神奈川フィル定期演奏会 前夜祭 アバドの指揮で
まだ残雪の残る2月19日の、湯島天神。
「湯島の白梅」といえば、江戸の情緒あふれる街と、こちらの天神さまを思いますが、周辺は、ビルや住宅が立ち並び、こうして背景も、ちょいと無粋なこと極まりないです。
相次ぐ雪で、こちらの梅の開花は足踏み状態。
次回の神奈川フィルハーモニーの定期演奏会は、わたくしの大好物ばかり。
ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調
飯守 泰次郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(2014年2月22日 14:00 みなとみらいホール)
神奈川フィルに飯守先生の登場。
しかも、ワーグナーとブルックナーで。
ワーグナー好きとして、飯守さんのワーグナーは、故若杉さんとともに、ずっと聴いてきました。
そして、ついに次期、新国立劇場の音楽監督として就任し、いきなり「パルシファル」や「オランダ人」を指揮。
バイロイトでの穴倉経験も豊富で、ワーグナー家からも一目置かれてきた飯守先生の「トリスタン」と、ワーグナーの死を予見し、期しくも師への告別の楽章となってしまった2楽章を持つ、ブルックナー7番。
今日は、アバドの指揮で予行演習しておきます。
ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調
クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1992.3 @ウィーン・ムジークフェライン)
ルツェルン音楽祭管弦楽団
(2005.8 @ルツェルン)
正規録音(映像)は、このふたつ。
ウィーン時代末期、ベルリンに主体を移したあとの録音は、演奏時間64分で、それでも速めでこだわりの少ない、すっきりと歌う、清々しいブルックナー。
ウィーンフィルの美感を、充分に活かした、ウィーンのブルックナーでもありました。
すみずみまで、よく歌っていて、どこも過不足がないので、演奏時間の割りに、ゆったりと感じます。
そしてルツェルンでは、演奏時間が60分を切る、こだわりの少ない快速版。
ベルリンを卒業してからのアバドは、音楽が凝縮され、テンポも早くなり、音色は常に明るく、そしてなによりも若々しい音楽造りとなった。
すべてのしがらみや、苦しんだ病からも解放されて、音楽する喜びを全身にあらわして指揮するアバドに、彼を慕う演奏家たちは、夢中になって、恐ろしいほどの集中力と、アバドへの献身的な思いでもって答えました。
アバド追悼のシリーズで、ルツェルン時代は、またゆっくりと取りあげることとします。
私家盤の放送録音では、84年のウィーンフィル(ザルツブルク)と、88年のウィーンフィルのふたつがありますが、84年が62分、88年が64分と、ライブならではのタイムの違いが出ておりますことは、面白いことです。
ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死
クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(2000.11 @ベルリン)
もう何度もブログでは取り上げました、アバドのトリスタン。
ここでもアバドの音楽は明るいです。
シェイプアップされた、ベルリン・フィルのスリムな響きも、カラヤンのずしりと響く豊かな低音のワーグナーとは別次元のものです。
カラヤンのワーグナー自体が、練り上げられた響き重視のスマートなものでしたが、それでもピラミッド的な重層的なオーケストラサウンドがそのベースにありました。
アバドのワーグナーは、豊かな歌の中に、ワーグナーの響きを明晰さとともに、解放してしまった感があります。
ここは、こう粘って・・・とか思ってると、一気呵成に駆け抜けたりして、サラリとしたものです。
しかし、前奏曲の持つ熱いうねりと、愛の死の高揚感は、アバドならではの集中力と緊張感にあふれたものです。
飯守泰次郎指揮 東京都交響楽団
(2004.1 @東京文化会館)
ブルックナーは持ってませんが、飯守さんのワーグナーは愛聴盤のひとつです。
全編、オペラティックな雰囲気にあふれ、ことに「トリスタン」は、どっしりと腰を据え、まったくブレのない、正真正銘のドイツのワーグナーを感じます。
カラオケで使えそうなくらいに、愛の死では、オペラの一節のように思います。
CD音源だけで、ワーグナーの音楽への、のめり込み方がハンパなく感じることのできる、すぐれた演奏だと思います。
わたくしは、飯守さんの「トリスタン」は、名古屋と東京で、2度ステージ上演(名古屋は抜粋)を体験してます。
きっと、うなり声も激しく、神奈川フィルから、真正ワーグナーの響きを引き出していただけるものと思います。
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コメント
飯守氏のワグナー。いいですね。ライブで聴けるさまよえる様を心からうらやましく思います。
以前、斉藤秀雄氏の弟子がたくさん出演して斎藤氏の追悼番組をNHKで放送していました。飯守氏が斎藤氏からタンホイザーの序曲のレッスンを受けている様子を語っていました。すごいんです^^
アバドの死は突然すぎました。私は毎晩ビールを飲むことを至上の喜びとしています。瓶ビールだとビールの残量が瓶ごしにみれて「あとビールの残りは6センチだからね」とわかります。ところが缶ビールはビールの残りを目視できない。ビールの終わりが突然やってくるのです。ビールがまだあると確信してグラスについでも泡しかなかったときのショックは言葉では言い表せない。
そう。アバドの死はまるで缶ビールを飲んでいるときに突然ビールに終わりの言葉を告げられた時のショックに似ている。前触れはあったんだけど今がその時であるという心の準備ができていないのに「ビールはおしまい。さようなら。」と言われる時のあの悲しみにそっくりです。(そんなたとえでいいのか!)
私たちの年代のクラシックファンにとってアバドは特別な存在。急に死んじゃうとか悲しすぎます。今夜も学生時代に購入したアバドのLPレコードを缶ビールを飲みながら聴きます。今夜も眠れない夜になりそうです。
投稿: モナコ命 | 2014年2月22日 (土) 22時20分
モナコ命さん、こんにちは。
アバドの逝去は、わたくしには、あまりに大きな出来事でした。
肉親の生死にも匹敵するほどの悲しさを、いまも引きずってます。
ともかく、喪失感がハンパないです。
おっしゃる缶ビール論理。
まったく、賛同できます。
でも、去年の後半から、ちょっと不安を抱いていたのですよ。
ちょっとしたニュースにも、敏感で、思いを抱く、そんな長年のファンです。
ポスト・アバドが、これから発生する問題ですね。
わたしは、ムーティとラトルでお願いしたいです。
飯守先生、本日も、安定・完璧の出来栄えでした。
オケも聴衆も、飯守さんを讃える大拍手でしたよ!
投稿: yokochan | 2014年2月23日 (日) 01時24分
いかがでしたか?非常に保守的なプログラム。
こういう保守的なプログラムのときって、案外(自分に自戒しなければならないですが、自分を含めて)わかっている人しか来なくなってしまいますよね。
けど、最近はブルックナーの前座に変わった作品を持ってくることも多いようなので、貴重な体験となったことでしょうね。
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飯守泰次郎さんから、以前、新国立劇場の参与になったばかりのとき、すぐそばのドトールコーヒーから出てきたとき、
「何で、オペラが好きなの?」「どんなきっかけで?」
と尋ねられたことがあります。
この問いは、自分から声をかけたからではあるのですが。
飯守先生からその他の問いもありました。
「Revival上演ほど、振って欲しい。劇場の質の向上につながると思うから。」
「若杉先生の振ることをなしえなかった作品も振って欲しい。」とか。
東京に住んでいたなら、大体の演目は自分の好みなので、安い席で行きたいと思うでしょうね。。
言葉のやり取りの中の演目は、尾高芸術監督の最後の任期に実現してしまったけど。
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そういいながら、もう東京に出る機会自体がないことになりました。
この後、いろいろあったので東京には行きたくないです。
重度の介護もありますし、自分も身体障害者になってしまうし。。
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思い出したら、このプログラム、ティーレマン指揮ウィーンフィルの日本公演でTVでも流した演目でしたね。
投稿: T.T | 2014年2月23日 (日) 09時54分
T.Tさん、こんにちは。
われわれには、保守的でも、まして土曜の横浜のコンサートですから、定期会員でも、思わず構えてしまうプログラムだと思います。
日本の聴衆とは、そういうものだと存じます。
心なしか、いつも長い列の女子トイレは少なめ。
代わりに男子、多めです。
そんなところが、ブルックナーなところかもです。
でも、多くの聴衆が、大満足で帰られました。
実に充足されたコンサートでした。
さすがは、飯守さん。
わたしも、いろんなところで遭遇してます。
新国の第一次リングのときに、若杉さんと一緒の飯守さんの会話を、バーコーナーで並びながら聴いたものでした。
ドイツの劇場のお話をされてました。
飯守体制は、長くなると思います。
いずれの機会に、おいでになられることを望んでます。
けっして諦めないでください。
そうそう、ティーレマン。
あとヨッフムもありました。
投稿: yokochan | 2014年2月27日 (木) 23時26分