ワーグナー 「パルシファル」 クナッパーツブッシュ指揮
メッセージキャンドル。
ナビオス横浜にて。
今年もあと2日。
わたくしの大好きなオペラ作曲家3人、ワーグナー、ヴェルディ、ブリテンのアニヴァーサリー・イヤーでした。
ともかくたくさん聴きました。
ブリテンは、全部のオペラを聴き終えましたし、ワーグナーは、もう何度もやってる全曲チクルスの最終が本日。
でもヴェルディは、初聴きのものが多く、途中までで断念。
全作揃えましたので、この企画はゆっくり継続します。
そこでワーグナー最終、「パルシファル」は、あまりにも永遠すぎる定番でまいります。
舞台神聖祭典劇 「パルシファル」
アンフォルタス:ジョージ・ロンドン ティトゥレル:マッティ・タルヴェラ
グルネマンツ:ハンス・ホッター パルシファル:ジェス・トーマス
クリングゾル:グスタフ・ナイトリンガー クンドリー:イレーネ・ダリス
聖杯守護の騎士:ニールス・メーラー、 ゲルト・ニーンシュテット
小姓:ソーニャ・セルヴィナ、ウルゼラ・ベーゼ
ゲルハルト・シュトルツェ、 ゲオルク・パスクーダ
花の乙女:グンドラ・ヤノヴィッツ、アニヤ・シリア
エルセ・マルグレーテ・ガルデッリ、ドロテア・ジーベルト
リタ・バルトス、ソーニャ・セルヴィナ
アルト独唱:ウルズラ・ベーゼ
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団
合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
演出:ヴィーラント・ワーグナー
(1962.7、8 @バイロイト)
ワーグナー・イヤーの最終に相応しい歴史的孤高の名演。
ワーグナー好きが、ブログをやって、そのワーグナーをメインテーマのひとつにしながら、これまであえて取り上げてこなかったこの名盤。
もう、あらゆる人々が賛辞を尽くし、書き尽してるから、わたしには何も付けくわえることはありません。
「パルシファル」、いや、ワーグナー演奏の最高峰にあると思っているから、そして大切な演奏だから、むやみやたらと言葉にできないと思ってきました。
作品が神々しい「パルシファル」だから、ということもあると思います。
同じレヴェルで、自分にとってワーグナー道を定めてくれた「ベームのリング」は、このブログでも、ことあるごとに取り上げ、称賛してきました。
舞台神聖祭典劇と、ワーグナー自ら題したこのカテゴリー。
楽劇は、いくつかあれど、このカテゴリーは、パルシファルが唯一のもの。
いまでこそ、この神聖性を、バイロイト自らが崩壊させ、それこそ、あえてそうしたかのようにメチャクチャにしてしまった。
他劇場に遅れての、この崩壊劇への参入でありましたが、バイロイトまでが、それに加担してしまうとは、あまりにショックだった。
G・フリードリヒは、まだまだ健全なもので、あらゆる神々を登場させ、アフリカの土着宗教までもそこにあったし、腐乱したウサギの映像までも見せつけた、くそみたいな故シュルゲンジーフの演出には、はらわたが煮えくりかえるような怒りと失望を覚えたものだった。
その後のことは、もう皆さんご存知のとおり。
この聖なる祭典劇は、すっかり普通の劇作品と同レヴェルになりはてて、カジュアルな存在になってしまった。
バイロイトだけが、パルシファルを上演できるという、作曲者というより、あとを継いだコジマが引いた特権も切れたあとは、欧米各地に、パルシファル熱が広まった。
それはある意味、キリスト教に根差したこの作品への、世紀末後の、人々の渇望のあらわれだったかもしれない。
しかし、それでも、この作品の「聖」なる部分は尊重されたし、せめて1幕のあとは拍手をしないという慣習が生まれ、それは長らく守られていったのであります。
わたくしが、「パルシファル」という作品にまず馴染んでいったのは、ごたぶんにもれず、NHKFMのバイロイト放送から。
かつての昔から、年末バイロイト放送は定番で、「パルシファル」だけは、春のイースターの日曜日に放送するのが、習わしとなってました。
そうした頃、中学生の頃に必死に録音して聴いたのがヨッフムの指揮。
同時に、オペラアワーで放送された、ショルティのレコード。
そんなわけで、春先のパルシファルは、ずっと恒例で、唯一放送されなかったのが、エッシェンバッハのパルシファル。
1年で降板してしまったけれど、わたくしは、NHKに電話して、何故放送しないんだ、と抗議した覚えがあります。
こうした、一定のひとつの決まりごとたちに、絢どられた、わたしにとっての「パルシファル」。
それを、唯一、繋ぎとめてきている存在の音源が、このクナッパーツブッシュ盤だからこそ、めったやたらと手にするこはしない。
以上のような思いが、たっぷりつまった「パルシファル」の真性なる、姿を写し出す神のような存在のレコードを、手にしたのは、ちょっと遅れて高校卒業の頃でしょうか。
歌手も、その録音の素晴らしさも含めて、それを束ねるクナッパーツブッシュの神々しさに圧倒され、ひれ伏すようにして、何度も何度も聴きました。
大づかみな指揮と思われがちですが、クナの指揮するパルシファルは、場面ごとに、微細に色合いを変え、変化してゆく、いくつもの小川のような繊細で美しい流れが、それが、束ねられ、やがて大河となって、聴く者、歌うもの、弾くものを圧倒してしまうという魔力を秘めているのです。
このような大きくて、そして細やかなワーグナーの演奏を前にすると、昨今のバイロイトのちまちました効果だけの、そしてなによりも、いまある過剰な演出を後追いしてなぞるような演奏が、屁みたいにして聴こえる。
それは、それ、現在の演奏の流れからしたら、当たり前に聴こえるそれらのワーグナー演奏を、完全にうっちゃってしまう巨大な威力がここにありました。
いまは、ティーレマンにこそ、その残滓を見る思いだ。
加えて、1951年の戦後のバイロイト音楽祭再開の、記念すべき初期演出としての、ヴィーラント・ワーグナーの舞台。
予算もなかったこともあるが、簡潔な舞台装置と、日本の能を思わせるような、動きの少ない心理描写に基づく象徴的な演出は、ワーグナーの音楽に集中させることによって、本来、雄弁すぎるその音楽の魅力をさらに引き出し、観客をかえって舞台に集中させる効果があった。
当然に、わたくしは、その舞台を観たことありませんが、幸い映像の断片や、トリスタンの大阪上演も一部残されてます。
タイムマシンがあれば、往年の大歌手と、クナやベームの指揮とともに、黄金期のバイロイトにワープしてみたいものです。
51年から、73年まで、実に22年も続いたそのヴィーラント演出。
亡くなるまで、そのほとんどを指揮したクナッパーツブッシュ。
完全に表裏一体の間柄です。
歌手陣に関しては、100%と言い難いけれど(ダリスのクンドリーと、ロンドンのアンフォルタスは、わたくしはあまり好きじゃありません)、フィリップスの雰囲気豊かな録音は、いまもって素晴らしいです。
とても50年前のものとは思えません。
なんたって、ホッターの滋味あふれるグルネマンツが素晴らしい。
言葉ひとつひとつの重みと、含蓄、深みとコクのある声。
リートの世界にも通じるものを感じます。
あと、トーマスの気品あるパルシファル。
いまのヘルデンたちに欠けているもの、そのすべてを持ってました。
そして、ナイトリンガーのクリングゾールの、なりきりぶりの鮮やかさ。
この人は、アルベリヒでも、クングゾールでも、テルラムントでも、はたまたザックスでも、その役に完全になりきってしまう凄さがありました。
完全、べた誉めの最終章。
どなたも、こればかりは、お許しいただけると思います。
誰も不可侵のクナッパーツブッシュの「パルシファル」なのですから。
何度聴いても、聖金曜日の音楽のシーン、そして、パルシファルから洗礼を受け、はらはらと涙を流すクンドリーのシーンを、そして野辺に咲くとりどりの花の美しさを思うと泣けてくる。
ワーグナーの書いた、もっとも美しく感動的な音楽のひとつといっていいでしょう。
わたしがいつか眠りにつくときに、この音源は、棺に入れてもらい、ともに旅立ちたいもののひとつであります。
家人よ、よく覚えておいて欲しい。
ワーグナー生誕200年の最後に。
パルシファル 過去記事
「飯守泰次郎 東京シティフィル オーケストラルオペラ」
「クナッパーツブッシュ バイロイト1958」
「バイロイト2005 FM放送を聴いて ブーレーズ」
「アバド ベリリンフィル オーケストラ抜粋」
「エッシェンバッハ パルシファル第3幕」
「ショルティ ウィーン・フィル」
「バイロイト2006 FM放送を聴いて ブーレーズ」
「クナッパーツブッシュ バイロイト1956」
「クナッパーツブッシュ バイロイト1960」
「クナッパーツブッシュ バイロイト1964」
「レヴァイン バイロイト1985」
「バイロイト2008の上演をネットで確認 ガッティ」
「ホルスト・シュタインを偲んで」
「エド・デ・ワールト オーケストラ版」
「あらかわバイロイト2009」
「ハイティンク チューリヒ」
「シルマー NHK交響楽団 2010」
「ヨッフム バイロイト1971」
「アバド ベルリンフィル 2001」
「トスカニーニ 聖金曜日の音楽」
「ジョルダン バイロイト2012」
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コメント
Parsifal
自分の耳に一番素直に入ってくるのが、J・レヴァイン/バイロイトのCDです。これを聞いて。
1989年のウィーンの来日公演、ハインリヒ・ホルライザー指揮ルネ・コロ、F・グルントへーバー、Evaラントヴァを聴いたら何か感動しなかった、大学時代とそのバブル期。
1992年のMETのDVD化している’Parsifal’観に行こうか迷って、結局、パリ・ロンドン・ウィーンになった卒業旅行。
今、一番素直に演出面で、受止めているのが、東京二期会で取り上げたクラウス・グートの演出。観た先は、ZurichでD・Gattiの指揮。
D.Ettingerが音楽監督のドイツ・マンハイムのオペラハウスみたいに未だに1950年代の演出が残っている劇場の’Parsifal'が今は観たい。
投稿: T.T | 2013年12月31日 (火) 14時29分
今晩は。ブリテン・オペラ全作品制覇お疲れ様でした。ヴェルディ全オペラ制覇がならなかったのは残念でしたが、全作品の音源をお揃えになったのはさすがですね。パルシファルは私も単に好きな作品なんてものじゃなくて西洋音楽史上もっとも偉大な作品の一つだと思っています。中学生時代にクレンペラーの指揮した第1幕への前奏曲を聴いて感銘を受け、大学時代にカラヤンの全曲盤を、大学卒業後にレヴァイン&メトのDVDを買って観聴きしたのですが、長くて近寄りがたい作品だと思っていました。それがケーゲルの印象派音楽のような快速新鮮なパルシファルを聴き、オジサンになってやっとこの作品の偉大さ、素晴らしさ、崇高さに目覚めました。その後レーンホフ演出・ナガノ指揮のDVDに圧倒され、その後は、パルシファルがリングと並んでいちばん好きなワーグナー作品になりました。クナ62年はもちろん、レヴァイン(バイロイト)、ブーレーズ、ショルティ、シュタイン(バイロイトDVD)などを鑑賞し、カラヤンやレヴァイン・メトのDVDも再評価するようになりました。クラヲタの常で好きな作品や作曲家について語りだすとこんな風に止まらなくなってしまいます(笑)。クナは本当に偉大な演奏で、それに比べると小粒かもしれませんが、パルシファルの偉大さを教えてくれたケーゲル盤には本当に感謝です。今年も私の愚痴やカッコつけた知のひけらかしや恋話や持病の話にまで付き合ってくださったブログ主様にも本当に感謝です。有難うございました。
投稿: 越後のオックス | 2013年12月31日 (火) 18時50分
T.T さん、こんばんは。
レヴァイン盤は、メット盤も含めて両方聴いてますが、ホフマンの魅力もあって、圧倒的にバイロイトですね。
あとは、歌手の魅力で、ショルティ。
ウィーンの来日公演は、わたくしも観劇しました。
NHKホールに響き渡るコロの朗々たる声に感激。
二期会のグート版は見過ごしました。残念です。
でも、なんですよ、マンハイムは、そんな古い演出をいまだに。
見ることはあたいませんが、ありがたい話ですね。
さて、ことしはお世話になりました。
来年もまたよろしくお願いいたします。
投稿: yokochan | 2013年12月31日 (火) 23時10分
越後のオックスさん、こんばんは。
ことしも終わりですね。
いつもご覧いただいて、ありがとうございます。
貴ブログも開始元年でしたね。
たくさんの文学作品を読破されていて、頭が下がる思いです。
けーゲルのパルシファルは、まだ記事にしてませんが、わたくしも聴いてますよ。
コロとアダムの共演が嬉しいところですし、快速調も悪くありません。
東側で、ケーゲルのようなスタイルがあったことが、ドレスデンと逆のようでいて、とても面白いところです。
何度も、同じことを書いてばかりですが、それもワーグナー好きゆえです。
来年も、懲りずに今度は、シュトラウスをメインに据えて更新していこうと思ってますので、またどうぞ、よろしくお付き合いください。
投稿: yokochan | 2013年12月31日 (火) 23時18分
こちらにも。往年だとパルジファルを演じたラモン・ヴィナイが乗り切れていない印象がありますが、クレメンス・クラウスが最初で最後のバイロイトでパルジファルを振った1953年が個人的には好印象でした。冒頭の1stヴァイオリンのポルタメントのかけ方は、完全にヴィーン訛りしていますね。この頃から60年代はヴィーンフィルからの選抜が最も多かったようで。意外や意外で、ベームのリングイヤーは、シュターツカペレ・ドレスデン主体でヴィーンフィルの比重は下がり始めていたとのこと。アンフォルタス、クンドリー、クリングゾールの闇や混沌、花の乙女のエロスの表出は、歴代屈指と感じました。明快ながら光はショルティに、暗部・エロスはクレメンス・クラウスが長け、甲乙つけがたいですね。
ラモン・ヴィナイが演じたパルジファルだと、クナ1956バイロイトが音質を除けば、アインザッツもクナのライブとしてかなりあっていて買うかもしれません。このステレオ録音はオペラ対訳プロジェクトの3幕だけ聴きましたが、終幕は歌うタイミングでいきなり遅くなるので、ジェス・トーマスがよくついてこれたなというのが印象に残っています。それでも、最初が合わずですが、ここでのジェスは素晴らしい歌ですね。メルヒオールも、オーマンディ、フィラデルフィアで歌っていてそちらもメルヒオールの美声が堪能できてよかったですが、私の好みは、コロ、ホフマン、ジェスの順ですね。
投稿: Kasshini | 2015年5月13日 (水) 15時20分
当盤はクナ没50周年を記念しての今年のタワレコ復刻盤にて聴きました。51年盤はまだ未聴です。
ダリスのクンドリーは前年の初出演の方が好印象です。第2幕終盤がスタミナ切れ、ピーキーにならずですので。
今まで聞いた中で色香では、ベートーヴェン以降はヴィーナー・ヴァルツ以外官能音楽に変えかねないクレメンス・クラウス53年のマルタ・メードルが。それ以外のクンドリーの多面性ではショルティ盤のクリスタ・ルートヴィッヒがベストと感じています。
ジェス・トーマスも61年盤の方が好印象です。というのは、アインザッツが大きくずれている場所がピークを含む前後でないという奇跡的演奏であることと、62年盤だとラスト伴奏が1小節ほどフライングスタートするというズッコケもなし。最後の合唱も合唱の音量の録音バランスを除けば見事で、最後のソプラノコーラスの昇天するさまは、ショルティ盤とカラヤン盤と同等以上かなと感じています。ジョージ・ロンドンは62年盤の方がいいです。ハンス・ホッターは61年盤の方が乱れ少なしで好印象でした。
youtubeでも全曲聴けるので聴いた感想ではバイロイトの1961年はこれが正規かつステレオだったらと思うクオリティです。
https://www.youtube.com/watch?v=0xvqDXuVYuc
https://www.youtube.com/watch?v=1o5Wggbwf88
https://www.youtube.com/watch?v=fn3uPR0gpqI
前年と比較すると、アンサンブルが思うところがありでますが、youtubeにある対訳プロジェクトの対訳を見ながら、聖金曜日の奇跡と最終盤のアンフォルタスの独白と無慈悲な聖杯騎士団の合唱を聴いて目がウルウルした記憶は忘れられません。今現実生活で葛藤している内容がアンフォルタスに近いこともあり、聴くたびにハンドルブレブレのシンクロ率100%だったりします。カラヤンそして、カール・ムック、ベームの流れを継ぐ、ケーゲルと映像は買わなくてもいいかなと思っていますが、CDのコンプリートが遠い目です。
投稿: Kasshini | 2015年6月10日 (水) 11時48分
Kasshiniさん、こんにちは。
パルシファルに関する一連の充実コメントを、たくさん頂戴し、ありがとうございました。
パルシファルは、聴けば聴くほどに、ドラマとその音楽の魅力が汲めども尽きません。
この先の人生、何度聴けるかわかりませんし、いまは、時間も少なく、部分聴きしかできませんが、あらゆる人間の心のあり方を写し出したようなこの作品、大切にしてまいりたいと思っております。
投稿: yokochan | 2015年6月14日 (日) 21時43分