R・シュトラウス 「死と変容」 アバド指揮
梅雨も、本格化、いや、この激しい雨は、日本の情緒ある梅雨じゃない。
でも、巷には、パステルカラーの紫陽花が咲き乱れてます。
雨がどんなに降ろうが、なにしようが、強い紫陽花なのです。
こちらは、都心の品川神社の絵馬の後ろから、元気よく咲く紫陽花。
いたずら書きは、やめてね。
R・シュトラウス 交響詩「死と変容」
クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
(1984.4@キングスウェイホール、ロンドン)
本日、6月11日は、リヒャルト・シュトラウスの150年目の誕生日です。
シュトラウス好きとして、困ったことに、すっかり失念していて、昨日も、ディーリアスの没後80年の命日であること、こちらも忘れてまして、いろんな方から、お教えいただきました。
メモリアルは、それこそ、メモっといて、手帳か、座右に備えておかなきゃ無理ね。
まして、自分の家族や自分の誕生日すら忘れがちなもんで。
シュトラウスの音楽は、体系的に、本ブログではかなり取り上げてきました。
一部を除いて、聴き尽したと言ってもいいかもしれません。
その一部とは、作品番号のない曲や、初期のもの、膨大な歌曲、室内作品などです。
これまで聴いてきて、やはり、シュトラウスの本領は、オペラです。
劇作とのコラボレーションが、自身の細やかな指摘や注文、それに万全に応え、それ以上に霊感をあたえられることが出来た台本作者との間で、完璧な仕上がりを見せたオペラ作品たちが、それにあたります。
ブログ開設前に、一度。
開設後に一度記事にして。
シュトラウスのオペラ全作品・全曲聴きをしております。
今年、またやりたいけれど、昨年、ヴェルディも頓挫してしまったので、軽すぎのお約束はいたしません。
初回と異なる音源や映像で、全作また楽しめるはずですので、こちらはまたゆっくり取り組みたいと思います。
あっ、ヴェルディも残りをゆっくりですが、やりますよ。
LSO時代のアバド。
CD初期、まだ1枚、4200円もしたCDで購入したのが、当時アバド初挑戦だったR・シュトラウスの1枚でした。
本ブログ2度目の記事です。
アバドは、R・シュトラウスとは、遠くて近い、そんなお付き合いだったかと思います。
本質的には、楽譜にすべてのものが書かれている、しかも雄弁なオーケストレーションに対しては、アバドは意外と不向きです。
写実的なものより、作者が、どう想い、どんな心境での作品だったかを、おもんばかり、その思いに寄り添うような指揮を心がけるのがアバドじゃなかったかと、思うわけです。
シュトラウスの音楽は、完璧で、それ自体が完成された芸術品でもあるわけで、普通に鳴らせば、じつによく聴こえ、耳にも心地よい。
オペラの場合は、そうはいかない場面が多々あるし、複雑な思いを持ったシュトラウスの登場人物への切り込み具合も、指揮者には求められるわけです。
ですから、オペラを指揮し、わかった指揮者と、交響詩などのみを振る指揮者とでは、同じ交響作品でも、表面の美しさ以外のシュトラウスの歌心とも呼ぶべきもの、プラス、オペラにおける人物描写の深み、といったようなものの、相違が大きく出るような気がしてます。
クラウス、カイルベルト、ベーム、カラヤン、スウィトナー、サヴァリッシュ、ハイティンク・・・などは、完全にオペラ指揮者としての、シュトラウス解釈だったと思います。
蛇足ながら、プレヴィンのシュトラウスは、豪奢でありつつ、音色にもコクがあって、素敵なものですが、さて、オペラの機微は描けるだろうか、と思うと微妙なところで、その点、プレヴィンは真面目すぎるんだろうと思います。
メータや小澤も、そんな感じがつきまといます。
では、アバドはどうでしょう。
この点では、わたくしは、微妙です。
第一、アバドのシュトラウスは少なすぎて、著名な、ツァラや英雄の生涯なんぞには、目もくれず、「ドン・ファン」「ティル」「死と変容」「ブルレスケ」のみ。
オペラでは、「エレクトラ」のみで、唯一ジルヴェスターの「ばらキシ」があるのみ。
この選択こそが、アバドのシュトラウス感でしょうか。
シュトラウスのオペラの中でも、じつは、一番過激なのが「エレクトラ」。
世紀末ムードは、極端な不協和音と、激しい和声、強烈な個性の登場人物たちによって、いやでも高められます。
「サロメ」なんかより、よっぽど過激。
その当時の先端音楽を、アバドならではの心理的な解釈と、絶叫を配した抑えたムードの中に落とし込みました。
アバドのシュトラウスは、従前のギンギン系でない、純音楽的な解釈のもとに、音楽そのものが、自然と語る、そんな演奏を根差したものだったのです。
ですから、高性能ロンドン響との、この1枚も、激しさを排し、音楽のしなやかな流れを重視した流動的な演奏なのでして、初聴きのときは、不甲斐なく思ったりもしましたが、いまは、それは極めて音楽的に完璧な演奏に聴こえるのでした。
1889年、シュトラウス25歳の作品で、貧しい日々を病で終えんとする人物の、楽しい日々や戦いの日々、愛の日々の回顧、そして、鉄槌の下される容赦ない死へとつながる、そんな描写のなか、4つの部分を持つシンフォニックな要素のある作品です。
手持ちのアバドの「死と変容」の音源は、あとふたつ。
シカゴ交響楽団(1981.10.1 @シカゴ、オーケストラホール)
ベルリン・フィル(1994.4.6 @ザルツブルク)
ロンドンの前、シカゴでのライブは、オーケストラの鋭い切れ味が魅惑的で、あの一連のマーラー・シリーズを思わせる歯切れの良さと、立ち上がりの反応の素晴らしさを見せつけられます。
それと、ベルリンでは、演奏解釈の懐がもっと深くなり、タメや歌心地の豊かさが増してます。
オケの持つ威力や、味わいも味方にした、アバドならではの協調的な演奏で、聴いていて、とても自然。素晴らしい。
アバドは、ベルリンに登場し、今年、この曲を指揮するはずでした・・・・。
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コメント
ご無沙汰しております。
お元気でご活躍のことと存じます。
思いがけない事件がありましたが、私は今も作品を聴いております。
新垣さんご自身の作品も聴いております。
実は、新垣隆さんとゲストの方とのコンサートがありますのでお知らせ
したくて書いております。
6月28日土曜日、19時15分開演。東京小金井市民交流センター小ホール
問い合わせ、チケット予約は0120-240-540です。会費は2000円です
美しいピアノの音色、素晴らしい作品、あたたかなお人柄です。
もしよろしかったらと思いコメントさせていただきました。
ブログ主様、お身体大切に 良い日々をお過ごしください。
いつも素晴らしいブログをありがとうございます。
投稿: はんな | 2014年6月13日 (金) 15時01分
はんなさん、こちらこそご無沙汰をしております。
暇さえあれば、ジャンルを問わず、相変わらずの音楽三昧をしております。
まったく後味の悪いことになりましたね。
作品には罪がなく、あれらがうまく存続できたらという思いは、事件後も変わりない気持ちです。
そして、素敵なお誘い、実にありがとうございます。
29日は、午前がお仕事で、午後にもしかしたらコンサートに行くかもしれず、そのあと会合が入っておりまして、残念ながら、その時間に小金井まで向かうことはできそうにありません。
とても残念です。
演奏会の様子を、またお聞かせいただけると幸いです。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2014年6月14日 (土) 11時18分
ブログ主様、お返事ありがとうございます。
ますますご活躍で何よりです。
私は身体が弱く、安静にしていることがよくあります。
音楽が何よりの楽しみ喜びです。
気にいった作品はリピートして一日中聴いていることがあります。翼がはえて美しい清浄な世界を舞っているような至福の時です。
6月7日の新垣隆さんの演奏会は身体が不調であきらめましたが、素晴らしいコンサートだったそうです。
新垣隆さんの誠実で謙遜なあたたかいお人柄があふれていたそうで、そのお話を聞いただけで嬉しさがあふれました。
実名ではなく書かれた作品が大切にされ、未発表の作品も世に出ることを
願っております。
28日のコンサートが心にあたたかく響く清浄なコンサートになりますようにお祈りしております。
ブログ主様、お元気で良い日々をお過ごしください。
投稿: はんな | 2014年6月16日 (月) 08時31分
はんなさん、こんにちは。
お体のこと、そうですか、どうかお大事になさってくださいね。
音楽は、どんな聴き手の方にも、等しく喜びと優しさを降りそそいでくれます。
これからも、素晴らしい音楽に触れていかれることと、わたくしも応援しておりますね。
そして新垣作品についても、こうして、静かに沁みとおるようにして、人々の耳に届くようになっていくのでしょうね。
これまでのように、大騒ぎされず、静かに。
それがいいですね。
どうもありがとうございます。
投稿: yokochan | 2014年6月18日 (水) 23時01分