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2014年2月 6日 (木)

佐村河内氏 騒動について

驚きの報でしたが、自分は、あぁ、そうだったのか・・・と、昨日は思いました。

いまの自分は、仕事も家庭もたいへんだし、音楽聴き生活においては、40年以上も敬愛してきた、アバドの逝去のショックが大きく、1月20日以来、夜には日々、アバドを聴き、その足跡をたどることで、アバドへの追悼の思いを紡いでおりました。

それが、この騒ぎ。

まったく迷惑このうえないこと。

佐村河内さんと、その作品を、積極的に取り上げ称賛してきた自分だから、各所から寄せられるコメントにも対応しなくてはなりません。

本心を申しますと、いまは、佐村河内氏のことよりは、アバドが亡くなった喪失感の方が大きいし、その音楽をこの機に振り返り、いまの気持ちをブログに残すことの方が、自分には第一優先のことです。

そんな自分の思いを乱す点で、本日あきらかになった佐村河内氏の偽りの姿を演じる行為には、なおのこと、憤りを感じます。

震災後に知り合った、今となっては著作権法上、作者不詳の交響曲。
あの曲に、震災の切実なエモーションも加わり、大いなる感銘を受けました。
そして、当時、仕事面でも多大な損失もこうむり、零細自営業者としては、もう先がないと、悲観的になっていた自分。
あの音楽との出合いは、救いとまだやれるという望みを気持ちのなかに引き起こすこととなりました。

それだけのことがきっかけですが、そこに後に詳しく知ることとなった氏も書かれた書籍にあった自伝などの壮絶ぶりなども、音楽の感銘に上乗せさせることとなったのも事実かもしれません。
ましてNHKの取材を受けるなど、思いもよらないことでした。

舞いあがった自分にも反省は必要かもしれません。

 静かに楽しみたかったものが、大手プロモーションやマスコミによる過剰な衣裳をまとったあの曲と、なによりも露出過多の佐村河内氏に、戸惑いを覚えざるをえませんでしたが、いまは、彼らは態度を180度変えることになりましょう。
 まるで、それ見ろ的な意見や、自分はそうは思ってなかった的な意見も、すぐさま現れ、こんな個人のへっぽこブログにもちゃんとやってきてくれてます。

ですが、残された作者不詳の作品群は、捨て置いてはならないと思いますし、あのとき感動した自分が否定されるようです。

どうか、葬り去らずに、フィルターを取り除いて、普通に評価されることを待ちたいです。

まだ思いはまとまりませんし、進行中の出来事です。

佐村河内氏の子供たちに向けた笑顔や、石巻の少女に流した涙は、本物だと思います。
人間の弱さを、氏も、わたしたちもたくさん持ってます。
 氏には、これからもしっかり生きていっ欲しいですし、自ら名乗り出た新垣氏にも、正当な評価と、今後の活動の場が与えられることを願います。

そして、本件については、当面は語りません。

繰り返しですが、それよりアバドのことが、わたくしには大切なのです。

次回から、アバド追悼に戻り、通常営業いたします。

(佐村河内作と言われた作品の記事は残してありますが、カテゴリータグを外しました。
いずれ、あらたなカテゴリーを付そうと思います)

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