チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 アバド指揮
ミラノ生まれで、ウィーンに学んだアバド。
輝かしいデビュー時から、ミラノっ子は、我が街のヒーロー。
ウィーンっ子は、うちの街が育てたヒーロー。
お互いに譲ることのない、ふたつの音楽の街。
一方で、アバドは、より気が楽なロンドンを好んだ。
ミラノもウィーンも、その伝統の深さから、思わぬ落とし穴もあり、修復のつかない関係に陥ることもある。
カラヤンも、マゼールも、ムーティもそうだった。
そして、アバドもスカラ座も、のちにウィーンからも、遠ざかることとなった。
でも、わたくしたちは、アバドが66年に本格レコードデビューした1枚のベートーヴェンの7番を知っているし、パーマネントコンダクターや、国立歌劇場の音楽監督として活躍した蜜月時代をよく知っています。
いまや、宝のような録音の数々。
アバドとウィーン・フィルは、オーケストラが指揮者を育て、やがて指揮者がオーケストラを縦横に率いるようになり、お互いの個性が有機的に発揮される、という素晴らしい成果を見出したコンビなのです。
チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」
クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1973.10 @ムジークフェライン、ウィーン)
1973年春に、アバドは、ウィーンフィルを引き連れて初来日しました。
ウィーンフィルの首席指揮者のタイトルを得て、40歳の若いアバドです。
その前から、アバドが好きだったわたくしは、NHKで放送されたアバドの指揮姿と、ウィーンフィルのお茶目っぷりに、すっかり感化されて、完璧なファンとなりました。
ブラームスとベートーヴェンの3番という演目で、まだよく知らなかったブラームスの3番に魅せられ、曲と演奏とに夢中になってしまいました。
ビデオなんて家庭にない時代でしたから、何度か放送された映像を脳裏に焼きつけるようにして見ました。
長い髪に、大きな身振りを伴う、かっこいい指揮ぶり。
そう、アバドはカッコよかったのです。
アンコールのお約束、「青きドナウ」では、木管が繰り返しを間違えてしまい、思わぬミスにも、アバドとウィーンフィルの面々は、ニコニコと、思わず楽しそうに微笑んで演奏しておりました。
まるきり昨日のように覚えております。
ですが、何度も書きましたとおり、この時の一連の演奏会は、評論家の先生方からは不評で、個性なし、とかオケに乗っかってるだけ、とかの散々でした。
唯一よかったのは、ベートーヴェンの7番の終楽章のコーダと、ウェーベルンの5つの小品だけだ・・・とね。
イタリア人だから、リズミカルで情熱的だとの頭からの概念がそうさせたのだろうし、はなから、ウィーンならばドイツ的な演奏が至上だとの認識から生まれた狭量な評論の数々に、わたくしは、やり場のない怒りに震えたものです。
ですが、よくしらなかったウェーベルンを誉めてる。
一体、ウェーベルンって誰?
そのあと、アバドの指揮で、5つの小品をFMで聴くに及んで、先生方が驚いたのがわかった。
静的で、動きの少ない精緻なウェーベルンの音楽。
その中でアバドは、歌って聴かせていたのでした。
ますます、アバドの凄さに感化された出来事でした。
日本から帰った数カ月後、ウィーンで録音されたのが、「悲愴」。
日本発売されたその日に、速効買いました。
ムジークフェラインの響きを、まともに捉えた生々しい録音は、硬くなく、柔らかで、とてもリアルな音でした。
自分の、ぼろい装置でも良く鳴ってくれました。
なによりも、ウィーンフィルの響きが、しっかりとここに刻印されておりました。
抒情的なアバドの持ち味が、ウィーンのまろやかなサウンドと相まって、深刻になりすぎない、柔らかな「悲愴」となっておりました。
高校時代の日々、毎日聴きました。
冒頭のファゴットと低弦のあとの木管は、ウィーンの楽器が耳に刷り込まれているので、ほかの楽器では物足りない。
1楽章の、クライマックスで、指揮者と楽員が身構えるのがよくわかるくらいに、緊張と集中力に満ちている。
2楽章はもう、歌、そして歌ですよ。さすがにウィーン。
3楽章は、少しゴツゴツした雰囲気で進行しますが、これもまたウィーンのリアルさ。
そして、悲しみの終楽章ですが、波状的に訪れるカタストロフも、ウィーンの弦の、シビアになりすぎない、マイルドさが、悲劇に救いをもたらしている。
アバドとウィーンフィルの共同作業です。
どうようの演奏は、マーラーの3番や4番にも聴かれます。
(文化会館でリハ中 後ろ姿は、ヘッツェル)
アバドは、「悲愴」をウィーン、シカゴ、ベルリンと、3回録音してますが、わたくし的に一番は、このウィーンフィル盤。
ベルリンフィルのザルツブルクライブも、気合と思いの強くこもった集中力の高い演奏。
シカゴは、録音のせいか、全体に硬いイメージが。
ウィーンとは、多くの実りある成果をあげましたが、ウィーンフィルのサイトや、国立歌劇場のそちらは、今回の逝去に際して、ちょっとあっさりぎみ。
なんとも言い難いところです。
スカラ座では、朋友バレンボイムの指揮で、劇場をたくさんの聴衆が取り囲むようにして、しめやかに、神々しくエロイカの第2楽章が演奏されました。
ウィーンでの追悼の情報は、いまのところなしです。
ウィーンとアバドは、わたくしも大好きな関係でしたので、週末にオペラを聴こうと思ってます。
アバドとウィーンの歌心にあふれたチャイコフスキーは、大好きです。
この先もずっと聴いて行きたい。
| 固定リンク
コメント
まぁ、日本の老人評論家は処世面からか、若手や中堅は貶しておこう‥と言う御仁が多いですから、あまりカリカリなさる必要はないかと(笑)。
最近は古く偏った美学で、暴言すれすれの非倫理的な言辞を振りかざす人たちも、だいたい帰天された事ですし‥。
投稿: 覆面吾郎 | 2019年5月25日 (土) 09時30分
アバドの初来日時の評論は、いまでも覚えてます。
しかし、その後のアバドの大成で、その人たちが、ガラリと意見を変えてしまったのも、自分としては快哉でありました。
投稿: yokochan | 2019年5月28日 (火) 08時23分