藝大フィルハーモニア定期演奏会 尾高忠明指揮
眩しい青空と、濃い緑。
こちらは、本日(6月13日)の、横浜です。
午後から横浜、そのあと、上野にとって返し、こちらも緑豊かな公園と森を抜け、東京芸術大学奏楽堂へ。
局所的に、雷雨があった日中ですが、幸いにも、怪しい雲は確認しながらも、雨に会うことはありませんでした。
R・V・ウィリアムズ タリスの主題による幻想曲
ディーリアス 「村のロメオとジュリエット」~楽園への道
ウォルトン 交響曲第1番 変ロ長調
尾高 忠明 指揮 藝大フィルハーモニア
(2014.06.13@東京藝術大学奏楽堂)
こんなわたくしの大好きな英国プログラムに、飛び付かないはずがない。
初藝大フィル、初奏楽堂でした。
1100席のほどよい規模で、木質の肌触りのホールは、とても心地よい響きで、音の溶け合いも自然で、素晴らしいものでした。
そして、歴史ある藝大フィルも、とても上手くて、フレキシビリティの高い上質なオーケストラでした。
尾高さんが、演奏終了後、指揮棒をマイクに替えてお話されましたが、その中で、英国音楽の素晴らしさ、英国と日本のつながり、そして、3様の異なる性格を持つ今回のプログラムを完璧に演奏しきったオーケストラのことを誉めていらっしゃいました。
古雅な英国王朝時代に想いを馳せることのできるようなRVWの渋い響き、ディーリアスの中でも一番メロディアスでロマンティックなロメジュリ、不安と緊張のなかに、輝かしさも導きださなくてはならないウォルトン。
この3つの様相を持つ3曲でした。
尾高さんの、共感あふれる指揮あってこそ描き出されたものです。
前半の静、後半の動。
タリス幻想曲は、コンサートで聴くのは初めてで、弦楽の奥、フルオケの金管席に、9人の第2奏隊が陣取り、ふたつの弦楽との掛け合いが、教会礼拝の交唱のように溶け合い、その響きがCDで聴くより数倍も耳に美しく、優しく届いたのでした。
ヴィオラのソロも、弦楽の中で分割して奏される四重奏も、いずれも素晴らしかった。
いつもは漫然と聴いてしまうこの曲ですが、こんなにいい曲だとは思わなかった。
そして、ディーリアンを自認するわたくしの、なかでも大好きな「村のロミ・ジュリ」。
寒村で、対立しあう家々の若い男女の愛が、破れ、ふたり、ゆるやかに流れる川に小舟を出し、船底の栓を抜き、やがてその舟は静かに沈んでゆく・・・・
(→「村のロミオとジュリエット」の過去記事)
こんな哀しい物語の後半に演奏される間奏曲は、そのドラマを集約したような、触れれば壊れてしまいそうな、儚くもデリケートな音楽。
そして、胸の熱くなるような盛り上がりも内包。
何度聴いても、美しい音楽で、思わず涙ぐんでしまうわたくしです。
尾高さんの指揮では、これが3度目、あとプロムスでのライブも録音してますが、今回が一番よかった。
この曲の精緻な魅力が、このホールと、オーケストラによっても活かされているように感じましたし。
うってかわって、ダイナミックなウォルトンの音楽へ。
フルオケで、金管・打楽器もばりばり。
ほぼセンターの席でしたが、こうした曲は、後方席の方がよかったかも。
前半では、最高の席でしたが。
しかし、ウォルトンの音楽、ことにこの交響曲は、リズムが全編にわたって、かっこいい。
映画音楽にも通じる活劇的な要素も感じとれる。
第二次大戦へとひた走る時代に作曲されたこの曲には、そうした不安や、割り切れないもどかしさ、憂愁が満載ですが、終楽章に至って、グローリアスな響きにようやく満たされるという、暗→明という、交響曲の常套ともいうべきあり方を備えてます。
1楽章では、音がやや混在して、耳に響いてこないように感じましたが、それは聴いた席かもしれませんし、このホールのシートの背当てにどうも馴染めず、落ち着かないせいもあったかもです。
しばらくすると、このシリアスな音楽に、いつも通り、こちらの耳もついてゆくことができ、のめり込むようにして聴きました。
クセになるほどの刻みのリズムがずっと耳に残る1楽章。
やたらと難しそうな、ややこしいスケルツォ。
変拍子が、指揮者もオケも大変そうだけど、このコンビ完璧。
いたたまれないほどの憂鬱さと、晦渋さを持つ3楽章は、これもまたライブで聴いてこそ、全容がわかるというもの。クライマックスでは痺れるほどの感銘を受けました。
そして明るい終楽章。盛り上がるフーガ形式の重層感。
回想風のトランペットも完璧に決まる。
ラストは、ティンパニ2基、銅鑼、シンバルなど打楽器の乱れ打ちで、いやでも超盛り上がりに興奮のわたくし。
思わずまた、カッチョエエ、と心のなかで快哉を叫ぶのでした。
いやはや、無理して行ってよかった、素晴らしいコンサート。
上野公園を横切り、時おり、雲の合間から顔をのぞかせる満月を見上げながら、帰宅の途につきました。
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