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2014年7月

2014年7月29日 (火)

カルロ・ベルゴンツィを偲んで

Bergonzi

またひとり、忘れえぬ音楽家の訃報が届きました。

イタリアの純正テノール、カルロ・ベルゴンツィさん。

1924年7月13日生まれ、2014年7月25日没。

ミラノの病院にての逝去とのこと。

ちょうど90歳。

万全の自己管理と、長命を保ったその声も、90歳という年波には勝てなかったということでしょうか。

いよいよ寂しい。

引退して久しい、でも、80歳ぐらいまで歌い続けたし、CD録音もデジタル時代になっても盛んだった、この生粋のイタリアの大テノールの死をもって、イタリア・オペラのテノールの黄金時代は、完全に幕を閉じたと言ってもいい。

それほどの大歌手でした。

オペラに親しんだ若き日々、デル・モナコの交通事故後の日本公演をテレビで見て、フランコ・コレルリとテバルディの来日デュオもテレビで観劇。
そして、NHKイタリアオペラで飾ったNHKホールのオープニング記念の「アイーダ」で、ベルゴンツィをテレビ観劇。

この3人こそ、わたくしのイタリアオペラのテノール御三家です。

 ですから、ラダメスは、いまもって、ベルゴンツィが一番。

Tosca_callas

それと、カヴァラドッシです。

テレビで観た「アイーダ」とともに、仔細に観た「トスカ」にも心奪われました。

プッチーニの音楽に目覚めたのも、1973年のこのNHKイタリアオペラでのこと。

この時は、美しい伝説的なカヴァイバンスカのトスカに、フラビアーノ・ラボーのカヴァラドッシ。
このラボーが、とてもよくって、その風貌もどこかベルゴンツィに似ている。

そして、そのとき買ったのが、カラスの「トスカ」。
ベルゴンツィがカヴァラドッシなのでした。
このレコードも擦り切れるほどに聴きまくりました。
後に気付いたのは、カラスの声の荒れ具合で、絶頂期をすでに過ぎていたこの録音なのでしたが、ベルゴンツィと、スカルピアのゴッピは、最高潮の歌いぶりで、いつもレコードに合わせて、カヴァラドッシとスカルピアの二役を、歌っていたものです。

このようにして、ベルゴンツィの歌を聴き始めたのですが、レコードにCDに、彼の出演する音源を、いったいどれだけ持っていることかわかりません。
 あらゆる指揮者、レーベルに重宝され、常にテノールの主役はベルゴンツィとなることが多かった。
デル・モナコとコレルリが、早くに声を亡くし、引退してしまったことも大きいですが、ベルゴンツィの声の特質が、リリカルなベルカントから、スピントの聴いたドラマティコまでをカヴァーする広大なレパートリーをものにしていたことが大きいです。

そして、その歌いぶりは、危なげがなく、常にフォルムがしっかりとしていて崩れず、知的かつスタイリッシュなもの。
ですから、破滅的な役柄や、暴走系、悪人系には、まったく向いていません。
カヴァ・パリの二役を歌ったのは、カラヤンのコントロール下にあったからにすぎません。

でも、ヴェルディならば、突進型や甘い色口系でも、ベルゴンツィの抑制の聴いた歌唱であるならば、ヴェルディの音楽の持つ本来の魅力を巧みに、多面的に引き出すことができて、どのタイトルロールも、まったくもって素晴らしいのでした。

ですから、ベルゴンツィは、真正なるヴェルディ歌いなのです。

そんな中から、わたくしの愛聴久しいヴェルディは、「カラヤンのアイーダ」「セラフィンのトロヴァトーレ」「クレーヴァのルイザ・ミラー」「ショルティのドン・カルロ」「クーベリックのリゴレット」「ガルデッリの群盗」「ガルデッリの運命の力」・・・・、あぁ、枚挙にいとまがありません。

Bergonzi_cd

後進を指導することにかけても、なみなみならなかったから、日本の歌手の方でも、ベルゴンツィに教えを仰いだ人が多いのではないでしょうか。

何度も来日していながら、ついぞ実演に接することはありませんでした。

今宵は、以前も取り上げたソロCDを聴きながら、哀悼の念を捧げたいと存じます。

ヴェルディ、マイアベーア、プッチーニ、チレーア、プッチーニの名品が、ガヴァッツーニの指揮によっておさめられた1枚です。

ビンビン響くベルゴンツィの声は、一点の曇りもなく、空は真っ青に突き抜けてます。

心も、耳も洗われるというのは、こういうことなのでしょうね。

カルロ・ベルゴンツィさんの、魂が安らかならんこと、お祈りいたします。

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神奈川フィルハーモニー音楽堂シリーズ第2回定期演奏会 鈴木秀美指揮

Minatomirai20140726

暑すぎた桜木町駅前。

暑いという言葉しか出てこなかった、土曜日の昼下がり。

ここから、線路の向こう側にわたって、紅葉坂を登るのだ。

ふだんなら、なんのことはない坂道だけど、この日ばかりは、考えただけでも逡巡してしまいました。

バスを乗る年でもないだろうと、思った自分が間違ってました(笑)。

大汗かいて、会場の県立音楽堂に到着しました。

そんな苦難ともなうコンサートの始まりまでの道のりでしたが、帰りの下り坂は、なんのことはない、涼しい風が吹き、上気した頬も、気持ちよく冷ましてくれる、そんな風向きに変わってましたが、気持ちのよさは、風ばかりでありません。
 そう、いま聴いたばかり音楽が、実に心地よかったからなんです。

Kanaphill20140726

  C.P.E.バッハ  シンフォニア ニ長調 (1776年)

  ハイドン       交響曲第88番 ト長調 「V字」 (1787年)

  ベートーヴェン   交響曲第5番 ハ短調             (1808年)

  ハイドン       交響曲第77番 第2楽章(アンコール)

   鈴木 秀美 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                  (2014.7.26 @神奈川県立音楽堂)


鈴木秀美さんの、神奈川フィル初登場。

鈴木さんは、古楽の王道を歩んでこられたチェリスト・指揮者です。

ごく軽く、そのバイオをご案内しますと、チェロは、かのバロック・チェロ復活の先駆者アンナー・ビルスマに師事され、ブリュッヘンの「18世紀オーケストラ」、レオンハルトとクイケンの「ラ・プテット・バンド」で演奏もされ、さらに兄上の鈴木雅明さんの「バッハ・コレギウム」でも弾いておられました。
指揮者としては、「リベラ・クラシカ」を創設して、ハイドン演奏を中心として、古楽道をチェロ、指揮ともに極められている方であります。

大バッハの一族は、ちょいと調べると、それこそ頭が痛くなるほどにたくさんいらっしゃって、それぞれが、みなさま、同じような、○○・○○○・バッハと呼ばれていて、さっぱりわからない。

そんななかでも、耳に一番残っている方が、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハさんでございます。
大バッハの息子にして、ハイドンより、20年くらい前の先輩。
今年が生誕300年にアニヴァーサリーです。

初聴きの音楽ですが、緩急の明確な、そして、細やかなセンスにあふれた音楽に、そしてまさにそんな演奏であったように思います。
聖響さんのときいらいの、第1と第2ヴァイオリンを左右にした対向配置。
でも、コントラバスは右手。
のちにハイドンから登場のティンパニは、一番左手。
トランペットも左、そんな違いがありました。

優しく柔軟な古楽奏法による再現であると思いました。
ふだん聴かない音楽であるCPEBさんも、どこかやさしげで、にこやか。
随所にあるソロ、ことに、山本さんの緩やかかつ伸びやかなチェロは光ってます。
ハイドンでも、同じく、素敵な、いつもの山本さんらしいソロが聴かれたのは、この日の楽しみのひとつでした。

 次いで、お馴染みのハイドン 「V字」。
ハイドンになると、その旋律とリズムのほとんどが、耳にもお馴染みで、親しみやすい、それこそ微笑みすら覚える音楽たちとなりまして、とても安心します。
 そんなまさに、親しみと安心感を、現代楽器でありながら、ヴィブラートを抑えた古楽奏法でもって感じることができるのは、鈴木さんという練達の導き手があってのもの。
 閉塞感が出かねないノンヴィブラートですが、このハイドンの演奏のキリリ感と、のほほん感との対比。
遊び心のあるユーモア感、そして疾走感、ともどもに、現代奏法ではグラマーになってしまうところが、指揮棒を持たずに、腕やたぶん表情なども豊かに使いながら、鮮やかに表出していたように思います。
 ツィーー、ツィーーという弦は、歯切れも一方で良くって、軽快な管がそこにからみ、乾いたティンパニがそれらを支え、アクセントを添えてます。
 たっぷりしたハイドンも、ときに恋しいときがありますが、いまやハイドンの演奏は、こんな俊敏さが、耳に心地よいと思うようになりました。

 さて、メインデッシュの第5ですよ。

これほどの曲になりますと、みなさんそれぞれに、耳にしみついた、「タタタターーン」がありますよね。
わたくしなどは、古めの、それこそフルトヴェングラーから入って、千円のレコードのハンス・ユイゲン・ワルターで普通演奏に馴染み、カラヤンのスピード感に痺れ、そのあとも、いまもずっといろいろありつつ、K・クライバーの意欲満載、切羽詰まったような「タタタターーーー」が、理想形としていまに至っているのでございます。

シュナイト翁の実演第5は聴き逃しましたが、聖響さんの第5は聴きました。
迷いも感じられたあの頃の聖響さんでしたが、配置は対向ながら、奏法は割とオーケストラの自発性に任せているようなところがあって、同時に演奏された8番とともに、ナチュラルなベートーヴェンが出来上がっていました。

ベートーヴェンあたりになると、校訂版の問題や、奏法の問題もあって、いま現在演奏するのに、それこそ、そうした検証も踏まえたうえでの個性が求められると思います。
 ベーレンライター版を用いるか、従来のブライトコップ版とするかで、まずはテンポの点で、その印象は大きく異なるのですが、この日の演奏は、当然にベーレンです。

俊足感が豊かで、休止は極端なまでにない、「タタタターンタタタターン」でありました。
 これになれちゃうと、不遜ながら、フルトヴェングラーやバーンスタインはツライです。
でも、クライバーは長いけど、音が立ってるような勢いがあるので、いまでも全然OK。
カラヤンは、しっかり切るけど、伸ばしが短くて、しかもスピーディだから、こちらも今でもOk。
先に亡くなったマゼールも従来演奏だけど、かなりモダーンな感じですよ。
同じく、亡くなったアバドも、ブライトとベーレン、両方録音してるけど、やはりキレのよさで、OK。

そして、この日の鈴木&神奈川フィルの第5は、全曲にわたって、わたくしの好みの演奏でした。
1楽章は、先にふれたとおり、拍子を鮮やかに振り、音もばしばしつながり、でも、ぱっつんぱっつん。
でも、ガーディナーやインマゼールのような同業のようにせわしくなくって、せかせかして感じないところがよかったんです。
 古楽奏法のエッセンスを、現代の楽器を持つオーケストラに巧みに注入しつつ、スピード感と豊かな歌、その両方を見事にベートーヴェンの音として、われわれの前に並べて見せた。
そして、鈴木さんのオーボエが、また実によろしかったです。

2楽章の伸びやかさは、神奈フィルの各奏者の皆さんの、いつも聴く若々しさと、聴き合う連帯感のような味わいが殺されずに活かされた、鈴木さんの指揮。

古楽系の方特有の、ニュアンスを引き出すような指揮ぶり。
 往々にして、出てくる音は、セカセカ・ぱさぱさとなりかねないのですが、この日のこのコンビのベートーヴェンは、わたくしには、出来たてのゆで卵を食すような、そんなワクワク感と、ホクホク感。
第5の音楽を初めて聴いたときからとっくにわかってるのに、殻をむいて、食べてみて、その美味しさにニンマリする。
そんな感じだったのです。

3楽章から終楽章にかけての慎重でありながらも、巧みに盛り上がるさまは、曲本来の力もさることながら、指揮者の想いに、一生懸命ついて行きつつも、その世界にすっかり心酔してしまった神奈川フィルのフレキシブルな能力にほかありません。

数えたら、第5のステージに乗ったオーケストラは、総勢53人。
クリアーでありつつ、ティンパニの強打に裏打ちされた力強いサウンドも、存分に楽しめました。
第5なんて。。。と思っておりましたら、とんでもない、実に新鮮な想いを与えていただきました!!

楽員さんも立たない、指揮者を讃える舞台と客席の拍手が長く続き、アンコールは、鈴木さんいわく、コッテリ高カロリーの第5のあとは、デザートにハイドンをご用意しております・・でした。
繰り返し効果の可愛い77番の緩徐楽章でした。

鈴木さんの客演、またお願いしたいところです。

宮本さんに続いてのハイドン、来年となりますが、川瀬さんも参戦。
ハイドンシリーズを音楽堂で定番化していただきたいですね。
この日も、指揮者と楽員さんとの間には、微笑みや、うれしそうな充足の笑顔がありました。
ハイドンって、そんな風に、演奏家同士を結びつける何かがあるのでしょうね。
そんな風に思いながら聴けた、今回のコンサートでもありましたし。

この日は、神奈川フィル勤続35年の第2ヴァイオリンの栗山さんのご退職が発表され、コンマス崎谷さんより、花束贈呈がございました。

栗山さん、お疲れ様でした。

もう何度か、こうした景色は客席から拝見してますが、いつもお馴染みの楽員さん達が、去って行かれるのは、とても寂しいです。
 そのかわり、オーケストラには、新たな顔がまた育ってきて、その彼らも、わたしたちから見る神奈川フィルの顔になっていくんですね。

お約束の、We Love 神奈川フィルの懇親会は、野毛の街へ進攻!

Kamon_1

居酒屋「かもん」へ。

食事は、三浦漁港産のマグロ。

ブルーダル君も、うれしそう。

神奈川産のものだけの、神奈川コース、いただきました。

横浜発の居酒屋さん、「かもん」のチョイスは今回初でしたが、料理もお酒も、実にナイスでした。

今回は、懐かしメンバーに、あらたなゲスト、神奈フィルの某スタープレーヤーたちのマネジメント会社さんの方にもおいでいただき、あっという間の楽しい時間を過ごしました。

Kamon_2

みてみて、これ。

豚肉ちゃんは、やまゆりポーク。
揚げものは、マグロ頬肉のカツですよ。

そのほかにも、たくさん。

次も勢いで、行っちまいましたが、この日も、神奈川フィルを多いに楽しみ、横浜の夜を堪能いたしました。

みなさま、神奈川フィルを是非、聴きにいらしてください
そして横浜で、一杯、楽しみましょう

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2014年7月25日 (金)

「Lion King」~「Can you feel the love tonight」 川口優美

Lion_king

梅雨も明け、暑い本格的な夏が始まりました。

でも、突然襲いくる雷雨は、予想も防ぎようもありませぬな。

南国化する日本。

そしてアフリカの国々も、昨今はより親しい存在に。

 わたくしは、ディズニーの音楽が、子供の頃より大好きで、ほんとのオジサンですから、いまや伝説と化した、日曜の朝に、毎週放送される、ディズニーの1時間番組を欠かさず見ていたものです。
 ウォルト・ディズニーが出てきて案内役をつとめるんですよ。

そこで流れる音楽の数々は、いまも聴かれるディズニーの名曲ばかりだし、戦中に作られた「ファンタジア」のクラシック音楽もそれらの中のひとつです。

Disney

わたしの愛聴盤は、ディズニーのオリジナル曲がたっぷり詰まった2枚のCD。

若い頃、そしてカミサンと付き合ってる頃、子供が小さい頃、それぞれにディズニーに行って楽しい思い出をたくさん残しましたが、いまや、きっとかの地にには行くこともないだろうと思われます(笑)。
 せめてもの可能性は、ひとり、夜のシーの方に進攻し、夜景を眺めつつ、酒を飲んで帰ってくるという、大人な行動ぐらいかも・・・・。

「ライオンキング」は、1994年が初公開。

音楽を一部担当したエルトン・ジョンの「Can You Feel The Love Tonight」は、心に残る名作です。

映画の中では、明るいコミカルな感じで歌われてましたが、エルトン・ジョン自身は、もっとしっとりと歌うべき、扱うべきとして譲らなかったとされますね。

わたしの、先のこのCDでは、劇中の歌がそのままに、明るいバージョンで収録されてます。



ちょいと明るすぎるし、キャラ色が前に出すぎかと・・・・

そして、本家、エルトン・ジョンのリリックバージョンは。

やっぱ、こっちの方がいいね。

エルトン・ジョンは、歳が大バレになりますが、中学時代に流行った「Good bye yellow brick road」が、とても好き。
ほんとに、息の長い歌手です。

そして、川口優美さんの歌。

ご自宅での動画ですが、ローソン企画放送の流れを受けて、前ヅラ+メガネちゃんで、ゆみにゃんヴァージョンでのお歌ですよ。

これがとても素敵で、本家E・ジョンよりも、しっとりとしてて、女性的で、情感豊か。
聴き惚れてしまいますね。

声のクリアなところもいいですが、言葉に乗せた感情も感じとれて、聴く人にさりげない優しさを感じさせてくれちゃうます。




いい曲、川口優美さんの、ステキな歌唱にございます。

実力派の歌い手、川口優美さんを応援してますよ。

クラシカルないつものわたくしの違う顔です。

 優美さんのクラウドファンテング→WESYM

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2014年7月22日 (火)

フランク 交響曲 ニ短調

Hibiya

内堀通り、祝田橋あたりから、日比谷濠を。

お濠の水面の青空がきれいな、実は梅雨入りまえの写真でした。

西から、徐々に梅雨明けしてきて、本日は関東甲信越地方。

しとしと雨はなくなり、短期集中の豪雨が多かった。

嫌な降り方でしたな。

そして、暑い暑いを連発する厳しい夏があと2ヶ月もあります。

しんどいけど、がんばりましょう。

今日は、フランクの交響曲を。

この曲、好きなんですよ。
CD屋さん行くと、必ずチェックする作品でもあります。
最近は、そうでもないけど、結構集めましたよ。
全部で、22種類。

そんな中から、選択したのが2枚のナクソス盤。


Frank_neuhold_3 Frank_benzi

  フランク  交響曲 ニ短調

 ギュンター・ノイホルト指揮 ロイヤル・フランダース・フィルハーモニー管弦楽団 

                        (1988.7@アントワープ)

 
 
 ロベルト・ベンツィ指揮 アーネム・フィルハーモニー管弦楽団

                        (1995.6@アルンヘム)


ナクソスレーベルの面白さは、まったく見向きもされない作曲家や作品にもまんべんなく目を向け、貴重な録音を継続してくれているところ。
 それに加えて、メジャーではない演奏家や団体も次々に登場させてくるところ。

ナクソスから録音デビューし、メジャーレーベルや自主制作も行うようになったオーケストラもあります。

このフランクの交響曲の2種の演奏は、ベルギーとオランダのオーケストラなところが気にいって、もうだいぶ以前に購入したものです。
 フランク(1822~1890)は、ベルギーのリエージュ生まれ。

Frank

フランダースフィルのあるアントワープ(アントウェルペン)と、オランダのアルンヘム、そして生地リエージュとの位置関係は、こんな感じです。

フランスでもなく、ドイツでもない、ベルギーとオランダは、ルクセンブルクと合わせて、ベネルクス三国と、世界史で習ったわけですが、文化的にもとても近いものがあると思います。
ただ、どちらかというと、ベルギーはフランス寄りで、オランダはドイツ寄りかな。

でも、どちらの国のオーケストラも、いかにもヨーロッパ的で、華やかさよりは、中間色の豊かな、くすんだ音色のイメージがあります。

ですから、フランクその人のイメージともぴったり。

ナクソスさん、やりますな。

フランダースフィルは、ヘレヴェッヘが指揮者となって録音も増え、来日もこなして、メジャー級の実力を発揮してますが、この録音は、オーストリアのノイホルトが指揮者時代のもの。
実に渋い演奏です。
霧がかかったような教会のある中世の街並みを思わせるような渋い響き。
フランク好きとしては、ゾクゾクしてくる第1楽章の始まりです。
録音も、ちょっとパリっとしてないところが、逆にまたいい感じです。
2楽章のイングリッシュホルンも、ほどよい渋さで聴かせます。
パリ管のようなあの艶やかな音色は聴くことができませんが、このフランダースの管の音色はとてもいいですね。
3楽章もさらりと流しつつ、淡々としてます。
ノイホルトさん、意外とテンポもよく、スタイリッシュな指揮ぶりなんです。
 そういえば、この指揮者は、激安リングの人でしたな。

そして、フランダースフィルは、いま、エド・デ・ワールトが音楽監督。
ワールトが若い頃にコンセルトヘボウと入れたフランクは、廃盤久しいですが、このオケで是非再録音してもらいたいですね。

 さて、もう1枚は、アルンヘム。
アーネムと呼んだほうがいいのでしょうか?
この録音当時は、まったく無名のオケだった。
そのあと、コバケンとジークハルトの録音によって、その素晴らしさと実力が知られるようになったオケです。
たっぷりとした厚みと、ふくよかさを感じるオーケストラです。
 ノイホルト盤よりも3分も長い演奏。
ベンツィは、若い頃は天才指揮者とか呼ばれていたけれど、ポストや録音に恵まれず、むしろ珍しい作品やオペラの録音に珍重されるタイプでした。
器用なんでしょうね。
このフランクは、かなり入念な指揮ぶりに感じます。
強弱のバランスに細心の注意が感じられ、音楽の表情はとても豊かで、いろんな音が聴こえます。
こざっぱりしたノイホルト盤と、大きく違う印象を受けますが、カラヤンほどのウマさはありません。
 辛口白ワインのノイホルト盤に対し、濃口の赤ワインを出されてしまい、少し戸惑ってしまうベンツィ盤。
まぁ、これはこれで面白い演奏ではありますね。
なにより、オーケストラがいいです。

このようにして、オーケストラを通じて、各国の各街々を地図でみたり、画像でみたりするのも、実に楽しいことです。

フランク交響曲・過去記事

 「バレンボイム&パリ管」

 「バルビローリ&チェコ・フィル」

 「コンドラシン&バイエルン放送響」

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2014年7月20日 (日)

プッチーニ 「ラ・ロンディーヌ」~つばめ~ マゼール指揮

Maazel_met

オールマイティのマゼールは、オーケストラ・ピットの中でも活躍しました。

ベルリン・ドイツ・オペラとの2度の来日で、トリスタンの日本初演を指揮、さらに70年には、ローエングリンやファルスタッフを指揮してます。
その後の来日は、スカラ座とのものが複数とフェニーチャ座ですね。
ウィーン国立歌劇場は短い在任期間でした。

そして、わたくしの注目するのは、バイロイト音楽祭への少ない登場。
60年に、30歳で「ローエングリン」を指揮して最年少デビュー。
その後は、ベームとスウィトナーのあとの、ヴィーラント演出の「リング」。
68年と69年の2年間。
結局、この3回しかバイロイトには登場してません。

この「マゼールのリング」が聴きたくてしょうがないのです。
「ベームのリング」が、フィリップスの名録音で、あれだけ鮮明な音で残されているのに、マゼールのリングも、バイエルン放送局に眠っていると思われてしょうがないです。
 新潮社のオペラシリーズで、発売されたことがありますが、音がかなりイマイチとのことでしたが、それでもいいから聴きたい。
 ついでに言うと、スウィトナーとシュタインのリングも、音源発掘して欲しい。

Maazel_bayreuth

バイロイトのサイトでも、マゼールの欄に生没年が載るようになりました。

そして、マゼールのオペラを語るうえで、ワーグナーとともに、忘れてならないのは、プッチーニです。
ヴェルディにも、多くの録音を残してますが、マーラーやシュトラウスに適正の高いマゼールの気質からしたら、やはりプッチーニ。

デッカへの60年代「トスカ」に始まり、CBSへの全作品録音計画を推し進めましたが、残念ながら、「エドガー」と「ボエーム」を残して中断してしまいました。
いまもって、プッチーニのオペラ全作を録音で残した指揮者はひとりもいません。
パッパーノが、いまそれに一番近いところにいるでしょうか。

プッチーニの音楽の魅力は、甘味で、耳に心地よい一方、大胆な和声と、さまざなな楽器を駆使した大編成オーケストラサウンドとにあります。
もちろん、そこに乗る、聴き手の心を揺らす、感情豊かな歌があってこそなのですが、何といっても、指揮者の力量が大切。
プッチーニは、マーラーやシュトラウス、新ウィーン楽派たちと同時代人なのですから。

ですから、カラヤン・マゼール・メータが、わたくしの思う三大プッチーニ指揮者なのです。
パッパーノは、かれら3人に比べたら、まだまだ大人しめ。
というか、3人の多少のアクの濃さや、オーケストラを上手く鳴らすことにかけての名人芸には、まだ敵わないと言ったほうがよいのか。

Puccini_la_rodine_maazel

  プッチーニ 「つばめ」~ラ・ロンディーヌ

 マグダ:キリ・テ・カマワ      ルッジェーロ:プラシド・ドミンゴ
 リゼット:マリアナ・ニクレスク  プルニエ:デイヴィット・レンドール
 ランバルド:レオ・ヌッチ      イヴェット:リリアン・ワトソン
 ビアンカ:ジリアン・ナイト     スージー:リンダ・フィニー
 ソプラノ:エリザベス・ゲイル   執事:オリヴァー・ブルーム

     ロリン・マゼール指揮 ロンドン交響楽団
                   アンブロジアン・オペラ・シンガース
                          
           (1981.11.21~6 ヘンリーウッドホール、ロンドン)


1917年、59歳の円熟期のプッチーニの「つばめ」は、前作「西部の娘」、次の「三部作」と最後の「トゥーランドット」の間にあって、とても地味な存在で、上演も稀だし、音源も決して多くはありません。

でも、わたくしは、この愛らしい作品が大好きなのです。

いつもドラマティックな筋立てのプッチーニのオペラの中にあって、人は死んだり、病になったりすることがなく、男女の出会いと切ない別れだけがその物語の中心なので、起伏が少なめで、劇場的な効果もあげにくい・・・・、とされてます。

しかし、その音楽は、聴けば聴くほどに素晴らしく思えてきて、プッチーニらしい、親しみ溢れる、センス満点の旋律の宝庫で、ウィーンのワルツや、それのみ有名な「ドデッタの夢」の甘味なアリア、随所に口づさまれる素敵なメロディ・・・・。
2時間に満たない、3つの幕のなかに、大きなフォルテはないけれど、それらの素晴らしい音楽がたっぷり詰まってます。

このオペラを記事にするのも、これで4回目。

  「アンナ・モッフォ&モリナーリ・プラデッリ」

  「ゲオルギュー&アラーニャ@メト」

  「ガスティア&ジェルメッティ」

 
それらの中で、このマゼール盤が、指揮者とオーケストラの秀逸さでは、群を抜いてます。
イタリアのオケと、メットのオケの、オペラティックな歌心を読んだ背景は、シンフォニーオケは歯がたちませんが、先にあげた、オケの近代的な魅力では、ロンドンの優秀なオーケストラは抜群でありますし、マゼールの緩急自在、ドラマの登場人物の感情の襞に沿うような巧みな指揮ぶりは完璧なものがあります。
 トスカやトゥーランドットでは、その大がかりな表情付けで、何度も聴くことがはばかれますが、この可愛いオペラでは、そんなことがありません。
 キリ・テ・カナワのクリーミーな、柔らかく雰囲気豊かな歌とともに、もう何回も聴いて、飽くことのない演奏です。

ただ、ドミンゴの分別ありすぎの優等生的なルッジェーロ君は、世間知らずのボンボンというよりも、中年の訳知りオジサンのように聴こえてしまうという妙な贅沢もあります。
 むしろ、わたしの好きなレンドールが、狂言回し的な役割を担ってますが、彼の甘い歌声の方が、ルッジェーロにお似合いで、ドミンゴと逆にした方がよかったと思います。

以前の記事から~

>「椿姫」と「ばらの騎士」を混ぜ合わせたようなドラマ。

~銀行家の愛人の女性が、田舎から出てきた青年と真剣な恋に落ちて、リゾート地で暮らすようになった。青年は晴れて母親の許しを得て、結婚に燃えるが、女性は、自分の身の上を恥じ、涙ながらに自ら身を引く~

もといたところに、再び戻ってくるのが「つばめ」。<

別れを決めたマグダが、自分の過去の身の上を切なく話し、ルッジェーロは、涙にくれて別れを拒絶する・・・・、夕暮れのなかの、そんなセンチメンタルな幕切れに、プッチーニの音楽は冷静さを保ちつつも、極めて美しく、聴いていて涙を禁じ得ません。

マゼール追悼シリーズの最後の音楽として、ここで筆を置きたいと存じます。

Maazel_mpo

          (マゼール最後のポスト、ミュンヘンフィルのHP)
 

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2014年7月19日 (土)

R・シュトラウス 「英雄の生涯」 マゼール指揮

Maazel_clo

72年から82年にかけて、セルの後を受けたクリーヴランド管弦楽団の音楽監督。

CBSでしか聴けなかったクリーヴランド管の解像度高い音を、デッカ・ロンドンサウンドで聴いたときの驚きといったらなかったです。

迫真のリアル感と、一点も曇りない明確な音は、なまなましすぎて怖くなるほどでした。
高校生から大学時代のこと。

ラヴェルやプロコフィエフで勝負に出たこのコンビは、古巣のCBSにも返り咲き、かなりの録音を残してます。
硬く感じたCBS録音を、このコンビと、メータ&ニューヨークは、デッカ的なヨーロピアンサウンドでもって変えてしまった気もします。

Maazel_clo_2

マゼールとクリーヴランドは、2度ほど来日してますが、この78年公演は、行きたかったけれど、直前になって不可となってしまいました。

ユニークな演目は、マゼールならでは。

このように、来日プログラムにひとひねりあるのも、この巨匠の面白いところでした。

 そのマゼールが、若き日々から、ずっと、つねに指揮し続けたのが、R・シュトラウスでした。
オペラの練達でもあったマゼールが、シュトラウスのオペラ録音を残さなかったのが不思議でなりませんが、管弦楽作品は、何度も録音を重ね、ロンドン、クリーヴランド、ウィーン、ミュンヘン、ニューヨークで、いくつもの音源を残してくれました。

それにしても、オペラがない。
「サロメ」や「エレクトラ」、「アリアドネ」なんかは、いかにもマゼール向きに思うのですが。

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  クリーヴランド盤

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  バイエルン放送響盤

  R・シュトラウス  交響詩「英雄の生涯」

    ロリン・マゼール指揮  クリーヴランド管弦楽団
                       (1977.9 @クリーヴランド)

  
                    バイエルン放送交響楽団
                       (1996.11@ミュンヘン)


マゼールのシュトラウスといえば、「ティル」と「英雄の生涯」だと思います。

レコードアカデミー賞を受賞したクリーヴランドとの名盤は、わたくしも忘れがたい1枚です。
メタリックなジャケットもかっこよかったし、録音もズシリとかつ明晰でよかった。

ただでさえ、かっこいい旋律が満載の「英雄の生涯」が、よりいっそう引き立ち、大見栄はるヶ所も、次々に決まりまくる。
それを高性能のクリーヴランドオーケストラが、こともなげに体現し、マゼールの棒についてゆく。
スピード感と、立ち上がりのよさ、切れ味の鋭さは、70年代のマゼールならではであります。
結局、この時期のマゼールが、一番面白かったし、好きでしたね。

80年代になって、ウィーン国立歌劇場の総監督になり、いよいよ頂点を極めるかと思われたマゼールですが、ウィーンという伏魔殿に屈し、ウィーンで挫折。
「タンホイザー」で、主役のゴールドベルクがこけて、ブーイングをくらい、マゼールも頭にきて、聴衆に向かって、親指を下にしてしまった・・・という記事を読んだ記憶があります。

さらに、その後のベルリンフィルの音楽監督も逃し、ベルリンとも決裂。

マゼールは、アメリカにまた帰り、ピッツバーグに専念。

ですから、80年代のマゼールは、どこか気の毒な感じだったのです。

しかし、そこはマゼールさん、90年代には、バイエルン放送響という名器を手にいれ、同団をさらに高性能のオーケストラに仕立てあがることになるのでした。
 そんな彼らの代表盤は、RCAレーベルに残したR・シュトラウス・シリーズです。
鋭さは、いくぶん後退し、そのぶん、音楽の運びに大人の余裕と、構えの大きさがあります。
わかっちゃいるけど、だまされちゃう、そんな濃口の演奏。
 細部に至るまで、目が行き届き、溺れるほどに濃厚な愛の情景を描きだしたかと思うと、そのあとの戦闘シーンの激烈な描き方は、クリーヴランド盤よりもレヴェルアップしてます。
最終章では、しみじみ感がハンパなく、苦心惨憺のマゼールの達した域を味わうことができる「英雄の生涯」なのです。
 バイエルンの機能性の高さと、音色の明るさ、輝かしい金管群の素晴らしさ。
いいオーケストラと実感できます。

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                 (バイエルン放送響のHP)

マゼールの、2000年代のニューヨークや、ミュンヘンでの「英雄の生涯」も聴いてみたかったものです。

私が聴いた最後のマゼールは、ニューヨーク・フィルとの来日公演で、それも思えば5番(ショスタコ)でした。

 「2006年 マゼール&ニューヨーク・フィル」

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2014年7月17日 (木)

ブルックナー 交響曲第5番 マゼール指揮

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マゼールと結びつきの強かった音楽都市のひとつは、ウィーン。

ウィーンフィルハーモニーとは、デッカの初期録音から、ずっとわたくしたちに馴染みのあるものでしたね。

思い出すだけでも、指がいくつあっても足りないくらいに、ウィーンとは数多くの録音を残してます。

ウィーンフィルとは、何度も来日してますが、最初が80年で、そのときはテレビ観劇。
田園と第5という、やたらと定番のプロを、NHKホールからの生放送で聴きました。
後日、ウィーンでの未完成とともに、このときの第5は、正規に発売されております。

その次の83年の来日公演を聴くことができました。
シューベルトとマーラーの5番のプログラム。
マーラーは、その当時のマーラー熱もあって、忘れることのできない凄演奏でしたが、シューベルトも、弾むような心意気のよい、清々しい演奏だったのです。
休憩中に、あの楽しい雰囲気の終楽章を口ずさんでいた人がいたのを、いまでも覚えてますよ。

そのあと、86年にもこのコンビはやってきて、チャイコの5番をメインとしたツアーでした。
これは聴くことができませんでしたが、ウィーンフィルが日本で自国もの以外の、ましてチャイコをやった初の機会だったかもしれません。

アバドのベルリン就任で、へそを曲げてしまったマゼールに、大人げなさと、アバドを揶揄する発言に怒りを覚えたわたくしは、それまで、マゼールを積極的に聴いてきたのに、裏切られたようで、以来、オペラを除いてあまり聴かなくなってしまったんです。

そのあたりまでの来演演目でお気づきのとおり、なぜか、「5番」ばかりなんです。

ベートーヴェン、シューベルト、チャイコフスキー、マーラー。

そして、ウィーンフィルとのコンビで、忘れてはならない名品が、ブルックナーの5番なのであります。

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   ブルックナー  交響曲第5番 変ロ長調

  ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                    (1974.3 @ウィーン、ゾフィエンザール)


ジョージ・セルのあと、クリーヴランド管を救い、最高のコンビネーションを生んだアメリカでのポストを持ちつつ、ウィーンでも継続的な活動が進行していたマゼール。

当時、専属だったデッカ=ロンドンチームの優秀録音のイメージも加わり、華やかな活動が目立った70年代のマゼールです。

この時代のマゼール、すなわち、クリーヴランドを中心に、ウィーンとロンドン、パリの録音が、実は、わたくしは一番好きなのです。

40歳代の血気あふれるマゼールの、完璧な棒さばきと、オーケストラを強引なまでに我がものとしてしまう、強靱な意思とその力。

どのオーケストラも、マゼールの指揮に、魔法がかかったかのようになってしまい、マゼールの世界に奉仕してしまってます。

あのウィーンフィルが、アバドのもとでは、自由自在に、のびのびとふるまっていたのに。
ベームのもとでは、ガチガチになりつつも、優美なモーツァルトを演奏してたのに。

かの有名なマゼールとの「ハルサイ」のキテレツてきなおもろさは、ハルサイ史上、いまもってナンバーワンだと思います。

その彼らの同時期のブルックナーは、これまた、新鮮きわまりない果実の甘みも、苦みも、ともどもに味わえる雰囲気豊かな名演なのでした。

ブルックナーの交響曲のなかでも、硬派な形式を持ち、禁欲的な宗教観も背景に感じさせる荘厳な作品。
ですが、そればかりでは、堅苦しくガチガチの演奏になりがちなのですが、マゼール&ウィーンフィルは、先にも書きましたような甘味さも含めせながら、明るく伸びやかなユニークな5番を造り上げました。

全体の構成と、かっちりした様式をしっかりと踏まえ、ブルックナーならではの、横へ横へ伸びてゆく旋律線を、ブツ切れにならないように、しっかり聴かせる。
リズミカルな場面も、生き生きとした味わいにあふれてる。
ドラマティックな展開も、急くことなく、堂々としている。
でも、細かなまでに、表情づけが豊か。
デフォルトする場面は少なめで、あくまで全体に流れはナチュラル。

そんな、ブル5に仕上がってます。

バイエルンとのブルックナー全集は、ひとつも聴いてませんが、こちらのウィーンでの5番は、きっとマゼールのブルックナーの一番の演奏ではないかと、確信してます。

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2014年7月16日 (水)

マゼールを偲んで マーラー 交響曲第4番 マゼール指揮

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                   (ベルリン・ドイツ響のHPより)

マゼールの訃報に驚いた14日の月曜日。

ボストン響との珍しい顔合わせによる来日のキャンセルや、PMFへもキャンセル。

4~5月は、いかにもマゼールらしく、世界を股にかけた活躍スケジュールが組まれていました。

ボストンでの来日プログラム、フィルハーモニアとのマーラー・チクルスの完成、ベルリンフィルへの客演などなど・・・・。
そのすべてが中止となり、そして、マゼールさんの死を持って、悲しみの訃報が届くこととなりました。

マゼールほどに、世界中のオーケストラを指揮し、それぞれの国に有力なポストを持った指揮者は、絶対といっていいほどにおりません。
日本も愛してくれたので、日本のオケへの客演も多かったですから、ロシア以外のオケは、世界中ほとんど指揮していたのではないでしょうか(きっとロシア・ソ連もあるんでしょうね)。

その歴任ポストを、列挙すると。

ベルリン放送交響楽団、ベルリン・ドイツ・オペラ、クリーヴランド管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団(准)、フランス国立管弦楽団、ウィーン国立歌劇場、ピッツバーグ交響楽団、
バイエルン放送交響楽団、トスカニーニ・フィル、ミラノスカラ座(准)、ニューヨーク・フィルハーモニック、ミュンヘン・フィルハーモニー

ということになります。

繰り返しますが、こんな指揮者、絶対いなかったし、これからも出てこないのでしょうね。

ロシアやハンガリー系の血を引きつつ、パリに生まれ、アメリカに育ち、米国籍を持ち、ドイツ、イタリアに学び住む。
コスモポリタンな国際的な知識人といっていい。

そんな複雑な多彩な背景が、そもそもの神童的な天才肌と、あいまって、その紡ぎ出す音楽を、ユニークかつ大胆不敵なものにしていった・・・・。
そう思います。
強い自信と、ゆるぎない音楽への信念は、ときに、アクの強さや、我がままぶりも発揮して、わたしのような穏健な音楽や演奏家を好む聴き手からは、ちょっと鼻もちならない指揮者に捉えられていたことも事実です。

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                     (フィルハーモニア管のHPより)

積極的なマゼールの聴き手ではありませんでしたが、いま、こうして、亡くなってしまうと、その空白が、とても大きく感じます。
 わたくしが、音楽を聴きだしてからというもの、マゼールは、つねに、私たち音楽の聴き手の視野の中におりましたし、世界のトップをひた走る大演奏家でした。
いつも、どこかで、どこかのオーケストラで、あの鋭い眼光を光らせていたのに、いまや、それが、この世にないとは。。。。

アバドの死は、とてつもなく大きなものを、それこそ、わたくしの人生そのものに関わるものをすら残しました。

マゼールの死は、わたくしにとって、そのような大きなものではなかったのですが、でも、何かが喪失してしまった・・・、そのような、言葉に言い尽くせない、悲しみと不安感をジワジワと与えられているような気がしてなりません。

いつもどこかに的な人がいなくなってしまった喪失感とともに、80代演奏家は、わたくしのそこそこ長い音楽生活を導いてきてくれた方々ばかりと実感。
 自分の親世代でもあり、巨匠と呼ばれる、まだ現存する演奏家たちの世代であります。
そうした方々が、もしかしたら・・・、という、どうしようもない不安です。

古い時代のマゼールばかりとなりますが、何回か、マゼールの演奏を聴いて、この才人指揮者を偲びたいと思います。

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  マーラー  交響曲第4番 ニ長調

     S:ヘザー・ハーパー

  ロリン・マゼール指揮 ベルリン放送交響楽団

                   (1969)


フィルハーモニア管との新しいマーラー・チクルスが、最後の3つを残して未完に終わってしまいましたが、マゼールのマーラー全集は、ウィーンフィルと、ニューヨーク・フィルとで2回の録音が残されました。

それ以外にも、単発でいくつかありますが、マーラー指揮者としてのマゼールの初盤は、コンサートホールレーベルの第4交響曲です。

最初の手兵、ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)との録音です。

会員制の頒布組織のコンサートホール・レーベルは、無名の演奏家の録音に混じって、メジャー級の演奏家の最新録音が、60~70年代当初、かなりありました。
そんななかのひとりが、マゼールだったのです。

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中学時代、会員となり、そこそこレコードを集めましたが、新譜として出てきた、このマゼールのマーラーは、そもそもマーラー自体が不明のひとで、怖くて手がでませんでした。
CD時代に、一瞬復活したその頒布組織に再加入し、手にいれたのが、こちらです。

悪名高い、しょぼい録音のこのレーベルですが、マゼールの指揮のものは、いずれも例外的のまともで、このマーラーの録音も悪くはないです。

そして、演奏は、あの頃、すなわち30代後半から40代のマゼールの思いきりのよさと、意外なまでのまっとうさ。
この両極端のおりなす、不思議な面白さに満ちております。

まっとうなことでいえば、この4番の持つ平和的・天国的なほのぼのムードが、いかんなく味わえますし、旋律を、ひとつひとつ、いとおしむようね優しい歌わせ方が、若々しさを感じさせます。

一方の、われわれが抱いてしまうマゼール節も、ちょろちょろ出てきます。
フレーズの一節一節に、微妙な変化が付けられていて、指揮棒を巧みに、ちょいちょいと操るマゼールのあの姿が目に浮かんでくるんです。
1楽章と2楽章に、それが顕著ですが、マーラーの音楽と、巧みに呼応しあって、ごくごく自然な感じです。
 そして、感動的な3楽章。
オケが、ことに金管が、危うくて、当時の演奏や録音シテュエーションを偲ばせますが、後年のウィーン盤よりもマゼールらしいかもしれません。

このレーベルには、マゼールが再録しなかったものも含めて貴重な音源があります。
このさい、しっかり復刻していただきたいと思います。
「ハイドンの92・103」「モーツァルト25・29」「眠りの森の美女 抜粋」「火の鳥全曲」「ブルックナー3番」

そして、わたくしの初マゼールは、テレビですが、万博の年のベルリン・ドイツ・オペラ来日の放送。
「ローエングリン」をピットで指揮する姿を今でも覚えてます。
初ワグナーでもありまして、ワーグナー熱をここから帯びることにもなりました。

その後に、ベルリン放送響との来日の、やはりテレビ放送。
豊田さんがコンマスで、指揮棒を持たず、変幻自在の指揮ぶりのマゼールは、そのまえの、ローエングリンの人とは思えないくらいに別人でした。
ベートーヴェンの8番と「ティル」が、むちゃくちゃ面白い演奏でしたね。

あらためまして、ロリン・マゼールさんの、魂が、安らかならんこと、お祈りいたします。

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                           (ニューヨークフィル)

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2014年7月12日 (土)

ブラームス ホルン三重奏曲 ティンシャル・スーク

Hirayama

緑のシャワーは定期的に浴びないといけません。

精神的にも、自分の体にも。

もみじの緑を通した日の光はとりわけ美しいのであります。

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  ブラームス  ホルン三重奏曲 変ホ長調 op40

       ホルン:ズデニェク・ティルシャル

       ヴァイオリン:ヨゼフ・スーク

       ピアノ:ヤン・パネンカ

             (1976.9 @プラハ)


ブラームス32歳の傑作で、1865年の作。

ともかく、かくも渋い音楽を32歳にて書いてしまうブラームス。

そして、誰も思いつかない、めずらしの編成による室内楽。

ホルンとピアノはともかく、ホルンとヴァイオリンっていうとこが。

ホルンを自身もたしなみ、そしてご存知のとおり、交響曲や協奏曲では、その聴かせどころがたっぷりあるのがブラームスの作品。
 ホルン協奏曲やソナタがないのが不思議なくらいですが、このトリオ1曲でもって、その願望がほぼ満たされるくらいに、素晴らしい作品なのです。

高校生のときに、この曲をFMの午後のリサイタルで聴き、録音もし、親しんでましたが、結局レコードで買うことはなくて、大学時代は、コロンビアから出ていたスークトリオを中心とする盤を、レコード店で、その美しいジャケットとともに、憧れをもって眺めていたものでした。
当時は、大らかかつ、伸びやかな第1楽章と、狩猟にかけ行くようなカッコいいホルンの活躍が爽快な終楽章。これらばかりに耳が行っていたと思います。

長じて、CD時代になって、いよいよ購入したこの曲。
ずっと時代を経たいまは、もちろん牧歌的で哀愁も感じさせる1楽章がいちばんすきですが、ブラームスが母の死をも思いつつ書いたとされる、3楽章のアダージョが、極めて心に沁みる存在となってきました。
 ヴァイオリンとホルンが、連綿と、かつ淡々と哀しい思いをおし伏せたかのような旋律をそれぞれに奏で、ピアノがそれらを優しく囲むようにして着いてゆく。
中間部では、その想いが、一瞬高まることが2度ありますが、それも束の間で収まり、音たちは、ここでは多くの場合、寡黙であります。
 ほんとに、渋い音楽。
ヴァルブホルンでなく、ナチュラルホルンを前提にして書かれただけあって、よけいに華やかさが減じられてます。

その渋さを、絹ごしの美しさでもって包みこんで、しっとり感を与えたような演奏が、チェコの音楽家たちの、この盤であります。
同質の音色に、志しももった人たち。
ピアノトリオの方も、さらに素晴らしいです。

こうした音楽や演奏を聴くと、ヨーロッパの美しさと、懐の深さを感じます。

Brahms

そして、懐かしの、このジャケット。

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2014年7月10日 (木)

ベルリオーズ 幻想交響曲 デュトワ指揮

Hamamatsucho201407

浜松町駅の小便小僧シリーズ。

もう7月も10日をまわってしまいました。

今月は、犯罪・非行防止の「社会を明るくする運動」キャンペーンのコスプレですよ。

ひまわりを足元に、サマールックでありました。

なんか清々しいじゃないですか。

Dutoit_bso

 ベルリオーズ  幻想交響曲

  シャルル・デュトワ指揮 ボストン交響楽団

                  (2014.4.26 @ボストン)


今月の小便小僧、月イチ、略して「小便月イチ」・・・、あっ、これはいかんね。

月刊「月イチ」は、幻想交響曲。

まだまだネタはありますし、放送音源も日々加わるので、無尽蔵の幻想でやんす。

おなじみの、シャルル・デュトワが、ボストン響を本拠地で指揮した音源を。

ご存知のとおり、名門ボストン響の5月の来日が、マゼールの降板により、デュトワに率いられて行われました。

フィラデルフィアとも、機を接して重なったアメリカ・メジャーオケの競演。

どちらも、その持ち味全開で、相変わらずの、わたしたち日本の聴き手の憧れを満足させてくれる演奏だったようです。

その前の、マゼールと交代が決まった時点でのボストンでの演奏会の様子を、オンデマンドで聴くことができました。

不遜なこと書きますが、すっかりおなじみのデュトワは、逆にすっかり、慣れきって、わかりきってしまった想いが先立ち、新鮮味が正直ないのですね。
N響の音楽監督として就任したときは、ドイツ系ばかりだったN響に、文字通り新風を巻き起こす指揮者として、ホールにも喜々として参じたし、FM録音も夢中で行いました。

ですが、それも徐々に平常化してしまうと、たまにある新鮮なプログラム以外は、さほどの喜びをもたらすことがなくなりました。
ほんと、贅沢な思いですよね。

ことに、繰り返し演奏してきた、「幻想」「ハルサイ」「ダフニス」「オケコン」「シェエラザード」あたりには食傷ぎみとあいなりました。

ですが、ところ変わって、モントリオールやN響、フィラ管、フランスオケでなければ、結構、新鮮。

ロイヤルフィルもよいし、ドイツのオケや、フィラ管以外の米メジャーもまたよしです。

それが、今回のように、ミュンシュ・小澤とベルリオーズの演奏伝統がある、ボストン響だったりすると、これはこれで、聴くイメージからして、実に鮮度管理が高等なものが期待できるんですよ。

むちゃくちゃ前おき長いね。

3度ほど聴きました、このコンビの幻想。

安定感抜群で、不明瞭なところがひとつもなく、曲中すべてに光があたっていて、ある意味では健康的で、輝かしい。
3楽章の野の情景でも、麗しい抒情が満載。
オケの優秀さもあって、PCからの音源起こしでも、ダイナミックレンジは上下に大きく、幅広い。

聞かせどころを際立たせることもなく、ゆったりめの全体54分を、丹念に仕上げ、すべてにおいて明快・完璧な演奏となってます。
4・5楽章の萌え萌えの場面では、旧モントリオールやN響のいくつかの演奏にある、迫力のアッチェランドはここになく、1楽章から始まる、物語の積み重ねの終結としての爆発というよりは、純粋な交響曲としての居住まいをしっかりと浮き彫りにして、そのなかでの着実なフィナーレを描いてみせた感じです。

だから、ちょっと肩すかし的な感もありますが、音の充実感は高いです。

来日公演の幻想を聴いた方の感想をお聴きしたいところですが、わたくしには、曲のよさを実感させてくれる安定の演奏に思いましたが、一方で、この曲の持つ魔力をあまりにも感じさせてくれない演奏でもあるように思いました。

偉そうなこと言ってますが、幻想の演奏は、ほんとにいろんな可能性があります。
そんななかで、安全運転すぎたのかな、と。
N響に来た頃の幻想の鮮烈さには、叶わないかも。

聴き手とは、贅沢かつ、我がままなものです。
「デュトワの幻想」、もう少し聴きこんでみなくてはなりませんね。

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2014年7月 8日 (火)

「ルネ・コロ さよならコンサート」

Suntry_hall

サントリーホールのエントランス広場には、ご覧のとおり、雰囲気よろしいビアカフェが出来てました。

夏ですな。

そして、夏こそワーグナー。

Rune_kolo

 「ルネ・コロ さよならコンサート」に行ってまいりました。

おおよそ、ワーグナー好きならば、そのテノールの諸役を音源で聴くのに、ルネ・コロは、それらすべてにおいて、ひとつの指標となるし、誰もが等しく聴いてる歌手のひとりです。

わたくしも、例外でなく、ルネ・コロを初めてレコードやFM放送で聴いて、数えたら、もう41年となります。
 そう、何度も書きますが、私は、中学生のときに、ワーグナーに目覚め、FMのバイロイト放送を必死に録音しつつ、少ないお小遣いや、親におねだりして、高価なワーグナーのレコードを収集し始めたのです。

そんなコロの77歳にしての来日。

以前に接した舞台上演最後とか呼ばれたタンホイザーを切なく聴いたのですが、その後に、舞台では、フォルクスオーパーの「こうもり」で、数年前に来演。
それが最後かと思っていたら、今回。

いやはや、大丈夫かいな?と疑念を持ちつつの、今回のコンサートでした。

しかし、しかし、ですよ!!

第一声、「Hor,an Wolfram, Hor an!」のタンホイザーのローマ語りの開始早々で、わたくしも含む、もしかしたら、ホール全員の聴き手の耳に、衝撃と驚きを、ルネ・コロさまは、与えることとなったのです。

あーーー、ぜんぜん、すごい!!、お終じゃない、始まりだ!

その始まりの声で、それこそ、「おまえら、聴け」とばかりの、強大な説得力を持った、タンホイザーの悔恨のモノローグが始まったのでした。

タンホイザーと、ルネ・コロの永年のキャリアが完全に融合して、サントリーホールに出現した不世出のヘルデンテノールが語り始める苦重の物語の、ひとことひとこと、そしてあらゆるフレーズの節々に、会場全体が息をこらし、異常なまでの集中力でもって、ひとりの歌い手の吐きだす声に、心を持っていかれたのでした。

記事表示が、どうしたはずみか、ここだけ変に強調されちゃった。
まぁいいか、直らない。

苦しい旅の経緯を語るコロの、言葉はすべてわからぬまでも、ドイツ語に処した深い感情吐露と、そのディクションの完璧さ。
ハリのある声と、ホールを埋め尽くす声量の素晴らしさ。
声域のすべてにわたって完璧で、傷はゼロ。
なによりも、そこにいるだけで、醸し出す、とんでもないオーラ。
歌わなくても、ここにコロがいる、老いたりとはいえ、その人こそが完成された芸術品。

いやはや、もうもう、大歌手の、大歌手たらんところを、最初の一声からすっかり堪能し、お手上げとなりました。

「ローマ語り」が終わっただけで、会場は、異様なまでの興奮と感動につつまれ、わたくしも参加しましたが、ブラボー大会。
ほんと、すごかったんだから。
言葉にできませんよ。

ここでもう確信。
さよならコンサートなんてじゃなくて、この先も、ずっとずっと、コロは、コロ様のとおり、歌い続けるでありましょうこと!!


Kollo

  詳細は、先の画像のとおり。

前半がワーグナー、後半が世紀をまたがってのウィーン・オペレッタ。

6:45スタート、終演が9:30ですから、長い、充実コンサートでした。

われらが、ルネ・コロの歌は、前半は、タンホイザー。
後半は、カールマンの「伯爵令嬢マリツァッ」と、「メリー・ウィドウ」。

重厚ワーグナーと、甘軽世紀末オペレッタを巧みに歌いこなすコロ。

カールマンの曲では、ダンスは披露せずとも、オーケストラの賑やかな後奏でも、完全主役。
もちろん軽妙かつ機敏な、タシロ役を完璧なまでに歌いこんでましたよ!

そして、耳のご馳走、メリー・ウィドウ。
カラヤンに選ばれたコロの美声が炸裂。
音源では、耳にタコができるほどに聴いてきた、彼のダニロ。
マキシムと、ワルツ。
ワルツでは、冒頭、日本語で歌うという大サービス付き。

ルネ・コロさまと、もしかしたら、その声ではお別れかと思いつつ、カラヤン盤の録音風景やレコードジャケットなども、脳裏に去来し、こんなに明るく、甘味な音楽なのに、泣けてきた。

もしかしたら、ほんとうにお別れかもしれないと・・・。

涙の「メリー・ウィドウ」は、初めて。

最後は、全員で、「こうもり」のフィナレーレで、かんぱーーい!

すさまじいまでのブラボーと拍手の渦でありましたこと、申し上げるまでもありません。

今回、コロさまの正面、直近の席にて鑑賞できましたこと、ほんとに、素晴らしい思い出となりました。
 拍手に応えて、下手に下がるとき、つねに「ありがと」、と発しておりました。
エンディングの「こうもり」のオケの元気な出だしに、思いきり、びっくりして見せたお茶目なコロさん。
わたくしと目が合い、笑って返していただきました。
永年のコロ・ファンとして、こんな幸せはございません。

Kollo_suntry

                    T:ルネ・コロ

 

 S:蔵野 蘭子、白川 桂子  A:城守 香  Br:小松 英典

    井崎 正浩 指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

                      (2014.7.7 @サントリーホール)


毎年、七夕の日に企画される、イマジン七夕コンサートなのだそうです。

こんな素晴らしい企画、知りませんでしたよ。

ハンガリーの劇場を中心に活躍される井崎さんは、今回、初聴きでしたが、この方のオペラを知りつくしたと思われる巧みな、そして嫌味のない指揮ぶりには、感服いたしました。
常に、歌手を引き立てながら、その指先ひとつから、オケと歌手を結びつけるような、お互いの安心感の仲介役でありつつ、舞台をリードするような存在に思いました。

オケも歌手も、きっと劇場では、全幅の信頼を寄せることでありましょう。

ワーグナーの音楽のサワリばかりの前半ですが、最大公約数でもって、わたくしのようなワーグナー好きをも満足させています。
後半のオペレッタでは、一転して、盛り上げ役も担っちゃう。
わたくしの左右は、今回、ご婦人でしたが、それぞれ、指先が動いちゃってましたし、最後には、指揮者につられ、R・コロさまの、にこやかな演技にもつられ、手拍子大会でしたよ。

シティ・フィルの雰囲気豊かな演奏も、飯守先生に鍛えられただけのことはありますね。
ワーグナーも、レハールも、カールーマンも、みんなOK!

日本人歌手たちも、いわずもがな、ドイツの大歌手に混じって、みなさん存在感たっぷり。

ワーグナーを中心に、これまで何度も聴いてきた、蘭子さま。
今回、ちょっと体調が悪かったのかな。
本来の蘭子さんじゃなかったけれど、それでも、その立ち居振る舞いは、ホールを圧倒。
雰囲気豊かな蘭子さん。わたしの一番の思い出は、クンドリーとグートルーネ。
大好きな歌手のひとりですよ。

コロの直弟子の小松さん。
目をつぶって聴くと、まるで、テオ・アダムです。
少しクセのある声もそっくりにアダムと聴きました。
言葉を吟味し、かつ理解しつつ歌う味わい深さは、後半のオペレッタで、大いに聴きものでしたし、赤いバラをステージ前列の女性に献呈しつつ歌ったミレッカーの曲は、甘く、しんみりもさせる味わいでしたね。

白川さんと、城守さんのおふたりは、わたくしにとって、完璧に予想外の驚きの出会い。
お二方ともに、言葉を音楽に乗せるさまが、ほんとに自然で、目の前でお歌いになるお姿からして、コンサートステージを飛び越えて、オペラの舞台上にある彼女たちを、まざまざと思い浮かべることができるような、そんな素晴らしい歌唱でした。
わたくしのブックマークに記録!です。

こんな感じに、R・コロさまを主役に、そして見事な日本サイドの完璧サポート陣なのでした。

Lohengrin_2

バイロイトには、69年に、オランダ人に舵手役で、ヴァルヴィーゾの指揮でデビュー。
そして、忘れもしない、大センセーションを引き起こしたのは、71年のローエングリンで、そのときは、その端正かつ甘い顔立ちと、美声でもって、世界のワグネリアンの心を一挙にひきつけたのでした。
その少しあとに、カラヤンのマイスタージンガー、ショルティのパルシファル、スウィトナー指揮のワーグナー集でもって、わたくしは完全にコロのファンになったのでした。

コロの偉大なところは、ワーグナーの歌唱に大変革をもたらしたところです。
それまでは、ワーグナーの英雄的な歌唱といえば、肉太で、疲れを知らぬスタミナを背景に、ずしりと、カロリー過多の重厚な歌声を聴かせるということでした。
直近の先達、トーマスやキングあたりから、すなわちアメリカに籍を持つ歌手たちによる柔軟な歌唱が60年代後半から主流となり、70年代からは、ルネ・コロを頂点とする明晰かつ、軽やかなワーグナー歌唱が生まれてゆくこととなるのでした。

甘口系のヴァルターやローエングリン、パルシファルから、コロ自身も、声量を増し、声にも重みを増して、ついには、タンホイザー、ジークフリート、ついには、トリスタンを持ち役とするようになり、名実ともに、ワーグナー・テノールの神様的存在になったのは、80年代半ばです。

今回に限らず、日本にも、さかんにやってきてくれました。

わたくしが聴いた、ルネ・コロさまは、「リング」「パルシファル」「マイスタージンガー」「タンホイザー」「詩人の恋」です。
「トリスタン」だけは逃しましたが、あとのワーグナー上演は、全部聴きました。
日本びいきのコロですが、エリックとローエングリン、ジークムントだけが、日本で未演となりました。

そして、やはり、ベルリン・ドイツ・オペラのジークフリートが、相方のリゲンツァとともに、生涯忘れえぬ体験であります。

あの輝かしい声と、豊かな声量を、あれから、ほぼ30年を経たいま、この耳で、変わらずに確認できたこと。
人間の能力の可能性を、まざまざと見せつけられ、勇気づけられもしました。

この日、舞台上のインタビューで、声の長命の秘訣は、「なにもせず、運命のなすがまま、神様のまま」とおっしゃいました。
そして、ジョークまじりに、いい歌手は、「語るのでなく、多く歌うこと」と。
インタビューの締めくくりの味のあるコメントでもあり、「歌」を忘れた、最近の歌手への提言でもありましょうか。

思えば、コロは、豊かな歌でもって、オペレッタなどの軽い曲も、ワーグナーやシュトラウスの重い曲もなんなくこなしてきたのですから!

アバドとともに、40年以上見つめてきた大歌手。

いつまでも、いつまでも、元気に、ルネ・コロ。

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2014年7月 6日 (日)

Proms2014

Proms2014

今年も、もう夏の音楽祭のシーズンですね。

ヨーロッパを中心とする、世界の音楽祭も、音楽界に大物・巨匠が少なくなり、さらに、どこもが企画に悩むようになり小粒化・均一化は否めない状況。

ザルツブルクはなんかいつもゴチャゴチャもめてるイメージがあって、やはり、ベーム・カラヤン・バーンスタインがいた時代は、遠い昔になりにけり。

そしてバイロイトも、ご存知のとおり。
ワーグナー家の純血は表面的には保たれつつも、実験劇場たる顔はまったく失い、ドイツの一劇場のひとつみたいな存在になり下がってしまった。

ほかは、詳しくは知りませんが、おんなじようなものでしょうか。

そして英国のプロムス、全体の、こじんまり感は年々深まっておりますが、自国もの・自国オケを中心とした2ヶ月間の熱狂コンサートぶりは、そのユニークなプログラムを見ていてもよくわかります。

毎日、毎晩、オーケストラ・室内楽、その他のジャンルのコンサートがくり広がられるロンドンが羨ましくなります。
(思えば、東京もすごいけど)

①「今年のアニヴァーサリー作曲家」
②「アジアのオーケストラ」
③「新作・英国初演作」
④「ベートーヴェンとブラームス」
⑤「マーラー 1~6、9」


ざっとこんな特集が組みこまれていると見受けます(マーラーは毎年かも)。

①アニヴァーサリー

 R・シュトラウス 「サロメ」~ラニクルズ、「エレクトラ」~ビシュコフ
            「ばらの騎士」~ティチアーティ

 ラモー、CPEバッハ、ホルスト、バートウィスル、P・マックスウェル・デイヴィス

②アジアのオーケストラ

 チャイナ・フィルハーモニー~Long You指揮 ロメジュリ、リストP、展覧会

 ボルサン・イスタンブール・フィル~サッシャ・ゲッツェル指揮 レスピーギ、バラキレフ

 ウェスト・イースタン・ディヴァン管~バレンボイム指揮 お国もの、ラヴェル

 ソウル・フィルハーモニー~チョン・ミュンフン指揮 お国もの、海、悲愴

 シンガポール響~Lan Shui指揮 グリンカ、お国もの、ラフ2

 カタール・フィルハーモニー~ハンナ・チャン指揮! 自国もの、チャイ5
                   チェロの彼女、指揮者になっちゃったのかい??

 オーケストラ界も、地域新興著しく、中国・韓国・東南アジア・中近東ですよ。
 日本のオケは、N響がもうだいぶ前に登場してるはずだし、尾高さんは常連ですし。

③新作・英国初演

 各コンサートには、名前も知らない作曲家や作品が、毎日のように組まれてます。

④ベートーヴェンは、ほぼ全曲、いろんな指揮者・団体で。
  なかでも、重鎮マリナーとアカデミーが1番、シャイーとRGOが第9
 ブラームスは、1・2がメスト&クリーヴランド、3・4がI・フィッシャー&ブタペスト

⑤マーラー 2がハーディング、3がシャイー(ギルバートとも書いてあるがどっちだ)
       4がハイティンク、6はゲル・・・、9ラニクルズなどなど

⑥あとおもしろそうなもの

 英国物少なめにあって、オープニングにエルガーの大作「神の王国」を、サー・アンドリューの指揮で。交響曲も2曲とも演奏。

 ネルソンス&バーミンガムで、戦争レクイエム。

 クリスティのラモー特集

 ビシュコフのタコ4に、ビエロフラーヴェクのタコ10

 デュトワRPOのローマ3部作

 ノリントンのヨハネ、ラトルBPOのマタイ

こんな感じでしょうか。

お祭り、ラストナイトは、9月13日で、BBC首席のサカリ・オラモの指揮。

全部聴くのは、バイロイトなんかも始まっちゃうし難しいと思いますが、できるだけストリーミング可能期間に録音しようと思います。

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日本にいても、世界の音楽祭を丸聴き。

忙しい夏がやってくる。
 

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2014年7月 5日 (土)

川口優美 ワンマンライブ

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7月3日、川口優美=ymさんのライブに行ってきました。

こちらでは初めて書きますが、川口優美さんは、ローソンの「コンビニごはんで、きれいになれちゃうかも」で、女性3人が、1ヶ月間、コンビニの商品だけを食べて、体脂肪率の減少や、各種演芸(?)競技、そして自作の曲披露というハードルを経て、優勝者には、ヒャダインさんのアレンジ・プロデュースでCDデビューが果たせる・・・というニコ生企画番組に出演されていた歌い手さんなのです。

春のその対戦は、惜しくも2位になってしまいましたが、アクティブな彼女は、活動を再開し、ワンマンライブも敢行。
同時に、クラウド・ファンティングを利用してのCD等の制作にもチャレンジ中なのです。

聴く人を引きける歌の上手さと、心に響くその作品たち。
すぐさまにファンになりましたよ。

そう、大昔から、ずっとそうなんですが、ワタクシ、単なるクラヲタちゃんじゃないんですよ。
音楽ならば何でも好き。
気に入れば、大いに応援しまくるんですよ。

この日も、ともかく、楽しかったのひと言につきますね。

オシャレな街、自由が丘にある、「hyphen」(ハイフン)というお店でした。

こちらは、昼は、美味しい紅茶の専門店でして、ランチも楽しめます。

そして、夕べになると、素敵なライブハウスに。

お酒を飲みながら、音楽が楽しめるという、わたくしのような人間には、理想郷のようなところなのでした。

そして、ymさんのお歌を、間近で聴けるという幸せでしたよ。

上の画像を見てください、いい雰囲気でしょ。

日本帰国後、ワンマンライブは初だとおっしゃってました。

快活で明るい彼女ですから、歌に、おもしろMCを巧みに挟みながら進行し、あっという間に時間がすぎてしまった感じです。

8時にオープン、8時30分開演。
会場を下見したら、階段の下から、ymさまの声がまっすぐ外に聴こえてくるじゃありませんか。
ふっふっふ、と思いながら、時間つぶしを。

こんなオサレタウンに、居酒屋なんかあるかな?
と思って徘徊したところ、あるじゃありませんか、やたらとたくさん。

Awanosato  Awanosato2

そんななかで、ぎっしり満員のカウンターにひと席確保してもらって、渋~い焼鳥屋さんに。
かーっと、飲んで、ワクワクの足取りで、ハイフンに。

そしたら、超会議でご一緒した方や、ymファンの遠来の方など、すでにいらっしゃいます。
そう、この日は、ymさんのお歌を楽しむと同時に、ツイッターやニコナマで知り合った仲間たちに、リアルのお会いできたこと、それがまた大きな喜びでしたね。

テーブル囲んで、最後は、優美さんや、妹ちーちゃん、ありたん、米田さん(G)などのみなさまと、親しくお話をすることもできました。

Ym_hyphen_3

             Vo:川口 優美

             key:齊藤 アリア

             gt  :米田 勇也


                                       (2014.7.3@自由が丘hyphen)

    1.「潮騒」

    2.表題なしの歌

    3.「Nothing's gonnna change me love for you」

    4.「Top of the world」

    5.「Tsumugi」

    6.「You gotta be」

    7.「Saving of my love for you」

    7.「Natural Woman」

    8.「Landslide」

    9.「謠 声」


おなじみの自作に、カヴァー曲。

いきなり、「潮騒」なんですもの、最初の一曲でもう、わたくしたち聴き手は、彼女の歌の世界に引き込まれました。
この曲を捧げられた、優美さんの親友ご夫妻もいらしてて、そんな彼女たちおふたりの背中を拝見しながら聴く「潮騒」には、ぐっ、ときてしまいました。

 2曲目、そういえば、いつも流れてたあの曲、タイトルないのね。
ノリノリで楽しかった「top of the waold」。

懐かしさすら感じたよ、「tsumugi」。

Des'reeの「You gotta be」は、いい曲。
なんか、優美さんにエールをもらったような気がしますね。
歌詞の概要を話してくれたからよけいにそう思いました。
「恐れることを恐れてはいけないよ、自信を持って未来に向かっていって・・」
彼女のクリアボイスが映えました。

ホイットニーの「Saving of my love for you」。

さっき、お店の外に聴こえてたのこれだ。
不倫のうふふな内容の曲だといいますが・・・
声の使い方、発声が実にステキな彼女の歌唱力の高さを実感。
素直に、すぅ~と、耳から、心に訴えてきますね。
ありたんの、キーボードの素晴らしさと、そのフレキシビリティの高さは、みなさまご存知のとおりですが、こうしてライブで聴くと、ほんと見事。
ときに、寄り添うように、ときにリードしてゆくように、優美さんのお歌のぴったりと符合してます。
 それと米田さんの、アコーステックなギターの透明感の高さ、いいわ。
なんか、ソロで聴いてみたいな。

切ないラブソング、キャロル・キングの「Natural woman」も、ymさんらしくてよかったな。

宴もたけなわ。
さらにしみじみ系のよい曲が「Landslide」でした。
ギターの米田さん、ここでもいい。
これまた、良い曲を教えてもらいました。
そのエンディングには泣けそうになっちゃった。

そして、終わって欲しくない、ずっと続いて欲しいと思いつつも、始まりました「謠声」。
もう、いろんなシテュエーションで、何度も聴いてきました。
毎回、そのお歌の精度を高めてきてます。
アコーステックバージョンで聴くと、また感じが違う。
ほんと、いい。
いぇーも、やっちゃった。
ひとりで聴くのもいいけど、みんなで、心ひとつにして聴くのもいいね。

この曲、ほんと名曲です。

絶対にCD化しましょう、みなさま、優美さま。

さて、この日、「麻呂にゃんおし」といっしゃるリスナーさんが、ニコ生時代の麻呂ママTシャツを作成して、プレゼント。

話せば長いのですがね、「麻呂にゃん」とは、思い付いたことを、躊躇せず、ささっとやってしまう彼女が、麻呂風の化粧をして平安麻呂に変身してしまったことがあるの。
以来、「麻呂」とか「麻呂にゃん」とも呼ばれてますよ。

ほら見てちょ。

Maronyan

ちなみに、優美さん、アフターコンサートでは、これを着てました。

そしてあとで聞いたら、そのまま着て帰っちまったそうな


こうして、楽しいコンサートはおしまい。

仲間や、優美さん、ちーちゃんともたくさん話ができました。

おつかれさまでした、そしてお世話になりました。

わたくしの撮った動画を。「Tumugi」という曲。

画質・音ともに悪いですが。


川口優美=ymさん。

ニコニコ放送で検索いただくと、たくさん出てきますよ。

わたくしも、ブログをひとつ作って応援中。

そして、クラウド・ファンティングサイトはこちら。

WESYM

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