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2014年10月28日 (火)

ハイドン 交響曲第101番「時計」 アバド指揮

Zoujyouji_bell

ちょうど、鐘突きの時間。

午後5時、外人さんも注目中。

Haydn_abbado

  ハイドン 交響曲第101番 ニ長調 「時計」

 

   クラウディオ・アバド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

               (1988.11 @ウィーン・コンツェルトハウス)



ハイドンの熱心な聴き手じゃありません。

たくさんある作品が、みんなおんなじに聴こえちゃう。

いかんね、それでは。

モーツァルトは、それぞれに、区別がつきます。

でも、ふたりとも、昨今は、コンサートでなかなかメインプログラムになりにくくなった現状。

マーラーを中心に、大規模で、豪華なサウンドが好まれ、バロックや古典は、コアなファンの好むものになりつつあるのかしら。
しかも、古楽奏法という演奏スタイルが定着したものだから、従来通りのスコアで、従来通りに演奏したのでは、聴き手にすぐに飽きられてしまう。

かといって、へたな、ピリオドスタイルによる無機質な演奏では、人を感動させることもできない。

古典派の音楽の再現は、いま、とても難しい局面に来ていると思います。

 前おきが多すぎました。

ハイドン「時計」といえば、第2楽章の変奏曲形式のおなじみのメロディ。
そう、時計の振子を思わせることから、誰ともなく、「時計」のタイトルが付いちゃった。
そのイマジネーションは、実にたいしたもので、ハイドンは意識していなかったとしても、その楽章の冒頭のチクタク・リズムは、いかにも、アナログ時計。
 そう、ハイドンはデジタルじゃなくて、ピリオドでもなくて、アナログの、のほほん系の演奏が好きなんですよ。

今日の演奏の、アバドは、若いヨーロッパ室内管から、とてものびのびと、すっきりと。
そして、歌いに歌って、ほんとに気持ちいい第2楽章を築き上げています。

もちろん、不安に満ちた前奏ののちの快活な1楽章の弾み具合。
思いのほか、かっちりしたメヌエット楽章では、微笑みを。
ノーブルで、品のよさと、爆発力も兼ね備えた終楽章のバリッとした感じ。
 いずれも、アバドの、にこやかで、どこか惚けたような緩やかな指揮ぶりが、思い浮かぶような桂演なのです。

1794年、ウィーンで着手後にロンドンで完成させた充実のシンフォニーです。

ピリオドによる演奏も、いくつか聴きましたが、やはり、上品なアバドのこの音盤が好き。

それと、忘れえないのは、カール・リヒター&ベルリンフィルの名演です。

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