チャイコフスキー 「スペードの女王」 小澤征爾指揮
東京駅、丸の内口のKITTE。
かつての郵政省、東京中央郵便局の、ちょっとレトロなビルは、日本郵便株式会社の手掛ける初の商業施設として、外観は巧みにそのままにして生まれ変わった。
昨年のことであります。
そして、昨冬から始まった、この「ホワイト・ツリー」
日に何度か、ライトアップ・プログラムが実施され、四季を感じさせる、さまざまな色どりに染まります。
これは、春でしょうね。
そして、グリーンは、初夏のイメージを受けました。
きらきらですな。
今日は、ロシアの四季を、いろんな局面で感じさせる、チャイコフスキー。
全部で13作もあった、チャイコフスキーのオペラ。
破棄したり、未完だったものを除いても9作品。
ロシアの土臭さも感じる伝統と、ヨーロッパ的な洗練されたオペラ感。
これらが、たくみに相まったのが、チャイコフスキーのオペラ。
ブログでは、まだこれで、3作ですが、あと1作そろえれば、音源で聴ける作品を全部そろえることができそうです。
ゆっくりですが、それらも記事にしていきたいと思います。
チャイコフスキー 「スペードの女王」
ヘルマン:ウラディミール・アトラントフ
リーザ:ミレルラ・フレーニ
トムスキー公:セルゲイ・レイフェルクス
侯爵夫人:モーリン・フォレスター
イェルスキー公:ドミトリ・ホロストフスキー
ポリーナ:カトリーネ・シージンスキー
マーシャ:ドミニク・ラベッル
家庭教師:ジャニス・タイラー
チェカリンスキー:エルネスト・ガヴァッツィ
スーリン:ジュリアン・ロデスク
チャップリッキー:デニス・ペテルソン
ナルーモフ:ジョルジュ・シャミーネ その他
小澤 征爾 指揮 ボストン交響楽団
タングルウッド祝祭合唱団
アメリカ少年合唱団
(1991.10.11 @ボストン、NY)
1888年、チャイコフスキーは、弟モデストから、プーシキン原作の「スペードの女王」のオペラ化を打診される。
ただ、チャイコフスキーは、そのとき、オペラ「 チャロデイカ」の創作が終えたことで手いっぱいで、いったんは、その申し出を受けたものの、断りをいれ、弟をがっかりさせた。
相次ぐオペラの作曲よりも、シンフォニックな作品を書きたい気分だったと言ったといいます。
それが第5交響曲となり、次いで、バレエ「眠りの森の美女」が生まれます。
弟の提案から、1年半後、チャイコフスキーは、俄然、「スペードの女王」の作曲意欲が沸き、1890年に一挙に完成させるのでした。
チャイコフスキーの生涯もあと3年。
病死ではありますが、オペラはあと1作、美しい「イオランタ」が書かれますが、再充実期にあった、チャイコフスキーの名作のひとつが、「スペードの女王」なのです。
3幕、ほぼ3時間を要する大作で、レコード時代は、4枚組で、高価でもあり、なかなか手が出ない作品のひとつでしたね。
CDでも、3CDとなりますが、各幕が1枚づつに収まり、聴きやすくなりました。
日本ではあんまり上演されません。
そもそもロシア・オペラは、本場からの来演ばかりで、新国も独・伊ばかりで、日本人には、どうもロシア語がやっかいなのでしょうか。。
「エフゲニ・オネーギン」の方が、はるかに定番となっておりますが、「スペードの女王」も、そちらと同じく、美しく、親しみやすい旋律や、アリアが、ぎっしり詰まっていて、しかも、オーケストラがとてもよく鳴るように書かれていて、さすがと思わせます。
そして、オネーギンと同じく、情緒不安定のむちゃくちゃな男と、そいつに翻弄されるお嬢様というシテュエーションとなっているところが面白いです。
激しすぎる性格が及ぼす、身の破滅は、ロシアの社会問題をもえぐる皮相さも持っています。
「スペードの女王」における、おばかさんは、ギャンブルがもとで、人も殺し、恋人の命も、自分の命も失ってしまうという大破滅ぶりなのですが、濃淡あれど、昔から人間の陥りやすい、今では、病気とも認定される依存症のひとつがギャンブルなのです!
ワタクシは、賭け事はいっさいやりません。でも、ワタクシは、酒が・・・・・・。
暗いロシアの大地と、上流社会と、そうでない人々の対比、華やかなな舞踏会や、こっけいな道化っぽい役柄も出てくる。このあたりは、ロシア系オペラの常套か。
そこに、メロディアスな旋律と、ゴージャスな響きが加わること、それこそがチャイコフスキーのオペラの魅力です。
素敵なアリアの数々も、思わず口ずさみたくなるものばかり。
あらすじを
18世紀末 ペテルスブルク
第1幕
第1場 公園の広場
子供たちが遊んでいると、兵隊の真似をした少年たちが行進してきて、子供らも、彼らについて去ってゆく。
ゲルマンの友人、チェカリンスキーとスーリンは、そういえば、最近彼は元気がないね、などと語るところへ、そのゲルマンが、親友のトムスキー公とやってきて、彼は、名も知らぬ高嶺の花、身分違いの女性に恋をしてしまったと絶望的に歌う。
イェレスキー公爵が散歩しながら近づいてきて、婚約をしたそうで、おめでとうなどと皆からいわれ、彼も、まんざらでなく、その相手はそう、ちょうどあちらからやって来るご婦人ですと紹介する。
その女性は、公爵夫人と孫娘のリーザ。
驚きを隠せないゲルマンと、その熱い視線に、不安と困惑を感じるリーザであった。
彼らが去ったあと、トムスキーは、あの老公爵夫人も、若い頃は、美人で、パリでは社交界でモテモテだったと語りはじめる。
でも、彼女は、恋よりは賭け事に夢中で、ある晩、カードで大負けし一文無しに。
彼女に思いがあったある伯爵から、一夜を共にするなら、絶対に負けない3枚のカードの秘密を教えるといわれ、翌日、彼女は、大勝ちする。
その秘密を、彼女は夫と、ある美男子に教えたところ、ある晩、夢に幽霊が出てきて、カードの秘密を知ろうとする男から、きっと災いを受けるであろうと予言を受けた・・・と歌う。
みなは、ゲルマンにどうだ、チャンス到来だとぞと言ってからかう。
第2場 リーザの部屋
リーザが、友人のポリーナと二重唱。
そして、ポリーナは、リーザに親愛の情を示すロマンスをしっとりと歌うものの、そのムードがあまりに寂しすぎて、次はもっと元気な歌を、ということで家人も出てきて、踊りながらリズミカルな歌となる。
ひとりになったリーザは、婚約した日にもかかわらず、心晴れず、涙を流しつつ、美しいアリアを歌う。
心の中に、あの情熱的な青年の姿が残っているのだ。
そして、バルコニーの下に、そのゲルマンがあらわれ、ピストルを出して、自殺をほのめかして、情熱的に迫る。
そこに、伯爵夫人が物音がしたと、ドアを叩くが、リーザは取り繕い、彼女はゲルマンの熱意に負けて、愛していますと、ついに告白してしまう。
第2幕
第1場 ある高官の館
仮面舞踏会。
賑やかな夜会で、人々は、花火を見に外へ、そして、ゲルマンの友人たちは、あいつも、最近元気になったな、と噂する。
広場には、イェレスキー公とリーザふたり。
悲しそうな彼女に、「あなたを心から愛しています」と、素晴らしいアリアを歌う。
出てゆくふたりと入れ違いに、ゲルマンがリーザからの「大広間でお待ちください」との手紙を手にして入ってくる。
これで、3枚のカードの秘密がわかれば、彼女と逃避行だと興奮する。
そこへ、友人たちが戻ってきて、ゲルマンに「3枚のカード」とささやく。
幻覚と勘違いする困ったゲルマン。
ここで、劇中劇が行われ、その余興が終ると、リーザは、ゲルマンに、隠し戸の鍵と、自分の部屋に通じる伯爵夫人の寝室の鍵も合わせて渡し、今夜、いらしてくださいとささやく。
リーザとカードの秘密もともに手にできると、喜びまくるゲルマン。
第2場 伯爵夫人の寝室
ゲルマンが鍵を開けてやってくるが、そのとき、待女たちと伯爵夫人が戻ってくる。
彼は、すかさず、物陰にかくれる。
リーザも戻ってきて、部屋にはついてこないで、と小間使いを返す。
伯爵夫人は、昔の華やかな舞踏会を懐かしんで歌い、やがて床につく。
そこへ、ゲルマンがそっと近づき、3枚のカードの秘密を教えてくださいと迫るが、あまりのことに、驚いた夫人は声もでない。
急くゲルマンは、思わずピストルを出して脅迫するが、そのとき夫人は、恐怖のあまり、発作を起こし、息を引き取ってしまう・・・・。
物音に、リーザが現れ、私でなく、カードの秘密が目的だったのね、と叫んで泣き伏す。
第3幕
第1場 兵舎のなか、ゲルマンの寝室
リーザからの手紙。そこには、「きっと殺意はなかったものと、いまは思っています、今夜、もう一度、運河のところで会ってください」というものだった。
そこへ、不気味な合唱の歌声が幻覚のように聴こえる。
伯爵夫人の葬式の幻影を思い、恐怖にとらわれるなか、窓が開き、そこには、婦人の幽霊があらわれる。。。。
「あまえのところに来たのは、リーザを救うためだ、カードの秘密は・・・・、3・7・エース」と教えて消える。
ゲルマンは、狂喜して、その3つのカードを繰り返し言う。
第2場 運河
凍てつく夜、リーザが黒い服をまとい、愛する人への複雑な思いを「ああ、心配で疲れきってしまった」と、素晴らしいアリアを歌う。
そこへ、ゲルマンがあわられ、ふたりは熱く抱き合い、ふたりで逃げましょうと歌う。
あなたとならどこへでも、では、どこへと問うリーザに、「賭博場!」と狂ったように答えるゲルマン。
しっかりして、とうながすリーザに耳もかさないゲルマンは、婆さんから、カードの秘密を知ったのだ、「3・7・エース」と叫び、リーザを振り切って、狂ったように賭博場へと向かってしまう。
絶望のリーザは、運河に身を投げてしまう。
第3場 賭博場
ゲルマンの友人たちが、人々に交じり、酒を飲みながらカードに興じてるところへ、イェレスキー公がやってきて、恋に破れた男は、カードには強いのだと、婚約を解消したことを話す。
景気づけに、トムスキー伯が小唄を歌う。
そこに、当たりまくって、誰も相手をしなくなっているゲルマンがやってきて、「人生は賭け」と歌う。
では、わたしがお相手をしようと、イェレスキー公。
カードが配られ、皆はそれを取り囲み見守る。
「エース!」と叫ぶゲルマン。
「君のカードは、スペードの女王!」と言い返すイェレスキー公。
カードを見つめるゲルマンは、カードの中の、スペードの女王が、伯爵夫人の顔にかわり、にやりと笑うのを見て、驚愕する。
何が欲しい、俺の命か!
こう叫んだゲルマンは、短剣を取り出し、自らの胸を刺す。
瀕死のゲルマンは、イェレスキー公に許しを乞い、そして、リーザよ、本当に愛している、わたしの天使よ・・・と絶え絶えに言ってこと切れる。
人々は、彼を許したまえ、そしてその魂に安らぎを・・・・と静かに歌い幕となる。
(画像は、1970年のボリショイ・オペラの引っ越し公演のもの。ロジェストヴェンスキーに、このCDと同じくアトラントフのゲルマン)
幕
おそろしあ、げに、恐ろしき、ロシアの熱き血潮。
そして博徒と化した人間が、周りの人々を陥れ、そして自ら破滅するさま。
ロシア的なリアリズムが、ロシア的な自然~さっぱりとした気持ちのいい夏に恋が萌芽し、凍てつく冬に破綻する~との物語の符合でもって、見事に引き出される。
原作もさることながら、チャイコフスキーの劇的極まりない音楽の素晴らしさといったらありません。
抒情と激情の対比、現実離れした幻想と厳しい現実の対比。
主導動機でもって、繰り返される旋律は、いやでも舞台の緊張感を呼び起こす。
「Tri Karty」・・・・「3枚のカード」、この運命のような言葉、このオペラ中、いたるところで、キーワードのように歌われ、ささやかれる。
やたらと耳につきます。
このあたりのチャイコフスキーの音楽の作り方も素晴らしい。
この言葉にもてあそばれ、やがて命を献上するゲルマンでありました。
オネーギンとともに、このオペラをレパートリーとする小澤さん。
ボストン時代に、こうして素晴らしい録音と歌手でもってレコーディングが残されたのは、本当に幸いなことです。
明るめの色調のオーケストラは、機能的でありながら、切れ味も抜群。
イキイキとした息吹を吹き込む小澤さんの指揮は、音楽もメリハリが効いて、リズム感も抜群で、かつダイナミック。
そして、チャイコフスキーの抒情も巧みに引き出してます。
欲を言えば、スマートにすぎ、シンフォニックに過ぎる点か。
そして、どす黒いロシアの憂愁が抜け落ちた感あり。
そのあたりは、自分的には苦手なので、こうしてヨーロッパ的なロシアものを好むのですが、次は、ロストロポーヴィチやゲルギエフを聴いてみたいと思う。
映像では、ロジェストヴェンスキーの指揮によるパリ上演を見ましたが、演出が風変わり。
精神系の病院が舞台で、ゲルマンは完全に病める人でした。
それはある意味、ギャンブル=依存症という構図が言い得てるようで。
さて、歌手では、タチャーナも見事に歌うフレーニのリーザが最高です。
優しさと一途さを歌うことでは、ヴェルディやプッチーニの諸役を歌うフレーニに同じ。
人肌を感じる、その暖かい歌声に、冬の寒さもぬくもります。
対するアトラントフの劇的ぶりは、この演奏の中で、一番ねばっこい歌唱で、ひとり、おそロシアしていて際立ちます。
ホロフトフスキー、レイフェルクスといった豪華な顔ぶれも素晴らしいです。
それと味のある超ベテラン、フォレスターさん。
死に際の断末魔のだみ声や、幽霊声がちょっと怖い。
幕切れのセンチメンタルなシーンで流れる、前奏曲や、劇の随所にあらわれる愛の旋律は、泣けるほどにステキなのでありました。
おしまい。
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コメント
さっそくの記事、ありがとうございました。
スペードの女王は、NHKFMのオペラアワーを90分テープ二本にエアチェックしたのを長らく愛聴していましたが、CD時代になり、どこかに失われてしまいました。演奏は誰だったか覚えていませんが、マリーンスキー劇場の公演の録音だったと思います。
オペラは歌詞がわからなくても聴いていて場面が分かるような物が好きなのですが、そうなると後期ロマン派から近現代のものになります。スペードの女王は歌詞が分からなくても、場面の転換がわかりやすく、ドラマティック、メロディーの美しさもあって、聴いていて楽しいです。ラストシーンの盛り上がりは、オネーギンよりスペードの女王だと思います。
他のチャイコフスキーのオペラは聞いたことがありますか?
では、良いクリスマスを。イブくらいはお近くの教会に行かれますか?
投稿: udon | 2014年12月23日 (火) 21時14分
udonさん、こんにちは。
そして、クリスマス、おめでとうございます。
わたくしは、ぼっちの、中途半端な未洗礼オジサンなので、聖夜のミサに行けるような人間ではありません・・・。
心のなかは、そうなのですが。
わたくしの、「スペードの女王」との出会いは、画像では、記事にあります、ボリショイ劇場のもの、音源では、ホルスト・シュタインのジュネーヴでの上演ライブのNHK放送です。
もう、20年前でしょうか。
ご指摘のとおり、オネーギンよりも劇的で、忘我的なロマンティシズムがある、このオペラ。素晴らしい存在だと思います。
「マゼッパ」と「チャロデイカ」を、いま練習中です。
チャイコフスキーのオペラ、どれも個性的で、かつロシアムードがあふれていて、とても好きです。
投稿: yokochan | 2014年12月25日 (木) 01時05分