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2015年1月

2015年1月30日 (金)

シューベルト 交響曲第8番「未完成」 アバド指揮

Hibiki

和と洋。

暖色系の明かりのなかに、すてきな仲間たちと過ごしました。

アバド・ファンの皆さまたちと。

暦の上では、もう1年。

中学生のときから43年間、ずっと追いかけてきた、わたくしにとっての兄貴的な存在だった、クラウディオ・アバドが、ちょっとそこまで、旅に出てから、ほぼ1年。

アバドの応援にかけては、日本一。
もしかしたら世界一かもしれないお方に知りあってから、わたくしの、アバド好きも、さらなる幅が広がり、多方面での仲間が増えました。

ありがとう、感謝をこめて、「コングラ」さま

Hibiki2

会場は、サントリーホールの近く。

これまで、マエストロ・アバドは、ウィーン、ベルリン、ヨーロッパ室内管、ルツェルンと、オーケストラをさまざまに変えて、この先にある、サントリー・ホールにやってきてくれました。

そこで飲み語る、このひとときは、集まったメンバー、それぞれの思いでとともに、感慨深いものがございました。

いつまでも、ずっと、ずっと、アバドのことだけを話していたかった、そんなメンバーだし、アバドを愛することにかけては、みんなが、それぞれに世界一のみんなでした。

 今宵は、放送音源から、「未完成」を。

    シューベルト  交響曲第8番 「未完成」

       クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                         (2013.8.23 @ルツェルン)


この音源は、BBCが、逝去の報を受けて放送したものを、録音したもので、あくまで個人のみで楽しんでいるものです。

2013年の最後のルツェルンのプログラムはふたつ。

 ①ブラームス       「悲劇的」序曲

   シェーンベルク   「グレの歌」から

   ベートーヴェン   交響曲第3番「英雄」

  ②シューベルト    交響曲第8番「未完成」

  ブルックナー     交響曲第9番


これらの演奏演目を携えて、その秋に日本訪問予定だった、アバド&ルツェルン。

その半年も経ないうちに、旅だってしまいました。

②のプロは、ヴァントが晩年に、何度もチャレンジした、それぞれの作曲家のラストを飾った未完演目でして、アバドが、こうして取り上げたことに、いろんな意味での符合と、宿命を感じます。

そして、いまは、一方で、わたくしが、心から愛するオーケストラ、神奈川フィルの首席客演指揮者で、親子でウィーンフィルのヴァイオリン奏者だったゲッツェルが、先ごろ、横浜・川崎・相模原で繰り広げた、最高の演奏の、その演目が、「英雄」と「ブル9」。
 第1ヴァイオリン奏者として、アバドやクライバーのもとで、演奏していたゲッツェル氏のお姿は、当時の映像を見ると、いくつか確認できます。
 そんな彼と、フレンドリーに、肩を抱きながら、お写真を撮っていただいたことも、むちゃくちゃ嬉しい、そんな1月の神奈フィルなんです。

ちょっと、脱線しましたが、アバドが旅立つまえの、最後の演奏の二つは、いずれも、正規に、目と耳で確認できるようになりましたが、「未完成」だけは、まだ公式化されてません。
 いずれの機会に、カップリング曲と合わせて、正規化されると思いますが、それまで待てない自分は、この「未完成」を、おりにふれ、聴いているんです。

あくまで、放送から、起こした音源ですから、自分の思い出の一環にのみとどめたいと思いますし、みなさまにおかれましては、いずれ実現する正規音源化をご期待いただきたいと存じます。

ふたつの楽章で、ほぼ28分。

かなり、ゆったりめのテンポをとりました。

とくに1楽章でしょうか。
慎重かつ、ドラマティックな運びは、完全なるロマン派の音楽としての、「未完成」を意識させます。
重々しくなりがちな、ロ短調ですが、重心は、ずっと上の方にあります。
続く2楽章とともに、表情は明るく、そして軽やか。
 

こんな風に、柔軟でしなやか、そして、全曲わたって、歌が行き届いてます。
ブルックナーにおいて、ほんの、ごく少し、力が抜けて感じたところは、ここでは、清らかとも思えるう「歌」によって補完されてます。

大らかでありながら、深さも充分に持ち合わせた、歌ある「未完成」。

アバドならではの、歌うシューベルト、今宵も、昨日のことなど思い起こしつつ、堪能いたしました。

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2015年1月26日 (月)

神奈川フィルハーモニー第305回定期演奏会  サッシャ・ゲッツェル指揮

Minatomirai_20150124

曇天のみなとみらい。

久しぶりのみなとみらいホールに帰ってきた神奈川フィルの定期なのに、ちょっと残念な曇り空。

でも、そんなの関係ないくらいに、熱く、かつ、スマートで、超シビレる最高のコンサートでした。

201501kanaphill

  コルンゴルト    組曲「シュトラウシーナ」

  R・シュトラウス   4つの最後の歌

       ソプラノ:チーデム・ソヤルスラン

   ブルックナー         交響曲第9番 二短調 (ノヴァーク版)

      サッシャ・ゲッツェル指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                      (2015.1.24 @みなとみらいホール)

主席客演指揮者ゲッツェルさんの今回の3つのプログラムの最後。

出身地ウィーンの音楽であり、かつ、3人の作曲家のほぼ最後の作品を集めた魅惑のプログラムです。

可愛くて、ステキなきらめきの音楽、コルンゴルトの「シュトラウシーナ」。
曲の概要は、こちら→FB記事で

「ポルカ」「マズルカ」「ワルツ」の3部の鮮やかな対比は、原曲のJ・シュトラウスの曲の良さを、さらにゴージャスにグレートアップしたコルンゴルトの巧みな手腕を感じます。
 ビジュアルで見ると、ハープにピアノに打楽器が加わるきらきらサウンドの仕組みが、よくわかります。
華やかなワルツには、ウィーンへのオマージュと、どこか後ろ髪惹かれる寂しさも感じる曲ですが、ゲッツェルさんに導かれた神奈川フィルから、爛熟のウィーンの響きを聴き取ることもでき、冒頭から陶酔してしまいましたよ。

あらためて、コルンゴルトと神奈川フィルとの音色の相性の良さを確認しました。

それは、次のもうひとりのシュトラウスの響きでも同じく感じたところ。

「4つの最後の歌」は、2007年に、シュナイトさんの指揮で聴きましたが、それはもう絶品とも呼べる美的かつ、ドイツの深い森から響いてくるような深い音楽でした。
 かつてのシュナイト時代の響きが戻ってきたかの思いのある、今回のゲッツェル・シリーズ。
深さはないけれど、音の美しさと、それを選び取るセンス溢れる美感。
同じ独墺系でも、世代の違いで、スマートさがそこに加わった。
いくぶんのサラサラ感が、次のブルックナーにも感じられるところが今風か。

透明感と少しのあっさり感は、音楽が濃厚になりすぎずに、かえって気持ちがよく、まして、土曜の午後にはぴったりのシュトラウスでした。
ホルンソロも、石田コンマスの華奢だけど、滴るような美音のソロも、素晴らしいものですが、シュナイトの時には、濃密に感じたその音色も、ここでは、すっきりとした透明感のみが支配する感じでした。

そして、ソプラノ・ソロは、トルコ出身のソヤルスランさん。
リリック系で、スーブレット系の役柄、例えば、フィガロや後宮、ミミやジルダなどを持ち役にする逸材のようです。
ボーイッシュなヘアだけど、とても女性的な身のこなしでもって、最初の登場からして、その麗しい歌声を予見させました。
 
 彼女にとっての外国語であると思われるドイツ語。
その言葉を、極めて丁寧に、一語一語に想いをこめて歌う姿は、真摯で、ホールの上の方を見つ目ながらの眼差しもエキゾティックで、われわれ日本人には親しみもあり、とても印象的なのでした。
 そのお声は、確かにモーツァルトを歌うに相応しい軽さもを認めましたが、一方で、わたくしには、少し太く、彩りもちょっと濃く感じる歌声に感じました。
語尾を少し巻いて、蠱惑感を醸し出すあたりは、どうなのかなとも思いましたし、 この曲のもつ「最後の歌」という、透徹な澄みきった心情という側面からすると、ちょっと違うかなと。
 でも、こんな声での「4つの最後の歌」は、妙に新鮮で、どこか、別次元から聴こえてくるような、そんな歌でした。
ある意味、まさに、新しいアジア感覚といいますか、どこにも属さない歌の世界を感じました。
ドイツを中心に活躍する彼女ですが、できれば、その独自性をもってユニークな歌唱を築き上げて欲しいものです。

 
 休憩後は、ブルックナー。

神奈川フィルのブル9は、やはり、シュナイトさんが、かつて取り上げておりますが、それは聴くことができませんでした。
そして、ブルックナーの後期の交響曲の凄演といえば、ギュンター・ヴァントが到達した孤高の世界が、ある一定の模範として、わたくしのなかにはあるのです。
8番しか実演では聴けませんでしたが、CDでの数種ある第9は、もう、それを聴いたら緊張のあまり、なにもすることができない、究極の演奏すぎるところが、ある意味難点で、おいそれと聴くことができません。
 きっと、いまなら、ティーレマンあたりが、そこに重厚などっしり感もまじえて、緊迫のブル9を演奏するのだろうと思います。
ティーレマンというより、スマートなウェルザー・メストみたいな感じ。
若いころの、ちょっと熱いスウィトナーみたいな感じ。
やはり、オーストリアは、イタリアに近い。

この日のゲッツェルさんのブルックナー。

この曲が、最後の作品であることや、未完の、そして彼岸の音楽であること、それらを、まったく意識させることのない、一気通観の、流れのいい演奏でした。
随所に、立ち止まって、ブルックナーの音楽にある、自然の息吹や森のひとこま、鳥のさえずりといったような瞬きは、あんまり感じさせてはくれなかった。
ましてや、オルガン的な重層的な分厚い響きとも遠かった。
 ゲッツェルさんは、流動感と、立ち止まることのない、音楽の勢いを大切にして、オーケストラも聴き手も、引きつけながら、最後の静寂の終結に向かって一気に突き進んでいった感じ。
 時計を見たら、ほぼ60分。
もっと短く実感した。

そこここに、キズはありました。
でも、そんなの全然関係ない。

オーケストラをよく響かせ、鳴りもよく、整然としながら、がんがん煽る。
神奈フィルは、目いっぱい、その指揮に応えて、必死になって演奏してる。
いつもお馴染みのみなさんが、音楽に打ち込み、夢中になって弾いている姿は、それだけでも、自分には感動的でしたが、そこから出てる音楽が、先のとおり、理路整然として、耳に届いてくるところが、ゲッツェル・マジックとも呼ぶべきでしょうか。
2楽章の爆発力と、自在さ、それはもう、この指揮者のもっとも雄弁さが発揮された場面です。

 
 1楽章と3楽章にあるカタストロフ。
その破滅感と、そこからの立ち直りが、この曲の、ある意味かっこいい魅力なのですが、そのあたりの風情は、実は少しあっさり気味。
3楽章では、それを繰り返して、終末観あふれるエンディングを迎えるのですが、そこでも、同じようなイメージ。
ゲッツェルさんが、今後、きっと突き詰めてゆく、これからの世界なのでしょうか。
でも、それは、そうあらなくてはならないという、ブルックナーに込めた自分のイメージに過ぎないのでしょうか。

 
 いろいろ思いつつ、でも、いまここで鳴っているブルックナーの音楽が、響きの豊かな、みなとみらいホールの天井から、まるで教会からのように降り注いでくる思い。
それは、まさにライブではないと、味わえないもの。
それが、美音のブルックナーだったこと。
リズム豊かで、歌にも配慮したゲッツェルさんの指揮だったこと。
そして、なにより、かつての音色に近づいた神奈川フィルの音色だったこと。

それらが、ほんとうに、すばらしくて、このコンビを讃えて、思いきり手が痛くなるほどに、拍手をいたしました。

11月には、ブラームスとコルンゴルトで、また帰ってきてくれるゲッツェルさん。
トルコ、日本、北欧、ウィーン、ドイツを股にかけて活躍中。
彼が、これからどうなって行くか、もちろん、日本では、神奈川フィルオンリーで、絶対注目の指揮者です!

Umaya1

この日も飲みましたねぇ~

出来立ての横浜地ビールを次から次に、美味しい神奈川産のお料理で。

毎度、お疲れのところ、楽員さんや、楽団の方にもご参加いただき、We Love 神奈川フィルは、また、新しい仲間も増えて、楽しい会合を過ごすことができました。

お隣にも、ほかにも楽団員さんが、偶然、お見えになり、神奈フィル大会になってしまったお店なのでした。

楽しくて、はしゃぎすぎちゃいました、お騒がせしまして、すんません~

Pub

思えば、今回のメインプロは、英雄とブル9。

亡きクラウディオ・アバドの、最後のルツェルンでの二つのコンサートがその2曲。
そして、それを引き下げて、昨年秋に来日予定でした。

そんなことも、心にありながら、聴いたこのシリーズ。

忘れ難い演奏会の数々となりました。

 さらに、次のお店で、軽く一杯やって、終電、湾岸列車に飛び乗りました。

ゲッツェル号は、いまごろ、欧州へ。

また帰ってきてね!

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2015年1月20日 (火)

モーツァルト レクイエム アバド指揮

Bergkirche_1

本日、1月20日は、クラウディオ・アバドの命日です。

1年前の訃報に接したときのショックは、いまでも覚えてますし、その悲しみは、いつまでも癒えることはないと思います。

永年のクラシック音楽ファンで、いくつもの愛好対象があって、それぞれに、その思いがあるけれど、クラウディオ・アバドだけは別格です。

アバドのファンになって、今年で、数えで44年となります。

これから先も、ずっとアバドが好きだと思いますし、その人がいまや亡くとも、自分の中に完全に生きていて、その音楽は常に、自分のなかで、育まれております。

1

アバドが、いま、静かに眠る教会は、先の画像の、ヨーロッパに多くある、山の教会とも呼ばれる、小さな可愛い聖堂です。

そして、その教会がある、スイスの村は、このような場所で、冬には雪が深く積もる場所。

あぁ、なんて、美しいのでしょう。

スイス南東部、サンモリッツを中心都市とする、エンガディン地方にある村で、イン川の上流部です。
 山の斜面に、点在する、アルプス地方の村々は、日本人にはあこがれのような、ヨーロッパ的な光景のひとつです。

お教えいただいたイタリアの新聞記事から、あれこれ調べて、その村や教会は、わたくし的には特定できました。
 ですが、クラウディオの家族も、わたくしたちファンも、クラウディオを静かに眠らせておきたいと思っていることと思いますので、ここでは、ご案内はいたしません。
 おおまかにいえば、エンガティン地方は、スイスでも、アルプスを超えるとミラノ。

ベルリンやウィーンよりも、ずっとルツェルンとミラノに近い場所です。

   モーツァルト レクイエム ニ短調 K626

Mozart_requiem_abbado_bpo

   S:カリタ・マッティラ    Ms:サラ・ミンガルト
   T:ミヒャエル・シャーデ  Br:ブリン・ターフェル

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                  スェーデン放送合唱団

                    (1999.7.16 @ザルツブルク大聖堂)


Mozart_requiem_abbado_lucerne

   S:アンナ・プロハスカ      Ms:サラ・ミンガルト
   T:マキシミリアン・シュミット  Bs:ルネ・パペ

  クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
                   バイエルン放送合唱団
                   スェーデン放送合唱団

                    (2012.8.8,10 @ルツェルン)


アバドが残した、ふたつの「モツレク」。

アバドのモツレクへの取組は、比較的遅くて、99年のベルリンフィルとの演奏が、もしかしたら初だったのではないでしょうか。

 この99年の演奏は、カラヤンの没後10年、その命日に、その生地ザルツブルクの大聖堂で行われたライブです。
 偉大な前任者であり、ときには、カラヤンから学んだアバドですが、その音楽性と、その生き様は、まったく異なるものでした。
1990年に、ベルリンのポストに就任し、あまりに大きかったカラヤンの影響から、アバドは、オケ内外で、あれこれ言われることもありましたが、寡黙で真摯な人間性と、その音楽への愛が、やがて、オケと世界中の聴き手を、アバドその人ありと、納得させてしまうのでした。

就任から9年目、カラヤンの追悼の演奏会の指揮台に立ったアバドですが、その半年後には、病に倒れてしまうとは、誰が予測したでしょうか。
この前後から、その音楽に少し隙間風が吹くような、気の抜けたような感じも受ける感もありました。
 ですが、ここでのモツレクの演奏は、気力も充分。
全曲にわたって、意欲がみなぎってます。
ターフェルをソロに迎えたこともあり、そして、追悼コンサートというメモリアル感もあって、このレクイエム演奏は、後年のルツェルン盤と比べて、とても劇的に聴こえます。
 さらに、残響の極めてゆたかな教会での演奏ということもあって、そこになおさらに、壮麗感が加わります。

 とてもユニークな独自解釈版で、聴いていて、あれ、おや、っという驚きが各所にあります。
 それらを、今回は、指摘する紙面の余裕はありませんし、かくいう自分自身が、まだ完全に把握しておりませんゆえ。

豊かな響きでありながら、音はしっかり刻んでいて、ヴィブラートも少なめな演奏。
ベルリンフィル相手に、先代の追悼コンサートに、99年時点での古楽オケでないオケから、こんな新鮮な響きを引き出してしまったアバドです。

 さて、その13年後には、ルツェルンで取り上げました。

これはたしか、マーラーシリーズの最後として、千人交響曲がアナウンスされましたが、結局は、モツレクとなり、ちょっとがっかりさせた演目でした。
 ですが、しかし、2012年の夏、NHKがすぐに放映し、それを見て、これはすごいと実感したわたくしです。

今度は、バイヤー版を中心にした解釈。
 正規のDVDも入手し、つぶさに視聴しておりますが、ここにある自在な表情と、繊細なまでの音の粒の美しさは、粒子が細かすぎて、ぱっと聴いたのみでは、わからないくらい。
すなわち、なにもしていないし、なにも演奏に力を入れたり、感情を込めたりもしていない。
でも、無の表情が、とても清潔で、清廉なのです。
 静かに流れるがごとく清流に、意思も、気持ちもありません。
そこには、音符から発せられる音のみ。

ラクリモーサも痛切ではなくて、キリエも切実でなく、ディエスイレには怒りもありません。

この静かで美しい、モーツァルトのレクイエムに、涙を覚える自分。

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アバドのたどり着いた境地を、ルツェルンのいくつもの演奏に感じますが、このモツレクにもそれを感じます。

最後の2013年の、シェーンベルク、英雄の2楽章、ブルックナーの1楽章に、同じような清涼な世界を思います。

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アバドの眠る教会の聖堂のフレスコ画。

ほんとに小さくて可愛い教会ですから、一軒家の吹き抜けみたいな感じでしょうか。

アバドは、ここに佇んでは、この聖徒たちの絵をじっと見つめていたそうです。

Lapide_1

質素で、慎ましい、アバドの墓石。

クラウディオの人、そのものをここに感じます。

静かに、お休みください、マエストロ・アバド。

いつか、本当に親しいひとたちと、そっと訪れ、愛していただいた日本のお花を手向けたいと思います。

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2015年1月18日 (日)

神奈川フィルハーモニー オーケストラ名曲への招待

Muza_1

昨年、10周年を迎えたミューザ川崎で神奈川フィル。

席によって音響がかなり違うミューザですが、今回は、海外オケなどでは、なかなか取れない1階センター席にて神奈川フィルを堪能。

ステージも近く、音も、リアルにそのまま耳に届く良席でした。

ことに、両翼対向配置をとったベートーヴェンでは、弦楽器たちの音の橋渡しが、ビジュアル的にも、もちろん音響的にも、手に取るように鮮やかに楽しめました。

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  ワーグナー    舞台神聖祭典劇「パルシファル」 前奏曲

  コルンゴルト   チェロ協奏曲 ハ長調

  バッハ       無伴奏チェロ組曲第3番から サラバンド~アンコール

          チェロ:山本 裕康

  ベートーヴェン  交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」

  J・シュトラウス  ポルカ「浮気心」 ~アンコール

     サッシャ・ゲッツェル指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                 (2015.1.17 @ミューザ川崎シンフォニーホール)


ワーグナー好き、コルンゴルト好きを自認する自分にとって垂涎もののプログラム。
しかも、大好きな神奈川フィルなのですから。

さらに、次の定期も、コルンゴルトに、R・シュトラウスにブルックナーですよ。

こうした演目が多くプログラムにのるのも、昨今のオーケストラ界の風潮ではありますが、ともかくうれしく、喜ばしいことです。

 「パルシファル」前奏曲が演奏会で、単体取り上げられることは、珍しいと思います。
ほかのワーグナーの管弦楽作品に比べて、演奏効果をあげにくく、なんといっても地味で、かつ難解。しかも宗教性があるものですから・・・・。

しかし、わたくしは、「トリスタン」とともに、ワーグナーの革新性も含めた最高傑作だと思ってます。
舞台でも、何度も接してきましたし、映像・音源も多々。
 でも、そんななかでも、今回のゲッツェル指揮の演奏は、かなり上位に入るお気に入りのものとなりました。

清らかさと、崇高な荘厳さ。
これらを、音のにごりなく、透明感をもって描き出さなくてはならない。
その点で、明快な音楽造りのゲッツェルさんと、美しい音色を持つ神奈川フィルの演奏は、完全だと思いました。
ミューザの響きも、ワーグナーのこの作品を聴くに相応しいもの。
 ゆったりとしたテンポを維持しながら、音をしっかり長めに響かせるゲッツェルさんの指揮。
ワーグナーの呼吸を、完全に体得し、表現していたと思う。
オペラハウスでの活動も多いゲッツエルさん、ワーグナーもいくつかレパートリーに入れているようですが、今後さらに、取り上げ、ゆくゆくはバイロイト、なんてことも夢見てしまいたくなりました。
劇性の演出に長けた指揮者ですから、オペラは絶対にいい。
 パルシファルでの直立不動とも言える、静かな指揮ぶりは、その作品に相応しいものでした。

 そして、そして、この日の目玉。

プロによる、本格的な日本初演でありました、コルンゴルトのチェロ協奏曲

ヴァイオリン協奏曲は、このところ、極めて演奏頻度が高まり、協奏曲のレパートりーとして、完全に定着いたしました。
そのヴァイオリン協奏曲の日本初演者の方が、山本さんに働きかけ、楽団側も動き、コルンゴルトを広める皆さんの後押しなどもあって、この演奏が実現したと聞きます。

コルンゴルト・ファンとして、愛する神奈川フィルと、いつもお馴染みの山本さんのチェロでの演奏をここに聴くことができたことは、望外の喜びでありますとともに、わたくしの音楽ライフにおいても、大きなランドマークとなりました。

コルンゴルトのこと、この曲のことは、過去記事をご参照ください。
神奈川フィル応援の、フェイスブック記事にも、あらためて投稿いたしました。

12分の単一楽章ながら、原曲のロマンティック・サスペンスとも呼ぶべき映画、「愛憎の曲~Deception」の、三角関係と嫉妬と誤解が産みだす、まさに愛憎劇の内容を凝縮したかのようなドラマティックな音楽です。

ピアノ、チェレスタ、マリンバ、ヴィブラフォン、ハープといった楽器を要することは、毎度の近未来的な響きを醸し出す、コルンゴルトサウンドの重要アイテム。
 指揮台の背中のバーに、背をもたれながら、オケ全体、ソロの山本さんを俯瞰しつつ、微細にコントロールしながら、爛熟のウィーンを思わせる、あでやかなサウンドを作り上げたゲッツェルさん。

そして、あまりに素晴らしすぎた山本さんのチェロ。
昨年秋には、初見のこの曲に対する不安をお話されておりましたが、ほんの少しの間に、甘味なロマンティシズムと、シニカルなまでの哀感、そして、諧謔的な軽妙さ、これらのコルンゴルトの語り口を見事に体得されておられたことに、まったくもって舌を巻きました。
 つねに忙しく活動されているなか、プロの音楽家って、ほんとうにすごいと思いましたし、
なお、素敵なところは、そこに、いつもの山本さんらしい、優しさや、暖かな音色、繊細さも、この方の個性として、しっかりと織り込まれているところでした。
 音楽に夢中になって弾く真摯な没頭感も、裕康さんならでは。
第2エピソードとも呼ぶべき、ふたつめの抒情的な旋律が、静かに、まろやかに演奏されたとき、思わず、わたくしは涙が出てしまいました。
そして曲の後半、哀愁にとんだチェロもすんばらしい。
そこに絡んだ、山田さんのフルートも、やたらにステキだった。

急転直下のエンディングに、わたくしは、山本さんに、ゲッツェルさんに、オケに、そして、コルンゴルトに心をこめて、軽くブラボー一声献呈しました。
ほかの方の豪勢なブラボーにかき消されてしまいましたが・・・・・。

アンコールのバッハ。

多くの方が、ときに目を閉じて、心で感じるようにして聴きました。

阪神淡路から20年、サリン事件も同じく数日後。
あれからも、自然災害や事件はとどまりませんが、このバッハと、次のベートーヴェンの2楽章に、深い悲しみと、追悼の気持ちを、聴きながら深く思ったのでした。

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コンサート終了後、とんでもなく気分がよくて、一軒目で、美味しいお魚を、やまほどいただき、最後は、ヨーロピアンなシネチッタ地区へ。

まさに、コルンゴルトのキラキラ感と、シネマのちょっと望郷の想いもよおすエリアです。

ウィーンっ子のゲッツエルさん。

親子で、ウィーンフィルのヴァイオリン奏者。

親父はベームの映像、息子は、クライバーやアバドの映像で、その演奏姿を発見することができます。
親子、そっくりなんですよ。

演奏者として、多くの指揮者のもとで、ヴァイオリンを弾いてきたゲッツェルさんは、もしかしたら、指揮者としては、カルロス・クライバーの劇的な自在さと、軽やかさを目標にしているのではないかと思いました。

2日前の県民ホールに続く「英雄」

あの日は、かなり細かい指示を出し、その動きも活発で、オーケストラやセクションを煽るようなしぐさも多々ありました。
今回は、1楽章では、その動きがかなり控えめで、流れるように、拍子は流線的に取りながら、切るような指揮ぶりは少なめ。
 オケから引き出された音楽も、明瞭で、快活なもので、ときに大きなしぐさから、切れ味いいパンチの効いた一撃も繰り出される。
 そして、前回と同じく、第2楽章は、豊かな歌と、深い悲しみをにじませたとても深い表現を聴かせていただきました。
クライマックスでの沈痛極まりない場面では、心が震えるほどでした。
ここでは、ゲッツェルさんは、両手を大きく高く振り上げ、最大限の音を引き出そうとしておりました。
 3楽章では、みかちゃんこと、豊田さんをはじめとするホルン3人がマイルドかつ爽快な演奏を聴かせ、少ない動きで、指揮者は弾力性ある音楽をしたてあげ、一気に終楽章へと流れ込む鮮やかさを見せつけてくれました。
 大きくなったり、小さくなったり、お尻ふりふり、右手左手交互に上下、いつものゲッツェル体操を見せてくれちゃいます。
一昨日は、左手をぶるんぶるん、かなり振りまわし、オケを煽ってましたが、ここでは、そこまではないかわりに、体操を披露。
 そうです、指揮者も乗ってきたし、神奈川フィルも、ゲッツェルの要求に見事に応えるようになって、こうしたライブな自在ぶりが発揮されたのでしょう。
 最終コーダの、猛然たるアッチェランドぶりには、ホール内一体となって、熱狂をよぶ大エンディングを巻き起こしました。

そう、前回とまったくことなる展開に、びっくり。
すごかった。

アンコールの「浮気心」も、前回よりノリがよかった。
楽しそうな指揮ぶりに、聴衆は釘付け。
演奏会を繰り返すごとに、この指揮者のファンが増えていきます。
みんな、大好きゲッツェルさん。
神奈川フィルとのコンビでこそ味わえるゲッツェル・ライブは、横浜・神奈川限定にしていただきたいもの。
海外でも着々とその実力と名声を高めつつあり、日本では、ここだけに!

ファンの祈りです。

フレンドリーで気取らないゲッツエルさんは、終演後、ロビーに出てきて、気軽にサインや写真撮影に応じられておりました。
わたくしも、ワンショットご一緒いただきましたよ。

コンサートの興奮そのままに、川崎の繁華街へ、応援仲間と進攻。

これでもかと出てきた、お魚の数々に大満足のWe Love神奈川フィル一行なのでした。

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Isaribi_3 Isaribi_4

ほんの一例。

まだほかに、豆腐サラダ、カルパッチョ、煮魚、くじら刺し、から揚げ、デザートなどが次々に。

音楽も、お料理も、どっちもみんな、お腹一杯。

心から、こちそうさまでした。

そして、コルンゴルトは、またこのコンビで聴きたいぞ。

音源化を強く望まん!
       

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2015年1月17日 (土)

神奈川フィルハーモニー県民ホールシリーズ第2回定期演奏会 ゲッツェル指揮

Bay

1月15日は、嵐のような天候の1日でした。

木曜日でしたが、この日は、今年度から始まった、神奈川フィルの県民ホール定期公演。

関内で打ち合わせがありましたので、傘を壊されそうになりながら、この日ばかりは、とてつもなく遠く感じた県民ホールまで難渋しながら歩きました。

さすがに写真を撮るような状況ではありません。

県民ホールのまん前は、山下公園。

ちょっと前の画像です。

ベイブリッジに、氷川丸。

みなとヨコハマを代表する景色ですね。

そして、ここ横浜に、あの人が。

この日ばかりは、まさに、嵐を呼ぶ男、サッシャ・ゲッツェルさんが帰ってきました!

201501kanaphill

  チャイコフスキー  ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調

        ピアノ:小山 実稚恵

  ベートーヴェン   交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」

  J・シュトラウス   ポルカ「浮気心」 アンコール

     サッシャ・ゲッツェル指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                     (2015.1.15 @神奈川県民ホール)


首席客演指揮者として2年目の登場。
そして、神奈川フィルへは、これが4度目のゲッッエルさん。

われわれも、そして何よりも、オーケストラにとっても、すっかりお馴染み。
ファンもオケも、みんなゲッツェルさんのことが大好き。

年々、その活躍の場を広げつつあり、世界的な指揮者としても注目が集まってます。
昨年は、手兵のボルサン・イスタンブール・フィルを率いて、アジアのオケ特集をしたロンドンのプロムスに登場し、熱狂的な歓声を浴びました。
わたくしも、ネットで聴きましたが、熱かったですし、トルコの音楽も巧みにとりいれた、エキゾチックな音楽運びが、とても新鮮でした。
 さらに、これは未聴ですが、ウィーン国立歌劇場で「フィガロ」を指揮して、大成功をおさめました。
ウィーンという街は、オーケストラ以外、その出身者には、とても厳しい印象があるのですが、ウィーンっ子ゲッツェルさんが、今後、かの地でどうのような活躍をするか、これもまた楽しみであります。

もちろん、日本では、われらが神奈川フィルに専念して欲しいですよ。

そんなゲッツェルさんの、今年のプログラムのひとつは、チャイコフスキーとベートーヴェン。

王道の名曲の組み合わせですが、そのブレない姿勢に、聴く前から感服。

そして、ピアノソロは、今年、活動30周年を迎えた小山実稚恵さん。

Michie_koyama

こんな小冊子も配られました。保存版ですな。

始終聴いてるし、身近な存在だからあんまり気にしなかったけれど、もう30年なのですね。
チャイコフスキーやショパンのコンクールに入賞して、もう、そんな年月が経つわけで、ほぼ同年代の自分に照らし合わせると、真っすぐに、ピアノの道を歩んで来た誠実な彼女が、とても眩しく、そして羨ましく感じてしまいます。

そんな風に思わせるチャイコフスキーでした。

えんじ色のドレスの小山さん、そのお色のとおりに、派手さや、この曲の演奏でおちいりがちな、技巧の披歴のような浮ついたところは一切なく、優しさと安定感とにあふれた、着実なピアノを聴かせてくれました。

耳にタコができるくらいの名曲ですが、ゆったりしたテンポに感じた幻想的な展開の第1楽章では、静かな、独白のような語り口に耳がそば立ちましたし、何と言っても第2楽章が絶品の美しさ。
 神奈川フィルの、愛らしい木管群と若々しいチェロたちとともに、とても素敵な緩徐楽章を築き上げましたね。
もちろん、終楽章では、押さえるところは、しっかり押さえ、じわじわと盛り上げ、やがて爆発させるゲッツェルマジックに、見事に加担して、鮮やか極まりないフィナーレとなりました。
その3楽章のコーダ突入の前の、クレッシェンドで、ゲッツェルさんは、ものすごいピアニッシモからの入りを仕掛けまして、それが盛り上がってゆく、ジワジワ感と、ついに到達するコーダの大爆発が、実に効果的に描かれました。

優れた演奏家同士にして、聴くことができる、練達のチャイコフスキーでした。

一本のコントラバスが、左側に立てかけられていて、おやっ?と思っておりましたが、後半のベートーヴェンでは、配置がガラリと変わって、妙にお馴染みの対向両翼配置。
 そう、ベーレンライター版を選択したゲッツェルさんなのでした。

2管でしたが、弦楽器はたっぷり増量されてステージは、意外なまでのギッシリ感。
そして、繰り返しも励行し、時計タイムでは、55分(多分)。

ミューザで、ふたたび聴くことになりますが、あの響きの少ない県民ホールが、実によく鳴っておりました。
しかも、ベーレンを使い、ヴィブラートも抑え気味にしながらです。
 そう、弦の皆さんは、音を思いきり、目いっぱい弾いているんです。
やってみました的な、おっかなびっくりのカサカサ乾燥肌の演奏をかつて聴きましたが、ここでは、潤い成分満開で、この巨大なホールが、たっぷりと、なみなみした音たちであふれかえったのでした。

そう、こういうことなのですな。
音を解放するってことは、いい意味で。

ゲッツェルさんによって、解き放たれたベートーヴェンの音、ひとつひとつは、その指揮棒に夢中になって反応する神奈川フィルの奏者のみなさんのもとから、われわれ聴き手に、がんがん・どんどん届き、ときに、高揚し、熱くなり、そして、泣き叫びたくなり、ウキウキしたくなり、そして気が付けば、最後のあっけないくらいの幕切れの、キッレキレのエンディングに興奮している自分を見出すのでした。

ジャンプは、ほとんどなくなりましたが、腕の振りは、相変わらずすさまじくて、腰振りも、かなりのものな、その指揮ぶり(笑)
亡きカルロスをほうふつとさせる指揮姿であり、その鮮やかな音楽造りであります。

葬送の第2楽章は、実に深かった。
泣きそうになってしまった。

木管のみなさんも、チャイコにもまして、素晴らしかったし、ホルンも輝いてました。

より響きのよい、ミューザで、土曜にまた聴き、そしてまた、その印象をしたためてみたいと思ってます。

アンコールは、もしかしたら、お決まり、確信犯的に、ノリノリのウィンナ・ミュージック。
昨年の、爆発は文字通りありませんが、しなやかで、思わず笑みを浮かべたくなる曲に、演奏。
お尻ふりふり、また見れましたよ(笑)

神奈フィルの皆さんも、精一杯、ふるまったでしょうが、もっとにこやかにして欲しかったかもね。
でも、日本人って、そういうの難しいのよね。
自分もそうだし。
欧米の、あの雰囲気はなかなか・・・・・。

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2015年1月11日 (日)

新春ピアノ三重奏 Japan×France

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新春を感じさせるお花が、受付に飾られてました。

音楽と花と香り。

そんな五感をたっぷり楽しませていただける、コンサートに行ってまいりましたよ。

Megro_persimmon_1

 新春ピアノ三重奏

   花と共に奏でる<日本×フランス音楽>の世界

     宮城 道雄   「春の海」

     日本の四季 メドレー

     ドビュッシー  「月の光」

               映像第2集~「金色の魚」

     ラヴェル    「ツィガーヌ」

     サン=サーンス   動物の謝肉祭~「白鳥」

     フォーレ    エレジー

     ラヴェル    ピアノ三重奏曲

       アンコール  「花は咲く」

       ヴァイオリン:松尾 茉莉

       チェロ:    行本 康子

       ピアノ:     加納 裕生野

         フローリスト:元木 花香

         司会     :田添 菜穂子

                (2015.1.10 @目黒パーシモンホール)


神奈川フィルのヴァイオリン奏者であります松尾茉莉さんと、その仲間たちによるコンサート。

Megro

日本のお正月・新春に相応しい宮城道雄の「春の海」で、たおやかに始まりました。

ご覧のとおり、日本の音楽と、フランスの音楽のたくみな組み合わせ。
みなさんのソロをはさんで、最後はラヴェルの色彩的な名作で締めるという考え抜かれたプログラムでした。

日本の四季の歌の数々が「ふるさと」を前後にはさんで奏でられ、会場は、ふんわりとした優しいムードに包まれました。

そのあとの加納さんのドビュッシーは、実に美しく、情感もたっぷりで、この作曲家に打ち込む彼女ならではの桂演でした。

エキゾティックなムードと超絶技巧満載のツィガーヌは、いつも前向きな松尾さんらしい、バリッと冴えた演奏。

後半は、静かな語り口で、超有名曲と、フォーレの渋い曲を弾いてくれた行本さんのチェロでスタート。

最後は、3人の熱のこもったラヴェル。
4つの楽章を持つ30分の大曲ですが、あっと言う間の時間の経過。
1914年の作曲で、いまからちょうど100年前の第1次大戦直前の頃の音楽は、夢想的なロマンと、熱気と躍動感という、ラヴェルのいろんな顔のすべてが、ぎっしりと詰まった音楽です。
きらきら感と、3楽章の神秘的な味わいをとてもよく弾きだしていたのが加納さんのピアノ。
柔らかな音色の行本さん。
そして、松尾さんは、しなやかさと、ひとり神奈川フィルとも呼びたくなるような美音でもって、魅了してくれましたね。
 若い3人の女性奏者たちによるフレッシュで香り高いラヴェル。
堪能しました。

最後は、「花は咲く」で、うるうるさせていただきました。

Megro_3_2

そして、香りといえば、花と香りのアロマを演出されたのが元木さん。
3人が生花をつけて演奏し、しかも、ドレスはトリコロール。
ホワイエには、檜の香りが漂い、いただいた栞にも、お花の香りが。
 おじさんのワタクシですが、音楽と香りのマッチングに、思わず、頬がほころぶのでした。

センスあふれる企画と演奏、いただきました。
 

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2015年1月 7日 (水)

ベルリオーズ 幻想交響曲 アバド&LSO

Hamamatsucho_a

新年1月の小便小僧は、このとおり、干支と門松を従えた勇志ですよ。

おしっこの勢いもいいですな!

Hamamatsucho_b

お背中の家紋は、なんでしょうか。

梅の印と見受けますが、どうでしょう。

今年も、いろんなコスプレを期待してますよ。

毎度ながら、ボランティアのみなさま、ごくろうさまです。

Abbado_lso_2

  ベルリオーズ  幻想交響曲

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

        1983.7.31 @ザルツブルク

        1983.9.1  @ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール


今月の月イチは、幻想交響曲。

もうじき、1年。

敬愛するアバドの訃報に接してから。

でも、いまや、全然悲しくない。

いつも、そばにいますよ、わたくしにとってのクラウディオ・アバド。

 今日は、秘蔵のFMライブ録音の自家製CDRで、「アバドの幻想」を聴いてみました。

「アバドの幻想」といえば、シカゴ響との鮮やかな録音が真っ先に浮かびますし、シュールでリアルなジャケットも素晴らしい1枚ですね。

そして、わたくしにとっての、「アバドの幻想」のもうひとつは、ロンドン響との来日公演。

1983年5月の東京文化会館でのものでした。

この時の来日公演は、以前にも書きましたが、3公演を全部聴いて、アバドの一挙手一投足が、いまでも、脳裏に刻まれております。

 文化会館での幻想は、まず、バルトークのマンダリンが疾風怒涛のように演奏され、そして熱き、その幻想、そして、アンコールはブラームスのハンガリー舞曲1番。
ほかの演奏会での、マーラー1番と5番のあとには、アンコールを一切やらなかったことが、いまとなっては、よくわかるアバドの思いです。

 そして、その1983年は、「アバドの幻想イヤー」なのでした。

2月に、シカゴで指揮をしてスタジオ録音。
5月に、ロンドン響と日本公演。
7月に、ロンドン響とザルツブルク音楽祭出演。
9月に、ロンドン響と、ロンドンのプロムスに登場。

夏のロンドン響とのヨーロッパツアーでは、きっと、上記以外の地でも演奏したに違いありません。

 その後の「アバドの幻想」は、2006年のシモン・ボリバル、2008年のルツェルン、2013年のベルリン、ということになります。

後年の熟成した幻想とは異なり、勢いと思いきりのよい解釈において、83年の演奏は、いずれも、アバドならではのしなやかさとともに、爆発的なライブ感。

シカゴのスタジオ録音よりも、より熱く、飛ばしてるのが、7,8月の音楽祭ライブ。

なかでも、ロンドンでのライブは、後半に行くにしたがって、ものすごい熱気で、おそらく、お上品なザルツブルクのお客様よりも、ロンドンの野放図なくらいの若者パワーを、背中に思いきり浴びてしまった演奏の方が、極熱で、ヴァルプルギズの夜の凄まじさは、とんでもなく素晴らしい。
ザルツもすごいけど、ロンドンの方の濃密・熱狂ぶりは、すさまじいです。

 私家盤なので、あんまり激烈に誉めたたえても、みなさま、醒めてしまうかもしれず、もうやめときますが、これらの放送音源が、いつか、正規に日の目を見ることを願いたいです。

Abbado_lso
 

 

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2015年1月 5日 (月)

ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」 ヨッフム指揮

Azuma

東西南北、長くて広い、日本列島。

等しく、正月が訪れ、寒さ濃淡あれど、ゆったりとした束の間を過ごされたことと存じます。

わたくしの郷里の神奈川の小さな山の上は、まいど、ご報告のとおり、季節を先取りした光景が望めました。

ことしは、元旦が湘南地区とは思えないくらいの大雪。

134

これ、海沿いの134号線ですよ。

翌日朝に、箱根駅伝が走るってのに。

でも、翌日からの好天続きで、富士山との遭遇も多かったです。

そしてなによりも、駅伝も、山登りはコース変更を余儀なくされましたが、無事に行われ、なんたって、母校が初優勝。
しかも、圧勝で、陸上界に新しい風を吹かせるユニークな存在を示しましたよ。

Ekiden

復路7区を観戦。

後ろの車には、「ワクワク大作戦」を展開した、ユニークな監督さんの姿も見えますよ。

Daoshi

そして、子供時代から、もう何十年になりますかね。

初詣は、川崎大師。

若気の至りのころは、あえて、手を合わさないときとかありましたが、大人になってみると、ごく、すなおに、1年の無事を祈るようになりました。

宗教に関係ない。

人として、なによりも、日本人として、1年の「ことほぎ」として、虚心に手を合わせます。

2015年が、良き年となりますように。

Beethoven_johum_3


 ベートーヴェン  交響曲第6番 「田園」

   オイゲン・ヨッフム指揮 ロンドン交響楽団

                 
                     (1978


 新春恒例、名曲シリーズ。

やっぱりこれかな。

ほんと、いい曲だよなぁ~

この曲を嫌いな人なんて、ぜったい、いないと思う。

マニアやヲタになっても、絶対に忘れない一品。

聴くほどに味わいがあり、歳を経るごとに、その味わいもまた格別のものと、感じられるようになる。

世界中、その国々ごとに、きっと、その田園風景は、それぞれにあるだろう。
けど、その各国の田園風景に、ぴたりと、聴く人々の心情ごとに符合してしまう第6番の田園交響曲。

傑作揃いの、ベートーヴェンの交響曲のなかでも、ほんとうの意味での普遍性をもつ、人類共通の至芸品だと思いますね。

 日本人としては、田んぼがある景色の四季を想い浮かべます。

春がやってきて、ひばりが舞い、のほほんと、うららかな日差しをあびて、書を読みつつ、農作業にいそしみ、そして、楽しいお祭りも。
そこに、嵐がやってきて、叩きのめされ、いままでのことも台無しに。
しかし、天候は、一転して、青空が広がり、われわれは、荒天をしのいだ軒先から、篤い感謝をいだきつつ、暖かな日の光を目一杯に浴びつつ、豊穣を喜び、そして、明日への備えも怠りなく、静かに一日を終える。。。。

 こんな「田園」のイメージに、ぴったりなのが、ヨッフムの演奏でした。

懐かしくも、古びてない、おおらかな演奏。

こんなドイツ的な指揮者は、いまや存在してませんね。

各国の個性を、思いきり担った演奏家が、年々、枯渇してますし、今後も、さらに拍車をかけていなくなると思います。

 こうして、過去の演奏は、ますます、希少なものとして、われわれ愛好家に親しまれてゆくのでしょうね。
 しかして、昨今の演奏が、数十年後に、このヨッフムの演奏のように、長く、親しまれるのでしょうか・・・・。

悲観するばかりじゃいけませんね。

演奏スタイルと、聴く側のスタイルも変わる中、新しい流れも、聴く耳を、自身、育てて行かなくてはなりません。

今年も、たくさん、音楽を聴き、そして、感じていきたいと思います。

それにしても、ヨッフムが、最充実期、ロンドンのオーケストラで、ベートーヴェンとブラームスの全集を残してくれたところが、実にうれしいです。
ドイツのオケでは、もしかしたら、こうはいかなかった、絵に書いたような、ふたりの作曲家の演奏ですから。

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2015年1月 1日 (木)

J・シュトラウス 「美しく青きドナウ」 アバド指揮 

2015jpg

1年は、あっというまに過ぎて、そして明けます。

2015年は、どんな年になるんでしょうね。

きっと、さらに多難なこともあるかもしれません。

お国のことや、政治のこと、まわりの国々のこと、いずれも、嫌なことが起きると思いますがでも、個人個人、みんなが、おのおのがちょっとでも、小さくてもいいから幸せを感じることができるような出来事があるといいです。

 
 2015年のアニヴァーサリー作曲家は、ちょっと地味です。

生誕150周年が、シベリウス、ニールセン、グラズノフ、デュカス、マニャールなど。
没後100年がスクリャービン。
なぜか、大バッハとヘンデルの生誕330年。
あぁ、300年を体験して、もう30年も経ったのかぁ~ 愕然。

なんたって、ベートーヴェンの200年を小学生で体感し、そして、ワーグナーやヴェルディも同じくに。

自分が、どんどん歳月を重ねていくことを、こんな風にして実感するのも、悲しいことですね。 

 でも、明るくまいりましょう。

なんたって、シュトラウス。

ヨハンのほうですし、あまりにも有名、そしてあまりにもお正月な「青きドナウ」を、アバドの指揮で。

Abbado_1988 Abbado_1991

  J・シュトラウス ワルツ「美しく青きドナウ」

    クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

               (1988、1991.1.1 @ウィーン)


老いも若きも、クラシック音楽に無縁な方々も、そう、老若男女、みんな知ってる、そして大好きなメロディ♪

こんなに幸福で、ウキウキと、そして、明るい気持ちにさせてくれる曲ってありますか。

そして、この曲を、専売特許のようにして演奏しているのが、ウィーン・フィルです。

アバドのウィーン時代、2回のニューイヤーコンサートでしたが、ユニークなプログラムでしたね。

シューベルトやモーツァルトも登場したし、ヴェルディの片鱗も。

さすがでした。

最近は、まったく観ることがなくなったニュー・イヤーコンサートでして、まったく面白くない。

ゲッツェル氏が登場してくれる日を夢みたいものです!

 アバドのふたつの、青きドナウですが、演奏時間は、ほぼ同じくして、でも、2回目の方がライブ感がすごくて、勢いがありまくり。
ノリノリの演奏なのでした。
 でも、初年度のものも、少しの、のんきぶりが、大らかでとてもいい。

そして、アバドの青きドナウといえば、何度も書いてまして恐縮ですが、1973年の、ウィーンフィルとの初来日。

アンコールに、この定番の「青きドナウ」。

微笑みながらの明るい演奏でした。

そしたら、木管軍団が、繰り返しの出を完全に間違えて、思いきり違うフレーズを差し込んでしまった。
これには、アバドも、ウィーンフィルの面々も、大笑い。
ニコニコしながらの、ほのぼのアンコールとなりました。

ことしも、そんなふうに、とちっても、笑顔で、リベンジできるような、そんな年にしたいと思います。

アバドも変わらずに聴いてきますよ。

あと、神奈川フィルに、ワーグナーに、ディーリアスに、オール英国音楽に、シュトラウスに、退廃世紀末系に、ymちゃんに、ニコラたんに、パトリシアさまに・・・・、あぁ、多過ぎのフェイバリット軍団に、今年も惑わされそうですよ~

年、ことしも、みなさまにとりまして、よき1年となりますように。

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