モーツァルト 交響曲第38番「プラハ」 アバド指揮
冬の初めの頃の、外苑の銀杏から。
たっぷり敷きつめられた黄色の葉。
この頃は、日差しも弱くて、くっきりした日差しは、いまどきの雲ひとつない青空からのものの方がしっかりしてるかも。
まだまだ、これから冬は最盛期を迎えます。
日本全国、北はとりわけ厳しく、寒さもとりどりですが、どなたさまも、モーツァルトを聴けば、ほっこりするかも。
モーツァルト 交響曲第38番 ニ長調 「プラハ」
クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト
(2006.5 @ボローニャ)
アバドが、2004年に、ボローニャで創設した若い室内オーケストラ、モーツァルト管弦楽団。
とても残念なニュースが入ってまいりました。
先週末、その活動をしばらく停止するとのことです。
いつもお世話になってます、アバドのファンサイトを主幹されております、「ゆうこさん」のサイトでお教えいただきました。→こんぐらつぃあ、こんぐら日記
昨年のルツェルンを率いての来日中止以来、体調不良が伝えられているアバド。
その後の、モーツァルト管との演奏会もキャンセルが続き、その都度、同じく大巨匠のハイティンクが急場をしのぎ、ますます、ハイティンク神と、わたくしを熱くさせていたのですが、一方で、わたくしのアニキ、アバドのことが心配でなりませんでした。
そうした中で、飛び込んできたこのニュース。
とても不安です。
と同時に、ボローニャ市の苦境。
イタリア全体・各都市が財政難に悩んでいることは、アバドがスカラ座を率いていた頃と、なんら変わりがありませんが、アメリカのメジャーオケや、オペラ団体が破綻するなど、クラシック芸術分野をも蝕む不況の連鎖。
自由自在に、音楽が廉価に、気軽に楽しめるようになった時代の反動として、演奏の発信者の経済的不自由を生むこととなった。
既存レーベルの音源が発売早々から安く、自主制作の音源が高い。
これはもう歴然ですね。
話が別の方向に行ってしまいましたが、アバドが、若い演奏家たちに託した思いは、絶対に残して欲しい。
カラヤンが、音楽ビジネスを確立させようと躍起になっていたことは、いまの音楽業界のひとつの礎を築きましたが、一方で、アバドは、同じ70年代から、ヨーロッパ・ユースオケを指導し、ユーゲント・マーラー・オケを創設し、同じく、マーラー・チェンバーも作り出し、若い人の登竜門を開きました。
彼らは、欧米のオーケストラ奏者へと育っていきました。
さらに、ベネズエラ・メソッドにも協力し、凄腕ルツェルン管と、メーラー・チェンバーと、シモンボリバルを融合する流れも築きました。
同時に、イタリアでは、モーツァルト管。
20代の奏者限定で、アバドを慕うベテランたちが、進んで彼らを指導したりもしてます。
いつまでも若い音楽家との交流を大切にし、愛したアバド。
その音楽性の若々しさと、進取の気性がにじみ出ているのが、このモーツァルト演奏です。
スコア遵守、繰り返しを全部やって、3つの楽章、37分の大交響曲となった「プラハ」。
外観はそうでも、中身は、軽やかでしなやか。
ヴィブラートを抑え目に、ピリオド奏法も意識しつつ、そこに歌心は満載。
大巨匠が導く力の音楽表現という図式は皆無で、オケと指揮者の爽やかで、にこやかな相対関係。
ルツェルンと、年一回のベルリンフィル以外、プロの既存オーケストラの指揮台に立つことをやめてしまったアバドの思いが、とてもよくわかる演奏です。
でも、ファンとは、ずるいもので、そんなアバドに、ウィーンフィルの指揮台に立ってもらいたいし、何よりもスカラ座、ロンドン響や、シカゴ響にも、そうして欲しいと思うものなのです。
ゆっくりと体調を取り戻して元気な若々しい笑顔を見せて欲しいです、マエストロ、クラウディオ・アバド。
オーケストラ・モーツァルトのHP
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コメント
おはようございます、スリーパーです。
体調不安、人事でなかったりしますが(笑)
アバド氏といえば、僕が音楽を聴き始めた30年近く前は
"次世代筆頭"的な扱われ方をしていた記憶がありますね。
当時は「古い演奏家から聴き始めて今の若手へ」という
聴き方をしていたので、ワルターから聞き始めたので
実はアバドの録音は、弟が買った「火の鳥&ハルサイ」が
始めて聴いたものでした。
一丁前に「細部を明瞭に浮立たせて描く」って思いを持ったのが
彼の指揮に対しての最初の感想でした。
そんな彼もいまや80歳を過ぎ、体調を心配される立場に。
「死を意識した指揮者」「死にかけた指揮者」は突如良くなる、
なんて知人は良く言いましたが、
アバド氏は実際、あの「死にかけ」た時からずば抜けて
味わいのある指揮をするようになった気がしています。
ぜひ、生涯現役を通してほしいものです。
因みに・・・僕はあの頃の若手では
ムーティ(1941年生)、シャイー(1953年生)、サロネン(1958年生)、
サラステ(1956年生)に感化されました(笑)
アバドの更に次の世代ですね。
※ちなみに、存命でアバド氏(1933年生)と同じ世代は
征爾さん(1935年生)、ハイティンク(1929年生)、
そして我らが"おじいちゃん"、シュナイト翁(1930年生)ですか。
ブロムシュテット氏(1927年生)、マリナー氏(1924年生)
は年上なのに元気・・・妖怪の域ですね(苦笑)。
投稿: スリーパー | 2014年1月15日 (水) 11時05分
スリーパーさん、2000年の術後の、アバドの体調不良は、これで2度目ですが、今回はとても心配です。
小澤さんもそうですが、癌という病は、つくづく厄介です。
メータが、まったく元気で快調なのに比べて。
やはり、カレーのパワーはすごいのでしょうか?
その3人を、若手三羽烏と言っていた時代の前から、アバドファンやってます。
45年になります。
アルゲリッチとのショパンあたりからですね。
ここまで見守ってくると、自分と同体化してきますので、一緒に伏せりそうな勢いです。
気をつかなくちゃいけません。
アバドの後世代も、押しも押されぬ大家ですね。
ムーティが図抜けて大物ですが、サロネンも、同期ながら、そこそこお歳なのですね。
そして、忘れちゃならないのがマゼール。
1930~、83歳。シュナ爺と同じとは信じられない!
あと、親父ヤルヴィ1937でしょうか。
投稿: yokochan | 2014年1月15日 (水) 20時55分