R・シュトラウス 「ばらの騎士」 クライバー指揮
もう大昔ですが、唯一のウィーン訪問で購入した「銀のばら」。
R・シュトラウスの「ばらの騎士」を、ずっと愛し、憧れをもってきた自分にとって、ツアーとはいえ、ウィーン訪問は、頭の中に、この曲のワルツが響き、タイミングさえ合えば、シュターツオーパーでこのオペラを観てやろうと意気込んでいました。
しかし、現地での演目は、このとき、「セビリアの理髪師」でして、やむなく、フォルクスオーパーの「魔笛」を観劇しました。
以前にも書きましたが再度。
マリアヒルファーシュトラーセだったか、お洒落な雑貨店のショーウィンドウにあった、このバラ。
躊躇なく店内に入ると、こちらの箱入りの高級そうな1品以外にも、「銀のばら」が花瓶にたくさん入って売られている。
よしこれだ、とばかりに、ショーウィンドウ内の「銀のばら」を下さい、と、お店のおばさんに、言うのだけれど、全然通じない。
「Silver Roses」とかなんとか言ってるのに、結局は連れていって、指差し確認。
そんなこんなで、自分用に、この一品と、親族への土産に、花瓶の中に安い方を数本。
わたくしの、「銀のばら」は、こうしてまだ健在ですが、お土産にした安い方は、銀のメッキ塗装がすっかり剥がれ落ち、憐れな枯れすぼんだ安プラのバラのようになり果ててしまっております。
(バーンスタイン盤、一番好きなジャケット)
18世紀、モーツァルトの頃のウィーンが舞台の「ばらの騎士」の中で、貴族が婚姻のしるしに、相応の使者を立てて相手の女性に「銀のばら」を贈るというシーンが描かれていることから、「銀のばら」は、このオペラの象徴のようにして、レコードジャケットや公演パンフレットに描かれております。
それを当時の風習と信じこんでおりましたが、それは、作者ホフマンスタールのまったくの創作なのでありまして、ウィーンの人々たちも、こちらが「銀のばら」と騒いでも、何それ?的な反応だったのでありますね。
今日は、映像にて、クライバーの最初の映像を。
そして、次週は、神奈川フィルが、ウィーンっ子指揮者ゲッツェルを迎えて組曲を演奏します。
首席客演指揮者としての披露定期と翌日の名曲シリーズであります。
ブラームス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲
Vn:石田 泰尚 Vc:山本 裕康
ワーグナー 「タンホイザー」序曲
R・シュトラウス 「ばらの騎士」組曲
サッシャ・ゲッツェル指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(2004年1月25日(土) 14:00 みなとみらいホール
1月26日(日) 14:00 ミューザ川崎)
R・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」
元帥夫人 :グィネス・ジョーンズ オクタヴィアン:ブリギッテ・ファスベンダー
ゾフィー :ルチア・ポップ オックス男爵:マンフレート・ユングヴィルト
ファーニナル:ベンノ・クッシェ マリアンネ:アンネリーゼ・ヴァース
ヴァルツァッキ:デイヴィット・ソー アンニーナ:グードルン・ヴェヴェツォー
警官:アルブレヒト・ペーター 家令:ゲオルク・パスクーダ
テノール歌手:フランシスコ・アライサ
カルロス・クライバー 指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団
演出:オットー・シェンク
(79.5,6 @バイエルン国立歌劇場、ミュンヘン)
これまで、いくつも記事にしてきた「ばらの騎士」。
音源も舞台体験も多い、わたくしの最愛のオペラのひとつですから。
いままで書いてきたことと、一部重複しますが、今日はまとめてみました。
まず、有名すぎるので、まったく触れてなかったあらすじを、簡略に。
18世紀、マリア・テレジア時代のハプスプルグ家治下のウィーン、貴族社会が舞台。
第1幕 元帥夫人(32歳)が、若き騎士オクタヴィアン(17歳)と朝からじゃれあっている。
そこへ、騒々しくやってきたのは、夫人の従兄オックス男爵(35歳)。
オクタヴィアンは、慌てて隠れて女中マリアンデルに変装。
好きものの男爵は、この女中に目を付けてちょっかいを出すが、来訪の目的は、婚約が決まった商売人ファーニナル家へ、「銀のばら」を届ける使者を紹介して欲しいというもの。
元帥の館には、物売りや髪結い、歌手、司法書士などがやってきて喧しい。
男爵は、司法書士に婚約の持参金を先方から取るように異例にも指示、財産目当ての下衆っぷり。
元帥夫人は、鏡に映る自分を見て嘆息し、皆を下がらせ、いまの喧騒と男爵の無尽ぶりを嘆き、そして、オクタヴィアンがやがて自分の元から去ることを思い、心を沈ませてゆく。
オクタヴィアンが戻るが、夫人は別れを予見して、時間の経過を疎ましく歌い、哀しげに今日は去りなさいと命じる。立ち去るオクタヴィアンに、「銀のばら」を小姓を通じて託す。
第2幕 ファーニナル家では、ばらの使者と、そのあとの婿の到着に浮足立っている。
輝かしく「銀のばら」を手に登場するオクタヴィアンに、ファーニナル家の一人娘ゾフィー(16歳)。
口上の後、ふたりは見つめって、お互いの気持ちを確かめあう。
やがて父に伴われてやってきた婿殿オックスに、がっかりのゾフィー。
当主を始め、家中のものが貴族の栄誉に欲したいのでちやほやするなか、オックスは、ゾフィーをもの扱いで、下品このうえなく、彼女は露骨に嫌がり、オクタヴィアンはやきもきする。
男爵の連れてきた取り巻きが、家中で大騒ぎ、さらに事務手続きで席を外した父と男爵。ふたりきりとなった若い二人は、自分がきっと守ると、気持ちを通じ合わせる。
それを盗み見たヴァルヴァツキとアンニーナは、現場を取り押さえ、オックスを呼ぶ。
やってきたオックスは、またもや暴弱無尽。
ついにオクタヴィアンは剣を抜き、オックスの腕にかすり傷を負わせるも、情けない男爵は大騒ぎ。
部屋にこもるゾフィーと、ファーニナルに帰還を命じられたオクタヴィアン。
彼は一計を案じ、ヴァルヴァツキとアンニーナを金払いの悪い男爵から寝返らせ、女装したマリアンデルからの手紙を待たせる。
恋文と思いこんだオックスは、怪我もどこ吹く風、有頂天になってワルツを歌う。
第3幕 オクタヴィアンの計略にはまって、ベッドのある、いかがわしい居酒屋を準備したオックス。ここでも、楽師や、給仕たちを帰らせるという徹底したせこさぶり。
マリアンデルをくどきにかかるが、彼女(彼)は、酔ったふりをして泣き上戸を演じ、困らせたあげく、部屋のあちこちに仕込んだお化けや幻影をちらつかせ、オックスを当惑させる。
さらに、アンニーナ演じる、元妻が、子供たちを引き連れて、パパ、パパと騒ぎたてる。
この大騒ぎに、警官を呼ぶオックスだが、悪いことに貴族の鬘も脱いでしまい、自分のやましい立場を否定する証拠もなく、ついには、オクタヴィアンの計略通りに、ファーニナルとゾフィーまでもがあらわれ、マリアンデルを婚約者と称する男爵も八方ふさがりに。
そこへ、元帥夫人があたりを打ち払うように、神々しく登場。
予期せぬことに慌てるオクタヴィアン、喜ぶ男爵。
兼ねて知ったる警部を、すべてを含ませて帰したあと、男爵には、ものにはすべて終わりがある、諦めなさいと諭し、男爵は二人の関係を悟り、未練たっぷりながら、最後は威勢よく大勢を引き連れて賑やかに出て行く。
残された3人、三様。
ショックを隠せないゾフィーと、元帥夫人との間で、立場を決めかねるオクタヴィアンの背中を押す元帥夫人も悲しみは隠せない。
絶美の三重唱が歌われ、元帥夫人は、失墜した信用を引き立てるため、元帥夫人の馬車で4人で帰宅しましょうと提案し、ファーニナルを伴い出てゆき、残された二人は抱き合って愛を喜びあい、やがて後を追う。
ゾフィーが落としたハンカチが舞台に1枚。
小姓モハメドが、それを拾い、小走りに出てゆくところで幕。
15作あるシュトラウスのオペラの、5作目。
ワーグナーの完全影響下にあった初期1作目「グンドラム」。
ジングシュピール、フンパーディンク風の2作目「火の欠乏」。
世紀末風で、過激な和声や不協和音も取り入れた、当時の前衛作「サロメ」と「エレクトラ」の第3,4作。
エレクトラに続いて、わずか2年後の1910年に書かれた「ばらの騎士」は、以前の古代の歴史絵巻から、18世紀に時代を移し、しかも、音楽は、軽やかで透明感あふれるモーツァルトを意識した世界へ。
自身も、台本作者のホフマンスタールとの膨大な往復書簡で述べているように、「フィガロの結婚」を前提として書いていて、女性が完全に主役。
ズボン役のケルビーノに対するオクタヴィアン(女声による男性役を多く書いたのもシュトラウスで、ほかに、アリアドネの作曲家とアラベラのズデンカがあります)
ちなみに、「魔笛」を前提においたのが、後年の「影のない女」でもあります。
ホフマンスタールからの書簡では、メロディによる台本の拘束は、モーツァルト的なものとして好ましく、我慢しがたいワーグナー流の際限のない、愛の咆哮からの離脱を見る思い、だと書いてます。
このように、シュトラウスはこの台本に熱中し、台本の完成より先に作曲を進めてしまいました。
作曲者と台本作者との、思惑の完全一致作業であるところが、「ばらの騎士」(実際はエレクトラだが、そちらは既製品の台本)以降、始まるホフマンスタールとの幸せな仕事なのでした。
モーツァルトの時代には存在すらしなかったワルツを、このオペラに用いるように進言したのもホフマンスタールで、その初演が聴衆を熱狂させたように、知識階級や上流階級の世界のものだったオペラの垣根を下げて、一般大衆をも引きこんだことは、ホフマンスタールの劇場人としての思いの賜物でもあります。
しかし、その音楽はモーツァルト風なわけではなく、シュトラウスならではの、甘味で、煌びやかな、耳馴染みのいいゴージャスサウンドなのであります。
後々、10のオペラ作品に共通するものでありますが、そこに常にあるのは、緻密な作風と、陰りの少ない健康的で明朗、そしてさわやかな諦念であります。
以前読んだ本に、サヴァリッシュのシュトラウス協会での講演のものがありました。
そこでは、サヴァリッシュ教授は、シュトラウスの緻密な調性選択ということに触れ、恋愛の関係にはホ長調、その感情がすこしほつれたり、覚めたりすると他の調へ変転。
(元帥夫人の1幕の場面や、その最後の心の揺れ動きの場面)
明るく、呑気な場面では、ヘ長調(ティルや家庭交響曲)。
不愉快さや、不安さを、ホ短調(1幕の元帥夫人のモノローグ)。
夢見るような陶酔的な場面では、変イ長調(ドン・ファン、カプリッチョ月光の音楽)・・・などと一例をあげておりました。
そんな風に、登場人物にも、その人物たちの心の機微にも、巧みに調性とその転調が用いられ、シュトラウスを多く聴いてくると、不思議とシュトラウスの音楽の持つ繊細緻密な網目に、耳と心がすくい取られて行くようになって、いつしかそのパターンにハマってしまうようになるのです。
ワーグナーの強引なまでの有無を言わせない魔力とは違った、知らず知らずのうちに、そのお馴染みのパターンに引き込まれて陶酔郷に導かれるシュトラウスの魔性とも言えるでしょうか。
それから、このオペラの主役は誰でしょうか。
ホフマンスタールは、「オックス・レルヒナウと銀のばら」と当初は考え、シュトラウスも喜劇的な要素も強いことを意識して、「オックス」などと発言しておりました。
それが完成してみると、その全貌から、音楽のための喜劇「ばらの騎士」というように名づけられました。
全貌を見た場合に、パーフェクトなタイトルなことに間違いありません。
「オックス」じゃなくってほんとうによかった。
しかし、オックスは、全体を通して登場比率が高く、歌にも多くのものが振り当てられてますから、主役のひとりと言ってもいいでしょう。
お下劣で、小心、下衆っぽいけど、最後は豪放に、憎めない存在となる。
そして、劇場のカーテンコールでは、最後に登場の主役となっているのは、騎士たるオクタヴィアン。
彼女(彼)も、すべての幕に登場。
彼を巡って、男も女も恋の感情に揺れ動くわけだし、当然でしょうね。
こんな美味しい役はありませんが、ものすごく難しい役柄で、宝塚チックなお姿であれば満点ですな。
でも、わたしには、もうひとりの主役、元帥夫人~マルシャリンと呼んだ方がいい~の存在が一番好きです。
オペラの開始では、火遊びに身を任せ、喜びの中に溺れていたのに、髪を整え手鏡を覗きこんだ瞬間に自覚してしまった「時間」というものの残酷さ。
性を問わず、人間、歳を経てくると、ある時、そんな思いに突然捉われて、アンニュイになってしまうことが何度もある。
1幕の後半で、急変するマルシャリンの存在が、共感も伴い、素敵すぎるのです。
「今日か、明日かは知らないけれど、あなたは去って行く。別の人のために・・・、わたしよりもっと若く、もっと美しい人のために・・・・。」
この予感がそのままに的中し、3幕では、愛した若いオクタヴィアンの背中を押して、新しい愛へと踏み出させるのです。
「いつか来ると思っていた、でも、こんなに早く来ようとはまったく思っていなかったわ」
身を引くことの美しさと哀しさ。
舞台から去るマルシャリンの後ろ姿に、いつも涙を禁じ得ないのです。
準主役ゾフィーは、これはもうお嬢様で、お人形さん。
でも意志をはっきり表明するところは偉い。
同じ親の都合で嫁がされる、マイスタージンガーのエヴァとも共通している役柄。
そして、「マイスタージンガー」と「ばらの騎士」は、登場人物の対比とハッピーエンドぶりがよく似ております。
このように、観る側によっての共感度合いも、さまざまなところが、このオペラの優れたところでしょうか。
わたしの好きな場面は、
・1幕後半のマルシャリンのモノローグ。
・2幕前半のオクタヴィアンとゾフィーの人目を忍んでの愛らしい二重唱
・3幕最後の3重唱~大騒ぎで、オックスご一行が去ったあと、急激に雰囲気が変わり、精妙で感動的な音楽にうって変わる、この場面は神業に等しい。
そして、エンディングのお洒落で洒脱なことといったら!
まだまだ思うことたくさん。
でも長くなりますので、またいずれの機会に。
本日の映像は、ミュンヘンの毎年の風物詩だった、クライバーの指揮、写実的なシェンクの演出による79年の名舞台。
歌手もほぼ固定され、完璧に出来上がったチームだった。
72年の新演出で、翌73年のライブは、CD化されてますし、74年には、日本でも来日上演が行われてます。
マルシャリンは、ワトソンから、ジョーンズ、やがてポップへと引き継がれ、オックスは、ユングヴィルト、リッダーブッシュ、モルという変遷ですが、ほかの歌手はほぼ固定。
一番最良の時期に映像が残されて嬉しいです。
ジョーンズの気品あるデイムとしてのマルシャリンは、わたくしには最高です。
この頃、バイロイトでシェロー=ブーレーズのブリュンヒルデを歌っていた彼女。
素敵すぎます。
ファスベンダーのザ・オクタヴィアンは、もうそのもの、完璧。
同様に、ちょっと丸っこくなったポップの繊細で鈴の音のようなゾフィーも素敵。
彼女は、ゾフィーからマルシャリンに成長していったし、思えばジョーンズもオクタヴィアンまで歌い、そしてマルシャリンに
ユングヴィルトは、演技はいいが、歌にもう少し個性とそのバスの深みが欲しいけど、贅沢かな。
ちなみに、若きアライサがイタリア歌手。
そしてカルロス・クライバー!
何度も言うが、最高!
94年のウィーン盤よりも、ハツラツとしていて、音楽の弾み方がこちらの方がよろしい。
ピットの中で、嬉しそうに、腕をぐるぐる振り回している指揮姿も楽しい。
クライバー指揮するオーケストラは、舞台で起きている出来事や、人物の心情を抉るように、時には寄り添うように、千変万化して鳴り響いていて、耳が離せません。
音だけで聴いてもよろしい。
ソフトフォーカスな映像にそろそろ手を入れてもいのでは?
過去記事 劇場編
「新国立歌劇場公演 P・シュナイダー指揮」
「チューリヒ歌劇場公演 W・メスト指揮」
「ドレスデン国立歌劇場公演 F・ルイージ指揮」
「神奈川県民ホール公演 沼尻竜典指揮」
「新日本フィルハーモニー公演 アルミンク指揮」
過去記事 音源編
「ばらの騎士」~抜粋 ヴァルヴィーゾ指揮
「ばらの騎士」 ドホナーニ指揮
「ばらの騎士」~ワルツ ワルベルク指揮
「ばらの騎士」 クライバー指揮
「ばらの騎士」 ハイライト デルネッシュ
「ばらの騎士」~組曲 ヤンソンス指揮
「ばらの騎士」 ビシュコフ指揮
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コメント
絶対に入れてくるとは予想してましたが、めちゃくちゃ早い登場でしたね、「ばらの騎士」。舞台上演を体験すると、どうしても身体の中でむずむずして、また観たくなる“危険なクスリ”のようなオペラであります。
僕も第1幕最後の場面と第3幕の3人の重唱場面ですね。後はオックスがワルツに乗って歌う場面かな?
yokochanさんの記事と、シュヴァーネヴィルムスがマルシャリンを歌う2014-15新国のシーズン。1シーズン3演目の誓いを破って(新シーズンは「パルシファル」、「マノン・レスコー」、「運命の力」確定)、俄然観る気が湧いてきました(罪なオペラだぜ)。
投稿: IANIS | 2014年1月19日 (日) 12時10分
懐かしいバーンスタイン盤のレコードジャケット! 私も買い求めました。ソニーが自信を持って作った分厚い資料と対訳を覚えています。確か10000円だったのでは?高温が耳につく当時のソニーの音も覚えています。86年末に初めてドイツへ。当時はアンカレッジ経由でした。着いた翌日帯独の友人とデュッセルフドルフのラインオペラへ。私の人生初オペラ生は「薔薇の騎士」だったのです。時差ボケで時々意識を失うことがありましたが、2幕開始の舞台の煌びやかさは今でも覚えております。その後、クライバー/ミュンヘンのLD映像を手に入れ目にしました。感動ですね。LDがいっぱいあります。時々目にしています。
投稿: ornellaia | 2014年1月19日 (日) 12時32分
IANISさん、まいどです。
神奈フィルの演奏会に際して、これまでのまとめ的に書いてみました。
全曲の魅力に取りつかれてしまうと、オーケストラによる組曲は、あまりに一面的で、ものたりませんが、神奈川フィルで聴いたホモキ上演の残滓を確認したいのと、ゲッツェルという魅力的な指揮が、楽しみでならないからなんです。
やはり、名作オペラですね。
そして、さきほど、新国のラインナップ見ましたが、飯守体制は、まずは、ワーグナー&ヴェルディできましたね。
頑張って、多くを観劇できるようにします!
ではでは。
投稿: yokochan | 2014年1月19日 (日) 21時48分
ornellaiaさん、こんにちは。
レコード時代のオペラや組物は、とてもゴージャスでしたね。
カビの温床となりますが、いまでも、大切なものが多いです。
バーンスタインとならんで、ショルティ盤も素敵な
ジャケットでした。
デュセルドルフはきっとその前まで、若杉さんがいたハウスですね。
海外のオペラハウスは、やはり独特の存在感がありますし、そこに参加するという意識を強くもてる存在ではないかと思います。
クライバーの2種の「ばらきし」、ことにミュンヘン盤は、いまでも大切なひと組ですね。
投稿: yokochan | 2014年1月19日 (日) 21時56分
もうすぐ、神奈川フィルの演奏会での話題ですね。
1月20日から受付開始になる新国立劇場のセット券、
今度2015年の’薔薇の騎士’。Castが豪華ですね。ドレスデンの通常公演でのCast状態気味になるのですね。女性3人が。
おまけに今、R.シュトラウスで定評あるS.ショルテス指揮。
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ライン・ドイツ・オペラも、オットー・シェンク演出なんですよ。実は。。。。。。映像はないけど。
リンダ・ワトソンが、マルシャリンなんですよね。この劇場は、彼女の歌手生命の温存先の劇場だから。。自然体で無理なく発声できる劇場だからでしょう。。
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今まで観た、オックス男爵で良かった人。クルト・モル、母音と子音の発声ではちょっとと思うけど、ヤン・ヘンドリック=ロータリング。
マルシャリンは、フェリシティー・ロットとZurichでの 登場分のルネ・フレミング。いただけなかったのは、チェリル・ステューダー。
オクタヴィアンは、イヴォンヌ・ヴィードストルック、エリーナ・ガランチャ、ミシェル・ブリート。
ゾフィーは、クリスティーヌ・シェーファー。
ファーニナルは、アイケ・ヴィルム=シュルテ。
投稿: T.T | 2014年1月20日 (月) 06時49分
T.Tさん、こんにちは。
大きな訃報が入り、当方も困惑・混乱しております。
コメント返しにはなってませんが、アバドの唯一の「ばらの騎士」は、ジルヴェスターでの3重唱でした。
フレミング、シュターデ、バトル、A・シュミット・・・
夢のような顔ぶれでした。
宝のような天国のような1枚となりました。
投稿: yokochan | 2014年1月21日 (火) 20時30分