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2014年3月

2014年3月29日 (土)

弦楽四重奏によるロシア音楽~情熱と哀愁~

Lalyre


神奈川フィルのヴァイオリン奏者、平井さんが第1ヴァイオリンを担当する、弦楽四重奏のコンサートに行ってきました。

2度目のホ-ル「ラ・リール」。

昨年は、同じ神奈フィルのチェロ奏者、迫本さんのコンサートでした。

きれいに響くホールで、拡散しすぎず、むしろ音に芯があって、リアルに耳に届きつつ、4つの楽器が美しくブレンドしてました。

土曜の午後、桜もほころび、外はうららかな陽気。

ごらんのように、中庭が窓の外に見えて、とても気持ちがいいコンサートなのでした。

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 ハイドン              弦楽四重奏曲「ロシア四重奏曲第2番 冗談」

 ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第8番 ハ短調

 ライオネル・バート 「ロシアより愛をこめて」

 ショスタコーヴィチ 「ポルカ」

 ボロディン      弦楽四重奏曲第1番、1・2楽章

 チャイコフスキー  弦楽四重奏曲第1番~アンダンテ・カンタービレ

             ロシアより愛を込めて ~ アンコール

   ヴァイオリン:平井 茉莉     ヴァイオリン:森垣 悠美

   ヴィオラ   :佐藤 裕子     チェロ    :柳本 直子

                  (2014.3.29 @ラ リール 文京区大塚)


ロシアに関連づけられた演目ばかり。

爽快、洒脱、濃厚、悲観、楽観、自然感、ロマン・・・。

あらゆる要素が入り混じったのがロシアの音楽。

若い4人の女性奏者たちによるカルテットは、そんな、ロシアン・ムードを溌剌と表出しきってまして、聴いてて、拝見してて、とっても眩しかった。

①初聴きのハイドンの「冗談」

春の暖かさに気持ちがほぐれ、終楽章まで爽快に。
でも、最後は、平井さんのフェイント攻撃にはまり、拍手しちまいました。
 というのも、ハイドンさまの、いたずら心が終楽章に仕込まれていて、休止で終ったと思ったら、まだあった・・・
いつぞやの、神奈フィル音楽堂での「川瀬ハイドン90」でも、見事引っかかったワタクシなのでございました。

②大好きなタコ8

常套と引用の一杯詰まった、この8番の四重奏曲。
ふだんは、重苦しさと死の影、そして不可解さを常に持っていたこの曲。
今日の、明るい日差し溢れるホールで聴く、若い彼女たちの感性の前に、ショスタコの惜別の念の音楽は、どこか明るい未来志向へと変わった感がありました。
はなはだ、勝手な思いでしたが、ショスタコ演奏は、こうして、いろいろあり、なんでもありと、思った次第。
 この曲をやりたかったとの、森垣さん。
ほんと、インパクトある音楽です。
作曲者の名前が、音符に織り込まれ、終始登場するフレーズも明快。
第10交響曲で、完全織り込み済み。
それとチェロ協奏曲や、マクベス夫人の虚しい旋律。
楽しかった。

③THE OO7

ロシアンです。かっチョよかった。

④タコ・ポルカ

諧謔の見せかけの姿のピチカート。
これまた、楽しい~

⑤ボロディン~

「お~い、お茶」のCMで使われてた1楽章は、よく聴くけど、曲名が思いだせなかった曲でもあります。
その伸びやかな曲調にぴたりの演奏と、夜想曲の2楽章の夢想的なロマン。
平井さんに、きっとしみついている、美音の神奈フィルサウンドが、しっかりと聴かれました。
加えて、ほんと、いい曲だわ。

⑥チャイコ

こちらもメロディメーカーのご本尊様。
副主題の哀愁感が、とてもよし。
各楽器での橋渡しが美味。
美しい演奏でした。

このような、美しいサウンドで、ワタクシ、お酒を飲みたくなりました。

音楽界は、着実に、若い世代と女性へと流れが変わってます。
日本は問わず、世界のオーケストラを見てもそう。

わたくしのようなオジサンは、過去を懐かしむ前に、若い方々のフレッシュで、果敢な演奏に耳を傾け、忌憚なく聴き、素直に楽しむこと。
そのことを心に刻むべきなのでしょう。

すてきな演奏会を楽しみました。

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拝見!

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2014年3月27日 (木)

コルンゴルトのオペラをつまみ聴く

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開演30分前の新国立劇場。

久しぶりのこの劇場でしたが、ほんとうに居心地がいい。

音もほどよく響くようになってきたし、なによりも、われわれ観衆が、オペラを日常に楽しむという音楽生活が根をおろし、それに、ぴたりと符合するように、劇場側の最良の環境づくりや、もてなしがすっかり板についた感がありました。

往時は、かなりの頻度で観劇してましたが、いまは経済的にも厳しく、ねらった演目だけに行くようになりました。

そんな、お久しぶりさんにも、この劇場は優しく、心地よい空間を提供してくれました。

念願の、コルンゴルトの「死の都」の上演に接し、あらためて、すっかり、その音楽とドラマの素晴らしさの虜になりました。

月曜の観劇以来、手持ちの3音源を、とっかえひっかえ聴いてます。
あわせて、ほかの4つのオペラをつまみ聴きして、コルンゴルトの劇才と、素晴らしいメロディの噴出に、酔いしれております。

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手持ちのCD音源。

わたくしにとって、モーツァルト、ワーグナー、ヴェルディ、プッチーニ、R・シュトラウス、シュレーカー、ブリテンのオペラ音源は、宝のようなものです。

これらを、手にとり、眺めるだけで、お酒も美味しいし、とっても幸せな気分に満たされるんです。

こーゆーのを、ヲタクっていうんでしょうね。

コルンゴルトのオペラは、5作。
本ブログの過去記事へのリンクがタイトルに貼ってあります。

①「ポリュクラテスの指環」 1914年 17歳

B・ワルターが初演。17歳だというのに、なかなかに人の心、人生の教訓、夫婦愛などをテーマにしていて、奥行きあるコメディオペラ。
絶頂期に、一番大事なものをすてることができる??、っていう意味深いドラマでありますが、コルンゴルトの明るく素敵なメロディは、人生の深みとは遠く、軽いタッチで楽しませてくれます。

②「ヴィオランタ」 1915年 18歳

こちらもワルターの初演で、そこには、ベームもいました。ふたりは友達。
15世紀イタリアのヴェネチアを舞台にした、血なまぐさい、コルンゴルトのヴェリスモ的なオペラ。
夫もいる主人公は、妹を殺したと言われるかつての恋人を憎み、亭主に殺害を命じるが、登場した彼との愛がよみがえり、かわりに、彼女が殺されてしまうという情念ドラマ。
マスカーニやレオンカヴァッロのような血の濃さはありません。
ここでも、美しいメロディと巧みな劇性が、その年齢をまったく感じさせないのです。

③「死の都」 1920年 23歳

こちらは、もう申し上げるまでもありませんね。
今回の、東西の上演が、日本の音楽界に「死の都」=コルンゴルトのブームをもたらすか?
そうあって欲しい半面、しずかに、そっとしておいて欲しい気もいたしますのは、好きこその、我がままでありましょう。
 かつて、ほんとうに、まったくネグレクトされていたコルンゴルトの再評価に一矢を投じたのが、ルネ・コロが歌ったラインスドルフ盤。
1977年にレコード発売されましたが、ファンだったコロが歌ってはいるとは知りながら、さすがに、見知らぬ作曲家のオペラ3枚組6,900円には、どうしても手が出ませんでした。
しかし、コルンゴルトを普通に演奏し、録音する動きは、ここから始まったといっていいかもしれません。

思えば、この演奏も、聴きすぎて、かえって記事にしてませんでした。
あらためて、聴き直してみて、R・コロの甘味なれど、抜群の威力と退廃感に感服してます。
そして、当時は、フランクとフリッツをなぜ、別の歌手でやったのか、面白いと思いました。
タンホイザーのエリザベートとヴェーヌスみたいな感じでしょうかね。

あと、いま気にいってるのが、フォークトのタイトルロール、ヴァイグレのフランクフルト盤です。ユニークなパウル。週末に取り上げようかな。

④「ヘリアーネの奇跡」 1927年 30歳

長大かつ、筋立てが複雑な歴史絵巻。
CDたっぷり3枚は、聴き応えもあるが、音楽はより近未来風な響きを醸すようになりつつ、随所にとろけるような美しい旋律があふれだしている。
ソプラノの主人公に、甘いテノール、悪漢風のバリトン、という構図は、コルンゴルトの常套。
暴君はびこる国に、やってきたさまよい人が、君主の妻も愛情もって解放し救うのですが、夫の暴虐の餌食に。最後は、まさに奇跡が巻き起こり、ふたりは昇天・・・。

ややこしいドラマの内容に、このオペラのみは、いまだに全貌をつかみきれず、弊ブログでは記事になってません。
音楽の方は、しっかり把握できたのですが、大概において、輸入盤の対訳なし、かつロングなもので・・・・。
年内になんとか、記事にしたいです。
ヒロインの、とんでもなく美しいアリアには、骨抜きにされてますよ。

⑤「カトリーン」 1937年 40歳

このオペラ、大好き!
ナチスの台頭で、完成していたこの作品も演奏されることなく、コルンゴルトは、アメリカに向かうこととなります。
こちらもCD3枚という、長尺ものですが、全作ほどに大胆な響きはなく、極めてロマンティックで、メロディアス。
なによりも、ラブロマンスなんです。
不幸が続く、主人公二人の愛なんですが、最後は、微笑ましく、涙も出てしまうようなハッピーエンドなんです。

フランスとスイスが舞台。
外国人将校で歌手の彼と、とひと目会って、恋に落ちた、可愛い女工カトリーン。
魔の手に落ちてしまいますが、運命の歯車で、助かり、スイスで、彼との愛息子とともに、宿を営みながら、彼の訪問を待ちます・・・・。

このオペラも、ほんとに好きで、主役たちの素晴らしいアリアに、ちょっとワルな連中の夢中な歌も、それぞれに素敵なもんです。
CDで指揮してるのは、名古屋フィルの指揮者になったブラビンスさんです。

あとひとつ、ミュージカル・ドラマとして、「沈黙のセレナード」がありまして、こちらは、ただいま練習中です。

「死の都」以外の上演も、なんとか体験してみたいものです。

3月のコルンゴルト月間、31日まで、もうしばらく続けます。

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2014年3月25日 (火)

コルンゴルト 「死の都」 新国立劇場

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新国立劇場で行われていた、コルンゴルトの「死の都」の上演、千秋楽を観劇してきました。

「ピーター・グライムズ」以来の新国。

大好きなコルンゴルト、よりによって、この3月最初は、びわ湖で、日本人キャスト・演出による「死の都」上演があり、そのあと、新国で5回、フィンランド国立歌劇場からのレンタル新演出上演でした。

オペラ観劇は、初日の華やかさや、興奮もいいのですが、千秋楽も、演技や歌、演奏も練れてきて、力の入り具合も違います。
まして外来客演歌手たちは、日本にも慣れ、そして別れを告げるという心の高まりも加わり、力のこもった熱唱が期待できるのです。
 ダブルキャストを取らなくなった新国ゆえの楽しみでもあります。

2007年に、生誕90年、没後50年だった、エーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルト(1897~1957)ですが、その年には、そこそこ演奏会も音源発売もあったのですが、その後が続かず、相変わらず、埋もれた作曲家としての存在の定位置に戻りました。

ヴァイオリン協奏曲だけは、同ジャンルの重要レパートリーとして位置づけられましたが、日本では、オペラはまだまだ。
今回の、集中上演で、「死の都」を含む5つのオペラに光があたるでしょうか・・・・。

ウォルンガンクと、父親が名付けたとおり、神童の名を欲しいままにしたコルンゴルトの、オペラ第3作で、1920年、23歳の作。
寵児として楽壇にもてはやされたコルンゴルトも、戦争が、このユダヤ系作曲家を陰に追いやることとなりました。
 退廃音楽としてのレッテルを張られ、アメリカに逃れ、かの地では映画音楽の作曲家としての地位をえるものの、本業のクラシック作曲家としての作品はまったく認められることなく、戦後、ヨーロッパに戻っても、忘れられた存在は変わらず、冷淡な反応しか得られません。
失意のうちにアメリカで没するコルンゴルト。

このような境遇の作曲家・演奏家は、たくさんいて、いまに至るまで、日の目も浴びることのない方もいます・・・・。

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  コルンゴルト  「死の都」

  パウル:トルステン・ケール     
  マリエッタ、マリーの声:ミーガン・ミラー
  フランク、フリッツ:アントン・ケレミチェフ 
  ブリギッタ:山下 牧子
  ユリエッテ:平井 香織        
  リュシュエンヌ:小野 美咲
  ガストン、ヴィクトリン:小原 啓楼 
  アルバート伯:糸賀 修平
  マリー:エマ・ハワード        
  ガストン:白髭 真二

   ヤロスラフ・キズリンク指揮  東京交響楽団
                  新国立歌劇場合唱団
                  世田谷ジュニア合唱団

          演出:カスパー・ホールテン
          芸術監督:尾高 忠明
               (2014.3.24 @新国立歌劇場)


生と死、現実と妄想、愛と裏切りとが錯綜する、夢と現実の倒錯の世界。

ゴシック・ロマンとも呼ぶべき物語を、コルンゴルトは、、どこまでも豊かで、溢れ出る甘味なる旋律と、チェレスタ・グロッケンシュピール・ピアノ・マンドリンなどを用いた、近未来的響き、そして人物の心象に即した繰り返し奏されるライトモティーフ手法など、若さを思わせぬ、熟練の技で、夢かうつつか幻かの、音楽ドラマに仕立てております。

ともかく、音楽の方は、自分の手の内にすっかり入ったところで、余裕がありましたが、その音楽や歌たちが、実際にどんな風に舞台で演じ、歌われるか。
オペラを見る、最大の楽しみであります。

その思いは、いま初舞台に接して、ほぼ充足されております。

デンマーク・オペラのリングで、名を馳せたホールテンの演出は、舞台の隅々、装置も、演技も、具象性を極めていて、そのリアルさを、舞台ところ狭しと配置された小道具の数センチ単位の事象にまで、心を砕いている感が実感できました。

夢と現実を行き来する倒錯感を描き、聴衆を戸惑わせないようにするには、このリアルな迫真性は、とても重要な選択だったかと思います。
聴衆のイマジネーションに訴え、判断を一方的に任せてしまう手法もありますが、日本における、第一歩とも呼ぶべきコルンゴルト上演では、これでよかったのです。

これまで、映像でいくつか観てきましたが、主人公パウルが、亡き妻マリーを常に思い、部屋に思い出グッズをたくさん仕込んでいる、いわばオタクとも呼べる存在を際立たせるのに、亡き妻は、お人形だったり、絵画の中だったり、鏡の中だったりしました。

今回の演出では、驚くべきことに、完全な生マリー。
黙役として、最初から最後まで、舞台にいて、パウルの心象につきまとうようにして、ときに怒り、喜び、そして涙にくれ悲しんだりしてました。
その彼女とまったく同じ顔の肖像が、舞台上にいったい、いくつあったでしょうか。
あまりにもリアルな小道具。
それらを、ひとつひとつ検証してみたい。
その、幻影の実写とも呼ぶべき彼女が、パウルが、夢から覚めて、妻マリーの死を受け止め、「死の街」ブリュージュを去る決心をしたとき、静かにベットに横たわり、まったく動かなくなり、穏やかな死を迎えた。
ここに終結する、演出の心憎い鮮やかさに、大いに感心もし、やすらかな彼女の姿に、心から涙があふれました・・・・。

ただひとつ、事前勉強をしておかないと、舞台上に常にいる、マリーの存在が、最初はわかりにくすぎるかも。

舞台は、全幕を通して、舞台奥に奥行きを持たせる、スペース感あふれる基本系のお部屋。
あとで、よく考えたら、劇場お隣の、オペラシティのホールに似ている。

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           (第2幕 新国画像から拝借)

左右の上下14段の細かな棚に、概ね数えたら、600以上はある品々は、写真立てや、ミニハウス、引き出し、花・・・・などなど、ともかく多くて、一個一個確認したくてしょうがなかったんだ。
写真をみると、ほんとうに手が込んでる!

奥は、ブラインドの向こうの秀逸な街並み。

ブルージュの街を、立体的に俯瞰できる、スグレモノで、光の効果も、ここでは豊かで、昼、朝の加減もとても素敵なものだった。

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           (第2幕 新国画像から拝借)

そして、夜のブリュージュでは、街々の窓に明かりがともるという、とんでもない美しさ。

このあと、音楽は、ブリュージュの街の神秘感と、威圧的な荘厳さを、いやというほど醸し出します。
コルンゴルトの音楽のカッコよさは、こんなところにも聴いてとれます。

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           (第1幕 新国画像から拝借)

ドラマは前後しますが、明るく昼間の日差しも眩しかった、舞台に、赤いドレスと赤い傘のマリエッタが登場してから、パウルも、心象姿のマリーも動揺を隠せなくなり、ドラマが始まります。

彼女の投げ捨てた、真っ赤な傘が、最後の現実となって、舞台の最後を引き締めます。
このあたり、コルンゴルト親子の完璧なドラマの仕上げです。

夢の中で、夢想中、活躍中のパウルですが、マリエッタ劇団の連中は、中央にずっとしつらえられたベットの中から、マジックのように次々に登場しました。

これもまた、夢の中の事象という表現でしょうか。

ベットで櫓まで漕いじゃうという、見た目の馬鹿らしさもありましたが。

夢の中で、マリエッタと結ばれ、いたしてしまったパウルは、翌日、ブリュージュの聖血祭において、聖なる思いに焦がれ、熱唱しますが、背景の街の俯瞰から、聖者や信者たちが出てきて、香炉を振るところなどは、「赤」という色の効果もあって、本来、無邪気な心のマルゲッタの「赤」を思わせるところもあって、考えさせました。
 マリエッタとの肉惑に、夢の中で溺れたパウルの心情の裏返しなのであります。

パルシファルとは逆に、その口づけが、パウルを夢のなかで変貌させてしまう。
魔性の女、クンドリーにも近い女性としての二面性を持つマリエッタ。

ホールテンの演出の面白さは、変な意味でなく、肉体を忘れられないという、死への直面を、人間の本質の、肉惑というサガにも、置き換えているところのようにも思われました。
 そのせめぎ合いも、最後の、死への惜別という現実享受・認識、生への旅立ちという、人間らしいオチへとつながっているのです。

ちなみに、G・フリードリヒの演出では、パウルは、ここでは、死を選び、自ら拳銃をとる場面で最後となり、死への同化を選ぶのです。

それから、熱い愛情を歌いこめ、現実派のマリエッタが、過去を捨てないパウルに切れて、マリーの形見の髪を弄ぶところでは、「うつつ」の姿の可愛いマリーちゃんを、とっ捕まえて、はがいじめにして、ハサミでその金髪をちょん切ってしまうのでした。
リアル・マリーちゃんが舞台にいるものだから、そうしてしまうこの演出。
あまりに可哀そうすぎでした。
これが夢の中の事象と、後にわかるまでは、観客の皆さまには、ひでぇ女だとしか映らなかったでしょうね。

このあたりも迫真のリアリティ。

まだまだ、面白かったこと、気が付いたことたくさん。
そして、なによりも、もっともっと発見があるかもしれない、情報の多い舞台。

ラスト。音楽が、あまりに美しく、甘味な、マリエッタの歌を歌う、パウルの独白に移ったとき。
ベットに腰かけ、そのかたわらには、清らかなマリーの死に顔。

この日何度目になるだろう。

涙があふれて、完全に、わたしの頬は濡れそぼってしまった。

「この身にとどまる幸せよ  永久にさらば、いとしい人よ

 死から生が別たれる 憐れみなき 避けられぬ定め

 光あふれる高みで この身を待て

 これで、死者が甦ることはない・・・・」


              (広瀬大介 訳)


全3幕にわたって、出ずっぱりのパウルは、テノール歌手の難役であります。

ヘルデン的な力強さと、夢中さ、スタミナ、そして甘味さをも歌いださなければなりません。
トリステン・ケール(ケルル)は、この役を持ち役にする、数少ない歌手ですが、この最後の日の歌唱は、全力全霊を込めた迫真の素晴らしさで、後半に行くほどすごかった
2幕・3幕で、爆唱しなくてはならいあげくに、最後の大トリで、甘いソロをホールにきれいに響かせなくてはならない。
出始めは手探りだったけれど、後半は、ほんとに素晴らしかった。
スピントも充分、バリトンがかった暗めの色調の悲劇的な低音は、ジークムントのようだったし、自然さが増した高音は、とても美しさが持続していたのだ。
 数年前の、ドン・ホセも、昨年のタンホイザーもよかったけど、やはり、この人は、パウルだな!

同じことが、ミーガン・ミラーにもいえます。
パワー全開、その立派な容姿からして見えますが、彼女の硬質な声は、気の多いマリエッタの薄情さと、情の濃さ、その両方を、巧みに歌い出しておりました。
ナイスでチャーミングな、アメリカ娘って感じです。
先輩の、エミリー・マギーを思わせます。
ジークリンデや、シュトラウスの諸役柄に期待。

Miller

加えて、超美人。

死んだマリー役は、ずっと舞台に居続ける、この演出上の難役でしょう。

Emma

その彼女はロンドンっ子の、エマ・ハワードさん。
日本在住で、演劇やナレーターで活躍中。
日本語堪能だそうですよ。
彼女の細やかな所作は、われわれ日本人の共感大なるところでした

バリトンの二役、ケレミチェフも悪くはないですが、本当は、最初に予定されていた、ヨハネス・マイヤーで聴きたかったところ。
甘さが不足。

同じく、甘さ・濃厚さ・滴る抒情に不足しがちだったのが、キズリンクの指揮。
音のつなぎが、そっけなくて、ここを、たっぷり聴かせて欲しい、というところを、すいすいと通過しちゃう。
でも、3つの幕のまとまりのよさと、指揮姿を拝見していて、ピットと舞台を、巧みに引っ張る様子がオペラの手錬れと思わせました。

上に上階がかぶった席のせいか、歌にくらべて、オーケストラが音響的に、いまひとつに感じたのもその要因かも。
東響は、まったく素晴らしい出来栄えでしたが、わたくしには、コルンゴルトの音楽には、もっとスリムで華奢だけれど、美音滴るような、神奈川フィルが一番だと、本日確信しました。
 先週末に、神奈フィルとずっと共にして、心からそう思いました次第です。

終わって欲しくない、別れたくない、3幕の後半は、もうそんな思いで、コルンゴルトのこの美しくも切ない音楽が愛おしくてしょうがなくなり、涙が止まらなくなりました。
尾高さんの治世で、この演目を取り上げていただいたことに、感謝。

ゆっくりでいいですから、「ヘルミオーネ」や、シュレーカーの「烙印」や「はるかな響き」、ツェムリンスキーの「ゲールゲ」や「ガンダウレス王」なども、じわじわとやって欲しいのです。

そして、なにより、今回の「死の都」のプロダクションは、借り物とはいえ、レパートリー化して欲しい!

過去記事 一覧

「死の都」  ラニクルズ盤

「死の都」  インバル盤

「ヴァイオリン・ソナタほか」  ファン・ビーク盤

「シルヴァー・ヴァイオリン」  ニコラ・ベネデッティ

「マリエッタの歌~ヘンドリックス、メスト&フィラデルフィア」

「ピエロの歌~プライ、スコウフス」

「マリエッタの歌~コロ、ケール」

「トリステン・ケール アリア集」

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2014年3月22日 (土)

神奈川フィルハーモニー第297回定期演奏会・名曲シリーズ 金聖響 指揮

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冷たい雨の降る20日木曜のみなとみらい。

あの日も雨でした。

そう、4年前の4月のシーズンオープニングの演目、第3番で始まった、聖響&神奈川フィルのマーラー・シリーズ。 

シリーズ最後は、CD化された昨年2月の10番でしたが、その日も雨。 

定期と翌日(晴れ!)の名曲シリーズと、本当の最後となった、マーラーの6番を、お腹一杯になるまで堪能した二日間でした。

ちなみに、わたくしが聴いた聖響&神奈川フィルのコンサートは31公演。
自身のブログで、お天気を調べてみたら、そのうち雨が9公演。
これを多いとみるか、普通と見るかは、みなさまにお任せいたします(笑)。



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    藤倉 大  「アトム」

     マーラー  交響曲第6番 イ短調 「悲劇的」


     金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                 (2014.3.20@みなとみらいホール、
                        3.21@相模女子大学グリーンホール)


定期が21時終了。その後も聖響さんの引退セレモニーがあったので、21時30分。
翌日は、場所を相模原に移して、14時開演、16時終了。

こちらは、両日ともに聴いて、酒飲んで、あーだこーだ言ってるだけだから楽なもんだけど、楽員さんと指揮者は大変だ。
相模原のホールで、長い列のサインに応じる聖響さんも、ちょっとお疲れ気味の様子でした。

ともかく、2日間、こちらとしては大満足のうちに終了。

オーケストラ、指揮者、楽団のみなさん、お疲れ様でした。

そして、神奈川フィルの公益財団への移行が19日に正式決定。
こちらも朗報、おめでとうを心より、申し上げたいです。

まさに、4年前から始まった、神奈川フィルの存続問題クリアーへの闘い。

ちょうど、聖響&神奈川フィルのマーラー・シリーズの歩みに同じくするように、その終了とともに、財団移行が認定。

このコンビのマーラーが、高く評価され、聴衆動員も増し、世評も高まった4年間でした。
5年前に、聖響さんが常任指揮者に就任した時の対向配置・ピリオド演奏の「エロイカ」に、戸惑った自分。
以来、その試行錯誤に不満を隠せず、仲間と愚痴をこぼし合った。
それだけ、現田・シュナイト時代のなみなみと、たっぷりした豊穣な音に慣れ親しんでいた、ということなのであります。
 しかし、マーラー・シリーズのスタートで、すっきりとこだわりの少ない明るいそのスタイルに新鮮さを感じ、眼前に繰り広がられるマーラー演奏を毎回、本当に楽しみにするようになり、耳にタコができるほど、聴きこんできたマーラーを、さらにまた親しく近く感じることができるようになったのでありました。

「彼らのマーラーは、美音の神奈フィルサウンドをベースに、さらりとした客観性を持った解釈。
それが回を増すごとに、歌心も増して、音楽もマーラーそのものを語り出すようになった。
震災のこと、楽団存続に向けた意欲、などの要因も作用して。
でも、そこには常に若々しさがありました。」

自分としては、そんな風に思ってます。

震災翌日に行われた、黙祷のあとの、マーラー6番1曲だけのコンサート。
その場に居合わせたひとりですが、あの時の異常ともいえるテンション。
演奏する側も、聴き手も、全身全霊を込めてマーラーという音楽を媒体に、あの出来事に向かい会わねばならぬ、切なさ、恐怖、悲しみを、体中で感じた80分間でした。
あの時にしかできなかったマーラーの6番。

そして、今度のマーラー6番は、あのときとまったく違う。

流れがとてもよく、最初から最後まで、一気に聴かせてしまう、指揮者・オケともに手の内にしっかりとマーラーが入ったと思わせる演奏。
そこには、若さとともに、余裕も感じられ、きれいに整えられた音たちは、ともかく美しい。
アルマのテーマとも呼ぶべき第1楽章の第2主題が熱く奏されるとき、第2楽章の連綿たる旋律、ともかく、神奈フィルの弦の美音が、たっぷり詰まってます。
ほんとは、もっともっと歌いあげてもよかったくらい。

1月のゲッツェルさんは、爆演系だけど、あのときは、かつての神奈川フィルの豊穣サウンドもしっかり導きだしていました。
聖響マーラーは、美しく、素直で嫌味はまったくないのですが、マーラーの持つ、正邪清濁なんでもありの奇矯さが幾分後退気味だったかもしれません。

それでも2日間とも、随所に熱く燃え上がる場面はありました。
終楽章が、こんなにカッコよくて、こっちまで体を動かしたくなることってありませんでした。
みなとみらいでは、寄せては返すような闘争とダメージの終結部、少しばかり走りすぎてしまったように感じましたが、相模原では、修正され、着実さがましました。
そして、その相模原では、終楽章の冒頭、不気味な蠢きのような苦悩の表出を、テンポを落として、音量も落として、じっくりと描きました。
そこから、徐々に立ちあがるオーケストラ。
その対比が、実に見事でした。

ハンマーは2発。
6番のハンマーを叩かせたらもう、平尾さんしかいません。
左手のハンマー台に、そろりそろりと向かう姿に、「その時、平尾さんが動いた・・・・」なんて、自分の中で思って、来るぞ来るぞと構えて待ちうけます。
そして、どっかーんと一発。
いい、6番は、やっぱ、これやで。
振りおろした瞬間、発声体の台が、浮き上がるのも見てとれました。

2台のティンパニの強打も痛烈。
左右の袖に何度も行き来する、カウベル叩き。
7人の打楽器奏者のみなさんを見てるだけで楽しいのも、マーラーならでは。

9本のホルンが、一斉にベルアップしての咆哮。
ホルン女子も実にウマイ、安定感でてきましたね。お父さんはうれしいのだ。

輝かしい金管セクションに、若いメンバーも神奈フィル木管サウンドをしっかり受け継いで、安心して聴いていれるとういう、これもまたうれしさ。

そして、万全の美音弦楽セクション。
エキストラの皆さんも多く交えて壮観極まりありません。
どんなときでも、石田コンマスの繊細で美しい音色のソロは、しっかりとホールの隅々に届きます。
いつも、彼がそこに座っていてくれるという安心。
神奈川フィルのファンの心も、きっとそうです。
崎谷さんとともに、神奈川フィルの弦をこれからも引っ張っていってくれることを願います。

両日ともに、大和音のあとの、ピチカートによる、突然の終わりの訪れのあとの、長い長い静寂。
この静寂までが、曲の一部、音楽の一部と思わせるほど。
みなとみらいの方が、長かったかな。

熱く駆け抜けるような、みなとみらい。
まとまりがよく、ほぼ完璧な仕上がりだった、相模原。

どちらも自分には、素敵な神奈川フィルのマーラーでした。

あ、そういえば、1曲目の若手作曲家、藤倉氏の作品。
曲の終わりの方に、メロディの萌芽が垣間見られるのですが、そこはベルクのようにも、メシアンのようにも感じ、なんとも心地よかったのですが、わたしには、この15分間の捉えどころのなさが、そのまま、この手のゲンダイオンガクというジャンルへの理解そのものなのでありまして、それ以上を語る資格はございません。

相模原では、オーケストラが下がったあとも、続いた拍手に応えて、聖響さんが、ひとり舞台袖にあらわれ、喝采を浴びておりました。
5年間、どうもお疲れ様でした。
そして、多難な時期を、見事乗りきっていただいて、本当にありがとうございました。
途中、不平も述べましたが、終わりよければすべてよし。
素晴らしい功績を残されました、感謝しております。
新たなポストの吉報もお待ちしたいと思います。

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連日のロビーコンサートも聴きました。

そして、なんと切ないお知らせが。

首席トロンボーンの倉田さんと、首席ヴィオラの柳瀬さんが、ともに3月一杯で退団。

石田さんも加わって、最高にゴージャスで、エンターテイメント感抜群のミニコンサート。

歌うトロンボーンとして、多くのファンを持つ倉田さんは、素敵なテノールとトロンボーンの二役を、艶やかな柳瀬さんのヴィオラを背景に披露してくれました。

最後は、「ショーシューリキ~♪」と「神奈フィル~♪」に、大喝采

お二人のいない神奈川フィルは、寂しいけれど、新天地でのご活躍を切にお祈り申し上げます。

(→倉田さんのコンサートの記事)

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ちゃっかりブルーダル君、@相模大野。

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桜木町では、ビールを飲んで、お魚を食べ・・・・・

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相模大野では、緑茶ハイに焼き鳥や、オムレツを食べ・・・・・

こんなに楽しませていただける、神奈川フィルと、We Love 神奈川フィルのメンバーのみなさん。

また新たな4月が始まります。

3年前のあの時の教訓と思いも風化させないように、胸に刻みつつ、ワタクシも頑張りたいと思います。
今回は、長文、失礼しました。

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2014年3月19日 (水)

マーラー 交響曲第6番 お願いランキング

Mahler

本格的な春は、間近。

今宵は、ちょっと遊んでみました。

明日、神奈川フィルの定期は、木曜ですが、連休前とあって、今シーズン最後の演目です。

そして、金聖響さんの、常任指揮者としての、任期最後の定期。

さらに、明後日には、同じプログラムで、退任記念のコンサートも。

 藤倉 大  「アトム」

 マーラー  交響曲第6番 イ短調

  金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

              2014年3月20日(木) 19:00 みなとみらいホール

                   3月21日(金) 14:00 相模女子大学グリーンホール


ブーレーズに認められた若き藤倉氏のことは、正直、ほぼ初耳。
17分ぐらいの曲のようですが、どういう曲でしょう。
聖響さんは、現代ものがお似合いだと思うのです。

今シーズンはブーレーズやったし、次回の客演では、またブーレーズと、クセナキス。

マーラーは、8番以外を完全完結。

3年前の震災翌日、3月12日の土曜の昼には、交響曲第6番の演奏を敢行した。

そのときの模様は、こちらの記事にあるとおりですが、まばらな聴衆を前に、その少ない聴き手と演奏者が一体になってしまい、日本を襲った、あの出来事をホール全体で敏感に感じながら、引きちぎれるほどの感覚でもって、全霊を持って、聖響&神奈川フィルの6番を受け止めたのだった・・・・。

そのリベンジの演奏会であるとともに、震災後3年に符合した、鎮魂の思いを込めたコンサート。

明日と明後日、演奏する皆さん、楽団の方々、そして、われわれ聴き手。
それぞれに、ひとつの節目であり、ひとつの終着点と、出発点。

しっかりと受け止めたいと思ってます。

さて、マーラーの6番は、わたしには、いろんな思い入れがあります。
巨大な演奏にふれ、もうそれ以上は接したくない、と、封印してしまいたくなることもございました。
折りに触れ、そんな風に、マーラーの6番は、わたくしに、いろんな決断や局面をもたらしてきたのでございます。

今日は、そんなマーラー6番の、自分ランキングをしてみたいと思います。
コンサートも、ずるして、含めちゃいます。

① アバド&ルツェルン ライブとDVD

② ハイティンク&シカゴ響 ライブ

③ 金 聖響&神奈川フィル ライブ

④ アバド&シカゴ響  レコード

⑤ ベルティーニ&ケルン放送響 CD

⑥ バーンスタイン&ニューヨーク・フィル CD

⑦ バルビローリ&ニュー・フィルハーモニア CD

⑧ カラヤン&ベルリン・フィル CD

⑨ マゼール&ウィーンフィル レコード

⑩ レヴァイン&ロンドン響 レコード

⑪ 若杉 弘 & NHK響 ライブ

こんな感じで、自分的、年代的な偏りはあります。
最近の演奏は、正直聴いてませんし、世評高いインバルもフランクフルト時代はコンプリートしましたが、それ以降は、まったく未知。
テンシュテットも同じことに候。

やはり、ライブで与えられる、圧倒的な感銘が大きい。

この曲には、感情移入することは容易いけれど、そればかりでは、全体の見通しや構成が崩壊してしまうという、落とし穴があります。
バルビローリは、バルビローリ節でもって、ぎりぎりの線で、いとおしむような演奏ぶりで回避してます。
マゼールは、かなりきわどいですが、オーケストラのあたたかな美音にすくわれてます。

そして、素直に美しく、若々しく、柔軟なのが、アバド&シカゴと、レヴァインです。

それと、一気呵成に、心情吐露してしまうバーンスタインの旧盤。

ザ・ビューティフルな、カラヤンは、複雑な表情も見せてくれて、クセになります。

美的なセンス満点のベルティーニは、鋭さもありますし、繊細です。

そして、ハイティンクとシカゴを、指揮者の足元で聴いたときの驚異。
音がマスとして頭上から降り注ぐ一方、剛直なまでに、楽譜にこだわる、その実直なマーラー。

何度も書きました。
アバドとルツェルンの「無」がもたらす、とてつもない彼岸と微笑みの世界。
すべてあるけど、なにもない。
とんでもない体験をしました。

③の時とは、まったく違ったシテュエーションとテンションですが、聖響&神奈川フィルの総決算を、思い出に残る演奏でもって仕上げていただきたいです。

そして、聖響さんを、暖かく、大きな拍手で、送り出してあげたいと思います。

これは、神奈川フィルを愛する人間として、切に、心から望むことです。

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2014年3月17日 (月)

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 アルゲリッチ&アバド

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アバドの連続追悼特集は、今回で、ひとまず終了したいと思います。

オーケストラ・モーツァルトを指揮した2013年のルツェルン・春・イースター音楽祭でのライブ録音が、いまのところ、アバドの最新の録音。
ということは、アバド最後の録音ということになります。

永年の朋友の、マルタ・アルゲリッチのソロで、二人の共演初のモーツァルトの協奏曲。

20番と25番。

アバドは、ともに複数回、数々の名ピアニストと共演と録音を重ねてきました。

20番は、グルダ(ウィーンフィル)、ゼルキン(LSO)、ピリス(モーツァルト管)の3種。
25番は、グルダ(ウィーンフィル)とゼルキン(LSO)。

こんなに、複数回、協奏曲の同一曲の録音を重ねているという指揮者も、ほかにあまりいないのではないでしょうか。

それだけ、奏者の信頼も厚く、共演したい指揮者としてのアバドの姿です。

前にも書きましたが、協奏曲の指揮者として、合わせものの名手として、かねてより名前のあがる指揮者は、オーマンディ、マリナー、ハイティンク、プレヴィン、デュトワ、そしてアバドなのです。

手持ちの放送音源でも、アバドの協奏曲は、とても多いです。
モーツァルトに限って、羅列してみても、カーゾン、ブレンデル、ラローチャ、シフ、P・ゼルキン、ペライア、アシュケナージ・・・、本当にたくさん。

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   モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466

          Pf:マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                   (2013.3 @ルツェルン)


アバドの通算4度目の20番。

最後となってしまった20番は、まさかのアルゲリッチ。
このふたりで、モーツァルトの共演の録音がなされるとは、思いもよらぬことでした。

1955年の、グルダのザルツブルク・ピアノ夏季講習で出会ったふたり。
60年近くの共演歴と、残された録音は、これまで、6枚の音源。

初のモーツァルトに、アルゲリッチ自身は、このライブの音源化に消極的だったといいます。
これまでのふたりの共演は、ベートーヴェンを除けば、ロマン派、ロシア、フランス、という具合で、どちらかといえば、華やかで、ソロもオーケストラも情熱と煌めきが似合うような曲目ばかりでした。

そこへ来て、最後はモーツァルト。

ヴィブラートを抑え気味に、抑制の効いた清楚なオーケストラの背景に徹するアバド。
それでいて、音楽の表情に、そしてピアニストの語る音楽に、敏感に反応し、どこまでもソロにつけてゆく機敏なオーケストラ。

アルゲリッチのイメージでもある奔放さは、どうしても最初から持ってしまう感覚なのですが、このモーツァルトでは、落ち着きと、さりげない一音の中に感じる、音の掘り下げの豊かさをこそ感じます。
 実は、もっとアルゲリッチらしさを期待してはいたのですが、悲愴な短調になかにもみなぎる、モーツァルトの音楽の音の愉悦感を、しっかりと押さえていて、ほどよく力も抜けて、微笑みながら弾いている情景が思い浮かぶようでした。
 鋭さ、哀しさは、少し後退してます。

アバドの指揮にも、同じ印象を受けます。
達観の域に至った大家は、若いオーケストラを意のままに、ピアニストの演奏に、しっかり反応しつつ、透明感あるすっきりとしたモーツァルトを造り上げます。
それは、ときに、もっと劇的に踏み込んで欲しいところも、サラリと通り過ぎて、気が付くと、もう次の場面へと進んでしまうという、こだわりのなさすら感じさせます。

アバドのモーツァルト管時代の、それこそモーツァルトは、意外なくらいに淡泊で、音楽を信じ込んでしまい、なんの解釈も施していないという、摩訶不思議な印象を持っております。
交響曲では、ピリオド奏法を採用し、繰り返しも徹底しておりますが、どこか食いこみがたりない。
 協奏曲では、ヴィブラートはごく自然につけて、打点のキレのよさだけは、引き立たせてます。

話は、飛びますが、アバドのモーツァルトの交響曲では、一番最初の、ロンドン響との40・41番が一番好きで、その後のベルリンでの録音や、モーツァルト管との再録は、まだ自分的には馴染めません。

それと同様、20番というと、多感な少年時代に、初めて聴いたワルターとウィーンフィルの弾き語りが刷り込みで、あそこに求めた自分の気持ちは、「モーツァルトの短調」という、悲しみと愉悦のせめぎ合いでした。

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そのワルター盤以上の喜びと感銘を与えてくれたのが、グルダ&アバドの超名盤。
高校生の時に購入し、21番とともに、ほんとうにレコードがすり減るぐらいに、何度も聴きました。
 グルダの弾むようなピアノと、音の粒立ちのよさ。
そして、アバドの指揮するウィーンフィルの歌い回しの美しさ。
録音も絶品で、あの1枚こそ、わたくしの、幸せモーツァルトです。
 のちに、口数の減らないグルダが、あのときのアバドを小僧呼ばわりしたことには、本当に腹がたちました。
あんな、すてきなオーケストラを背景にもらっておきながらのケシカラン発言。
チェリビダッケとともに、饒舌な不遜な音楽家は、好きじゃなくなりました・・・。

これまた、はなしは変わりますが、無口で、人前で話すのが苦手なアバドは、かつては、いつもこうして損をしてるのでした。

大きく脱線してしまいました。

アルゲリッチは、あの奔放さの片鱗を随所に見せつつも、全体の出来栄えは、少しおとなしすぎるのと、老成しすぎ、と思ったりもしました。

しかし、2楽章は極めて素晴らしい。
早めのテンポで、爽快に進めつつ、さりげない表情付けが、とても愛おしく、モーツァルトの音楽をこそ、そこに感じました。
短調の楽章の間に挟まれた、束の間の柔和な楽想。
しかし、突然、舞い戻る激した感情の中間部。
この対比が、アルゲリッチもアバドも、その豊富な人生経験のように、深くエッジが効いていて、聴いていて辛くなるほど・・・・。

そして、アバドが、この世から去ってしまったことの悲しみも感じるのでした。

アバドとモーツァルト管のモーツァルトは、まだ、完成系ではなかったと思います。
奏法のギャップなど、アバド自身も、まだ思考していたのではないかと。

ハイドンを聴いてみたかったです。
ベルリン後半からのバッハでは、徹底して、禁欲の美しさが、古楽の奏法も取り入れつつ出ておりました。

そんな思いは、また、これから記事にしたためていきたいですし、アバドとソリストたちの共演についても、さらにアバドとオペラ、新ウィーン楽派・・・などなど、まだまだ、思うことたくさん。
これから、間をおいて、ゆっくり書いていきたいと思います。

Abbado_mozart_1


アバド逝去後、アバドの歩んだ道を、そのポストとともに2ヶ月間たどってまいりました。

冒頭に書きましたとおり、アバド追悼は、ここでひとまず、筆を置きたいと存じます。

音楽シーンでは、いろんなことが起きましたが、わたくしには、「アバドとの別れ」が、なによりも悲しく、音楽聴きの生活の中で、あまりに大きな出来事でしたので、他のことは、濃淡ありつつも、ささいなことに過ぎませんでした。

ここに、もう一度。

「クラウディオ・アバドさま、42年間、わたくしの音楽ライフに、光を輝きを与えていただき、ほんとうにありがとうございました。
あなたの寡黙ながらも、誠実な音楽への愛に満ちた生き方は、わたくしの、心の師でもあり、兄とも思ってやみません、その思いそのものです。
これからも、あなたの残された音楽を、ずっと聴いて行きたいと思います。
いつまでも、クラウディオの優しくて、、嬉しそうな笑顔を忘れることはありません。
 永遠に、安らかなれ、そして、ゆっくりと、おやすみください」


Abbado_2014120

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2014年3月16日 (日)

シューマン 交響曲第2番 アバド指揮

Orchestra_mozart_1

アバドが、最後に関わったポストが、自身が設立した、オーケストラ・モーツァルト。

2004年の創設。

これまで見てきたアバドの歩みを振り返ってみて、アバドが創設、ないしは、初期から携わってきたオーケストラは6つ。

ECユースオケ、ヨーロッパ室内管、マーラー・ユーゲント、マーラーチェンバー、ルツェルン音楽祭管、モーツァルト管、この6つ。
あと、しいていえば、スカラ座フィルも本格復活させたのもアバド。

このうち、ほとんどが、若い演奏家たちによる団体で、年齢制限も設けたり、卒業後の受け皿であったりと、本当に、若い音楽家のことを思い、彼らと演奏することが好きでならなかったアバドなのです。

世界的に、音楽家を志しても、それで食をはむことが大変な世の中になっています。
既存プロオケとの競合という問題も別途生むこととなりますが、大音楽家が主体となった、こうした活動は、オーケストラの、ひとつの成長と循環のシステムだと思うんです。

しかしでも、音楽不況は、それでも大きい。

メジャーオケですら破綻するなか、アバドの造りだしたモーツァルト管弦楽団も、アバド病中のさ中、財政的な事情もあって、活動中止の発表をいたしました。
前褐の画像の、2014年1月10日のニュースです。

そして、その10日ごの2014年1月20日に、今度は、アバドが世を去ってしまうのです・・・・。

Schumann_sym2_abbado

 シューマン  交響曲第2番 ハ長調

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                  (2012.11 @ムジークフェライン・ウィーン)


このオーケストラとの活動は、モーツァルトを主体として、古典派の音楽が中心と思われましたが、ロマン派音楽へも、そのレパートリーは広がり、やがてベルクまでも含む、広範はレパートリーを持つオーケストラへとなっていいくさ中にありました。

曲の規模や内容によって、ルツェルンやベルリンのメンバーも加わってのことです。

ながらく待ち望んだ、アバドのシューマンの交響曲が、ここの結実しました。

ベルリン時代に3番を演奏してますが、アバドのシューマンといえば、4種あるピアノ協奏曲と、何度となく演奏し続けた「ファウストの情景」、そして「ゲノフェーヴァ」へのチャレンジもありました。

シューマンの交響曲への挑戦が、2番から、というのも、いかにもアバドらしいです。
初録音が、3番や、4番ではなかったところが。

体調も万全でなく、精神的にも厳しかった頃のシューマンの2番は、ほかの交響曲にくらべて、ポエジーな要素が一番少なく、カッチリした4つの楽章の構成の中に、対位法的な要素がとても大きくて、かつ、シューマンならではのリズムもしっかり感じとれる、そんな交響曲。

一番、地味な2番が、実は一番好きになった。
しかも、アバドが録音を残してくれた、その喜び。
バーンスタインが、晩年に、ユースオケと日本で取り組んだ音楽も、この曲。
シノーポリが好んだのもこの曲で、亡くなったときには、第2楽章が追悼で放送された。

ベルリン時代後半から、バロック・古典は、ピリオド奏法を取り入れることも多くなったアバドですが、それはモーツァルトぐらいまで。
教条的になることなく、あくまでフレキシブルに、その曲と、その時代背景をにらみながら奏法を選択していたように思います。

Abbado_mozart_o

このシューマンは、いつものアバドらしく、自然体に徹し、音楽そのものを聴かせる姿勢に貫かれているように思います。
強弱のバランスもよく、ことに、繊細で美しい歌にあふれた第3楽章には、曲のよさもあって、感動を禁じ得ませんでした。

大編成のオケではないので、冒頭の和音より、透明感が勝り、アバドならではの、すっきり・くっきりの主部の立ちあがりのよさ。
そしてまた、いつものような、若々しい表情は、全楽章を通じてのこと。

ぎくしゃくした、シューマンならではの不安感を誘うリズムの運びは、むしろ歌や、若い奏者たちの気持ちのこもったノリのよさで、スムースに展開されてしまう場面も。
 だから、本当は、アバドならもっとできたかも・・・
という贅沢な不満もなくもありません。
どこか、この曲の外側に立って冷静に音楽を見極めている感がなきにしも。
あと数年したら、もしかしたら、もっと早くから手がけていたら・・・との思いもあります。

ひとつの曲やオペラを、じっくりと手がけながら、その解釈を熟成させていくのが、いつものアバド。

すっきりと淡麗明快なシューマン演奏を、きっと打ちたて、確立することでしたでしょう。
その第一歩だった2番で、終わりとは、あまりに無常すぎます。

再度申しますが、第3楽章アダージョ・エスプレッシーヴォの、ロマンみなぎる美しさには、陶然としてしまいます。
アバドは、この楽章にこそ、シューベルト、メンデルゾーン、そしてシューマンからブラームスという、ロマン派交響曲の流れの真髄を見ていたのかもしれません。

ベルリン・フィルのようなキレのよさや、輝かしさ、それと音の厚みはありませんが、どこまでの歌い継いでゆく、流麗かつ歌謡性に富んだ美しいシューマンを、この若いオーケストラはアバドのもとで奏でております。

ウィーンのムジークフェラインという、アバド好きにとっては懐かしいホールサウンドも、このライブ録音では堪能できます。

併録の、「マンフレッド」と「ゲノヘーヴァ」のふたつの序曲も、流れの美しい演奏です。

当日は、メンデルスゾーンの3番も演奏されておりますので、いつかそちらも聴けることを願います。

オーケストラ・モーツァルトとの演奏を、あと一度取り上げて、スカラ座時代から、ずっとレビューしてきた、アバドの演奏特集を終わりにしたいと思います。
なんだか、これも寂しい。
でもずっと、アバドの音源は大切に、聴いていきたいです。

もう何度も聴いてる、終楽章のティンパニの連打。
アバドならではの、これみよがし感のない、スマートで音楽的なエンディング。
慎ましさのなかに、熱い物を感じながら、聴いてます。

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2014年3月13日 (木)

ペルゴレージ 「スターバト・マーテル」 アバド指揮

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オーストリアのケルンテンのオシアッハ教会。

毎夏、ケルンテンでは、音楽祭が行われ、FM放送でもかねてより、しばしば放送されてました。

カトリックならではの、装飾性豊かな、雰囲気あふれる美しい教会。

この教会で、アバドは、かつて、スカラ座のアンサンブルを率いて、ペルゴレージを中心としたバロックコンサートを行い、映像化もされました。

同じペルゴレージの、美しい作品を、ロンドンで録音しました。
それは、レコード・アカデミー賞を受賞し、名盤の誉れ高いものとなりました。

そして、さらに、アバドは、2004年に設立した、イタリアの若者オーケストラ、モーツァルト管を率いて、まったく違うアプローチで、2007年に、再び録音しました。
アルヒーフ・レーベルから登場した、この一連のアバドのペルゴレージ・シリーズ。
まさか、ウィーンやベルリンのポストを歴任した指揮者が、古楽のジャンルから登場するとは、まったく思いもしなかった。

そんな驚きの清新さを持ち合わせた、アバドに、あらためて感心し、そして感謝です。

アバドが、最後に心血を注いだ、モーツァルト管弦楽団のレビューに入るまえに、アバドの最高傑作のひとつ、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」を3種取り上げた過去記事を、ここに、そのまま引用させていただきますこと、どうかお許しください。

以下、2009年11月13日の、弊ブログ記事を、そのままに貼り付けて、終わりにします。

  >引用 開始<

Stabat_mater_orch














アバドは、特定の作曲家に強い思い入れをもって、執念ともいえる意欲で、その作品演奏に励むことが多い。
マーラー、ムソルグスキー、新ウィーン楽派などに加えて、ペルゴレージもそう。

一番有名な「スターバト・マーテル」だけではなく、「ディキシド・ドミヌス」を含む宗教作品を集めた1枚とさらにミサ曲などの1枚、都合3枚のペルゴレージ・アルバムを続々とリリースする。

来年、2010年が生誕300年の記念の年となることもあっての録音ながら、超巨匠になったアバドが、マーラーを繁茂に演奏するかたわら、スターバト・マーテルばかりでなく、ペルゴレージのまったく未知の作品まで掘り起こして録音を重ねているということ自体がすごいことだと思う。
しかも、ピリオド奏法に徹した積極的な演奏で、その探究心の豊かさと進取の気性は、かつての大巨匠たちには考えられないことだと思う。

ペルゴレージ(1710~1736)は、中部イタリアに生まれ、その後ナポリで活躍した作曲家で当時絶大な人気を誇ったらしい。
オペラを数十曲、宗教作品・歌曲多数と声中心にその作品を残したが、26歳で亡くなってしまうという天才につきものの早世ぶりであった。
スターバト・マーテルは、おそらく最後の作品とされているが、磔刑となったイエスの十字架のもとで、悲しむ聖母マリアを歌った聖歌で、ヴィヴァルディ、スカルラッティ、ロッシーニ、ドヴォルザーク、プーランクなどが有名どころ。
 それらの中にあって、抒情的な美しさと優しい歌と劇性にあふれていることで、ペルゴレージのものが燦然と輝いている。

アバド3度目の録音は、ピリオド奏法を用いながらも、少しも先鋭にならず、リュートを交えた響きは古雅で暖かく、そして繊細極まりない演奏となった。テンポも早くなっている。
嘆きの歌であるから、基本は短調であり、悲痛な音楽でもある。
アバドの透徹した表現は、その悲しみを歌いだしてやまない。
一方で、アバドのこの演奏には、不思議と明るさが漂っているように感じる。
それは、音楽をする喜びに満ち溢れた明るさとでもいえようか。
若い奏者たちのレスポンスの高い演奏が、アバドを若々しくしているのか、アバドの深淵な域に至った人間性が、若いオーケストラから驚くべきサウンドを引き出しているのか。
マーラー・チェンバーと同じことがここでも言えるのではないか。
 アバドのお気に入りの歌手ふたり、ハルニッシュミンガルドのニュートラルな歌もすっきりと好ましくも美しい。

    ソプラノ:ラヘル・ハルニッシュ   コントラルト:サラ・ミンガルド
   
         

   クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト管弦楽団

                        (2007.11@ボローニャ)

Stabat_mater














83年録音のロンドン響との録音。

こちらは、レコード・アカデミー賞をとった名盤である。
当時、コンサートスタイルの演奏が主流の中にあって、ロンドン響を小編成に組みなおし、バッハやヴィヴァルディをさかんに演奏していたアバド。
この録音が出たときも、垢をすっかり洗い落したかのような、スッキリとスマートなペルゴレージに、多くの聴き手が新鮮な思いを抱いたはずだ。

新盤を聴いて、こちらを聴きなおすと、そのあまりの違いに驚くを禁じ得ない。
テンポの相違は先に書いたとおりだが、響きが過剰に感じ、感情表現も濃く感じる。
演奏スタイルの時代の変遷もあろうが、それ以上にアバドのやりたいことが違ってきているわけである。歌手の歌い方も、大幅に異なる。
ここで歌っている、マーシャルヴァレンティーニ・テッラーニは見事としか言いようのない素晴らしい歌唱である。しかし、新盤での抑制の利いた若い歌と比べると、歌いすぎと聴こえるし、オペラティックですらある。
 でもですよ、私には、この清々しい歌に満ち溢れたペルゴレージも捨てがたく、どこか懐かしく、若い頃のことを思い起こしたりもしてしまう1枚なのであります。
25年も前だもの。私も若いですから。

  ソプラノ:マーガレット・マーシャル 

  コントラルト:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ

     クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団員

                 (1983.11@ロンドン・キングスウェイホール)

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そして、79年の録画によるスカラ座メンバーとの演奏。

こんな映像が、今年、忽然と姿をあらわした。
しかも歌手が、リッチャレッリテッラーニなのだから。
さらに、演奏会場がすばらしい。
オーストリア、ケルンテン州の美しい湖のあるオシアッハの、シュティフツ教会。
装飾美あふれるバロック建築の、これまた美しい教会である。

「ケルンテンの夏」音楽祭でのライブと思われる。

宗教音楽は、本来コンサート会場ではなく、教会での典礼の一部であったわけだから、こうした場所での演奏は至極当然であり、演奏する側も、聴く側も、音楽の感じ方が変わってくるはずだ。
アバドがこの音楽に求めたものが、こうしたシテュエーションでの映像を見てわかるような気がした。
ロンドンでの録音より、オーケストラは小規模で、教会の豊かな響きは意外と捉えられておらずデッドである。だから、よけいに音ひとつひとつが直接的に訴えかけてくる。
無駄なものを切り詰めた直截な表現に感じ、そうした意味では新盤に近い。
この演奏の2年後に、スカラ座を引き連れて、カルロスとともに来日したアバド。
その時のコンマスも座っていて、なぜか懐かしく思い出される。
アバドも歌手もともかく若い。
指揮棒を持たずに簡潔な動きで真摯な雰囲気がにじみ出ていて、ペルゴレージの音楽が持つ抒情と劇的な要素を見事に描き出している。
 惜しくも亡くなってしまった、ヴァレンティーニ・テッラーニの深みのある声がまったくもって素晴らしく、この頃は重い役柄で声が疲れていなかった、リッチャレッリのリリカルな歌声も素敵。ロンドン盤の歌唱より、こちらの方がオペラへの傾きが少ない。

     ソプラノ:カーティア・リッチャレッリ

     コントラルト:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ

       クラウディオ・アバド指揮 スカラ座合奏団

              (1979.夏@オシアッハ、シュティフツ教会)

3種類そろったアバドのペルゴレージ「悲しみの聖母」。
新盤は別次元の感あるが、それを含めて3つともに、わたしの大切なライブラリーとなりそうだ。願わくは、プティボンに、このソプラノ・パートを歌って欲しいもの。
キャプチャー画像を多めに貼ってみました。
若い、きれい、かっこいい、でしょ

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      >以上、引用終わり<

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2014年3月11日 (火)

マーラー 交響曲第6番 アバド指揮

Abbado_suntry_2006

アバドのルツェルン時代、2006年には、ともに来日してくれました。

そして、このときが、最後の日本公演ということになりました・・・・・。

演目はふたつ。

 ①モーツァルト コンサート・アリア
            「わが愛しの希望よ・・・」K416
            「ああ、出来るならあなたにご説明を・・」K418
                   「わが感謝をお受けください・・・」K383

       S:ラヘル・ハルニッシュ

  マーラー    交響曲第6番

                    (2006.10.13 @サントリーホール)

 

 ②ブラームス  ピアノ協奏曲第2番

       Pf:マウリツィオ・ポリーニ

  ブルックナー 交響曲第4番 「ロマンティック」

                   (2006.10.19 @サントリーホール) 


それぞれを2回ずつ、合計4公演。

わたくしが、聴いたのは、この日付です。

そして、文字通り、日本で最後の演奏会の②を聴くことができました。

初来日は聴けませんでしたが、スカラ座との1881年、そして最後の2006年。

25年の間隔をへての、日本におけるアバドを聴くことができたこと、おおいなる喜びであり、希少な体験だと思ってます。

最初の画像は、ブルックナー終演後、スタンディングで拍手を続けるわたしたちに応えて、マエストロが、ひとり、にこやかに登場したところ。

両日ともに、このような熱い光景が繰り広げられました。

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  マーラー  交響曲第6番 イ短調 「悲劇的」

    クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン音楽祭管弦楽団

                       (2006.8.10 @ルツェルン)


マーラーをふたたび、チクルス化したルツェルンでのアバドは、4年目に「6番」を取り上げました。

まったく同じ演目、来日前の夏の音楽祭での映像は、あのときの感動そのまま。

異常ともいえるハイ・テンションに導かれ、全曲が一気呵成に、まるで名人のひと筆書きのようにして演奏されてます。

マーラーの6番といえば、純交響曲であると同時に、マーラーの私生活をも映しだしたかのような、悲観的な感情みなぎるシンフォニー。

しかし、アバドのマーラー6番は、そのようなマーラーの心情や、背景を感じさせることがない。
そこにあるのは、ただただ、音楽のみ。

その音楽をすることが、本当に楽しそうで、集中して、完全没頭して指揮者がひとり、そこにある。
そして、その指揮者を仰ぎ見る100人のオーケストラ。

アバドに指名され、この場に集い、演奏しているメンバーたちの誇らしい気持ちもよくわかる。
トップ奏者たちの必死の眼差しと、夢中になって演奏する様子、お互いに聴きあって演奏し、アイコンタクトも嬉しそうに交わす。
そんなオーケストラを眺めているだけで、こちらも胸が高鳴ってしまい、そこにオーケストラとともに、居合わせて、アバドの指揮のもとに、音楽を浴びている感覚になってしまった。

100人のオーケストラを、その指揮棒と顔の表情ひとつで、完璧に束ねるアバド。
その人生・人格そのものが、オーラのようになってにじみ出ている瞬間であろうと思います。

何度見ても、この6番の演奏は超絶的な名演であると確信してます。

演奏終了後、ホールには、拍手もできない緊張感が張りつめて、長い静寂が支配しております。
アバドが、もう、いないのだ、という思いが、またもや再燃してきて、終楽章の終わりの方から、涙が止まらなくなりました・・・。
飲みながら視聴してましたが、涙は、お酒のせいばかりでもありません・・・・。


Lucerne

 
10月の来日演奏会。

筆舌に尽くしがたい、壮絶極まりない、極限なまでの演奏だったマーラーの6番。

リハーサル観劇のチケットもあたり、ほぼ全曲を、その前に聴いてはいたのですが、その時のリラックスした様子とはまったく違うオーラが、アバドからにじみ出ていて、会場の雰囲気が、一変してしまった第一音から、最後の衝撃のエンディングまで、息つく間もなく、異常な集中力で持って座席に金縛りにあったようにしておりました。

当時のブログから、最後の部分を引用します。

「終楽章の終わりのあたりで、涙腺を刺激された。もっと続いて欲しい。
だが、曲は無常にも空しい終末を迎える。突然のトゥッティのあとの終結。

アバドが静かに腕を下ろす。われわれ聴衆は拍手も忘れ茫然と縛られたように座り尽くす。オーケストラの面々は動きを止めたまま。静寂が30秒は続いた。

ブラボーの一声が、呪縛を解いた。そのあと嵐のような拍手が続いた。
オケのメンバーの喜ばしい顔、そしてアバドの本当にうれしそうな笑顔。

メンバーが去ったあとも一人歓声に応えるアバド。
私が35年間見つめ続けてきた、偉大で謙虚な小柄な音楽家がそこにあった。

感想らしいことが書けない。言葉がないのだ。
ただひとつ、オーケストラのもの凄さ。ベルリン・フィルの次元とは異にする別ステージ。
くどいようだが、アバドとともに音楽するだけが目的の音楽集団。」

この時の演奏は、ほんとうすごくって、オーケストラのメンバーも、抱き合って、泣いてる姿もそこにはありました。

オペラ以外のコンサートで、おそらく、我が生涯、一番の演奏会であります。

人知の及ばぬ高みに達してしまったことを感じつつも、マエストロ・アバドは、いつも変わらず笑顔。

愛され慕われ、そして飾らず謙虚だったマエストロです。
マーラーで行きついた領域は、2011年のベルリンでの10番「アダージョ」と「大地の歌」を最後に、ピークに達するのでした。
そして、次の挑戦は、ブルックナーとブラームスになるはずでした・・・。

ルツェルンで仲間たちと、夏に演奏会を開きつつ、アバドの次なる活動は、2004年の母国イタリアでの若者オーケストラの設立です。
 どこまでも、若い、前向きなアバド。

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アバドのマーラー6番の正規録音は、シカゴ響(79)、ベルリン・フィル(04)のふたつ。

鉄壁のシカゴ響を背景に、鋼のような強靱さと、しなやかさを両立したシカゴ盤。
ルツェルンに近い感触で、余裕と甘味さすら感じる、美しくも明るいベルリンフィル盤。

非正規に、若き日々のローマ放送とウィーンフィルのものがありますが、わたくしは未聴。

Abbbado_wien

その1972年のウィーン芸術週間でのアバドの練習指揮姿は、当時のレコ芸で紹介されていて、その素晴らしいマーラーが絶賛されてました。
マーラーの6番を指揮する、まだ、40歳のアバド。

アバドは、6番が一番好きだったのかもしれません。

わたくしも、アバドのマーラーは、6番と3番の演奏が好きです。

ルツェルンの来日公演を機に、アバド応援の最有力サイト、「con grazia」様を介して、アバド・ファン同士の現実の交流を持つことができました。
ともに、アバドの出待ちを、ホール1階で待ち、アバドに会うこともできましたし、両日ともに、電車がなくなるまで、語り会いましたこと、そちらも、大いなる思い出です。
 皆さまとは、いまも、楽しい交流が続いているんです。

アバドを通じて、知りあった仲間のみなさんとは、これからも親しくアバドのことを語りあっていきたいと願ってます。

ルツェルン音楽祭は、ひとまず終えて、最後の設立ポストのレビューにまいりたいと思います。

過去記事リンク

 「アバド&ルツェルン音楽祭管弦楽団 リハーサル」

 「アバド&ルツェルン音楽祭管弦楽団 演奏会 ①」

 「アバド&ルツェルン音楽祭管弦楽団 演奏会 ②」
 


 

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2014年3月 7日 (金)

R・シュトラウス 「4つの最後の歌」 フレミング&アバド指揮

Licerne_orchestra_abbado

2003年から始まった、アバドの夢のオーケストラとの共演。

ルツェルン音楽祭では、マーラーを毎年、取り上げることで、一部重複はありながらも、シカゴ・ウィーンでの1回目、ベルリン・フィルとの2回目、そしてルツェルンでの3回目。

アバド自身、10年単位での、マーラーへの挑戦でありました。

2演目を、それぞれ2回。

ワーグナー、ブルックナー、モーツァルト、新ウィーン楽派、ドビュッシー、ベートーヴェン、ロシア物などなど、アバドが、本当に好きな、演奏したい演目ばかりが並ぶ充実のコンサートばかりでした。

ベートーヴェンをモーツァルト管を交えながら、このところ何度も取り上げていたし、今年からは、ブラームスのチクルスが始まる矢さきでありました・・・。

4

 R・シュトラウス 「最後の4つの歌」

       S:ルネ・フレミング

  クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン音楽祭管弦楽団

                      (2004.8.13 @ルツェルン)


この年の演目は、「トリスタンとイゾルデ」第2幕と、マーラーの5番がメインの2プログラム。
そして、トリスタンの前には、R・シュトラウスの「最後の4つの歌」という、人生の最後と、愛と死をモティーフにした、極めて深く、充実したプログラム。

シュトラウスの方は、DVD化されていないと思います。

NHKで放映されたものを、今夜は、しんみりと視聴しました。

3

この、あまりにも美しい音楽は、わたくしのもっとも好きな曲のひとつで、毎年暮れには、この曲を聴いて、1年を締めくくるようにしてます。

ホルン、独奏ヴァイオリン、フルート、これらが、とても印象的なソロを随所に聴かせます。

涙がにじむほどに、遠くを見つめたくなるようなホルンのソロは、憂愁の人生回顧。
もの哀しくも、甘味なヴァイオリンソロにも、嘆息しか出てこないほどに切ない気持ちになる。
夕暮れの色が濃い空に、舞い飛ぶ鳥たちは、軽やかだけど、澄みきったフルート。

何度聴いても、いつ聴いても、この曲のオーケストラ部分は、絶美そのものです。

2

ルネ・フレミングの、貫禄と甘さもたっぷりの濃厚・肉厚の歌声は、いつも最初は、抵抗感しか生まれない。
けれども、彼女のシュトラウスは、いつしか聴き進むうちに、すっかり、こちらも入り込んでしまい、思わずまったり気分にさせてしまうところが困ったもの。
そう、終わってみれば、全然悪くなくって、その独自の世界に引き込まれているのです。

ですが、わたしは、アバドの指揮なら、マッティラの方が好き。

5

オーケストラの精妙で、透き通るくらいの無垢なる響きは、まったくもって、アバドの行き着いた心境そのもの。

音楽を、うまく聴かせてやろうとか、ここをこうやって、とかの人為的な関わりや、作為はまったくなく、そこにあるのはシュトラウスの音楽だけ。

アバドは、いつもこうだった。

この美しい音楽と、ヘッセとアイフェンドルフの落ち着いた深い詩。
音と詩が、これほどまでに、自然に結びついたオーケストラ演奏もありません。

 「休息にあこがれる

   そして、おもむろに つかれた目を閉じる」  

                     (9月)


 「はるかな、静かな、平安よ

    かくも深く夕映えのなかに

    私たちはなんとさすらいに疲れたことだろう

  これがあるいは死なのだろうか」

               (夕映えに)


7

最後の和音を、静かに導きだすアバドの静かな姿。

このエンディングに、涙は止めようがなかった。

会場も、拍手すらまったく起きず、静寂は長かった・・・・・。

次回は、マーラー。

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2014年3月 4日 (火)

むかし話、ルツェルン訪問

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いまのところ、人生で唯一のルツェルン訪問は、1989年でした。

25年、四半世紀も前の出来事。

そう、わたくしの新婚旅行だったのですよ。

少人数のツアーだったけれど、チューリヒ、ウィーン、ミュンヘン、ヴュルツブルク、ルツェルン、ジュネーヴ、パリ。

豪華な1週間。

そのなかに、ウィーンでのオペラ鑑賞や、ふんだんな自由時間、憧れのワーグナーのノイシュヴァンシュタイン城も入ってました。

思えば、いまやクラシック音楽と無縁の、かみさん。
よく、着いてきてくれたもんだ。
いま思えば、奇跡とも呼べる。

現在、そんな企画を持ち込もうものなら、「あんた、ひとりで、勝手に行ってくれば、お金はしらないよ・・・」という定型文が、冷たく言い放たれます。

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ルツェルンは、コンパクトで、ルツェルン湖を中心とした、歴史とドイツ中世的なヨーロッパの雰囲気あふれる、とても美しい街でした。

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湖の周辺は、このようにリゾート感あふれる光景。

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ちょっと中に入ると、教会の尖塔が立つ、厳かで清廉な雰囲気。

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一番最初の画像が、ルツェルンの代名詞とも呼ぶべき、湖とつながるロイスを横断することのできる「カペル橋」。

木製の、中世当時そのままの歴史的建造物。

Luzern_4

橋の中は、このように全面、通し屋根に覆われていて、梁の部分には、宗教画があしらわれているんです。

ところが、このカペル橋は、私が訪れた4年のち、火災で焼失してしまいました。

いまは、復元されてますが、ほんとうにいい時期に見ておいてよかったです。

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メインの橋(焼けてしまった)から西側には、旧橋があります。

この景色の美しさ。

シューベルトが、佇んでいそうな雰囲気でしたよ。

教会や、湖畔の公演、中世の歴史感じる史跡、そして、かのワーグナーゆかりの館など、ルツェルンの街は、音楽好きにとって、外せない街なんです。

Luzern
              
             (1989年、ルツェルンで入手した地図の一部)

左手が、カペル橋。

真ん中に赤マルしたとろが、コングレス・ザール。

いまの、文化交流センター、ルツェルン音楽祭の本拠地です。

ホテルが、またきれいで、ホスピタリティ満載でした。

荷物の取り違えがありましたが、それは、日本人内のツアーの仲間同士。

お互いに、あれあれ、と笑い合うことで問題ないのでしたが、ホテル側は、そんなこととは関係なく、最高の部屋をあてがってくれたし、その部屋には、とんでもなく素晴らしいフルーツの盛り合わせと、お詫びのレターが添えられてました。

ドイツ語圏のスイスに、日本人として、おおいなる親近感と、感謝をいだいたものです。

そこゆくと、同じスイスでも、フランス語圏のジュネーヴは、もっとラフで、おおざっぱ。
イタリア語圏は、行ったことありませんが、それまた違うのでしょうね。

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夜、ひとりで、ルツェルンの街に散策にでてみました。

市街のあちこちにひろがる、こんな素敵な絵のような光景。

ともかく、人も少なく、行き交う人も、他人を気にとめることもなく、安全きわまりありません。

昼に渡ったカペル橋の西の旧橋を渡って、対岸を歩きました。

ルツェルン音楽祭の、コングレスザールの手前に差し掛かりました。

ほんとに、小さな市民劇場があり、そこは、周辺が真っ暗な中にも、暖かな暖色の照明によって、浮かびあがってました。

ヨーロッパの街々は、当時、日本のように、すべてが明るい照明によって白日のもとにさらしだされる雰囲気はまったくなくって、暗さと明るさの対比が豊かで、安らぎの美しい雰囲気があった。

そんなことを思っていたら、耳に届いた劇場からの音楽。

チレーアの「アドリアーナ・ルクヴルール」でした。

ドイツ語圏のここ、ルツェルンで、まさかに聴いたイタリアオペラのフレーズ。

劇場の外へ、まる聴こえ。

そのすべての節々を、当時から理解していた大好きなオペラ、「アドリアーナ」を、ここで立ち聴きしようとは!

ルツェルン湖のほとりで、わたくしは、いつまでも、音響対策の緩い劇場から漏れてくる音楽に、ひとり聴きいったのでした。
開演中だったし、ともかく、ひとっこ一人いないんです。

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湖には、白鳥さんも。

このルツェルン訪問から14年後、最愛のアバドが、自らオーケストラを立ち上げ、音楽祭の中心になろうとは、思いもよらぬことでした。

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2010年に、行こうと思えば行けた。

仕事のこともあり、決断できませんでした。

残念なことをしましたが、アバドがこの地を愛したことが、自慢じゃないけどよくわかる。

ともかく美しく、優しい街、ルツェルン。

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2014年3月 2日 (日)

ドビュッシー 交響詩「海」 アバド指揮

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ベルリン・フィルの退任を告知しおたおり、退任後は、ずっとあたためていたことがあるんです、と静かに話していたアバド。

その言葉は、ルツェルン音楽祭管弦楽団の立ち上げで、現実のものとなりました。

2002年にベルリン・フィルを退任、そして2003年8月に、ルツェルン音楽祭でスタート。

マーラー・チェンバーの稿でも書きましたが、そちらのメンバーもルツェルンの母体に。

1938年に端を発する「ルツェルン音楽祭」は、ブッシュやトスカニーニ、アンセルメ、ワルターらの指揮者が登場し、そのオーケストラは、スイス・ロマンドを中心とした、スイス国内のオケメンバーによるもの。
いくつかの歴史的な録音で、いまも聴くことができます。

1

その後は、外来オーケストラを主体とする名音楽祭になってゆくのですが、グスタフ・マーラー・ユーゲント・オケが、そのレジデントになってのち、アバドの声掛けによる、新生ルツェルン音楽祭オケの誕生となります。

毎年、10年間にわたって映像と実演によって接してきましたが、不変のメンバーもいますし、常にそこには、スタープレイヤーと、若手とが、真剣勝負のように演奏する姿を見せてくれました。

2003年のスタート演目は、ふたつ。

 ① ワーグナー 「ワルキューレ」~ウォータンの告別
              ブリン・ターフェル

  
   ドビュッシー 「聖セヴァスティアンの殉教」

           交響詩「海」

 ② マーラー  交響曲第2番「復活」

Abbado_lucern2003


   ドビュッシー   交響詩「海」

     クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン音楽祭管弦楽団

               (2003.8.14 @ルツェルン 複合文化センター)


子供時代、ドビュッシーの「夜想曲」を聴いて指揮者への道を誓ったアバド。

「夜想曲」は、ボストン響との録音などで、早くからレパートリーとして取り上げてきましたし、「牧神」「イベリア」「セヴァスティアン」、ことに、「ペレアスとメリザンド」は、繰り返し上演し、ことさらの愛情をそそいだドビュッシー作品です。

しかし「海」を指揮するのは、2000年に入ってから。

マーラー・ユーゲントとのツアーで、その演目は、バルトークの弦チェレ、アルゲリッチとのラヴェル、そして、「海」です。
FM放送もされ、わたくしは、アバドの初レパートリーのバルトークとともに、「海」のドラマティックな推進力あふれる演奏に聴き入りました。

そして、このルツェルン。

アバドのルツェルンの「海」は、GMJOの時よりも、さらに若々しく、明るく、しなやかな演奏になりました。

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見渡す限り、すごい顔ぶれのオーケストラ・メンバー。
コンマスは、ブラッハー、クリスト、ポッシュ、グートマン、ハーゲンSQ、パユ、マイヤー、ザビーネ・マイヤー、ジェンセン、フリードリヒ・・・・、もう枚挙にいとまないくらいに勢ぞろい。

その彼らが、病を克服し、すっかり元気になったアバドの指揮のもとで、全霊を込めて演奏に熱中する様子は、映像で見ていてすっかり引き込まれ、感動してしまう。
そして、その彼らの奏でる音の輝かしさといったらない。

無尽蔵と思われるレンジの広さに、音の溶け合いの美しさ。
名手同士が、お互いに音を聴きあいながら、アバドの指揮を見上げるように演奏。

アバドは、ときに笑みを浮かべながら、いつものように、左手をぐるぐると回すように指揮をしてます。
本当に、音楽が大好きで、夢中の様子。
そんなアバドが、もういない・・・・、そう思うと、ドビュッシーの音楽で泣けてきた。

トリスタンとパルシファルに集中していた当時のアバド。
このドビュッシーは、さらに2000年代にも集中して取り上げた、マーラーや新ウィーン楽派といった音楽の流れの中に、しっかりと位置する、演奏に思いました。

大編成でも、決して濁ることのないアバドのドビュッシーの明晰な音楽詩は、ルツェルンという高性能かつ、アバドの意を完全掌握するスーパー・オーケストラでもって、な完璧ものとなった思いがします。
 明るさと、きらめきを感じる、陽光あふれる海の光景。

この輝かしくも、透明感あふれる「海」は、かつてのアンセルメやミュンシュ、マルティノン、デュトワらの伝統的な演奏とも、ブーレーズの知的な明晰さとも、カラヤンやプレヴィン、バレンボイムらの交響詩的な聴かせ上手の演奏とも、まったく異なる、ユニークな演奏に思います。

この映像には、「セバスティアン」は収録されてますが、「ワルキューレ」はなし。
非正規盤CDRで、全曲を1枚のCDで聴くことができます。

いずれ、ちゃんとしたCDでも発売して欲しいと思いますし、2009年のベルリン・フィルとのライブも音源化して欲しいと熱望します。

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喝采を受けるアバド。
会場には、ハイティンクの姿を見受けられました。
ハイティンクは、アバドのピンチヒッターとして、何度も急場を救っていただきました。
オーケストラ、ソリスト、ほかの指揮者たちから、みんなに愛されたアバドです。

ルツェルンの記録、もう少し続けたいと存じます。

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