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2014年8月16日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム ヤンソンス指揮

Takeshiba1

この夏の、暮れる前の頃の東京湾。

竹芝桟橋あたりからの眺めです。

台風の襲来も多く、このところの夏空は、雲がウロコだったり、流したようなスジだったりで、美しいけれど、ちょっと不安を感じる模様ばかり。

あの、わたくしたちの知る夏空は、どこへ行ってしまったのでしょう。

真っ青な空に、もくもくとした入道雲。

夕方には、雷雲となり、ひと雨ざっと降って、そのあとは、またスッキリと晴れて、空が染まって、日暮らしが鳴いて、夏の1日が終わってゆく。
宿題はたくさん抱えながらも、明日もまたあるさ、との思いで、夏休みを喜々として過ごした子供時代。

日本の夏って、みなさん、そんな風に過ごしてなかった?

ここ数年、ゲリラ雷雨に、台風直撃、猛暑。

地球全体が熱帯性になりつつあり、日本の季節のメリハリある情緒も、かつてのものとなりつつあります。

でも、かつてのもの、過去のものにしてはならない記憶。

それは、戦争、そして、いくつもの震災で失われた命と、それを起こしてはなならいという気持ちと、予防の準備。

ヴェルデイとともに、真夏に毎年聴く、ブリテンの戦争レクイエムに、恒久平和の思いを託したいと思います。

Britten_warrequiem_jansons

   ブリテン  戦争レクイエム

      S:エミリー・マギー

      T:マーク・パドモア

      Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

   マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
                   バイエルン放送合唱団
                   テルツ少年合唱団

          (2013.3.13~15 @ガスタイクホール、ミュンヘン)


 ブリテン(1913~1976)の「戦争レクイエム」は、伝統的な「死者のためのミサ曲」の典礼文に基づく部分と、ウィルフレット・オーエンの詩による独唱による部分。
 このふたつを巧みにつなぎ合わせて、ひとつの、いわば「反戦」と「平和希求」をモティーフとする、独自の「レクイエム」を作り上げた。

ふたつの世界大戦の前にあっては、戦争は国同士のいさかいや、第三国への侵略などであって、局所的な戦いであり、作曲家や音楽たちへの影響も限定的でした。

しかし、武器の威力も増した、世界規模の戦争となると、いろんな影響を音楽家たちに与えることとなりました。
 世界大戦前と、戦中・戦後においては、作曲家たちは、芸術家としても、戦争そのもに向き合わざるを得なくなりました。

そんななかにあって、ブリテンほど、戦争を心から憎み、その音楽にもその思いを熾烈なまでに反映させた作曲家はいないのではないでしょうか。
イギリスの伝統としての制度、「良心的兵役忌避者」の申告をして、そのかわりに、ボランティアとして、音楽を演奏することで戦争ですさんだ人々への慰問をし続けた。

そして、戦後、二度と戦争など引き起こしてはならない、そんな思いから、この「戦争レクイエム」が、書かれ、同時に戦没者への悼みの意味合いも、ここに込められることとなりました。

と、毎年、同じことを書いてますが、ですが、暑いこの季節に、そして終戦の日に、この音楽の持つ意義なども思いながらこの名作を聴くことに、大きな意義を感じているのです。

作曲者自身の指揮による記念碑的な演奏の呪縛から何年も抜け出すことができなかったけれど、若いラトルのチャレンジから本格化し、いまや、この作品は、不朽の名作として、世界中で取り上げられ、録音もされるようになりました。

そんななか、昨年のブリテンの生誕100年には、予想外のヤンソンス盤が登場。

体調不良もときおり報じられ、バイエルンを中心にして、仕事の量も絞りつつあるヤンソンスは、ここでも、ものすごい集中力でもって、迫真の「戦争レクイエム」を一気に聴かせる。
最近のヤンソンスは、ミュンヘンでもアムステルダムでも、合唱作品を取り上げることが多くて、そのいずれもが完成度が高くて、こんなに一生懸命な演奏ばかり繰り広げて、大丈夫かいな、と思わせるものばかり。
 
 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。
かつての若き頃は、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまは、それに加えて、内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。

Jansons

アメリカ人、イギリス人、ドイツ人という独唱3人は、それぞれに実績のある方たちで、贅沢な組み合わせ。
オペラ歌手としてのイメージの濃い、エミリー・マギーは抑制を効かせた思いのほか無垢の歌唱。
そして、パドモアのシリアスで、読み込みの深い歌いぶりは、もしかしたら、初演者ピアーズに迫る名唱に思います。
ゲルハーヘルは、それこそ、F=ディースカウを思わせる言葉ひとつひとつへの傾倒ぶり。
この3人の歌のレベルの高さは、実に特筆ものでした。

バイエルンのオーケストラの高性能ぶりと輝かしさは、ベルリンフィルと双璧でしょう。
そして、どちらも音の基調は明るめ。
多彩な音色のベルリンに対し、バイエルンは、南ドイツ的な暖かさを持っている。
ブリテンのような、クールな音楽に、バイエルンの機能美と、明晰な明るさは、ぴったりと思います。
最終章リベラ・メにおける緊迫感と、ミステリアスな様相から徐々に立ち込める浄化ムード。
このあたりの劇的だけど、緻密な描き方は、ふたりの男声歌唱の素晴らしさもあって、ヤンソンス率いるバイエルンの真骨頂。

過去記事からコピペで、曲の概要を再び記しておきます。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。
 第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。
 第3曲目「オッフェルトリウム」、男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。
 第4曲「サンクトゥス」、ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。
 第5曲は「アニュス・デイ」。
テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。
 第6曲目「リベラ・メ」。
打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」

最後に至って、通常レクイエムとオーエン詩の、それぞれの創作ヶ所が、一体化・融合して、浄化されゆく場面では、聴く者誰しもを感動させずにはいない。
敵同士の許し合いと、安息への導き、天国はあらゆる人に開けて、清らかなソプラノと少年合唱が誘う。
このずっと続くかとも思われる繰り返しによる永遠の安息。
最後は、宗教的な結び、「Requiescant in pace.Amen」~彼らに平和のなかに憩わせ給え、アーメンで終結。

 このCDのジャケットは、焼失したコヴェントリーの教会。
この教会の再築に合わせて、作曲されたのが「戦争レクイエム」。
いろいろな演奏が、いまや聴けるようになりましたが、日本人の手によるものも小澤さん、大野さんと出ております。
広島や長崎をジャケットに使用した、そんなあらたな日本人による演奏を、世界に発信していただきたいと思っておりますが、いかがでしょうか。


過去記事

 「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」

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