ハイドン 交響曲第101番「時計」 アバド指揮
ちょうど、鐘突きの時間。
午後5時、外人さんも注目中。
ハイドン 交響曲第101番 ニ長調 「時計」
クラウディオ・アバド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団
(1988.11 @ウィーン・コンツェルトハウス)
ハイドンの熱心な聴き手じゃありません。
たくさんある作品が、みんなおんなじに聴こえちゃう。
いかんね、それでは。
モーツァルトは、それぞれに、区別がつきます。
でも、ふたりとも、昨今は、コンサートでなかなかメインプログラムになりにくくなった現状。
マーラーを中心に、大規模で、豪華なサウンドが好まれ、バロックや古典は、コアなファンの好むものになりつつあるのかしら。
しかも、古楽奏法という演奏スタイルが定着したものだから、従来通りのスコアで、従来通りに演奏したのでは、聴き手にすぐに飽きられてしまう。
かといって、へたな、ピリオドスタイルによる無機質な演奏では、人を感動させることもできない。
古典派の音楽の再現は、いま、とても難しい局面に来ていると思います。
前おきが多すぎました。
ハイドン「時計」といえば、第2楽章の変奏曲形式のおなじみのメロディ。
そう、時計の振子を思わせることから、誰ともなく、「時計」のタイトルが付いちゃった。
そのイマジネーションは、実にたいしたもので、ハイドンは意識していなかったとしても、その楽章の冒頭のチクタク・リズムは、いかにも、アナログ時計。
そう、ハイドンはデジタルじゃなくて、ピリオドでもなくて、アナログの、のほほん系の演奏が好きなんですよ。
今日の演奏の、アバドは、若いヨーロッパ室内管から、とてものびのびと、すっきりと。
そして、歌いに歌って、ほんとに気持ちいい第2楽章を築き上げています。
もちろん、不安に満ちた前奏ののちの快活な1楽章の弾み具合。
思いのほか、かっちりしたメヌエット楽章では、微笑みを。
ノーブルで、品のよさと、爆発力も兼ね備えた終楽章のバリッとした感じ。
いずれも、アバドの、にこやかで、どこか惚けたような緩やかな指揮ぶりが、思い浮かぶような桂演なのです。
1794年、ウィーンで着手後にロンドンで完成させた充実のシンフォニーです。
ピリオドによる演奏も、いくつか聴きましたが、やはり、上品なアバドのこの音盤が好き。
それと、忘れえないのは、カール・リヒター&ベルリンフィルの名演です。
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