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2014年4月

2014年4月29日 (火)

R・シュトラウス オペラ管弦楽曲 テイト指揮

Shibaura_azeria

芝桜のように、びっしり咲いたツツジにございます。

日が差すと、夏のような陽光。

ほのぼの系の春は、すぐに終わっちゃって、日差しの強い春に。

でも低気圧のいたずらも、また春の連休のならいで、陰ると、ちょい寒の日々なんですな。

もうずっと昔だけど、連休に京都行ったら、やたらと寒くて唇青くなった。
一昨年だかの、連休明けの仕事の北海道は、マジ寒くて、凍えそうだった。

こんな感じの、日本は、いいですね。

Atrauss_tate

  R・シュトラウス  「インテルメッツォ」~4つの交響的間奏曲

             「カプリッチョ」~前奏曲

             「無口な女」~前奏曲(ポプリ)

             「グンドラム」~前奏曲

             「影のない女」交響的幻想曲


    ジェフリー・テイト指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

                    (1991,92 @デ・ドゥーレン、ロッテルダム)


生誕150年のR・シュトラウス(1864~1949)です。

大好きな作曲家なもので、これまで、再三にわたって書いてきました。

オペラも全作、コンプリートしましたし、有名曲も万遍なく、そうでない作品は、室内楽、器楽、歌曲、若書き作品ぐらいです。
でも、いずれも集めましたので、ゆっくりと記事の方もコンプリートしていきたいと思います。

シュトラウスの、本領は、やはりオペラにあると思います。

そして、15作のオペラの中にも、オーケストラ作品として抜き出しても、全然聴き応えがあってOKな曲が、ほんとにいくつもあります。

代表作は、「サロメ」の7つのヴェールの踊りに、「ばらの騎士」のワルツなんですが、ほかにもいくつも聴きどころはあるんです。

シュトラウスのオペラは、ヒロインあっての世界ですが、その彼女たちのモノローグ、ことさら、幕を引く役柄としての澄み切って、到達感を表出する歌とともに、雄弁なオーケストラの存在感が強いです。
 男性歌手は、どちらかというとバリトンやバスに重きがあり、ヒロイックなテノールも多種ありますが、絵に書いたように劇画的です。

 ですから、シュトラウスのオペラの主役は、女声とオーケストラだと思います。

オペラのオーケストラ作品だけを特集すると、こうなる、という1枚が、本日のこれ。

これまで、カイルベルト、プレヴィン、メータ、ティーレマンなどの音源を聴き、ブログ記事にもしてきましたが、このテイト盤のピュアな徹底ぶりは、きっとナンバーワンです。

テイトさんは、いまどんなポストがあるんだろう。

シェロー&ブーレースのバイロイト・リングの助手をつとめたことから、知ったそのお名前。
その後に、イギリス室内管との、内田さんとの共演を含む、一連のモーツァルト。
その一方で、オペラの達人。

お体のことが、ちょっと心配だけど、このような経歴と志向を持つ指揮者は、わたくし大好きで、ずっと見つめてきました。
ハイドン・モーツァルト・ワーグナー・シュトラウス・エルガー。
テイトの代名詞みたいな作曲家たちは、そっくりそのまま、わたくしの音楽嗜好そのままです。

シュトラウスの実生活を垣間見せるような「インテルメツォ」や「無口な女」の、インティームな雰囲気は、手作り感満載の優しさにあふれた演奏。

神妙だけど、若々しい「カプリッチョ」は、薄目の音色が透明感あってよろし。

「グンドラム」は、目隠し視聴したら、シュトラウスとわからないし、ワーグナーの息子のような作風だけど、こんな薄味演奏がいいのかもね。

最後の「影のない女」幻想曲は、目覚ましい曲であり、演奏っす。
メロディーのつながり具合が、このオペラを愛する人間的にとって完璧で、思わずバラクになりきって、熱唱したくなります。
そんなテイトの、ほどよく熱くオペラティックな演奏は、オケの薄味を通り越して、シュトラウス=歌であることを確信させてくれます。

あんまり濃厚じゃないから、ふだん聴きに、最高のテイトのR・シュトラウスなのでした。



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2014年4月27日 (日)

番外 ニコ超会議

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は~い、よくわからないけど、競輪関係のゆるキャラ。

こんなのが、そこらへんに、うようよ。

さらに、コスプレのリアルなプレイヤーが、そこらじゅうにうろうろ。

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幕張メッセで、おこなわた、「ニコニコ超会議3」に、行ってまいりました。

土日で、12万5千人。

ものすごい人出でしたね。

土曜日、行きは、都内から45分。
帰りは、自宅の千葉へ25分。

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ニコニコ生放送、動画を中心に、情報発信の宝庫。

われわれは、受け止めるだけでなく、しがない個人も、PCさえあれば動画発信できる。

当然に、若者のツールとして、発進したけれど、いまや、日々、PCで視聴できる番組は、本来の、アニメ系の音楽配信や、おタク的な番組ばかりでなく、衆参両院の議会や、原子力委員会の毎日の討論、東電の定例報告会などの、ほんらい、われわれ国民が監視しなくてはならない出来事を放送してるんです。

さらに、プロ野球もその半数を全中継。

かのS河内、KB方の会見もすべて放送。

全国の競輪・競艇なども。

ともかく、なんでも、わけへだてない、個人も参加可能、ハードルゼロのゆるゆる、ネット配信放送局なんです。

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安部さんも、アベぴょーーんに。

ご本人の来訪や、ふなっしータイムには間に合いませんでしたが、自民党ブースの横では、エイベックスブースで、若いアイドル系が熱唱。

ちょいと歩けば、ゲーム、素人歌唱、ダンス、コスプレなどなど、政治も自衛隊も、米軍も、大相撲も、企業宣伝も、そのすべてが、同一フロアで一望のもとに。

ネット社会のバーチャル縮図が、ここ幕張メッセに、もたらわれた感ありです。

よしあしは、別な議論でしょうが、この来場者数と、出展者の意気込みこそ、あきらかな、大きな潮流で、あなどれない言論・表現・伝達ツールなのですな。
テレビでもやってましたが、個人の命すら救うこともできるんです。

面と面、顔を向かい合わせてが、一番に越したことない。

でも、ネットで、映像や文字で繋がることも、人の心を結びつけることができるんですね。

いい方向に着地すればいいんですから。

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しんかいの実物だし、

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自衛隊のヘリきちゃってるし、海自のコスプレ・コーナーあるし、米軍さんと、おともだち写真コーナーあるしさ。

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JAXAコーナー。

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石破&小池、コスプレ候補者。

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維新の会は、ビンビンなのに、近くの某M党は・・・・

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企業ブースのひとつ、ローソンには、畑もありましたよ。

オジサン目線なので、弱めの画像ですが、ともかく、広大な幕張メッセが、若い人のパワーで埋め尽くされてました。
人と行きあうことも難渋するくらいの人出に、いろんなパワーを感じることがありました。

ネット世界は、アナログ世代も、いつしか、そちらにひきこんで、そこにいなくてはわからない面白さを判らしめるようになりました。

もう逃げられません、わたしの先の先輩世代。

そこから生まれる世界を、ともに享受いただきたいと思います。

ちなみに、このニコ超に行ったのは、わたくしの応援する歌手が出演したことからです。
彼女の抜群の歌唱力と、素直で素敵なお人柄に惚れました。
この歌い手のことは、いずれまた、ご案内したいと思います。
ともかく、人の心にとどく、素晴らしい歌い手さんです。

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2014年4月25日 (金)

ディーリアス 「春初めてのかっこうを聞いて」 ハンドレー指揮

Yasukini

なんだか、もこもこっとした桜が、いまどきが咲きごろ。

八重桜の品種で、関山とかいうらしいです。

定期的にお仕事で近くにいくので、歩いて横切る靖国神社。

もう、かれこれ30年前、前にも書きましたが、社会人になったときの会社が九段下にあって、そのあと、竹橋、神保町、お茶の水と移動しましたので、ここ周辺は路地の隅々まで、よく知っているのです。

いまみたいに、靖国神社が、こんな風に、おまわりさんが警戒するような場所になろうとは、かつては思いもしなかった、都心の静寂のオアシスみたいな場所だったんです。
まったく、なんてことでしょうね。

皇居のお堀のすぐとなり、贅沢な空間ですが、その庭園で一休みすると、街の喧騒がウソみたいに感じますよ。

Delius_handley

   ディーリアス  「春初めてのかっこうを聞いて」

      ヴァーノン・ハンドレー指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                    (1988.7 @アビーロードスタジオ、ロンドン)


フレデリック・ディーリアス(1862~1934)は、わたくしのもっとも好きな作曲家のひとりです。

もう、これまで、何度もそう言って、何度も記事を残してきました。

入手できないオペラ作品の一部を除いて、ほぼその作品はコンプリートしました。

今日は、久しぶりに、初心に帰って、もっとも有名な作品を楚々と聴くことにしました。

 わたくしと、ディーリアスの出会いを、ここにまた改めて書いておきます。
もうこれも何度か書いてますがね。
 クラシック音楽に目覚め、ともかくいろんなものを聴きたくて渇望しているときに、父が、職場から、レコードを大量に引っ提げて帰ってきました。
父は、ホテルマンだったので、無印の海外のテスト盤とか、不要のものをもらってきてくれたのです。
 それらは、赤や青の半透明の盤もありましたし、黒で、レーベル無地のものもたくさん。
ジャズや、映画音楽、ビアホール音楽にまじって、クラシックも数枚。

その中にあった、白紙のジャケットに白紙のレーベルの1枚。
マジックで、「Beecham Delius」と手書き。
なんだこれ?で聴き始めたレコードだけど、なんだかさっぱりわからない。
でも、高額な、数少ない手持ちのレコードのひとつだから、ともかく、繰り返し何度も聴きました。
そして、ある時、レコ芸のレコード目録で、そのレコードがなんなのか、ディーリアスなる人と、ここに収録された曲目をたどることができました。
 なんだか、はっきりしない音楽だけど、静かで、どこか哀しくて、美しいと思いました。
すっかり耳に馴染んだ6つの収録曲の由来も調べ、すっかりディーリアスなる人と作品が好きになったわたくし。
中学生のことでした。

神奈川の実家の自室からは、富士山の頭と、そこに沈む壮絶な夕陽が見えました。
それを見ながらよく聴いたのが、ディーリアスや、ワーグナーなのでした。

まさに、そんな思い出と結びついている、まさに、わたくしにとってのノスタルジー・サウンドがディーリアスの音楽たちなのです。

そのディーリアスのレコードを運んできてくれた父とお別れをして、早や17年。

ディーリアスの感覚的な、移ろいゆく時間を映し出したような音楽は、いつまでも、わたくしを、過去の思いへといざなってくれるのです。

  「春初めてのかっこうを聞いて」

     <On hearing the first Cuckoo in Spring>


なんて、素敵なタイトルであり、邦訳でしょうか。

当初は、「春を告げるカッコウ」なんて風に呼ばれてましたが、ディーリアスの十字軍ともよぶべき、三浦淳史先生が、原題をそのまま彷彿とさせる名題を残されました。

この小品と対になる作品、「河の上の夏の夜」も、同様に詩的な邦訳をまとっています。

春の訪れのような、ふんわりとした曲調のなかに、どこか哀しげな「かっこう」の鳴き声がこだまします。
ディーリアスが愛した北欧の雰囲気も思わせるかのように、ノルウェー民謡もここでは響いてます。

緩やかな春がきて、徐々に夏になって欲しい、そんなかつての日本の四季が、いまは感じることができなくなり、この曲には、そんな、失われつつある日本の美しい四季へのノスタルジーとも、聴くことができるんです。

亡き名匠、ハンドレーのすっきりと抒情的な演奏は、ビーチャムの系譜を思わせる、美しいものでした。
いまは変わってしまった、ロンドンフィルのくすんだ響きも懐かしい。

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2014年4月24日 (木)

「森園康香ヴァイオリン・リサイタル」

Azeria

梅、桃、桜と続いて、今度はツツジが街々に咲き誇ってます。

新緑も濃くなって、春から初夏へと季節は移っていくのですな。

ツツジの次は、紫陽花。

季節はめぐり、わたくしたちも歳を重ねるという寸法です。

Yasuka_morizono

 ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ第1番 ニ長調

 プロコフィエフ  ヴァイオリンソナタ第1番 ヘ短調

 シマノフスキ  「ノクターンとタランテラ」

 カトアール    「エレジー」 

 ワックスマン   「カルメン幻想曲」

 森園康香    「森の小路」「冬の足あと」「雨あがりの歌」(アンコール)

           
         ヴァイオリン:森園 康香

         ピアノ    :米山 多佳子

                     (2014.4.23 @かなっくホール)

1992年生まれ、若い森園さんは、新日本フィルのコントラバス奏者を父に、神奈川フィルのヴァイオリン奏者を母に、現在は、ドイツ・ヴュルツブルク音楽大学に在籍中の新鋭です。
渡独後も、コンクール受賞や高名な先生や室内楽団について勉学中で、まだまだ伸びしろたっぷり。

これまで神奈川フィルや、横響との共演がありましたが、それらは聴き逃しましたので、今回が初でした。

前半に、1番の番号のソナタを持ってきて、ほぼ1時間。

後半は、近代系の技巧派作品でもって、45分。

なかなかに充実したプログラムでありまして、初リサイタルだからといって、媚びることのない堂々たるラインナップと、そしてなによりも、その立派な演奏だったのです。

めったに聴かないベートーヴェンの1番。
28歳の作品ですが、古典の流れを汲んで、ヴァイオリンつきのピアノソナタ風な趣きも持つ曲で、出だしはまだ、あたたまってなかった森園さんより、ピアノの方が目立った1楽章は、そうした曲の作りにもあるかも。
 でも、うららかな春のような第2楽章は、ベートーヴェンのいかにもベートーヴェンの緩徐楽章らしくて、気持ちよかった。実に、瑞々しいヴァイオリンです。

発表の順番で、実は2番なプロコフィエフの1番は、プロコらしくて好きな作品。
暗澹たる雰囲気におわれながらも、幻想的な要素もあって、魅力的なんです。
プロコフィエフの曲って、モダンでありながら、硬質なメランコリーがあって、とくにその作品の緩徐楽章や、バレエ音楽などに、そうした雰囲気を感じます。
 そうした場面の捉え方が、彼女の演奏の素敵なところでした。
1楽章は暗いばかりでなかったし、第3楽章は、ふだん聴いてる大物演奏家では聴くことができない初々しさもありました。
終楽章が静かに終わってゆく場面などは、今後、もっと経験を増して、大きな表現を勝ち得ることができるでしょう。
2楽章の技巧の確かさは、音楽へ没頭しきった夢中の演奏姿とともに、後半へと引き継がれました。

急・緩・急、3つの性格を持つ作品が大きなソナタのようにして並びました。

シマノフスキの世紀末臭が、わたくしは好きなのですが、ここでは、民族臭強めの作品。
ピアノの米山さんふくめ、おふたりの手の内に入った作品とのことで、息もばっちり、体も動かしたくなるような舞踏サウンドにございましたね。

そして、この日の驚き発見曲は、カトアール(1861~1926)のエレジー。
初聞きの名前の作曲家の魅力的な作品でした。
カトアールは、フランス系ロシア人で、ここで聴かせてもらったエレジーは、フォーレを思わせる、ちょっと熱を帯びたエレガントで抒情的な曲でした。
こんな素敵な作品を感性豊かに弾いた彼女は、バリバリの技巧派ばかりでなく、しなやかな音色も聴かせてくれました。
それにしても、いい曲。
この人のほかの作品も探して聴いてみよう。

最後は、最近話題のコルンゴルト的な系譜のワックスマン
お馴染みのメロディが、次から次へと、名技性も湛えながら飛び出してくる魅惑の10分間。
サラサーテともまた違った情熱とキレキレのカルメン。
はじける若さが、眩しゅうございましたぞ。

アンコールは、自作の小品。
いずれも、優しく、ほのぼの、心温まる桂品でした。
一部、彼女のお母様による初演も聴いてます。

神奈川フィルの新常任、川瀬さんも同じく。
こうして、若い演奏家が育っていくのを見守ってゆくことも、聴き手のつとめであり、喜びなのです。

元気と若さ、いただきました。
ピアノの米山さんも、素敵な伴奏でした。

康香さんと、わたくしの娘は、同い年なんです。
クラシックなんて、まったく無縁の娘にも聴かせてみたかった。
そして、君も、外へ飛び出して、しっかりせい、といいたかったのは親の勝手な思いでしょうか(笑)

彼女の書いたプログラムに、「カトワールのエレジー」がネットで聴けるとありましたので、探し出しましので、ここに貼っておきますね。
オイストラフの演奏。

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2014年4月20日 (日)

神奈川フィルハーモニー第298回定期演奏会 川瀬賢太郎指揮

Minatomirai201404

またしても冷たい雨が。

新シーズンの始まりの、みなとみらいは、肌寒くて、季節が逆戻りしたみたい。

でも、コンサートは、熱かったですよ。

ブラボー飛び交い、拍手はやむことがありませんでした。

Kanapill201404

  バックス    交響詩「ティンタジェル」

  シューマン  ピアノ協奏曲 イ短調

             Pf:伊藤 恵 

  ブラームス  交響曲第1番 ハ短調

    川瀬 賢太郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                  (
2014.4.18 @みなとみらいホール)

新常任指揮者、1984年生まれの川瀬賢太郎氏のお披露目定期演奏会であります。

3月には、お別れがありましたが、4月は、出会いと新規のスタート。

神奈川フィルの公益財団化後の4月、定期演奏会のバリエーションも増え、さらに崎谷新コンマスや、新加入のメンバーも迎えての4月。

なにかと、おニューな、定期演奏会なのでした。

第1曲目に、バックスをもってくる大胆さ。
自慢じゃないけど、わたくしは、バックス・マニアです。
英国音楽を広範に愛するワタクシ、バックスは、ケルト臭のするファンタジックな作曲家として、そして、海や森、妖精といった自然を感じさせる世界が大好きなのです。

ですが、こんなヲタクを喜ばせはしても、多くの聴き手が、誰?的な反応と、とらえどころのない芒洋感に戸惑われたことと思います。

ですが、音楽会は知った曲、有名曲、人気曲ばかりじゃ面白くありません。
現代曲も含めて、知らない作曲家、知らない曲に触れ合うことも、定期演奏会の楽しみであり、必需のことなのです。
バックスの、この素敵な曲を聴いて、ほかの作品を聴いてみたいと思われたら、それこそ、バックスファンとして本望です。

そして、その演奏は、金管が少し強過ぎると感じたほかは、さすがは神奈川フィルの弦セクションの美しさ。
懐かしさと透明感あふれるバックスならではサウンドと、シャープさが実に素敵なものでした。
川瀬さんも、曲に率直に向き合い、伸びやかな指揮ぶりでした。

 神奈川フィルのシューマンのピアノ協奏曲には、いろいろ思い出がありますが、シューマンといえば伊藤惠さん。
その彼女が、ソリストにやってきた今回は、これまで聴いた神奈フィルシューマンP協のなかで、もう最高。
安定感と安心感が、あふれ出てくるその演奏。
明るい黄緑色の春らしいドレスと、同系色のハンカチをもって、若い川瀬クンを伴って出てきた伊藤さんを拝見した瞬間に溢れる、今宵のシューマンの成功の確信。

確かな打鍵、しなやかな歌い回し、あふれるシューマンへの愛情がとめどなく感じられる。
すみずみまで、一音一音、心がこもっていて、無駄な音はひとつもないように思いました。
オーケストラも、柔らかく、抒情的。
川瀬さんは、柔和な表情を常につくり、ことに、ソロもオケも難しい3楽章では、にこやかな橋渡し的な役柄に撤しておりました。
その終楽章では、少し祖語が生まれたようにも感じましたが、それがまた、この曲の怖いところ。
ともかく、素敵すぎの伊藤惠さんのピアノにございました。

後半は、勝負のブラ1。

ズンズンくるかと思いきや、意外と柔らかな出だし。
低弦から、ほんの少し早く入ったのも、思いのほか新鮮。

誰もが知悉している、これほどの名曲となると、普通じゃいけない。
自分のブラ1を聴いてくれ、という意気込みが欲しい。

この曲から、川瀬氏は、右に左に正面に、自在に指揮しまくり、ときに棒も止めたりとアクティブ。
普通すぎるのも面白くないけど、実は、その動きが、ちょっと、こちらには疲れを催すものだった。
 細部まで、よくよく見つめて、この曲に対する畏敬の想いも感じるのですが、そのこだわりが、いろんなものを拾い過ぎちゃって、かえってモザイクのような、ばらついた印象をわたくしにはあたえたことも事実です。
終楽章の名旋律開始前の、長めのパウゼ、そのあとの抑制したその名旋律の奏で方など、一例をあげればユニークなヶ所も多々。

 ふだん聴こえない内声部を引き立たせて、あれっ、と思うような瞬間も多々ありました。
そのあたりが、今後、しっかり表現として結びついて、音楽の局面と全体像がしっかりと結びついてくることを期待します。
 そして、若い指揮者ですから、ガンガンいって欲しいものです。

終楽章のコラール、それ以降の、熱い中にも、堂々としたエンディングは、オーケストラの地力にも助けられ、おおいなる盛りあがりを見せました。

ちょっと辛口に書きましたが、まだまだスタートだし、なんといっても若い可能性を大いに秘めてる。
オーケストラとの共同作業という見方からしても、大いに楽しみだし、なによりも、神奈川フィルの、わたしたちが好きな美しい音色を、しっかりと引き出してくれそうだし、それをしっかりと守ってくれそうな、川瀬さんなのです。

 そういう安心感を、オーケストラメンバーの笑顔と、聴衆の暖かな拍手に感じました。

これから、一つづつ、指揮者と、このコンビの成長とその成り行きを見守るという、大きな楽しみが生まれました。
 同時に、おなじみの皆さんに加えて、若い奏者も増えてきた神奈川フィル。

伝統を守りつつ、進歩・変化なくしては、オーケストラはいけません。

引き続き、応援してまいります!

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終演後の新シーズンスタートの乾杯式。

初々しい川瀬さん。

楽団理事長のお話のあと、黒岩県知事の巧みなトークや、崎谷コンマスのご挨拶もございまして、おおいに盛り上がりました。

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10時過ぎの、We Love神奈川フィルアフターコンサートは、大忙しでした。

みなさま、お疲れ様でした。


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2014年4月17日 (木)

神奈川フィル定期 予行演習 アバド指揮

Azeria_shibaura

桜のあとは、つつじがやってきますな。

連休のイメージもあり、汗ばむ陽気も思い起こすことができます。

四季の巡りも、年々早く感じるようになりましたよ。

神奈川フィルの新シーズンは、新体制でフレッシュ・スタートです。

  バックス    交響詩「ティンタジェル」

  シューマン  ピアノ協奏曲 イ短調

             Pf:伊藤 恵 

  ブラームス  交響曲第1番 ハ短調

    川瀬 賢太郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

            2014年4月18日 (金) みなとみらいホール


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  バックス  交響詩「ティンタジェル」

バックスは、かねてより大好きな作曲家で、何度も書きますが、その独特のケルト臭は、わたくしには、まるで、ピート臭満載のアイラモルトウイスキーを口に含むがごとく感興を引き起こすものです。

1917年に、バックスのピアノ作品のほとんどにインスピレーションを与えた女流ピアニスト、ハリエット・コーエンとともに訪れたイングランド南西部のコーンウォール半島にあるティンタジェルの街。
大西洋を望む、その地の、夏の風のない昼間、崖から見る絶景。  
さらに、そこに位置するティンタジェル城は、遠くローマの時代に端を発するもので、のちにケルト、アーサー王の伝説もある場所です。 絶海の様子や、潮風や潮の匂いすら感じることのできる、魅力的な音楽であるとともに、その城の由来のイメージを音楽に織り込ませています。  

コーンウォールといえば、ワーグナー好きならば、「トリスタン」の故郷として思い浮かびます。
メロートの剣に倒れ、忠臣クルヴェナールによって運ばれた里が、コーンウォール。 海の見える朽ちた城で、トリスタンは海を遠く眺め、イゾルデの到着を恋い焦がれるのです。
 この「トリスタン」のことも、思い浮かべつつ、さらにバックスは、トリスタンの様々な動機と関連づけられる旋律も、この交響詩に織り込んでます。

ですから、この作品は、ティンタジェルの自然、その城の背景にあるアーサー王、そしてトリスタンというふたつのケルトにまつわる要素がからみあった、描写的かつ心象的な交響詩なのです。

手元には、バルビローリ、ダウンズ、トムソン、エルダーのCDがあります。
それぞれに、特徴があって、どれも大好きな演奏。
ゆったりと、コーンウォールの風情を愛でるような演奏のバルビローリは、その歌い口が優しく、少しばかりの憂愁も含んでおります。
 ですが、演奏時間でいうと、バルビローリが約15分なのに、最長はエルダーで17分。
丹念に緻密に描いたそのエルダー盤も、最近、超好き。
あと、男の海、みたいなダイナミックさあふれる、ブライデン・トムソン。
ライブならではの、盛り上がりのよさと、スマート感あるのは最速14分のダウンズ盤。

さて、神奈川フィルはその美音で、わたくしを痺らせてくれるでしょうか!

このコンサートで、一番楽しみな演目なんです。

 (一部、ファンサイトで書いた記事を引用してます)

Schumann_pcon

シューマンのピアノ協奏曲を、アバドは、4回録音してます。

その聴き比べは、かつての こちら→

ブレンデル、ポリーニ、ペライア、ピリスと4人の奏者。
アルゲリッチもアバドで録音して欲しかった。
これほどに、奏者たちからも愛されたアバド。

この4種の中では、ブレンデル盤が一番好きです。

ブレンデルのまろやかなピアノに、アバドとロンドン響が醸し出すヨーロピアンな落ち着きのあるウォームトーン。
ロマン派の音楽っていうイメージ通りの素敵な演奏です。

もちろん、ほかの盤もみんな素晴らしいのですよ。
でも大学時代の思い出とかも加味して、ブレンデル盤には、格別な思い入れがあるのです。

伊藤恵さんを、ソリストに迎えることの、この贅沢シューマン。
神奈川フィルのシューマンには、いろんな思い出がありますね。

Abbado_brahms_1

ブラームスの交響曲第1番は、2度録音。
全集自体を2回。
4つの交響曲で、アバドは2番が一番得意だったし、その音楽性にもあってました。
ついで、4番かな。

1番のイメージは、アバドにはそぐわないかも。

ベルリンフィルの演奏では、重厚さと壮麗なカラヤンにくらべて、輝かしさと自然な流れのよさが際立ち、あの威容あふれるブラ1も、軽やかなのです。
でも、やはりウィーンフィルのものが、この曲への扉を開いてくれたこともあって、懐かしくも、いまだに新鮮な演奏。
70年代初頭のウィーンフィルの美質が満載で、それと一緒になって、嬉々として指揮をしているアバドの姿が思い浮かびます。
明るく、前向きな気分にさせてくれるブラ1。
さんざん聴き尽したブラ1だけど、このユニークな演奏に帰ってきます。

この曲に限らず、神奈川フィルのブラームスにはたくさんお世話になりました。
シュナイト師で聴けた全4曲や、ドイツレクイエム、協奏曲、合唱曲。
ずっとずっと胸に秘めておきたい大切な思い出です。

若い演奏家が果敢にいどむ、ブラ1。
思いきり、輝いて欲しいです。

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2014年4月13日 (日)

「法悦とロメオ」  アバド指揮

Momo

桜より、ちょっと早く、でもほぼ同じ頃に花をつけるのが、桃の花。

よく見ると、梅の花にも似てますね。

子供の頃の実家の目の前には、県が運用している試験場の桃畑があって、一面がピンク色でした。
そして、その横には、山桜がたくさん咲いて、春はもう、それは華やかななものでした。

その桃も、いまは、ほんの一部になって、春の花の色合いが薄れてしまいましたが。

Abbado_bso

  スクリャービン    交響曲第4番「法悦の詩」

  チャイコフスキー   幻想序曲「ロメオとジュリエット」


   クラウディオ・アバド指揮 ボストン交響楽団

                      (1971.2 @ボストン)


1972年に発売された、このレコード。
ちょっぴりエッチなジャケットにどきどき。
当時まだ中学生だったわたくし。
誕生日、クリスマスのプレゼント、それからお年玉をためて・・・・そんなサイクルで、レコードを集めてました。

1973年の正月に、横浜西口のヤマハで、買ったのがこのレコード。

完全に打ちのめされ、アバドのカッコいい音楽造り、ボストン響のウマさ、そして、チャイコのロメオ、スクリャービンの法悦の詩の音楽に、すっかり打ちのめされました。

この2曲は、この演奏がそれぞれに刷り込みですし、40年経った現在も、わたくしにとって、これらを超える演奏はまったくございません!

子供の頃は、当時360円ぐらいだったレコ芸や、ステレオ芸術や、FM雑誌が、唯一の音楽情報で、それらの雑誌の評論を参考に、高額なレコードを選択していたのでした。

そして、このレコードは、志鳥氏の担当する管弦楽曲部門で、激賞。
アルゲリッチのショパンで、すでに気になっていたアバド。
FMでも、ザルツブルク音楽祭の活躍などを耳にしてたし、ボストン響とのドビュッシーとラヴェルもすでに先行していた時分でした。
 さらに、73年のその年、若くしてパーメネントコンダクターとなったウィーン・フィルと来日するといいます。

アバドを完全に追いかけて行こうと、確信した瞬間がこのレコードとの出会いです。
その後のウィーンフィルの来日演奏会のテレビ観劇でダメ押し。

RCAの専属だったボストン響が、DGと契約して録音を始めたとき。
第1段は、先に書いたアバドとのフランスものと、A・フィードラーのボストン・ポップスとのクリスマス・ミュージックでした。
 その次にきた、このロシア系のレコード。
ともかく、鮮明・鮮烈な録音の良さに、まずはびっくりした。

中学生レベルの当時のボクちゃんクラスの安ステレオ装置が、やたらと目覚ましくよく鳴ったもんだ。

メータのハルサイや惑星とともに、このレコードの録音の良さは、わたしの装置にとってのご馳走のような存在でした。

そして、なんたって、この演奏の素晴らしさ。

アバドがいなくなって、そして、心の中に生き続けているいま、かつて何度も、何度も、聴いてきたこの音源を聴いてみる。
とても、かけがえなく感じる、それらの音源たちに、あいかわらずアバドの姿を見出だすことができ、そして、その時の自分も鮮烈に蘇ります。

もう40年前の自分。
海辺の小さな街の、潮騒聞こえる中学校に通って、好きな女の子に憧れたり、大人にイライラしたり、ともかく多感な毎日。
 あのときから、アバドは変わらずに、歌心は満載で、静寂から、ブリリアントなフォルティッシモまで、そのダイナミックレンジは広大。
若い頃のスタイルは、繊細・美音のピアニッシモで歌うこと。
その静かな歌にボリュームを上げて聴いていると、驚きのフォルテがやってきて、超びっくりとなります。

どちらも、エッジの効いたボストン響の威力炸裂。
ほんらい、ねっちっこい不健康スクリャービンも、この演奏では、歌いつくしの健康志向。
ともかく、明るいヨーロピアンサウンド。
後期ロマン派・世紀末系としてのスクリャービンを、アバドはよくぞ録音してくれたものです。
最後の異様な盛り上がりも、整然と緻密な冷静さでもって、少しも下品になりません。
そして、聴き手をしっかり興奮に導いてくれます。

チャイコフスキーも同様。
早めのテンポで一気に駆け抜けながら、歌いどころでは、思いきり気持ちを込めてオケを歌わせてます。
アバドのあの指揮姿がまぶたに浮かびます。
ティンパニの劇打も素晴らしい。

ボストンとの共演が、2枚のレコードだけだったのは、とても残念なことです。
シカゴ、ボストン、ニューヨーク、クリーヴランド、フィラデルフィア、かつての5大オーケストラから等しくラブコールを受けていたアバドです。

アバドも若かった、自分も若かった。

アバドの音楽は、若いころから、ずっと変わらなかった。
さらに高みへ進化しただけ。
それに引き換え、頑張れ自分。

Ikacenter1

金曜は、アバド好きの集いへ。

おいしい千葉産、朝取れの魚の美しさ。

いつもお世話になってます、「com grazia」さんの呼びかけで、アバドに感謝する会。

アバドの話しかしない会。

みんなそれぞれの心にあるアバドを、思いきり語り、笑い合いました。

泣かないで行こうと思ってたけど、涙もろいワタクシは、決壊してしまいました。

Matteo


もう一軒。

アバドを思いつつ、選んでいただいたイタリアワインは、本当に優しく、包みこまれるような味わいに溢れてました。

みなさま、お疲れさまでした、お世話になりました。

ありがとう、クラウディオ。


過去記事 

 「チャイコフスキー、スクリャービン  アバド指揮」

 「チャイコフスキー ロメオ アメリカ7大オケで聴く」

 「スクリャービン  交響曲第5番プロメテウス 」


   

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2014年4月 9日 (水)

アバド追悼演奏会 ルツェルン

0


4月6日に行われた、ルツェルン春の音楽祭における、クラウディオ・アバド追悼演奏会。

日本時間、同日晩に、慎んでネット観劇いたしました。

こちらは、終演後の聴衆を映したもの。

このパンフレッウトだけでも、グッときてしまう。

1

 シューベルト  交響曲第8番「未完成」 第1楽章

          ルツェルン祝祭管弦楽団

 ヘルダーリン  

          語り:ブルーノ・ガンツ

 ベルク      ヴァイオリン協奏曲

          Vn:イザベル・ファウスト

 

 マーラー    交響曲第3番 第6楽章

    アンドリス・ネルソンス指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                       (2014.4.6 @ルツェルン)


アバドの音楽への想いを集約したような選曲。

あと、ここに、モーツァルトとベートーヴェン、そしてブラームスとヴェルディがあれば完璧と思うのは贅沢で不謹慎すぎること。

ルツェルンのクンストハウスのホールの、あるじなしの指揮台。

2

オーケストラだけで、演奏された「未完成」の第1楽章。
痛切すぎる、涙にぬれたような未完成は、聴いてて辛くなった。
コンマス(この人、名前が出てこない)が、大きな身ぶりで主導しつつも、各セクションは、アバドの指揮でもあったように、お互いに聴きあいつつ、目線を交わしながらの演奏。

次いでのヘルダーリンは、まったく不明、わかりません。
ガンツさんは、アバドとの共演歴も長く、CDやDVDでも多く一緒に出てます。

そして、ベルク。

3

イザベルさんとのベルクは、先年、モーツァルト管とのライブが出たばかり。
CD音源での精度の高さには及ばぬものの、彼女の熱い思いを込めたベルクは、切実で、静かに始まりつつ、後半の憑かれたような演奏には、驚きと感動を禁じえませんでした。
きっと、アバドとの共演を、思い描きながら弾いていたのでしょう。

そのアバドへの想いが、とてつもなく、最高度に高まり、神々しくも、侵しがたい雰囲気にホール全体が包まれてしまったマーラー。

アバドが愛したマーラーの、しかも、「愛がわたしに語るもの」。

5

追悼を通り越して、これはもう、クラウディオ・アバドという名伏しがたい存在に対する、人々の想いの昇華であり、彼を失ったことに対する、人々それぞれの想いの結実なのかもしれません。

観て聴いて、ずっと不条理に哀しんでいた自分のなかで、オケも聴衆も、等しく涙する姿で、ようやく一体感を持って、アバドとの現生の告別を済ませることができた気持ちです。

4


いつもの金管セクション。
フリードリヒさん。
2006年の来日でのリハーサルで、マーラー6番で、見事ひっくり返った。
繰り返しでは、完全復調。
アバドに投げキッスをされて、顔を真っ赤にして、嬉しそうにしていたフリードリヒ。
いつも必ず、彼はアバドの指揮の時には主席を吹いてます!

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涙・・・・

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そして、涙。


9


ルツェルン名物、楽員同士のハグも、今回は、涙。


8

やむことのない拍手。

ネルソンスの頬にも涙。

そして、スタンディングの聴衆にも・・・・・

オーケストラが去ったあとも、拍手はずっと、ずっと、放送中、止むことはありませんでした。

あと、数日後に、アバド仲間のみんなとお会いする予定です。

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2014年4月 6日 (日)

バッハ ミサ曲ロ短調 アバド指揮

Tokyotower_201404_a

東京の桜は、もうほぼ終わってしまいましたが、ピーク時に見てきました。

左下の写真集にまとめておきたいと思います。

桜は、パッと咲いて、1週間ぐらいで、サッと散ってしまう、その潔さが刹那的で、その魔的なまでの美しさも、儚いから許されるのかもしれない。

咲いたあとの、花吹雪も、頼むから散らないで~的な、別れの悲しさ。

咲いてる時も、散る時も、日本の美しい春、そんな桜です。

Abbado


 バッハ   ミサ曲 ロ短調 

   S:ヴェロニク・ジャンス     Ms:アンネ・ゾフィー・オッター

   T:チャールズ・ワークマン   Bs:ホセ・ファン・ダム

     クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                      スウェーデン放送合唱団

                       (1999.2.26 @ベルリン)


アバドの「ロ短調ミサ」。
これは、正規に残された演奏ではなくて、わたくしがFM放送を録音したものです。

カセット・テープからCDRに焼き起しました。

録音当時は、さして印象に残っておりませんでしたし、なんせ、カセットだったので、溢れかえるCDのなかにあって、繰り返し聴くこともなかったのです。

それを数年前にCDR化して、じっくりと聴いてみた。

そして、これが実に素晴らしい演奏だとわかったのでした。

 アバドのバッハの演奏は、ブランデンブルクが有名ですが、声楽作品では、「マタイ受難曲」をミラノ時代に指揮していたほか、ロンドン響でも、カンタータなどを数曲演奏しておりました。
そして、ベルリン時代、満を持して取り上げた「マタイ」は、1997年のことでした。
注目されたこの演奏、その模様は、レコ芸等の雑誌でも、伝えられたが、かなり抑制され、淡々としたものだったようで、福音史家のシュライヤーが、かなり苛立っていたとも報道されました。

当時のアバドの演奏には、たしかに、気の抜けたような瞬間を感じさせるようなものもあったり、一方で、得意の演目はさらに磨きがかかっていたものです。
長らくエヴァンゲリストを歌い続け、隅々まで知り尽くしたシュライヤーとの共演自体も、もしかしたら、アバドの目指そうとした「マタイ」からしたら失敗だったのではないかと、勝手に想像もしたものです。

この「マタイ」のライブは、ムジコムというイタリアのレーベルから正規発売されてますが、まったくの入手難となってまして、欲しくてしょうがないです。

さて、その「マタイ」から2年後にとりあげた、「ロ短調ミサ」。

アバドがベルリン・フィルにもたらした改革のひとつは、「響き」。

「カラヤン時代は、どの時代の音楽も、同じ響きで演奏してました。そんなベルリン・フィルの一色しかない響きに強い不満を感じたのです。そこで、近年急速に進化した古楽研究の成果も吸収しながら、その時代に相応しい響きと演奏様式をベルリン・フィルに持ち込みました。
 ご承知のように、バロック・古典・ロマン・現代と、その時代によって求められる響きは異なります。これを実現するために、数年かけて、世界各国の優秀な若手演奏家を採用するなど、ベルリン・フィルの新陳代謝を進めました。その結果、ベルリン・フィルは、さらに国際化するのに成功したと思います」

アバドが2003年に、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したときに、来日したおりのインタビュー記事です。

まさに、この言葉通りの響きが、このロ短調ミサの演奏からは聴こえてまいります。

おそらく、マタイの97年から、この99年の間での試行錯誤が、ここに結実したのではないでしょうか。
極端なピリオドではありませんが、奏者も合唱も少なめに刈り込んで、ヴィブラートは抑えめに、透明感あふれる清らかなバッハ演奏となっております。
オーケストラのソロのすべてにいたるまで、こうしたアバドの意向は行きわたっていて、グロリアにおける、ソプラノソロのオブリガート・ヴァイオリンを伴った場面は、いえも言われぬ美しさなのでした。

シュライヤーのような大ベテランを廃して、すっきり系の歌手たちを集めたのも成功の要因。
若いころはともかく、後年の劇的なシュライヤーのバッハは、カラヤンの指揮にこそ相応しく、アバドの目指すバッハには合わなかった。
とりわけ、ジャンスとオッターの清流のような歌声は、耳にも、心にも極めて優しく響きました。
ただ、ファン・ダムは少し甘味にすぎるかな。

この静的で、清らかなバッハに食い足りない思いを描く方もいるかもしれません。
もしかしたら、いずれ、正規音源として出てくるかもしれませんが、バッハ演奏に答はありません。
ベルリン・フィルで、このような演奏を打ちたてたこと自体が、驚きだし、ラトルの功績の端緒は、アバドのこうした革新にこそあったわけです。

アバドは、その晩年、バッハの音楽をつねに聴いていたそうです。
きっと、マタイも含めて、新たなバッハ演奏を思い描いていたかもしれません。

Karajan


こちらは、カラヤン盤。

1972年録音。ヤノヴィッツ、ルートヴィヒ、シュライヤー、カーンズ、リッターブッシュ、ウィーン楽友協会と、いつものカラヤン・チームは、オペラでも演奏できそうなメンバー。

アバドの演奏との違いの大きさに、いまさらながら驚き。
壮麗で、劇的で、テヌート気味に進行する場面も多く、カラヤン臭もたっぷり。
美しさの概念もいろいろありで、これはこれでまた独特の美的な演奏に思います。
しかし、大規模に演奏されたバッハは、いまの耳からすると、大時代的で、何度も聴くには辛すぎるものがあります。
歌手たちの美声は驚きですが、ヴィブラート過多の歌い口は、バッハにはもう厳しく感じるのです。

カラヤンの演奏時間は、合計126分。
アバドは、110分です。

このカラヤンと、アバドの演奏との間の四半世紀の流れは、ベルリン・フィルにとっても、そして音楽演奏スタイルの変遷ひとつをとってみても、大きな変革期にあったものと痛感します。
 一方で、そんな演奏スタイルという枠を超越して、バッハや、その先にある神に帰依してしまったような、ハンス・マルティン・シュナイト師の大演奏もわたくしは体験しております。

復活祭(20日)は、アバドの3か月忌、ロ短調ミサをその前に聴いてみました。

Tokyotower_201404_b


過去記事

 「アバドのブランデンブルク協奏曲」



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2014年4月 4日 (金)

バッハ ゴールドベルク変奏曲 リヒター

Tokyotower_20140328


モクレン(白木蓮)の花も、満開を過ぎて、華麗な香りを残しつつ散っていました。

3月のおしまいのころ。

季節の移り変わりのなかで、一番、劇的なのが、晩冬~初春。
しかも、ここ数年、いきなりの、まったくの春がやってくる感があります。

着るものも激しく替えなくちゃなんない。

オーバーを脱ぎ捨て、薄手のコートは手元に残しつつも、冬物のスーツやジャケットでは暑い。
街に新入社員が目立つようになる晴天の日は、ジャケットすら暑くなって、シャツ1枚で歩きたくなる昼時。

1年のうちで、一番、めんどくさい季節。

でも、爆発的にやってくる、春の美しさには、抗しきれません。

Bach_goldberg_richter

  バッハ  ゴールドベルク変奏曲

      チェンバロ:カール・リヒター

                (1970.4 @ミュンヘン)


なんか、とっても久しぶりに聴く「ゴールドベルク」

しかも、わたくしのような世代には、絶対的なバッハ再現者だったリヒターの演奏で。

「二段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」

日本語にすると、やたらと堅苦しく、娯楽性ゼロの音楽のように思えます。

バッハ自身による、この曲の名称なんです。

「眠れぬ夜のお楽しみにぃ~」、みたいな軽いタイトルを、間違ってもつけないとこが、バッハ様のいいところでしょうね。

アリア主題を、曲の最初と最後に置き、その間を30の巧みな変奏で埋める、しかも、それらは、フランス風序曲というドラマティックな作風を頂点に、曲順の倍数によって、形式を変えるという、緻密かつ律儀な作風になっているのです。

そんな、構成の姿に感づいてしまったら、本来の、お休みミュージックの機能はなくなり、いやでも、この素晴らしい音楽に、耳をとぎ澄まなくてはならなくなります。

わたくしが、音楽を聴き始めて、ほんのちょっとの間をおいて、目ざめたのがバッハの世界。
当時は、バッハ演奏は、カール・リヒターが最高峰にあり、レコードも当然に、リヒターを選んでおけば大丈夫、みたいな感覚でありました。
 指揮も、鍵盤楽器も、リヒターであることが、定番でした。
リヒター以外に、ミュンヒンガーやクレンペラーあたりが指揮者として、ヴァルヒャとルージチコヴァ、アラン、グールドあたりが鍵盤奏者として、それぞれが70年代初めの、わたくしのバッハ演奏のイメージでした。

マリナーや、コレギウム・アウレウム、レオンハルトは、もうちょっとあと。

このリヒターによる「ゴールドベルク」の演奏は、当時、レコード2枚にカッティングされて発売されました。

繰り返しを全部おこなっての77分間は、まったく弛緩することなく、いつものリヒターらしい、厳しい造形を背景にしたシビアな音楽です。
当時は、4面のレコード面を、少なくとも3回、裏返したり、セッティングし直したりの作業が伴いました。
 それが、いまや、1枚のCDで、連続して聴くことができる。
その革新ともいいたくなるような、一気聴きの、うれしさ。

そして、細部にわたるまで、気を配った、徹底した緻密な音楽造り。
余計な思い入れや、表情付けはゼロながら。
ドライだけど、バッハに帰依した演奏家の熱い思いが伝わってくる演奏です。

それにしても、冒頭のアリアが、散々に多彩な変奏や、鮮やかな演奏技法を味わったのちに、すべてを諭したように、静々と最後に、再現されるとき。
本当に、心から感動いたします。
どんな演奏、どんな編成を伴ったものでも、間違いなく、人の心を動かします。

今日はバッハでした。

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2014年4月 3日 (木)

ベルリオーズ 幻想交響曲 ロジェストヴェンスキー指揮

Hamamastucho_201404_a

ここ、関東では、季節は、桜の時期となりました。

桜前線北上中。

そして、元気な新入生も日本中で、新たな一歩を踏み出しました。

別れと、出会いの季節の春です。

つらい別れをこの晩冬は味わいました。

Hamamastucho_201404_b

この可愛い背中に癒されます。

いろいろあるけど、前向いていきましょう。

久しぶりの、月イチ幻想交響曲。

ずっと継続したこの企画、チャイ5も加えて後の、久しぶりの「幻想」なんです。

Berlioz_fanta_rozhdestven

  ベルリオーズ   幻想交響曲

     ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省管弦楽団

                        (1988.1 @モスクワ)



今月の「幻想」は、連邦国家体制崩壊前のモスクワからお届けします。 

この、いかにも風の名前のオーケストラは、50年代から存在したオーケストラを、連邦当局が、その名も、かくもいかつくして、国の威信をかけてリニューアルさせたものでした。

それというのも、BBCやウィーン響の指揮者に指名され、西側での活動の目立つようになったロジェストヴェンスキーを国に縛り付けておこうという作戦の一環にございました。

多くの音楽家が、次々に西側に亡命していた時分でしたから。

国の体制や、存亡を、残された音源を聴きながら、振り返ってみるのも、クラシック音楽を聴く楽しみでもありますね。
いま、このオーケストラは、シャンドスやナクソスのレーベルで、数多くの録音を残しつつある、くそウマイ団体に進化してます。

 さて、芸達者なロジェヴェンさんは、「幻想」を得意にしていて、いくつも録音があります。

弊特集でも、モスクワ放送響との67年の演奏をすでに取り上げました。

元気にぱんぱかぱ~ん、的な演奏だった前回から20年後のロジェヴェンも50歳台。

テンポはインテンポを保ちつつ、効果をねらったような揺らしはありませんが・・・。

そして、表情は克明で、旋律もリズムもしっかり。
精度は抜群で、鉄壁のアンサンブルは、さすがにソ連邦。
録音のバランスからか、木管がときに飛び出て聴こえて、フルート協奏曲のようにも感じる場面諸所あり。
 これが実は面白い。
こんな風に、オケに埋もれたいろんな楽器が、浮き彫りに聴こえるのって他にありません。
時に、ぎくしゃくして、いびつなまでに聴こえるから、ベルリオーズの破天荒ぶりが妙に引き立つというものです。

1楽章のねちっこいロマンに、思いのほかギャラントでゴージャスなワルツ。
そして、驚きのロシアの大地を思わせる、これまた濃厚ロマンティックな「野の情景」。
17分44秒をかけた、大演奏です。

意外と普通で大真面目の「断頭台」。
しかし、音塊のパワーは凄まじくて、ファンファーレは粘着的。
ロジェヴェンさんの、うにゃーーっていう声も聴かれます(笑)

ヴァルプルギスは、ぶかぶか鳴る金管が、お笑い系です。
太鼓もずしずしと、キツイ。
音の威力でガンガン進めつつ、小細工せずに堂々たる山上の祭りを描き尽す名人芸。
しかし、最後の和音とティンパニの劇打のおもろさは、痛快。
生で聴いたら、ブラボー必須。

ってなわけで、ロジェヴェンさんの幻想は、大真面目の大演奏なのでしたが、それもまた愉快なのでした。

84歳になるロジェヴェンおじさん、いつまでも元気でいて欲しいです。
ずっと昔から、あの頭だし、70年代から変わらぬ活動を貫いている名匠のひとりです。

Hamamastucho_21403_a Hamamastucho_21403_b

掲載しなかった3月の小便小僧。

アバドの追悼の2ヶ月間でしたから。

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2014年4月 1日 (火)

「二つの世界の狭間で」 コルンゴルト・コンサート

Akabanebashi

東京 夜桜2014

コルンゴルト月間の3月最終日、歌曲、オペラの一節、室内楽などを、年代をたどっての素敵なコンサートに行ってまいりました。

上野を中心に行われている、東京・春・音楽祭の一環でもあります。

Korngold

 コルンゴルト 歌劇「ポリュクラテスの指環」~冒頭

          「7つのおとぎ話の絵」~①魔法にかかったお姫さま
                          ②えんどう豆の上に寝たお姫さま
                         ③山の精

          「まつゆき草」~6つの素朴な歌より

          ヴァイオリン・ソナタ ト長調~第4楽章

          歌劇「死の都」~マリエッタの歌

         
                    「4つのシェイクスピアの詞による歌曲」~①デスデモーナの歌
                                   ②緑なす森の木陰で

         弦楽四重奏曲第3番 ニ長調

         「ウィーンに捧げるソネット」

         歌劇「カトリーン」~第3幕フランソワの求愛の歌 (アンコール)

           S:天羽 明恵       T:又吉 秀樹

           Pf:村田 千佳  

           ストリング・クヮルテットARCO

              Vn:伊藤 亮太郎     Vn:双紙 正哉

              Vla:柳瀬 省太       Vc:古川 展生

           話・企画構成:中村伸子

                    (2014.3.31 @石橋メモリアルホール)


ようやく、「コルンゴルト広め隊」といいうことで、活動されている中村さんのプロデュースするコルンゴルトコンサートに行くことができました。

今年に入ってから、各所でヴァイオリン協奏曲、そのあと、びわ湖・新国での「死の都」。
そして、今回のコンサート。
このあとも、交響曲もありますし、わが神奈川フィルでも、ヴァイオリン協奏曲に、年は変わりますが、「シュトラウシーナ」、チェロ協奏曲(日本初演)もあるんです。

もう、どうしちゃったの、ってくらいのコルンゴルト旋風。

数年前のアニヴァーサリーより、どんだけ多いんだろ。

一過性にならず、かといってこのような集中もなく、普通にレパートリー化して欲しいものです。

今回のコンサートは、コルンゴルトの広範なジャンルの作品群を、年代を追いつつ、コルンゴルトの音楽のエッセンスをかいつまんで、概略把握できるというナイスな企画。

コルンゴルト・ヲタクにとっては、つまみ聴きすぎて、ちょっと欲求不満も誘う部分はありましたが、弦楽四重奏の全曲演奏で、その渇望は癒えました。
 でも、しかし、ジャンル横断で、奏者も都度変わる。
そんな気ぜわしさが、コルンゴルトサウンドを断片化してしまった感は否めないかもしれません。
素晴らしい企画を実現していただいただけでも画期的なのに、注文つけてすいません。

夫婦の絆を試されもするコメディ、ポリュクラテス。
湧き上がるような楽しさで始まった今宵のコンサート、コケットな天羽さんと、リリカルな又吉さん。
断片だけど、日本初演かな?
短いオペラだから、「ヴィオランタ」かツェムリンスキーの「フィレンツェ」、もしくは、「ジャンニ・スキッキ」あたりと組んで上演してもいいと思う。

7つのおとぎ話の絵
13歳の作とは思えぬ、グラマラスな音楽。
大人の夢を少年が早くも見てしまった感のある、美味なサウンドでした。

③④まつゆき草、Vnソナタ
CDで聴くオーケストラ伴奏よりも、ピアノのほうが、慎ましくて美しく思った「まつゆき草」。
そして、ソナタに引用された、方も実に美しい。
わたくしは、一方で大好きなディーリアスの音楽に近い、儚さをも感じてしまいました。

マリエッタ~ もう、なんも言えませんね。
名旋律といっていいかもしれない。
同オペラのピエロの歌とともに、カラヲケ希望します。

良き時代のウィーン懐古ともよぶべき、「シュトラウスの物語」。
技巧を駆使した名技性の光る演目のなかに、ワルツ王のメロディアスなサウンドと、コルンゴルトのキラキラ感が見事に融合。
 ②も素敵でしたが、こちらの村田さんのピアノは、輝きっぱなし。
新旧ウィーンの音楽の合作に、彼女の冴え渡るピアノは完璧。

シェイクスピア歌曲
原詩の英語による歌は、たしかにシンプル。
清らかさ雰囲気と、寂寥感はなかなかでした。

弦楽四重奏曲
1944年、コルンゴルト47歳のアメリカ時代、ウィーン帰りを図ったころの本格クラシカル。
半音音階の展開も目立ち、ちょっと斬新、でも、いつもの甘いコルンゴルトサウンド。
ことさらに美しくて、陶酔境に誘われたのが、3楽章。
この楽章を始めとして、自作の映画音楽からの引用も多い本作品。
各オーケストラのお馴染みトップ奏者たちによる、鋭利さと、柔軟さにあふれた名演奏ではなかったでしょうか。
 わたくしには、長らく接してきたヴィオラの柳瀬さん(神奈川フィル→読響)の、3月最後の演奏ということもあって、ちょっと胸に詰まるものもありました。
でも、柳瀬さんは、いつものとおり、職人技に徹し、艶やかな、いつものヴィオラで、このミステリアスで、かっこよさと、美しい旋律満載の曲をしっかり支え、かつ引っ張ってました!

ウィーン・ソネット
56歳のコルンゴルト。
なんか哀しくなるような詩の内容だけど、ウィーンという街の、いまもかわらぬ伏魔殿的な怖さも、その崇高な背景には読むこともできなくはない。
でも、なんだか、妙に立派な曲なんだ。
そこが哀しかったり。。。。

カトリーン!!
やった、やった~ 大好きなこのオペラ、まさか、アンコールにこれとは。
しかも、ピアノ五重奏バージョン。
終幕で、苦心惨憺のヒロインの彼氏が、帰ってくる。
その前に、それとお互い知らない息子と出会い、一曲歌い、息子ちゃんも応える。
涙が出るくらいに、暖かな場面を、しみじみと演奏していただきました。

ナイスな選曲でした。

こんな風に、駆け足だったけど、コルンゴルトの多面性も味わうことができたコンサート。

「死の都」で導入部。
これから、コルンゴルトを、ゆっくりと楽しまれる聴き手が増えることと存じますが、この日の、ほぼ満席の会場は、コルンゴルトの音楽を愛する雰囲気で一杯でした。

ホールを出たら、北風が冷たいのでしたが、そこここに、満開の桜が揺れておりました。

ふたつの世界~ウィーンとハリウッド。

「死の都」で体感した、現実と、あちらの世界。
それは、また、だれしも味わう、人との別れや、仕事の変化にともなう、環境変化にも同じです。

春は、そうした別れと出会いの季節でもありますね。

 
 

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