
開演15分前、人々が駅から出て、次々に、こちらに吸い込まれて行く。
そう、東京都交響楽団のA定期演奏会を聴いてまいりました。
わたくしは、この大きなホールが、街の雰囲気も併せて、どうも苦手で、できるだけ避けたいホールのひとつです。
でも、先のB定期(→RVW、ブリテン、ウォルトン)とともに、名古屋フィルのシェフで、英国音楽の演奏の希望の星、マーティン・ブラビンズの客演で、ウォルトンの交響曲のふたつめ、そして、なんといっても、ディーリアスとRVW。
ふたつの定期が、こうして関連だっていて、しかも英国音楽に特化している。
英国音楽を、こよなく愛するわたくしとしては、ホールがどうのこうの言っていられません。

ヴォーン・ウィリアムズ ノフォーク・ラプソディ第2番 日本初演
(ホッガー補筆完成版)
ディーリアス ヴァイオリン協奏曲
Vn:クロエ・ハンスリップ
ウォルトン 交響曲第1番 変ロ短調
マーティン・ブラビンズ指揮 東京都交響楽団
※P・プラキディス ふたつのきりぎりすの踊り(ヴァイオリンソロ、アンコール)
(2014.11.4 @東京芸術劇場)
これまた、わたくし向きのプログラム。
どの作曲家にも、強い思い入れがある。
でも、とりわけ、フレデリック・ディーリアスへの思いは人一倍強い。
本ブログでは、その心情を時おり、吐露しておりますが、亡き人や、故郷への望郷の思いと密接に結びついていて、その作品たちとの付き合いも、もう40年近くになります。
日本のコンサートに、その作品が取り上げられるのは、著名な管弦楽小作品か、「楽園への道」ぐらいで、あとはモニュメント的に、声楽作品が演奏されるぐらい。
ディーリアスのヴァイオリン協奏曲が、こうして演奏されるのって、ほんとにレアなことだと思います。
これを逃したら、生涯後悔するかも・・・、それこそ、そんな気持ちでした。
しかし、不安は、大きなホール。
でも、その思いは実は、1曲目のRVWで、ある程度払拭されてました。
そう、静かで抒情的な場面の連続する、RVWとディーリアスの曲ですが、音のディティールは、細かなところまで、しっかり届きましたし、なによりも、ホール全体に漂う、静かな集中力のようなものを強く感じ、音楽の一音一音をしっかり聴きこむことができました。
27分間にわたって、楽章間の明確な切れ目はなく、多くの時間が、ピアノの静かでゆったりムードで続くディーリアスの音楽の世界は、もしかしたら初めて聴かれる方には、とりとめもなく、ムーディなだけの音楽に聴こえたかもしれません。
ですが、ディーリアスは、そこがいいんです。
茫洋たる景色、海や山が、霞んで見える。
自然と人間の思いが、感覚として結びついている。
リアルな構成とか、形式なんか、ここではまったく関係がない。
その、ただようような時間の流れに、その音楽をすべり込ませて、静かに身を任せるだけでいい。
形式の解説など不要だ。
わたくしは、大好きなディーリアスのヴァイオリン協奏曲の実演に、遠いニ階席で、曲に夢中になりながら弾きこむクロエ嬢と、慈しむように優しいタッチで指揮をするブラビンズさん、そして神妙な都響の面々、そのそれぞれを見ながら、やがて、その実像が、ぼやけてきて、いつものように、望郷の念にとらわれ、涙で目の前が霞んで行くのに、すべてを任せました。
言葉にはできません。
ほんとうに素晴らしかった。
実演で接すると、いろんな発見も、処々ありましたが、それら細かな部分は、全体のなかに静かに埋没してしまい、いまは、もう、そのようなことは構わなく思えます。
タスミン・リトルのあとは、ハンスリップ嬢と、スコットランドのニコラ・ベネデッティがいます。
頼もしい、英国系女性ヴァイオリン奏者たち。
ちょっと踏み外すところや、元気にすぎるところは、ご愛嬌。
かつてのタスミンもそうだった。
ただ、アンコールは、民族臭が強すぎて、ディーリアスの多国籍かつ無国籍ぶりにはそぐわなかったような気がします。
東欧の響きのように思いましたが、ラトヴィアの作曲家だそうで。
さて、思いの強さで前後しましたが、RVW作品は、日本初演。
それもそのはず、民謡の採取に情熱を注いだV・ウィリアムズが、それらの素材を活かしたノフォーク・ラプソディを、3曲書きましたが、2番目は未完、3番目は破棄ということで、完全に残ったのは、先に聴いた美しい1番のみ。
未完の2番を、RVW協会の許しを得て、R・ヒコックスがスティーブン・ホッガーという作曲家に補筆完成を委嘱したのが、今回の作品。
2002年に完成し、一度限りの条件で初演されたのが2003年。
ヒコックスのRVW交響曲録音の、3番(田園交響曲)の余白に収められておりますが、その初演以外、しかも、海外で初となる演奏許可を、都響が取りつけたとのことです。
それは、英国音楽の達人ブラビンズあってのことだと思いますし、東京都とロンドンという関係もあってのことかもしれません。
ともかく、VWらしい、郷愁あふれる情緒豊かな音楽で、10分ぐらいの演奏時間のなかに、静かな場面で始まり、スケルツォ的な元気な中間部を経て、また静かに終わって行く、第1番と同じ構成。
親しみやすさも増して、ステキな聴きものでした。
休憩後のウォルトンの1番。
せんだっても、尾高&藝大で聴いたばかり。
ダイナミックレンジの幅広い、繊細かつ豪快な音楽は、前半の静けさとの対比でもって、とても面白い。
しかし、この大きなホールの2階席は、音像が遠く感じ、迫力のサウンドは思ったほどに届いてこないもどかしさがありました。
前半や、この交響曲の第3楽章が、むしろ、じっくり聴けた感じがあるのは、面白いことでした。
それでも、CDで聴き馴染んだこの作品は、やはり実演が面白い。
第二次大戦を間近に控えた頃の、不安の時代。
その緊迫感と重々しさを随所に感じつつ、最後は、輝かしいラストを迎えるわけで、交響曲の伝統のスタイルをしっかり踏襲している。
ほんと、快哉を叫びたかった、リズムもかっこいい第1楽章では、ブラビンズの指揮ぶりを見ていると、とても明快で、オケも演奏しやすいのではとも、思いました。
変転するような拍子が、妙に不安を駆り立てる難しい2楽章ですが、都響の完璧なアンサンブルは見事なもの。
そして、一番素晴らしかったのは、沈鬱さと孤独感の中に、クールな抒情をにじませた静かな3楽章。
木管のソロの皆さんの柔らかい音色も印象的で、オケの音色は、透明感を失わずに、くっきり響いてます。
一転、明るさが差し込む終楽章。
重層的に音楽が次々に盛り上がってゆくさまを、意外な冷静さで聴いておりましたが、最後の方の、トランペットの回想的なソロ(素晴らしかった)のあと、ついに出番が巡ってくる、2基目のティンパニと、多彩な打楽器の乱れ打ち。
この最後の盛りあげがあって、この1番の交響曲が、映えて聴こえるのですが、それにしても、完璧な演奏ぶりでした。
驚くほどのブラボーが飛び交いました。
指揮者を讃えるオーケストラに押されて、ひとり指揮台に立って喝采を浴びたブラビンズさん。
いい指揮者です。
ウォルトンの分厚いスコアを、大事そうに小脇に抱えて、ステージを去るその姿に、好感を覚えた方も多くいらっしゃるのでは。
名フィルの指揮者であり、ロンドンのプロムスの常連。
CDも、コアな珍しいレパートリーでもってたくさん出てます。
ブライアンの巨大ゴシックシンフォニーもあります。
名古屋での、ユニークな演目も聴いてみたいものです。
過去記事
ディーリアス ヴァイオリン協奏曲
「ラルフ・ホームズ&ハンドレー」
「アルバート・サモンズ&サージェント」
ウォルトン 交響曲第1番
「ブライデン・トムソン指揮 ロンドン・フィル」
「尾高忠明指揮 藝大フィルハーモニア」
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