神奈川フィルハーモニー第305回定期演奏会 サッシャ・ゲッツェル指揮
曇天のみなとみらい。
久しぶりのみなとみらいホールに帰ってきた神奈川フィルの定期なのに、ちょっと残念な曇り空。
でも、そんなの関係ないくらいに、熱く、かつ、スマートで、超シビレる最高のコンサートでした。
コルンゴルト 組曲「シュトラウシーナ」
R・シュトラウス 4つの最後の歌
ソプラノ:チーデム・ソヤルスラン
ブルックナー 交響曲第9番 二短調 (ノヴァーク版)
サッシャ・ゲッツェル指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(2015.1.24 @みなとみらいホール)
主席客演指揮者ゲッツェルさんの今回の3つのプログラムの最後。
出身地ウィーンの音楽であり、かつ、3人の作曲家のほぼ最後の作品を集めた魅惑のプログラムです。
可愛くて、ステキなきらめきの音楽、コルンゴルトの「シュトラウシーナ」。
曲の概要は、こちら→FB記事で。
「ポルカ」「マズルカ」「ワルツ」の3部の鮮やかな対比は、原曲のJ・シュトラウスの曲の良さを、さらにゴージャスにグレートアップしたコルンゴルトの巧みな手腕を感じます。
ビジュアルで見ると、ハープにピアノに打楽器が加わるきらきらサウンドの仕組みが、よくわかります。
華やかなワルツには、ウィーンへのオマージュと、どこか後ろ髪惹かれる寂しさも感じる曲ですが、ゲッツェルさんに導かれた神奈川フィルから、爛熟のウィーンの響きを聴き取ることもでき、冒頭から陶酔してしまいましたよ。
あらためて、コルンゴルトと神奈川フィルとの音色の相性の良さを確認しました。
それは、次のもうひとりのシュトラウスの響きでも同じく感じたところ。
「4つの最後の歌」は、2007年に、シュナイトさんの指揮で聴きましたが、それはもう絶品とも呼べる美的かつ、ドイツの深い森から響いてくるような深い音楽でした。
かつてのシュナイト時代の響きが戻ってきたかの思いのある、今回のゲッツェル・シリーズ。
深さはないけれど、音の美しさと、それを選び取るセンス溢れる美感。
同じ独墺系でも、世代の違いで、スマートさがそこに加わった。
いくぶんのサラサラ感が、次のブルックナーにも感じられるところが今風か。
透明感と少しのあっさり感は、音楽が濃厚になりすぎずに、かえって気持ちがよく、まして、土曜の午後にはぴったりのシュトラウスでした。
ホルンソロも、石田コンマスの華奢だけど、滴るような美音のソロも、素晴らしいものですが、シュナイトの時には、濃密に感じたその音色も、ここでは、すっきりとした透明感のみが支配する感じでした。
そして、ソプラノ・ソロは、トルコ出身のソヤルスランさん。
リリック系で、スーブレット系の役柄、例えば、フィガロや後宮、ミミやジルダなどを持ち役にする逸材のようです。
ボーイッシュなヘアだけど、とても女性的な身のこなしでもって、最初の登場からして、その麗しい歌声を予見させました。
彼女にとっての外国語であると思われるドイツ語。
その言葉を、極めて丁寧に、一語一語に想いをこめて歌う姿は、真摯で、ホールの上の方を見つ目ながらの眼差しもエキゾティックで、われわれ日本人には親しみもあり、とても印象的なのでした。
そのお声は、確かにモーツァルトを歌うに相応しい軽さもを認めましたが、一方で、わたくしには、少し太く、彩りもちょっと濃く感じる歌声に感じました。
語尾を少し巻いて、蠱惑感を醸し出すあたりは、どうなのかなとも思いましたし、 この曲のもつ「最後の歌」という、透徹な澄みきった心情という側面からすると、ちょっと違うかなと。
でも、こんな声での「4つの最後の歌」は、妙に新鮮で、どこか、別次元から聴こえてくるような、そんな歌でした。
ある意味、まさに、新しいアジア感覚といいますか、どこにも属さない歌の世界を感じました。
ドイツを中心に活躍する彼女ですが、できれば、その独自性をもってユニークな歌唱を築き上げて欲しいものです。
休憩後は、ブルックナー。
神奈川フィルのブル9は、やはり、シュナイトさんが、かつて取り上げておりますが、それは聴くことができませんでした。
そして、ブルックナーの後期の交響曲の凄演といえば、ギュンター・ヴァントが到達した孤高の世界が、ある一定の模範として、わたくしのなかにはあるのです。
8番しか実演では聴けませんでしたが、CDでの数種ある第9は、もう、それを聴いたら緊張のあまり、なにもすることができない、究極の演奏すぎるところが、ある意味難点で、おいそれと聴くことができません。
きっと、いまなら、ティーレマンあたりが、そこに重厚などっしり感もまじえて、緊迫のブル9を演奏するのだろうと思います。
ティーレマンというより、スマートなウェルザー・メストみたいな感じ。
若いころの、ちょっと熱いスウィトナーみたいな感じ。
やはり、オーストリアは、イタリアに近い。
この日のゲッツェルさんのブルックナー。
この曲が、最後の作品であることや、未完の、そして彼岸の音楽であること、それらを、まったく意識させることのない、一気通観の、流れのいい演奏でした。
随所に、立ち止まって、ブルックナーの音楽にある、自然の息吹や森のひとこま、鳥のさえずりといったような瞬きは、あんまり感じさせてはくれなかった。
ましてや、オルガン的な重層的な分厚い響きとも遠かった。
ゲッツェルさんは、流動感と、立ち止まることのない、音楽の勢いを大切にして、オーケストラも聴き手も、引きつけながら、最後の静寂の終結に向かって一気に突き進んでいった感じ。
時計を見たら、ほぼ60分。
もっと短く実感した。
そこここに、キズはありました。
でも、そんなの全然関係ない。
オーケストラをよく響かせ、鳴りもよく、整然としながら、がんがん煽る。
神奈フィルは、目いっぱい、その指揮に応えて、必死になって演奏してる。
いつもお馴染みのみなさんが、音楽に打ち込み、夢中になって弾いている姿は、それだけでも、自分には感動的でしたが、そこから出てる音楽が、先のとおり、理路整然として、耳に届いてくるところが、ゲッツェル・マジックとも呼ぶべきでしょうか。
2楽章の爆発力と、自在さ、それはもう、この指揮者のもっとも雄弁さが発揮された場面です。
1楽章と3楽章にあるカタストロフ。
その破滅感と、そこからの立ち直りが、この曲の、ある意味かっこいい魅力なのですが、そのあたりの風情は、実は少しあっさり気味。
3楽章では、それを繰り返して、終末観あふれるエンディングを迎えるのですが、そこでも、同じようなイメージ。
ゲッツェルさんが、今後、きっと突き詰めてゆく、これからの世界なのでしょうか。
でも、それは、そうあらなくてはならないという、ブルックナーに込めた自分のイメージに過ぎないのでしょうか。
いろいろ思いつつ、でも、いまここで鳴っているブルックナーの音楽が、響きの豊かな、みなとみらいホールの天井から、まるで教会からのように降り注いでくる思い。
それは、まさにライブではないと、味わえないもの。
それが、美音のブルックナーだったこと。
リズム豊かで、歌にも配慮したゲッツェルさんの指揮だったこと。
そして、なにより、かつての音色に近づいた神奈川フィルの音色だったこと。
それらが、ほんとうに、すばらしくて、このコンビを讃えて、思いきり手が痛くなるほどに、拍手をいたしました。
11月には、ブラームスとコルンゴルトで、また帰ってきてくれるゲッツェルさん。
トルコ、日本、北欧、ウィーン、ドイツを股にかけて活躍中。
彼が、これからどうなって行くか、もちろん、日本では、神奈川フィルオンリーで、絶対注目の指揮者です!
この日も飲みましたねぇ~
出来立ての横浜地ビールを次から次に、美味しい神奈川産のお料理で。
毎度、お疲れのところ、楽員さんや、楽団の方にもご参加いただき、We Love 神奈川フィルは、また、新しい仲間も増えて、楽しい会合を過ごすことができました。
お隣にも、ほかにも楽団員さんが、偶然、お見えになり、神奈フィル大会になってしまったお店なのでした。
楽しくて、はしゃぎすぎちゃいました、お騒がせしまして、すんません~
思えば、今回のメインプロは、英雄とブル9。
亡きクラウディオ・アバドの、最後のルツェルンでの二つのコンサートがその2曲。
そして、それを引き下げて、昨年秋に来日予定でした。
そんなことも、心にありながら、聴いたこのシリーズ。
忘れ難い演奏会の数々となりました。
さらに、次のお店で、軽く一杯やって、終電、湾岸列車に飛び乗りました。
ゲッツェル号は、いまごろ、欧州へ。
また帰ってきてね!
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コメント
お早うございます。この公演で神奈川フィルを初体験いたしました。噂は聴いていましたが、素晴らしいオケですね!海外の一流楽団にもひけを取らないのではないかと思いました。最後の4つの歌では、もう1曲目の冒頭から意思とは全く無関係に涙が出ました。ブルックナーは確かにメスト的なカッコ良さがありましたね。私もタイムを計っていたのですが、60分ほどだったと記憶しています。でももっと曲の美しさと楽しさに浸っていたかったです。ゲッツェル氏の棒の魔術のなせるわざでしょうか。次はモーツァルト39番とブルックナー4番、シベリウスのコンチェルトとニールセンの不滅の公演に友人と来たいと思っております。とにかく楽しかったです!
投稿: 越後のオックス | 2015年1月26日 (月) 08時01分
越後のオックスさん、こんにちは。
遠征お疲れさまでした。
終演後、事務局の方から、わたくしをお探しだった旨、お聞きしました。
たいへんに失礼しました。
メール等で、事前にやりとりしておけばよかったですね。
ともあれ、神奈川フィルの魅力をご堪能いただけましたようで、なにりりでありますとともに、お誉めいただき、わがことのようにうれしいです。
お互いに、きっと、思い入れのある曲たちですから、ずっと終わらないで欲しいという瞬間ばかりでしたね。
日本を離れたゲッツェルさん、このオケとずっと関係を保って欲しいものです。
次回の来浜では、お会いしましょう。
投稿: yokochan | 2015年1月27日 (火) 09時15分