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2014年3月16日 (日)

シューマン 交響曲第2番 アバド指揮

Orchestra_mozart_1

アバドが、最後に関わったポストが、自身が設立した、オーケストラ・モーツァルト。

2004年の創設。

これまで見てきたアバドの歩みを振り返ってみて、アバドが創設、ないしは、初期から携わってきたオーケストラは6つ。

ECユースオケ、ヨーロッパ室内管、マーラー・ユーゲント、マーラーチェンバー、ルツェルン音楽祭管、モーツァルト管、この6つ。
あと、しいていえば、スカラ座フィルも本格復活させたのもアバド。

このうち、ほとんどが、若い演奏家たちによる団体で、年齢制限も設けたり、卒業後の受け皿であったりと、本当に、若い音楽家のことを思い、彼らと演奏することが好きでならなかったアバドなのです。

世界的に、音楽家を志しても、それで食をはむことが大変な世の中になっています。
既存プロオケとの競合という問題も別途生むこととなりますが、大音楽家が主体となった、こうした活動は、オーケストラの、ひとつの成長と循環のシステムだと思うんです。

しかしでも、音楽不況は、それでも大きい。

メジャーオケですら破綻するなか、アバドの造りだしたモーツァルト管弦楽団も、アバド病中のさ中、財政的な事情もあって、活動中止の発表をいたしました。
前褐の画像の、2014年1月10日のニュースです。

そして、その10日ごの2014年1月20日に、今度は、アバドが世を去ってしまうのです・・・・。

Schumann_sym2_abbado

 シューマン  交響曲第2番 ハ長調

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                  (2012.11 @ムジークフェライン・ウィーン)


このオーケストラとの活動は、モーツァルトを主体として、古典派の音楽が中心と思われましたが、ロマン派音楽へも、そのレパートリーは広がり、やがてベルクまでも含む、広範はレパートリーを持つオーケストラへとなっていいくさ中にありました。

曲の規模や内容によって、ルツェルンやベルリンのメンバーも加わってのことです。

ながらく待ち望んだ、アバドのシューマンの交響曲が、ここの結実しました。

ベルリン時代に3番を演奏してますが、アバドのシューマンといえば、4種あるピアノ協奏曲と、何度となく演奏し続けた「ファウストの情景」、そして「ゲノフェーヴァ」へのチャレンジもありました。

シューマンの交響曲への挑戦が、2番から、というのも、いかにもアバドらしいです。
初録音が、3番や、4番ではなかったところが。

体調も万全でなく、精神的にも厳しかった頃のシューマンの2番は、ほかの交響曲にくらべて、ポエジーな要素が一番少なく、カッチリした4つの楽章の構成の中に、対位法的な要素がとても大きくて、かつ、シューマンならではのリズムもしっかり感じとれる、そんな交響曲。

一番、地味な2番が、実は一番好きになった。
しかも、アバドが録音を残してくれた、その喜び。
バーンスタインが、晩年に、ユースオケと日本で取り組んだ音楽も、この曲。
シノーポリが好んだのもこの曲で、亡くなったときには、第2楽章が追悼で放送された。

ベルリン時代後半から、バロック・古典は、ピリオド奏法を取り入れることも多くなったアバドですが、それはモーツァルトぐらいまで。
教条的になることなく、あくまでフレキシブルに、その曲と、その時代背景をにらみながら奏法を選択していたように思います。

Abbado_mozart_o

このシューマンは、いつものアバドらしく、自然体に徹し、音楽そのものを聴かせる姿勢に貫かれているように思います。
強弱のバランスもよく、ことに、繊細で美しい歌にあふれた第3楽章には、曲のよさもあって、感動を禁じ得ませんでした。

大編成のオケではないので、冒頭の和音より、透明感が勝り、アバドならではの、すっきり・くっきりの主部の立ちあがりのよさ。
そしてまた、いつものような、若々しい表情は、全楽章を通じてのこと。

ぎくしゃくした、シューマンならではの不安感を誘うリズムの運びは、むしろ歌や、若い奏者たちの気持ちのこもったノリのよさで、スムースに展開されてしまう場面も。
 だから、本当は、アバドならもっとできたかも・・・
という贅沢な不満もなくもありません。
どこか、この曲の外側に立って冷静に音楽を見極めている感がなきにしも。
あと数年したら、もしかしたら、もっと早くから手がけていたら・・・との思いもあります。

ひとつの曲やオペラを、じっくりと手がけながら、その解釈を熟成させていくのが、いつものアバド。

すっきりと淡麗明快なシューマン演奏を、きっと打ちたて、確立することでしたでしょう。
その第一歩だった2番で、終わりとは、あまりに無常すぎます。

再度申しますが、第3楽章アダージョ・エスプレッシーヴォの、ロマンみなぎる美しさには、陶然としてしまいます。
アバドは、この楽章にこそ、シューベルト、メンデルゾーン、そしてシューマンからブラームスという、ロマン派交響曲の流れの真髄を見ていたのかもしれません。

ベルリン・フィルのようなキレのよさや、輝かしさ、それと音の厚みはありませんが、どこまでの歌い継いでゆく、流麗かつ歌謡性に富んだ美しいシューマンを、この若いオーケストラはアバドのもとで奏でております。

ウィーンのムジークフェラインという、アバド好きにとっては懐かしいホールサウンドも、このライブ録音では堪能できます。

併録の、「マンフレッド」と「ゲノヘーヴァ」のふたつの序曲も、流れの美しい演奏です。

当日は、メンデルスゾーンの3番も演奏されておりますので、いつかそちらも聴けることを願います。

オーケストラ・モーツァルトとの演奏を、あと一度取り上げて、スカラ座時代から、ずっとレビューしてきた、アバドの演奏特集を終わりにしたいと思います。
なんだか、これも寂しい。
でもずっと、アバドの音源は大切に、聴いていきたいです。

もう何度も聴いてる、終楽章のティンパニの連打。
アバドならではの、これみよがし感のない、スマートで音楽的なエンディング。
慎ましさのなかに、熱い物を感じながら、聴いてます。

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