ヘルマン・プライ クリスマス
みなさま、クリスマス、おめでとうございます。
日本は、イブに爆発しすぎて、本番の25日は、五十日(ごとうび)だし、企業の多くの給料日だから、クリスマスなんてことを、すっかり忘れて、残ったクリスマス商品やケーキを売りさばくに徹するのみにナリマス。
これもまた、特定のお祭り日を商業的に定めて、みんなで渡れば怖くない的な雰囲気を造り上げてしまう風潮の、日本的な典型なのでしょうね。
それでも全然、いいと思います。
でも、すくなくとも、キリスト教の真夜中の「イエスの誕生日」ということを、少しでも頭において、その上で楽しんで欲しいと思いますね。
クラシック音楽を聴いてると、避けて通れない、キリスト教社会が背景にあるがゆえの音楽の世界。
それらを理解するうえでも、聖書を読んだり、イエスのことを理解したりと、興味を超えた「学び」が必要になります。
わたくしも、当然に歩みましたし、幼稚園の頃から馴染んできて、当たり前になってきた思考でもあります。
そんな一方で、墓や仏壇に手を合わせ、神社にも清々しい思いをいだく、そんな日本人です。
とりわけ、肉親の死に接して、係わらざるを得ない場面も多々あるのが、この日本。
いまは、それでいいと思います。
大切なのは、自分がすべてでない、人との交わり、そしてそれでもって生きているという、謙虚な思いです。
あら、なんて、立派なことを語ってしまうんでしょう。
酒飲みながら語るセリフじゃないですよね・・・・・
恵比寿のガーデンプレイスは、今年、訪れたイルミナイトのなかでも、最高の逸品でした。
暮れかけたときと、完全に暮れてしまった一瞬との境目も味わいました。
ヘルマン・プライとテルツ少年合唱団 クリスマスの歌
バリトン:ヘルマン・プライ
テルツ少年合唱団
ゲルハルト・シュミット-ガーデン指揮 グランケ交響楽団
(1965?年 ミュンヘン)
ドイツのクリスマス。
それは、南北に広いドイツで、同じキリスト教社会でも、宗派に違いにより、様相が異なるはずですが、渾然一体で、「ドイツのクリスマス」的なイメージとして受け止められてます。
一概には言えませんが、北はプロテスタント、南はカトリック・・・。
でも、イエスの生誕を祝う祝日は、お互いが、それぞれに、いいところを意識しつつ、どちらも同じような、普遍的なお祝いを造り上げたのではないでしょうか。
音楽も、それこそ、一律にはできませんが、ドイツのクリスマス音楽は、素朴でありながら、聖夜の暖かな雰囲気をイメージさせる、ほのぼの暖色系のものが永く歌い継がれてきたものだと思います。
ヘルマン・プライと、テルツ少年合唱団という、それこそ、ドイツの真ん中をイメージさせる、ほのぼのカップルは、まさに、ドイツ・クリスマス音楽にうってつけ。
プライの柔らかくも清潔で、真っ正直な歌声は、まさに、もって生まれたパパゲーノのイメージそのままに、どこの家庭にもいる、お兄さんの雰囲気です。
頼りになるけど、ちょっとおっちょこちょいで、でも、ほんと、憎めない、いいヤツ。
そんな彼氏が歌う、ドイツのクリスマスは、暖かいカーペットのうえで、暖炉を見つめながら、親しい人と迎える親密なクリスマス。そんな画像が思い浮かぶ、そのままの絵です。
プライとの共演も、合唱単体もある、この音盤でのテルツ少年合唱団。
こちらも、まさに、モーツァルトの「魔笛」的な世界で、無垢なる清純な天使たちの歌声。
ドイツ語の美しさを感じさせるうえでも、まさに、耳に優しく、しかも、そこが、ドイツ音楽好きには、耳のご馳走なんですね。
そのうえ、そこらの市井にあるオルガンの響きや、南ドイツっぽい、ツィターの伴奏も加わってますから、これまた雰囲気抜群ですよ。
曲目は、あれこれ書きませんが、誰もが聴いたことある懐かしい曲ばかりで、毎年、この季節に、頭をよぎる、素敵な曲たちばかりの選曲です。
69歳で亡くなってしまった、ヘルマン・プライは、その姿も、そのお声も、いずれも若々しく、永遠のパパゲーノのような存在だったから、その、まさかの死には、ショックを禁じ得ませんでした。
それは、まさに、ルチア・ポップの死の驚きと同じくするものでした。
後年は、そのイメージを脱するような、カッコ悪いイメージばかりの、マイスタージンガーのベックメッサーを歌い演じて、新しいベックメッサー像を打ち建てたし、朋友のアバドと組んで、ロッシーニのフィガロ、第九に始まり、ついには、ヴォツェックにもチャレンジしようとしながら、ベルクが流れてしまったことが、その死でもって、希少な機会が完全に失われてしまった・・・・。
でも、そんなヘルマン・プライの一番最良の顔が見えるのは、こんなささやかな、ドイツのクリスマス・ソングの1枚かもしれません。
Frohe Weihnachten!
| 固定リンク
コメント
プライとの出会いはベーム盤のフィガロでした。ディースカウが伯爵でしたからその声の対比がとてもよくわかりました。このレコード、手持ちのレコード8枚を大阪は堂島にあったワルツ堂に持って行き下取り交換して手に入れました。(金欠の高校時代です。)ケースジャケットに衣装を着けた出演者が載ったこのレコード、毎晩聴いておりました。その後ブラームスのドイツ民謡集を歌うプライのレコードも気に入ってよく聴いていました。こういう曲を歌わせるとプライの美声が冴えわたります。CDを探しましたがありません。ロッシーニのフィガロ役のプライも映像ともども素敵でしたね。
投稿: ornellaia | 2014年12月26日 (金) 11時09分
ornellaiaさん、こんにちは。
きっと、レコード世代は、ヘルマン・プライに対して、同じイメージを共有しているかと思います。
ベームのフィガロは、CD初期に入手したのみですが、FDの声とともに、バリトンの声として、われわれに耳に刷り込みのようにして残る、彼らの歌声に違いありません。
人間の声ってものは、耳の記憶に、永劫に残るものですから、歌手の場合、喜びも、哀しみもひとしおですね。
投稿: yokochan | 2014年12月26日 (金) 21時56分