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2013年12月 5日 (木)

モーツァルト レクイエム シュナイト指揮

Andrechurch

東麻布にある、聖アンデレ教会。

レクイエムやミサ曲は、カトリックの典礼音楽ですが、こちらの教会は、カトリックでも、プロテスタントでもなく、英国国教会という、その間に位置する教義を持つものです。

近くに、お客さんもいるし、いまあるところから、お散歩にちょうどいい場所ですし、なんといっても東京タワーが間近なので、よく行く場所です。
神谷町、六本木もすぐ近く。

華美でない、精緻な美しさに、心落ち着きます。

今日、12月5日は、モーツァルトの命日。

1791年、今からちょうど222年前に、35歳でこの世を去りました。

Mozart_requiem_schneidt

 モーツァルト  レクイエム ニ短調 K626

        S:平松 英子     Ms:寺谷 千枝子
      T:畑 儀文      Br:福島 明也

  ハンス=マルティン・シュナイト指揮シュナイト・バッハ管弦楽団
                        シュナイト・バッハ合唱団
                         
            

             (2004.6.5@オペラシティ・コンサートホール)


モーツァルトの命日にあたって、世界中、きっと多くの方が、このレクイエムを聴いていることでしょう。
しかも、222年前という、ツーの語呂のよさ。

没後200年の1991年のことはよく覚えてます。
音楽業界は、モーツァルト一色になり、ザルツブルク・モーツァルト音楽祭が、サントリーホール中心に催されて、プレヴィンの至芸品モーツァルトが演奏されました。

わたくしは、プレヴィンのピアノと、キュッヘル率いる四重奏団での室内楽コンサートを堪能しました。

もう22年があれから経ってしまった。

あの年のモーツァルトの命日には、ウィーンのシュテファン教会で、ショルティの指揮するレクイエムが、典礼ミサ付きで演奏され、NHKBSで生放送されました。
テレビの前で、全部観て聴きました。

そして、今日は、神奈川フィルに入り込むきっかけを作ってくれた、シュナイトさんの指揮でレクイエムを。

1930年生まれのシュナイト師は、ドイツの典型的なカペルマイスターであり、根っこの部分から教会と音楽とオルガンが、その体にしみついておられる大指揮者です。

ブロムシュテット86歳、ハイティンク84歳、マゼール83歳、アバド81歳、こんな大巨匠と並ぶ83歳のシュナイトさん。
いまは活動を抑えて、ドイツ暮らしなのですが、こんなに元気な同輩の指揮者を思うと、シュナイト爺さんの老けこみ具合が残念。
爺は、厳しい半面、明るく開放的なものですから、オフで羽目を外しすぎるんですよ(笑)。

でもとにかく、いつまでも元気でいて欲しいシュナ爺です。

神奈川フィルとともに、マエストロの名を冠したこのオーケストラや、コロ・ヌオーヴォ、ジャパン・アカデミーフィルなどと、多くの実りある業績を残しました。
日本と、日本の食と、われわれ聴衆と、そして日本女性も大好きだったシュナイト爺は、憎めない愛らしい指揮者です。
でも、その音楽には、ドイツの伝統を担い、それを異国の日本にしっかり伝えたいという厳しさがあふれてまして、練習での容赦ない発言や行動は、いまや語り草になってます。
そこから生まれる、シュナイト節は、柔らかくふくよかで、かつ峻厳さに満ちた本物の響きなのでした。

今でも、脳裏にその姿と音が、神奈川フィルの音色とともに刻まれております。
シュナイト・バッハやコーロ・ヌーヴォ、仙台フィル、札響との共演も追いかけました。

2004年のモツレクの演奏は、残念ながらCDで聴くのみですが、全編ゆったりと、心を込めて慈しむように指揮しているのが、痛いほどよくわかります。
ゆったりめの運びは、シュナイトさんならでは。
ラクリモーサ以降の、ジェスマイアーの手になる部分との落差・格差をまったく感じさせない立派さ。

厳しさと、優しさが同居するモーツァルト。
響きは総じて、南ドイツ風な柔らかさを持ちつつも、その表情は厳しく、モーツァルトの叫びすらも耳に届いてきます。
ベームの厳しさよりは、ワルターのモーツァルトのような微笑みを感じます。

冒頭のオーケストラによる悲しみを引きずるような出だしは、合唱の開始とともに、思いのほかインテンポで、淡々として始まります。
平松さんの清らかなソプラノから、オーケストラはシュナイト爺の唸り声とともに、息が吹きこまれたように生彩に富みだし、合唱とともに、優しいけれど痛切なレクイエムを造り上げていきます。

レコルダーレの心洗われる4人のソロの饗宴と、豊かな低域をなみなみと響かせ下支えするオーケストラには感動しました。

そして、本来、ピークともいえるラクリモーサ。
一語一語、語るように、区切るようにして歌う合唱。
切実さが、それによっていやでも増す。
ここでの思いのほかの淡泊さ。
モツレクの中間点としての認識で、ラクリモーサは位置づけられてます。

その後の補筆補完部分が、こんなに立派なのには驚きなのです。
繰り返しの多い、演奏によっては単調に陥ってしまう部分も、しっかりと、たっぷりとした感情を伴って演奏されてます。
この音楽する心の豊かさ。
それが、聴き手に、ストレートに伝わってくるのです。
そして、最終章コムニオでは、シュナイト節の最たる、祈りの音楽の至上の姿がここにあらわれるのです。
ゆったりと、なみなみと、感情の度合いは高く、最後の盛りあげはどこまでも強く長く、最終和音で、両手を伸ばしきったシュナイト師の姿が思い浮かぶようです。
感銘の、そして祈りに満ちた最終和音です。

日本人のソロ、合唱、オーケストラ、ドイツ人の指揮者。
ここから導きだされた、繊細でありながら、味わいに富んだドイツ音楽の本流。
神奈川フィルのときもそう。
世界にもまれな、日独コラボレーションは、天然記念物級だと思ってます。

このレクイエムの前後には、「フリーメイソンの葬送の音楽」と「アヴェベルム・コルプス」が演奏されてます。
そのどちらもが泣けるほどの名品・名演にございます。

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コメント

あいやぁ~、忘れてました。

そうでした、アマデウス君の命日でした。
この日のために、記事ネタの下書きしてたのに…(笑)

さて、シュナ爺のモツレク(誰かに略すとつっこまれそう(笑))。
じつは実演についに行けなかった記憶があります。
小田原公演ですら、行けなかった…(T_T)
今でも心残りです。

投稿: スリーパー | 2013年12月 6日 (金) 09時28分

スリーパーさん、わたしも毎年忘れてしまうのです、この日を。
今年は、うまく行きました。

シュナ爺と神奈川フィルのモツレクは、わたしも聴けてません。
小田原でやったといのが嘘みたいな話ですね。
いまや伝説級。

投稿: yokochan | 2013年12月 7日 (土) 10時10分

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