神奈川フィルハーモニー第296回定期演奏会 飯守泰次郎指揮
観覧車の時計は、終演後の時間を指してますが、土曜の午後のコンサートが終了。
冷たい空気、気持ちがいい青空。
清々しい気分で、ホールを後にしました。
ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調 (ノヴァーク版)
飯守 泰次郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(2014.2.22@みなとみらいホール)
これはある意味、絶対的・定番のプログラム。
独墺系オーケストラや指揮者の来日公演でもよく見るプログラムで、ときに、ブルックナーが、マーラーの5番だったりします。
いずれにしても、わたくしの大好物演目が、飯守先生の指揮と神奈川フィルで聴けた幸せを、本日もまだじんわりと噛みしめております。
飯守さんの「トリスタン」は、ずっと昔から、ことあるごとに聴き続けております。
名古屋フィルの指揮者時代に、おりから名古屋単身赴任中だったので聴いたほぼ全曲のコンサート形式上演。
シティフィルとの全曲上演。
都響とのライブCDの「前奏曲と愛の死」。
そのいずれも、今回の神奈川フィルとの演奏とで、まったくブレがなく、その印象は同じ。
一番古い記憶は、70年代半ば、飯守さんが、バイロイトで活動しているころ、N響に登場したときも、「トリスタン」だった。
8分の6拍子の前奏曲を、丹念に6つで振り分けていたのをおぼえてます。
克明・着実が、飯守さんのワーグナー。
スコアを信じて、音楽だけの力で持って、盛りあがってゆく前奏曲の自然なうねり。
1本の半音階トリスタン動機が、じわじわと変化しつつ、各楽器に橋渡しされてゆく。
ライブでオーケストラを俯瞰しつつ聴く「トリスタン」の喜び。
官能のうねりが、フォルティシモで最高潮に達し、カタストロフのように引き潮で音が引いてゆく83小節目。
飯守さんの「トリスタン」は、ここが真骨頂。
勢いで雪崩打つような演奏が多いなか、ここは、神戸さんのティンパニの一撃のあと、一音一音を際立たせるようにしっかり下降。
CDでも、ほかのライブでも、飯守さんはいつもこうだ。
「愛の死」もじっくりと丁寧に仕上げることで、大いなる感銘の渦を引き起こしてました。
わたしは、胸がつまってきて、思わず涙が出ちゃいました。
神奈川フィルの美音と、飯守さんの克明サウンドが、素晴らしいワーグナーとなりました。
続くブルックナーも安定的な佇まいと、自然の息吹と、音楽そのものの魅力を感じる名演です。
息の長い旋律と、執拗なまでのリズムの刻み。
ブルックナーに必須の要素はすべて盛り込まれ、個々にも美しい景色はたくさんありましたが、全体の見通しをガシッと掴んで、この大曲を一気に聴かせてしまった感があります。
でもとりわけ素晴らしかったのは、第2楽章。
悲しみの第1主題、ほんとうに心がこもってて、荘重かつ神々しい。
ワーグナーの姿もそこには見る思いだ。
そして、優しく滋味あふれる第2主題は、さすがの神奈川フィルの弦。
あまりに美しく、そのあとを受ける木管群も抜群に美しい。
ブルックナーの緩除楽章の魅力は、ヨーロッパ・アルプスの野辺を思わせる自然美を感じさせることにあると思います。
この飯守&神奈川フィルの演奏は、まさにそんな光景が眼前に浮かぶような素晴らしいものでした。
クライマックスで高らかに鳴り渡るシンバルやトライアングルも、突出せず、音楽の流れにしっかり組み込まれた渋いとも感じさせる響きでした。
2楽章ばかりを書いてしまいましたが、どの場面でも、飯守さんは、オーケストラに一音一音をしっかり鳴らさせ、それによって、ホールはドイツ的な克明な響きに満たされたような感がありました。
先月のゲッツェルさんの、輝かしい音色から一転、同じドイツでも、かっちり明確なサウンドを引き出した飯守さん。
神奈川フィルのフレキシビリティもたいそうなものと感心いたしますが、指揮者でこんなに変わるものか、またその個性と実力のほどを感じました次第です。
ベームやシュタインの跡をたどっているような飯守さん。
新国立劇場での「パルシファル」と「オランダ人」。
さらにシュトラウスやモーツァルトの上演なども期待したいですし、なによりも、神奈川フィルには定期的にやってきて欲しいものです。
演奏終了後、聴衆も、オーケストラからも、飯守さんを讃える拍手が長く続きました。
満足の気分のまま、増えつつある、いつもの仲間に楽団からもお迎えして、コンサートの感度をそのままに、楽しいビール会に席を移して、遅くまで楽しみました。
いつもおいしい、出来立ての横浜地ビール。
泡までおいしい。
全部、神奈川産の食材。
神奈川のサウンドに、ビールに肴。
土曜公演は、しばらくないから、こちらのお店もしばらくご無沙汰となります。
来月は、聖響じるしのマーラー6番。
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