モーツァルト 「リンツ」・「プラハ」 アンチェル&ドレスデン
丸の内のブルックス・ブラザースのショーウィンドウ。
アメリカン・トラディショナルは、わたくしの学生時代の花形ファッションでした。
在学中に近くにオープンした、初の直営店舗は、どきどきしながらの買物でした。
いまほど高級ブランドじゃなかったし、女子は、ハマトラで、男子はアメトラで、なんだか今思うと懐かしいほどに律儀だったな。
同時に、西海岸の軽いポップなAORとともに、サーファー風のファッションも湘南発ではやりましたな。
いまとはまったく違う風貌のワタクシも、そのどちらも中途半端にマネするひよっこでしたよ。
社会人後は、1年は我慢して、トラッド専門。
Jプレスばかり、ボタンダウン、ブレザーばかりでしたな・・・。
誰しもありますね、こんな時期や時代が。
いまでは、ジーンズと汚いトレーナーはまだいい方で、ジャージで近所のスーパーで豆腐や納豆を買いに行く、そこらのオッサンになりはてておりますがなぁ。
モーツァルト 交響曲第36番 ハ長調 「リンツ」
交響曲第38番 ニ長調 「プラーハ」
カレル・アンチェル指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
(1959.6 @ドレスデン)
実に珍しい組み合わせです。
チェコの指揮者として、この耳で聴ける歴代の大家としては、ターリヒに続いて思い起こされるカレル・アンチェル(1903~1973)。
そのあとには、クーベリックは先達として別格として、スメターチェク、ノイマン、コシュラー、コウト、ビエロフラーヴェク、ペシェク・・・と代々続くわけで、ふだんはあまり意識はしないけど、チェコの指揮者たちの系譜というのは、超大物はいないかわりに、名匠のがつく、ほんとうに優れた指揮者たちの宝庫なのであります。
同時に、われわれ日本にも、とても馴染みのある指揮者ばかり。
アンチェルが日本にやってきたのは、1959年で、よくいわれるようにその頃は、戦後日本が、文化面でも急速な立ち上がりを示し、欧米の著名オケやオペラ、演奏家が多数来日するようになった時勢です。
この年、同時に、カラヤンがウィーンフィルと来演して、ベートーヴェンやブラームスをメインに演奏しましたが、アンチェルとチェコフィルも新世界をメインに、チィコフスキーやベートーヴェン、ブラームスを引っ提げて、全国津々浦々演奏してまわり、アンチェルとチェコフィルの名を、日本人にしっかりと植えつけていったのでございます。
ユダヤの血を引いていたがゆえに、第二次大戦中は収容所送りながら、生きながらえて、チェコの楽壇で活躍。
チェコフィルの指揮者に復帰して活躍すれど、68年のプラハの春に伴うソ連を中心としたの軍事進攻により、アンチェルは祖国に帰ることがなく、そのままカナダにとどまり、トロントのオーケストラを指揮して、そのあとの短い活動をおこなった。
ナチスドイツ亡きあと、ヨーロッパ周辺国は、東西にわかれた陣容となったが、政治は抜きに、東西ドイツは文化が一体なので、その交流は、ソ連ほどの厳しさはなく、いまにして聴かれる豊かな歴史的な音楽の恵みも多々残されました。
東&東の交流ですが、チェコの名指揮者アンチェルが、東ドイツのドレスデン・シュターツカペレを指揮したこの1枚は、イデオロギーは関係なくお互い眼中になく、音楽家同士が、一期一会的にぶつかり合った、鮮烈な記憶として聴くことができます。
モノラルのスタジオ録音。
鮮明で、レコードならではの、暖かさも感じさせる音色をそのまま復刻。
リンツとプラハという、ヨーロッパ中世都市の名前を冠した交響曲の組み合わせは、あるようで少なく、モーツァルトを演奏させたらかつては世界一だったドレスデンならではの、意外なほどに充実した重低音を背景にした、音の丸みとまろやかさが、とても耳になじみやすい。
思いのほか、モダンな嗜好をもったアンチェルの爽快でキビキビした指揮も、思えば、この指揮者の新世界はそんな感じだった、と思い起こさせる立ち上がりのよい、キリリと引き締まったモーツァルトになってます。
大型の音楽を造ることのない、小回りのきく機敏な指揮者ではなかったのでしょうか、アンチェルさん。
アンチェルの芸風、「新世界」と「わが祖国」しか聴いてなかった自分には、驚きの小股の切れあがりぶりを見せつけてくれました。
貴重なコンビの、貴重な演奏を復刻してくれたのは、まいどお世話になります、大阪のEINSATAZさんです。
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コメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
投稿: 履歴書の封筒 | 2014年8月24日 (日) 09時19分