ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 サロネン指揮
7時前だけど、またタワーには、明かりが灯ってません。
ほかのサイトには公開したけれど、みなさん、不気味な空と雲に注目されてらっしゃる。
暑すぎる毎日、日が沈むころになると、気温も下がり、温度差で風も巻き起こり、地上と上空の気温の開きも大きくなる・・・・
そんなこんなのいろんな事象が、空の色や光の現象となって起こるのでしょう。
しかし、一方で、かの大震災のおりにみられた雲の奇妙さ。
いろんな要素があるとは思いますが、注意は怠りなく過ごしたいと思います。
ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調
エサ・ペッカ・サロネン指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団
(2011.12 @ウォルト・ディズニー・ホール、LA)
タコ4、大好き。
この長大で、正直ワケのわからん3楽章の交響曲を、何度も聴いてきたけど、その都度思うことは、「さて、いまの時間は、なんだったのだろう・・・・・?」。
音楽は、まるでパッチワークそのもの。
いま泣いたカラスがもう笑った・・・。
いまや死語ですが、そんな私たちの親世代が、子供たちに対して発したセリフが、まんま、あてはまります。
急転直下、悲喜、怒笑、叫嘆安堵・・・・あらゆる感情が、次々にあらわれては変転して、消えてゆく。
この感じは、マーラー以上で、ショスタコーヴィチのオリジナルといってもいいかもしれない、章節単位のとりとめなさの、一大集結とも呼ぶべき音楽です。
これを交響曲と呼ぶべきかは、作曲当時の1936年、プロパガンダ的な2番や3番のあと、純粋交響曲として4番を送り出したショスタコーヴィチが、オペラ、「ムツェンスクのマクベス夫人」でもって、当局の怒りに触れ、引っ込めてしまった要因のとおりに、本来の意図、すなわち、当局や体制に対する思いを密かに込めた標題性を、ここに、いかに読みとるかにもよります。
ですが、そのあたりの謎や、不合理感を突き止める証拠や根拠も少なく、いや、あるにしても、ショスタコの音楽を、譜面に書かれた通りのことを、音として万全に昇華するという演奏スタイルが、いまや主流として定着したものと思います。
ハイティンクのヨーロッパ人としての普遍的な演奏こそが、その最良の姿であると核心しますが、ショスタコをかなり演奏しているはずの、サロネン(サロさま)の、ついに出現した4番も、それをさらに拍車をかけ、ヨーロッパ、ロシア、アメリカ、すべての様相が盛り込まれ、かつ、冷静沈着な演奏にその表層は終始してるところが凄いのです。
そればかりでなく、その沈着さとともに、高いテンションのある、攻撃的な様相も、1楽章の中間部あたりから、びんびん聴かれ、興奮の坩堝と化してしまいます。
サロさまの音楽は、いっけんクールでありながら、思わぬライブ的熱狂を見せつけるところが超魅力なのであります。
同じ志向の、ブーレーズ閣下とは、音符のひとつひとつの熱さでもって、サロ様の方が、曲によっては上と感じられますし、冷静なの裏返しの情熱は、サロネンのほうが高いかな、と思わます。。。
3つの楽章が、それぞれに長大で、雄弁ながら、浅薄な感情にとらわれているような気がしてならいけれど、オーケストラを聴く楽しみや刺激が、たっぷり盛り込まれている交響曲だと思います。
5番の雰囲気も、たくさん感じますが、タコさん交響曲をたくさん聴いてくると、5番よりも、4番の方が面白く、切実に感じられてくるのです。
いまの現在なら、これくらいは、普通に、もしかしたら鼻歌交じりに聴くことができる、そんな音楽です。
サロネンのロスフィル時代は、1992~2009年と長かっただけに、録音もたくさん。
ドビュッシーやマーラー、ブルックナーなど、明晰さが際立ち、エッジも効いた名演ばかりですよ。
近現代ものばかりのイメージがあるけれど、本拠地では、ベートーヴェンやブラームスも指揮してました。
アメリカのオケの指揮者は、当然にそういった普遍的なレパートリーも求められるわけで、それがドイツの本場あたりにいくとどうなのだろうか、という疑問もあるけれど、わたしは、ベルリン・フィルの次期指揮者には、サロネンを推したいです。
5~10年くらいの任期で、ラトルのあと、次の次の世代への橋渡しにも、世代的にちょうどいい。
数年後にやってくる、ヤンソンスのあとの、バイエルン放送響でもいい。
このイケメン指揮者の動向には注視したいですね。
とかいいながら、サロネンとわたくし、同い年なんです・・・、しょぼ~ん。
ショスタコーヴィチ4番 過去記事
「大野和士&新日本フィル」
「ハイティンク&ロンドンフィル」
「ハイティンク&シカゴ響」
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コメント
ときどき読ませていただいています。
このCD7月末にオランゴに興味を持ち聴きました。
4番についてのいきさつはクラオタ人さんもご存じと思います。
ショスタコーヴィッチの本音がストレートに書かれているために初演をキャンセルしたのだと思います。
スターリンに対する告発だと思います。
5番も含め、他の何曲かは明らかにいろいろなトリックを使った告発です。
3楽章の20分あたりからは虐殺以外の何物でもありません。
そして過ぎ去ります。
後に残るのは、涙?弔いの鐘?
ゲルギエフの演奏で気付かされました。
マキシムで、なるほど、、、
そして、サロネンのこの美しい演奏で感動させられました。
取り上げられる話題が共感できます。
楽しみにしています。
投稿: | 2014年8月 7日 (木) 00時59分
コメントどうもありがとうございました。
まさかのサロネンのCDでした。
若き日のサロネン、N響に来演したときに聴いた、ペトル
ーシュカを忘れることができmなせん。
いろんなポーションを持ちつつ、それぞれに応じて、知的・熱狂的に対処できるサロネンの素晴らしさ。
未完のオペラのほうは、また次の機会にUPしようよ思ってますが、ひとまず、この交響曲の演奏には脱帽した
投稿: yokochan | 2014年8月 9日 (土) 00時03分