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2014年5月

2014年5月31日 (土)

「平井茉莉 ヴァイオリン・リサイタル」

Tsurumi

3年前に開館した、鶴見駅、ほぼ直結の「サルビアホール」。

鶴見区の文化施設として、区民文化センターとしての役割を担う存在でもあります。

都内から東へ向かう、一番近い、ヨコハマという意味合いもあって、市の中心部へ行くよりは、わたしのような、都内ないしは、千葉からのリスナーにとっては、手軽な場所でもあるんです。

鶴見は、ご覧のように、線路が複数、交錯する駅でもあるんですね。

相当な乗降客数の、激しい流れに、右往左往しながらたどりついた、「サルビアホール」なのでした。

Mari_hirai_3

さて、今宵は、神奈川フィルの第1ヴァイオリン奏者として、わたくしたち、かなフィル応援団としても、お馴染みの、平井茉莉さんの、初夏の頃、恒例のリサイタルに行ってまいりました。

なにかとお幸せの彼女、そんな想いや、音楽への情熱が、たっぷり詰まった、素敵なコンサートになりましたよ。
心から楽しかった。

  クライスラー プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ

  シューマン  ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ短調

  パガニーニ/クライスラー編  ラ・カンパネラ

  
  ブラームス  ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 「雨の歌」

  岩田 匡史  「Mari」

  ブラームス  ヴァイオリン・ソナタ第3番~第4楽章 

            ヴァイオリン:平井 茉莉

            ピアノ    :加納 裕生野

                     (2014.5.30@サルビアホール、鶴見)


前半・後半のメインに、ロマン派のふたつの1番。
そのそれぞれ前に、クライスラーにまつわる技巧派の華やかな作品を配した、よく考えられたプログラム。

すっかり手の内に入ったと聴いたクライスラーとパガニーニ。
特に、のっけからアクセル全開、スパートを掛けたかのような「前奏曲とアレグロ」では、ホール一杯に、その音色を響かせる前向き志向の明るい演奏で、いかにも平井さんらしい。

シューマンのヴァイオリンソナタは、とっつきの悪い作品にいつも思ってて、どことなく彼の疾病による綻びも感じさせる曲だなと感じてました。
でも平井さんの、求心力高い演奏は、この曲にロマンティックな色合いをずいぶんと添えていたように思います。
自分は、クレーメルの辛口の演奏によるCDしか聴いたことがなかったものですから、余計です。
ことに、第2楽章が可愛らしく、シューマンならではの甘い語り口が、平井さんの艶やかなヴァイオリンと加納さんの優しく寄り添うピアノとで、とても麗しく感じられました。
 そして、両端楽章での情熱の奔流とも呼ぶべき熱い演奏ぶり。
オーケストラの一員として、いつもは拝見してる、「茉莉ちゃん」なんですが、ソロで接すると、こんなに明快で、キレのよいヴァイオリンなんだ!といううれしい驚き。
よく鳴るホールも、後押ししていたように感じますね。

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 彼女のMCで紹介された、コンサートの3つの仕掛け。

ひとつめは、こちらのポストカードを頂きました。

何種類かありまして、わたくしは、これ。

まさに、このカードのとおりのお二人でしたよ。

そして、五月雨の季節を迎えるまえの、ブラームスって感じで、素敵でしょ。

ふたつめは、お花。

エントランスにも、お二人の髪にも、そして譜めくりの女の子の髪にも、淡いパステル系のお花が。
みなさん、いい仕事してらっしゃる。

 そして、後半のブラームス。

まさに、しっとりと、女性らしい情感にあふれた演奏に、会場は聴き入りました。

シューマンとブラームス、こうも違うものなのだね、と、あらためて実感。

成熟したブラームスの音楽を、若い平井さんが感じたまま、そして、この曲に大切な、気品をもよく導きだしてました。
彼女なりに歩んできた、傍から拝見するに、きっと、思いきりの一生懸命の毎日。
そんな中の一日を、立ち止ってみたかのような心情あふれるブラームス。
きっと、これから、まだまだ進化して、この先、もっと大人のブラームスを聴かせてくれるのではないでしょうか。
そのときもまた、楽しみなのであります。

神奈川フィルの若い常任指揮者もそうですし、どんどん増える若い奏者のみなさん。
聴き手のこちらは、どんどん歳を重ねてしまうけれど、そうした若い方々の演奏を聴き、元気をいただき、そして、その成長を見守ってゆくというのも、音楽を享受するひとつの楽しみであります。

そんな、暖かな気持ちを、きっとみなさんもたれたでしょう、素敵なアンコール曲。
彼女のこと、「Mari」を作曲されたのが、神奈川フィルでお仕事をされてる岩田さんのチャーミングな作品。
この曲が、3つめの仕掛けでした。

最後は、情熱的に、バリっと、ブラームスの3番の終楽章のプレスト。

ご家族とお友達、多くのお客さんの暖かい拍手に囲まれ、素敵な演奏会でした。

平井さん、加納さん、ありがとうございました、若さと元気を頂戴しました。

Mariyukino_20150530



 

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2014年5月28日 (水)

東京都交響楽団定期演奏会 マルク・アルブレヒト指揮

Suntry

久方ぶりの「サントリーホール」。

「みなとみらい」ばかりなもんで、最初はアウェイ感、はんぱなかった。

でも、音楽が始まれば、なんのことはない。

すぐさま、このホール特有の響きの良さと、音の溶け合いに、耳は馴染んでしまうのでした。

ご縁をいただき、ありがとうございました。

Tmso_201505

  メンデルスゾーン  ピアノ協奏曲第1番 ト短調

  シューマン      トロイメライ

       Pf:サリーム・アブード・アシュカール

  コルンゴルト      交響曲 嬰ヘ調

    マルク・アルブレヒト指揮 東京都交響楽団

                (2014.5.27 @サントリーホール)


メンデルスゾーンとコルンゴルト、ともに、ユダヤ系の独墺作曲家で、あの不幸な時代には、いわれなき、迫害や無視にあった人たち。

メンデルスゾーンはともかく、コルンゴルトには、何度かの潮流の波があって、日本楽壇では、今度こそ、本物と思わせる勢いが、2014年にはあります。

数年前の、生誕と没後のアニヴァーサリー両方がきた時も、ほんのいっときのブームにて、静かに波を引くように終わってしまった。
 そんな、コルンゴルトの受け止めかたであることが、あたりまえで、むしろ、そうあった方がいいと思っていたのですが・・・

ヴァイオリン協奏曲を主体に、東西の「死の都」の舞台上演をピークとして、本年前半は、その思わぬコルンゴルトブームが。
 そのブームの一環を飾るのが、今回の都響定期だったのです。
わたしも含む、コルンゴルト好きが訪れたサントリーホール。

 前半は、軽めに20分くらいのメンデルスゾーン。

イスラエル生まれの、オリエンタルな風貌の若いアシュカール氏のピアノは、スタンウェイを存分に鳴らしつつの、抒情性も満点の、粒立ちのよい、うるわしのメンデルスゾーンとなりました。
いつも頭に思い浮かぶ3楽章の明るさには、ほとほと気持ちのいい思いを満喫できました。

静寂のホールに響いたアンコールのトロイメライも、あざとさはなく、夢想的な演奏で、わたくしは、聴き入ってしまいました。

さてさて、わたくしには、これまでが前座。

コルンゴルトですよ。

この交響曲のことは、過去記事で散々かいてますので、そちらを。

以前、シティフィルが、コルンゴルトのスペシャリストのひとり、アルベルトを招いて演奏したとき、仕事でチケットをふいにしてしまい、ようやく、その実演にありつける次第で、その期待は、これまたこの曲を得意にするM・アルブレヒトの指揮だけに、いやでも増すばかりで、夢まで見そうな勢いでした。

そして、その高まる期待に、見事なまでに応えてくれた超素晴らしい演奏に大感激。

すっかり曲が手の内に入ったかのように、入魂の指揮ぶりのアルブレヒトさん。

細部にこだわると、交響曲としての大局を見失ってしまい、とりとめのない音楽になりかねないこの曲だと思いますが、大きな流れをしっかりと構築して、自分が思うには、緩徐楽章たる悲嘆にくれるようなクールな3楽章の熱い盛り上がりのフォルテにピークを持ってきて、その半面である、楽観的な終楽章との対比も鮮やかに、描いてみせてくれたように思います。
 4つのまったく異なる様相を持つ楽章ごとの特色の抽出も、そんなわけで実に見事。
ビターさと、スィートさ、そのどちらもが変転しつつ交錯する難解な表情の1楽章。
めまぐるしく錯綜するリズムと、そのすぐあとに登場するホルンの勇壮なSFチックな咆哮に、快感すら覚えた2楽章。中間部のミステリアスな雰囲気も精妙。
 そして、大好きな3楽章は、じわじわと締めつけられるような哀愁に、すっかり身も心もほだされて、アルブレヒトの後ろ姿と指揮棒に、わたくしも釘づけに。
そのピークでは、痺れるような感動を味わいました。
 いつもCDで聴くとき、どうも浮いて感じる終楽章も、交響曲の伝統を踏んだような、曲全体の回顧・回帰をしっかりと描かれることで、音楽そのものの完結感が完璧に増したものと思います。

 アルブレヒトさんの、オペラ指揮者としての、音楽の流れの構築力の高さを、まじまじと感じました。
数年前のバイロイトにおける「オランダ人」の指揮での、スマートかつ知的な演奏ぶりを思いだしました。
次の「オランダ人」のプロダクションでは、ティーレマンの過去に軸足をおいたかのような演奏とは、全然違うのでした。

実演で、オーケストラを目の前に聴くと、こうした曲では、各奏者のみなさんが、ここではあんな風に弾いてる、こんな風に奏でてる・・・、CDで聴くのと大違いの面白さだったのです。
そして、久方ぶりの都響。
ものすごく上手い。
音の密度が濃くて、きめ細やかで、精度も高し。
オーケストラにも、おおいなる喝采を差し上げたいです。
演奏終了後、ふぅ~、終わった的な満足感と、ちょっとのお疲れの表情をみとることができました。

都響の今後の演奏プログラムは、わたしにとって垂涎の曲目が多いのです。
スーク、F・シュミット、ウォルトン、RVW、ブリテン、ディーリアス・・・・
いやはや、困った、忙しい。
横浜とにらめっこして、無理のない限り、こちらもまいりましょう。

Oreita_1 Oreita_2

コンサート終了後は、乗り換えの新橋駅で、イタリアン立ち飲み。

ピッツァも美味しい、エビちゃんのアヒージョも最高じゃん。

今回は、どうもお世話になりました。

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2014年5月25日 (日)

神奈川フィルハーモニー音楽堂シリーズ第1回定期演奏会 宮本文昭指揮

Landmark

こちらは、前回、みなとみらい定期のときに撮った1枚。

桜木町駅の陸橋から。

ここからの眺めもいいもんです。夜もきれいです。

Kanaphll_201405

  ハイドン     交響曲第1番 ニ長調

  モーツァルト  ファゴット協奏曲

  バッハ      無伴奏チェロ組曲第1番~クーラント、ファゴット版(アンコール)

         Fg:鈴木 一成

  ビゼー       小組曲「子供の遊び」から
  
           行進曲、二重奏、ギャロップ

           交響曲 ハ長調

    宮本 文昭 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                (2014.5.24 @神奈川県立音楽堂)


先週に引き続いて、神奈川フィル。

今度は、古典と、古典の形式をまとったロマン派作品を。

シュナイトさん時代から、この音楽堂で聴いてきた古典・ロマン派の印象深い演奏の数々。今回、自分のなかで、また忘れられない演奏会がうまれました。

それは、宮本さんの、集中力の高い指揮ぶりに、オーケストラがまともに反応し、まさに、オケも聴き手も、みんな乗せられてしまった感があったからなのです。

初めて聴いたハイドン1番。
カワイイ曲ですよ、と数日前の記事にコメントを頂戴してましたが、たしかに。
15分あまりのサイズもそうですが、100曲以上にのぼるハイドンシンフォニーの原点が、このようにさりげなく、慎ましく若書き的存在であったことが、妙にうれしかったんです。

このような曲でも、気合のこもった宮本さんの指揮ぶりに目が離せません。
生き生きハツラツ、ピリオドじゃなくたって、こんなに弾みのいい音楽が引き出せる。
第1と第2ヴァイオリンのトップの掛け合いも面白かった。

さて、2番はどうなってんだろ・・・・。

ついで、ズッキーこと鈴木一成さんのファゴット協奏曲。
思えば、この曲も演奏会では初めて聴く。
まじまじと楽器を拝見すればするほど、その演奏姿も含めてユニークな楽器であります。
オーケストラに拮抗してのソロとなると、なかなか難しい楽器なのでしょうが、そこはさすがにアマデウス様。
大きな音のでる楽器は登場せず、優しく包み込むような、あたたかいオーケストラです。
まさに、そんな感じの、みんなにこにこした仲間たちに囲まれて、鈴木さんは、堂々とした演奏ぶりでした。
ファゴットというと、ユーモラスで、ちょっともったり系の楽器のイメージがあるんですが、そうした印象は、少し感じさせながらも、思わぬ俊敏さを見せたり、清らかな抒情を感じさせたりと、いろんな側面を引き出したモーツァルトの腕前。
そしてこの曲のいいところを、まったくそのまま引き出した鈴木さんのソロは、どこもかしこも万全で、この楽器が自分の体の一部のように一体化しているみたいでした。
若いのに、音が練れていて、不完全なところがどこにもなく、何度も書きますが、モーツァルトのいいところが、そのままそこにあった、という感じでした。

残念なのは、1楽章のカデンツァに、さぁ入らんとしたとき、彼のほぼ眼前で携帯が鳴り響いてしまいました・・・。
ホール全体がびっくりの瞬間でしたが、2楽章以降、なにごともなかったかのように演奏を貫いたステージ上のみなさん、素敵すぎでした。

後半は、ホールに南欧の風が吹いた楽しいビゼー。

陽気のいい昼下がりにビゼー。なんて贅沢なんでしょ。
お隣の仲のよさそうな年配のご夫婦、横目でみたら、ご主人はこっくりと。
そんな気持ちもよくわかる、気持ちのよいビセー。
「子供の遊び」の、二重奏は、子供たちの夫婦きどりのおままごとの様子ですが、ほんと優しい音楽に、かなフィルのしなやかな弦楽器の音色にございました。
一転、元気良いギャロップは痛快でしたね。

そして、交響曲ハ長調。
調和のハ長は、耳に明るさと心地よさを届けてくれます。
全力全霊の宮本さんの指揮は、この曲に来てピークに達しました。

どんどん耳に飛び込んでくる元気なフレーズでホールが満たされた第1楽章。
第2楽章は、オーボエの優しく哀調あふれる旋律が魅力。
古山さんのソロは美しくきまりましたし、先輩鈴木さんの合いの手の相変わらず素敵。
その後の連綿たる弦楽器の展開に、わたくしは、「カルメン」の花の歌を思いまして、やはりビゼーは、オペラの人なんだなと確認した次第です。
そのあたりの、こうしてくれぇ~的な、宮本さんの熱い指揮ぶりに、かなフィルの美音は、ここでも炸裂しておりました。

元気のいいスケルツォに続いて、快速テンポをとった終楽章では、興奮を覚えました。
ビゼーの交響曲に興奮してしまうなんて、自分としては、思ってもみないことでしたね。
それだけ、集中と一生懸命、全力投球の宮本さんの指揮姿にほだされたわけであります。

みなさん、顔を合わせあい、にこっとしたり、ともかく演奏してて、きっと気持ちがいいんだろうなぁ、と観察する、わたくしも頬が緩みっぱなしのビゼーにございました。

 宮本さんが載った指揮台が、ビゼーでは、斜め左方向、すなわち第1ヴァイオリン側に、少しづつ動き出し、接近していったことを、ここにご報告しておきます。
もっと長い曲だったら、どうなっていたでしょう(笑)。

神奈川フィルとの相性もよさそうな宮本さん。
また登場していただきたいところですが・・・。

Kado

音楽堂のあとの楽しみは、「野毛」進攻であります、ハイ。

小さいお店が多いけれど、路地路地に、いいお店がたくさん。

こんなのつまんじゃいました。

Kado3

美しい〆さばをば、ぱくり。

Kado2

もうそれこそ、数か月ぶりの日本酒。

いい音楽会に、おいしい肴とお酒。

ここまでが演奏会の流れとしてのひとくくり。

ご一緒いただけた皆さん、お世話になりました。

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2014年5月23日 (金)

神奈川フィル音楽堂定期演奏会 予行演習

Zoujyoji

まだ咲いてます、つつじ。

こんもりと、丸っこい四角に剪定されて、花もびっしり。

かわゆいのでありました。

 神奈川フィルハーモニー 定期演奏会 音楽堂シリーズ第1回

  ハイドン     交響曲第1番 ニ長調

  モーツァルト  ファゴット協奏曲

         Fg:鈴木 一成

  ビゼー       小組曲「子供の遊び」から
  
           行進曲、二重奏、ギャロップ

           交響曲 ハ長調

    宮本 文昭 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                2014年5月24日(土) 神奈川県立音楽堂


これまで、神奈川フィルは、みなとみらいホールを本拠地とする定期公演を主体に、音楽堂では、その名の通り、音楽堂シリーズとして、毎年、テーマを絞って年4回ほどの演奏会を行っておりましたが、今シーズンからは、音楽堂の演奏会も定期演奏会として位置づけるようになりまして、明日はその第1回、ということになります。

以前のシリーズもそうでしたが、ホールの特性から、古典派やロマン派の音楽主体となりまして、ことに今年は、ハイドンが、それぞれ必ず、その演目を飾ることになってます。

新常任、川瀬さんを初めて聴いて新鮮な思いを抱いたのも、ここでのハイドンでした。

そして、今回、第1回は、宮本文昭さんの指揮ということが大注目。
若杉さんが、指揮者として、ともに凱旋したときのケルン放送響の首席オーボエだった、あの宮本さん。
指揮者としては、わたくしは、今回が初聴きです。

評判も高く、熱いファンもたくさんいる宮本さんの、音楽にかける一生懸命さを、こちらも、思いきり受け止めたいと思います。

ハイドンの1番
聴いたことないです。
古典派苦手、ハイドンの交響曲も数えるほどしか聴いたことがないわたくし。
1757年、モーツァルトが生まれて1年後ぐらい、パパハイドン25歳ぐらいの作品と推定されています。
小股の切れあがったような、爽快・痛快なハイドンを聴いてみたいところです。
でも、そんな風な曲じゃないのかも??

オーケストラの首席ファゴット奏者、鈴木さん、愛称ズッキーをソロに迎えるモーツァルト
さきのハイドン1番から17年後の作品。
モーツァルトは、この楽器のために、4つの協奏作品をかいたとされておりますが、いま演奏されているのは、これ1曲のみ。
思えば、こんなに、いろんな楽器のために、名協奏曲を数々残したモーツァルトって、ほんとうにありがたい存在。
 ちょっと大人しいけど、ユーモラスな存在、ファゴットのために、こんなにチャーミングで、屈託のない曲を書くなんて!

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ウィーン・フィルのツェーマン、ベルリン・フィルのピースク、シカゴのエリオット、これら3種を聴いてますが、オーケストラのスィートな、ツェーマン&ベームを一番よく聴いてきたかも。


ビゼーの「子供の遊び」。
こちらは、ビゼーが亡くなる4年前の作品で、12曲からなる2台のピアノによる連弾小曲集が原曲で、子供が大好きだったビゼーのこれまた愛らしい作品。
その12曲から、5曲を選びだして、編曲したものが小組曲でして、今回の音楽堂定期では、1曲目の「行進曲」、4曲目「二重奏」、5曲目「ギャロップ」の3つが演奏されます。
(神奈川フィル応援FBに投稿した文章から引用、以下、一部同じく)

Bizet_barenboim

バレンボイムのパリ管音楽監督就任まえの1972年の録音から。
まだフルオーケストラを指揮しはじめたばかりで、あふれる表現意欲を抑えつつ、いい時代のパリ管のキラキラした個性も活かした桂演です。
「カルメン」と「アルルの女」の一部も録音されてますが、これらもなかなかユニークです。

時代は遡って、ビゼー17歳の交響曲。
かつては、ハ長の交響曲と呼ばれてました。

自身は習作的な思いも抱いていたのでしょうか、のちのち作曲家として大成しても、その手記などにこの曲に関する記述もなく、忘れさっていたのかもしれません。
長らく、忘れられお蔵入りしていた、この交響曲が音楽院の図書室から発見されたのが、1935年。 ワインガルトナーの指揮により、スイスのバーゼルで初演されました。

4つの楽章からなる古典的な佇まいは、シューベルトを中心に、メンデルスゾーンや、モーツァルト、ベートーヴェンの面影もちらほら。
そして師グノーからは、南欧的な明るいしなやかさも。

Bizet_sym_munch

こちらは、以前書いた記事から変わりもせず、ミュンシュとフランス国立放送管です。
ハイティンク、マリナー、マルティノン、スゥイトナーとか、聴いてみたいと思いつつ、そのまま。
こうして、もやもや感を残しつつ、また忘れてしまうのでありましょう・・・。

でも、わたしには、このミュンシュのキリっとした演奏で満足です。
録音はイマイチですが、肩の力を抜いて、よき時代のフランスオケとともに、洒脱に演奏してみました的なところが好き。

さぁ、宮本&神奈川フィルの初コンビ、どうなりますか!

楽しみ楽しみ~

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2014年5月22日 (木)

武満 徹 「海へ」 Ⅲ ニコレ

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静かな海ですが、そう見えるのは、堤防に出て沖を見てるから。

奥は、真鶴と伊豆半島の、わたくしのいつもの海の夕暮れの一遍です。

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  武満 徹  「海へ~Toward The Sea」 Ⅲ

       フルート:オーレル・ニコレ

       ハープ :吉野 直子

           (1993.2 @スイス、ラ・ショードフォン)


武満徹(1930~1996)が亡くなって、もう17年になるんですね。

あの神経質そうな語り口で、でもユーモアをもって語るその声や、小澤さんや岩城さん、若杉さんの演奏会で、ステージにあがる小柄な、そのお姿。
いずれも、よく覚えております。

わたくしは、武満作品、ひいては日本の音楽の熱心な聴き手では、決してありませんが、それでも日本音楽の音源は武満CDばかり、しかも、「ノヴェンバー・ステップス」ばかりなところが偏りすぎなところ・・・・。

今宵聴いた「海へ Ⅲ」は、フルートとハープのための作品で、Ⅲとあるのは、編成を変えて、3つのバージョンがあるという意味です。

Ⅰは、アルトフルートとギターで、1981年。
Ⅱは、アルトフルートとハープ、弦楽オーケストラの編成で、同じく1981年。
Ⅲは、今日のバージョンで、アルトフルートとハープで、こちらは1989年。

いずれも、聴いたことがある(はず)けれど、それがいつだったか、どこだったか、覚えてない。
そんな曖昧な記憶の向こうに、いつもあるのが、わたしにとっての武満作品なのかもしれない。

いつも瞑想のなかに、少し離れて鳴っているような、静的な音楽。
それ以上に確たるイメージをいだけない、そんないけない聴き手なのです。
申し訳ありません。

水、そして、海や川は、武満徹作品の最重要アイテムです。

この「海へ」は、眺める海ではなくて、積極的に海に溶け込んで、無重力なままに、一体化にならんとしたようなイメージであるそうです。
メルヴィルの「白鯨」にもインプレッションを受けているともしてます。

曲は、3分半程度の3つの部分からなりまして、①「夜」、②「白鯨」、③「鱈岬」。
それらが、そのタイトルに対してどうかというと、なんとも言い難いものはありますが、そこに、ともかく、「海」をイメージすることができます。
 鯨が、どーーんっていう風じゃ、決してない。
むしろ、海中で、静かにうねるようにして泳ぐ鯨っていう、ファンタジーなイメージがあります。

海=Sea、すなわち、Es・E・Aという海を文字通りあらわす3つの音が曲中に混ぜあわされていて、いつもの緻密な武満作風であること表明しております。

そして、この曲に際し、有名な詩句ですが、できれば、クジラのように優雅で、頑健な肉体を持ち、西も東もない海を泳ぎたいと書いております。

そんな言葉を手掛かりに、短い曲ですから、何度も何度も聴いて、冒頭の海の写真の夕日を浴びた静けさと、その水中にいるかもしれない、別な顔を持つ海と戯れる自分を想像してみることにしました・・・・。

そうしたら、なんだか、眠くなってきました。

これを、メディテーションと呼ぶべきなのでしょうか・・・・・。

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2014年5月20日 (火)

ウォルトン ヴァイオリン協奏曲 ケネディ&プレヴィン

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日差しの中は、暑いくらいですね、5月の陽光。

でも、木蔭へ入ると、ほんとに気持ちがいい。

夏は、どこもかしこも暑くてまいるけど、4、5月は、実に過ごしやすくてよろしい。

10,11月も同じく好きでありますな。

どちらも、英国音楽がお似合い。

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  ウォルトン  ヴァイオリン協奏曲

       Vn:ナイジェル・ケネディ

  アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

           (1987.7 @アビーロードスタジオ、ロンドン)


ウィリアム・ウォルトン(1902~1983)。

イングランド北西部マンチェスター州のオールダム生まれ、晩年はイタリアに居を構え、ナポリ湾に浮かぶイスキア島に80歳で没するのですが、その死は83年のことですから、いまだに記憶に残ってます。

その作品数は、作曲に慎重で筆が遅かったこともありますが、決して多くはないものの、広範なジャンルに渡っていて、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽、器楽、オペラ、声楽、吹奏楽と、ほぼすべてに残しておりますし、映画音楽もあるんです。

有名どころでは、交響曲第1番と、スペクタクルな声楽曲「ペルシャザールの饗宴」があげられるほか、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのそれぞれ1曲づつの協奏曲も演奏頻度が高いです。

その作風は、時代を考えるとティペットなどにくらべると保守的で、大胆でカッコいいブリテンのシャープな音楽造りと、抒情的でメロディアス、そしてときに大胆な和声を聴かせるR・V=ウィリアムズなどのエッセンスをそれぞれ併せ持ったような感じです。
その響きは、ときにミステリアスで、陰りをおびることもあり、ときには、神々しいくらいに眩しく輝かしいこともありなんです。

一度ハマると、聴けばすぐウォルトンとわかるくらいに特徴がありますが、わたくしが聴いたウォルトンは、まだ半分もありませんので、今後、録音も増えていくことも合わせて期待したいところです。

ヴァイオリン協奏曲は、1939年の作。
ヤッシャ・ハイフェッツの委嘱により書かれ、ロジンスキーとクリーヴランド管との共演で初演。
さらに初レコードィングも、ハイフェッツによって、シンシナシティで行われてますが、ハイフェッツは、1943年にオーケストラ、ことに打楽器に手ををくわえた版も、作曲者自身の指揮により録音しております(1950)。
いまでは、一般に改訂版が演奏されております。

3つの楽章からなり、全曲は約30分。
アンダンテ・トランクィロの抒情的な第1楽章は、ふたつの主要な主題に泣かされます。
どちらも哀感と、クールなひんやり感あふれる忘れがたい旋律であります。
ヴァイオリンの技巧的なカデンツァにも引き込まれますね。
さすがは、ハイフェッツを前提に書かれた作品であります。

さてここで、この曲全体を覆う雰囲気なのですが、20年代後半から繁茂に訪れるようになったイタリアの陽光。それを感じることができるのです。
そのイタリアのまばゆい日の光と地中海の輝きとを愛したウォルトンは、のちに56年になって、イタリアに居を構えることとなります。

憂いに満ちた1楽章ではありますが、そのクールながらも透明感を感じますし、なんといっても、第2楽章のスケルツォが、ナポリターナ・カンツォネッタなのです。
陽気なわけではなく、そのリズムをたくみにモダンに処理しておりますし、ヴァイオリンの超絶ぶりも楽しいです。

3楽章は、ヴィヴァーチェで、オーケストラは、明るく開始。でも、ヴァイオリンソロは、リリカルな歌で応じます。
陽気さと、抒情的な歌とが交差しながら曲は進行し、耳が離せないほどに魅力的なのですが、最後のエンディングに近く、第1楽章の最初の哀愁に満ちた旋律が感動的にヴァイオリンによって奏され、聴く側はえもいわれぬ至福の結末感を味わうこととなります。

若かった頃のケネディと、まだ背中がピシっとしていたプレヴィンとの演奏は、悪かろうはずがありません。
ケネディさんには、当然ながら、妙にはじけたところもなく、いたく真摯に、この素敵な協奏曲に取り組んでいて、暖かな抒情が、プレヴィンのマイルドなオーケストラとともに魅力的でありました。
ほんというと、もっと鋭角にビシッとした切れ味も効かせて欲しかったりもしましたが・・・。

このケネディ盤と、ヘンデル、ベルを持ってますが、最近出たT・リトルも聴いてみたいですし、なんといっても、本家ハイフェッツを聴いたことがないのは、いけませんね。

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2014年5月17日 (土)

神奈川フィルハーモニー第299回定期演奏会 現田茂夫指揮

Minatomirai20140516

来月をピークに、日も長くなってきましたね。

金曜は、遠来の客人が飛行機で飛ぶ前に、打ち合わせも兼ねて、夕方にちょっと一杯(実際は3杯)。

電車に乗って、しっかり睡眠で、気が付くと関内。

そこから、ハマスタを覗いて、主が今日はいないことを確認して、ぶらぶらと、みなとみらいホールへ。

5月の定期演奏会は、こうして始まりました。

Kanaphll_201405

   團 伊玖磨     交響組曲「アラビア紀行」

   モーツァルト    ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K218

                 Vn:崎谷 直人

   ドヴォルザーク  交響曲第7番 ニ短調

     現田 茂夫 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                 (2014.5.16@みなとみらいホール)



5月の新緑の季節には、いつも現田さんが帰ってくる。
去年はヴェルディ、一昨年はワーグナー、そして今年はドヴォルザークがメイン。

この曲の配列をみて、当初は、短めのプロだな、早めに終わりそうだから、たくさん飲めるぞ・・・、なんて思っていた自分。

ところが、いざ終わってみると、21時30分。
「アラビア紀行」を甘く見過ぎていました。
まさに、親方たちをさげすんではならぬ、のザックスいわく、神奈川所縁の團先生をあなどってはならぬ、という思いに満たされました。

團先生は、今年生誕90年で、一夜明けた本日5月17日が御命日。
「夕鶴」「ひかりごけ」などのオペラを何度も指揮している現田さんは、團作品のプロフェッショナル。
2006年1月に、この「アラビア」と、「シェエラザード」というエキゾチックプログラムをやってますが、この少しあとから神奈フィルを聴きだしたので、わたくしは、初「アラビア」でした。

①「回教寺」、②「河」、③「遊牧民」、④「遺跡」、⑤「祭礼風舞曲」

5つの部分からなる、演奏時間38分の大曲。

打楽器、鍵盤楽器も勢ぞろいの、ゴージャス極まりない、まさにオール東洋といった感じの各曲で、これまたゴージャス好きの現田さんにぴったり。

  
それぞれ面白かったけれど、悠久を感じさせ、オーボエ3女性が活躍の②「河」と、バルトーク風のミステリアスな④「遺跡」では、ヴァイオリンの分奏が見ていて不思議。
そして、お祭り⑤「祭礼風舞曲」は、聴いてる、こちとらも体をゆすぶりたくなる感じで、むしろ「和テイスト」の原初的なリズムに快感。
最後に、①冒頭の部分(たぶん)が回顧されて、盛大に終了。

面白かったです。
このコンビで、團シリーズなんぞ、ナクソス録音して欲しいですね。

2曲目は、がらりと変わってモーツァルト。

新コンマス、崎谷さんのソロ。若いけれど、豊富な経験と輝かしい経歴の崎谷さん。
室内楽に秀でる、期待のコンマスなんです。

最初は硬かったけれど、暖かい仲間のバックに囲まれ、すぐにほぐれて、リラックスして曲に溶け込むようにして演奏する崎谷さん。
その語り口は、とても自然で、音色は、繊細でピュア。
1楽章の技巧的な場面では、アグレッシブさも。
そしてどんな静かな場面でも、一音一音がホールにしっかり響いていて、明快そのものでした。
ヨアヒム作のカデンツァが、こんなに立派に、しかもモーツァルトの本作に溶けあってるのも、実に気持ちのいいものだ。
ということで、文句なしの崎谷さん、神奈フィル・ソロデビューでした。
 現田さん指揮するオーケストラは、音をしっかり抑え、ソロをマイルドに取り巻くような優しいバックでした。こんな、ソット・ヴォーチェ・モーツァルトも悪くない。

そして、耳にさらに優しく届いたのが、アンコールのハイドンの四重奏。
モーツァルトとばかり思いつつ聴いてしまいましたが、いい曲、いい演奏、そしてそれを微笑みながら聴いているわれわれ聴衆に、オーケストラの皆さんでした。

後半は、ドヴォルザークで、時計は8時45分。

8・9番は、聴けば確かにいいと思うけれど、ふだん聴くには、5~7番かな。
メロディアスな旋律が、次々に飛び出してくるドヴィルザーク・サウンド満載の曲なんです。
これもまた、現田さん向きの作品でありまして、さらに、神奈川フィル本来のキラキラ系の美音を、さりげなく、くすぐるようにして引き出す指揮者ですから、悪かろうはずがありません。
コクや深み、民族臭、そのあたりとは無縁かもしれませんが、ワタクシは、こんな輝かしい神奈川フィルの音が好きだったんです。
指揮棒を持たなくなった現田さんは、その分、音楽に細やかな表情がついてきたような気がします。
先にあげた、懐かしくも親しいいくつものきれいなフレーズを、こんな風に気持ちよく聴けたのも久しぶりでした。
ことに第2楽章は、絶品でした。
ボヘミアの情景ならぬ、日本の田舎の田園風景を思って聴いたのですから。
素敵なスケルツォのあと、アタッカで始めた終楽章の勇壮な盛り上げも巧みなもので、ティンパニの神戸さんの一撃も見事に決まったフィナーレなのでした。

若い奏者のみなさんも、しっかり馴染んで、お互いが知り尽くした指揮者とオーケストラ。
聴くわれわれも、すっかり馴染んだ自宅でくつろぐ感があって、ほんとうにほのぼのとした気持ちになりました。

次は10月の「千人の交響曲」がこのコンビ。

そして次回300回記念定期は、若いシェフ、川瀬さんの「復活」です。

来週も音楽堂で、宮本さんの指揮で、ハイドンとビゼーにズッキーことファゴットの鈴木さんでモーツァルト。

まいど、こんなに近くに感じて、楽しませてくれるオーケストラはありませんぜ。

神奈川フィルを聴きに、みなさんも横浜へGO!

Seiryumon_20140516

先月も忙しかったけれど、今回も短時間集中飲食懇親会。

楽団から、中崎さんにもお越しいただき、久しぶりの台湾料理のお店。

ビールおいしい。

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具だくさんのチャーハンはいつも美味しかったけど、今回は、あんかけチャーハンでしたよ。
エビ・カニ、たっぷり。

これもまた、コンサートの楽しみ。

みんなで、さっきのコンサートのことや、神奈川フィルのこと、世間のことなどなど、語って飲むんです。

こちらにも、どうぞ、みなさまお越しくださいませ。  

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2014年5月15日 (木)

神奈川フィル定期演奏会 予行演習

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モッコウバラと、フジの花。

いい取り合わせの色あいでしょう。

実家とお隣のお庭から。

5月ならではの光景です。

  神奈川フィルハーモニー第299回定期演奏会

 
 團 伊玖磨     交響組曲「アラビア紀行」

 モーツァルト    ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K218

                Vn:崎谷 直人

 ドヴォルザーク  交響曲第7番 ニ短調

  現田 茂夫 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

          2014年5月16日(金) 19:00 みなとみらいホール


神奈川フィルの5月の定期は、このところ、いつも名誉指揮者の現田さん。

いつもながらに、面白いプログラムを出してきます。

1曲目は、まったくの未知作品、團伊玖磨の「アラビア紀行」という、オリエンタリズム満載の予感の曲。
この曲について書かれたものもなく、初見で挑みます。
團伊玖磨は、今年、生誕90年。
そして、演奏会の16日が、13回目の命日の前日にあたります。
 團さんを、桂冠芸術顧問として冠する、ゆかり深い神奈川フィルと、多くの作品を手掛け、得意とする現田さん。
どんな曲に、演奏になりますか、楽しみです。

2曲目は、モーツァルトの協奏曲を、4月から正式就任した第1コンサートマスターの崎谷さんのソロで。
ソリストに、自ら結成したウェールズ四重奏団にと、豊富な経歴を持つ崎谷さんのしなやかで、緻密な演奏が、明るく朗らかななモーツァルトをどう聴かせてくれますか。

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今日は、パールマンとレヴァイン、そしてウィーンフィルの明るく伸びやかな演奏を聴いてみました。
グリュミオーでもよかったけれど、このコンビのチャーミングな演奏の方が、親密感があって明日に向けて、相応しいと思ったから。
 冒頭の「セレナータ・ノットゥルナのような軍隊風の元気のいい出だしの雰囲気は、ほんのいっとき。
あとは、明るく優美、華麗さもまじえて、心浮き立つような音楽。

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ドヴォルザークの7番は、8番や9番に隠れてしまいがちだけれど、こちらも、メロディアスで、魅力たっぷりの名曲にございます。

ロンドンのフィルハーモニー協会からの委嘱作で、ブラームスの3番を聴いたあとに、奮発して意気込んで書いただけに、すみずみまで、充実しております。
ブラームス的ということは決してなくて、ボヘミアの香りと風光が、そこここに立ち昇るのを感じます。

特に、わたくしは、抒情的でほのぼのとした第2楽章が大好きであります。
これまで、バルビローリセルの演奏を記事にしております。

今日は、ウィーンフィルつながりで、チョン・ミュンフン盤を。
ハツラツとしていて、リズムの刻みもよい、ミュンフンの指揮は、ウィーンフィルからマイルドな音色とともに、キレの良い音の響きも引き出しました。
最近、あまり聴かなくなっちゃったけれど、90年代が一番よかったような・・・・。

現田さんと、旧知の神奈川フィルは、きっと素敵なドヴォルザークサウンドを聴かせてくれると確信してます!

ちなみに、6月は定期演奏会300回。
マーラー「復活」キターーッです。

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2014年5月14日 (水)

ベルリオーズ 幻想交響曲 アバド指揮

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すっかり遅れてしまいました、5月の小便小僧。

連休があったもんで、なんだかんだで。

ご覧のとおり、桃太郎コスプレですよ。

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後ろ姿、可愛いね。

そう、日本一ですよ。

あと数週間で、小便小僧クンも、きっと傘をさすことになるんですね。
日が経つことが、なんと早いこと。

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  ベルリオーズ 幻想交響曲 

   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                          (2013.5.19 @ベルリン)


ベルリンフィル退任後、いつもの年なら、5月は、クラウディオ・アバドがベルリンに帰ってくる月でした。

今年は、ベルリンっ子も、ベルリンフィルの面々も、きっと寂しい思いをしていることでありましょう。

アバドが指揮する予定だった、今月17日のコンサートは、ラトルが受け持ち、アバド追悼コンサートとなります。
シューベルト「ロザムンデ」間奏曲、モーツァルト ヴァイオリン協奏曲3番(ツィマーマン)、ブルックナー 交響曲第7番、というプログラムです。

ベルリン・フィルとの最後の演奏会だったのが、昨年の5月。
演目は、メンデルゾーン 「真夏の夜の夢」と、ベルリオーズの「幻想交響曲」でした。
楽団のデジタルコンサートのアーカイブにありますので、会員になれば、いつでも鑑賞できますし、さきに、NHKFMで放送もされましたので、録音いたしました。

「アバドの幻想」といえば、1983年のシカゴ響との鮮烈な録音が、その代名詞でありますし、あと、わたくしには、その同じ年に来日したロンドン響との演奏が、いまでもまぶたに浮かぶくらいの鮮やかなものなのです。
 その時は、文化会館で、アバドのごく至近で聴いたものですから、その若々しい指揮ぶりをつぶさに観察することもでき、アバド・ファンをさらにまっしぐら、とういう感じでした。

あれから、30年。

その間、アバドが幻想を指揮することは、2006年にシモン・ボリヴァルと、2008年にルツェルンとありましたが、ベルリンでは、わたくしの記憶に間違いがなければ、この2013が初ではなかったのではないでしょうか・・・・。

病後、そしてルツェルン時代、年々、若返るような音楽造りをしていたアバドですが、この演奏には、30年の年月の重みを感じます。
 テンポも速く、表情もすっきりと、達観したかのような澄み切った表現を極めていたアバドに、ほんの少し疲れのようなものを感じるのが、この「幻想」でした。

慎重な1楽章は、テンポもゆったりで、どこか乗ってこない感じ。
2楽章のワルツも、ゆったりと丁寧な歌い口で、表情は優しくて、ダンスの熱狂からは程遠いものがあります。

3楽章から生彩をおびだしてきて、繊細かつ緩やかな歌い回しが、しなやかで、いかにもアバドらしい。
徐々に盛り上がりゆくこの楽章の強弱の対比も鮮やかで、ふっきれなく感じた1楽章が遠い昔の出来事みたいに思えました。
ベルリンフィルの管の名手たちの、ブリリアントな音色も相変わらず素敵なもんです。

威圧的に決してならない断頭台は、繰り返しも行い、丹念に克明な仕上がりで、急がず慌てずの巨匠の歩みですが、その表現は極めて渋いです。
ファンファーレも慎ましく、あっさりとしたもので、いままでの威圧的な断頭台の音楽の概念と遠いところにあると思わせます。

ヴァルプルギスも、ゆったりめに、じっくりきます。
鐘は録音で教会のものでしょうか、とても美しく響きます。
デイエスイレを吹く金管もおとなしめで、おどろおどろ感はゼロ。
インテンポで、オーケスストラを抑えめに進行して行きますが、最後の最後に、ベルリンフィルの底力が爆発。
ものすごい音圧で持って、充実極まりないフィナーレを迎えるのでした。

オーケストラの威力でもって、最後は盛大に爆発したわけですが、マーラーとブルックナーをのぞいては、大規模な作品を指揮することがなくなっていた晩年のアバド。
 この、いわば渋い「幻想」を聴いて、アバドがこの年、なぜベルリオーズを取り上げたのだろうかと思って、年譜をみたら納得。

コンサートの前半が、メンデルスゾーン(1809~1847)で、後半がベルリオーズ(1803~1869)で、同時代人。
真夏の夜が、1826年と1842年の作曲で、幻想は、1830年の作曲。
ともに、ロマン派の最盛期を築いた作曲家の同じ頃の作品。

ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、シューマン、そしてブラームスと、ルツェルンも含めて、次々と取り上げ、そして取り上げる予定だったアバド。
こうした流れの俯瞰の中に、この渋い「幻想」を、極めて純音楽的に捉えていたのではないでしょうか。
ですから、標題性は薄めな解釈で、驚くことに、楽章間には、間はおかず、全曲がほぼアタッカで演奏されております。

やはり、アバドはすごかった。

いまとなっては、再晩年の演奏ということになりますが、いつまでも、音楽の中に、新鮮な可能性と発見を求めていたのです。
 大巨匠と呼ぶに相応しくない、そんないつまでも進取の気性に富んだ、われらがマエストロ、クラウディオの「幻想交響曲」なのでした。

シモン・ボリヴァルとルツェルンのものも、いずれは聴く機会を得たいと思います。

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2014年5月13日 (火)

Boz Scaggs 「We’re All Alone」 

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毎度の、海岸の風景。

もう少し西の方の、海沿いで生まれ、少し東へ引っ越して、小学生まで、波の音が聞こえるこの場所で育ち、そのあとは、線路の反対側へ引っ越して、暮らしました。

そこから、海を背景にした中学へ通い、高校は西の城下町へ。

ずっと、海のそばで、海とともにしてきました。

社会人になって、結婚して、子もなして、海と離れても、いつも帰るのが、ここ。

山も親しい存在ですが、やっぱり海が好き。

カセットのウォークマンに、ドビュッシーの海や、ディーリアス、シベリウス、ボズ・スキャッグス、ジャクソン・ブラウン、シーウィンド、ブレバタなどを満載して、海を見に始終通ってました。
サーフィンはやりませんでしたね。

歳を経って、家庭を築くと、そんな悠長なことをやってる暇はないけれど、いま、そこそこにオヤジになって、誰もかまってくれなくなってみると、かつての行動をなぞるような、そんな余裕が生まれます。

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   「 WE’RE ALL ALONE」  Boz Scaggs

今日は、ちょいと、クラシカルから踏み出して、アメリカンなポップソングを。

連休に実家にあったCDを持って帰ってきました。

ポップといいましても、当時は、アダルト・オリエント・ロックな領域として、AORというジャンルが創出されまして、その代表格が、ボズ・スキャグスなのでありました。

アメリカから祖父母の故郷スウェーデンにわたり、そこで学生兼ミュージシャンとしてスタート。
以降、各地を駆け巡り、帰国後は、サンフランシスコに住みつき、活動開始。

そして、大ヒットを飛ばしたのが、今宵のレコード「SILK DEGREES」(シルク・ディグリース)で、1976年のこと。

わたくしは、大学生になったばかり。

クラシックばかりでなく、旺盛な音楽への好奇心でもって、また、友人たちにも影響されたりして、毎週日曜の夕方のNHKFMの全米ヒット曲を録音しては、好きな曲をどんどん増やしていったものです。
懐かしいな。

まだ、若い、ジャケットのボズ。

海を前にしたベンチに、避けるような横顔、そして赤いマニュキュアの指先。
裏ジャケは、ボズはいなくなって、ベンチにはマニキュアのお手々のみ。
これを別れと見るか、あらたな旅立ちとみるか・・・。
いろんな思いの去来する、ナイスなジャケットに思いますよ。

全部で10曲、曲の配置もよくって、レコードでいえば、A面とB面がきれいに按配されてる。
ファンキーなナンバーから、カントリーっぽい曲、ロックな曲と続いて、面の最後はスロー・バラード。
すなわち、5曲目と10曲目がスロー・ナンバー。

クラシカルなわたくしには、そのふたつが、たまらなく魅力でした。
それこそ、海を見ながら、波音を聴きつつ、潮風を感じるようなナンバーだったから、いつも海への散歩のお伴には、この2曲。

「Harbor Light」 と 「We're all Alone」。

前者は、クラシカルなわたくしから言わせていただくと、その詩の内容は、まるで、シューベルトの「美しき水車屋の娘」。
放浪する男が、港を舞台にひとりの女性を恋し、寂しくも焦がれる。
それが女々しいドラマじゃなくって、スマートで、男の哀愁ただよう後ろ姿みたいに渋いんですよ。
この曲、若い日々に、何度聴いたかわからない。
どんなシテュエーションだったかは、それは思いだせないけど、いろんな想いが走馬灯のようにめぐります。

そして、最後の「We're all Alone」。
単純に訳すと、「みんな、ひとりぼっち」ということになりますが、多々書かれているとおり、allをaloneの強調語としてとらえると、そういうことになります。
 ですが、本来は、「ふたりきり」というのが真意。
歌詞の内容も、そんな風になっていて、ちょっと甘々のラブソングになってるんです。

加えて、これもネットを叩けばたくさん書いてありますが、この曲をカヴァーした、リタ・クーリッジは、歌詞の内容を少し変えて、「みんな、ひとりぼっち」ということで歌いました。
ちなみに、リタ・クーリッジといえば、この曲というより、わたくしは、「Higher and higher」が大好きでしたね。

 言葉の雰囲気と曲とが、完璧に符合していて、哀しいけれど、優しい気持ちにさせてくれます。

ほんとうに、久しぶりに聴いたボズのアルバム。
バックも素晴らしくって、彼らが、のちに「TOTO」になっていくんですね。

70~80年代感満載ですが、わたくしには、かけがえのない思い出のたくさん詰まった時代と、その音楽たちなのでした。

また、実家の海に帰りたくなった。

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2014年5月10日 (土)

ブライアン 交響曲第31番 マッケラス指揮

Umezawa

いつもの山から、相模湾を除き込むの図。

沿岸には、新しい洋風な家がたくさん建ちましたし、オシャレなイタリアンもいくつか。

昔は、なにもなかったのだけど。

ちょうど、画像に、熊ん蜂が写りこみましたよ。

ことしは、どうも、虫たちが活発で、多いようで、熊ん蜂がぶんぶん。

木の上からは、糸をたらして、青虫が目の前に、すぅーーっと。

わたくしは、小さいときから慣れているから平気だけど、田舎でも、いまや子供たちが、虫を見ると大騒ぎ。
これも時代です。

Brian

   

ブライアン  交響曲第31番

    サー・チャールズ・マッケラス指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー

                           (1987.5 @リヴァプール)

ハヴァーガル・ブライアン(1876~1972)は、イングランド中北部スタッフォード・シャーの出身の怪作曲家。

それというのも、その存在そのものがユニークな方なんです。

以前のふたつの記事から、ミックスして紹介します。

労働者階級の出身で、音楽はほとんど独学。
ジュニアスクール卒業後、大工や石炭工、塗装工などを転々とした変わりだね。
作曲すれど、なかなか日の目を見ることはなく、泣かず飛ばずだったが、地元の資産家の投資を受けて、今度は、お遊びに目覚めてしまい、家族も泣かすことになり、ロンドンへ逃亡。
 その後、いよいよ、本格作曲家として目覚め、なんと、51歳にして、初の交響曲第1番「ゴシック」を書き上げた。
この曲は、1000人級の演奏者を要し、長さもギネス認定の長大交響曲なのです。

その後、このブライアンおじさんは、交響曲を書くは、書くは・・・・

80歳以降に12番~24番、90歳以降に25番~32番という巨魁ぶり。
その他オペラや声楽作品もあるというから・・・。

でも、ばかげた巨大作品は1番のみで、あとは普通、もしくはシンフォニエッタ風の小振り作品だったりして、それらが以外と英国風の落ち着きある音楽で悪くない感じです。

かといって、32曲もある交響曲は、その半分も録音されておらず、わたくしも3枚程度のCDを持つのみであります。

今日の31番は、演奏時間13分の、単一楽章による、とらえどころのないファンタジックな作品で、なんとなく4つの部分には分かれている気もしなくはありません。
難渋な顔をした、ヒンデミットやレーガーが、イギリスに行ったみたいな感じです。

これを聴いて、素晴らしいとか、感動する、といった類の作品ではないような気もしますが、やはり、そこは英国音楽好きとして、美点を探しましょう。
中間部にあらわれる、ヴァイオリンソロが気に入りましたが、それもつかのも、威圧的な、雰囲気にのみ込まれてしまいます。
最後は、少し盛大な雰囲気になるけど、不可解なまま終わっちゃう。
欲求不満が募りますぜ。

いや、やっぱり、あかん。
どうにも、こうにも、よくわからん。

1番「ゴシック」と3番、7番は、結構気にいってるんだけどな。

そんな、ブライアンの交響曲31番は、1968年の作品です。

怪ブライアン。
もしかしたら、隠れた良い曲が潜んでるかもしれず、死ぬまでに全曲は聴くことはないだろうけど、これから揃えられるものは集めておこうと、思った土曜の晩でした。

過去ブライアン記事

「ブライアン 交響曲第1番 ゴシック 」

「ブライアン 交響曲第3番」


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2014年5月 9日 (金)

モーラン 幻想四重奏曲 

Shibapark

バラの季節でもあります。

赤いのもいいけど、黄色いのが好きだな。

東京タワーともに、青空に映えるバラに、濃い緑。

もう初夏にございますね。

あの大雪や、極寒の日々は、いったい何だったんだろうと思えるくらいに、季節の巡りは早いです。

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  モーラン  Fantasy Quartet 幻想四重奏曲

         ~オーボエとヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための~

          ob:ニコラス・ダニエル

          ヴァンブルー四重奏団

                  (1997.6 @ブランドン・ヒル、ブリストル)


アーネスト・ジョン・モーラン(1894~1950)は、ロンドン近郊の片田舎、スプリング・グルーヴ・ヴィカレイジに生まれ、若くして第1次大戦に参戦し、頭部に重傷を負うことになります。
そのことが、その先、遠因となって、55歳にして、アイルランドにて亡くなることとなります。
 作品数が、さほど多くないので、その早い死は、とても悔やまれるのであります。

昨日、取り上げた、アイアランドの弟子筋にあたり、その作風も師に似て、極めて穏健で、抒情的です。
その師が、朋友バックスとともに、アイルランドや北イングランド、スコットランドのケルト文化を愛したように、モーランも、そうした流れに沿っていると同時に、ノーフォーク地方の民謡や風物の収集に熱をいれて、その音楽にも、多々取り入れられております。

まさに、この時代の英国作曲家の在り様、そのものの人がモーランなんです。

以前に書いたことの再褐ですが、その音楽は、イングランド風の大らかでなだらか、そして抒情的なV・ウィリアムズの流れと、アイルランド・北イングランドのケルト風で、シャープかつ、ミステリアスな、アイアランド・バックス流派と、このふたつの特徴を合い持ち、ときにそれらがミックス混在するユニークなものといっていいかもしれません。

オーボエと弦楽三重奏のための、単一楽章の四重奏曲は、1946年に書かれました。
亡くなる4年前、51歳。
ノーフォークの民謡、「Seventeen Come Sunday」と「The Pretty Ploughboy」のふたつが断片的に聴かれるといいますが、聴いていて、それらがどこにどう現れるかは、わかりません。
しかし、ともかくメロディアスで、オーボエならではの哀愁さそう、メランコリックな響きと切ない旋律の連続に、14分間が、あっというまに、それこそ夢見るようにして終わってしまいます。
描写的な音楽ではなく、多分に雰囲気的、感覚的な音楽ではありますが、そこには、モーランが生涯愛し、若い頃から散策し続けた、ノーフォーク地方の霧が降りた、少し寂しい水辺の光景が思い浮かぶようです。

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ジャケットにもありますが、ノーフォーク州のフェンという場所が、若い頃、モーランが家族で、移住して過ごした場所です。
後年は、ケント州や、アイルランドに住むようになりましたが、モーランの心の中には、フェンの情景がずっと残っていたのでしょうか。
誰しも、心のなかの景色は、そっと持ち続けているものですから・・・・。

モーランの過去記事

 「モーラン ヴァイオリン協奏曲 モルトコヴォッチ」 

 「モーラン 弦楽四重奏曲、ヴァイオリンソナタ メルボルンSQ」 

   「モーラン  交響曲 ハンドレー指揮」

 「モーラン ロンリー・ウォーターズ」

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2014年5月 8日 (木)

アイアランド 「聖なる少年」 D・ライト

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今日ももう1枚、吾妻山のツツジから。

日の当たる斜面に、ふんだんに咲くツツジですが、年々、だんだんと花の数が少なくなってきた気がします。

それでも、ごらんのとおり、青い空に、新緑の緑、そして、鮮やかな花の色合いが、美しすぎるくらいに、眩しいんです。

実際に、この場にいくと、ほんと、素敵なものですが、花の命の儚さにも、ちょっと哀しい気分にもなったりします。
桜は、ぱっと咲いて、ぱっと散ってしまうから、潔いけれど、ツツジの花は、色が枯れたように朽ちてきて、老いさらばえてしまうから・・・・・

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  アイアランド 前奏曲「The Holly Boy」~「聖なる少年」

       ピアノ:デスモンド・ライト

                 (1994.10 @ベルン)


ジョン・アイアランド(1879~1962)は、マンチェスター近郊のバウデン生まれの英国作曲家。

アイランドは、かねてより大好きで、このブログでも何度か取り上げてきましたが、そのメインとも呼ぶべき、ピアノ作品を取り上げるのは初めて。

ジャッキーと呼ばれて可愛がれた少年のアイランドは、8歳頃から、ピアノを母に学び、やがて、13歳にロンドンに出向き、ロイヤル・カレッジを受験し、14歳からそこで、ピアノとオルガンを学び、すぐさま作曲にも興味を示し、音楽造りも始める。

16歳で、弦楽四重奏曲を書いて、それが、大御所スタンフォードの目にとまり、ドイツの古典・ロマンの音楽を叩きこまれる。
それでも、彼の本来の嗜好は、印象主義的なものであったり、ケルト文化に根差した民族主義的なもへの傾倒が強いです。
 ですから、交響曲へは目もくれなかったのです。

英国作曲家の多くは、エルガーやRVW、ウォルトンを除くと、交響曲をあまり残しておりませんので、日本ではあまり脚光を浴びないのでしょうかね。

アイアランドのピアノ作品は、ほぼ、そのすべてが小品たちの集まりです。
若書きのものから、円熟期にいたるまで、万遍なく作曲してます。

そのほとんどが、シェイクスピアを始めとする文学や、自然の風光、街の情景、さりげない日常や人々の愛などをモティーフにした優しい柔和な音楽たちなんです。

抒情派アイアランドらしい、この数々のピアノ曲は、強烈な個性や音楽が強く語ることもない代わりに、あくまでも静かで、自然な語り口で、淡々とした佇まいです。
ときに、ドビュッシーやフォーレ、場合によってはキース・ジャレットみたいにも聴こえたりもします。

前奏曲は4篇からなっていて、

 1.「低い音」~The Undertone

 2.「妄想」~Obsession

 3.「聖なる少年」~The Holly Boy

 4.「春の炎」~Fire of Spring


もっとも有名な、「聖なる少年」は、1913年のクリスマスに書かれた、クリスマス・キャロルです。
みどり子誕生のその日を、しずかな感動を持って歌うパストラーレであります。
楚々とした美しさが、胸を打ちます。
この曲は、のちに、合唱曲と、室内バージョンにへと、作者自身により編曲されておりまして、本ブログでは、ヒコックス盤を取り上げております。

5年後に追加された3曲も、それぞれに素敵です。
印象派風の「低い音」は、たゆまぬ静かな繰り返しに、耳を澄ましてしまいます。
捉えどころのない、無窮の動きを感じる「妄想」、これもまたドビュッシー風。
やってきた明るい春にも、決して浮かれることなく、慎ましいアイアランドの描く「春の炎」。

どうでしょうか、それ以外にも、素敵な曲がたくさん。

わたしは、たまに仕事しながらでも、これらの曲を静かに流したりしてますよ。

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2014年5月 7日 (水)

クィルター 「虹の終わる場所に」 ヒコックス指揮

Azumayama_2

連休も終わり、街は日常に。

でも、頭のなかは、まだお休みっぽかった休み明け。

カレンダー通りのわたくしは、後半に、神奈川の実家に行ってきまして、また、まいどおなじみの、吾妻山と、海へと、それぞれ歩き回ってきました。

この時期の吾妻山は、ツツジが満開を終えたところで、ぎりぎりに、その美しい色合いと香りとを楽しむことができました。

奥に見える山は、大磯の湘南平です。

子供の頃の遠足は、この吾妻山と、向こうの湘南平が定番にございました。

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  クィルター 「Where the Raibow Ends~虹の終わる場所に」組曲

  サー・リチャード・ヒコックス指揮 ノーザン・シンフォニエッタ・オブ・イングランド

                     (1989.5 @クゥエイサイド、ニューカッスル)


ロジャー・クィルター(1877~1953)は、サセックス州ホーヴの生まれの英国作曲家。

あまり、お馴染みではないかもしれません。
彼が、歌曲の分野に多くの作品を残したからかもしれませんが、100曲以上に及ぶクィルターの歌曲は、多彩な作風の宝庫で、英国歌曲の系譜にしっかり名を連ねる彼の面目躍如たる世界なのです。
 明るく、親しみやすく、そしてメロディアスな歌曲たち。
でも、そんな中にも、シリアスで、どきっとするような歌たちも、またたくさんあります。
シェイクスピアの詩による、「来たれ、死よ」などは、まったくもって素晴らしい名品です。

そのクィルターさんが、残した管弦楽作品のひとつが、劇音楽「Where the Raibow Ends」です。

1911年、ロンドンのサヴォイ劇場で上演される、クリフォード・ミルズとレジナルド・オーウェンの作による子供向けの妖精劇とも呼べるような、ファンタジーな舞台作品のために書き下ろした音楽。

劇の内容は不肖ですが、初演以来、ロンドンのクリスマスシーズンには欠かせない舞台となっていったようです。
この音楽のなかから、5曲を選び、組曲としました。

 ① Rainbow Land

 ② Will o'the Wisp

 ③ Rosamund

 ④ Fairy Frolic

 ⑤ Goblin Forest


それぞれ、数分の小曲。
でも、それぞれのタイトルのとおり、とっても優しくって、心なごむ雰囲気にあふれてます。
①などは、英国抒情派ならではの、透明感と、まさに雨上がりの淡い虹のような景色が思い浮かぶようです。
②可愛いワルツに、ちょっと切ない中間部。
子守歌のように、静かで愛らしい③
妖精たちの踊りでしょうか、陽気で快活な④と⑤

こうして、人を優しい気持ちにしてくれる、クィルターのWhere the Raibow Endsでした。

では、いい夢を見るようにいたしましょう。

さらば、おやすみ。

過去記事

 「英国歌曲展14 辻 裕久」

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2014年5月 2日 (金)

華麗にスルーする、にゃんにゃん

季節もよくなり、ひさびさに、にゃんこネタ。

取材してきました。

1

前方から、警戒しながら、のしのしやってくる、にゃんこ。

おぉ、勇ましいじゃねぇか。

こちとらも、通路に陣取って、待機じゃ。

2

睨みを効かせ、こっちの動きを逃さない。

こっちが襲われるのかしら??

3

と、思った瞬間、カメラのシャッターは、虚しく誰もいなくなった通路を写して、空を切ったのでした。

しまった、やられたか。

きゃつは、巧みに、こちとらの横をすり抜けて行ってしまったのだ。

4

さらに、もう、ひとネコ。

奥にも待機中のミケ。

よしよし、来~い。

オジサンは待ってるんだ、いつも。

5

今度のヤツは、体格はいいが、伏目がちだぞ。

でも、のしのし感や、ヒゲの具合、色合いが、さっきのヤツと似てる。

きっと血縁関係があるんだろ。

さぁ来い。

6

丸っこいね。

あんよも、太いね。

7

伏目がちに、でも徐々に進路を端に変えつつあるニャン助。

さぁ、こっちの懐へ飛び込んで来~い。

・・・・っと、思った瞬間、まただよ、もういない。

8

通り過ぎたあと、こちとらを観察中。

うーーむ、完敗じゃのう。

ねこの、俊敏さには、おじさん、とうてい敵いませんわ。

また、会おうぜ。

ちなみに、3人目のミケは、はなから違う方向へと脱出しました。

緑、濃くなってきた、公演のにゃんこ達でした。

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2014年5月 1日 (木)

プッチーニ 「わたしのお父さん」 ネトレプコ&アバド

Tsubaki

雨にぬれた、椿の花。

先週のことですが、まだ頑張って、咲いてました。

この花が、ぼとん、と落ちてしまうのも、儚いですな。

「椿姫」を思うのは、オペラ好き、クラシック好きなわけですが、何度も書きますが、そもそも、「椿姫」なんて名前は日本だけ。
そうした方が、通名のようになっているから、いいのだけれども。

原題の「ラ・トラヴィアータ」という意味は、「道を踏み外した女」ということで、まさに、イタイ女、ということになって、日本語にすると、ちょっと議論を呼んでしまうことになる訳で、わたくしは、「椿姫」でなく、その意も不明にさせる語感の良さがある、「トラヴィアータ」と呼ぶようにしてますよ。

イタイ女性が、純なる愛に目覚め、幸福をつかむけれど、しかし、愛するがゆえに、自ら身を引いて、やがて病魔に倒れる・・・・。

そんな儚く、けなげな女性の物語なのだから、「椿姫」でよかったのかもしれないのに、原題が痛々しすぎる・・・。

Netrebko_abbado_1

  プッチーニ 「ジャンニ・スキッキ」~わたしのお父さん

      ラウレッタ:アンナ・ネトレプコ

   クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

                         (2004.2・3 @フェラーラ)


こちらは、イタイ女性じゃなくて、恋人も大好き、お父さんも大好きの可愛い娘。

トラヴィアータのヴィオレッタは、もっと大人で、気配りも豊か、超おバカな義父の説得を配慮して自らが、埃をかぶった。

ジャンニ・スキッキのひとり娘、ラウレッタは、もっと娘々していて、思いきり、お父さんに甘えて、甘えまくって、恋人を公認させてしまう。

もう恋人世代じゃ、とっくになくなったワタクシは、どっちの父親にもなりうる存在であり、立場となりました。

父親は、トラヴィアータのジェルモンにも、ジャンニ・スキッキにも、なりうる、そんな単純な存在なんです。
母親の、絶対性には、父は常になれないものなのですな・・・。

前置き長すぎの、本日のこの愛らしいプッチーニのアリアは、ほんの3分くらいの曲ですが、シンプルでかつ、この短いなかに、思いきり娘の思いが詰まっていて、いつでも泣かせてくれます。

そして、本日のこの演奏は、クラウディオ・アバドが正規に残した、唯一のプッチーニなのです。
パヴァロッティと「トスカ」の一節をライブで演奏した記録がありますし、わたくしもその音源は持ってますが、DGのちゃんとした録音はこれが唯一かもです。(たぶん)

ネトレプコの声は、ちょっとおネイサン入りすぎで、カワユサや、蠱惑感は薄目。
でも生真面目ななかの一図さが、とてもよろしくて、アバドのかっちりした指揮にも合ってます。

アバドが、ヴェルディはさかんに指揮したけれど、プッチーニだけは、指揮しようとしなかった。
インタビュー記事で読んだことがあるエピソードですが、「マノン・レスコー」を指揮する寸前にまでなったことがあると。
 その時は、同時に「ペレアスとメリザンド」が、舞いこんできて、そちらを優先させたとのこと。
ヴェルディは、きっと、イタリア人として血のたぎるところがあったけれど、プッチーニには、マーラーに共感はできても、コスモポリタンとしての、イタリアの魂に火を着けてくれる存在ではなかったのでありましょう。

いいんです、マエストロ・クラウディオ。
ワタクシが、その分、プッチーニが大好きで、そのすべてを聴き倒してますから。
この、「私のお父さん」だけでも、残してくれたことに、感謝です。

娘が、数年のうちに結婚することがあれば、わたくしは、自ら、この演奏を流したいと思います。
きっと、泣いちゃうんだろな。

Abbdo_netrebko_1


過去記事

 「アンナ・ネトレプコ アリア集 アバド指揮」

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