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2014年2月

2014年2月28日 (金)

ベートーヴェン、ベルク 協奏曲 アバド&MCO

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アバドの愛した若者オーケストラのひとつ、マーラー・チェンバーは、その能力からして、これまでアバドが携わった若者オケのなかでは、最強なのではないでしょうか。

ルツェルンの主力メンバーにもなっているほか、ルツェルンのベテランたちも、時に応じて参加したり、首席をはったりする。
いわば、コンパクト・ルツェルンかも。

ですから、その規模も変幻自在のフレキシビリティ満載、可能性も満載の、高機能オケでした。

アバドは、このオケで、ルツェルン発足前は、モーツァルトのオペラばかりでなく、「シモン・ボッカネグラ」や「ファルスタッフ」を上演したりと、その下準備にあてていたのでした。
 ベルリンフィルを中心とする凄腕が集まることになったのですから、アバドとしては、律儀にも、まずは、手兵のマーラー・チェンバーという形が最良だったのでしょう。

ルツェルンが本格スタートしてからは、マーラ・チェンバー(MCO)を母体とする形態にして、さらにMCOは、ハーディングやほかの指揮者たちに徐々に任せるようになりました。

MCOとの録音は、名手たちのバックをつとめる協奏曲録音が多いです。

今夜、そんななかのふたつを。

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  ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番、第3番

       マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

                      (2000.2、2004.2 @フェラーラ)


アルゲリッチとアバド、最後の録音も、このコンビだったし、ふたりのDGへの初録音の一環もそう。

これまで、いくつもの共演と録音をしてきた、まさに朋友でした。

こんな関係は、いずれ、ポリーニに代表される、アバドと共演者たち、という特集をしてみようと思ってます。

いまから59年前、アバド21歳、アルゲリッチ13歳。
フリードリヒ・グルダのザルツブルクでのピアノスクールにて、同門で、知りあったことがきっかけ。

奔放なアルゲリッチ女史ですが、アバドの前では、時に女性らしくしとやかに、でも、時に、熱く燃え上がり、アバドを煽動してしまいます。
かつてのショパンやリスト、プロコフィエフ、チャイコフスキーがみんなそうだった。

ここでのベートーヴェンでは、アバドの目指す、若いオーケストラとのベートーヴェンの新風に、むしろアルゲリッチが感化されたかのように、はじけ飛ばんばかりの活力と、生まれたばかりのような高い鮮度のピアノを聴かせてます。

過度のノンヴィブラートの息苦しさに陥らず、ベートーヴェンの若い息吹を、伸びやかに、そしてしなやかに聴かせるアバド。
2番は、病に倒れる術前、3番は、術後安定した時期。
 そんな、時系列を少しも感じさせることのない活きのいいオーケストラです。

アルゲリッチの3番は、これが唯一。
でも、このふたりの気質からしたら、2番の方が弾みがよろしく、ベートーヴェンの青春の音楽の本質を突いているように感じますがいかがでしょうか。
ことに、2楽章の抒情と透明感は素晴らしいのですよ。

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  ベルク          ヴァイオリン協奏曲

  ストラヴィンスキー  ヴァイオリン協奏曲

                 コリヤ・ブラッハー

   クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

                      (2003.10 @フェラーラ)


こちらは、うってかわって、近現代の協奏曲。

こんな先鋭の音楽にも、MCOは、ごく普通に取り組み、アバドとともに、嬉々として演奏してしまうのです。
ベルクについては、このCDが発売されてすぐ、2006年にすぐさま記事にしました。

さほど大きくはない編成のオーケストラが、ストラヴィンスキーで見せる小気味いい痛快なまでの、爽快感は、ストラヴィンスキーの音楽の持つラテン的な透明感と、軽やかさを完璧に表出してます。

ベルリン・フィルを、コンサートマスターとして、アバドとともに引っ張ってきたブラッヒャーの高性能かつ、隙のないヴァイオリンは、完璧でありすぎるところが、また困ったもので、文句のつけようがないのです。

欲を言えば、オーケストラともども、ベルクの甘さ、バッハへの思慕みたいな、どこかこの曲にあるロマンティックなところが申し少し出ていれば・・・という思いがあります。

アバドは、ベルリン時代のムローヴァとの演奏、2010年のファウストとの共演もあり、後者が敏感すぎる超名演になってます。

わたくしの大好きなこの曲に、アバドが、3つの演奏を残してくれたこと、いまは感謝にたえません。

コンチェルトに、オペラ、合わせものの達人、アバドのもとで、MCOのメンバーたちは、きっと多くのものを学び、そして進化していったことでしょう。

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マーラー・チェンバー。

センターに、オーボエの吉井瑞穂さん、いつもにこやかにいらっしゃいます。

アバドの追悼、次は、いよいよルツェルンにまいります。

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2014年2月27日 (木)

モーツァルト 「魔笛」 アバド指揮

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グスタフ・マーラ・ユーゲント・オーケストラの卒業生からなる、マーラー・チェンバー・オーケストラも、アバドによって創設されました。

1997年に旗揚げ。

特定の都市に拠点を置かず、当然に本拠地としてのホールもない。
すなわち、コンサート・ツアー主体のプロ・オーケストラ。

やがて、音楽祭を中心に、準レジデント・ホールも絞られてきて、指揮者もアバドから、ハーディングに橋渡しがなされ、規模も変幻自在、楽員たちの自由意思を大切に活動する、有機的なオーケストラとなりました。

アバドのある意味、理想ともいえるこの形態は、ヨーロッパ各国の奏者たちの集いでもあります。
さらに、初期にはベルリン・フィルのメンバーが主体であったルツェルン祝祭管弦楽団は、いまや、このマーラー・チェンバーのメンバーたちも主力となっております。

若い奏者たちが、成長し、欧州各国で自由に活動し、さらに超ベテランたちに混ざってスーパーオーケストラの主体となっている。

アバドの理念、ここに極まれり、です。

さらに、アバドは、母国イタリアで、モーツァルト管弦楽団をスタートさせることとなります。

 よくよく見たら、マーラー・チェンバーは、日本に何度もやってきてます。

わたくしは、2006年、ハーディングに率いられて来日した折りに聴いております。

そう、多くの楽員が、そのまま、すぐあとに来日した、アバド&ルツェルンの日本公演に参画しておりました。

 その時の演目が、モーツァルトの後期3大交響曲。
繰り返し励行で、いずれも40分を要する大演奏。
しかも、異様なまでの緊張感と高テンションで、演奏する側も、聴く側もへとへとになりました。
こんなに密度濃い演奏で、モーツァルトの音楽は完璧ですから、もうこれ以上は無理です・・・的なスピーチをハーディングが行い、終電すら危うくなる時間を、クローズさせたのです。

アバドの指揮ぶりにそっくりな、若いハーディングの胆力に驚いたし、なによりも、オーケストラの異常なまでのモチベーションの高さに、舌を巻きました。

アバドの理念がたっぷり詰まった、あの頃のマーラー・チェンバー(MCO)が聴けて、ほんとうに貴重な経験でした。

アバドとMCOの録音は、オペラと協奏曲。

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  モーツァルト  歌劇「魔笛」

 タミーノ:クリストフ・シュトレール     パミーノ:ドレテア・レュマン
 ザラストロ:ルネ・パペ           夜の女王:エリカ・ミクローシャ
 パパゲーノ:ハンノ・ミュラー=ブラッハマン パパゲーナ:ユリア・クライター
 弁者:ゲオルク・ツェッペンフェルト    モノスタトス:クルト・アーツェスベルガー
 第1の待女:カロリーネ・シュタイン    第2の待女:ハイディ・ツェンダー
 第3の待女:アンネ=カロリーネ・シュリュター 第1の僧侶:アンドレアス・バウアー
 第2の僧侶:ダニロ・フォルマッチャ    第3の僧侶:トビアス・バイヤー
 第1の武士:ダニロ・フォルマッチャ    第1の武士:サーシャ・ボリス

   クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ
                   アルノルト・シェーンベルク合唱団
                   テルツ少年合唱団員
                            
                     (2005.9 @テアトロ・コムナーレ、モデーナ)


長らく、アバドを聴いてきて、そのアバドが「魔笛」を指揮するなんて、思いもよらないことでした。
珠玉のモーツァルトのオペラ作品にあって、「フィガロ」とともに、真っ先に好きになった「魔笛」。
歳を経るとともに、「魔笛」よりは、ダ・ポンテ3作や、イドメネオ、ティトゥスの方へと、気持ちが移っていきました。

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おとぎ話は、さることながら、このオペラの背景にあるフリーメイソン思想が、どうにも怪しくって、モーツァルトの純心無垢さが、それによってフィルターがかかっているような気がするのです。
 もちろん、そんなことを考えずに、普通に聴いてモーツァルトのこの魔笛の音楽は、素晴らしいし、素敵だし、あふれるメロディには、心も弾みます。

アバドの待望の「魔笛」は、そんなわたくしの偏屈な魔笛感を、軽くいなすように、音楽の喜びと美しさだけを感じさせるような、ある意味、ちょっと、魔笛から、醒めた感じが新鮮だったのです。
 ベルリン時代後期から、モーツァルトより前の音楽には、めだってピリオド奏法を取り入れてきたアバド。
その本格録音も、この「魔笛」でした。

初めて、ここでアバドの古楽奏法を聴いたときは、「アバドよ、あなたもか」と、ちょっとがっかりしましたが、それも束の間。
アバドの立場で、そしてその年齢で、このチャレンジ精神。
そこにまず、感服するようになり、そして、生半可の乾いたノン・ヴィブラートより、よっぽど、生気と潤いにあふれていて、こうあるのが必然、的な自信にも満ち溢れているのでした。

ほかのピリオド同系統のいかつい「魔笛」よりは、はるかに活きがよくって、楽しくて、微笑みにも事欠かない。
加えて、歌手や、オーケストラが、みんな若く、清冽でピチピチしているのも、アバドの魔笛のよいところです。
繰り返し申し上げますが、数々のポストを歴任した、超大ベテランの齢73歳の指揮者の大いなる意欲と、にこやかな微笑み。
これには、最大級の賛辞を捧げたいと思います。

ですが、それでも、わたくしには、「魔笛」は、長らく聴いてきたベームやハイティンク、サヴァリッシュ、スウィトナーらの大らかでたっぷりした音色の方がしっくりきます。

アバドには、ウィーン時代に、「魔笛」を取り上げて欲しかった。

そのうえで、もう一度、この晩年の「魔笛」があってもよかったです。
あと、ものすごく願わくば、「コシ」も、ちゃんと録音して欲しかった。

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若い歌手たちは、とてもいいです。
なかでも、タミーノのシュトレールの爽やかさと、気品を備えた完璧な歌唱は、素晴らしいです。
レシュマンのこれまた清廉で、嫌味のないパミーナも好きです。
ベテランのパペを除いて、みんな若い歌手たち。

ベルリン後のアバドは、オーケストラ奏者たちが、そうであったように、若手歌手たちとの共演を、とても楽しみました。
孫とも呼べる、彼ら、彼女たちは、オペラの舞台でも、アバドの歌の精神を、しっかり引き継いで、世界の舞台に立つようになっているんです。

アバドの「魔笛」は、2005年に、モデーナ、フェラーラ、レッジョ・エミーリア、バーデン・バーデンの4つの劇場の共同制作により企画され、それぞれで上演されました。
歌手たちは、ダブル・キャストでしたが、先に書いたとおり、いずれも若手。
翌年に、ルツェルンで日本にも一緒に来たハルニッシュもパミーノを歌ってますので、そちらも聴いてみたかったところ。

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そして、演出は、アバドの息子、ダニエーレ・アバド。
父親譲りの知的な方なのでしょうか、舞台画像からして、とても生真面目な舞台づくり。
日本にもやってきてますね。
クラウディオそっくり。
 甥っ子の指揮者ロベルトは、アメリカで活躍中ですが、アバド・ファミリーの今後も、ファンとしては注目ですね。

「魔笛」を残したアバドは、次いで、ドイツ・オペラの流れをたどるように、「フィデリオ」に挑戦しました。
そちらは、またいずれ。

アバドとそのオーケストラ、まだ、しばらく続きます。

このところ忙しくて、一気にいけません。
ゆっくりと、その功績を振りかえり、偲びたいと存じます。

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  (ネットで2005年に入手したバーデン・バーデンのパンフレット)

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2014年2月23日 (日)

神奈川フィルハーモニー第296回定期演奏会 飯守泰次郎指揮

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観覧車の時計は、終演後の時間を指してますが、土曜の午後のコンサートが終了。

冷たい空気、気持ちがいい青空。

清々しい気分で、ホールを後にしました。

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  ワーグナー  「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死

  ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調 (ノヴァーク版)

      飯守 泰次郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

            (2014.2.22@みなとみらいホール)

これはある意味、絶対的・定番のプログラム。

独墺系オーケストラや指揮者の来日公演でもよく見るプログラムで、ときに、ブルックナーが、マーラーの5番だったりします。

いずれにしても、わたくしの大好物演目が、飯守先生の指揮と神奈川フィルで聴けた幸せを、本日もまだじんわりと噛みしめております。

飯守さんの「トリスタン」は、ずっと昔から、ことあるごとに聴き続けております。
名古屋フィルの指揮者時代に、おりから名古屋単身赴任中だったので聴いたほぼ全曲のコンサート形式上演。
シティフィルとの全曲上演。
都響とのライブCDの「前奏曲と愛の死」。

そのいずれも、今回の神奈川フィルとの演奏とで、まったくブレがなく、その印象は同じ。

一番古い記憶は、70年代半ば、飯守さんが、バイロイトで活動しているころ、N響に登場したときも、「トリスタン」だった。
8分の6拍子の前奏曲を、丹念に6つで振り分けていたのをおぼえてます。

克明・着実が、飯守さんのワーグナー。
スコアを信じて、音楽だけの力で持って、盛りあがってゆく前奏曲の自然なうねり。
1本の半音階トリスタン動機が、じわじわと変化しつつ、各楽器に橋渡しされてゆく。
ライブでオーケストラを俯瞰しつつ聴く「トリスタン」の喜び。
官能のうねりが、フォルティシモで最高潮に達し、カタストロフのように引き潮で音が引いてゆく83小節目。
飯守さんの「トリスタン」は、ここが真骨頂。
勢いで雪崩打つような演奏が多いなか、ここは、神戸さんのティンパニの一撃のあと、一音一音を際立たせるようにしっかり下降。
CDでも、ほかのライブでも、飯守さんはいつもこうだ。

「愛の死」もじっくりと丁寧に仕上げることで、大いなる感銘の渦を引き起こしてました。
わたしは、胸がつまってきて、思わず涙が出ちゃいました。

神奈川フィルの美音と、飯守さんの克明サウンドが、素晴らしいワーグナーとなりました。

続くブルックナーも安定的な佇まいと、自然の息吹と、音楽そのものの魅力を感じる名演です。

息の長い旋律と、執拗なまでのリズムの刻み。
ブルックナーに必須の要素はすべて盛り込まれ、個々にも美しい景色はたくさんありましたが、全体の見通しをガシッと掴んで、この大曲を一気に聴かせてしまった感があります。

でもとりわけ素晴らしかったのは、第2楽章。
悲しみの第1主題、ほんとうに心がこもってて、荘重かつ神々しい。
ワーグナーの姿もそこには見る思いだ。
そして、優しく滋味あふれる第2主題は、さすがの神奈川フィルの弦。
あまりに美しく、そのあとを受ける木管群も抜群に美しい。
ブルックナーの緩除楽章の魅力は、ヨーロッパ・アルプスの野辺を思わせる自然美を感じさせることにあると思います。
この飯守&神奈川フィルの演奏は、まさにそんな光景が眼前に浮かぶような素晴らしいものでした。
 クライマックスで高らかに鳴り渡るシンバルやトライアングルも、突出せず、音楽の流れにしっかり組み込まれた渋いとも感じさせる響きでした。

2楽章ばかりを書いてしまいましたが、どの場面でも、飯守さんは、オーケストラに一音一音をしっかり鳴らさせ、それによって、ホールはドイツ的な克明な響きに満たされたような感がありました。
先月のゲッツェルさんの、輝かしい音色から一転、同じドイツでも、かっちり明確なサウンドを引き出した飯守さん。
 神奈川フィルのフレキシビリティもたいそうなものと感心いたしますが、指揮者でこんなに変わるものか、またその個性と実力のほどを感じました次第です。

ベームやシュタインの跡をたどっているような飯守さん。
新国立劇場での「パルシファル」と「オランダ人」。
さらにシュトラウスやモーツァルトの上演なども期待したいですし、なによりも、神奈川フィルには定期的にやってきて欲しいものです。

演奏終了後、聴衆も、オーケストラからも、飯守さんを讃える拍手が長く続きました。

満足の気分のまま、増えつつある、いつもの仲間に楽団からもお迎えして、コンサートの感度をそのままに、楽しいビール会に席を移して、遅くまで楽しみました。

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いつもおいしい、出来立ての横浜地ビール。

泡までおいしい。

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全部、神奈川産の食材。

神奈川のサウンドに、ビールに肴。

土曜公演は、しばらくないから、こちらのお店もしばらくご無沙汰となります。

来月は、聖響じるしのマーラー6番。

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2014年2月21日 (金)

神奈川フィル定期演奏会 前夜祭 アバドの指揮で

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まだ残雪の残る2月19日の、湯島天神。

「湯島の白梅」といえば、江戸の情緒あふれる街と、こちらの天神さまを思いますが、周辺は、ビルや住宅が立ち並び、こうして背景も、ちょいと無粋なこと極まりないです。

相次ぐ雪で、こちらの梅の開花は足踏み状態。

次回の神奈川フィルハーモニーの定期演奏会は、わたくしの大好物ばかり。

 ワーグナー  「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死

 ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調

  飯守 泰次郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

         (2014年2月22日 14:00 みなとみらいホール)


神奈川フィルに飯守先生の登場。

しかも、ワーグナーとブルックナーで。

ワーグナー好きとして、飯守さんのワーグナーは、故若杉さんとともに、ずっと聴いてきました。
そして、ついに次期、新国立劇場の音楽監督として就任し、いきなり「パルシファル」や「オランダ人」を指揮。
バイロイトでの穴倉経験も豊富で、ワーグナー家からも一目置かれてきた飯守先生の「トリスタン」と、ワーグナーの死を予見し、期しくも師への告別の楽章となってしまった2楽章を持つ、ブルックナー7番。

今日は、アバドの指揮で予行演習しておきます。

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 ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調

  クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (1992.3 @ウィーン・ムジークフェライン)

                  ルツェルン音楽祭管弦楽団

                     (2005.8 @ルツェルン)


正規録音(映像)は、このふたつ。
                     
                    

ウィーン時代末期、ベルリンに主体を移したあとの録音は、演奏時間64分で、それでも速めでこだわりの少ない、すっきりと歌う、清々しいブルックナー。
ウィーンフィルの美感を、充分に活かした、ウィーンのブルックナーでもありました。
すみずみまで、よく歌っていて、どこも過不足がないので、演奏時間の割りに、ゆったりと感じます。

そしてルツェルンでは、演奏時間が60分を切る、こだわりの少ない快速版。
ベルリンを卒業してからのアバドは、音楽が凝縮され、テンポも早くなり、音色は常に明るく、そしてなによりも若々しい音楽造りとなった。

すべてのしがらみや、苦しんだ病からも解放されて、音楽する喜びを全身にあらわして指揮するアバドに、彼を慕う演奏家たちは、夢中になって、恐ろしいほどの集中力と、アバドへの献身的な思いでもって答えました。

アバド追悼のシリーズで、ルツェルン時代は、またゆっくりと取りあげることとします。

私家盤の放送録音では、84年のウィーンフィル(ザルツブルク)と、88年のウィーンフィルのふたつがありますが、84年が62分、88年が64分と、ライブならではのタイムの違いが出ておりますことは、面白いことです。

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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                   (2000.11 @ベルリン)


もう何度もブログでは取り上げました、アバドのトリスタン。

ここでもアバドの音楽は明るいです。

シェイプアップされた、ベルリン・フィルのスリムな響きも、カラヤンのずしりと響く豊かな低音のワーグナーとは別次元のものです。

カラヤンのワーグナー自体が、練り上げられた響き重視のスマートなものでしたが、それでもピラミッド的な重層的なオーケストラサウンドがそのベースにありました。
 アバドのワーグナーは、豊かな歌の中に、ワーグナーの響きを明晰さとともに、解放してしまった感があります。
 ここは、こう粘って・・・とか思ってると、一気呵成に駆け抜けたりして、サラリとしたものです。
しかし、前奏曲の持つ熱いうねりと、愛の死の高揚感は、アバドならではの集中力と緊張感にあふれたものです。

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 飯守泰次郎指揮 東京都交響楽団

             (2004.1 @東京文化会館)


ブルックナーは持ってませんが、飯守さんのワーグナーは愛聴盤のひとつです。

全編、オペラティックな雰囲気にあふれ、ことに「トリスタン」は、どっしりと腰を据え、まったくブレのない、正真正銘のドイツのワーグナーを感じます。
カラオケで使えそうなくらいに、愛の死では、オペラの一節のように思います。
CD音源だけで、ワーグナーの音楽への、のめり込み方がハンパなく感じることのできる、すぐれた演奏だと思います。

わたくしは、飯守さんの「トリスタン」は、名古屋と東京で、2度ステージ上演(名古屋は抜粋)を体験してます。

きっと、うなり声も激しく、神奈川フィルから、真正ワーグナーの響きを引き出していただけるものと思います。

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2014年2月16日 (日)

シェーンベルク 「ペレアスとメリザンド」 アバド指揮

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クラウディオ・アバドと、若い奏者たち。

アバドは、70年代の早い時期から、ヨーロッパ各地のユース・オーケストラを率先して指揮して、指導してきました。

そのような無私の姿勢も、かつての巨匠たちにには、なかった姿でして、ポストを持っていた一流オーケストラとの集中的な活動と併せて、若い演奏家たちとの協演を、とても大切にしていました。

アバドのような一流指揮者が率先すれば、そこにスポンサーも付き、アバドを創設者とした、若いオーケストラが、いくつか生まれました。

 ・ECユース・オーケストラ(初代指揮者)              1978

 ・ヨーロッパ室内管弦楽団(創設者)              1981

 ・グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ(創設者) 1986

 ・マーラー・チェンバー・オーケストラ(創設者)       1997

 ・モーツァルト・オーケストラ(創設者)             2004


若いオーケストラ以外にも、それとあわせて、プロのオーケストラも、いくつかスタートさせていることはご存知のとおりです(スカラ座フィル、ルツェルン祝祭管)。

前回、アバドのベルリン・フィルでの全霊を傾けた活動について書きましたが、あちらは、年間の指揮数は相当数で、芸術監督としての責務もあったから、それら以外に、初期のウィーンの兼務などは不可能に近いこと。
まして、指揮するたびに、楽員さんが入れ替わるなんて、アバド・クオリティからしたら許しがたいことでしたでしょう。

それらの重責のなかで、若い奏者たちとの交流は、いかにアバドにとって、嬉しく楽しいことでしたでしょうか。

ECユース・オケとの音盤は、ザルツブルグ78年ライブが、熱気ほとばしる、熱い演奏ですが、そちらは今後またの機会として、本日は、マーラー・ユーゲントとの演奏を。

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まず、思う、この秀逸なジャケット。

  シェーンベルク 交響詩「ペレアスとメリザンド」

    クラウディオ・アバド指揮 グスタフ・マーラー・ユーゲントオーケトラ
 


                     (2006.4 ウィーン・ムジークフェライン)

メイン曲、マーラーの4番の健康的ムードではなくて、爛熟世紀末、トリスタンの延長のようなシェーンベルクの音楽に、ぴたりと符合するんです、このジャケット。

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グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ(GMJO)は、オーストリアとハンガリーの若い奏者たちに門戸を広げる意味で、オーケストラ演奏経験を名指揮者たちのもとで積むというスタンスでスタートしました。
そしてすぐに、ヨーロッパ全域の若者を対象とし、さらに26歳までというラインも設定され、このオーケストラを卒業して、各地のオーケストラに旅立って行くというパターンが創出されました。
 このオーケストラの卒業生で造られた、マーラー・チェンバー・オーケストラについては、また次回となります。

 アバドは、若き日々から、シェーンベルク・ウェーベルン・ベルクの新ウィーン楽派の3人の音楽を、さかんに演奏してきました。
しかし、それには、諸所、段階がありました。
かつての昔は、このジャンルの音楽をコンサートのメインに据えるということは、なかなかに起こりえないこともその一因で、ウェーベルンの小品、ベルクの3つの小品、そのあたりを繰り返し演奏し続けました。

そして、有力ポストについて後、ヴォツェックやグレの歌などの、大きな作品に着手。
そんななかのひとつが、「ペレアスとメリザンド」です。

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この曲が大好きなものだから、アバドがいつ指揮するのか。
それが本当に待ち遠しかった。
かなり若い頃に、指揮はしているけれど、ベルリン時代の終わりごろに、「愛と死」のテーマのもと、集中して取り上げるようになりました。

わたくしのライブラリーには、2001年9月のベルリン・フィルライブがありまして、それはそれは、輝かしくて高貴で、美しい演奏で、ベルリンフィルの舌を巻くようなべらぼーなうまさも感じさせてくれる名演であります。
この時のプログラムは、F=ディースカウの語りによる「ワルシャワの生き残り」、P・ゼルキンのピアノによるピアノ協奏曲、というシェーンベルクの一夜なのです。
いまでは実現不能の、すごい顔ぶれです。

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(アバドには、ベルリンのフィルハーモニーとともに、ムジークフェラインもお似合い)

そして、2006年の4月には、GMJOとの欧州ツアーで、この曲と、マーラーの4番を取り上げていて、このときが、このコンビの最後の共演となっております。
結成いらい、各地を回りながら、毎年マーラーを中心に演奏してきました。
さらに、ウィーンモデルンでの現代音楽や、エディンバラでの「パルシファル」など、20年間のアバドとGMJOとの、幸せな結びつきでした。

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 (マーラーのときにも気になりました、パーカッションのかわゆい彼女)

この映像で見る若い奏者たちは、あたりまえだけど、本当に若い。
そして、その音色は、コクや音の背景も感じさせるベルリン・フィルの老練さには、足元も及びません。
 しかしながら、彼らの眼差しのまっすぐぶりは、アバドを尊敬の念を込めて見上げるその真摯な表情とともに、とても気持ちのいいものです。
ツアーを組んで、何度も何度も演奏してきているので、音楽はきっと自分の中に入り込んでいるはず。
だから、譜面を凝視しなくて、指揮者を見ながら演奏している場面の奏者も多々。
 アバドも、そんな彼らと、本当に楽しそうに指揮しています。
演奏が終って、何度も呼び返され、楽員たちもアバドに敬意を表し、立ち上がりませんが、アバドは自分ひとりが喝采を浴びることを、絶対にしない指揮者でした。
必ず、コンマスの手を取って、全員立たせてしまい、指揮台にも上がらず、一緒になってにこにこしてます。
 そんな謙虚なアバドは、相手が若者でも変わりありません。

シェーンベルクの青白い炎のような、甘味なるブルー系の音楽が、若いオーケストラの夢中の演奏から、静かに立ちあがってくるのを聴くことができました。

このDVDの良いところは、もうひとつ。

この曲の解説が冒頭に15分くらいあります。
シェーンベルクが凝って、そして編み込んだ物語の登場人物3人(ペレアス、メリザンド、ゴロー)を中心とするライトモティーフが、演奏シーンでもって紹介され、さらにブルー・グリーン・レッドの3色に置き換えることで、本編では、画面下に、その色のバーがほんのりあらわれるのです。
人物の心情がダブったりする場合は、二色になります。

観て、聴いて、シェーンベルクのペレアスへの音楽理解を深めることができるという、二重の楽しみがあるんです。

アバドが好きだった、マーラーとそのあとの新ウィーン楽派の作曲家たちの音楽。

若い奏者たちとの、生き生きとした表情は、この半年後、ルツェルンとの今思えば、最後の来日での、にこやかさとともに、病後、最良のコンディションにあったのでは、と思います。

若い奏者たちは、こうしてアバドや、ブーレーズなどの名手との貴重な体験を経て、プロ・オーケストラに旅立って行きましたし、なかなかポストもないことは、洋の東西ともに同じ。
アバドと仲間たちは、卒業生を中心とした、精鋭による、マーラー・チャンバー・オーケストラをあらたに創設したのでした。

次回は、マーラー・チャンバーとアバドの演奏をたどります。

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過去記事

 アバド&GMYOのマーラー4番

 バルビローリのペレアスとメリザンド

 ベームのペレアスとメリザンド

 エッシェンバッハのペレアスとメリザンド

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2014年2月14日 (金)

ジルヴェスター・コンサート1999 アバド指揮

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ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートを担当するのも、当然に芸術監督の仕事。

アバドはその任期中(1990~2002)、1991~2000年に渡って10回のジルヴェスターを指揮しております。

ジルヴェスターの関連記事は、すでに何本か書いてますが、アバド就任後に変わった「テーマ設定」というプログラミング。
 カラヤンのときは、王道名曲や大物ソリストとの共演というかたちで、それはとても華やかで、ジルヴェスターの醍醐味でありました。

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しかし、アバドは、毎年、ひとつのテーマをさだめ、それに絞った演目を一挙に取り上げるという考え抜かれたプログラムで挑みました。

さらに、コンサート・シーズンにも、おおきなくくりとしてのテーマ設定を行いました。
ロンドン響や、ウィーン・フィル時代にも主としてマーラーや世紀末を中心としたテーマ設定を行っており、文学・美術などとの連携も図る企画を催しておりました。
 ベルリンでは、それをさらに進化させ、大規模な年間スケジュールを組むこととなりました。
絵画・文学・演劇・映画・写真などのさまざまな芸術と絡めた多角的な催しは、知的なベルリンっ子をしっかり引付け、街自体が文化芸術に染まることとなったのでした。

 
いつもお世話になってます、「Claudio Abbado資料館」様を参照して、さらにアバドが開始した、ベルリン・フィル創立記念日5月1日のヨーロッパ各都市の史跡での、ヨーロッパ・コンサートも加えて、下記まとめてみました。

Abbadobpo

アバドの築いたこの体制を、サイモン・ラトルはしっかり引き継いで、より深化させていますこと、みなさまご存知のとおりです。

ロンドンで始めた試みが、保守的なウィーンでは志し半ばで止まり、カラヤン後のベルリン、しかも東西統一後のドイツ・ベルリンにおいて清新な空気も相まって始めたアバドの強い思い。
その開始が、ベートーヴェンであり、モーツァルトを愛したプラハであり、先見の明持つプロネテウスというところが、アバドの決意をよく伝えていると思います。

ジルヴェスターは、毎年NHKが生放送をカラヤン時代から行っていましたので、わたくしもそのすべてをビデオで録画してありまして、これから徐々にDVDに焼き直して行こうと思ってます。
画質・音質ともに、いまとなっては今一つなのですが、アバドとベルリンフィルの結びつきが、だんだんと強まっていくのが、これらでよくわかると思ってます。

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今夜は、それらの中から、1999年の「フィナーレ」を視聴しました。
1000年に一度の、世紀の変わり目の一瞬。
それを、音楽の終曲で持って、華々しく送り、そして、大アンコール大会とも言える「ベルリンの風」で持って迎える。
ゴージャス極まりないです!

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第1部 「グランド・フィナーレ」

 1.ベートーヴェン    交響曲第7番 終楽章
 2.ドヴォルザーク    交響曲第8番 終楽章
 3.マーラー        交響曲第5番 終楽章
 4.ストラヴィンスキー 「火の鳥」 カスチェイの踊り~終曲
 5.ラヴェル       「ダフニスとクロエ」 全員の踊り
 6.プロコフィエフ    「アレクサンドル・ネフスキー」 プスコーフ入城
 7.シェーンベルク   「グレの歌」 夏の風の荒々しい狩り

第2部 「ベルリンの風」

 1.パウル・リンケ      喜歌劇「グリグリ」序曲
 2.    〃      行進曲「フォリ・ベルジェール」
 3.    〃      ギャロップ「急ぎの手紙」
 4.トランスラトゥール 「ウィーンの楽しい遊園地 競技場のワルツ」
 5.フィッシャー      「泡立つシャンパン」
 6.ニコライ       歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
 7.コロ          「ウンター・デン・リンデンまで」
 8.パウル・リンケ    「ベルリンの風」

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                   ベルリン放送合唱団
                   ベルリン・リアス合唱団
         語り(シェーンベルク);クラウス・マリア・ブランタウアー

          
                        (1999.12.31 @ベルリン)


例年、ジルヴェスターは休憩なしで、1時間30分。
しかし、この年は、第1部で1時間30分。
残りの30分は、ベルリン1920年代の爛熟の音楽シーンを、ウィーンとの対比でもって特集。
これもまた、秀逸な試み。

20世紀最後の日に、アバドとベルリン・フィルがかけた意気込みです。

だいたいにおいて、1部のフィナーレ特集そのものが、超絶的で、短いとはいえ、濃密すぎる内容に、短時間に集中し、爆発させるというパワーとスタミナを要求されます。

おそらく、この頃には病魔が迫っていたアバドの凄まじい指揮ぶりと、それを受けて立つ休憩なしのベルリン・フィルのタフネスぶり。
もうもう、唖然としまくりの前半。

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             (みんな若い)

弾むリズムと心地いい疾走感のベト7、流麗・滑らか、そして大爆発のドヴォ8、アゴーギクも多用し、自在な盛り上げに、いつしか大興奮のマーラー。
まだまだ続くぞ、火の鳥。神々しさすら漂うすごさ。
合唱も加わって、大爆発のダフニス。
プロコフィエフのケバさもありつつ、渋いロシア臭感じるネフスキー。指揮者の気持ちよさそうな顔といったらない。
さらに、アバドが夢中になって指揮してるのが、丸わかりのシェーンベルク。
その生き生きした表情といったらありません。
昨年のルツェルンでの、グレ・リーダーの一部でも、ひと際輝いてたアバドの指揮ぶりと、その顔。
ここにも、それを感じます。
光彩陸離、ベルリン・フィル全開、煌めく音の洪水に、涙があふれ出しました。

これらの演目にこそ、アバドの個性と、その適性が如実に現れてます。
古典とロマン、マーラーと新ウィーン楽派、スラヴとロシアもの。
ここにあとは、オペラです。

シューンベルクを聴いたあとに、何をまた聴くんだ、お客さん。

そう、オモシロおかしく、ホールでアテンドしたのが、ホルンのクラウス・ヴァレンドルフ。

休憩の5分間に、ドイツ人っぽく、皮肉たっぷり、ジョーク満載のトークで、フィルハーモニーは大喝采。
 さらに、日本語で、「クラウディオ・アバドとベルリン・フィルハーモニーから、あけましておめでとう!」としっかりスピーチ。
これまた会場は、割れんばかりの拍手。

当時の、NHKとソニーの技術の背景を感じるひとコマです。
いまや、それは、某国にとってかわられ、ウィーン国立歌劇場の配信サイトを見れば唖然とするありさま。

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後半の、まるで、ウィーンのニュー・イヤー・コンサートを思わせる、ベルリンオペレッタの洒脱さと、元気のよさ、そして妙に明るい退廃っぷり。
 それをアバドが指揮する? 天下のベルリン・フィルが指揮する?
ってな感じなところが実によい。
口笛ヒューヒュー鳴らしちゃうし、パーカション、バチで遊んでるし、みんなニコニコ。
アバドも、ニコニコ。
投げキッスもしてるし、口笛吹く仕草までしてるし(笑)

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この中では、フィッシャーの「泡立つシャンパン」が、まるでハリウッド的にアメリカンで、コルンゴルトっぽいし、アバドがこんな曲を嬉々として指揮するのが、とても嬉しかったし。
そして、かのルネ・コロのオヤジさんの曲も楽しかった。

最後の、ベルリンの市の歌ともいうべき、「ベルリンの風」は、出だしだけ指揮して、あとは指揮台を去ってしまったアバド。
指揮者なしの、ベルリン・フィルで、今日は、何故だか哀しい映像だった・・・。

コンマスの安永さんが、アバドを迎えに行き、大ブラボーで幕でした!

この演奏会を含め、ジルヴェスターの演奏会は、いずれも、あらためて映像作品になろうかと思います。

アバドの、指揮者としてのキャリアの、ひとつの完成系をもたらしたベルリン・フィル時代。

ひとまず、ここで、ちょっと戻って、次は、若者との交流の成果について、聴いていきたいと思います。

ベルリンフィルとは、ひとまずお別れで、また再度。

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2014年2月11日 (火)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 アバド指揮

Tristan

アバドが、胃癌に倒れ、療養を発表したのが、2000年6月頃だったかと記憶します。

思えば、その前から、病魔はアバドの体をむしばんでいたはずで、それでも、アバドは不調のなか、ベルリン・フィルと精力的に活動してりましたから、まさかの活動休止の報でした。

当時、取り上げていた演目は、大作ばかり。
ブルックナー9番、マーラー9番、大地の歌、新世界、コシ、ロ短調ミサ、そして「トリスタンとイゾルデ」。

自分が長年、抱いてきたこれらの作品への思いを実現する、その時期に達したという思いがきっとあったに違いありません。
そしてベルリンフィルとの関係も、まさに熟した、ともいえるその頃。

その思い半ばで病に倒れたアバドは、術後、驚異的な回復を示して、10月にはベルリンの聴衆の前に姿を現しました。
 そして、11月の末、心配されましたが、日本にベルリンフィルを引き連れ、やってきました。

ザルツブルク・イースター祭の引っ越し公演としての「トリスタンとイゾルデ」の舞台上演を中心に、ベートーヴェンの交響曲。
そして、万が一のためともあり、ヤンソンスが帯同して、彼はドヴォルザークを指揮するという、数あるベルリンフィルの来日では、日本初ベルリンフィルオケピットという超豪華版で。

わたくしは、アバドが休養発表する前、たしか5月の、その日は子どもの運動会かなにか。
そのチケット発売日に、いまや古めかしい携帯を掛けまくり、決死の思いで、「トリスタン」のチケットを入手したのであります。

その後の、癌の告白。
アバドのことが心配で心配でなりませんでした。
そして10月に復活。
そのあとは、ほんとうに日本にやってきてくれるのか?
トリスタンなんて大作、病みあがりで指揮できるのか?
こんどは、それが心配でなりません。

Tristan_abbado2000

  ワーグナー  「トリスタンとイゾルデ」

 トリスタン:ジョン・フレデリック・ウエスト イゾルデ:デヴォラ・ポラスキ
 マルケ王:ラースロ・ポルガー       クルヴェナール:アルベルト・ドーメン
 ブランゲーネ:リオバ・ブラウン       メロート:ラルフ・ルーカス
 牧童・水夫:ライナー・トロスト        舵手:アンドレアス・ヘアル

   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                    ヨーロッパ祝祭合唱団
       演出:クラウス・ミヒャエル・グリューバー

             (2000年11月23,27日、12月1日 @東京文化会館)
 
   

オーケストラコンサートより先にトリスタン。

無事に来日し、幕を開けたとの報に、安堵し、情報はシャットアウトして、自分の購入した最終日を迎えました。

奮発して最上の席、そして目の前に現れたアバドの痩せこけた姿を見て、衝撃を受けました。
いつものあの飄々とした挨拶でしたが、くぼんだ目に光る眼光は、とても鋭く、決死の眼差しすら感じました。

そして始まった、トリスタンの「憧れの動機」。
その半音階に絢どられた旋律が、こんなにも悲しく、でも明晰に繊細に響くのを聴いたことがなかった。
続く「愛の旋律」も同じく。
重なりゆき、重層的に響きあい、クライマックスを迎えても、オーケストラピットからは、透明感あふれる繊細なトリスタンが立ちあがってくるのでした。
 いまアバドが戻ってきて、しかも、わたくしの最愛のワーグナーの、それも「トリスタン」をわたくしの目の前で指揮している。
それだけで、感無量となり、目の前がぼやけてきてしまいました。

もう13年も前のことですが、昨日のことのように覚えております。

Tristan_4
  
(音楽の友誌より拝借してますので、こんな風に、以下同じ)

グリューバーの演出は、スチールパイプを縦横に組み合わせた無機質的なセットを背景に、どちらかといえば、真新しいものの少ない、むしろファンタジー不足の舞台でしたが、それがかえって、ワーグナーとアバドの作りだす音楽を阻害せず、むしろ過不足なくそこに収まっていたのがよかったです。

アバドとベルリンフィルが、この夜の主役。
熱くもならず、冷たくもならず、不感症でもなく、ましてや絶叫したり、大音響の中に埋もれることもない。
どこまでも、知的で、透明感にあふれ、しなやかで敏感。
濁りのまったくない明晰な響きは、音がどんなに重なっても、そのすべてが耳に届きました。
絹糸のように、繊細に重層的に織り重ねられたライトモティーフの綾。
ワーグナーの筆致に驚くとともに、ベルリンフィルとのスーパー高性能ぶりに驚き、アバドのもとに、完全に一体化していました。

Tristan3

第2幕では、舞台装置がデフォルメされた林のようになっていて、そこで歌われるトリスタンとイゾルデの二重唱が、あまりにも美しくて、ずっと終って欲しくない、マルケ王の踏み込みは、ずっと来ないで欲しいと心底思いました。
ブランゲーネの甘味なる警告と、高まりゆく愛の動機。
この光景を見ながら、わたくしは、シェーンベルクの「浄夜」を思い、脳裡に響いたりもしました。

この場面をピークに、この日、もっとも感銘を受けた歌手のひとり、ポルガーのマルケ王の深いバスの長大なモノローグから、急速に「アバドのトリスタン」は悲しみの色を増してゆきました。
当時の自分のメモを読むと、ここに、マーラーや新ウィーン楽派の響きを感じたとありました。
なるほどに、それほど研ぎ澄まされた、洗練されたワーグナーだったのです。

幕が進むごとに、アバドの指揮ぶりは、鬼気迫るものを感じさせ、音楽にどんどん集中していくのが、そのうしろ姿からあふれ出て見えました。
そんなに、気をこめて、そんなに集中して、そんな姿が必死すぎて、わたくしは、もうマエストロ、いいですから、無理しないで・・・・、そんな風にして祈るようにもして聴きました。

3幕のトリスタンの長大な嘆きも、新鮮な響きが一杯。
バカでかい声の持ち主、ウェストは、アバドの繊細なトリスタンにはどうかと思いましたが、軽々とホールにその声が届いたのは、そのデカ声のせいばかりでもありますまい。
オーケストラは、どんなに抑えてもよく聴こえるし、そこに声がしっかり乗るように響いていたからでした。
そんな協調作業が、素晴らしかったのは、ドーメンのクルヴェナールと、ポラスキのイゾルデでした。

Tristan_2

「愛の死」での、細やかで、情のこもったポラスキの歌いぶりと、アバドの指揮する飛翔するかのような、しなやかで暖かなオーケストラ。

わたくしは、もう涙腺決壊し、あふれる涙を押さえきれませんでした。

静かに音楽が消えて、ホールは静寂につつまれました。

そのあとの、大きな拍手とブラボーの嵐は、いうまでもありません。

ずっと続いたカーテン・コールに出てきたアバドの焦燥しきった姿。
でも満足の、いつものあの笑みと、オーケストラを讃えるあの独特の手の平と指。

楽屋口で、出待ちをしました。
おなじみの楽員さんのお顔。
そして大柄で、大らかな笑顔のポラスキ。
でも、アバドには、ずっと待ちましたが会えませんでした。

わたくしの、音楽生活の3大エポックが、いずれもアバドの指揮です。
「スカラ座とのシモン」「ベルリンとのトリスタン」「ルツェルンのマーラー6番」

この「アバドのトリスタン」は、ベルリンでの演奏会形式上演がレコーディングされながら、発売は見送られました。
いつの日か、それを耳にする日が来ることを願います。

アバドが芸術監督をつとめたザルツブルク・イースター音楽祭。
ベルリンに着任してからすぐにそのポストには付かず、カラヤンの後をすぐに継いだショルティを補佐し、正式就任したのが1994年。
スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ベルリンフィルがピットに入るザルツブルクと、続けてオペラ上演の場を得たことになります。
上演演目は、「ボリス・ゴドゥノフ」(2回)、「エレクトラ」「オテロ」「ヴォツェック」「トリスタンとイゾルデ」「シモン・ヴォッカネグラ」「ファルスタッフ」「パルシファル」の9年間・8演目です。

いずれも、ORFで放送がからんでるはずですので、今後、正規音源化される可能性はなくはないです。
 そして、いま視聴可能な「アバドのトリスタン」は、「前奏曲と愛の死」と、ルツェルンでの「第2幕」、非正規ライブの「第3幕」です。
これを3つ繋ぎあわせて、1幕の本編以外を聴くことができます。

Abbado_2

 こちらは、「前奏曲と愛の死」は、2000年11月の録音で、日本にやってくる直前の演奏。

Abbado_tristan

 ルツェルン祝祭管とのライブ映像は、2004年8月。
ウルマーナ、トレレーヴェン、パペ、藤村、ブレッヒュラー。
迫真の指揮と、オーケストラのアバドを見上げる眼差しがいい。

非正規盤は、きっと放送音源からで、音揺れが若干ありますが、かなり音はいいです。
ポラスキ、ヘプナー、サルミネン、ドーメン、リポヴシェク、ゴールドベルクと豪華布陣。
1998年11月9日のフィルハーモニーにおけるライブ。
きっとこの演奏会あたりが録音されているのでしょう。
ヘプナーのトリスタンは素晴らしいです。

このようにして、「アバドのトリスタン」の音源の正規発売に思いを焦がす、わたくし。

あの日、あのときの、アバドの指揮姿を脳裡に刻んで、待ちたいと思います。

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2014年2月 9日 (日)

チャイコフスキー 交響曲第5番 アバド指揮

Hamamatsucho201402_a

ちょっと遅れた2月の小便小僧さん。

疾走する新幹線も一緒に撮れました。

五輪の旗と日ノ丸をしょってますよ~

Hamamatsucho201402

さらに、背中にはスケートブーツ!

今月は、例月にも増して凝ってますね~

なにかとありましたから、なごみますね。

Tchaikvsky_sym5_abbado_bpo

  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                       (1994.2 @ベルリン)


月イチシリーズ。
順番ではベルリオーズだったけれど、2月はアバドを偲んで、チャイコフスキーの出番にいたしました。

ウィーンフィルとの「悲愴」は、先に取り上げました。
その「悲愴」は、アバドは、ウィーン・シカゴ・ベルリン・シモンボリバルと4つの録音を残してます。

一方のお得意曲、5番は、ロンドン・シカゴ・ベルリンの3つ。
ウィーンフィルでも聴いてみたかったものです。
ついでに、ドゥダメル君のあのオケでもはじけて欲しかったな。

きっと若い日々から、この曲が好きだったと思わせる1970年、アバド38歳のDG録音。
かっちりとした構成感を築きながらも、各楽章は、歌いに歌いまくり、ロンドン響も、完璧に着いてきます。
明るくて、前を向いて前進したくなる、そんな演奏が大好きでした。

シカゴでの演奏はその15年後、CBSの録音が硬くて、それがあの全集のマイナスイメージを、自分のなかで作り出しているのですが、そこはやっぱりシカゴ。
全能の威力でもって、アバドの指揮を受け止め、機能全開フル回転の凄さです。
プロフェッショナルにすぎて、怖いくらいの演奏ですが、そこはアバドですよ。
歌と、柔らかな表情、ピアニシモの美しさなど、アバドならではの個性もたくさん。

そしてベルリン。

94年2月のライブがCD。
翌月のザルツブルク・イースターのライブを自家製CDR。
10月の日本公演、サントリーホールライブは、テレビの放送録音。

Abbado_bpo

この3つで、一番熱いのが、日本公演。
映像を伴ってるからかもしれませんが、「禿げ山(オリジナル)」「火の鳥」「チャイ5」と、アバドの大好きなお気に入りロシアもの3本だし、大いに奮発して指揮している姿が丸わかりのものでした。

こちらの映像は、NHKがアバド追悼で放送するそうです。
番組表、気を付けてチェックしていてください(と、いつも忘れてしまう、自分にも言ってみる)。

CBSの、フィルハーモニーでのライブCDは、安定感とともに、アゴーギグが豊かで、手の内に入ったチャイ5を自在に奏でる感があります。
録音もこれはいいです。
 そうした自在感や、テンポや強弱の揺らしは、アバドにしては珍しいもので、いかにこの音楽への、のめり込み具合が高いかがうかがえます。

インテンポに徹し、ロンドンのニュートラルな音色を歌心でもって活かしきったロンドン盤と、自信にあふれ、当代一の名器を手にして、思いきり、好きなチャイコフスキーを喜びを持って表現しつくしたベルリン盤。
 どちらも、わたしたちがよく知っているアバドの姿であります。

チャイコフスキーの第5番は、運命的なファンファーレを持つ4番とともに、こちらのその運命は、ほの暗いその主題が増殖し、発展し、やがて歓喜へと導かれる循環・発展主題を持つ、かっちりした交響曲でもあります。

そんな背景もしっかり感じさせるのが、アバドとベルリンフィルでした。
 カラヤンの偉大さは、商業主義とか言われつつも、じつはその音楽は至極まっとうで、ドイツ、しいてはヨーロッパの伝統に根ざした美しい均整のとれたフォルムを持つもの。
 アバドも、同じで、どんなときでも形崩れのない、万全の姿勢の良さを保って、その上で、各声部を存分に歌ってみせる。
このバランス感覚こそが、オペラ指揮者でもあったアバドの本領です。
 さらに、そのうえでみせる、ライブにおける爆発力。

そして、このジャケットに象徴される、アバドがロシアに持つ思い=ムソルグスキーの社会派・反体制派的なもの。
それは、弱き民衆への愛情なのですが、チャイコフスキーとムソルグスキーを結びつけるような、ユニークさも、この演奏は持ち合わせていて、カップリングの救いの少ないショスタコーヴィチ編のムソルグスキー歌曲の流れで聴くと、アバドの意図がよくわかります。

ロシアの広い大地と、その矛盾。
そんな思いを巡らすことのできるアバドの取り組みでした。
ことのほかの「渋さ」も、アバドのチャイ5の特徴です。

ベルリンでの録音が、スタジオからライブへと、すべて移行したのは、コストの問題ばかりでもありません。
ライブで起こる、アバドの煌めきと、ストーリー性、それゆえなのでした。

今日は、雪を見ながら、アバドのチャイ5を、各演奏、何度も聴いてしまいました。

ルツェルンで、今年はブラームスが予定。
もしかしたら、次はチャイコフスキーもあったかもしれない、そんなマエストロ・アバドです。

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2014年2月 8日 (土)

ベートーヴェン 交響曲第4番 アバド指揮

Abbado_bpo_1

ずいぶんと、ソフトフォーカスな画像ですいません。

ベルリンフィル芸術監督就任時の音楽の友社の誌面から拝領しました。

就任披露の初定期のメインプロは、マーラーの1番。
加えて、現代曲もまじえるところがアバドならでは。

カラヤン時代には、現代作品は客演指揮者の仕事で、それでもカラヤンはペンデレツキを指揮した記録もあります。

こんなぼやけた写真とは、大違いの、シャープで明快な演奏を繰り広げたのが、アバドとベルリン・フィルです。

就任後、くすぶり出したアバドへの不満も、当然にありました。

カラヤンと違って当然で、マーラーや新ウィーン楽派ばっかり。
華々しい録音活動は、おりからの音楽業界不況の流れで、ライブへと取ってかわり、その数も大幅に減りました。
 カラヤンが、「やる」と言ったことが、録音も含めて、すべていいなりになった時代は幕が降りたのです。

スタジオ録音があると思えば、花形ソリストのバックで協奏曲ばかり。
指揮者は、リハーサルでは無口で、おざなりのことしか語らない。
そんな楽員の言葉もメディアには出てきたりして、わたくしはやきもきしたものです。

アバドのベルリン時代は、カラヤンの亡霊と戦ったのが、その任期の1/3ぐらい。
その後が、アバドの音楽を浸透させる端境期で、賛否両論読んだ時期。
最後の1/3が、お互いが認め合い、慈しみあい、やがてオーケストラがアバドを完全に愛してしまった時期で、病後の時期にも重なります。

そんな3つの季節に大別できるような気がします。

その後にも、卒業したルツェルン時代のアバドとベルリンフィルは、相思相愛のたぐいまれなコンビとして、年一度のランデブーを、昨年まで、わたしたちファンに見せてくれました。

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 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                (1993.5 ベルリン・ライブ放送音源)
                (1999.2 ベルリン・DG音源)
                (2001.2 ローマ・映像、DG音源)


わたしの持つアバド&ベルリンフィルの、ベートーヴェンの4番の音源は、この3つ。

7番とともに、アバドに最も資質のあった番号が4番だと思ってます。

以前に、数種ある録音の比較をしてみたのが第7交響曲でしたが、アバドのベートーヴェンは、ベーレンライター版の出版と、それを果敢に取り入れたことで、次々に変化していきました。
最初のものが96年のザルツブルクライブの第9ですが、あれが発売されたときは、アバドの版の選択に際し、またアバドが多くを把握してないのではないかとの疑念を抱かれ、けんけんがくがくとなったものです。

しかし、アバドはめげずに、ベルリンフィルで、新しい校訂版にこだわり、それをこの伝統あるオーケストラに植えつけたのでした。

その試みが、いつ頃からだったのかということが、とても気になり、音源で4番に限り、探索してみたのです。
 7番のときに、聴いた93年のライブには、さしたる変化は感じなかったのですが、いまじっくりと、同じ演奏会の4番を聴いて、その後のふたつのDG音源を聴いてみて、この3つの印象は、これらと、ウィーン時代のものとの違いほどの大差はないように感じました。

演奏時間が、その演奏の評価を決めるものではないのですが、参考タイムを。

   Ⅰ   Ⅱ   Ⅲ   Ⅳ   TTL
 ウィーンpo(87)  12'14  10'22    5'44   7'36  35'46
 ベルリンpo(93)  12'06  10'02   5'45   6'59  34'52
 ベルリンpo(99)  11'34   9'48   5'54   6'39  33'54
 ベルリンpo(2001)  11'08   9'13   5'45   6'44  32'56

(ウィーンフィル・サントリーホールライブ)

こうして見ると、ウィーン時代と、ベルリン時代との間で感じる大きな違い。

ブライトコプフ版が87年と93年。
ベーレンライター版が、残りふたつ。
終楽章のテンポは、ウィーンとベルリンで版の違いとは異なるイメージ。
アバドの意志の現れ。

・大らかで、抒情も感じさせるウィーン盤、ティンパニの音も柔らかで緩め。

・深々としたマスとしてのオケの威力を感じさせる93年ライブ、旺盛な推進力、たっぷり鳴ってます。

・急緩の落差をくっきり引き出し、いくぶん性急すぎるくらいに感じる99年。

・抜群のリズム感、歯切れよく、一方でアバドらしい流麗さも。充実の01年。

ウィーン流儀に傾いた感のあるアバドのウィーンのベートーヴェンは、ベームやバーンスタインとともに、そしてクリムトのジャケットの思い出も加わり、とても大好きです。
87年の来日で行われた全曲チクルスは、FM放送されまして、いい状態で録音することができて、いまもCDR化して、万全の状態で聴くことが出来てます。

Abbado_rome

ベルリンに行ってからの変化は、実はとても大きかったのではないかと、いまにして思います。
ベーレンライター出版前にも関わらず、キッレキレで、力強いベートーヴェンは、4番の優しいイメージも持ちながら、作者の隆々とした強い意欲を感じさえる演奏です。

それを、版の裏付けも伴って進化させたのが、残りのふたつ。
ことに2001年の演奏、さらに同じ映像は、透徹の微笑みと力感あふれる至高の名演となりました。
嬉々として音楽に打ち込む、マエストロの姿を見ていて泣けてきました。

参照までに、第7第9も、聴き比べをしております。

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2014年2月 6日 (木)

佐村河内氏 騒動について

驚きの報でしたが、自分は、あぁ、そうだったのか・・・と、昨日は思いました。

いまの自分は、仕事も家庭もたいへんだし、音楽聴き生活においては、40年以上も敬愛してきた、アバドの逝去のショックが大きく、1月20日以来、夜には日々、アバドを聴き、その足跡をたどることで、アバドへの追悼の思いを紡いでおりました。

それが、この騒ぎ。

まったく迷惑このうえないこと。

佐村河内さんと、その作品を、積極的に取り上げ称賛してきた自分だから、各所から寄せられるコメントにも対応しなくてはなりません。

本心を申しますと、いまは、佐村河内氏のことよりは、アバドが亡くなった喪失感の方が大きいし、その音楽をこの機に振り返り、いまの気持ちをブログに残すことの方が、自分には第一優先のことです。

そんな自分の思いを乱す点で、本日あきらかになった佐村河内氏の偽りの姿を演じる行為には、なおのこと、憤りを感じます。

震災後に知り合った、今となっては著作権法上、作者不詳の交響曲。
あの曲に、震災の切実なエモーションも加わり、大いなる感銘を受けました。
そして、当時、仕事面でも多大な損失もこうむり、零細自営業者としては、もう先がないと、悲観的になっていた自分。
あの音楽との出合いは、救いとまだやれるという望みを気持ちのなかに引き起こすこととなりました。

それだけのことがきっかけですが、そこに後に詳しく知ることとなった氏も書かれた書籍にあった自伝などの壮絶ぶりなども、音楽の感銘に上乗せさせることとなったのも事実かもしれません。
ましてNHKの取材を受けるなど、思いもよらないことでした。

舞いあがった自分にも反省は必要かもしれません。

 静かに楽しみたかったものが、大手プロモーションやマスコミによる過剰な衣裳をまとったあの曲と、なによりも露出過多の佐村河内氏に、戸惑いを覚えざるをえませんでしたが、いまは、彼らは態度を180度変えることになりましょう。
 まるで、それ見ろ的な意見や、自分はそうは思ってなかった的な意見も、すぐさま現れ、こんな個人のへっぽこブログにもちゃんとやってきてくれてます。

ですが、残された作者不詳の作品群は、捨て置いてはならないと思いますし、あのとき感動した自分が否定されるようです。

どうか、葬り去らずに、フィルターを取り除いて、普通に評価されることを待ちたいです。

まだ思いはまとまりませんし、進行中の出来事です。

佐村河内氏の子供たちに向けた笑顔や、石巻の少女に流した涙は、本物だと思います。
人間の弱さを、氏も、わたしたちもたくさん持ってます。
 氏には、これからもしっかり生きていっ欲しいですし、自ら名乗り出た新垣氏にも、正当な評価と、今後の活動の場が与えられることを願います。

そして、本件については、当面は語りません。

繰り返しですが、それよりアバドのことが、わたくしには大切なのです。

次回から、アバド追悼に戻り、通常営業いたします。

(佐村河内作と言われた作品の記事は残してありますが、カテゴリータグを外しました。
いずれ、あらたなカテゴリーを付そうと思います)

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2014年2月 4日 (火)

ブラームス 「運命の歌」 アバド指揮

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1989年10月、クラウディオ・アバドはついに、ベルリン・フィルハーモニーの芸術監督に選出され、ミラノ、ウィーン、ベルリンを歴任し、カラヤンのたどった道のりを踏襲した、唯一の指揮者となったのでした。

しかし、アバドは、カラヤンとはまったく次元の異なる存在であり、大巨匠然とはならずに、謙虚に、しかも、ベルリンはひとつの完成形で、そのあとにもまた、新たなステージを自ら設けるという、誰しも成し得ないことを達成したことは、みなさまご存知のとおりです。

ベルリン時代のアバドに至るにあたり、カラヤンのあと、いかにしてアバドが選ばれたかを、当時の記録などに基づき書いておきたいと思います。

1989年4月、長い在期の帝王君臨時代であったカラヤン期の終了、そしてその7月の驚くべきカラヤンの死去。
当時のクラシック音楽ファンにとって、アンチであっても、カラヤンとベルリンフィルの関係の終了と、その突然の死は、それぞれの聴き手の、クラシック音楽との関わりの中でも、ひとつの時代の終了という風に受け止められました。

カラヤンの死から3カ月後に、ベルリンフィルの楽員たちの選挙によって選びだされた次の指揮者が、アバドと公表されたときは、世界中が、あれ?っという感じの受け止め方だったと思いますし、アバドファンのワタクシでさえ、え?って感じだったのです。

当時のアバドは、スカラ座とロンドン響を卒業したとはいえ、ウィーン国立歌劇場の音楽監督として、ウィーン市自体の音楽責任者のような立場にあって、多忙を極めていた時分です。

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1989年10月8日に、ベルリンフィルの楽員総選挙が行われました。

その模様を、当時、NHKFMが、アバドの就任特集の中で、放送しまして、わたくしは、一喜一憂しながらメモを必死に取ったのでございます。
インタビューアは、亡き黒田恭一さん。
レポーターは、1959年から2001年までの長きに渡り、ベルリンフィルのヴィオラ奏者をつとめられた土屋邦雄さんでした。

・10月8日の本選の前に、楽員ぞれぞれが3人の候補指揮者を書いて投票。

・その予備選で選択された指揮者が13人

 「アバド、バレンボイム、バーンスタイン、ハイティンク、ヤンソンス、クライバー
  クーベリック、レヴァイン、メータ、ムーティ、小澤、ラトル」
(abc順)

・10:00  13人を8人に絞り込む投票を、ジーメンスビラで行う。
 外部との連絡シャットアウト、缶詰状態。

 「バーンスタイン、ハイティンク、クライバー、レヴァイン、マゼール、ムーティ
  メータ、ラトル」


  この時点で、アバドはもれています・・・・

・上記8人から、そもそも受諾の意思なしの3人を除外。

 その3人は「バーンスタイン、クライバー、メータ」

・しかし、ここで、新たなルールが発動。
 辞退者が出た場合は、最初の選出者を再度交えて投票とのルール!
 ということは、13-3=10人。

 この10人の指揮者に対して、楽員たちが、その思うところを、推薦演説。

・再度の投票で選択された6人

 「アバド、ハイティンク、レヴァイン、マゼール、ムーティ、ラトル」

 ここで、いままで後手に回っていた、アバドを押す声が次々に高まり、数十人が演説。
 クライバーが無理なのだから、アバドを、という声も!

・2回目選出投票で3人

 「アバド、ハイティンク、マゼール」

・3回目選出投票で2人

 「アバド、ハイティンク」

・最終投票→打診→OK 「アバド」note

土屋さんも語っていた、「どんでん返し」という言葉

もしも、あらたなルールがなければ、アバドではなく、ハイティンクか、マゼールだったかもしれない、ベルリン・フィルの指揮者。

まさに「運命の力」、「運命の歌」でございました。

われわれ、アバドファンにとっては神の差配だったのでした。

もちろん、わたくしは、アバドと同時に、ハイティンクも大好きなので、それはそれ、結果オーライだったのですが、マゼールが嫉妬に身を焦がしたのも、ベルリン・フィルの指揮者という世界最高峰の地位のなせる技なのでしょう。

人一倍謙虚なアバドは、すんなり受け入れ、天下のベルリンフィルを、すんなりと、別次元の高性能オーケストラに変貌させてしまいました。

こんな経緯を知るにつけ、アバドの音楽性がよくわかります。

静かに微笑む知的な感性ですが、それが人を魅きつけ、いつしか、この人なら安心、という風に思わせ、やがて心酔させてしまう魅力の塊。

それがアバドです。

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 ブラームス 「運命の歌」

         
交響曲第3番 ヘ長調

  クライディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

アバドにとっても思い入れの深い作曲がブラームス。

それ以上に、ベルリン・フィルとしては、ベートーヴェンやブラームスをいかに指揮してくれるかが、一番大事なポイント。

アバドの芸術監督選出のポイントとなる演奏会が、1989年9月、カラヤン亡きあとのシーズンオープニングの演奏会に招かれたアバドの指揮のものでした。

プログラムは、こちらのブラームス2曲と、間に、ポリーニを招いてのシューマンの協奏曲。

これが実に素晴らしい出来栄えで、ライブにおけるアバドの感興あふれる素晴らしさに、楽員たちは引き込まれてしまったのでした。
ことに交響曲が凄かったと。

いまあるCDは、それらの演奏会のもではありませんが、アバドらしく、しなやかさと歌心にあふれた、安心の名盤です。

ことに、「運命の歌」は、とても地味な音楽ですが、アバドによって広まられ、またアバドによって、自分でも好きになった曲です。

こちらの記事で書きましたし、シュナイト&神奈川フィルのとんでもない名演にも接してます。

ヘルダーリンの詩に基づく、悲劇的な内容のテキストですが、ブラームスのつけた音楽は極めて生真面目で、かつほどよい甘さもあり、安らぎや癒しの面持ちにもあふれてます。
 アバドは、この曲が大好きで、若いころからずっと演奏し続けてきました。

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デッカ時代のニュー・フィルハモニア盤、DGのベルリンフイルとのブラームス全集の一環、CBSへの、ヘルダーリン特集のライブ。
これらが正規録音3つ。
 さらに、ベルリン・フィルの退任演奏会でも、この曲を指揮しました。
2002年4月の最後の定期演奏会です。

この曲に、ここまで全霊を打ち込んだ指揮者は、アバドをおいてほかにはおりません。

アバド亡き日々、わたくしは、この曲を前にも増して、4つの録音をその機に応じて、聴き続けております。

きっかけの始まりと、その終わりにあった、ブラームスの「運命の歌」でした。

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2014年2月 3日 (月)

休憩時間~ウィーンのアバド

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ウィーン国立歌劇場の音楽監督室のプレート。

1988年、アバドがその地位にあったときのもの。

日曜に、いろいろ探し物をして、かつてのビデオテープをDVDにしたもので、アバドのものを発掘。

民放局で、1989年頃に放送された、「ウィーンの街」の特集。

岸恵子さんが、ウィーンの街を探求し、オペラハウスやムジークフェラインもふんだんに紹介した番組でした。

国立歌劇場に登場した、若々しい小澤さんは、「エウゲニー・オネーギン」を颯爽と指揮。

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同時に、音楽監督アバドは、シューベルト劇場で、「フィエラブラス」を上演。

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さらに、ムジークフェラインでは、シューベルトのザ・グレイトをメインとするコンサート。

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マエストロ・アバドは、いつも、この薄いブルーのシャツです。

ファッションには、頓着しないけど、いつも同じような格好でも、アバドはアバド、とてもお似合いでした。

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ベルリンのフィルーモニーにもマッチしますが、アバドはムジークフェラインがしっくりくる。

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岸恵子さんは、かかんにも、リハーサル後の、音楽監督室までの3分間のインタビューに、お得意のフランス語で挑みました。

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フランス語に応じるアバド。

にこやかに、そして冷静沈着です。

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歩きながらのインタビューで終わりの予定が、監督室へ招きいれて、延長。

「ウィーンが恋するアバドさんですが、いかがですか?」

「わたしもウィーンは大好き。音楽ばかりでなく、世界でもっとも芸術が栄え、映える街ですね」

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眼差しは優しく、静かな口調のなかにもウィーンへの愛が感じられると、岸さん。
音楽への愛と、厳しさ。
そしてイタリア人らしい、明るくて鋭いユーモアも感じ、スゴイ人だなと思いました、と。

期せずして、ウィーンの街を行く小澤さんに出会った岸さんは、ただならぬ殺気が横切ったように感じましたと言ってます。

そして、鬼気迫るダイナミックな小澤さんに対し、アバドさんは、静かで、心に沁みとおるようなお人柄を感じました、と語っておられました。

25年前の映像に、かわらぬアバド像を見つけて、懐かしくて見入ってしまいました。

この番組には、小澤さんの指揮する「オネーギン」や、ジョーンズとリザネックの共演による「ワルキューレ」なども見ることができます。

わたくしにとっては、まさにお宝です!

ウィーン時代の、番外編としてお届けしました。

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2014年2月 2日 (日)

ベルク 「ヴォツェック」 アバド指揮

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ウィーン国立歌劇場のサイトでのアバド追悼ページ。

ウィーンフィルもそうでしたが、いくぶんあっさりとしてます。

アバドが関係してきた劇場やオーケストラのなかで、その特別ページが充実しているのは、やはりベルリンフィル。そして、スカラ座とロンドン響でした。

ウィーンとはデビュー以来、蜜月期間が長かったけれど、90年代終わり頃に冷え切った関係となってしまい、ウィーンフィルの指揮台に立つことがなくなってしまった。

91年のフィルクスオーパーから兼任の形でのヴェヒター男爵の総監督就任は、ウィーン生まれの同氏が、アバドの根差した深いドラマ性を持つオペラへの偏重に異を唱えるように、伝統回帰を打ち出しました。
 さらに、ヴェヒターの片腕は、辣腕化のホーレンダーが選らばれ、アバドは、彼らとソリが合わず、音楽監督の座を投げだすこととなりました。
そのヴェヒターも、92年には急死してしまい、ホーレンダー体制が引かれ、アバドはウィーンから遠ざかることとなりました。

 さらに、2000年には、ザルツブルクで、ウィーンフィルと「コシ・ファン・トゥッテ」と「トリスタン」を上演することになっていたが、キャンセルを表明。
演奏のたびに、楽員が変わる、ウィーンフィルのシステムに不満を表明したためとありましたが、体調の不安もあったのではないでしょうか。

アバドのオペラに対する意気込みと、完璧な上演を求める思いは、このように妥協がなく、地位をなげうっても、その意志を貫く強さもありました。
スカラ座のときも同様のことが何度かありました。

何度か書いてますが、アバドのオペラのレパートリーは、かなりユニークで、まんべんなく広く上演するというより、ひとつひとつの作品を何度も、じっくりと取り上げる慎重さがありました。
長くメトにとどまり、広大なレパートリーを誇るレヴァインとは、まったく違うタイプです。

「シモン・ボッカネグラ」、「ボリス・ゴドゥノフ」、「ヴォツェック」の3作が、アバドが最も愛したオペラ作品ではなかったかと思います。

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  ベルク  「ヴォツェック」

 ヴォツェック:フランツ・グルントヘーパー    マリー:ヒルデガルト・ベーレンス
 鼓手長:ヴァルター・ラファイナー        アンドレス:フィリップ・ラングリッジ    
  大尉:ハインツ・ツェドニク                        医者:オーゲ・ハイクランド 
 マルグレート:アンナ・ゴンダ          ほか

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
                   ウィーン少年合唱団

                   演出:アドルフ・ドレーゼン

                       (1987.6 @ウィーン国立歌劇場)


この、アバド好きにとって、大切な「アバドのヴォツェック」。
思えば、一度も記事にしてなかったけれど、まさかこんなときに取り上げようとは・・・。

アバド亡きあと、その足跡を、関係したオケやハウスを振り返りながら確認してきました。

1986年に、マゼールの後をうけてのウィーン国立歌劇場の音楽監督時代は1991年まで。
得意の「シモン・ボッカネグラ」で84年に初登場してから、アバドは、ウィーンで多くの名舞台・名演奏を残しました。
その多くが、音源・映像化されてますので、ほんとうにありがたいことです。
ここでも、先にあげた3作を何度も取り上げてますし、スカラ座以来、理想を求めてきた「ペレアスとメリザンド」と「フィガロの結婚」、「ホヴァンシチナ」、「ローエングリン」、「アルジェのイタリア女」は、ウィーンでもって完成形となり、最高の精度を誇る名演として残されました。

さらに、シューベルトのオペラや、自身が発掘したロッシーニの「ランスの旅」、ヤナーチェク「死者の家から」(ザルツブルク)などの、ある意味マニアックな演目もさかんに取り上げましたから、レパートリー性を大切にする劇場旧派からはうとまれることもあったかもしれません。

保守的なウィーンと、その聴き手に、ウィーンモデルンなどの現代音楽祭で、新風を吹き込むなど、オペラ・コンサート、加えて演劇や美術など、大きな意味で、この街に変革をもたらしたのも、アバドの大きな功績だと思います。

ちょうど、任期中に、ウィーンを訪れましたが、アバドには出会えませんでした。
しかし、そのあと、アバドはクライバーとともに、国立歌劇場と日本にやってきてくれました。

さて、「アバドのヴォツェック」。

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この演奏に聴かれる、最初から最後まで張りつめられた緊張感は、尋常のものではありません。
3つの幕が、それぞれに、組曲・交響曲・インヴェンションという巧みな形式を纏っているベルクの緻密な構成。
 それを、アバドは、完璧に把握して、その構成を感じさせることなく、かといって細部をおろそかにせずに、あきれかえるくらいに完璧に、そして鮮明に描き尽しております。
 ベルクの音楽の持つ、甘味さも、ウィーンの持ち味を生かして充分に味わえます。

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ヴォツェックが、池にはまっていって死んだあとの、壮絶さと甘さの入り混じる間奏は、わたくしが、もっとも好きな音楽のひとつですが、ここは、アバドの演奏がなんといっても一番です。
血に染まったかのような池と、不気味な空。
そして、アバドの音楽は不思議と明るく、透明感にあふれてます。

ヴォツェックも、マリーも、残された息子も、みんな社会的な弱者。
そんな問題意識を感じさせるドラマに、強く共感して、狙いを付けたオペラに打ち込んだアバドの優しさと誠実さを、あらためて強く感じるのでした。

Wien

アバドは、音楽監督時代の89年と、卒業後の94年の2度、国立歌劇場と来日しております。

89年が、「ランスの旅」と「ヴォツェック」。
94年が、「フィガロ」と「ボリス・ゴドゥノフ」。

その頃は、結婚と子供の誕生が、まさにそこに重なり、コンサートから遠のいていた時期でして、これらのうち、「ボリス」しか観劇できなかったことは、いまにして痛恨の極みなのです。
変わりに、89年は、ルネ・コロが出演した「パルシファル」をS席にて観劇してるから、困ったものです。
返す返すも惜しいことをしました。

マリーは、ヴェイソヴィチ、鼓手長は、コクラン。
その他はほぼCDに同じメンバー
「ランス」とともに、アバドのすごさを、知らしめた公演でした。

こうして、スカラ座、ウィーン・シュターツオーパーと、アバドの真骨長のオペラを味わえた、われわれ日本は、ほんとうに幸せものでした。

天国のマエストロ・アバド、日本を愛してくれて、ありがとう。

そして、アバドのおかげで、新ウィーン楽派の3人を、ブーレーズとは違った切り口で、よく知ることとなりました。

 

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2014年2月 1日 (土)

シューベルト 交響曲第3番 アバド指揮

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若い演奏家との共演を楽しんだアバド。

早くから、ECユース・オーケストラの創設に関わり、そちらのオーケストラとはザルツブルクでの78年ライブもCD化されてます。
 さらに遡ること73年の、英国だけの全英ユースオケを指揮したFM放送音源をわたくしは持っております。
このアバドの取り組みは、亡くなるまでずっとかわらなかった。

まさに、新時代のマエストロといっていいかもしれません。

そのECユースオケの出身者を中心に81年に、アバドによって結成されたのが、ヨーロッパ室内管弦楽団です。
 ロンドン響を卒業し、ウィーンとミラノを活動の中心に据えたアバドが、古典や現代ものを心置きなく指揮できたのが、この若くて機能的な室内オーケストラだったのです。

Chamber Orchestra of Europe(COE)のホームページには、アバドを偲んで、設立時の全体写真が掲載されてました。
いかにも、80年代風の雰囲気ですが、アバドの若々しいこと!

アバドとCOEには、素晴らしい録音がたくさん。
ハイドン、シューベルトの交響曲、ロザムンデ、ロッシーニの序曲や「ランス」「セビリア」、モーツァルトの協奏曲に「ドン・ジョヴァンニ」、シューベルト「フィエラブラス」、ウィーンモデルンでの現代もの、シェーンベルク・・・・充実した音源ばかりです。

そんな中から、やはりこのコンビはシューベルトでしょう。

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  シューベルト 交響曲第3番 ニ長調

   クラウディオ・アバド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

           (1987.8 @ワトフォードタウンホール、ロンドン)


交響曲全集として、一気に発売されたこの一組。

番号付きの作品に加えて、ヨアヒムの編曲したピアノデュオ曲をも取り上げ、さらに、オーボエ奏者で、研究家でもあったD・ボイドの校訂を経た、シューベルト自筆草稿の再現という意味でも話題を呼んだ全集だった。

全曲ともども、清々しい、若葉のような演奏ですが、なかでも曲のイメージとぴったりなのが、1~3番の、ちょっと地味で大人しい交響曲。
 アバドは、ほかのオーケストラでも若い頃から、この初期の交響曲をよく取り上げておりました。
高校・大学と、エアチェックマニアだったので、毎度古い音源ですが、ウィーンフィルとの1番は、いまでも大好きな演奏のひとつです。

シューベルトの3番といえば、カルロス・クライバーの「未完成」のB面なのですが、実は「未完成」より、その3番の方が、鮮やかなな身のこなしの痛快演奏でした。

アバドは、カルロスよりは、落ち着きがありますが、明るく駿馬のように駆け抜ける爽快感に溢れてます。
リズムは軽やかで、柔和なムードに満ちていて、溢れる歌心は、聴く人の心を解放し気持ちよくしてしまいます。
早過ぎるクライバーの2楽章に比べて、アバドのそれは、にこやかで、ほのぼのしてます。

 アバドの、あの人懐こい笑顔が偲ばれる、心やさしいシューベルトです。

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アバドとCOEは、日本には2度やってきました。

そのうちの1991年の公演のひとつを聴くことができました。

ペライアを独奏に迎えて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲と、シューベルトの交響曲全曲を組み合わせたチクルス公演。
ちょうど、サントリーホール5周年にもあたってました。

わたくしが聴いたのは、ベートーヴェンの2番と、シューベルトの9番。

前から2列目、アバドを見上げるような位置で、その息遣いすら感じる席で。

ともかく、イキがよくって、ブラスが加わっても、全体の見通しがよくて、透明感あふれる小気味のいいシューベルト。
記憶は不確かですが、CDでは、2楽章のオーボエのフレーズがまったく聴きなれない風になっていましたが、この演奏会では通常のものだったような記憶があります。

そして、いまでも覚えてる終楽章の高揚感。
さらに、ベートーヴェンの2楽章における、ペライアの透明なタッチ。
ホール全体が、息を詰めて、そのピアノに集中しましたし、アバドが巧みにつけているのが、その指揮姿をみていて丸わかりのすごさでした。

粋なコンサートでした。

COEからは、アバドはベルリンの仕事が始まってから遠ざかり、変わりに、マーラー・ユーゲントを育て、マーラー・チェンバーへと注力していくこととなります。
COEは、変わって、アーノンクールや、クリヴィン、ハイティンクが主力として引き継いでいくようになりました。

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ふたりとも凛々しいです。

もう聴くことはできないコンビ。

アバドの本領は、室内オケとの、こんなコンサートにもあるのでした。

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