マーラー 交響曲第2番「復活」 アバド指揮
6月26日は、わが敬愛するクラウディオ・アバド81歳の誕生日です。
毎年、この日は、このような出だしで、アバドの音楽を聴いて、その誕生日を祝ってまいりました。
今年も、同じように祝い、そして、偲びたいと思います。
人は、この現世から姿を消しても、それぞれに残された人の心にしっかりと、その姿や声すら伴って親しく生きてゆくものです。
そんな感覚は、肉親を失ってみて強く実感するものでした。
わたくしの場合は、亡父がそうでした。
普段は離れていたし、男同士だから、酒を飲んでもあんまり話し合うということもなかったけれど、あまりに突然いなくなってしまい、その喪失感は半端ない大きなものでした。
しかし、父の話を、いろんな方から聞くにつれ、また、父の好きだった本や庭などを観るにつけ、存命中は知らなかった姿が垣間見られるようになり、父の知らない姿を求めて、人に会ったりもしたものです。
いまでも、ずっと近くにいて、夢のなかでも会える、そんな父なんです。
兄のように慕っていたアバドにも、亡くなって5ヶ月、思えばそんな感覚をいまや持ってます。
そうした意味では、ビジュアルで残された多くのアバドの遺産は、音源しか残されていない時代の巨匠たちからすると、ずっと近くに思いをつなぎ留めることのできる縁となりますし、その実演にかなり接することができたことも、強い思い出となって五体に刻み込まれているわけなんです。
いまも、わたしのなかで生きているクラウディオ・アバドです。
そんなアバドが、もっとも得意とし、愛した作曲家のひとりが、グフスタフ・マーラーです。
若き日々から、晩年まで、ずっと演奏し続けてきたマーラー。
そして、奇遇にも、明日、神奈川フィルハーモニーは、第300回目の定期演奏会を迎え、その記念すべきプログラムは、マーラーの「復活」なのです。
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第300回定期演奏会
マーラー 交響曲第2番 ハ短調 「復活」
S:秦 茂子 A:藤井 美雪
川瀬 賢太郎指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
神奈フィル合唱団
2014年6月27日 (金) みなとみらいホール
1970年の第1回から、300回の記念に相応しい選曲です。
新公益法人への移行も実現し、新常任とベテラン・世界気鋭の指揮者体制を占うチャレンジ曲でもあります。
聴く前から、感動に震える自分が見える、そんな予感です。
すっかりおなじみの「復活」を、アバドの誕生日に、2日間かけて、アバドのその録音すべてを、とっかえひっかえ聴きます。
S:キャロル・ネブレット A:マリリン・ホーン
クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団
シカゴ交響合唱団
(1976.2 @シカゴ、メディナテンプル)
大学時代に学校の生協ですぐさま購入し、夢中で聴きまくった名盤で、アバドの初マーラー。
自分にとって、アバドのマーラーのなかで、一番思い入れのある1枚。
もう37年の月日が経ってしまったけれど、シカゴのシャープな響きと、スリムでしなやかなアバドの感性とが見事に合致した完璧な「復活」だと思います。
S:チェリル・ステューダー Ms:ヴァルトラウト・マイアー
クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
(1992.11@ウィーン・ムジークフェライン、ライブ)
1971年からは、ウィーンフィルのパーマネントコンダクターとして、ウィーンフィルとはずっと長らく切ってもきれない関係を保ち続けましたが、ベルリンフィルへ就任し、このマーラーのライブのあとあたりから、どうも関係がぎくしゃくし始めてしまいました。
シカゴ盤から16年。
音楽の隅々に、たっぷりとした貫禄も備わり、表現の幅が大きくなった。
そこにウィーンフィルならではの、丸みのある音色と、ムジークフェラインのまろやかな響きが加わって、シカゴに聴かれるエッジの効いた鋭さが後退したような感じです。
この演奏は、ライブならではの、最後に向かってじわじわと盛り上がってゆく様子が、とても感動的で、ラストの合唱を交えた音楽の高まりは、作為性がまったくなく、自然に築かれた頂点として受けとめることができます。
オペラを知りつくした指揮者とオケ、合唱、独唱者たちです。
2楽章と3楽章も、オケの魅力も感じるしみじみ演奏であります。
S:エィエリ・クヴァザヴァ Ms:アンナ・ラーソン
クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
オルフェオン・ドノスティアルラ合唱団
(2003.8@ルツェルン)
こちらは、さらに9年。シカゴからは、25年の四半世紀が経過。
アバドは、病を経て、それを克服して、ベルリン卒業後のあらたな活動として、ルツェルンに若者とヨーロッパのお気に入りの仲間たちを呼んでスーパーオーケストラを創設しました。
そのスタートも呼ぶべき第1年目のコンサートのライブ。
映像でも出てます。
映像では、まるわかりだけど、尋常じゃない、オーケストラの乗りっぷりと、まんまんのやる気が、音からでもしっかり伝わってくる。
アバドの音楽は、年月を逆行して、前のウィーンよりも若返ってしまったくらいに、ハリと艶、そして明るさに満ちています。
この特徴は、ルツェルン時代に通じてのもので、アバドの行きついた、そして同時に極めつつあった高みで、音楽をすることの喜び、それを演奏を通じて聴き手に届けたいという想いの昇華にほかありません。
指揮をするアバドの顔には、微笑みがあり、オーケストラは、そんなアバドのことが好きでしょうがなくて、尊敬と親しみの顔で見上げながら、自主的なアンサンブルをお互いに聴きあいながら楽しんでいる、という図にございます。
このコラボレーションは、昨年まで10年間続きました。
もう、あとはナシでもいいような想いがしてます。
このルツェルンの「復活」を聴くと、葬送という暗から、最後の審判を経ての復活の讃歌の明、という図式は、あまり思うことなく、深刻さよりは、音楽すること、そのものの行為の喜びにあふれたシンプルな演奏に思います。
そして、音楽の密度と精度が極めて高いところが練達の由縁です。
どの「復活」にも、アバドのマーラーの刻印がしっかり押されてます。
ありがとうクラウディオ、これからもずっと、ともにあり、聴いてまいります。
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コメント
お久しぶりです。
アバドといえば、私は中学生時代に
ヴェルディ「マクベス」、ストラヴィンスキー「春の祭典」、マーラー「復活」の3つで夢中になりました。
アバドの復活は、私にとっても特別な演目です。
投稿: astar | 2014年6月28日 (土) 18時01分
astarさん、こんにちは。
あげられたアバドの3つの音源。
わたくしもすり減るほどに聴きまくった3点です。
70年代中ごろのアバドの演奏は、後年の充実期とはまた違った鋭さや、スピード感がありました。
アバドの「復活」。
ずっと大切にしていきたいですね。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2014年6月29日 (日) 10時13分