マーラー 交響曲第2番「復活」 アバド指揮
クラウディオ・アバドとアメリカのメジャーオーケストラとのつながりも、長く深いものがあります。
1958年にクーセヴィッキー賞を取り、そのあとミトロプーロス音楽コンクールで1位入賞したのが1963年、33歳のとき。
バーンスタインに認められ、ニューヨークフィルを指揮。
以来、ヨーロッパとアメリカの一流オーケストラに招かれるようになったのです。
アバドが指揮した、アメリカとカナダのオケは、ニューヨーク、クリーヴランド、フィラデルフィア、ボストン、シカゴ、モントリオール、メトロポリタンです。
西海岸は、朋友メータがいましたが、客演したかどうかは不明です。
アメリカの機能的なオーケストラは、トスカニーニ以来、イタリアの指揮者を好む傾向がありますが、アバドも各楽団から、ひっぱりだこなのでした。
メータのあとの、ニュー・ヨークフィルが、アバドに次期音楽監督の就任を打診したとき、アバドはかなりその気になっていたといいますが、ウィーン国立歌劇場のポストも加わって、それは叶わぬこととなりまして、いま思えば、アバド&ニューヨークフィルというのも、実に新鮮な組み合わせだったですね。
それと、素晴らしい録音で、その相性の良さを残したボストン交響楽団との組み合わせも、本当はもっと多く実現して欲しかったところです。
ということで、いろいろと想像は膨らみますが、アバドがアメリカで持った唯一のポストが、シカゴ交響楽団の首席客演指揮者。
1982~85年という短い期間でしたが、ショルティの招きもあって、それ以前から客演を重ね、相思相愛の関係でもありました。
その成果は、多くの録音に残されてますので、多くを語る必要はありませんね。
ショルティのあとのシカゴは、本来ならアバドが引き継ぐべきでしたし、楽員・楽団からも絶大なる人気を誇っておりましたが、すでにベルリンフィルの座に着いていたので、選択肢としては厳しいものがあったのです。
音楽界に、こうしたことは常につきものですが、もしとか、そうなれば、の「たられば」が許されるなら、アバド&ニューヨーク、アバド&シカゴは、絶対に実現して欲しかったコンビであります。
マーラー 交響曲第2番 ハ短調 「復活」
S:キャロル・ネブレット Ms:マリリン・ホーン
クライディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団
シカゴ交響合唱団
合唱指揮:マーガレット・ヒルス
(1976.2 @シカゴ、メデイナ・テンプル)
わたくしにとって、アバド&シカゴ、ウィーンフィルのマーラーは、そのほとんどが刷り込み演奏であります。
この「復活」は、初めて買った2番のレコードで、熱烈なアバド好きだった私が、待ち望んだアバドの初マーラーでもありました。
1977年、大学の生協ですぐさま買いました。
LP2枚組、ずしりとした重量で、以来、シリーズ化する羽をあしらったジャケット、4600円でありました。
ともかく、むさぼるように聴きました。
マーラーの2番が、親しく、近くにやってきた、そんな思いに満たされた、このアバド盤との出会いでした。
硬派なショルティ&シカゴは、当時はあまり聴いてませんでしたが、アバドが指揮をしたシカゴは、無限大とも思える強弱のダイナミックレンジを有し、耳を澄まさなくては聴きとれない繊細なピアニシモから、強大な濁りのまったくないクリアーなフォルティシモまで、まさに、各段階がいくつものレヴェルに細かく分類できそうな、広大な音量と表現の幅を持つものでした。
作為性はゼロに等しく、マーラーの若さと、アバド&シカゴの新鮮な表現が、ピタリと符合し、率直なほどに歌うマーラーが出来上がっているのです。
アバド亡きあと、12日が過ぎた今日、この演奏を聴いても、思うところは一緒。
若々しく、素直な指揮者と、指揮者の思いを、鏡のように移し出し、完璧きわまりない演奏表現を披歴するオーケストラ。
アバドとシカゴは、そんなある意味、緊張感の高い、エッジの効いた先鋭的な関係だったと思います。
ショルティの剛に対して、アバドの柔というイメージはありますが、アバドの鋼鉄を思わせる鋭さも、シカゴでは実に良く出ていて、打ち立ての鋼のような、クールで熱い音楽となって聴き手の思いを熱くするのでありました。
2番は、シカゴのあとは、思い出満載のウィーンと再録し、最後はルツェルン。
ベルリンとは正規に残しませんでしたが、日本への来日公演で演奏してます。
それぞれに、素晴らしいのですが、このシカゴ盤は、いろいろな思い出も満載なゆえ、そしてアバド&シカゴのカッコよかった関係性ゆえに、一番の演奏と決定付けます。
2楽章の、若やいだ優しい抒情は、ほかの誰の演奏にも聴かれないアバドらしい、しなかやかさがありました。
そして、今宵は、クロプシュトックの復活の合唱が、あまりにも静かに、耳をそばだたさないと聴こえないくらいに、アバドが抑えて聴かせる場面に、思わず涙が浮かび、最後のクライマックスへと向かう高揚感に、アバドの指揮姿を重ね、さらなる涙を禁じえないのでありました。
シカゴの、いまの音楽監督は、リッカルド・ムーティ。
かつてのライヴァルも、アバドのベルリン時代後期、わだかまりも霧消し、お互いを讃え、尊重しあう中に。
アバドのスカラ座復帰も、一生懸命目論んだムーティさん。
「私は、ひとりの偉大な音楽家、世界的にも指揮や音楽の解釈の歴史のなかで、ずっと多くのものを残してきた、彼そのものの損失を深く悲しみます。
彼の残したものは、ヨーロッパ・イタリアの文化の重要性への巨大な証言です。
私は、長く恐ろしい病気に直面して彼が示した、強い勇気、および、彼の生きざまが、音楽家であり、大巨匠であったことに、深遠さをこめて彼を賞賛します。」
アバドに送ったムーティの言葉です。
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コメント
こんにちは。
マーラーの「復活」の面白さを知ったのは、このアバド/シカゴ盤ででした。同じころに出たメータ/ウイーン盤もよいのですが、切れ味のよいアバド盤のほうが好みでした。
ジャケットもよいですね。
投稿: ポンコツスクーター | 2014年2月 1日 (土) 18時01分
お早うございます。マエストロ・アバドが残した音源を丹念にお聴きになることで、マエストロとのかけがえのない思い出を頭の中で整理してアバド・ショックから立ち直ろうという意志の強さがアバド氏逝去後のブログ主様の文章からは感じられるようになりました。やはりブログ主様は強い方です。アバドのマーラーは中学生の時にクーベリックの千人と一緒に買った第3番が初体験でした。ウィーンフィルの演奏です。最初に聴いたマーラーの3番がアバドの歌心に満ちた初々しい演奏でよかったと思っています。演奏の素晴らしさと音質の良さを考えるともっとも質の高いマーラー全集を遺した指揮者はレニーとショルティとアバドではないかと個人的には思っています。クーベリック、シノーポリ、ハイティンクらの全集もマーラー演奏史上重要な存在ですが…
投稿: 越後のオックス | 2014年2月 2日 (日) 07時37分
初めまして
管理人さんと同世代でして、アバドの思い出も共感するところばかりです。
ちょうどクラシックを聴き始めたころに、ハルサイ・ブーム、マーラー・ブームが起きて、アバドLSOのハルサイとCSOとの復活(メータWPOの復活も)、
あとオペラが好きなので、アバド=スカラ座の「マクベス」
が、私のクラシックの原点です。
投稿: astar | 2014年2月 2日 (日) 09時33分
ポンコツスクーターさん、こんにちは。
新しいハンドルネームにまだ慣れず、誰だろうと、思わず思ってしまいました。
毎度お世話になります。
メータがちょっと先に出て、デッカのウィーン録音のすごさを味わいましたが、このアバド盤の方が、わたしには先でしたし、「復活」の刷り込み盤がこれです。
羽のシリーズジャケット、わたしも、とても好きでした。
投稿: yokochan | 2014年2月 2日 (日) 23時34分
越後のオックスさん、こんにちは。
20日の逝去後の、わたくしの心境をおわかりいただけて、とてもうれしく、ありがたく存じます。
年代を追って、アバドの足取りをたどり、そこに自分の体験を重ね合わせることで、アバドとともに、自分の歴史も振り返ったりしてます。
大切な存在の、アバドだからこそできることで、ほかに変わるべき存在もありませんので、生涯に一度しかこんなレビューはできないことだと、思ってます。
そんななかで、ずっとマーラーを演奏し続けたアバド。
ルツェルンは、最後の完成形であり、もしかしたら、その次もあったかもしれないと思ったりもしてます。
コメント、いつもありがとうございます。
投稿: yokochan | 2014年2月 2日 (日) 23時43分
astarさん、こんにちは、はじめまして。
ご同胞のコメント、とてもうれしく、ありがたく存じます。
当時の思い出を語ることができること、それ自体が今や貴重に自分の中でなってきてます。
ハルサイにマーラー。
まさに、アバド、メータ、そして小澤さんの、3人ですね。
この3人が、ライバルだけど、仲良く、カラヤン後のレコード界を面白くしたと言っていいと思います。
アバドのヴェルディと、ロッシーニは、そのいずれも最高傑作ですね。
投稿: yokochan | 2014年2月 2日 (日) 23時49分