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2014年11月

2014年11月30日 (日)

バッハ ゴールドベルク変奏曲 シュタットフェルト

 Gaien_a

神宮外苑のいちょう並木。

連日晴れていたのに、土曜の午前は、よりによって厚い雲に覆われる曇天でした。

それでも、地面に降り積もった黄色い葉と、曇り空でも、上からは黄色い光が舞い降りてきて、目にも優しく、歩道の散策も楽しいものでしたね。

Bach_goldberg_stadferd

  バッハ   ゴールドベルク変奏曲

     Pf:マルティン・シュタットフェルト

             (2003.10 @カイザースラウテルン)


最近、よく眠れない。

夢ばかり見て、寝た気がしないうえ、朝、やたらと早く起きてしまう。

酒を飲んだ晩も、飲まない晩も、みんなおんなじ。

だから、電車に乗って座ったら即寝。
昼食べたら、パソコンのまえで、うつらうつら。
いかん悪循環。

そんないまの自分に、ぴったしの音楽が、なんといっても「ゴールドベルク」。

ただ、ワタクシは、この曲の作曲を依頼したカイザーリンク伯爵のように不眠ではありませんよ。
ちゃんと寝てるけど、目ざめが早すぎなだけ。

この曲、もう何度か取り上げてるし、いつもその内容は、同じようなことを書いてます。

あらためて、バッハのこの作品の緻密さと、全体が網の目のように、互いに結びつけあっているという完璧な統一感、それらを実によく解らせてくれる演奏で。

10年前の録音ですし、もう、多くの方がお聴きかもしれません。
わたくしは、ビジュアル的にも、売り出し方が気にいらず、どこぞの若造・・・・的な、偏向反応で、遠ざけておりましたが、彼のCDをいくつか入手したのは今年に入ってのことでした。

その彼の名は、マルティン・シュタットフェルト。

1980年、ドイツ、ゴブレンツの生まれ。
録音時23歳、現在は34歳の若手。

97年、ルービンシュタイン・ピアノコンクール優勝
01年、ブゾーニ国際ピアノコンクール入賞
02年、バッハ・コンクール優勝
そして、03年の、この録音。

若さに似合わぬほどの巧みな語り口と、全体を見通した考え抜かれた表現力。
でも、一方で感じさせる、奔放なまでの若さの爆発という眩さ。
才気走ったところを感じさせずに、強い説得力を鮮やかな手口でもって披歴。

テンポや、表情は、ときに動きますが、それが、グールドのような感性的、突発的なものでなく、知的に考え抜かれたものと感じます。

最初と最後におかれたアリアが、それぞれに、異なる味付けでもって、嫌味なく滔々と奏されます。
楚々と展開するカノンのあと、変奏の中央に位置する16番目の序曲をきっぱりと弾いたあとの後半。
この前半と、後半の鮮やかな対比は、バッハの意図を見事に表出しているかと思います。

わたくしには、ひとつひとつの変奏を個々に楽しめる個性的な演奏だし、全体を見渡して作品の緻密さに感じ入ることもできる、いわばマルチな演奏でもありました。

今のところ、ドイツ系の音楽ばかりのシュタットフェルト氏ですが、ショパンやフランスものなんかどうでしょう。

これからも注目の若手ですね。

 過去記事

「マレイ・ペライア盤」

「ピーター・ゼルキン盤」

「レオンハルト盤」

「リヒター盤」

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2014年11月28日 (金)

ディーリアス チェロソナタ L・ウェッバー

Kenchoujia

2週間少し前の、鎌倉の建長寺。

そう、ここで、ヴァイオリンとチェロのリサイタルを聴いたのでした。

Kenchoujib

まだ、緑の占める割合が多かった。

今頃は、きっと、もっと色づき、さらに枯淡の中庭の景色となっているのでしょう。


Delius_cello_sonata

    ディーリアス チェロとピアノのための1楽章のソナタ

       Vc:ジュリアン・ロイド・ウェッバー

       Pf: ベンクト・フォシュベリ

              (1999.9 @アビーロード・スタジオ)


フレデリック・ディーリアス(1862~1934)は、わたくしのもっとも大好きな英国作曲家。

とはいっても、ディーリアスには、英国の血は流れてません。

英国に帰化したドイツ人の両親のもとに、ブラッドフォードで生まれた英国人です。

音楽への傾倒を避けるために、実業家の父によって、フロリダのプランテーションに修行に使わされ、そこでも、黒人霊歌などにインスピレーションを得て、音楽の道忘れがたく、父が折れたのちは、ライプチヒで今度は、音楽修業。
それからパリでさらに、あらゆる芸術に接し、さらに放蕩の限りもつくし、結婚し、パリ近郊のグレ・シュール・ロワンに居を構える。
戦火(第一次)のため、英国に戻ったことはあったものの、その生涯は、愛する妻とグレにて終えている・・・・。

と、こんな風に概略その生涯を見てみると、独・英・米・仏にまたがる、まさに、コスモポリタンだったディーリアス。
でも、その音楽は、やはり、英国の自然や風物、空気を感じさせるものに、まさにほかなりません。

アメリカ時代の作品に、フロリダの自然を感じるのは当然ですが、もうひとつ大切なファクターは、北欧です。

ライプチヒ時代に知己をえたのが、大先輩のグリーグ(1843~1907)で、1880年頃から、グリーグが亡くなるまでの四半世紀に渡って、お互いに敬愛しあう仲となりました。
北欧の厳しい大自然のなかに立ちすくむような光景を感じさせる音楽を、たくさん書いたのも、こうしたつながりがあったからこそでありましょう。

 今日のCDは、ディーリアスと、そのグリーグのチェロ・ソナタをともに収録しているところがミソであります。

約13分ほどの単一楽章によるこのユニークなソナタ。
1916年に、イギリスのチェリスト、ベアトリス・ハリソンのために書かれ、2年後に初演。
単一楽章ながら、3つの部分に別れております。

普通の作曲家なら、3つの部分を、急緩急といくところですが、そこはディーリアス。
全体に渡って、ゆるやかで、そう、ある意味捉えどころがなく、曖昧なままに、たゆたうような音楽が続きます。

いきなりメインの主題が、ラプソディックに歌われます。
その主題を中心に、優しく、流れるような展開が行われ、もう、そこには身を任せるしかありません。
いまは思い出せませんが、ディーリスのほかの作品と似た旋律が出て、そのまま、テンポを落としていって、第2部に入ります。
こちらはもう、静かな静かな、ささやきのような音楽となります。
追憶のディーリアスに相応しい、極めて儚くも、夢見ごこちの雰囲気。
 そして、やがて、徐々に、冒頭の旋律が回顧されて、やがて、しっかりと繰り返されます。
第3部の始まりです。
1部と同じような展開となりますが、徐々にスピードと活気を増して、明るく、きっぱりとした表情も持つようになり、どこか希望を抱けるような展開のまま曲を閉じます。

これは、なかなかの桂曲であります。
なによりも短いのがいい。
その短いなかに、ディーリアスらしさが、しっかり詰まっていて、おまけに、チェロの優しい音色が、とてもよく活かされているし、それを包み込みつつ、幻想味もたっぷりなピアノもいい。

ウェッバーの上品かつ、真摯な演奏でした。

一方、グリーグのソナタは、こちらはもう、まさにグリーグしてます。
あのピアノ協奏曲みたい。

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2014年11月25日 (火)

武満 徹 ノヴェンバー・ステップス 岩城宏之指揮

Iy

近所の銀杏も、すっかり黄色く色づきました。

これが散って、地面もまた、黄色く染まって美しいのですが、それは即、冬ということで、それはそれで、寂しく、厳しいもの。

でも、街は、ことに夜が眩しく賑やか。

それは、都会ばかりですが・・・・

政治や経済、国際問題なんぞ、あれやこれや、頭をよぎり、かつ、自分の仕事や生活に忙しいニッポンのみなさん。

わが邦には、こんなに美しい四季と、それぞれに色ずく自然があります。

心、穏やかに、静かに楽しむ気持ちを大事にしたいものです。

Takemistu1984

わたくしが行った、このコンサートも、CDになっております。

  武満 徹   「地平線のドーリア」

          「ノヴェンバー・ステップス」

          「鳥は星形の庭に降りる」

          「ドリームタイム」

          「オリオンとプレアデス」(犂と昴)

    岩城 宏之 指揮 NHK交響楽団

 

        琵琶:鶴田 錦史

        尺八:横山 勝也

        チェロ:堤 剛

              (1984.6.13 @東京文化会館)


このコンサートは、サントリー音楽財団が、1981年より、毎年定期的に行ってきた「作曲家の個展」の4年目、1984年のライブであります。

松平頼則、黛敏郎、山田耕筰と続いて、4年目が、武満徹でした。

この年は、まだ、サントリー・ホールが開館していなかったため、オーケストラ演奏の大半は、文化会館とNHKホール、人見記念講堂などで行われていた時分。
そんな昔じゃないけど、でも、思えば遠い昔に感じます。

作品説明と、詳細な年譜、内外の執筆陣による読み物や対談など、充実したパンフレットは、いまでも貴重なものに思います。

「年齢とともに感受性は鈍る。批判力ばかりが増して、創作の歩調は緩慢になる。
義理や社交のために、無為な時間を過ごす。他人を受け入れない半面、そのぶん、自分を許すようになる。歳とって、碌なことはない、が、そうなって感じられ、捉え得ることもある。それを説明するのは、だが億劫だ。
三十年音楽を続けてきたのであるから、これからは、より新しい仕事をしなければならない。正直に、余分を言わず、骨格のしっかりした仕事がしたい。
 今回、「個展」という機会があたえられたことは、私にとっては、極めて意味のある転機であり、あるいはこれを天機と呼ぶのだろうか?
 この<作曲家の個展>のために択んだ曲は、それぞれ、節目、節目に生まれたものである。
紆余曲折を経て、道は自ら判然とする。」


このパンフレットの巻頭に添えられた、武満徹自身の言葉であります。
このとき、作曲者は、54歳になる年。

氏の思いは、ほぼ全面的に、わたくしの今に被ります。
もちろん、平々凡々たるワタクシには、転機はあっても、天機なんぞ、見出す場もすべもありませぬが。。。

そんな節目を感じながら作曲者が挑んだこの<個展>に、当時のわたくしは、まだ20代の若輩。
ただただ、武満サウンドの精緻なる響きに、緊張感をもって浸るしかできなかったと思います。

Takemistu

 発出のものは、2枚組で、コンサートすべての曲目が収録されているものですが、わたしの再発編集ものは、「地平線」と「ノヴェンバー」と、「鳥は星形」の3曲のみ。

若い耳で聴いた武満と、いま、そこそこの年齢を重ねた耳で聴いた武満とでは、同じ演奏でも、まったく受け止めかたが違います。
なによりも、CDですから、何度も繰り返し聴けるし、気になったところは、後戻りできる。
66年から、77年にかけての作品3つで、この頃の作品には、調性感もあるし、なにより、音に色彩を感じます。
それが聴きやすさにつながっていて、近現代音楽を、当時よりも多く、それも多面的に聴くようになっている今の自分には、甘味なる音の響きと受け止めることもできました。

「ノヴェンバー・ステップス」は、邦楽器と西洋楽器の競演であり、その対比と融合を静かに味わうのですが、両者の緊張感と間の空気感こそ、邦と洋との相違でありましょう。
序と、11の並列された段(ステップ)からなり、そして、まさに11月にニュー・ヨークで初演。
 すでに半世紀近く前の音楽ですが、常に、新鮮な感覚でもって聴くことができます。

もうひとつ、武満徹の言葉を引用します。

「わたしの音楽は、たんに娯みや慰めのものではない。わたしの音楽は、いま生きている時代の、知や感情と結びついてはいるが、だからといって同時代性に靠れかかっているわけではない。私の音楽はつねに、個人的感情から生まれるものであり、「日本主義」というようなものとは関わりをもつものではない。
 私の音楽は、「自然」から多くを学んでいる。
自然が、謙虚に、しかし無類の精確さでさししめすこの宇宙の仕組みにたいして、私の音楽は、その不可知の秩序への限りない讃歌なのだ。
私は、音楽を通して、「世界」の匿名の部分(パーツ)になりたい。」


この言葉を読むと、武満作品が、その後も語り続けたものが、よくわかるような気がします。
ですから、邦楽器は、単に和楽器であっただけで、とりたてて、和と洋の対比という聴き方も一理あれど、違うような気もいたしますね。

 この84年の個展ののち、96年に、66歳で亡くなるまで、武満徹は、まだまだ多くの作品を、さらに深い切り口でもって残しました。

わたくしも、「天機」を求め、つかめるように頑張らなくてはいけませんね。
11月は、自分も、このブログも、ひとつまた歳を重ねました。

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2014年11月24日 (月)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ムラヴィンスキー指揮 そして、ブログ9年

Hamamatsucho201411

またも遅くなってしまった11月の小便小僧。

防火・防災、消防レスキューさんのコスプレは、とてもよく出来てます。

Hamamatsucho201411_a_2

お背中も、まいどかわいいですな。

12月は、サンタ、もうすぐです。

Leningrad2

来る来る詐欺みたいだったムラヴィンスキー閣下。

たしか、73年に、ついに、本邦上陸。

NHKのテレビとFMで、つぶさに観劇しました。

微動なにしない指揮棒と見えた、その無慈悲なまでの動きの少ない指揮姿。

でも、オーケストラは、ムラヴィンスキーのほんのわずかな動きと、強烈なまでの眼力に、まったく魅入れたまでに、ほんとに的確かつ細心に、ロボットのように反応。

そんなようなことが、テレビでも、まるわかりの、プロパガンダ的な、きっれきれの演奏を、70年代初頭の音楽ファンは味わったのでした。

いろいろ布石があって、万博の年に来るはずだったムラヴィンスキーは、飛行機嫌いということも判明して、その73年についに実現したのでしたが、そのときは、テレビ観劇。
大木正興さんが、やたらと興奮してました。

そして、2年後に、ふたたび来日し、さらにその2年後、77年の公演を、ついに聴くことができたのです。

大学生だったワタクシ。
友人と聴きました。
そして、巨大なNHKホールを揺るがす、大サウンドと、それと裏腹なくらいの驚きの緻密さ。
ともかく言葉もなく、その圧倒的な演奏に、ひれ伏すしかありませんでした。


  シベリウス      交響詩「トゥオネラの白鳥」

    〃         交響曲第7番

  チャイコフスキー  交響曲第5番

   エウゲニ・ムラヴィンスキー指揮

       レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

               (1977.10.19 @NHKホール)


Tchai5_a

 この日の音源がこちら。

薄れゆく77年当時の壮絶なる演奏の記憶を、こうしていつでも再現できる喜び。

でも思う、あれ、こんなだっけ・・・。

一方で、詳細は覚えていない脳裡。

ビジュアル的には、とても覚えてます。

学生だったので、NHKホールの3階席で、ステージは遠かったですが、それがそのまま、四角い画面のように、いまでも思い起こすことができます。
 そして、少し前方の、同じく学生さんが、チャイ5のときに、スコアを見ながら、熱心に聴いていた。
でも、そのスコアを、自分より高く掲げ、周辺のお客さんからすると、とても邪魔。
さすがに、楽章の間で、後ろのお客さんから注意され、やめてました。

 肝心の演奏そのものの記憶。

当時、カラヤンやアバドのチャイ5ばっかりで、すっかり西欧のチャイコフスキーに染まっていた自分。
スヴェトラーノフやロジェヴェンのチャイコフスキーも聴いていましたが、濃厚さと、ロシアのオケ特有の金管の泣きのヴィブラートに、ちょっと辟易としていましたから、恐れていましたが、そんなことは、ちっともない。
つねに、表現はストレートで、無駄な味付けは一切ありません。

強奏のときの透徹感、急緩の鮮やかな対比、恐ろしいまでのオケ全体の統一感。

そんな、音の記憶は、ちゃんと残されてましたが、果たして、それが、チャイコフスキーの5番に相応しかったかどうか、そのあたりの記憶がどうも曖昧でした。

この音源で、その曖昧な思いを払拭できるかどうか・・・、手にして2年、正直肯定的にはいえません。

音がイマイチなのは抜きにして、こんなに完璧・鉄壁のチャイ5は、正直辛いともいえます。

すごすぎるチャイ5に、ひれ伏すことがどうにもできない思いです。

指揮も、オーケストラも、全霊を傾け、なおかつ、チャイコフスキーの真髄を歌いあげていることは痛感しますが、どこもかしこも、完璧なところに感じる、それゆえにの、極めて贅沢な不満。

なんだろ、この感覚。

実演でのすさまじい体験が、後退して感じる、この思い。

いろんなチャイ5を、その間、聴いてきて、自分のチャイ5像が出来上がりつつあるのだろうか・・・・。
ストコフスキーや、マゼールのチャイ5をいまさらながら好んで聴き、でもやはり、カラヤンの65年物が一番と思ったり、アバドのLSO盤だったり。
そんななかでは、ムラヴィンスキーは、いまの自分には、ちょっと強面すぎるのかもしれませんね。

凄すぎの演奏にはかわりありませんし、自分のなかの記憶を補完する意味でも、大切な音源にほかなりませんことは事実であります。


Mura

レコ芸に連載された、砂川しぎひさ先生の名演奏家たちのカリカチュア。

これ、最高!

ソ連邦全盛時代、これはいくらなんでも、おっかないですね~

 あっ、そういえば、このブログも、11月で、開設9年を迎えましたよ~

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2014年11月22日 (土)

東京都交響楽団演奏会 マクリーシュ指揮

Geigeki

東京藝術劇場、ロビーの天井ですよ。

お友達にお声がけいただき、東京都交響楽団の定期演奏会に入ってまいりました。

翌日の、尾高&読響のエルガーは、都合により行けなくなって、がっかりしていたところ、ありがたきことでした。

渋いプログラムでしたが、その豊かなバラエティと、ひとひねりした選定に、とても満足できたコンサートでした。
あらためまして、ありがとうございました。

Tmso_201411

  コープランド    「アパラチアの春」

      
              ~13楽器のためのバレエ(原典版)~

  R・シュトラウス  13管楽器のためのセレナード op7

  メンデルスゾーン 交響曲第5番 「宗教改革」

               (ホグウッド改訂版第2稿)

    ポール・マクリーシュ指揮 東京都交響楽団

       
                     (2014.11.21@東京藝術劇場)


急逝してしまった、クリストファー・ホグウッドに替わって、同じプログラムを引き継いで、日本初来日を果たしのは、同じ英国の古楽系の指揮者、ポール・マクリーシュ。

ホグウッドは、古楽演奏のはしりの頃、その学究と鍵盤も含めた演奏力の高さで、管弦作品を多くとりあげ、革新を築いておりました。

そのふた世代ほど後輩になりますマクリーシュ氏は、すでに定着した古楽演奏のなかでも、声楽を中心とした作品に、あらたな旋風を吹きいれた名手であります。

モンテヴェルディから、ヘンデル、さらに最近は、ベルリオーズやブリテンまでもレパートリーにおさめ、躍進中。
ホグウッドもそうでしたが、最近の古楽系の演奏家たちは、音楽ジャンルの垣根はなく、近現代ものまでも、幅広く演奏するようになりました。

 そんなわけで、ホグウッドが得意にし、またCDにもなっているコープランドは、室内編成のものが原典版で、今回は、大きなホールでの演奏に不安を覚えましたが、都響のトップ奏者たちの精緻なアンサンブルを得て、マクリーシュさんは実に丁寧に、そして透明感豊かな桂演を披露してくれました。

 フルート、クラリネット、ファゴット、ピアノ、第1ヴァイオリン2、第2ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス1の13人編成。

いつも聴く、オケの組曲版は、この原典版のだいたい3分の2ぐらいがチョイスされているといいます。
聴きなれない場面も多くありましたが、総じて、コープランドらしい、平明で、優しく、そして懐かしいムードにあふれてまして、オケ版でもそうですが、わたくしは、この曲を聴くと、西部時代のアメリカの光景を思いうかべてしまいます。
 そんな思いを頭に浮かべながら、この演奏を楽しみました。
長い曲(37分)になりましたが、やはりシェーカー教徒たちの聖歌、「シンプルギフト」の登場を心待ちにしてしまう。
そして、それは、とても豊かに演奏され、こちらの気持ちを、大いにほぐれ、心は、曲とともに静かに解放されていくのでした。

 ここで休憩が入り、今度は、管楽アンサンブルでのR・シュトラウス。
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4。

ホルンを愛したシュトラウスならではの曲でもありますね。
10分ほどの可愛いサイズですが、17歳の若書きにかかわらず、落ち着きと、ほのぼのとした暖かな雰囲気の曲であります。
危なげのない都響のウィンドセクションですな。
合唱の指揮にも長けたマクリーシュさんですから、よくブレンドされた素敵な響きが、この大きなホールを満たしていきます。
清朗かつ清々しい曲に演奏でした。

出を控えた舞台袖から、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が聴こえてきて、思わず笑顔になってしまいました。
お隣と、これは、雰囲気作りねと会話(笑)

そして、「宗教改革」ですよ。
ようやくオーケストラが勢ぞろいで、ティンパニはバロック仕様。
対向配置をとりました。
 そして、目立つのが、トロンボーンとコントラバスの間に陣取った、「セルパン」という楽器。

Serpent

こちらは、都響さんのサイトからお借りしました。
セルパン演奏の第1人者、橋本晋哉さん。
 セルパンは、古楽器のひとつで、グレゴリオ聖歌等、教会での宗教音楽の演奏に、音量補強用に奏されていたといいますが、わたくしは、初めてその存在を知りました。
フランス語で、ヘビっていうらしいですよ~~~(serpent)

メンデルスゾーンは、コラールが高鳴る終楽章に、この楽器を指定して作曲をしておりますが、通常は、チューバだそうな。

こんな、本格的なこだわりに、さらに、メンデルスゾーンが初演前に削除した音符を復元した、ホグウッド校訂版を選択するという珍しさ。

この曲は、どうしても「パルシファル」を思ってしまいます。
「ドレスデン・アーメン」があるから。
その場面が、少なめのヴィブラートで、しなやかに演奏されるのは、とても新鮮な聴きものでした。
マクリーシュ氏は、厳格なピリオド奏法を要求しておらず、響き合う音の競演を自ら楽しむかのような指揮ぶりに思いました。
英国指揮者らしい、中庸さも兼ね備え、スマートかつしなやか。
素敵な2楽章に、ちょっとアンニュイの3楽章もよかったですが、なんといっても、終楽章のコラールには、晴れ渡るような気持ちのいい思いを味わいました。
セルパン氏は、見ていると吹いていますが、全奏のときばかりなので、その存在が音としてははっきり確認できず残念。
 帰宅後、ネットで、橋本さんの解説と音を少し確認できて、なるほどの思い。

見聞を広めることもできた楽しいコンサートでした。

アフターコンサートは、こちらを紹介いただきました。

Opus

「Bar Opus」 音楽好きのマスターが、収集しているレコードをかけてくれます。

選んだのは、サヴァリッシュの「スコッチ」。

こんなレア音源ありまぁす!

もちろん、おつまみも、厳選されたお酒の数々も最高ですよ。

ご案内ありがとうございました。

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2014年11月17日 (月)

ロマンティックチェロ 迫本章子チェロリサイタル2014

Myougadani

色づく秋も、もうじきおしまい。

こんな彫像がある公園を抜けて、去りゆく秋に相応しいチェロの調べを聴いてまいりました。

Sakomoto

 神奈川フィルのチェロ奏者であります、迫本章子さんの、今回で11回目となります、ロマンティック・チェロと題されたコンサートです。

茗荷谷の駅を降りて、さきの写真のとおりの場所を抜けて、閑静な場所にある親密感あふれる素敵なホールへは、これで3度目。

響きもよくて、奥の中庭に四季おりおりの光景を臨めます。

  リスト                 忘れられたロマンス

   〃                   ニンネヴェルスの部屋

  ショパン                ノクターン ハ短調 op48-1 (ピアノ)

  メンデルスゾーン     無言歌 op109

  シューマン         幻想小曲集 op73

  -----------------

  パラディス         シシリアーノ

  サン=サーンス      アレグロ・アパッショナート

  ルービンシュタイン  ヘ調のメロディ

  ラフマニノフ       ヴォカリーズ

  ショパン         序奏と華麗なるポロネーズ

    〃           子犬のワルツ(ピアノ)~アンコール

  サティ           ジュ・トゥ・ヴ       ~アンコール

          チェロ:迫本 章子

          ピアノ:西畑 久美子

                (2014.11.16 @ラリール)


今回のプログラムのテーマは、作曲家であり、ピアニストであった人たちの作品。

おぉ、なるほどです。

しかも、チェロ作品なのですから、珍しさも手伝って、興味深々

いつも静かに、そして、おおらかに、神奈川フィルのチェロセクションで弾いていらっしゃる迫本さん。
ソロでは、そうした面とともに、もっと強い音と、思わぬ大胆さも弾き出してまして、前回も感じたバリバリ系。
ですが、今回は、女性ならではのしっとり感も随所に感じました。

曲ごとに、丁寧な解説をいただきました。

 珍しいリスト作品。いずれも、歌曲から、自身で編み出した作品ですが、やはりピアノが、まともにリスト。
超絶じゃなくて、抒情の人、リストの方です。
そんな素敵なピアノにのって、チェロはロマンティックなフレーズが満載。
ワーグナーの義親だったリストが、夢見ごこちに、ローエングリンを指揮してるような、そんな光景を思ったのですよ。
リストは、リスト、そんな感じ。
 迫本さん、最初だから、ちょっと緊張してたかな。

ついで、長くペアを組んでらっしゃる西畑さんのソロで、ショパン。

これは、深かった。
そして、心動かされました。
音楽の容を借りて、表出する、自身の心情の大いなる吐露。
これを聴いて、涙する方も何人もいらっしゃいました。
わたくしも、だめでした・・・。
入魂の演奏。

迫本さんと、西畑さんの、暖かな結びつきも、ここに感じて、涙腺やぶけちゃいましたよ。

 さて、音楽は、一転ムードを替えて、明るいメンデルスゾーンで、歌心を満喫。
そして、たしかに、シューマン。
シューマンのロマンティシズムと、メンデルスゾーンやリストとも違った歌を聴きとり、楽しめました。
 緊張からも解放され、このあたりから、聴き手も、演奏者もリラックスムードでした。

お外で、空気を吸って、さて、後半。

パラディスのシシリアーノ、知らない人かと思ったら、帰宅してCDみたら、迫本さんのソロCDに収録されてました。
失礼をばいたしました。
モーツァルト時代の、盲目の女流音楽家とのお話でしたが、シンプルで、優しいメロディが麗しかったです。
でも、作曲の真偽も、いまでは不確かともいわれているそうで・・・

快活さと、奔放さを併せ持つサン=サーンス作品は、もっと爆発してもよかったかもしれませんが、フランスの作曲家を意識させる展開もあり、おもしろかったです。

そして、お話を聴いて、いろんなルービンシュテインの名前が、ぐるぐる頭をこだましましたが、その音楽を聴いて、懐かしさを覚えたのは、わたくしばかりではないでしょう。
ノスタルジー誘う、優しいメロディを、迫本さんと、西畑さんは、実に美しく演奏してくれました。
そして、これは、NHKFMの、音楽番組のテーマ曲でした。
いいなぁ~

そして、「ロマンティック・チェロ」の名が、まさに相応しい、ラフマニノフのヴォカリーズ。
ソプラノの冷凛たるアカペラで聴くのもクールでいいですが、こうして、むしろ、より人の声に近いチェロの調べで聴くのも、暖かくて、柔らかくていいものでした。
艶のある響きもいいですね。
まぎれもなく、彼女のチェロから、神奈川フィルの音色が流れだしてます。
オケの一員の方の演奏を聴いて、昨日聴いた、そのオケの音色を思うという、この贅沢な喜び。
 神奈川フィルの応援団として、とってもうれしかったです。
これまで、何人もの、ソロや室内演奏を聴いてきましたが、その点は、どなたも、まぎれもない共通の音色をもってらっしゃるように思います。
 ただ、女性は、より男前で、男性は、より繊細で・・・(怒られちゃうかな)

最後は、チェロもピアノも、まさにショパンを感じさせる曲。
大人しめのチェロパートを、世紀末チェリスト兼作曲のポッパーが補筆して、ゴージャスに仕上げたバージョンとのこと。
いはやは、華やかかつ、見応え、聴き応えがありましたね。
譜面台を横にどけて、迫本さんは、曲に夢中になって、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
おふたりの、息のあった競演ぶりも、実に楽しかったです。

おっきな拍手が巻き起こりました!

おしゃれな、ふたつのアンコールも、とっても洒落ていて、巧みな2曲の選択ではなかってでしょうか。
サティの曲には、思わず、鼻歌が出そうに・・・・

欲を言えば、あのサティの曲を聴きながら、終演後、みなさまに振る舞われた白ワインを(ジュースとお茶も)嗜みたかったものです(笑)。

Lalyre

 今回も、いつもの神奈川フィル応援の仲間と、席を並べて、とても楽しく拝聴することができました、

おふたり、ありがとうございました。
それと、ご主人の巧みなサポートにも拍手を!

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2014年11月16日 (日)

神奈川フィルハーモニー第304回定期演奏会  金 聖響指揮

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今年も、やってきました、冬のクリスマスに向けたイルミネーション。

みなとみらいホールへは、桜木町より歩いて向かいます。

ランドマークプラザには、11月の定期では、毎回、出来たてのツリーイルミが輝いていて、これより聴く神奈川フィルの演奏する音楽への期待と不安も、美しく飾り立てて迎えてくれます。

さて、11月は金聖響さんが定期に戻ってきました。

Kanaphil201411

  クセナキキス   「ピソプラクタ」

  ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第3番 ハ短調

        Pf:ギューム・ヴァンサン※

  ブーレーズ    「メモリアル」

        Fl:江川 説子

  ラヴェル      バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲

      金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

   ※アンコール

  リスト       ハンガリー狂詩曲第6番

  ショパン     ノクターン第1番 op9-1

                 (2014.11.15 @みなとみらいホール)


どうですか、このプログラム。

もう前衛とは呼べないけれど、現代音楽を、前半・後半のあたまに。

それに、王道コンチェルト(でも、3番とはまた渋いねよ)と、オーケストラの花形作品をエンディングにもってくるという、ひとひねりも、ふたひねりもあるプログラム。

こんな演目がのると、いつもと違うお客さんも聴きにいらっしゃる。
もちろん、わたくしのまわりには、いつもと同じお客様がいらっしゃって、きっと、一緒になって、ひぇ~、とか、えぇ~、とか、なんじゃそりゃ、的な思いで聴いていらしたと思います。

コンサートって、これだからおもしろい。

会場の空気を感じながら、音楽を聴くこと。

 で、その空気が、張り詰めた緊張感と好奇心で満たされたのが、クセナキス。

わたくしは、クセナキスその人の存在を、大阪万博のとき以来、名前のみを脳裏に刻みつけてはおりますが、その音楽を、まともに聴くのは、実は初めて。
アバドがウィーン時代に録音した曲を持ってますが、それがなにか思いだせないくらい。
 ですから、この作品も、ブーレーズ作品も、わたくしには語る資格がございません。

尊敬する音楽仲間、IANISさんに、神奈川フィルの応援ページに、クセナキスとブーレーズ作品について、紹介記事を投稿していただきました。→こちらをご参照

ピソプラクタ=確率的行為、というお題が、こうして生演奏で聴いてみて、なるほどと納得できる作品にございました。
弦・ウッドブロック・シロフォン・トローンボーン、合計49名。

弦のみなさんが、楽器を膝に立てたりで、一斉に、それもばらばらに、無秩序に、その胴を、コトコトと叩くところから曲は始まりました。
 ウッドブロクが、カツンカツンと決めゼリフのように、合いの手を入れるなか、弦は、ちゃんと弾くかと思いきや、それぞれの奏者が、思い思いに、ちょいちょいと弾いたり休んだり。
お馴染みのメンバーの皆さんを、右に左に目で追いながら、あっ、ここで弾いた、あっやめた、あっ、ピチカートだ、おっ、トロンボーンもぶわーーっときたし、シロフォンもコキンコキンやるし、ともかく、どこもかしこも気が抜けないし、目も耳の離させない。
 いったい、どんな風な譜面なんだろ。
ひとつの譜面を二人で見ながら、全然違うとことやってるし。
 お家に帰って、聴けばきくほど、悩みが多くなる。
そして、オーケストラのみなさんも、たいへんだったご様子で、それが痛いほどわかりました。
そして、指揮者は、よく振れるもんだと感心。
 同行の造詣深いIANISさんは、もっとはじけてもいい、おっかなびっくり弾いているとのご指摘でしたが、このようなチャレンジを重ねることで、オーケストラは成長するし、わたくしたち聴き手も、おおいなる刺激を与えられて、耳が豊かになっていくのだと思います。

 その次は、ほっと一息ベートーヴェン。
でも、ウィーンの当時は、びんびんの現代音楽作曲家だったベートーヴェンさん。

配置換えで、久しぶりに出てきたバロック・ティンパニに、あっ、今日は聖響さんの指揮だった・・・・と、思い当たり、ちょっと不安が走る。
でも、クセナキスがあったし、対向配置はなくて、通常。
そして、弦も管も、みんな普通にヴィブラートかけてます。
クセナキスのあとですから、潤い不足を感じることなく、自宅に帰ったかのような、ほんわかムードを味わうことができましたよ。
ことに、第2楽章は、素晴らしく優しく、抒情的。
 そう、この日のソロは、見た目はオジサンですが、91年生まれの若きフランスのピアニスト・ヴァンサン氏で、麗しくも優しいタッチの持ち主で、明快かつ透明感ある音色は魅力的なのでした。
 オケもばっちりで、ことに、神戸さんの叩くティンパニが、スコンスコーンときれいにホールにこだまして、とても心地がよろしいこと、このうえありません。
 クセナキスの緊張感が、ここでは薄れて、わたくしは、夢の中に、誘われそうな瞬間も何度かありました。あぶないあぶない。

大きな拍手に気をよくした、ヴァンサン氏。
いきなり、リストの大曲を弾き始めました!
繊細さとともに、驚きのバリバリの爽快超絶技巧を披歴してくれましたよ。
ベートーヴェンで見せた顔と、違う姿をわたくしたちに、見せたかったのでしょう。
ともかくすごかった。

割れんばかりの拍手に応えて、あれあれ、また1曲。
 今度は、しんみりとショパン。
わたくしの周りでは、ため息すら聞こえましたよ。
若いということの可能性と、魅力をたっぷり味わえました。
 もっとアンコールをしかねない雰囲気のヴァンサン君。
それを察したかのような、われわれ聴衆も、もうお腹いっぱい、と拍手の手を休めました(笑)

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 後半は、短いですよ。

初聴き、ブーレーズ作品。
こちらも、IANISさんの解説をどうぞ。→こちら

これはもう、フルート協奏曲かも。
ホルン2、ヴァイオリン3、ヴィオラ2、チェロ1の室内楽スケールの、透明感あふれる音楽で、ブーレーズが率いてきたアンサンブル・アンテルコンタンポランのフルート奏者追悼のオマージュとして作曲されたそうな。
こうした曲は、ともかく身をゆだねるしかありません。
聴いていて、わたくしは、ワーグナー(とくにトリスタン)→ベルク→ウェーベルン→ドビュッシー→武満・・・・というような音楽の流れを感じ、受け止めました。
 江川さんのフルートソロが、まったくもって素晴らしかった。
音の艶と粒立ちが明快で、音楽が耳に次々に届いてきました。

次ぐ「ダフニスとクロエ」でも、江川さんは桃源郷のようなフルートの音色を聴かせてくれました。
ベートーヴェンで首席をはった山田さんとともに、神奈川フィルのダブルフルート首席は、頼もしい限りです。

そして、その「ダフニス」。
われわれ聴衆の溜飲を下げるかのような、大爆発。
文字通り、たっぷりぎっしりのフルオーケストラでもって、まさに「全員の踊り」は、やったぁーーと叫びたくなるような快感と五感の喜びをもたらせてくれました。

IANIS兄貴が言ってたとおり、ブーレーズの精緻な音楽から、そのまま、ラヴェルの「夜明け」につながるような、そんな連続演奏も望ましいと思いましたが、神奈川フィルの本領発揮と思われる、美しくも眩しい、その夜明けでした。
そして、先にふれた無言劇はステキすぎだし。
ラストは、打楽器陣が、8人で、ばりばり!
爽快すぎるラストは、聖響さんのひと振りも見事にきまった!

いやぁ、面白いコンサートでした。

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クィーンズスクエアのツリーは、まだ点灯してません。

また来なくちゃ。

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そして、野毛に進攻!

今回は、新潟からお越しの仲間に、さらにほんとうに久しぶりのお方や、若いお兄さん、そして、いつもお世話になってる楽団事務局の方にもご参加いただき、まいど楽しく、飲み食べ、そして、大いに盛り上がりました。

こちらは、湘南野菜の盛り合わせ。

カラフルざんしょ?
生でパリパリ食べちゃいました。

Kamon2 Kamon3

しらすピザに、たこ焼きも焼いちゃいましたよう~

みなさま、お世話になりました。

そして神奈川フィルのみなさま、いつもいい音楽を聴かせていただきありがとう。

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2014年11月14日 (金)

スタンフォード 「スターバト・マーテル」 ヒコックス指揮

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こんなちょっとした心遣いが、美しい。

先日、お散歩した泉岳寺の義士たちの墓石に、それぞれにお花が経向けられておりました。

都会にありつつ、一歩中に入ると静かなエリア。
このあたりから、三田にかけては、寺社がたくさんあります。
そして、低層住宅も混在していて、閑静な場所です。

その泉岳寺の山門の真横に、8階建てのマンションの建設が始まってまして、周辺の方々は、景観の観点から、工事と計画の見直しを陳情してます。
建築基準法上、また、条例上も、適法であるため、区では許可範囲なので、どうしようもない状態になってます。

土産物屋さんで、反対署名をして、お話も伺いました。
計画者は、さほどの大手ではないので、なかなか止めることはできないだろう。
上階二つがファミリーで、あとはワンルーム。
せいぜい、3階建てぐらいまで。
彼らは、マスコミに取り上げられるのを一番嫌がっている・・・

都市計画は、時の流れとともに、さらに地域性もそのメッシュをことさらに細かく付与するべきかと。
住民による、審査請求も提出されました。

 参考 守る会  http://sengakuji-mamoru.jimdo.com/

Stanford_atabat_mater

  スタンフォード 「スターバト・マーテル」

    S:イングリット・アットロット  Ms:パメラ・ヘレン・ステファン
    T:ナイジェル・ロブソン     Br:ステファン・ヴァーコー

  サー・リチャード・ヒコックス指揮 BBCフィルハーモニック
                       リーズ・フィルハーモニック合唱団
               
                

                  (1995.11.17@リーズ、タウンホール、ライブ)


チャールズ・スタンフォード(1852~1924)は、アイルランド生まれ、ケンブリッジに学び、そのあと、ドイツ本流のライピチヒとベルリンでもしっかり勉強し、生涯はイングランドで過ごした英系作曲家です。

時代的には、いま、わたくしたちがさかんに聴く、ディーリアス、エルガーやV・ウィリアムズ、ホルストよりも、少し先んじた人で、同じような時期とタイプの人に、パリーとマッケンジーがおります。

また彼らとともに、先人として、英国音楽の礎を、なにげに築いた作曲家でもあるんです。

交響曲を7つのほか、オペラも数作、あらゆるジャンルにその作品を残してますが、いまでは、あまり聴かれることはないですね。
その点は、パリーもおんなじ。

わたくしは、ハンドレーと本場アルスターによる交響曲全集を持ってますが、正直、どの曲がどうのこうのは、言えるほどに聴きこんでません。
数年前に、大友さんが、東響で、3番の「アイリッシュ」をやったときに、感銘を受けました。
 アイルランドのブラームスみたいな印象しかなかったのに、しっかり英国音楽とアイルランドの民謡も活かされた雰囲気に、思いきり見方を変えることとなったのでした。

 今回の、「スターバト・マーテル」も、驚きの出会いでした。

「悲しみの聖母=スターバト・マーテル」、古今東西、多くの作曲家が、このジャンルに、たくさんの名曲を残してまいりました。
ヴィヴァルディ、ペルゴレージ、ロッシーニ、ドヴォルザーク、プーランクらの作品ばかりが、多く聴かれますが、まだまだありました。

スタンフォードのスターバト・マーテルは、ヒロイックなまでにかっこよく、かつ、歌心にあふれていて、夢中になって聴いちゃう45分間なのだ。

1906年の作品。
第一次大戦の10年前、世紀末のムードを漂わせつつも、世の中な、物騒な方向へと突き進んでいく時代。
この曲には、そうした切迫感はありませんが、先に述べたような、音のカッコよさがあって、メロディアスなスタンフォードならではのムードとあいまって、哀しみにくれるヴァージン・マリアの心情を、ちょっと悲劇のヒロインみたいにしたててる感があるのです。

交響カンタータとも、当初は呼ばれましたとおり、5つの部分からなり、1部は、大きなプレリュード。
まるで、交響曲の第1楽章のように、静かに始まり、徐々に盛り上がり、ブラスも活躍するナイスなオーケストラ作品と化します。

次いで、2部は、独唱が静々と歌う、いかにも英国音楽風のジェントルな様相で、極めて美しい。
緩徐楽章といったところ。

3つ目の部分は、オーケストラによる間奏で、短いですが、これもまた、大らかかつ、曲全体のムードを集約したような桂曲であります。

4つ目は、その合唱の出だしと、ソプラノソロが、まるきり、ブラームスのドイツ・レクイエムを思わせます。
その後も、ちょっと甘いムードを醸しながら、抒情的な展開となりますが、歌好きとしては、スタンフォード特有の英国&ドイツムードが、たまらなく美しく感じます。

さて、最後の第5部は、聖母マリアを讃える、解放感あふれる爽快なムードです。
この曲の中で、一番長い部分ですが、合唱が主体で曲は進み、ちょっとの中だるみも感じてしまいますが、最後の浄化されたかのような平安かつ、天国的なムードは、極めて素敵です。

何度も何度も、暇さえあれば流してましたので、その音楽はしっかり耳に刻み込むことができました。

素晴らしさとともに、イマイチ感も同居する、スタンフォードですが、同じようなパリーとともに、やはり、捨て置けない作品が、こうしてあるんです。

ヒコックスが甦演した、スタンフォードゆかりの地、リーズでのライブ録音は、完璧演奏。

それと、この印象的なジャケットの絵画。

英国のFrank Cadogan Cowper(1877~1958)という方の作品。

赤の使い方が印象的なその絵画は、ほかの作品でも際立ってますよ。

英国世紀末画家、調べてみてください。

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2014年11月10日 (月)

石田泰尚・山本裕康 デュオ・リサイタル in建長寺Ⅲ

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鎌倉の建長寺。

奥に長く、広い境内は、まだこのあたりは序の口の山門です。

この先の方丈にて、今回が3度目となる、神奈川フィルの誇るふたり、コンサートマスターの石田泰尚さん、首席チェロの山本裕康さん、おふたりのデュオコンサートが行われました。

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こんな感じのセッティングで、三方を取り囲むように、わたくしたち聴き手は、後ろの方は3人掛けの椅子席、畳の上は、座布団に思い思いに座ってのコンサートです。

そして、場所が場所ですから、経文が配布され、みなさまで読経。

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正座して、頼りない声ですが、お声を発して、清々しい気持ちになり、いよいよコンサートです。

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ぎっしり満席。

350人前後でしょうか。

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  ベートーヴェン 3つの二重奏曲より、第1番

  バッハ       無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007

            無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002

  グリエール   ヴァイオリンとチェロのための8つのニ重奏曲

  ヘンデル     パッサカリア (アンコール)

         Vn:石田 泰尚

         Vc:山本 裕康


                 (2014.11.9 @鎌倉 建長寺)

初めて聴きました、ベートーヴェン22歳の頃の作品といわれる二重奏曲。
クラリネットとファゴットによる作品が原曲で、このように、ヴァイオリンとチェロで演奏されることも多々あるそうです。(Musician's Partyの寺田さんの解説より)
 しかも、ベートーヴェン自身の作かどうかも、まだ定まっていないといいます。

若きベートーヴェンらしい、抒情とうららかな優しさに満ちた桂曲に聴きました。
まだ、手慣らし程度、軽いタッチで合わせた、名手のふたりの素敵な演奏でしたよ。

ついで、山本さんのソロで、無伴奏の1番。

あの冒頭を聴いた瞬間に、時間は、歴史ある方丈の空間に止まり、山本さんの奏でるバッハの音楽のみが、その空間を淡々と埋め尽くしてゆくのに感じ入りました。

おわかりいただけると思いますが、こうした、木造と畳、そこそこ厚着をした、多くの聴き手で満たされた、お堂の中は、音は響きにくく、デッドです。
そのかわり、わたくしたち聴き手には、ストレートに音のひとつひとつが届きます。
 しかし、この日、山本さんも語っておられましたが、演奏する側は、音を響きとして受け止められないので、たいへんに苦慮してしまう。

でも、ごめんなさい、聴き手ですから、この荘厳なる雰囲気も相まって、素晴らしいバッハを堪能しました。
CDで、何度も聴いてる山本さんの無伴奏ですが、回を増すごとに、音楽への切り込みと、集中力を増しているように思います。
日々、鍛練怠りない、まさにプロの技を、こうして、和の空間で味わう喜びは、筆舌に尽くしがたいものです。

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休憩中に、ストレッチに育む方をパシャリ!

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廊下を渡って、方丈の庭園を。

静謐な心持で、後半の、今度は、ヴァイオリンの無伴奏を。

石田さんが、いま取り組んでいるバッハの無伴奏。

一夜で、全6曲を演奏するコンサートも、12月に控えてます。

さっと、登場し、淡々と弾き始めるその音色は、いつもの石田サウンド。

優しくて、鋭くて、繊細で、でも、強い求心力をもってる。

でも、さすがに、この場所では響かない。

わたくしの場合、ヴァイリンの無伴奏は、レコード時代、教会で録音されたアーヨ盤に親しんだものですから、音の響きの按配に、もどかしさを覚えました。
でもさすがの石田さんですよ、ともかく美しいバッハ。
静々と迫ってきました。

途中途中で、チューニングに細心の中止を払ってました。
音が自分でつかめてないのかと思ったら、この方丈内は、人いきれもあるし、山の中腹だから、寒暖の差が激しく、外と内で温度差が激しい。
実際、蒸し暑かった。
そう、湿気だったようです。

最後は、初聴きのグリエールの作品。
グリエールは、ロシアの後期ロマン派で、その濃厚サウンドがお気に入りの作曲家ですが、この8つの作品も、ほんと、気にいりました。
完全に性格の異なる8つの小品の集まりですが、それぞれにみんな可愛いし、抒情的だし、ロシアならではの歌にもあふれてます。
 こんなような曲が、もしかしたら、この場所には、トーン的にはよかったのかもしれません。
次の、このコンビの定番、ヘンデルとともに、まったく間然とすることなく、熱気もはらみながらの素晴らしい演奏でした。

 音のこと、あれこれ書きましたが、でもですよ、でもでも、こうした場所で、音楽が聴ける。
しかも、お馴染みの方々の演奏で。
こんな素晴らしい企画は、これで終わりにならずに、この先もずっと続いて欲しいです。

そんなこんなを、わいわい話しながら、音楽堂チームと、今回手分けして、聴いた仲間のみなさんと、大船へ繰り出して、ナイスな居酒屋で楽しく一杯

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主催された如水会鎌倉支部、北鎌倉湧水ネットワークのみなさん、ミュージシャンズ・パーティさま、そして鎌倉市、建長寺、神奈川フィルの、それぞれみなさん、ありがとうございました。

そして、なにより、石田さん、山本さん、最高ですぜ

みなさま、おつかれさまでした。

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2014年11月 7日 (金)

アルウィン 「オータム・レジェンド」 ヒコックス指揮

Autumn_azumayama

秋の吾妻山。

今年は、まだ帰っていませんので、ちょっと前の、今頃の晴天の景色。

秋だけど、季節は、冬に向かってまっしぐら。

ここ数年、秋の出番は少なめで、冬が早く来て、遅くまでのさばる陽気が続いてます。

日本人の心情としては、春と共に、秋を長く味わいたいものです。

Alwyn

  アルウィン 「オータム・レジェンド」~秋の伝説

      コール・アングレと弦楽のための

        コール・アングレ:ニコラス・ダニエル

 サー・リチャード・ヒコックス指揮 シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア

                      (1991.1 @ロンドン)

ウィリアム・アルウィン
(1905~1985)は、ブリテン、ウォルトン、ティペットたちと、同時代の英国作曲家。
ついこの間まで存命したわりには、保守的な作風。
でも、ウォルトンやティペットと同系列に考えるならば、かなりモダーンな雰囲気の音楽が多い。
一方で、RVW,ハゥエルズなどの抒情派にも通じる個性もあります。
 

作曲とともに、フルートも学んで、ロンドン響でエルガーやRVWのもとでフルートを吹いていたこともあるアルウィン。

ロンドンでの活躍を経て、後半生はサフォーク州のカントリーサイド、ブライスバーグで作曲に油絵(このジャケット)に、のびのびと暮らしました。

 

5曲の交響曲、あらゆる楽器のための協奏曲複数、これもまた多様な楽器による室内楽曲、オペラふたつ、歌曲、映画音楽60と、かなりの多作家。
オペラを是非聴いてみたいものですが、アルウィンの奥さまマリーさんと共同して、残された作品のレコーディングに情熱を注いだシャンドスレーベルですが、ヒコックスの逝去もあって、いまはひとまず終了している様子。

1954年、ブライスバーグの自身のアトリエで、まさに、画家・詩人のロセッティが、そこにあるのを感じつつ、絵筆をとりつつも、先達の絵にインスピレーションを得た、素敵な音楽を作曲しました。

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   ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」(The Blessed Damozel)

若くして亡くなった乙女が、天の宮殿から、地上の恋人を慕って歌う、そんな内容です。

具体的には、この絵に添えられた、ロセッティの詩の一節がそうです。

 
 Surely she leaned o'ver me-her  hair

      Fell all about me face・・・・

 Nothing: the Autumun fall of leaves

      The whole year sets apace



確かに、彼女は、僕の頭のうえに身を乗り出した

   髪が、僕のあたまのあたりに、はらりと垂れた

 でも、なんでもなかった、秋の落葉だったのかな

  こうして、1年は、すぐに過ぎてしまうんだ


    
この詩は、天の乙女が大半を歌いますが、唯一、地上の青年の独白がありまして、それがこの場面です。

まさに、天上と、地上の絵を耽美的に描いたその絵画は、静謐で抒情的なアルウィンの音楽を聴くと、ぴたりときます。

この詩に、そのまま音楽を付けたのは、まさに、ドビュッシーで、「選ばれし乙女」という声楽作品になりました。

 さて、アルウィンの10分あまりの、あまりに美しい作品。

沈鬱な前半部分は、寂しそうな弦楽のうえに、コール・アングレの物悲しい音色を巧みに活かした楚々とした歌が淡々と続きます。
これを聴いていると、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」を思い起こしたりもします。

少しテンポをあげて、音楽は動き出しますが、基調は短調で、それはきっと、早くに別れなくてはならなかった恋人への思いの焦燥感を感じます。

そして、後半が実に素晴らしい。

彼女の長い髪が、頬にふれた、そんな優しい感触を、秋の落葉に対して青年は、とても暖かい気持ちでもって受けとめるのでしょう。
優しく、慰めにあふれた旋律が、弦楽器から始まり、コール・アングレもそれに応えて暖かく応じます。
 やがて、かすかな諦念も感じさせるなか、静かに、静かに音楽は終わります・・・・。

こんな美しい音楽は、是非、ひとり静かに聴いてください。
コンサートでもやって欲しくない、自分のお部屋で聴くのが一番。
できれば、窓の外に、色づいた葉をのぞみながら。

 このCDには、あと、わたくしの愛するもうひとつのアルウィン作品、「リラ・アンジェリカ」が収録されております。

 アルウィン 過去記事

 「リラ・アンジェリカ」

 「交響曲第5番」

 「リチャード・ヒコックスを偲んで」

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2014年11月 5日 (水)

東京都交響楽団演奏会 ブラビンズ指揮

Geigeki

開演15分前、人々が駅から出て、次々に、こちらに吸い込まれて行く。

そう、東京都交響楽団のA定期演奏会を聴いてまいりました。

わたくしは、この大きなホールが、街の雰囲気も併せて、どうも苦手で、できるだけ避けたいホールのひとつです。

でも、先のB定期(→RVW、ブリテン、ウォルトン)とともに、名古屋フィルのシェフで、英国音楽の演奏の希望の星、マーティン・ブラビンズの客演で、ウォルトンの交響曲のふたつめ、そして、なんといっても、ディーリアスとRVW。

ふたつの定期が、こうして関連だっていて、しかも英国音楽に特化している。

英国音楽を、こよなく愛するわたくしとしては、ホールがどうのこうの言っていられません。

Metorso

  ヴォーン・ウィリアムズ  ノフォーク・ラプソディ第2番 日本初演
                    (ホッガー補筆完成版)

  ディーリアス        ヴァイオリン協奏曲

              Vn:クロエ・ハンスリップ

  ウォルトン         交響曲第1番 変ロ短調

    マーティン・ブラビンズ指揮 東京都交響楽団

  ※P・プラキディス ふたつのきりぎりすの踊り(ヴァイオリンソロ、アンコール)

                       (2014.11.4 @東京芸術劇場)


これまた、わたくし向きのプログラム。
どの作曲家にも、強い思い入れがある。

でも、とりわけ、フレデリック・ディーリアスへの思いは人一倍強い。

本ブログでは、その心情を時おり、吐露しておりますが、亡き人や、故郷への望郷の思いと密接に結びついていて、その作品たちとの付き合いも、もう40年近くになります。

日本のコンサートに、その作品が取り上げられるのは、著名な管弦楽小作品か、「楽園への道」ぐらいで、あとはモニュメント的に、声楽作品が演奏されるぐらい。

ディーリアスのヴァイオリン協奏曲が、こうして演奏されるのって、ほんとにレアなことだと思います。
これを逃したら、生涯後悔するかも・・・、それこそ、そんな気持ちでした。

しかし、不安は、大きなホール。

でも、その思いは実は、1曲目のRVWで、ある程度払拭されてました。

そう、静かで抒情的な場面の連続する、RVWとディーリアスの曲ですが、音のディティールは、細かなところまで、しっかり届きましたし、なによりも、ホール全体に漂う、静かな集中力のようなものを強く感じ、音楽の一音一音をしっかり聴きこむことができました。

27分間にわたって、楽章間の明確な切れ目はなく、多くの時間が、ピアノの静かでゆったりムードで続くディーリアスの音楽の世界は、もしかしたら初めて聴かれる方には、とりとめもなく、ムーディなだけの音楽に聴こえたかもしれません。

ですが、ディーリアスは、そこがいいんです。

茫洋たる景色、海や山が、霞んで見える。
自然と人間の思いが、感覚として結びついている。
リアルな構成とか、形式なんか、ここではまったく関係がない。

その、ただようような時間の流れに、その音楽をすべり込ませて、静かに身を任せるだけでいい。
形式の解説など不要だ。

わたくしは、大好きなディーリアスのヴァイオリン協奏曲の実演に、遠いニ階席で、曲に夢中になりながら弾きこむクロエ嬢と、慈しむように優しいタッチで指揮をするブラビンズさん、そして神妙な都響の面々、そのそれぞれを見ながら、やがて、その実像が、ぼやけてきて、いつものように、望郷の念にとらわれ、涙で目の前が霞んで行くのに、すべてを任せました。

言葉にはできません。
ほんとうに素晴らしかった。
実演で接すると、いろんな発見も、処々ありましたが、それら細かな部分は、全体のなかに静かに埋没してしまい、いまは、もう、そのようなことは構わなく思えます。

タスミン・リトルのあとは、ハンスリップ嬢と、スコットランドのニコラ・ベネデッティがいます。
頼もしい、英国系女性ヴァイオリン奏者たち。
ちょっと踏み外すところや、元気にすぎるところは、ご愛嬌。
かつてのタスミンもそうだった。
 ただ、アンコールは、民族臭が強すぎて、ディーリアスの多国籍かつ無国籍ぶりにはそぐわなかったような気がします。
東欧の響きのように思いましたが、ラトヴィアの作曲家だそうで。

 さて、思いの強さで前後しましたが、RVW作品は、日本初演。

それもそのはず、民謡の採取に情熱を注いだV・ウィリアムズが、それらの素材を活かしたノフォーク・ラプソディを、3曲書きましたが、2番目は未完、3番目は破棄ということで、完全に残ったのは、先に聴いた美しい1番のみ。

未完の2番を、RVW協会の許しを得て、R・ヒコックスがスティーブン・ホッガーという作曲家に補筆完成を委嘱したのが、今回の作品。
2002年に完成し、一度限りの条件で初演されたのが2003年。

ヒコックスのRVW交響曲録音の、3番(田園交響曲)の余白に収められておりますが、その初演以外、しかも、海外で初となる演奏許可を、都響が取りつけたとのことです。

それは、英国音楽の達人ブラビンズあってのことだと思いますし、東京都とロンドンという関係もあってのことかもしれません。

ともかく、VWらしい、郷愁あふれる情緒豊かな音楽で、10分ぐらいの演奏時間のなかに、静かな場面で始まり、スケルツォ的な元気な中間部を経て、また静かに終わって行く、第1番と同じ構成。
親しみやすさも増して、ステキな聴きものでした。

 休憩後のウォルトンの1番。

せんだっても、尾高&藝大で聴いたばかり。
ダイナミックレンジの幅広い、繊細かつ豪快な音楽は、前半の静けさとの対比でもって、とても面白い。
しかし、この大きなホールの2階席は、音像が遠く感じ、迫力のサウンドは思ったほどに届いてこないもどかしさがありました。
前半や、この交響曲の第3楽章が、むしろ、じっくり聴けた感じがあるのは、面白いことでした。

 それでも、CDで聴き馴染んだこの作品は、やはり実演が面白い。
第二次大戦を間近に控えた頃の、不安の時代。
その緊迫感と重々しさを随所に感じつつ、最後は、輝かしいラストを迎えるわけで、交響曲の伝統のスタイルをしっかり踏襲している。
 ほんと、快哉を叫びたかった、リズムもかっこいい第1楽章では、ブラビンズの指揮ぶりを見ていると、とても明快で、オケも演奏しやすいのではとも、思いました。
 変転するような拍子が、妙に不安を駆り立てる難しい2楽章ですが、都響の完璧なアンサンブルは見事なもの。
 そして、一番素晴らしかったのは、沈鬱さと孤独感の中に、クールな抒情をにじませた静かな3楽章。
木管のソロの皆さんの柔らかい音色も印象的で、オケの音色は、透明感を失わずに、くっきり響いてます。
 一転、明るさが差し込む終楽章。
重層的に音楽が次々に盛り上がってゆくさまを、意外な冷静さで聴いておりましたが、最後の方の、トランペットの回想的なソロ(素晴らしかった)のあと、ついに出番が巡ってくる、2基目のティンパニと、多彩な打楽器の乱れ打ち。
この最後の盛りあげがあって、この1番の交響曲が、映えて聴こえるのですが、それにしても、完璧な演奏ぶりでした。

驚くほどのブラボーが飛び交いました。

指揮者を讃えるオーケストラに押されて、ひとり指揮台に立って喝采を浴びたブラビンズさん。
いい指揮者です。
ウォルトンの分厚いスコアを、大事そうに小脇に抱えて、ステージを去るその姿に、好感を覚えた方も多くいらっしゃるのでは。

名フィルの指揮者であり、ロンドンのプロムスの常連。
CDも、コアな珍しいレパートリーでもってたくさん出てます。
ブライアンの巨大ゴシックシンフォニーもあります。
名古屋での、ユニークな演目も聴いてみたいものです。

  過去記事

 ディーリアス ヴァイオリン協奏曲

  「ラルフ・ホームズ&ハンドレー」

  「アルバート・サモンズ&サージェント」

 ウォルトン  交響曲第1番

  「ブライデン・トムソン指揮 ロンドン・フィル」

  「尾高忠明指揮 藝大フィルハーモニア」

 

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2014年11月 3日 (月)

プッチーニ トスカ マゼール指揮

Yokohama_kaikou

横浜の開港記念館。

10月末から、11月の連休にかけて行われた、横浜スマートイルミネーションでのひとこま。

ふだんのライトアップは、暖色系のオレンジのみ。

今回は、パープル系。

横浜三塔のほかのニ塔も、美しく染められてました。

いつもは、再褐ですが、これ。

Kaikoukinenkan

今夜は、横浜の街に似合うと、勝手に思ってる、プッチーニを、変わり種で。

Tosca_maazel


    プッチーニ  「トスカ」 ハイライト ドイツ語版

  トスカ:アニア・シリア      カヴァラドッシ:ジェイムズ・キング
  スカルピア:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
  スポレッタ:ピエロ・デ・パロマ 

   ロリン・マゼール指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団
                  ローマ聖チェチーリア音楽院合唱団

                     (1966 @ローマ)


ドイツのオペラハウスでは、かつては、イタリアオペラも、フランスオペラも、ドイツ語で歌い演じることがあり、同様に、イタリアでは、ワーグナーもイタリア語上演したりしていた時代がありました。

いまでは、考えられないことですがね。

日本も同様、70年代までは、日本の劇団によるオペラ上演は、日本語訳で歌っておりました。
わたくしのオペラ体験初期の頃は、みんなそんな感じでした。
オテロも、ファルスタッフも、ヴォツェックも、みんな日本語。
でも、ワーグナーは、独語上演だった。

いまは昔のおはなしです。

そして、60年代を中心に、DGやデッカ、EMIは、独語によるオペラハイライト盤を、多数録音しておりまして、その歌手たちも、ドイツ系が中心で、ふだん、ワーグナーやモーツァルトを歌っているような強力な歌手たちが、ヴェルディやロッシーニ、ドニゼッティなどを軽やかに歌っていて、思わぬ貴重な音源となっているのでした。

マゼールのユニークな「トスカ」は、すでに取り上げました→トスカ

全曲盤は、ニルソン、コレッリ、フィッシャー=ディースカウという、個性の異なる超絶歌手を主役に据えての、ド迫力と、不思議なまでに繊細な演奏でした。

そして、まったく同じときに、FDさまと、名脇役デ・パルマだけが残って、ドイツ語抜粋盤が録音されました。

シリア、キング、FD。

まるで、ワルキューレか、ローエングリン、はたまた、フィデリオでも上演できそうな顔ぶれに、おののいてはいけません。
ドイツ語のゴツゴツ感は、随所に感じ、思わず吹き出しそうな場面(スカルピアの、行けトスカよ・・・は、Geh~になってるし)もありますが、全然OKなドイツ語。

そうそう、わたくし、このブログで、ホルスト・シュタイン盤をとりあげてました→トスカ

武骨な感じで、真っすぐの迫力がありつつ、以外に細やかな歌いぶりのキング。
プッチーニはお得意なはず。
蝶々さん以外にも、アリア集とか録音はあったはずなので、復活して欲しい。

FDさまは、独語になると、その狡猾さと、ずるさが際立ちます。
言葉の一つ一つを、これほどまでに全霊を込めて歌う歌手は、もうなかなかいませんね。

そして、アニア・シリアの以外なまでの少女のようなトスカ。
これ、聴いて、わたくしは、妙なことに、「ルル」を思い起こしてしまった。
可愛い感じでありつつ、シャウトすると、人を殺めてまで、歌と恋に生きる女性の強さを感じさせるのでした。
ニルソンの、怜悧さと、少しの大味ぶりとは、かなり違うトスカ。

そして、安定のマゼールの指揮。
全曲盤と同じく、ちょこちょこと、面白いこと仕掛けてきます。
その劇的なお運びのうまさは、さすがであります。

おもろいトスカ、おわります。

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2014年11月 2日 (日)

チャイコフスキー 四季 アシュケナージ

Tokyotower20141028

晩秋の東京タワーの夕暮れ。

すっかり、秋冬バージョンとなりました。

そして、夏バージョンは。

Tokyotower_8m

すっきり、見通しもいい感じの夏姿の東京タワー。

すけすけ感が、涼しげですよね。

こうした、照明プロデュースをする企業が、我が邦には、しっかりあって、かつては考えにくかった芸術・商業ジャンルを切り開きましたね。

四季が、しっかりあって、それぞれの機微に敏感なわたくしたち日本人。

その感性こそが、いろんな想像力をそだて、育むんだと思います。

この日本の美しい四季が、世界の人々を魅惑し、多くの訪問客を産んでいるのですね。

近隣のふたつの国が、どうあがいても、逆立ちしても及ばないこと、それは、日本の美しい四季ですよ!

Tchaikovsky_seasons

     チャイコフスキー  「四季」

      ウラディミール・アシュケナージ

              (1998.12 @ベルリン)


チャイコフスキーの「四季」は、ピアノによる12ピースの小品集。

ヴィヴァルディの四季は、協奏曲集。
ハイドンの四季は、オラトリオで規模の大きい声楽作品。
真夏に、神奈川フィルで聴いたグラズノフの四季は、バレエ音楽で管弦楽曲。

それぞれの「四季」が、それぞれにいろんな形式と、作曲家たちの生国の四季に、しっかりと寄り添った特徴ある季節を描いていて、その聴き比べも楽しいものです。

しかし、ロシアとイタリアの違いは、あまりに大きいですね。

1875~76年にかけて、チャイコフスキー35歳の作品。
有名どころでは、ピアノ協奏曲第1番の頃ですね。

月刊誌Nouvelliste(小説家)に掲載するために、作曲され、年間各月、1月から12月までを、ロシアの詩人たちの詩に基づいて、連続して書かれ、12の互いに結びついたような素敵な小品集が生まれました。

   1月 「炉端にて」              プーシキン

   2月 「謝肉祭」               ヴァゼムスキー

   3月 「ひばりの歌」            マイコフ

   4月 「松雪草」               マイコフ

   5月 「白夜(五月の夜)」       フェート

   6月 「舟歌」              プレシチェーエフ

   7月 「草刈りの人の歌」       コリツォフ

   8月 「収穫の歌」           コリツォフ

   9月 「狩りの歌」           プーシキン

  10月 「秋の歌」            トルストイ

  11月 「トロイカ」         ネクラーソフ

  12月 「ノエル(クリスマス)」 ジュコーフスキー


 12か月が、ときに、日本の四季とも合致するタイトルたちで、いずれも詩的で、夢見るような雰囲気は、いかにもチャイコフスキー。
そして、チャイコフスキーのバレエ音楽の世界です。

ですが、さすがに、日本の四季と、どうみても、そして、どう聴いても違うのは、陽気な2月の「謝肉祭」、日本は、豆まきの鬼退治?

あちらでは、初夏のように迎える、日の沈まない白夜の5月は、日本では、春から夏の陽気のいい季節で、夜の音楽の様相ではないですね。

この曲集で、一番有名で、ロマンティックな6月の「舟歌」は、哀愁たっぷりで、日本の鬱陶しい梅雨の季節とは明らかに違う憂愁です。
美しい音楽です。

7,8月は、収穫の秋のような題材となってますが、これはロシア旧暦によるものなので、先取りのかたちになってますが、それでも、季節は冬に向けて早い足取りです。

9,10月は、われわれにも親しい、ちゃんとした秋で、ことに「秋の歌」は、儚さも感じるもの憂いムードですよ。

のこり二つの章は、まさに冬。
ロシアの冬は、閉ざされたように長い。
11月から、ムードとしては、4月まで。

日本の四季との違いを、書いてみましたが、このチャイコフスキーのこれらの桂曲は、まさにそのタイトルを感じさせる、そのとおりの音楽たちです。

そのどれもが、二部構成で、音楽的にも、互いに結び付きがあって、12曲が、大曲的には、大きなひとつの作品としても、巧みに構成されています。
 劇音楽家、シンフォニストとしての大家、チャイコフスキーならではの、優れた作品ですね。
きっと、みなさん、その懐かしいまでの雰囲気に、これ、聴いたことがある、といった既聴感にもとらわれることでしょう。

ガウクがオーケストレーションした版は、まだ聴いたことがありませんが、まさに、オケ向きの原型です。
でも、わたくしは、ピアノによる、ロマン溢れる演奏で、あれこれ、ロシアの自然やら、日本の四季やらを、思いめぐらすのが好きです。

 指揮者としては、いまでも、なんともやら的なアシュケナージさんですが、かねてのむかしより、ピアニスト、アシュケナージは、完璧な存在です。
繊細でリリカルで、強鍵にもことかかない、その多彩な表現力は、一律的な指揮活動とは大違いの感。
ともかく、素晴らしいピアノです。

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