武満 徹 「海へ」 Ⅲ ニコレ
静かな海ですが、そう見えるのは、堤防に出て沖を見てるから。
奥は、真鶴と伊豆半島の、わたくしのいつもの海の夕暮れの一遍です。
武満 徹 「海へ~Toward The Sea」 Ⅲ
フルート:オーレル・ニコレ
ハープ :吉野 直子
(1993.2 @スイス、ラ・ショードフォン)
武満徹(1930~1996)が亡くなって、もう17年になるんですね。
あの神経質そうな語り口で、でもユーモアをもって語るその声や、小澤さんや岩城さん、若杉さんの演奏会で、ステージにあがる小柄な、そのお姿。
いずれも、よく覚えております。
わたくしは、武満作品、ひいては日本の音楽の熱心な聴き手では、決してありませんが、それでも日本音楽の音源は武満CDばかり、しかも、「ノヴェンバー・ステップス」ばかりなところが偏りすぎなところ・・・・。
今宵聴いた「海へ Ⅲ」は、フルートとハープのための作品で、Ⅲとあるのは、編成を変えて、3つのバージョンがあるという意味です。
Ⅰは、アルトフルートとギターで、1981年。
Ⅱは、アルトフルートとハープ、弦楽オーケストラの編成で、同じく1981年。
Ⅲは、今日のバージョンで、アルトフルートとハープで、こちらは1989年。
いずれも、聴いたことがある(はず)けれど、それがいつだったか、どこだったか、覚えてない。
そんな曖昧な記憶の向こうに、いつもあるのが、わたしにとっての武満作品なのかもしれない。
いつも瞑想のなかに、少し離れて鳴っているような、静的な音楽。
それ以上に確たるイメージをいだけない、そんないけない聴き手なのです。
申し訳ありません。
水、そして、海や川は、武満徹作品の最重要アイテムです。
この「海へ」は、眺める海ではなくて、積極的に海に溶け込んで、無重力なままに、一体化にならんとしたようなイメージであるそうです。
メルヴィルの「白鯨」にもインプレッションを受けているともしてます。
曲は、3分半程度の3つの部分からなりまして、①「夜」、②「白鯨」、③「鱈岬」。
それらが、そのタイトルに対してどうかというと、なんとも言い難いものはありますが、そこに、ともかく、「海」をイメージすることができます。
鯨が、どーーんっていう風じゃ、決してない。
むしろ、海中で、静かにうねるようにして泳ぐ鯨っていう、ファンタジーなイメージがあります。
海=Sea、すなわち、Es・E・Aという海を文字通りあらわす3つの音が曲中に混ぜあわされていて、いつもの緻密な武満作風であること表明しております。
そして、この曲に際し、有名な詩句ですが、「できれば、クジラのように優雅で、頑健な肉体を持ち、西も東もない海を泳ぎたい」と書いております。
そんな言葉を手掛かりに、短い曲ですから、何度も何度も聴いて、冒頭の海の写真の夕日を浴びた静けさと、その水中にいるかもしれない、別な顔を持つ海と戯れる自分を想像してみることにしました・・・・。
そうしたら、なんだか、眠くなってきました。
これを、メディテーションと呼ぶべきなのでしょうか・・・・・。
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