところか。
そして、あまりにも強過ぎる演奏なので、疲れてしまう。
だから、わたくしは、この盤をあんまり聴かないようににてます。
ただ、主役のオテロだけは、デル・モナコという絶対的存在があるので、それだけは打ち消すことができません。

Ottelo4_2

1981年、クライバーはアバド率いるスカラ座引っ越し公演に同行し、この「オテロ」と、「ボエーム」を指揮しました。
当時、新入社員だったわたくしは、薄給に鞭うって初アバドということで、「シモン・ボッカネグラ」をS席で購入するのがやっと。
音楽人生の失敗のいくつかのひとつ。ここで、財布を空にしても、クライバーの「オテロ」を観ておくんだった・・・・。

Ottelo2

 そのかわり、NHK様が、スカラ座公演は全部、FM生放送と、テレビ放送をやってくれた。
クライバーの自在な指揮に見入り、ドミンゴの迫真の演技と口角泡を飛ばさんばかりの歌いぶりに食い入るようにしたものです。
カセット録音も全部の公演がいい状態で残せましたので、自家製CDRは、今でも、わたくしの宝物のひとつです。
 
 当時のFM放送の解説は、黒田恭一さんだったでしょうか、クライバーが登場して、最初の一振りをたとえて、オーケストラピットから虹がかかった・・・かのようなことをおっしゃってました。
まさに、その言葉どおり、拍手が鳴り終わるやすぐさま指揮棒を振りおろし、あの嵐の場面の激しい冒頭のサウンドが響きわたりました。

このスカラ座音源は、モノラル非正規録音ながら、鮮明に全貌を捉えておりまして、かえってリアルさにかけては、NHKホールのステレオライブよりは上に感じます。

シーズンオープニングだったこともあり、聴衆も含めた全体の熱気たるや、並々ではありません。
燃えて燃え尽くすカルロスの指揮、冒頭もすごいが、2幕で、イヤーゴにそそのかされて、怒りに突き進む場面での凄まじさは、例えようがなく、火の玉のようなオーケストラに、これでもかと燃焼し尽くすドミンゴとカプッチルリ。
これぞ、ヴェルディの醍醐味。

起・承・転・結の4つの幕が、クライバーの一見、奔流のような勢いの中にしっかりと、その性格ぶりをみてとれる。
そして、それこそが、超高みに達したヴェルディの錬熟の技、そのもの。
4つの楽章の、シンフォニックなアプローチでありながら、前述のとおり、オペラティックな感興に満ち溢れた素晴らしい演奏。
こんなオペラ演奏・上演は、クライバーをもって、ほかにはないものと思います。

Ottelo1

ドミンゴのオテロは、この頃が一番よかった。
5年後のNHKでは、そのありあまる豊饒な声が、ちょっと硬質な感じに傾きつつあり、以降、巧みに、どんな役柄でも巧く歌うことに完璧になっていった。
その半面に失われっていった、ドラマティックな情熱。
そんな前の、ドミンゴが60年代最後半から持ち合わせていた、豊麗な声に、プラス、ドラマティコな声が。
レヴァインの同時期のスタジオ録音より、そのバカっぷりと、すべてを含んだ最終諦念は、よくあらわれていると思います。

対する、カプッチルリのイヤーゴ。
全曲盤では、まともな録音がない、まさに不世出の大歌手のイヤーゴは、ここでも豊かな声を武器に、硬派でありながら、美声でもって、全身全霊のすさまじさとなっております。
この歌手は、どんなオペラでも感心されっぱなしです。
ゴッピとはまた違う、本来のいい人的な歌手が歌うイヤーゴの、悪の裏の姿を極め尽くしたかのようなカプッチルリの歌唱。

あとひとり、フレーニのデスデモーナの、女の鏡みたいな存在を思わせる、優しくも全人的な存在。
正直いって、フレーニを越えるヴェルディとプッチーニ歌手はおりません。
歌い回しの一節、ひとふしに、暖かな共感がともり、聴く人の共感度数も常にあがっていく。
わたくしにとって理想的なヴェルディ歌唱です。

いずれの将来、クライバーのオテロが、正規なライブ音源として登場することを夢にまでみます。

Yurakucho2

 過去記事

「ヴィントガッセン&F=ディースカウ」

「メータ&メトロポリタン」

「フリッツァ、石井 @新国」

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コメント

僕の大学1年生の時、1988年9月のミラノスカラ座来日時、クライバーの’Die Boheme’に行かず、マゼール指揮の’Turandot’が、僕のオペラ通いデビューです。

当時は、バブル絶好調の初期、舞い上がって買ったB席28,000円。
今から思えば、破格の安値。けど、売り出し時は大学入学したばかりでお金がないけど、本当に行きたかったです。よって、買って行きました。

この1976年当時の、ドミンゴ・フレーニ・カプッチルリの声、重くない時期なので、本当に貴重です。

1981年の来日のTVは、中学1年生ながら、なんとなく、覚えています。
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ドミンゴ・カプッチルリの組みあわせは、1992年2月のウィーンで観ました。デズデモナは、カレン・エスペリアン。入手するのに一苦労しました。けど正規に入手成功できたのです。法外な手数料を支払わずに済んだ。奇跡だと思ってました。。

本命の一部に<影のない女>、バスチーユの<ショスタコのマクベス夫人>、ベルリンの<神々の黄昏>、そしてロンドンだった、卒業旅行の時期です。常識では考えられないバブルも良いところ。
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1997年2月のドミンゴは、絶不調で歌っている最中でも演奏継続不能で一端舞台を中止しました。「あー、もうオテロを歌わない最大のきっかけになるだろうな」の一夜でした。それだけ、出来が悪い一夜でした。
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クライバー、大学4年のとき、友達で、ニューイヤーコンサートに行って、座って聴いてきた友達もいました。
けど、内心「あ!そうなの。」でした。まだ、クライバーのすごさを感じえていなかったのです。
1994年になって’ばらの騎士’になってやっと理解できたのです。

キャンセル魔だから、聴けない確率が高そうだから、嫌っていたのです。
**********
もし、実現可能な現在の
’オテロ’指揮者なら、セミヨン・ビシュコフ とダニエレ・ガッティ位。
題名役は、ホセ・クーラ、ヨハン・ボタ。

デズデモナは、ルネ・フレミング、(歌ってない)ニーナ・シュテンメ、(声が成長したら)ディアナ・ダムラウ

イアーゴは、ディミトリ・フヴォロストフスキー、トマス・ハンプソン

程度になってしまう。

ワーグナー歌手で集めたら、いっぱいいる。一例は、
ランス・リアンのオテロ、エディト・ハラーの’デズデモナ’、トマス・ヨハネス=マイヤーの’イヤーゴ’。指揮は、アダム・フィッシャー。 

投稿: クライバーの価値に時間がかかった人 | 2013年12月23日 (月) 10時46分

コメントどうもありがとうございます。

わたしのオペラデビューは、76年のNHKイタオペのシモンとアドリアーナです。
カプッチルリ、ギャウロウ、リッチャレルリ、カバリエ、コソット、カレーラス。
今思うと当時の歌手たちから脱却できてません。
ちょうど、この盤の録音年代。
アバドがシモンを録音した年でもあります。

その後に迎えたスカラ座来日ですから、狂喜乱舞でした。

いまなら、めちゃくちゃ高額なチケットに手も足も出ない状態となることでしょう。

あげられ、いまでしょ、オテロ指揮者と歌手たち。
まったく同感ですね。
新国で聴いたグールドのオテロはよかったです。

投稿: yokochan | 2013年12月23日 (月) 23時13分

ミラノスカラ座の81年東京引越公演は、小生が就職して2年目にあたり、ボーナスを全て注ぎ込んで4公演ともS席で見ました。
圧倒される演奏で、クラシック体験の極みとなりました。
当時、ベータマックスが発売されて間もない時でしたが、思い切って購入し、その放送の録画は、私の4,000枚のCD,500枚のDVDに勝るお宝となっております。
小生の記憶では、この公演の放送は一度切りで、再放送されていません。残念と同時に、クライバー、アバドの業績を知らしめるため、文化の高見を知らしめるために、是非、DVDで発売してほしいものです。

投稿: 閑人 | 2016年2月 5日 (金) 21時32分

閑人さん、こんにちは。
私の1年先輩ですね、きっと。
全公演をご覧になった由、とてもうらやましいです。
テレビにかじりついて観ました。
カルロスも歌手たちも、そのピークにあった極上の来日公演でしたね。
私も同感です。
これらの公演とヴェルレク、そしてロッシーニのミサ曲も含めて、すべてをNHKは放送したのですから、あらゆる権利関係をクリアして、なんとか映像・音源化して欲しいですね!

投稿: yokochan | 2016年2月 6日 (土) 10時55分

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