ディーリアス 「春初めてのかっこうを聞いて」 ハンドレー指揮
なんだか、もこもこっとした桜が、いまどきが咲きごろ。
八重桜の品種で、関山とかいうらしいです。
定期的にお仕事で近くにいくので、歩いて横切る靖国神社。
もう、かれこれ30年前、前にも書きましたが、社会人になったときの会社が九段下にあって、そのあと、竹橋、神保町、お茶の水と移動しましたので、ここ周辺は路地の隅々まで、よく知っているのです。
いまみたいに、靖国神社が、こんな風に、おまわりさんが警戒するような場所になろうとは、かつては思いもしなかった、都心の静寂のオアシスみたいな場所だったんです。
まったく、なんてことでしょうね。
皇居のお堀のすぐとなり、贅沢な空間ですが、その庭園で一休みすると、街の喧騒がウソみたいに感じますよ。
ディーリアス 「春初めてのかっこうを聞いて」
ヴァーノン・ハンドレー指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
(1988.7 @アビーロードスタジオ、ロンドン)
フレデリック・ディーリアス(1862~1934)は、わたくしのもっとも好きな作曲家のひとりです。
もう、これまで、何度もそう言って、何度も記事を残してきました。
入手できないオペラ作品の一部を除いて、ほぼその作品はコンプリートしました。
今日は、久しぶりに、初心に帰って、もっとも有名な作品を楚々と聴くことにしました。
わたくしと、ディーリアスの出会いを、ここにまた改めて書いておきます。
もうこれも何度か書いてますがね。
クラシック音楽に目覚め、ともかくいろんなものを聴きたくて渇望しているときに、父が、職場から、レコードを大量に引っ提げて帰ってきました。
父は、ホテルマンだったので、無印の海外のテスト盤とか、不要のものをもらってきてくれたのです。
それらは、赤や青の半透明の盤もありましたし、黒で、レーベル無地のものもたくさん。
ジャズや、映画音楽、ビアホール音楽にまじって、クラシックも数枚。
その中にあった、白紙のジャケットに白紙のレーベルの1枚。
マジックで、「Beecham Delius」と手書き。
なんだこれ?で聴き始めたレコードだけど、なんだかさっぱりわからない。
でも、高額な、数少ない手持ちのレコードのひとつだから、ともかく、繰り返し何度も聴きました。
そして、ある時、レコ芸のレコード目録で、そのレコードがなんなのか、ディーリアスなる人と、ここに収録された曲目をたどることができました。
なんだか、はっきりしない音楽だけど、静かで、どこか哀しくて、美しいと思いました。
すっかり耳に馴染んだ6つの収録曲の由来も調べ、すっかりディーリアスなる人と作品が好きになったわたくし。
中学生のことでした。
神奈川の実家の自室からは、富士山の頭と、そこに沈む壮絶な夕陽が見えました。
それを見ながらよく聴いたのが、ディーリアスや、ワーグナーなのでした。
まさに、そんな思い出と結びついている、まさに、わたくしにとってのノスタルジー・サウンドがディーリアスの音楽たちなのです。
そのディーリアスのレコードを運んできてくれた父とお別れをして、早や17年。
ディーリアスの感覚的な、移ろいゆく時間を映し出したような音楽は、いつまでも、わたくしを、過去の思いへといざなってくれるのです。
「春初めてのかっこうを聞いて」
<On hearing the first Cuckoo in Spring>
なんて、素敵なタイトルであり、邦訳でしょうか。
当初は、「春を告げるカッコウ」なんて風に呼ばれてましたが、ディーリアスの十字軍ともよぶべき、三浦淳史先生が、原題をそのまま彷彿とさせる名題を残されました。
この小品と対になる作品、「河の上の夏の夜」も、同様に詩的な邦訳をまとっています。
春の訪れのような、ふんわりとした曲調のなかに、どこか哀しげな「かっこう」の鳴き声がこだまします。
ディーリアスが愛した北欧の雰囲気も思わせるかのように、ノルウェー民謡もここでは響いてます。
緩やかな春がきて、徐々に夏になって欲しい、そんなかつての日本の四季が、いまは感じることができなくなり、この曲には、そんな、失われつつある日本の美しい四季へのノスタルジーとも、聴くことができるんです。
亡き名匠、ハンドレーのすっきりと抒情的な演奏は、ビーチャムの系譜を思わせる、美しいものでした。
いまは変わってしまった、ロンドンフィルのくすんだ響きも懐かしい。
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コメント
お早うございます。ご無沙汰しております。私が持っている春初めてのカッコウを聞いての音源はバルビローリ指揮ハレ管弦楽団のもののみです。ディーリアスは高校時代から少しだけですが聴いてはおりますが、どうも苦手のようです。くすんだ響きがするからではないかと思っております。RVWやブリテンと比べても聴いている絶対量は少ないですし…今も独逸墺太利、ロシア、東欧、フランス、アメリカなどの音楽を聴き、好きな十九世紀から二十世紀前半にかけての海外小説を読むのに手一杯で…ディーリアスをゆっくり楽しむのは老後のことになるかもしれません(笑)。敬愛するブログ主様がここまで入れ込んでおられる作曲家なら軽視するわけにはいきませんし…古い友人に古代インカ・アステカ帝国の神話や詩といった古代文学を読んでいるのがおりますが、ブログ主様といいその友人といい、芸術的な行動半径の広さには驚くばかりです。
私事になりますが父が大腸がんになりました。しかし、心配されていた大腸以外の体もパーツへの転移は全くなく、手術で感知できるレベルの病気でした。十日ほど前に手術を受けたのですが、結果は成功で悪いところはすべて手術で切り落としていまい、今は病院内で歩けるまでになりました。退院は来月です。私自身、この2か月ほどの間、持病の鬱が悪化し、読書も音楽鑑賞もままならず、苦しい毎日を送っておりました。いい音楽を聴いても心が動かないのです。しかしここ数日すこーしだけ元気が出てきたようでセルのシベリウス第2番とシャイーのブラームス第2番を聴き、生き返るような感銘を受けました。ブログ主様に
は敬愛していたマエストロ・アバドとの悲しい別れがあり、私の父はがんになり、私は持病に苦しめられて、皆にとってつらいことこの上ない冬でしたが、ブログ主様はアバド・ショックから何とか立ち直られたようで、私の父と私も病気を何とか乗り越えました。私の躁うつ病は生涯完治するものではなく、一生病気との闘いになるかもしれませんが、芸術があって、友人がいて、家族がいますから多分、大丈夫です。いつものことではありますが、乱文失礼いたしました。
投稿: 越後のオックス | 2014年4月28日 (月) 08時35分
ハイ、クラヲタさま~! 長らくご無沙汰致しておりましたが~、お元気でしょうか? アバドショックからは立ち直られましたか?
さて、今回は~ディーリアスの「春初めてのかっこうを聞いて」ですか~。実にいいですね! これは、イギリスや北欧の澄んだ春の雰囲気を感じさせて、なおかつ~コンパクトに纏まって、ディーリアスの妙味・エッセンスを封じ込めた名品と思います。僕は、「河の上の夏の夜」と対にして~、何回も何回も聞いたものです。
顧みすれば~、僕がディーリアスに親しみ始めたのは、この曲や交響詩「丘を越えて遥かに」あたりからでしょうか?特に後者は~、構成のはっきりとした変奏曲形式で書かれているので、実に分かり易くハツラツとした気分になりますよね!でも、当時中学生だった僕には~、ディーリアスの他の曲は、形式や構成感が殆ど感じられず~、曖昧模糊として音楽が虚ろにアンニュイに漂流しているだけに聞こえて、さっぱり解りませんでしたよ!
ということで~、長い間ディーリアスからは遠ざかっていた僕ですが~、30代を越えた或る日、FMラジオを聞いていると~静かに心に染み通って琴線に触れて来る、実に自然体で美しい音楽が流れて来るではありませんか!もう、冒頭のフルートの音色を聞いただけで、その曲の虜になってしまいましたよねぇ~。そう!忘れ得ぬ亡きビーチャムの名演奏~「ブリッグの定期市」だったのです。正にその日が、僕にとってのディーリアス開眼!の一日だったのですよぉ~。
その日以来~、ディーリアスは妙齢の恋人の如く、影に日向に昼夜も分かたず、僕に纏わり付いて離れなくなりましたよ!(笑)何というか~、従来のソナタ形式で書かれた~構成感の明確な独墺音楽は、努力型の上昇志向のドラマや迫力がありますが~、反面押し付けがましさも感じて息苦しいのですよ。特にベートーヴェンの交響曲第5番や第7番みたいな?(笑)
それに比して~、ディーリアスは一旦音楽の形式を放棄して、音楽のあるがままの自然体の美しさを引き出し、頂点を目指す上昇志向の縦型?音楽ではなく、横的に霧のように拡がる水平志向のナチュラル・ミュージックとでも言ったらいいのか? とにかく、そんなところがディーリアスの魅力であり、病み付きになってしまうのですよねぇ~。クラヲタさま~、お分かりでしょう?
投稿: Warlock Field | 2014年5月 1日 (木) 20時01分
越後のオックスさん。
ご返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。
更新が先立ってしまうなんて、いけないことですね、すいません。
体調はいかがですか。
季節の変動期ですので、いろんなことが体にもおきますね。
わたくしも、どうも調子がイマイチで、仕事のストレスも絶頂です。
そんなこと言ってながら、お酒はやめられないのが難点ですが。
ディーリアスは、無理に聴くこともなく、ごく自然に、さりげなく聴くたぐいの音楽ですので、いずれ、貴殿の耳に、心の届いてくるのではと思いますよ。
春で、陽気もゆるみ、人の声、オペラのアリアや、ジャンルを超えて、多様な歌に、いまは、心動かされてます。
ゆっくりまいりましょう。
闘病中のお父様のこと、よかったですね。
前立腺の癌の義父が、2度目の発症。
用心が肝要ですが、いまの治療レヴェルは、そうとうなものですから、心配ありませんよ。
歳を経ると、そんな節々の出来事が、自分の人生の糧にもなるような気がします。
そんなときに、音楽がいつも、寄り添ってくれるんですね。
投稿: yokochan | 2014年5月 2日 (金) 00時43分
Warlock Fieldさん、こんにちは、ご無沙汰してました。
もう、まったく言葉いらずで、コメント返しとしたいところです。
すべてが、100%言い得てます。
Bのあの鬱陶しいくらいの奇数作品や、もうひとりのB1(ほかはいいです)のような曲と、対局にある、感覚のみを刺激する、感じる音楽は、タテではなく、ヨコへの広がりの、緩やかな世界です。
ですから、人の心象ではなく、自然の心象。
素直に、そこにある、それを感じるだけなのですね。
本文にも書きましたが、ディーリアスとの出会いの1枚のビーチャム盤。
冒頭の曲が、「ブリッグの定期市」でした。
同じく、最初のフルートとハープに始まる出だしが、ともかくトラウマのように、中坊の自分に沁みつきました。
70年代前半の、昭和すぎる麗しき頃でした。
どうもありがとうございました。
投稿: yokochan | 2014年5月 3日 (土) 00時20分