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2014年12月31日 (水)

R・シュトラウス 4つの最後の歌 アバド指揮

 

Tokyo_st_4

東京駅開業100年を記念した丸の内駅舎のライトアップイルミネーション。

100年というと、ちょっと以外な感じです。

何故って、わたしのいま住む千葉市のお隣の駅は、今年120周年でした。
ここは、いまは自衛隊の、かつてのむかしは、陸軍の駐屯地があったからかもしれません。

そして、一番の古参は。
そう、「機笛一声、新橋を~♪」ということで、新橋駅と、そこをつないだ横浜の桜木町なんですね。
142年前です。

Tokyo_st_2

皇居に近いとはいえ、昔は原野だったという丸の内側。

どんどん進化を遂げる東京駅は、人の多く集まる観光スポットにもなりました。

そして、美しい。

Tokyo_st_1

 今年も、最後は、この曲で。

そして、この人との別れが来ようとは思いもしなかった、まさに青天の霹靂の報であった、その死。

最愛の指揮者「クラウディオ・アバド」とのお別れは、ほんとうにつらいものでした。

ニュースを見ても、ネットを見ても、ウソであって欲しいと、そればかり。

 ですから、シュトラウス・イヤーをそっと締めくくるのに、アバドの演奏は欠かせません。

アバドの「4つの最後の歌」の正規録音はひとつだけ。

その他、ルツェルン音楽祭でのライブ映像(NHK放送)と、シカゴでのFMライブ自家製CDRを聴くことできます。

Mattila_abbado

   R・シュトラウス 「4つの最後の歌」

        S:カリタ・マッティラ

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                        (1998.12 @ベルリン)

        S:ルネ・フレミング

    クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                        (2004.8.13@ルツェルン)

        S:マーガレット・プライス

    クラウディオ・アバド指揮  シカゴ交響楽団

                        (1981.10.1@シカゴ)


シカゴ響主席客演時代の若き日のアバド。
ベルリン時代、病に倒れる前の正規録音。
そして、アバドがおおいなる高みに達したルツェルン時代。

3人の歌手たちに、わたくしの好みの評点をつけることは、割と簡単です。
クリアな美声のマッティラが一番好きで、クセの少ない、静かな佇まいのM・プライスも清潔で好き。
フレミングは、うまいっていえば上手いし、シュトラウス向きのゴージャス声ではありますが、わたくしには味わいが濃すぎ。

3人の個性溢れる歌手に、アバドは、いずれも、精緻で透明感あふれるオーケストラの響きでもって応えております。

シカゴのオケとの相性のよさには定評がありましたが、ここに聴く響きは、本拠地オーケストラ・ホールだけあって、一連のマーラーのCDに近い感じがします。
しなやかで強靭な指揮者とオケです。そして、よく歌う。
このコンビ、もっと聴きたかった。

そして、そのあとに聴くとベルリン・フィルは、明るく、輝かしく、そしてヨーロピアンな響き。
各所で活躍する、木管やホルンの鮮やかな美音は、そのままベルリンフィルという希有な集団の音色が集約されているかのよう。
 カラヤンとヤノヴィッツの、ときに人工的な美感を感じさせるシュトラウスも、世紀末的な美しさを誇ったものですが、アバドの指揮するベルリン・フィルは、もっとピュアで、厚みは薄れたものの、音の透明感においてははるかに素晴らしく、歌謡性も高い。

さらに、アバドのもとに集まった名手たちの集団、ルツェルンでは、無垢なまでの音楽表現行為は、楽譜そのもの、シュトラウスが書いた音符そのものたちが、自然に語るに任せたような感じです。
フレミングの濃厚な歌唱とは、どうみても合わないのですが、作為の一切感じさせないオーケストラは、ほんとに素晴らしくて、こちらは映像付きなものですから、アバドを信じて夢中で演奏する奏者たちと、静かなアバドの指揮ぶりに、感動は増すばかりなのです。

 文字通り、シュトラウス最後の完成作品となった「4つの最後の歌」。
もともと、名前を命名したのも、そして曲の配列を考えたのも、シュトラウスではなく、友人で出版会社を営むロートという人物だった。
もう1曲加えて、5曲になるはずのものが、シュトラウスの死によって4曲の歌曲集となりました。
 初演は、シュトラウスの死後1年を経て、フラグスタートとフルトヴェングラーによって行われました。

   1.「春」(ヘッセ)

   2.「9月」(ヘッセ)

   3.「眠りにつくとき」(ヘッセ)

   4.「夕映えに」(アイヒェンドルフ)




 「休息にあこがれる

   そして、おもむろに つかれた目を閉じる」  

                     (9月)


 「はるかな、静かな、平安よ

    かくも深く夕映えのなかに

    私たちはなんとさすらいに疲れたことだろう

  これがあるいは死なのだろうか」

               (夕映えに)


アバド追悼の、今年の特集でも、ルツェルンの演奏は取り上げ、そして、この詩を載せました。

この曲集のエッセンスのような部分です。

85歳のシュトラウスが、その死を予見しつつ、これらの詩に音楽をつけたわけです。

ですが、シュトラウスは、老いても、その死生観を描いた音楽は、明朗かつ清朗。
甘味さもたたえた、伸びやかな音楽は、死を肯定的に迎え入れんとする気分を感じます。

わたくしの、旅立ちのときも、この曲をアバドの演奏で流して欲しい。

そんな風に思ってる曲が、それこそたくさんあるもんで、三日三晩かかってしまうかもしれません。

 それでは、2014年のブログ記事は、ここまで。

みなさま、お世話になりました。

あと数時間で、また違う挨拶をさせていただきますが、節目とはいえ、日本中がなんか、まとめと総括、そして来る年には云々となっていて、毎年、どうにも、わたくしにはなじめないことにございます。

わたくは、もっと長くクリスマスを祝いたい気分です。
まだ一週間もたってないのに、影もかたちもない、クリスマスなのですから・・・・

ではでは。

Uchibori

皇居へ向かう、外堀。

休日で、ビルの明かりも少なめです。

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