ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ヤノフスキ指揮
六本木ヒルズ空中庭園より。
事務所から歩いて25分ぐらい。
いまは、冬のイルミネーション撮影ぐらいにしか来なくなりましたが、必ず、この場所で1枚。
背の高い赤いバラのモニュメントに、あずまや越しの東京タワー、そして、おぼろな月。
冬の澄んだ空ですが、カメラの精度上、こんな感じです。
庭園にある、このような、あずまやは、ヨーロッパのよき時代の、逢瀬・密会の場所みたいな感じに思えます。
目立ちすぎで、まるわかりなんですが、よく映画や演劇では登場しますな。
上階から下へ降りると、毛利庭園があります。
いまから360年ほど遡った徳川将軍3~4代ぐらいの時代に、この地に屋敷を構えたのが、毛利家。
元禄期には、赤穂浪士が本懐を遂げたあと、分割されて切腹までの期間、お預けになった場所です。
いまは、テレビ朝日の所有する敷地となっております・・・・・。
この庭園のイルミネーションも、毎年、いろんなオマージュが飾られ、趣向がこらされてますが、この冬は、ハートです。
けやき坂のイルミにも、赤い隠れハートがありました。
「幻想」と「愛」。
そんなテーマの音楽といえば、たくさんありますが、無理やりこじつけて、「トリスタン」。
もう何度聴いてきたことでしょう。
でも全曲聴くのは10カ月ぶりです。
そして、この楽劇の成り立ちや、内容、自分との出会い、思いなど、もうさんざんっぱら書いてきましたので、もう書くことありません。
「トリスタン」の記事だけで、これまで22本。
それ以外にも、管弦楽曲としても、いくつか扱っているはず。
ワーグナー記事にすると、数えてないけど、きっと300本は書いてると思います。
ばかですよね。
「トリスタン」の舞台体験は、9回。
残りの人生、あと、何回、舞台を見る事ができるでしょうか。
ワーグナーの後期作品は、とりわけ、そんな焦燥を思うようになる年代ともなりましたね。
若いころには、思いもしなかったことです。。
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」
トリスタン:ステファン・グールド イゾルデ:ニナ・シュテンメ
マルケ王:クワンチュル・ユン ブランゲーネ:ミシェル・ブリート
クルヴェナール:ヨハン・ロイター メロート:サイモン・パウリー
牧童:クレメンス・ビーバー 舵取り:アルトゥ・カタヤ
若い水夫:ティモシー・ファロン
マレク・ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団
ベルリン放送合唱団
合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ
(2012.3.27@ベルリン・フィルハーモニー)
今回の「トリスタン」は、目下のところの最新音源であります、ヤノフスキのベルリンライブで。
2013年のワーグナー・イヤーを目指して、オランダ人以降の主要作品すべてを、ベルリンでコンサート形式で演奏し、ライブ録音を遂げたヤノフスキと手兵のベルリン放送響ですが、全10作〈リング1なら7)すべての精度が均一に高くて、なによりも、録音が素晴らしくよくて、解像度抜群。
ワーグナー作品の場合、ことに後期のものほど、録音がよろしくないといけませんが、このシリーズにおいては、オーケストラの細部にわたるまで、すべての音が実によく聴こえ、よくブレンドし、微細な部分も、まるで、虫めがねで音のひとつひとつを眺めることができるような気がします。
もちろん、古い歴史的な録音や、これまで、ずっと聴いているステレオ録音も含む音盤たちも、わたくしには大切なものばかりですが、このヤノフスキのシリーズは、一皮むけてしまったかのような、ワーグナーの音楽の「輝き」を感じるのです。
賛否はともあれ、ワーグナー演奏という歴史のなかで、いまわれわれがたどり着いた、再現という意味での、ひとつの到達点ではないかと思われます。
まだこのシリーズは半分しか聴いてはおりませんが、そんな印象を聴き進むにしたがって持ってまいりました。
それは、一部、録音のすごさも手伝ってのことではありますし、最良のものは、舞台での経験であることはいうまでもありませんが、こちらの意にそぐわない演出を見せられるよりは、音だけでワーグナーのすごさを楽しむ方がいい場合がありますしね。
すべて賛辞で言葉を尽くすわけにもいけませんが、この「ヤノフスキのトリスタン」についての印象を。
・緻密な瑕疵のない完璧なオーケストラ演奏。
・旧東ドイツの克明だが地味なオケだった、旧ベルリン放送管をさらに磨きあげて、機能性も高め、新しいドイツ的なオーケストラに育てあげたが、まさに、その実力が隅々までわかる。
・ワーグナー演奏のツボをすべてわきまえたヤノフスキの指揮に、可不足はなく、決めて欲しいところは、すべてそうなるし、全体の流れと、個々の場面の展開に祖語がなく、緊張感を保ちつつ、集中力の高い演奏を聴かせる。
・ただ、ときに、感興に乗り過ぎて、たたみかける場面もあり、ライブ感もあって、それは実に効果的だけれど、少しいきすぎかも。
インテンポにすぎる場合もちょっとあり、「トリスタン」の場合には、もう少しのしなやかさと、歌が欲しいかもしれない。
そう、アバドが聴かせてくれたようなクリスタルな精緻さとともに。
・シュティンメのイゾルデは、トリスタン役が?だったパッパーノ盤に続いて2つめ。
バイロイトの放送でも、何度か聴いてる。
全部聴いてるけど、今回が一番。
北欧系のドラマティックソプラノの先達は、錚々たる顔ぶれがいるけど、共通のクリアボイスであるところは、同じくして、高音・強音での絶叫感はなく、暖かみのある声はとても魅力的であります。
いま、最高の、イゾルデだと思います。そして、マルシャリンも素敵に歌える彼女です。
・新国の舞台でも接することができたグールドもいい。
大男だけど、その歌い声は、硬軟巧みな柔軟なヘルデン。
一本調子が多い、昨今のトリスタンに、ユニークな解釈が、今後生まれるかもしれない。
最近の成功作の、ディーン・スミスに次ぐ正解。
・ブリートのブランゲーネと、ロイターのクルヴェナール。
ふたりとも、いま、バイロイトをはじめ、各劇場で出演頻度の高い歌手たちで、その歌唱は新鮮で、初々しさとともに、極度な役柄へののめり込みのない、清潔な歌唱は、今風だと思いました。
・クワンチュル・ユンのマルケは、美声でかつ、その滑らかな歌い口は、耳に心地よく、歌を聴くという行為での、最高の快感を呼び覚まします。
でも、それ以上でなく、マルケの単純だけど、複雑さや、許しと嫉妬の二重性が、まったく感じられない。
でも、歌の精度、音としてのありかたは、よいのでしょう。
・歌を楽器のように捉えてしまう機能的な歌手が多くなってきたと思う。
この音盤のなかにも、何人かいると聴きました。
・カラヤンは、自身の嗜好にあう歌手たちを集めて、オーケストラともども、歌手たちをも同じ一列で扱い、指揮者の強烈な個性のもとに、オペラを作成した。
「カラヤンのトリスタン」であり、歌手名が先行する「トリスタン」や、ほかの諸オペラではなかった。
ヤノフスキのトリスタンは、「ワーグナー・チクルスを全部やったヤノフスキのトリスタンで、かつ、シュティンメとグールドのトリスタン」と呼ぶことができるかもしれません。
いろいろ思うこともあり、勝手なこと言ったけれど、やはり、「トリスタンとイゾルデ」は、ワーグナーの偉大な作品であり、あとにも、さきにも、こんなに個性的な音楽劇はないと、毎度ながら、確信する次第です。
なんだか、とりとめのない記事となりましたが、「ヤノフスキのワーグナー」、録音とともに、絶対的とは呼べませんが、現在のスタンダードといえるかもしれません。
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