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2014年2月14日 (金)

ジルヴェスター・コンサート1999 アバド指揮

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ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートを担当するのも、当然に芸術監督の仕事。

アバドはその任期中(1990~2002)、1991~2000年に渡って10回のジルヴェスターを指揮しております。

ジルヴェスターの関連記事は、すでに何本か書いてますが、アバド就任後に変わった「テーマ設定」というプログラミング。
 カラヤンのときは、王道名曲や大物ソリストとの共演というかたちで、それはとても華やかで、ジルヴェスターの醍醐味でありました。

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しかし、アバドは、毎年、ひとつのテーマをさだめ、それに絞った演目を一挙に取り上げるという考え抜かれたプログラムで挑みました。

さらに、コンサート・シーズンにも、おおきなくくりとしてのテーマ設定を行いました。
ロンドン響や、ウィーン・フィル時代にも主としてマーラーや世紀末を中心としたテーマ設定を行っており、文学・美術などとの連携も図る企画を催しておりました。
 ベルリンでは、それをさらに進化させ、大規模な年間スケジュールを組むこととなりました。
絵画・文学・演劇・映画・写真などのさまざまな芸術と絡めた多角的な催しは、知的なベルリンっ子をしっかり引付け、街自体が文化芸術に染まることとなったのでした。

 
いつもお世話になってます、「Claudio Abbado資料館」様を参照して、さらにアバドが開始した、ベルリン・フィル創立記念日5月1日のヨーロッパ各都市の史跡での、ヨーロッパ・コンサートも加えて、下記まとめてみました。

Abbadobpo

アバドの築いたこの体制を、サイモン・ラトルはしっかり引き継いで、より深化させていますこと、みなさまご存知のとおりです。

ロンドンで始めた試みが、保守的なウィーンでは志し半ばで止まり、カラヤン後のベルリン、しかも東西統一後のドイツ・ベルリンにおいて清新な空気も相まって始めたアバドの強い思い。
その開始が、ベートーヴェンであり、モーツァルトを愛したプラハであり、先見の明持つプロネテウスというところが、アバドの決意をよく伝えていると思います。

ジルヴェスターは、毎年NHKが生放送をカラヤン時代から行っていましたので、わたくしもそのすべてをビデオで録画してありまして、これから徐々にDVDに焼き直して行こうと思ってます。
画質・音質ともに、いまとなっては今一つなのですが、アバドとベルリンフィルの結びつきが、だんだんと強まっていくのが、これらでよくわかると思ってます。

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今夜は、それらの中から、1999年の「フィナーレ」を視聴しました。
1000年に一度の、世紀の変わり目の一瞬。
それを、音楽の終曲で持って、華々しく送り、そして、大アンコール大会とも言える「ベルリンの風」で持って迎える。
ゴージャス極まりないです!

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第1部 「グランド・フィナーレ」

 1.ベートーヴェン    交響曲第7番 終楽章
 2.ドヴォルザーク    交響曲第8番 終楽章
 3.マーラー        交響曲第5番 終楽章
 4.ストラヴィンスキー 「火の鳥」 カスチェイの踊り~終曲
 5.ラヴェル       「ダフニスとクロエ」 全員の踊り
 6.プロコフィエフ    「アレクサンドル・ネフスキー」 プスコーフ入城
 7.シェーンベルク   「グレの歌」 夏の風の荒々しい狩り

第2部 「ベルリンの風」

 1.パウル・リンケ      喜歌劇「グリグリ」序曲
 2.    〃      行進曲「フォリ・ベルジェール」
 3.    〃      ギャロップ「急ぎの手紙」
 4.トランスラトゥール 「ウィーンの楽しい遊園地 競技場のワルツ」
 5.フィッシャー      「泡立つシャンパン」
 6.ニコライ       歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
 7.コロ          「ウンター・デン・リンデンまで」
 8.パウル・リンケ    「ベルリンの風」

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                   ベルリン放送合唱団
                   ベルリン・リアス合唱団
         語り(シェーンベルク);クラウス・マリア・ブランタウアー

          
                        (1999.12.31 @ベルリン)


例年、ジルヴェスターは休憩なしで、1時間30分。
しかし、この年は、第1部で1時間30分。
残りの30分は、ベルリン1920年代の爛熟の音楽シーンを、ウィーンとの対比でもって特集。
これもまた、秀逸な試み。

20世紀最後の日に、アバドとベルリン・フィルがかけた意気込みです。

だいたいにおいて、1部のフィナーレ特集そのものが、超絶的で、短いとはいえ、濃密すぎる内容に、短時間に集中し、爆発させるというパワーとスタミナを要求されます。

おそらく、この頃には病魔が迫っていたアバドの凄まじい指揮ぶりと、それを受けて立つ休憩なしのベルリン・フィルのタフネスぶり。
もうもう、唖然としまくりの前半。

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             (みんな若い)

弾むリズムと心地いい疾走感のベト7、流麗・滑らか、そして大爆発のドヴォ8、アゴーギクも多用し、自在な盛り上げに、いつしか大興奮のマーラー。
まだまだ続くぞ、火の鳥。神々しさすら漂うすごさ。
合唱も加わって、大爆発のダフニス。
プロコフィエフのケバさもありつつ、渋いロシア臭感じるネフスキー。指揮者の気持ちよさそうな顔といったらない。
さらに、アバドが夢中になって指揮してるのが、丸わかりのシェーンベルク。
その生き生きした表情といったらありません。
昨年のルツェルンでの、グレ・リーダーの一部でも、ひと際輝いてたアバドの指揮ぶりと、その顔。
ここにも、それを感じます。
光彩陸離、ベルリン・フィル全開、煌めく音の洪水に、涙があふれ出しました。

これらの演目にこそ、アバドの個性と、その適性が如実に現れてます。
古典とロマン、マーラーと新ウィーン楽派、スラヴとロシアもの。
ここにあとは、オペラです。

シューンベルクを聴いたあとに、何をまた聴くんだ、お客さん。

そう、オモシロおかしく、ホールでアテンドしたのが、ホルンのクラウス・ヴァレンドルフ。

休憩の5分間に、ドイツ人っぽく、皮肉たっぷり、ジョーク満載のトークで、フィルハーモニーは大喝采。
 さらに、日本語で、「クラウディオ・アバドとベルリン・フィルハーモニーから、あけましておめでとう!」としっかりスピーチ。
これまた会場は、割れんばかりの拍手。

当時の、NHKとソニーの技術の背景を感じるひとコマです。
いまや、それは、某国にとってかわられ、ウィーン国立歌劇場の配信サイトを見れば唖然とするありさま。

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後半の、まるで、ウィーンのニュー・イヤー・コンサートを思わせる、ベルリンオペレッタの洒脱さと、元気のよさ、そして妙に明るい退廃っぷり。
 それをアバドが指揮する? 天下のベルリン・フィルが指揮する?
ってな感じなところが実によい。
口笛ヒューヒュー鳴らしちゃうし、パーカション、バチで遊んでるし、みんなニコニコ。
アバドも、ニコニコ。
投げキッスもしてるし、口笛吹く仕草までしてるし(笑)

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この中では、フィッシャーの「泡立つシャンパン」が、まるでハリウッド的にアメリカンで、コルンゴルトっぽいし、アバドがこんな曲を嬉々として指揮するのが、とても嬉しかったし。
そして、かのルネ・コロのオヤジさんの曲も楽しかった。

最後の、ベルリンの市の歌ともいうべき、「ベルリンの風」は、出だしだけ指揮して、あとは指揮台を去ってしまったアバド。
指揮者なしの、ベルリン・フィルで、今日は、何故だか哀しい映像だった・・・。

コンマスの安永さんが、アバドを迎えに行き、大ブラボーで幕でした!

この演奏会を含め、ジルヴェスターの演奏会は、いずれも、あらためて映像作品になろうかと思います。

アバドの、指揮者としてのキャリアの、ひとつの完成系をもたらしたベルリン・フィル時代。

ひとまず、ここで、ちょっと戻って、次は、若者との交流の成果について、聴いていきたいと思います。

ベルリンフィルとは、ひとまずお別れで、また再度。

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