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2014年12月27日 (土)

ディーリアス 「高い丘の歌」 ロジェストヴェンスキー指揮

Ebisu_1

中目黒の青い洞窟。

このクリスマス、大変な話題になりました。

もともと、目黒川沿いの散策路のような道で、住宅やお店も密集、さらに車の往来も。

そんなところに、一挙に見物客が集まったものだから、大混雑。

週末や休日は、お休みとなる仕儀に。

Ebisu_5

平日でも、相当な混雑。
わたくしも、その混雑に寄与した一員ですが、運動のため、散歩もかねて、ここから目黒まで歩きましたよ。

それに、しても、クールなブルーは、川面にも映えて美しい。

Derius_song_of_the_high_hills

   ディーリアス  「高い丘の歌」

    ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮 BBC交響楽団

                    (1980.12.10@RAH ロンドン)


気がつけば、あと数日で12月も、2014年もおしまい。

さぁ、大好きな曲たちで締めましょう。

まず、ディーリアス。

もう、3度目の記事となります「高い丘の歌」。

過去記事コピペします。

>「高い丘の歌」は、1911~12年にグレで書かれた30分あまりの音詩。
ライプチヒでグリーグに知り合い、大いに感化されたディーリアスは、ノルウェーの自然や風物を愛し、その海や厳しい大自然を思わせる音楽をいくつも書いたが、この曲もその一環。
大オーケストラと無歌詞による合唱による。

「わたしは高い丘陵地帯にいるときの喜びと陶酔感を現そうとし、高地と広漠たる空間を前にしたときの孤独感とメランコリーを描こうとしたのだ。ヴォーカルパートは自然における人間を象徴したのである」(ディーリアス:三浦敦史先生訳)

この作者の言葉がこの曲の魅力を一番物語っている。<

三浦先生の名で訳でもって、これ以上の解説はわれながら、ないと思います。

この神秘的かつ、自然美にあふれ、世紀末的な甘味な瞬間も。
峻厳な場面もあり、そして、聴きながら誘われる、ノスタルジーの世界へと。

25~7分の切れ目なく続く、たゆたうような時間のなかに、わたくしは、海や山、そして夕暮れの光景へと思いを馳せめぐらし、郷里のことも思いつつ、安らぎを覚えるのです。

歌詞のない、アカペラによる合唱とテノールソロも、とても夢幻的であり、儚く、哀しくさえなってしまいます。

何度聴いても、いつ聴いても、わたくしには、一番好きなディーリアスの作品に思います。

おそらく、この曲の音源は4種。
新しい、サー・アンドリューのものは、まだ未聴ですが、レコードで聴きなじんできたグローヴス盤が一番好き。
そして、作者自伝のフェンビーと、今宵のロジェストヴェンスキー盤。

BBC時代のロジェストヴェンスキーは、英国音楽を相当演奏してまして、そんななかのひとつが、こちらのライブ。
録音のせいもあり、強音がキツく感じるところもありますが、とても丁寧に、いつくしむように演奏しております。
でも、グローヴスに比べると、音の輪郭がはっきりしすぎで、もう少し、もやっと、曖昧なところがあった方がいい。
それと、演奏後の拍手はカットして欲しかった。

しかし、ほんとうに、素敵な音楽です。
そして、静かに、そっとしておいて欲しい音楽のたぐいです。

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コメント

さすが、クラヲタ様の選曲は間違いないですね。唯一保有していたA・デイヴィス/BBC響で聴き直しました。仰るように「神秘的かつ、自然美にあふれ、世紀末的な甘味な」音楽で、改めて素晴らしいと感じました。

投稿: faurebrahms | 2014年12月28日 (日) 06時25分

faurebrahmsさん、こんにちは。
この曲を聴いて34年。
ずっとずっと好きな音楽です。
ディーリアスの小品も魅力的ですが、こうした、まるで容をもたない、感覚的な音楽の方にこそ、彼の神髄があるのではと思ってます。

投稿: yokochan | 2014年12月29日 (月) 12時54分


yokochan様、こちらのサイトではお久しぶりでございます。今回自分のFBにこの曲について一言書きました。投稿に当たり改めてネットを事前に色々調べてみたのですが、この日本では、やはりyokochan様程の深い洞察と愛情を持ってこの曲を理解し愛している方はいないと感じました。同曲をそっとしておきたいというお気持ちも非常によく分かりますが、私自身、もっと広く知られ聴かれてもいいんじゃないかという強い思いがあります。何せ日本においては、残念ながらおそらく一度も実演されたことが無い曲ですし。
「高い丘の歌」応援団長のyokochan様のこのブログが、この曲を真に愛する者たちの唯一の社交場になればいいですね! そして輪が広がり、いつの日か生の演奏を聴くことができるようになれば素晴らしいことだと思います。

誠に勝手ですが、yokochan様に最大の敬意を表し、今回書いた自分のFB記事を転載させていただく事をお許し下さい。以下がその内容です。

  ディーリアスの隠れた名曲「高い丘の歌」について

僕のウォールでは、今まで何度かYouTube音源を取り上げていた「フレデリック・ディーリアス」の合唱つき管弦楽曲「高い丘の歌」について、今回少しばかり書いてみます。
ディーリアスの曲の中では殆ど注目されないにも関わらず、僕の感性にとってはあまりにも魅力的な秘曲と呼べる曲。この前も一番iPodの再生回数が多いと書きました。そうなんです。繰り返す日々の暮らしの中で、気づくとこの曲をチョイスし何度も聴いてしまうのです。全くもって不可思議な作品だと思います。今回のご紹介で、皆さんに少しでも関心を持っていただければ幸いです。

この曲と出会ってから早27年にもなりますが、最初に聴いたのはフェンビー指揮ロイヤルフィルのもの。スコアの全曲演奏時間の指定が約26分とあり、演奏時間に29分43秒かかるフェンビーの演奏は、とても深くじっくりと聴かせる演奏ではないかと思います。
譜面最後の部分では、「becoming slower and slower」「dying away to the end」とあり、ゆっくり静かに、特に弦楽パートは「pppp」(ピア二ッシッシッシモ)と消え入るように終わります。フェンビーはこのラストがとても感動的です。僕にとっては運命的な出会いでした。
FB友で、クラシック音楽批評の世界ではアマのレベルを大きく突き抜けていらっしゃる横山順一氏や、個性的な音楽ジャーナリスト林田直樹氏も、ディーリアスの曲の中ではこの曲を一番に推されており、共感を覚えるとともに、自分の感性も大きくは狂っていなかったと妙に安心したりしています。

ドイツ人で後に英国に帰化した両親を持つ英国国籍のディーリアスは、1862年生まれ。1934年に72年間の生涯を終えました。唯我独尊で極めて感覚的な作曲家であったディーリアス個人については、ウィキペディアにてかなり詳細に紹介されていますので、是非そちらをご覧になってみて下さい。

さてこの「高い丘の歌」は、1911年、ディーリアス49歳の円熟期の作品。指定では、弦楽器66名を含む総勢102名からなるオーケストラと、ソプラノ・テノールソロを含む混声四部合唱によるかなり大規模な作品です。
クラシック音楽と言うと、どうしてもソナタ形式であったりしてクラシックの決まり事に則った作品を想像してしまいますが、この曲はそういった類の音楽とは全く異質の作品です。流れるような自然描写と流れるような心象風景からなる極めて感覚的な作品で、まるで詩的なイメージビデオを観ている感じです。そうかと言ってただ感覚的に作られている訳ではなく、整然と音符が記されたスコアを見てつくづく感動しましたが、しっかりした音楽的技量に基づく高度な芸術作品なのです。作曲家って本当にマジシャンみたいですね。
しかし、最大の注視すべき特徴は、後半部からオーケストラと絡み合う合唱・ソロの歌唱法が、母音だけで歌う「ヴォーカリーズ」であることではないでしょうか?
先日取り寄せたスコアの但し書にも「The Chorus must sing on vowel (母音)which will produce the richest tone possible.」と書かれておりました。
大きく雄大にうねるように流れていく管弦楽と、現存する合唱曲の中では最難曲の一つと言われている豊かで緊張感のあるヴォーカリーズとの奇跡的な共調、一体感は、素晴らしいとしか言いようがありません。この曲を聴いているとイメージとして、人の声が奏でる母音の音が素粒子単位まで分解され純化し、自然の素粒子と混ざり合い、見事に調和しているかのようです。

ディーリアス自身がこう語っています。「私は高い山々にいる時に感じる歓喜と恍惚を表現し、そして頂上からの広大な視野の広がりの中にいる時の孤独感やメランコリーの描写を試みた。声楽パートは、大自然の中にいる人間を象徴している」と。
確かに、高い丘=山の頂上からの眺めは、ディーリアスの言う通り、圧倒的な感動と寂寞感、メランコリックな感情が交錯するものだと思います。
そしてこの音楽は、巨大で遠大、永遠不変と思しき「自然」に、ちっぽけな一人の「人間」が対峙した時の心象を、この上なく見事に表現しているのです。

そう言えば、まだ言葉を知らないが故に、ある意味では「人間」には成り得ていない幸せな赤ちゃんが、最初に発する原初のコトバは「アー」という母音ですね。そして段々言葉を覚え「人間」となる…。 言葉を持ってしまった人類の、逃れることの出来ない「原罪」(宗教的な意味ではありません)と「悲劇」は皆さんご存知の通りです。「人間」と「自然」との相克は理論上不可避なものとなっています。
そのような「人間」の根源的な「自然」からの疎外感、寂寞感、不安感は、「自然」に純化されたヴォーカリーズの母音の調べが大「自然」の調べと同調するおかげで、癒され、慰められるわけです。

自分は極めて感覚的な人間なので、何故この曲を何度も何度もまるで操られるかのように聴いてしまうかの理由はこの辺にあるのではと、解釈しています。きっと、自分にとってこの作品は、継続的に服用している精神の常備薬の一つなんでしょうね。
.......以上が投稿記事です。ありがとうございました。

(ところで、このロジェストヴェンスキーのアルバムって、既に廃盤になっている様です。手に入れる方法ってあるのでしょうか? やはり中古盤を探すしか無いんでしょうか!?)

投稿: HIKARUおじさん | 2015年9月 6日 (日) 12時52分

HIKARUおじさん(さん)こんにちは。
~さかなクンに、「さん」をつけるような感じですな(笑)
コメント忘却してしまいました、すいません。
FBの方で拝読していましたもので。

さて、この曲、夏の終わりの寂しさや、晩秋の静寂、真冬のクールな空気、いずれの季節も聴くに相応しいものがありますね。
わたくしも、心の底から愛してやまない曲であり、ディーリアスのなかでも最愛の作品です。
 きっと、みなさん、一度ではとっつきが悪すぎて、ピンとこないでしょうけど、何度も何度も、BGMなどでも聴き続ければ、気がつけば、静かに心の中で鳴っている音楽になるんだろうと思います。
 ライブでは、件のロジェストヴェンスキーの演奏が、NHKFMで放送されたのが、きっと唯一だと思います。
グローヴズのレコード以外に聴いた演奏が、そのエアチェックカセットのものでした。
BBCの音盤は、中古以外では手に入らないでしょうね。
わたしの次の課題は、細心のアンドリューのものです。

いつかまた、そちらを聴いて、ここに取り上げたいと思いますので、また「高い丘の歌」の会で交流いたしましょう。

投稿: yokochan | 2015年9月15日 (火) 21時28分

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