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2014年9月

2014年9月30日 (火)

ブラームス ルツェルン祝祭管弦楽団

Abbado_lucherne

ルツェルンのカペル橋。

そして、アバドの指揮姿と、ルツェルン祝祭管弦楽団のメンバーたち。

こちらは、2006年来日公演のゴージャスなプログラムから拝領いたしました。

亡きマエストロの創設スタートしたルツェルン祝祭管弦楽団のこの夏の演奏会がNHKで放送されました。

10年間、マーラーとその周辺の音楽をずっと取り上げ続けてきたアバドが、ブラームスのチクルスに取りかかろうとした2014年。

その意思を次いで、同じプログラムを引き継いだのが、アンドリス・ネルソンスでした。

Nelsons_4

  ブラームス   セレナード第2番 イ長調

            アルト・ラプソディ

              Ms:サラ・ミンガルト

            交響曲第2番 ニ長調

   アンドリス・ネルソンス指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
     
                 (2014.8.15.16 @ルツェルン)


いつもとほぼ同じルツェルンのメンバーに、お馴染みのホールの景色。

でも、指揮台には、アバドではなくネルソンス。

寂しいです。

そして、アバドの代役がネルソンスと発表されたときは、正直、がっかりしたものでした。
ハイティンクか、ムーティ、ヤンソンスがいいと、心の中で思っていましたから。

ネルソンスが受けたプログラムが、こちらの開幕コンサートと、ポリーニを独奏者とする、ピアノ協奏曲第1番と交響曲第3番。
おそらく、来年に、残りの協奏曲と交響曲を取り上げて、本来なら、アバド3度目のブラームス全集が完成するはずでしたのに・・・・・。

 期待せずに聴きだしたネルソンスのブラームス。

これがまあ、いいじゃないですか。

全体を覆う大らかさは、このふたつの2番の作品にぴったりの雰囲気で、しかも、音楽の表情がとても生き生きとしいて、聴きなれたこれらの曲が、いま生まれたばかりの新鮮な感覚をもって聴こえてくる。
ネルソンスが、譜面から感じとった音楽が、この優秀なオーケストラから、そのまま出てきているみたい。

素晴らしかったのは、やはり交響曲のほう。
なかなかにたっぷりと鳴らしているものの、音楽は軽やかさを失わずに、音色も明るくて、若々しい。
アバドだったら、さらにもっと軽やかに歌いまくるかもしれなかった2番だけど、2楽章の思わぬ憂愁も悪くはない。かなりしっとりやってます。
 そして、終楽章では、テンポアップの爆発は起こさず、音楽の流れに任せた自然な盛り上がりでもって、見事なフィナーレを築きあげました。

Nelsons_2

気持ちのいい第1楽章に代表されるように、ネルソンスの音楽作りは、息使いが自然で、抒情も劇性もそれぞれに、あるべき姿で表現され、無理がなく、気がつくと、こちらも彼の音楽に乗せられている感があります。

デビュー間もないころは、指揮姿がヤンソンスそっくりの、爆演系かと思いこんでいたら、そうでもなかった。
バイロイトでの「ローエングリン」は、あのヘンな演出だけど、音楽だけを聴くと、極めてまっとうで、美しい限りの演奏でありました。
歌い手や、演奏者も、きっとやりやすいであろうネルソンスの指揮なのです。
 ですから、オペラが非常によろしい。

Nelsons_3

アバド亡き、ルツェルンの指揮台を、大先達の名に恥じぬ名演でもって飾ってくれたネルソンス、堂々の45分でした。

追悼コンサートでのマーラー3番も素晴らしかった。
今年のプロムスの放送で聴いた「戦争レクイエム」も緊張度の極めて高い名演だった。

ボストンでの活躍も、きっと約束されたようなものでしょう。

好調期に入ったと思われるネルソンス。

でも、ルツェルン祝祭管が今後、継続するとして、ネルソンスでは役不足ですな。
来年もブラームスをやるならネルソンス。
もうやらないなら、ハイティンクが短期間継いで、あとは、ラトルかな?

アバドのもとに集まったオーケストラだからどうなのかな?

アバドの薫陶を受けた指揮者や、仲のよかった指揮者たちで、というのもありかな。

天国のマエストロ、にこにこ見守ってるだろうな・・・

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2014年9月27日 (土)

バーバー ピアノ・ソナタ 三舩優子

Nakanoshinbashi

ぼろいカメラですが、普通に橋の欄干に固定して、サッと写したら、こんな感じに撮れました。

中野の街から、新宿高層ビルを望む。

川は、神田川でございます♪

Barber_mihune

   バーバー  ピアノ・ソナタ 変ホ短調

      ピアノ:三舩 優子

            (2009.8.6 @三芳町文化会館)


サミュエル・バーバー(1910~1981)のピアノソナタ。

初めて聴きました。

アメリカ、保守派のバーバーは、多作家で、交響曲からオペラまで、あらゆるジャンルに、そこそこの数の作品を残しております。

わたくしが、バーバーの音楽を初めて聴いたのは、いまや有名曲となった、ヴァイオリン協奏曲で、EMIが、シリーズ化した「アメリカ・ザ・ビューティフル」という音源シリーズの中の一環で、ハンソンの「ロマンティック交響曲」とカップリングされた、スラトキンの指揮によるものでした。

ハンソンも含め、郷愁と懐かしさを感じさせる作風は、現代を生きた作曲家として、かえって新鮮に思え、バーバーのイメージは、そのように自分のなかで定着していったのです。

その後に聴いてゆく、「弦楽のためのアダージョ」や「ノックスビル」なども、同じ延長線上に捉えました。
しかし、バーバーの音楽は、ノスタルジックな、ビューティフル・アメリカン一色ではなかった。
 交響曲や、他の協奏曲、オペラ「ヴァネッサ」などを聴き進むうちに、ロマンティックで簡明な側面に加え、シリアスで、ちょっと難解、シャープな顔を持ち合わせていることを認識するようになりました。

今回のピアノ・ソナタも、まさにそう。

4つのきっちりした楽章を持つ、古典的なフォルムのソナタで、第1楽章から調性がないようで、不安な雰囲気に気押されるけれど、バーバーらしい、というのもヘンですが、ふたつめの主題が旋律的で、ホッとしたりもします。
 スケルツォに相当する第2楽章は、2分あまりですが、めまぐるしくも可愛い感じ。
そして、深みを感じるアダージョの第3楽章は、かなり深刻な表情で、秋の日に聴くと、とても寂しい気持ちにさせてくれる。
何か、忘れものをしてきたみたいで、気がかりな感じ・・・
 名技性を要求される激しいアレグロの終楽章にも、どこか厳しさが先行し、不安な気分に押される感あり。
フーガ形式で書かれ、しかも複雑なリズムが錯綜し、素人のわたくしなんぞ、よくこんな音楽がばりばり弾けるな、と感心することもしきり。

しかし、どうだろう、ここに聴くバーバーの音楽は。

大好きな、ヴァイオリン協奏曲のノスタルジックなイメージにのみ自身の想いを限定していたにすぎず、交響曲や、ヴァネッサ、そしていま、このソナタを聴いた自分は、バーバーという作曲家を体系的に見直さなくてはならないと痛感してます。
 それは、まるで、バーンスタインの音楽を、キャンディードやミサ曲、交響曲をしっかり聴いて、自身の耳を再修正したことと同じように思う。

1947年、米作曲家同盟設立25周年に書かれた作品。
戦後、そして冷戦への不安など、まだまだ不穏な時代ですね。
この曲は、ホロヴィッツが初演し、そしてレコーディングもあります。
あと、クライバーンも好んだようです。

先日、バーンスタインの「不安の時代」で、共感のこもった見事なピアノを聴かせてくれた、三舩優子さんの、こちらのCD。
会場で買ったものです。
以来、何度も繰り返し聴いてます。
技巧の冴えもさることながら、4つの楽章のメリハリある描き分けと、濁りのない明確なその、ピアノの音に感銘を受けます。
鮮やかな終楽章に耳が行ってしまいがちですが、3楽章の灰色の世界に浮かぶ、ほのかな抒情に、いつものバーバーの顔が見え隠れしたりする、そんな優しい三舩さんのピアノがとても気にいりました。

ピアノ・ソナタ以外にも、バーバーの代表的なピアノ作品がたっぷり収録されてます。
晩年の透徹極まりない「バラード」や、ゆるやかな気持ちにしてくれる組曲「演奏」などなど。
またの機会に取り上げたいと思う桂品です。

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2014年9月22日 (月)

神奈川フィル 来シーズンラインナップ発表

Bluedal

       (神奈川フィルのパンフレットから拝借)

神奈川フィルの、来シーズンの演目が、早くも発表されました。

例年にも増して、わたくしには、生唾ものばかりにございます。

当然に、そっくり更新手続きしますが、ほんと、困っちゃうな、こんな魅惑のプログラムばっかり。

「だめよ、だめ、だめ」

今シーズンから始まった、3つのホールでの、3シリーズ定期。

メインの「みなとみらい」では、いま私たちが最も気になる世紀末~20世紀音楽を中心に、ロマン派の音楽中心で。

「県民ホール」では、オペラ系と王道の名曲。

「音楽堂」は、ハイドンを軸とした古典と現代。

ナイスです。

 
「みなとみらいシリーズ」


・レスピーギ 「ローマ三部作」 いぇーーい、ちょーブラボーやん

  川瀬賢太郎指揮   2015.4.25(土)

・シベリウス ヴァイオリン協奏曲
 ニールセン 交響曲第4番「不滅」   渋~い、けど、最高じゃん
  生誕150年どうしの、ふたりの北欧作曲家。

  小泉和裕指揮    2015.5.16(土)

・ラヴェル 「マ・、エール・ロワ」、ピアノ協奏曲、サン=サーンス 交響曲第3番
  みなとみらいホールのオルガン、ついに神奈フィルにキター、オサレなラヴェルもね、
  ヴェロさまのフランスもの

  小菅優&パスカル・ヴェロ指揮 2015.6.13(土)

・ドヴォルザーク 「新世界」、アイヴズ 交響曲第2番 おぅ、いぇ~い!!
  これもまた、アメリカ!これは素晴らしい。不協和音と引用のごった煮のメリケンシンフォニーを持ってくるとはまた、なんてこったい!

  川瀬賢太郎指揮   2015.7.10(金)

・モーツァルト 交響曲第39番、ブルックナー 交響曲第4番 
 以外と渋い変ホ長調の組み合わせを、ブルックナーの名手で

  児玉 宏 指揮    2015.09.20(日)

・ショスタコーヴィチ 「十月革命」、ヴァイオリン協奏曲第1番、
 シベリウス 交響曲第5番   おぉ、なんという大人の組み合わせ。
 没後40年のタコと、生誕150年のシベリウス。エンディングが難しいけど、どうなるか!

  川瀬賢太郎指揮  2015.10.10(土)

・ブラームス ピアノ協奏曲第2番、コルンゴルト シンフォニエッタ 
 でぇーーーっ
 コルンゴルトのシンフォニエッタだけど、45分の甘味なる大曲をやるんかぁーーー
 もう、悶絶しそう。シュトラウスへのオマージュみたいだけど、その甘さにとろける。
 しかも、ゲッツェルさんの指揮だよう!!
  あっ、大家オピッツさんのブラ2なんてもう、贅沢すぎますよ。

  ゲルハルト・オピッツ&サッシャ・ゲッツェル 2015.11.27(金)

・ブラームス ヴァイオリン協奏曲、交響曲第2番 お待たせしました、ここでようやく王道。
 若手と大家の協演。

 
  
  佐藤俊介&モーシェ・アツモン指揮  2016.1.16(土)

・細川俊夫 「光に満ちた息のように」 ワーグナー「ローエングリン」前奏曲
 ベートーヴェン 三重協奏曲、交響曲第7番 
    笙:宮田まゆみ  
 ローエングリンと合わせることの妙味。そしてなにげにいい曲三重協奏曲に人気曲。
 やるじゃん!

  石田・山本・津田裕也 &川瀬賢太郎指揮 2016.2.13(土)

・エルガー チェロ協奏曲、 ウォルトン 交響曲第1番  ひぇーー、またもや、わたくしの気持ちをわしづかみにしてくれおる。しかも、尾高さんだよん。

  宮田 大 & 尾高忠明指揮  2016.3.5(土)

「県民ホールシリーズ」

・オール・プッチーニ
 えぇ~っ、いいの? ちょーちょー、ウレチイよ。
 現田&神奈フィルのプッチーニなんて、聴く前から、涙がちょちょぎれるでねぇかぁ~
 しかも、大好きな大隅さんだよう。。。

 大隅智佳子、西村悟 & 現田 茂 指揮 2015.6.28(日)

・ベートーヴェン 「皇帝」、 ブラームス 交響曲第4番 これまた王道プロ
 泣く子もだまるずっしり名曲。

 清水和音 & 小泉和裕指揮 2015.9.12(土)

・ベートーヴェン 第9  ついに、川瀬第9だ。
 これから先、何度指揮するだろうか、若い川瀬マエストロ。
 記念すべき演奏になるといい。

 川瀬賢太郎 指揮 2015.12.20(日) 

・ショパン ピアノ協奏曲第2番 プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」 おっ
 広島出身の実力派・萩原麻未さんに、千葉でメキメキ頭角をあらわしている大井さんの登場。 これなにげに、よさそうな予感!

  萩原麻未 & 大井剛史 指揮 2016.1.30(土)

「音楽堂シリーズ」

・モーツァルト ホルン協奏曲第3番、ハイドン交響曲第45番「告別」、
 シューマン 交響曲第3番「ライン」 
 楽員さんソリストシリーズ、今回は、ホルン女子こと美加さん。
 告別とラインってのもよいのう。

  豊田美加 & 川瀬賢太郎 指揮 2015.4.11(土)

・細川俊夫 「冥想」、ハイドン 協奏交響曲、交響曲第100番「軍隊」 これ渋い。
 けど、名品のハイドンを神奈フィルソリストで聴ける。

 崎谷直人・門脇大樹・古山真理恵・鈴木一成 & 広上淳一 2015.7.4(土)

・モーツァルト ピアノ協奏曲第27番、ベンジャミン 3つのインヴェンション
 ハイドン 交響曲第104番「ロンドン」 それぞれの大作曲家の最後の作品を前後に、
 未知のベンジャミンというヒトの作品。
 そして、同じく未知の作曲家兼ピアニストの野平さんの指揮。
 エポックメーキングなコンサートになりそう。

  野平一郎 指揮 2016.2.20(土)

以上のとおりでございます。

書き進むうちに、言葉多くなりました。

まだ残る、今シーズンですが、来季も見据えてこのシーズンを聴いて行くという、また違った喜びも生まれました。

繰り返しますが、ぜんぜん素晴らしいプログラム。
在京のオケで、いつもおんなじ曲ばかり聴いてるみなさん、横浜へ是非、いらっしゃいませ。
次のシーズンは、土日も増えました。

元気に次のシーズンも更新だ!

神奈川フィルをまだお聴きになっていらっしゃらない皆さま。
横浜の観光もかねて、是非、お聴きにいらしてください。
その節には、応援団一行も、オーケストラのメンバーの皆さんとともに、に熱烈歓迎いたしますよ

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2014年9月21日 (日)

神奈川フィルハーモニー第302回定期演奏会 キンボー・イシイ指揮

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曇り空の涼しい土曜日、9月の神奈川フィル定期は、14時からの開始。

思えば、短時間のプログラムで、その分、たっぷり飲めました(笑)

でも、コンサート終了後は、心がとても暖かくなり、大きな何かに包みこまれたような気持ちにあふれました。

バーンスタインの音楽の包容力と、メッセージ性の強さを痛感したのです。

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  ガーシュイン    「キューバ序曲」

              「パリのアメリカ人」

  バーンスタイン   交響曲第2番「不安の時代」

          Pf:三舩 優子

    キンボー・イシイ 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

               (2014.9.20@みなとみらいホール)

8月は、グラズノフとチャイコフスキーの、真夏のロシアスペシャル。

9月は、ガーシュインとバーンスタインの、初秋のアメリカンプログラム。

いい感じの流れです。

来月は、コルンゴルトとエルガーの、わたくしの最大級のフェイヴァリット作曲家たちのプログラム。そちらは、自作の引用による作品たちと、20世紀中葉の頃の作品というくくり。

こうして、次々に、われわれ聴衆の感覚を刺激してくれるプログラムと、演奏の素晴らしさでもって、感動を与え続けてくれる神奈川フィルです。

3度目の定期登場のキンボー・イシイさん。
アメリカ、ヨーロッパ、日本で活躍中のイシイさんの作りだす音楽は、手堅くも明快、すっきり系で、神奈川フィルとの相性もばっちりでした。

そして、お得意のアメリカものです。

めったに演奏されない「キューバ」序曲は、10分たらずの曲のなかに、キューバン・ミュージックのダンスのリズムが満載の、はじけるような音楽です。
神奈フィル誇る打楽器陣が勢ぞろいして、ボンゴ、マラカス、ギロなどのラテンに相応しい楽器たちが楽しく打ち鳴らされるのは、観て聴いて、ウキウキしてしまうものでした。
惜しむらくは、昼の2時、われわれ聴衆が少し乗りきれなかったことでしょうか。

次の「パリのアメリカ人」とともに、ちょっとアルコールでも入った夜に聴いたりするのがよろしいかと・・・

でも、そんなこといいながら、さすがに神奈川フィル、美しい「パリアメ」でした。
パリアメに美しい・・という表現は、なんですが。
この曲には、明るく楽しい半面、郷愁やちょっとの寂しさも感じるので、こんなきれいで美しい演奏も充分にありなんです。
華奢な弦と、厚すぎない低弦、楽しいソロが満載の木管と金管。
そして、ここでも打楽器の活躍は楽しかった。
 ジーン・ケリーのミュージカル映画「巴里のアメリカ人」を、このガーシュインの曲ゆえ、何度も見たことがありますが、そこに漂うのも、笑いとともに、一抹のさみしさ。
 最後に、ジーン・ケリーが拾う、真っ赤な1輪のバラ・・・、その印象があまりに強いものですから。

そんな残像も、脳裏に浮かぶような、イシイ&神奈フィルのステキな「パリアメ」でした。

 さて、後半は、濃密バーンスタインの音楽。

この曲は、事前によく勉強して、曲のなりたちや背景、構成を頭にいれておかなくては、ただの暗→明の、よくあるピアノつきの交響曲としか受け止めることができません。

かなり以前に、秋山和慶さんがN響を指揮した演奏テレビで見たのが初験。
その後、バーンスタインがベルリン音楽週間で、イスラエルフィルを指揮したもののFM放送を録音し、長くこれを聴いてました。
CDでは、バーンスタインのふたつの自演と、スラトキンの演奏を聴いてます。

ですが、この曲のほんとうの姿、それは、曲の内容の詳細も含めて、これまでロクに知らずにまいりました。
神奈フィルの応援ページで、楽曲案内のお勉強記事を書くこともあって、今回は、相当に聴きこみ、原作のオーデンの詩のこと、CDの英文解説書などじっくり読みこんで、この音楽のなんたるかを手にしてからのコンサート。


 第1部 ①「プロローグ」
      ②「7つの時代」
      ③「7つの段階」

 第2部 ④「追悼歌」
      ⑤「仮面劇」
      ⑥「エピローグ」


こうした2部構成、6つの場面からなる全体が、さらに、第1部を第1楽章、以下、④=第2楽章、⑤=スケルツォ楽章、⑥=終楽章とみなされ、交響曲としての容に収まっている。

こうして緻密に構成された全貌を、しっかりと踏まえて理解させてくれたイシイさんの見通しのよい指揮ぶり。
そして、そこに一糸乱れずついて着いてゆく神奈川フィル。
楽員さんみなさんが、この音楽を感じ取り、バーンスタインの音楽の中に没頭している感が見受けられました。
日々、いろんな曲を演奏し、数日単位で、まったく異なる曲へと切り替えなくてはならない、オーケストラの皆さん。ほんと、尊敬します。
聴き側は、あれこれ言うだけで、ほんと勝手なものです。

そして、さらに素晴らしかった三舩さんの、この曲への打ち込みぶり。
それこそ、瞬間瞬間で変わる楽想や、弾き方のスタイル。
めまぐるしいまでのその進行を、完璧極まりなく手の内にされ、しっかりわれわれにバーンスタインの音楽の面白さを届けてくれました。

第2部の3つの場面の描き分け方も、指揮者・ピアノともに、見事でした。
深刻でヘビーな④、オケの咆哮もシビアで、キリキリしてしまいました。

一点、ジャジーな⑤は、ノリノリでかっこいい
わたしは、体がウキウキ動いちゃいましたよ。
三舩さんの、こういうピアノ最高ですね。
米長さんのコンバスのピチカートもかっこええ。
打楽器群もナイス極まりなし!

そして、来ました終楽章の感動の大団円。
前のブログにも書きましたが、どうしてもユダヤ的な思想が垣間見られるバーンスタインの手口ですが、宗教云々を言う前にそこにある、人間愛。
その讃歌として、この輝かしくも感動的なラストはあるのでしょう。
それを実感できた、素晴らしい演奏ではなかったでしょうか。

終了後、ホールは完全な沈黙の波にのまれました。
静かに、ブラボー一声、献上させていただきました。
聴こえたかな?

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恒例懇親会は、横浜地ビール「驛の食卓」の食卓にて。

午後公演だったので、今回は、お疲れのところ、多くの楽員さんをはじめ、楽団の方にもお越しいただき、さらに、いろんな輪の広がりから、たくさんの皆さまのご参加を頂戴し、新鮮なまさに産直ビールに、神奈川県産の食材の数々の料理を肴に、たいへん楽しいひと時を過ごすことができました。

こんな風に、聴き手と、音楽家のみなさまや、その関係者の方々と親しく触れあうことができること、これもまさに神奈川フィルの魅力ですね

みなさま、お疲れ様でした、お世話になりました。

さぁ、10月は、すごいことになるぞ。

千人、アラベラ、コルンゴルト、エルガー、わたしの大好物ばっかり。
どーしましょう

あっ、新国のパルシファルもあるし・・・・・。
ちゃんと仕事しなくちゃ・・・。

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2014年9月19日 (金)

ガーシュイン&バーンスタイン 神奈川フィル定期前夜祭

Kanapfill201409

  ガーシュイン    「キューバ序曲」

              「パリのアメリカ人」

  バーンスタイン   交響曲第2番「不安の時代」

          Pf:三舩 優子

    キンボー・イシイ 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

      2014年9月20日 土曜日 14:00 みなとみらいホール


先月のグラズノフ&チャイコフスキーのロシアン・プログラムに続いて、今月は、うってかわって、アメリカン・プログラム。
いい演目でしょ。

イシイさんは、これで定期3度目の登場。
いよいよ本領発揮の曲目たち。
日本、ウィーン、アメリカで学び、米楽壇を中心に活躍する一方、日本各地のオケに客演、そして、ドイツの名門マグデブルグ劇場の指揮者もつとめるオペラ指揮者でもあります。
これまで、のびのびと、大らかな音楽を作りつつも、知的なサウンドも聴かせてくれました。
 そして、イシイさんと同じく、ジュリアードで学んだ三舩さんのピアノ。
複雑な表情を見せるバーンスタインのピアノ協奏曲のような第2交響曲。
ピアニストにとっても難曲だと思います。
三舩さんの、幅広い表現が聴けることでしょうね、楽しみ。

ということで、これらの曲を、手持ち音源で。

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  ガーシュイン 「キューバ序曲」&「パリのアメリカ人」

   ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団


これらの曲の初レコードがこれでした。
「ラプソディ・イン・ブルー」も含めた1枚は、高校~大学時代、すり減るほどに聴いたものです。

録音から誉めるのもなんですが、ともかく、デッカの優秀録音で、音が極めてよかった。
どんな安い装置でも、肉厚に、輝かしく、ゴージャスに鳴りました。
そう、演奏もまさにそうで、セルのクリーヴランドが、マゼールのノリのいい指揮によって、アメリカのバリバリのオーケストラであることを強く認識させてくれました。
 でも、決して崩すことなく、正統クラシックとしての格調をすら感じさせる生真面目ぶりもあるんです。

亡きマゼール、面白い指揮者でした。
「ポーギーとベス」は、まだ未聴ながら、これらガーシュインの演奏は、マゼールの最大の遺産のひとつではないかと思ってます。

これらの曲、もちろん、バーンスタイン、プレヴィンも素晴らしいですな!

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  バーンスタイン 交響曲第2番「不安の時代」

       Pf:ジェームズ・トッコ

    レナート・スラトキン指揮 BBC交響楽団


シリアス・バーンスタインの顔がしっかりうかがわれる3つの交響曲。

「エレミア」に「カディッシュ」いずれもほかのふたつは、ユダヤ色が濃厚で、その内容も同様に濃くて、重い。

これまた中学生のころ、テレビで、バーンスタインのニューヨーク時代の連続テレビ番組を、毎土曜日だったか、見ておりました。
DVDにもなってますが、モノクロの映像で、MCとしてのバーンスタインの才能が炸裂してて、作曲家・指揮者・ピアニストにプラスMC、いや、教育者と呼ぶべきか、そんな風に思える番組でした。

そこでの縦横無尽の明るい指揮ぶりは、お馴染みのジャンプもまじえて、こちらには、楽天的なアメリカーーンとしての、レニーの印象を刻みつけるものばかりでした。

しかし、彼の残した音楽はどうでしょう。

表面的には、「キャンディード」は明るく華美で、「ウェストサイド」はメロディ満載でロマンティック。
でも、「キャンディード」のドラマは荒唐無稽だけど壮大で、感動的な人間ドラマです。
そして、「ウェストサイド」は、現代のロメジュリで、悲劇とそれがもたらす和解と平和。

そんな風に、バーンスタインの音楽には、大きな人間愛に満ち溢れているのです。
それを表出するために、宗教観や、シリアスな世界観を経ることになるのだと思います。

晩年に、その指揮する音楽は、とかく粘着的になり、テンポも遅くなっていったバーンスタインですが、自身が思うところの「愛」を必死に模索していたのではないかと。

曲の内容につきましては、神奈川フィルの応援フェイスブックに書きましたので、そちらのリンクを貼って、この場はしのぎたいと思います。
記事の一番下に貼っておきます。

バーンスタインの自作は、かつては、それこそ自演のものしか聴くことができなかった。
それが、いまや、そのシリアスな作品たちが、大いに評価されるようになり、「バーンスタイン指揮」というカテゴリーを離れて、客観的な解釈による他の指揮者によるものが、聴かれるようになりました。
このようにして、レニーの作品は、広く認知されていくのでしょうね。
 同時代人、ベンジャミン・ブリテンの音楽にも、まったく同じことが言えます。
そういえば、ブリテンも、作曲家・指揮者・ピアニストでした。
おまけに、○モという共通項も。
もちろん、レニーは、両刀使いでしたが・・・・・・。

最後に、格調が低くなりました。

スラトキンとBBCの演奏は、ほどよく熱くて、ほどよく冷静なところが実にいいです。
ふたつある自演盤も、もちろん聴いてますが、ちょっと疲れちゃうかも。

https://www.facebook.com/notes/we-love-%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB-%E7%AC%AC302%E5%9B%9E%E5%AE%9A%E6%9C%9F%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%81%8A%E5%8B%89%E5%BC%B7-%EF%BC%93%E6%99%82%E9%99%90%E7%9B%AE-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC%EF%BC%92%E7%95%AA%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3/746982172004946



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2014年9月16日 (火)

ベルリオーズ 幻想交響曲 ケンペ指揮

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遅ればせながら、9月の小便小僧。

粋なはっぴをまとって、小便の勢いも一直線。

広義な意味での、秋祭り。

夏祭りは、お盆にまつわる祭りということで、帰ってきた祖先の御霊と相楽しむような、イヴェント的な要素が強く、華やかでありますね。

秋祭りは、収穫の感謝を捧げる祭りでしょうか。

ですから、地域性もさまざまで、11月まで、秋祭りはあります。

わたしの住まう、自治会では、毎年12月の第1日曜日が秋祭りということで、ついでにクリスマスまで強引にくっつけちゃう。

Hamamastucho201409_b

後ろ姿。

かわいいね。

足袋もすばらしい、まいどながら、いい仕事されてます。

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 ベルリオーズ   「幻想交響曲」

   ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                  (1959.5 @ヘドヴィッヒ教会、ベルリン)


「ケンペの幻想」、なんか、あんまりイメージなかったけれど、ドイツの本流みたいなケンペだけど、かなり器用な指揮者だったし、なんたって、R・シュトラウスのスペシャリスト。
複雑難解なシュトラウスの音楽を、意外なまでに軽快な棒さばきで持って、すっきり・くっきり聴かせることができたケンペ。

ワーグナーにおいても、重厚長大でなく、音を大切にしながらも、重たすぎないノーマルな演奏を聴かせてくれてました。

晩年の、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーなども、みんなそう。
個性のなさを、云々せずに、その音楽の素直なあり方こそを評価すべき、安心すべき名指揮者でしたね。

1910~1976、あまりに早すぎたその生涯。

あと20年存命だったら、オーケストラ界は、まったく違うものになっていたかもしれません。

ドレスデン生まれで、関係の深かったオーケストラは、当然にドレスデンのシュターツカペレ。
そして、ウィーン、ミュンヘン、チューリヒ、ロイヤルフィル、BBC、そしてベルリンです。
そこに、アメリカのオケも加わったりすることを夢想するのも楽しいこと。

こんな経歴のあるケンペですから、ベルリオーズも難なく、むしろ軽やかに仕上がってます。
繊細で、こまやかなまでに、静かな部分が美しい。
テンポを揺らさずに、克明な音の表出が目立つから、速い場面でのゴツゴツ感がありますが、それでも、音楽はしなやかですよ。

瑞々しい1楽章と、普通に気持ちいいワルツ。
田園のような3楽章。
少しもうるさくない断頭台は、ちょいと真面目すぎで、おもろくない。
同じく、おもろくないといえば終楽章だけど、音楽の彫りが、ほんと深い。
カラヤン時代初期のベルリン・フィルだけど、カラヤンの方が、腰が重く、重厚に感じるのは、録音のせいだろうか。
でも、この楽譜をそのまま音にした感は、とても新鮮なのです。
 4,5楽章は、多くの指揮者が、ここぞとばかり、がんがんごんごん行くんですが、このケンペ盤は、まったくの王道。
 ごく普通の熱狂しないエンディングに、妙に感激してしまうのでした。

それでいて、音の質量は軽く、明るいのでした。

面白いな、こんな幻想も。

そして、録音時49歳のケンペ。

ドレスデンとも、後に、この曲をやって欲しかったな。

Kempe

一度も、日本にはやってくることのなかったケンペ。

札幌冬季オリンピックのとき、夏のミュンヘンとの互恵で、ミュンヘンフィルがやってきたのは1972年。

音楽監督ケンペは体調不全で、当初から予定されず、代わりに、ノイマンが来るとのことでしたが、ノイマンも東側の事情でダメになり(だったと記憶します・・・)、結局、フリッツ・リーガーという、オペラの大ベテランが随行しました。

夏のミュンヘン五輪で、イスラエル選手・関係者が、パレスチナ武装グループによるテロに合い、ハイジャックの末、双方、多数の死者を出すという惨事が起きました。
 2月の札幌のあとを受けての夏のミュンヘンでした。

犠牲者への追悼式が、五輪のスタジアムで行われ、そのとき演奏されたのが、英雄交響曲の第2楽章。
地元ミュンヘンフィルを指揮したのが、ルドルフ・ケンペでした。

中学生のわたくし、それをテレビで見てました。

地域の紛争が、いまや、世界レベルで拡大しつつあると思います。

あのときの、ケンペの指揮したベートーヴェンの教訓が、いまに至るまで、まったく活きておりません・・・・・

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2014年9月14日 (日)

ワーグナー家のたそがれ

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もう終了してしまいましたが、2014バイロイト音楽祭

いい天気に恵まれた7月25日のオープニング。
8月28日までのほぼ1カ月。
連日、上演されるワーグナーの作品専門の劇場に音楽祭は、ワーグナーにとって、変わらぬ聖地であります。

メルケル首相をはじめ、ドイツの著名人たちが、着飾って、レッドカーペットならぬ、劇場までの緑に囲まれた通路を練り歩くのも、毎年のこと。
 そして、それを楽しそうに見守るのが、バイロイト市民。

こうした恒例は、ずっと変わらぬバイロイトの名物だけど、肝心の舞台の質が、年々、どうも下降気味。

 今年は、新演出がなく、去年の演目とまったく同じだったので、新味に欠けたことも、そうした思いに拍車をかけることとなりました。

例年どおり、ネットで視聴・録音しました。

オープニング演目は、「タンホイザー」。
今年4年目のプロダクションです。

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序曲のあいだ中、こんな、レントゲンっぽい、キモイ人体画像が次々に映し出されるみたい。

今年は、ビデオ撮りが行われ、バイエルン放送の特設サイトで、小さい画像ながら全曲が閲覧可能です。
NHKでも放送すると思いますが、わたくしは、スキップしてささっと見たのみで、ちゃんと拝見する意欲もわきませんでしたね。

ともかく、気持ち悪い。

NHK放送があれば、見てあげましょう。

化学薬品の工場みたいなのと、変な宗教がかった感じと、ヴェーヌスブルクは奇獣の巣窟みたい。
ここに、どうやって、清女の自己犠牲と、それによってもたらされる究極の救いを見いだせというのか!

まさに、目をつぶってないと、音楽と演奏の素晴らしさが阻害されるという典型でありましょう。

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産気づくヴェーヌス・・・・、なんでやねん。

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おたまじゃくしと、カエルの間のような連中に、バイオハザードのような連中。

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事切れる、タンホイザーのもとで、檻に住まう連中と、なにかわからんけど、赤ん坊を抱いたヴェーヌス。

これが、「タンホイザー」の大団円。

これで、あの感動的な合唱が歌われるのよ・・・・。

全部、しっかり見なくちゃ評価しちゃいけないけど、こうした画像だけでも、想像がつくし、吐き気をもよおすんだ。

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唯一、麗しいニールントのエリーザベトで、その歌声も、4年間、安定の度合いを高めてます。
でも、2幕のタンホイザーの助命を熱く歌う感動のシーンでは、両手を血だらけにしてます。気持ちわりい・・・。

彼女と、タイトルロールの、日本でもおなじみとなった、トルステン・ケルルは、実に素晴らしい歌唱です。

2年目のアクセル・コバーの指揮も、きびきびとしながらも、堂々たるものでしたが、ちょっと小粒かな。
初年度のヘンゲルブロックが1年で降りてしまったのも、このヘンテコな演出のせいか?
2年目は、ティーレマンが急場をしのいで、3年目に実務的なコバー。

そして、この、クソみたいな「タンホイザー」は、不評につき今年で打ち切り。

バウムガルテンという小僧の演出は、こうして葬り去られることに。

おまけに、ことしは、舞台で事故がおこり、1幕の途中で中断。
放送もズタズタでしたよ。

でも、ちゃんと見てのうえで、そうした評価は導きださなくちゃいけませんね・・・・。

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「さまよえるオランダ人」は、グローガーの演出で、3年目。
二キティンのハーケンクロイツ刺青問題で、タイトルロールが、韓国人歌手のクワンチュル・ユンに変わった、最初からコケタプロダクション。
初年度もブーイング激しかった。
昨年、映像で確認できたけど、扇風機工場を舞台に、投機や、ビジネスマンの物語に、まったく面白みを感じない、つまらん演出。
歌手は、みな滑らかすぎて、上ヅラだけ。
ティーレマンの重厚な指揮が、それらにそぐわない、イマイチぶり。
 早く、終らないかな、これも。

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「ラインの黄金」

これが、「ニーベルングの指環」のワンシーンとは、いったい誰が思うことができましょうか。

いい加減にしろといいたい。

ブルーフィルムの撮影現場だし。

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ラインの乙女は、立ちんぼだし。

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モーテル兼スタンドは、荒野のアメリカのひとコマで、ギャングたちも元気がよいし。

はぁ。。。。

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「ワルキューレ」では、石油がモティーフに。

ウォータンの魔の炎の音楽は、石油が燃えてますぜ。

はぁ~

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ミーメの殺人ドリンク調合にも、のんきに爪を研ぐ「ジークフリート。」
かたわらには、小鳥ならぬ、、森の大鳥。

今年も、ソ連製機関銃カラニコフは、ものすごい威力でもってバリバリと発砲されてまして、ファフナーの死の、ちょっと厳かな部分は台無しに。。。

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もう、わかったから・・・、いいよ。

レーニンのでかい鼻の穴。
マルクス・レーニン・スターリン・毛沢東の4人組勢ぞろいの、ブリュンヒルデの山にて、アジるジークフリート。

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どこからやってきたんだ、3人の運命の女神、ノルン。

ひどいよ、ねーさん。

「神々の黄昏」

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旅立ちを前に、姉さん、ブリュンヒルデから、あれこれ教えこまれる冷徹なジークフリート。

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安っぽいショップのカウンターの中で、契りを交わす、ジークフリートとグンター、モヒカンのハーゲン。

なんじゃこりゃ。

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ジークフリートが自由主義を謳歌し、女といちゃつくのを見て、怒りまくるブリュンヒルデ。

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落ちぶれたヤンキーのラインの娘たち。ヒューヒュー

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記憶、呼び出し中の青白い顔のジークフリートは、どこか病的で、いやーな感じ。

去年、想像だけで読み解いた、カストルフの新演出リング。
観劇レポートや批評を読んで、その半ばは想像があたり、半分は外れた。

でも、そんなこと、どうでもいい。

このバカらしい演出が、まったく嫌いだ。

ファンタジーのかけらもなく、ワーグナーが網の目のようにして張り巡らせたライトモティーフと、それに即した人物たちの行動と心理が、これらの画像からは、まったく読み解き、感じることができない。

来年あたりに、映像化されそうですが、きっと見ることはないでしょう。

だがしかし、このリングは、歌手と指揮者が素晴らしい。

まずは、K・ペトレンコ。
去年よりも、さらに細部までわたり説得力あるオーケストラ演奏になってる。
堂々とした音楽の運びでありつつ、音は意外なまでに軽やかで、見通しのよさで際立っている。
4つの長い物語が、統一感を保っているのも、この指揮者あってのものかも。

ライアンのジークフリートは、声の威力はいいけど、その声のクセは、どうも好きになれないな。
フォスターのブリュンヒルデは去年に続き、大検討。よくなってる。
若々しいウォータン、コッホも相変わらずよい。

ボータとカンペの、ジークムント・ジークリンデも、文句なく素晴らしい。
マーンケのコクのあるフリッカも忘れ難く、そのたすみずみにいたるまで、充実の歌手陣。
若い歌手たちが、舞台を占めるようになったのもバイロイトの特徴。

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「ローエングリン」

こちらは、録音したけど、まだ聴けてません。
ネズミ・ローエングリンとして、珍奇さばかりに目が行った舞台だったけれど、5年目の今年、一番、安定感と妙なことに、安心感もある舞台だったに違いない。

ネズミだけど、最後はキモイけど、人物たちが、滑稽だけど、いがいなことに、ワーグナーの音楽を阻害していない。

ノイエンフェルスのマジック。

タンホイザーが打ち切りになったため、来年も、異例の6年目に突入の「ローエングリン」は、ネルソンスとフォークトの二人が素晴らしいのです。
楽しみに聴かせてもらいます。

 カタリーナとエヴァの異母姉妹による共同総監督のかたちで、ウォルフガンクから引き継がれた、ワーグナー家によるバイロイト音楽祭の運営。

エヴァの方が、来年の音楽祭のあと、任期で降りることとなり、カタリーナひとりとなる。
世襲は、どこまでピュアに続けることができるか。

なによりも、上演の質が年々落ちている。
読み替えや、新機軸の発想をともなうドイツが先端の演出も、まがり角にきていると思います。
ほかのドイツの劇場に、遅れて、そんな流れに乗ったバイロイトですが、向かう先が、さっぱり不透明に思います。
 無理に走らなくても、日本の新国立劇場ぐらいの中庸さでもって、ハイレヴェルを追求してもいいのではないかしら。

どんなに、質の高い演奏をしても、お金はかかっていても、あんなファンタジー不足の虚しい演出では、その音楽にそぐわないことおびただしい。

来年、2015年は、カタリーナ&ティーレマンで、「トリスタンとイゾルデ」。
どーなるでしょう。
あと、「オランダ人」「ローエングリン」「リング」で、パルシファルは、3年連続で、またもおやすみ。

1年は、あっと言う間ですから。

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2014年9月13日 (土)

シュレーカー 「烙印を押された人々」 あらすじ

ところは、ルネサンス期、イタリアのジェノヴァ。

第1幕 貴族アルヴィアーノ・サルヴァーノの館

 「しかめっ面、せむしの私に、どうしてこれほどの感情、欲望があるんだろう・・・」と一人悩むアルヴィアーノ。
そのまわりでは、仲間の貴族たちが、面白おかしく、おれたちは街の娘や夫人たちをつまらない恋人や、技巧に不慣れな夫たちから解放してやってると言っている。
 アルヴィアーノは、かつて金で娼婦を買ったとき、その時の自分への嫌悪感を思っていて、いまでも嫌な思い出と次元の違うことを話す・・・。
そこへ、公証人到着の知らせに、貴族連中は、何事かと色めき立つので、アルヴィアーノは、「楽園島」~それは人工噴水、庭園、芸術のステージ、自然の配合からなるパラダイス~をジェノヴァ市へ寄贈することにしたと語る。
 貴族たちは、「え? おいおい、わかってるんだろうな、それは裏切りだぜーー」「事が露見したらどうすんだ!」、とせっかくの私財をなげうった施設を惜しむとともに、必死に食い止めようとして、なんとか手を打たなくてはならないと語り合う。
そこへ、貴族タマーレが遅れてやってきて、美しい女性を見て惚れてしまったとひとり大騒ぎする。

市長と娘、元老院議員がやってくる。
市長はアルヴィアーノに、娘があなたにお願いがある、まったく奔放で困ったヤツだ、そりゃそうと今回の寄贈は素晴らしいと長口舌。
その話の中で、最近女性がさらわれ行方不明となっている事態も語られる。
島の譲渡を受けるには、アドルノ公爵の了解も必要、こちらは自分が責任もって対処しますと市長は請け負う。

タマーレが見染めたのは、実はその市長の娘、カルロッタ。
彼は、そこで、これ幸いと言い寄るが、彼女は、私の好きなのは酬いを求めて苦しみ、犠牲となる男性、あんたが死んだらそうなるかもね」、と厳しくも不可解な態度。
ますます彼女に夢中になるエロいイタリア男、タマーレであった。

貴族の雇った刺客ピエトロとアルヴィアーノの家政婦マルトゥッチはいい仲で、スパイとなることが予見される。
彼は冒頭に出てきた悪い貴族メナルドと間違えられ、ある女性に追いかけられていると語る・・・・

 アルヴィアーノとカルロッタが二人になり、彼女は、いろいろ絵を描いているけれど、一番描きたいのは「魂」と歌う。この場面の彼女の危ういほどの情熱の歌は素晴らしい。
だから、あなたを描きたい、と語るが、アルヴィアーノは自分が醜いというコンプレックスがあるものだから、ばかにされていると思いこみ、なら道化に描いて欲しいと嘲笑する。
カルロッタは、ある朝、あなたが私のアトリエの前を通り過ぎそこに朝日が昇るのを見た。その時の巨大な姿を私は絵にしたけれど、顔がないの、太陽に向かって進むアルヴィアーノを描きたいと熱烈に語り、ついにアルヴィアーノも絵のモデルになることを同意する。。。

第2幕 アドルノ公爵家の広間


 アドルノ侯爵の館から市長と元老議員が怒りながら出てくる。
島の譲渡に関して貴族仲間への配慮もあり、慎重な姿勢を崩さなかったことへの憤りである。
 そのアドルノに貴族タマーレがやってきて、またもやある女性への熱愛を語り、友人ゆえに公爵は協力を約束。
でも相手が市民の市長の娘とわかると貴族の立場ゆえの自戒を伝える。
それでも、あの女をものにしたいと語るので、アドルノは引いてしまう。
どうせわかりゃしないし、昨晩も一人、こっちに知らないうちに娘がかどわかされたのだと。
え??、おまえ、まさか一連の事件に」、とアドルノ。
そうとなりゃ、仕方あるめぇ、じつはあの島の地下洞窟に愛の宴の巣窟があるんですよ。アルヴィアーノが、解放してしまったらすべてがバレちまうのですわ。だから、市への譲渡を阻止していただきてぃんですよ~。
 アルヴィアーノ7は関与してるのかとの問いに、ヤツは加わってません。今や後悔してるかもしれませんぜ。アドルノは怒り、おまえは愛を覚えたから悪い奴らとは違うと思うし、一度は助けるといってしまったのだ、でも暴力はイカンぞ」、と不愉快ながらクギを刺す。

カルロッタのアトリエ
 アルヴィアーノがモデルとなっている。
彼女は、「かつて心臓を病んだ友人がいて、彼女は風景や人物も描くが、人の手を描き、あるとき干からびた枯れ枝のような死んだ手を描いた。その手は死に怯え飢えていたようだったし、赤い筋のようなものも見えたのだ」、と語る。
アルヴィアーノに、「視線をのがれてはいけない、こっちを見て、自信をもって」と言い、情熱的な音楽(前奏曲に同じ)になる。
「そうそう、その調子」。
でも、すっかり思いが高ぶり、彼女に詰め寄ろうとするアルヴィアーノ。
それを制し、絵の仕上げにふらふらになりながらのカルロッタ。
彼女は危ない雰囲気で倒れそう。
やがて出来上がり、倒れこむカルロッタが傍らの画架に手をすがると、その布のあいだから、やせ細った手が見える。
すべてを察知したアルヴィアーノ
ぎこちない抱擁。かわいそうな優しい人を大事に守る決意を歌う・・・・。

第3幕 楽園島にて

市民たちが解放された楽園島にやってくる。
そこでは、怪しいしいニンフやパンたちのマイムが行われていて、市民たちも、これじゃなんだかななぁ、の意見。
行方不明となった女性に関し、ご主人に危害が及ぶかもしれないと警告しようと家政婦が出てくるが、悪漢ピエトロに捕えられてしまう。
奴はいまや、完全にアドルノの手下なのだ。
 むしょうに、いなくなってしまったカルロッタを心配するアルヴィアーノが市長とともに出てくる。
市長は、今宵アドルノのある告発があるのを知っていて警告するが、アルヴィアーノは娘さんは最高の女性、自分の罪は自覚していると語り、市長は混乱する。

そのあとそこには、アドルノとカルロッタ。
絵が出来上がってから、自分の中で何かがしぼんでしまった、アルヴィアーノはもう私にすべて最高のものを与え、これ以上は期待できないとぶちまける。
同情というヴェールが包んでいたのに、それを破り捨ててしまうと、かつてアルヴィアーノが自嘲して語った「花々の中にある醜い毒虫・・・」という言葉を思い出すのよ。。と語る。
それを聴き、アドルノは、アルヴィアーノはもう情欲の僕となっている劣等肝と語るが、彼女はがぜん、それを否定し、アルヴィアーノの高貴さと気品を称え怒りすべてを否定する。
揺れ動く女心は難しいのだ。
でも夏の蒸し暑さに火照り、灼熱に浮かれたようになってしまう・・・。

狂おしく花嫁のカルロッタを探しまくるアルヴィアーノ。

祭りの催しに熱狂する市民、そこで夢遊するカルロッタを見つけだした、マスクをかぶったタマーレ。
彼は狂おしく迫り、あらがうカルロッタだが、しかし負けてしまい抱かれてしまう。

民衆は、この島譲渡の善行に、アルヴィアーノ万歳、あんたは祝祭の王だ、とはやし立てる。
でもかれは、自分はそんな立派なものではないと言いつつ、それどころでなく、カルロッタが不明となり、「彼女を探し出せば私財をすべてやる」と混乱の極み。市長やその女中連中も必死に探している。

そこへ8人の屈強の覆面男が、司法警察の隊長とともに登場。
アドルノの起訴をもとにやってきたのだ。


アドルノは民衆に向かい、「おまえらはたぶらかされている。この男はお前らの嫁や娘をさらい、たらしこんだヤツだ」と告発する。
 しかし、民衆は逆に、いまある快楽をねたんで奪う盗人と逆ぎれし証拠を示せとさわぐ。
そこで出ました、刺客が悪漢貴族のために誘拐した女性が、アルヴィアーノ邸にいたの証言で、スパイの仕業が見事に。
これで、はめられたとわかったアルヴィアーノ。

民衆をともない地下室へと降りてゆくアルヴィアーノ。
そこには乱痴気騒ぎが中断され茫然自失の女たちと、すでに捕えられた貴族たち。
その中には、タマーレもいるし、倒れたカルロッタもいる。

アルヴィアーノは、彼に、彼女がおまえを愛したということであれば、最初から自分は何も所有しなかったということで、元のみじめな日々に戻るだけ」、と語る。
タマーレは不敵にも、「これは宿命、おまえは自分が一時強者だと思ったろ、でも違うんだ、喜びにしり込みしたのさ、なぜ、彼女を奪わなかったのだ?」と強く攻める。

アルヴィアーノは、「自分は人生の深淵を見てきた人間だからだ。

対するタマーレ、そんなことぁ知らねぇ。強烈な抱擁のうちに至福の死を彼女は求めてきたんだ。彼女は自由になり、死を与えられたのだ。

アルヴィアーノは、「きさま、彼女の心臓の病、そのことを知ってやがったのか、このくそやろう!!」

タマーノは、まるでばかにしたかのように、道化のヴァイオリン弾きの女を奪うために、そのヴァイオリンでたたき殺したと歌う。
ついにアルヴィアーノは、タマーノを刺殺し、その断末魔の叫びに正気に戻ったカルロッタ。
彼女に、「大丈夫、自分ならここに」、というものの、「近寄らないで、妖怪、失せて、あの赤い糸が・・・」、「いとしい人よとタマーラに・・・・。

ここで茫然とするアルヴィアーノ。
私はヴァイオリンが欲しい、それと赤く鮮やかな、隅に鈴の付いた帽子も。
どこへ行った? あれ、ここに死体が・・・」
皆さん死体がありますよ・・・・

怖れ、道を開ける人々の間をぬって舞台奥へ消えゆく、正気を失ったアルヴィアーノ・・・・・


静寂から、やがて虚無的なまでのフォルテに盛り上がって後ろ髪引かれるようにして音楽は終わる。

                             幕


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2014年9月12日 (金)

シュレーカー 「烙印を押された人々」 前奏曲

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何度か登場の、六本木ヒルズのシュールなモニュメントと、遠景の夏の東京タワー。

10月には、東京タワーもオレンジ色になります。

このところ、忙しいいのと、別口ライブなどで、記事更新が滞ってまして、申し訳ありません。

聴きたい曲、書きたい曲、紹介したい曲など、それこそ、次から次にあるのですが、あれよと言う間に、日が経ってしまい、季節感も失い、記事のタイミングも失してしまうというもどかしさを感じてます。

今宵は、ときおり頭のなかで鳴りだす音楽のひとつを取りだしてみました。

 シュレーカー 歌劇「烙印を押された人々」 前奏曲

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    エド・デ・ワールト指揮 デンマーク放送交響楽団

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    ゲルト・アルブレヒト指揮 ウィーン放送交響楽団

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    ケント・ナガノ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団

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    ヴァシリー・シナイフスキー指揮 BBCフィルハーモニック

いま、手持ちの「烙印を押された人々」の前奏曲にまつわる音源です。

最後のシナイフスキー盤は、オペラの全般をもイメージして、幻想曲風にしたてた「あるドラマへの前奏曲」という、ロングバージョン。
おおいに聴き応えがあります。

ですが、オペラ全体をつまみ聴くには、この曲はそぐわず、コンサートバージョンっぽい。

でも、時間がない時などは、わたくしは、とても重宝してます。

 このオペラは、いろんなストーリーを入れ込みすぎて、焦点がぼやけぎみないつものシュレーカーのオペラの中にあって、2時間30分の長帳場ながら、ややこしい筋立てながらも、求心的なドラマになっていて、聴き応えも、劇としての面白さも高いと思います。

醜い男と思いこんでいる主人公、そして、その彼が同情と、やがて愛情を注いだのが、ヒロインで、彼女は美しいけれど、心臓が悪く、熱い恋などできる体でない。
そんな彼女をたらしこむ、遊び人のイケメン。
 この3人に、快楽悪逆追及の貴族たちと、彼らが作った快楽のテーマパークに心奪われる民衆。

出てくる連中、みんなが、あかんレッテルを貼りたくなる、そんなオペラって珍しいですね。

成功したオペラでありますが、台本も指揮も、すべてひとりでこなす才人であったシュレーカーは、そのユダヤという出自ゆえに、華やかな第一線から締め出され、心臓の疾患も出てしまい、失意のうちに亡くなってしまう・・・。

いわゆる、「退廃のレッテルをナチス政権によって貼られた作曲家」の代表格であります。

この前奏曲、ほんとに好きで、痺れるような、甘味なまでの官能に、酔いしれるようにして聴いてしまいます。
ザルツブルクのフェルゼンライトシューレの特性を活かした、ケント・ナガノ指揮による映像の演出は、レーンホフによるもの。
仮面劇のようで、怪しくも、想像力を抱かせる秀逸なものです。
いずれまた、ちゃんとレビューしたいと思います。

ここにあげた前奏曲のみの演奏において、一番好きなのは、デ・ワールトによるものですね。
マーラーと、ツェムリンスキー、シェーンベルクと同列の存在としてのシュレーカーを感じさせる明快な演奏なんです。

新国あたりで、このオペラが取り上げられることは、永遠にないだろうなぁ~

過去記事

 「デ・ワールト&デンマーク国立歌劇場」

 「シナイスキー&BBCフィルハーモニック」

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2014年9月 6日 (土)

ブリッジ 「夏」 マリナー指揮

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この夏の日差しと、輝くような海の青さは、もうすでに薄れつつある9月の頭初。

でも、低気圧や前線のさじ加減でもって、朝晩は涼しくとも、日中は、うだるような暑さがまだまだやってきますね。

関東は、今日、まさにそうでした。

半袖じゃないと辛いし、冷房が恋しい一日。

久しぶりに戻ってきた夏に。

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     ブリッジ  交響詩 「夏」  

   サー・ネヴィル・マリナー指揮

       アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

                      (1996.3@ワトフォード、ロンドン)


フランク・ブリッジ(1879~1941)は、ロンドンの南、ブライトン生まれの作曲家・指揮者・ヴァイオリニストで、スタンフォードに師事し、室内楽、管弦楽作品を中心に、かなりの曲を残してますが、英国音楽が多く聴かれるようになった今も、ちょっと地味な存在かもです。

弟子筋に、かのブリテンがいて、「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」を書いてますので、そちらで有名かもしれません。

後期ロマン派風の作風プラス、ディーリアスのような夢幻的なサウンドも併せ持つ一方で、魅力的な旋律に乏しい面もあって、ちょっと取っつきが悪いです。

わたくしは、ブリッジの熱心な聴き手ではないのですが、グローヴスの指揮する管弦楽曲集を1枚と、室内楽を数枚持ってるのみ。
 そして、この管弦楽曲集が、とても好きで、英国の風物や季節を描いたかのような、「春のはじまり」「夏」「海」などが収録されてます。

そして、今日は、まさに夏の終わりを感じさせるような、そんな素敵な作品、交響詩「夏」を。
1914年の作。
全編を流れる、なだらかで、ミステリアスな雰囲気。
それは、気だるい夏のイメージでもあり、オーボエやクラリネットが奏でる夢想的な旋律も、どこか遠くで鳴っている感じで、昼下がりに、木蔭で、まどろみを覚える・・・、そんな思いを抱きます。

9分ちょっとの曲ですが、この取りとめのない美しさには、もっとずっと浸っていたい魅力があります。
でも、なにごとも、終わりは必ず訪れるものです。
曲の最後は、一瞬、眩いくらいの輝きにおおわれ、そして夏の終わりを惜しむようにして静かに閉じるのです。

なんて、美しく、ステキな曲なのでしょう。

朝に晩に、8月の終わりごろから、何度聴いたかわかりません。

今回は、グローヴス盤も同じように聴きましたが、マリナー卿の爽やかな演奏を。

上のジャケットは、海外盤で、国内盤は、「英国の四季」とタイトルされて、これまた素晴らしい装丁となってます。
そして、どちらも、CD面も美しく仕上がってますよ。
両方、揃えて、見て聴いて楽しんでます。

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過去記事→マリナーの「英国の四季」 

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2014年9月 1日 (月)

マーラー 交響曲第3番 アバド指揮

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8月も終わってしまいました。

本来なら、朝晩に秋の気配を感じつつも、まだまだ夏の日差しを受けて、眩しく、暑い日が続くはず。
今日も、ここ首都圏は、暑い雲に覆われて、雨がしっかり降って、肌寒さすら感じる陽気です。

夏の終わりは、寂しいもの。

夏よ行かないで、まだまだ聴き足りない夏の音楽。

しばらく夏の音楽、いきますよ。

バイロイトやPromsのレビューもしてないし。

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   マーラー 交響曲第3番 二短調 

       Ms:アンナ・ラーション

    クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
                    アルノルト・シェーンベルク合唱団
                    テルツ少年合唱団

                       (2007.9.19 @ルツェルン)


やばい、泣きまくり。

3番は、最後に向かうほど、うるうるしてきて、最終楽章では、涙腺ほぼ決壊。

なんたって、「愛が私に語るもの」なんだもの・・・・・。

そして、全体を覆う夏の躍動するムードから、かつては「夏の交響曲」とも呼ばれていた3番です。

 この曲を初めて聴いたのは、たぶん、ホーレンシュタインのレコードのFM放送だったかと記憶します。

交響曲なのに、6つもの楽章があるし、1時間40分だなんて、へんてこだ、そんな思いでした。

中学生だった自分。
その後に、メータのレコードの、これまたさわりをFMで。
なんか、かっこいい、そんな思いが出てまいりました。
全貌を知るのは、ベルティーニとウィーン響のFMライブをエアチェックしてから。
滔々と流れる雄大かつ、壮麗なる美の世界にうちのめされました。
ほぼ同じころに、ノイマンの演奏もやはりFM録音しましたが、こちらは快速で、1時間30分。
終楽章が早すぎて、泣かせてくれなかった。

Abbado_mahler_3_d

そして出たのが、アバド&ウィーンフィルの名盤。
すぐさま飛び付き、飽くことなくレコード4面を何度も聴きました。

テンポ感が実にほどよく、全編に流れるウィーン情緒と、オーケストラのマイルドなまろやかさ。そして、アバドならではの鋭い切り口に、敏感なリズム感。
 いまもって、3番の理想の演奏のひとつであります。
前にも書きましたが、自分の結婚式で、最後に会場の下手で、両家が挨拶をする場面で、この曲の終楽章を静かに流しました。
亡き父が、訥々と感謝の言葉述べるなか、流れた「愛が私に語るもの」。
わたくしは、感極まって、思わず、はらはらと涙を流してしまいました・・・・・

いまとなっては、若気の至り、そんなこともあったな的な物語ですが、父の声と、このマーラーの音楽だけは忘れえることない思い出です。

 さて、その後、99年にベルリンと、そして、2007年にルツェルンで、それぞれライブ演奏を残したアバド。
それぞれがまったく素晴らしいのは言うまでもありません。

しかし、すべての点で、申し分なく完璧なのは、ルツェルン盤で、これはもう人知を超えた、超無垢な人間が成し得る蒸留水のような澄み切った演奏なのです。
ウィーン盤は、わたくし自身の若い日々の思いでもたくさん詰まっていて、別格なのですが、このルツェルン盤は、また違う次元で、わたくしの最良の3番となっております。

Abbado_mahler_3_c

この演奏の前年に、日本を訪れて6番の超越的な名演をやってのけたアバドですが、そのときの面持ちそのままに、気力と活力にあふれた指揮ぶりを、こうして最高の画質で味わえる喜びは、なにものにも替えられません。
 豪華なオーケストラのメンバーたちが、喜々として見つめ、尊敬の念でもって、指揮者を見あげつつ夢中になって演奏する姿も、10年に及んだアバド&ルツェルンのコンビの毎度の様子で、それこうして何度も味わえるのも、さらに喜びです。

ときに笑顔を浮かべつつも、異常なまでの集中力と緊張感が全編にわたって満ちあふれている。
アバドのすごさです。

Abbado_mahler_3_a

この曲の独唱のスペシャリスト、ラーションのクリアでありながら、深々とした歌唱は、オーケストラメンバーと同じく、アバドの指揮のもとに、一体化しております。
彼女は、舞台袖や奥でなく、指揮者の前で歌います。
しかも、1楽章からずっと、そこにあって、マーラーの3番に耳を傾け、演奏に参加しております。
ラーションは、最後の楽章も、ずっと聴いていて、演奏終了後、感極まって涙ぐんでます。

長い静寂ののちに、ブラボーは静かなうねりのように広がり、会場は大きな拍手へと飲まれてまいります。

 そして、この演奏を視聴していた自分も、泣いておりました。

今年、アバドとの別れが突然にやってきました。

この3番も、自分として追悼の念をもって何度か聴きましたが、ウィーン盤のみ。

いま、こうして、ルツェルンのライブ演奏を死後初めて聴き直しました。

しかも、季節は夏から秋へと向かうさなかに。

この映像を見て、同じアングルで、涙にくれた演奏を思いだしました。

4月に、同じ会場で行われた、「アバドを讃えて」という追悼演奏会。

この終楽章が演奏され、オーケストラのメンバーは、涙にくれ、会場の聴衆も、泣き、そして祈るような面持ちとなりました。

Abbado_mahler_3_e


愛する人を思い、そして愛情とともに、思い起こすことのできる、そんな音楽が、この交響曲の終楽章です。

わたくしが逝ったあとに、「愛が私に語るもの」を流してもらいたい。

 過去記事

「アバド&ウィーンフィル」

「アバド追悼演奏会~アバドを讃えて」

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