シューベルト 交響曲第8番「未完成」 アバド指揮
和と洋。
暖色系の明かりのなかに、すてきな仲間たちと過ごしました。
アバド・ファンの皆さまたちと。
暦の上では、もう1年。
中学生のときから43年間、ずっと追いかけてきた、わたくしにとっての兄貴的な存在だった、クラウディオ・アバドが、ちょっとそこまで、旅に出てから、ほぼ1年。
アバドの応援にかけては、日本一。
もしかしたら世界一かもしれないお方に知りあってから、わたくしの、アバド好きも、さらなる幅が広がり、多方面での仲間が増えました。
ありがとう、感謝をこめて、「コングラ」さま。
会場は、サントリーホールの近く。
これまで、マエストロ・アバドは、ウィーン、ベルリン、ヨーロッパ室内管、ルツェルンと、オーケストラをさまざまに変えて、この先にある、サントリー・ホールにやってきてくれました。
そこで飲み語る、このひとときは、集まったメンバー、それぞれの思いでとともに、感慨深いものがございました。
いつまでも、ずっと、ずっと、アバドのことだけを話していたかった、そんなメンバーだし、アバドを愛することにかけては、みんなが、それぞれに世界一のみんなでした。
今宵は、放送音源から、「未完成」を。
シューベルト 交響曲第8番 「未完成」
クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
(2013.8.23 @ルツェルン)
この音源は、BBCが、逝去の報を受けて放送したものを、録音したもので、あくまで個人のみで楽しんでいるものです。
2013年の最後のルツェルンのプログラムはふたつ。
①ブラームス 「悲劇的」序曲
シェーンベルク 「グレの歌」から
ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
②シューベルト 交響曲第8番「未完成」
ブルックナー 交響曲第9番
これらの演奏演目を携えて、その秋に日本訪問予定だった、アバド&ルツェルン。
その半年も経ないうちに、旅だってしまいました。
②のプロは、ヴァントが晩年に、何度もチャレンジした、それぞれの作曲家のラストを飾った未完演目でして、アバドが、こうして取り上げたことに、いろんな意味での符合と、宿命を感じます。
そして、いまは、一方で、わたくしが、心から愛するオーケストラ、神奈川フィルの首席客演指揮者で、親子でウィーンフィルのヴァイオリン奏者だったゲッツェルが、先ごろ、横浜・川崎・相模原で繰り広げた、最高の演奏の、その演目が、「英雄」と「ブル9」。
第1ヴァイオリン奏者として、アバドやクライバーのもとで、演奏していたゲッツェル氏のお姿は、当時の映像を見ると、いくつか確認できます。
そんな彼と、フレンドリーに、肩を抱きながら、お写真を撮っていただいたことも、むちゃくちゃ嬉しい、そんな1月の神奈フィルなんです。
ちょっと、脱線しましたが、アバドが旅立つまえの、最後の演奏の二つは、いずれも、正規に、目と耳で確認できるようになりましたが、「未完成」だけは、まだ公式化されてません。
いずれの機会に、カップリング曲と合わせて、正規化されると思いますが、それまで待てない自分は、この「未完成」を、おりにふれ、聴いているんです。
あくまで、放送から、起こした音源ですから、自分の思い出の一環にのみとどめたいと思いますし、みなさまにおかれましては、いずれ実現する正規音源化をご期待いただきたいと存じます。
ふたつの楽章で、ほぼ28分。
かなり、ゆったりめのテンポをとりました。
とくに1楽章でしょうか。
慎重かつ、ドラマティックな運びは、完全なるロマン派の音楽としての、「未完成」を意識させます。
重々しくなりがちな、ロ短調ですが、重心は、ずっと上の方にあります。
続く2楽章とともに、表情は明るく、そして軽やか。
こんな風に、柔軟でしなやか、そして、全曲わたって、歌が行き届いてます。
ブルックナーにおいて、ほんの、ごく少し、力が抜けて感じたところは、ここでは、清らかとも思えるう「歌」によって補完されてます。
大らかでありながら、深さも充分に持ち合わせた、歌ある「未完成」。
アバドならではの、歌うシューベルト、今宵も、昨日のことなど思い起こしつつ、堪能いたしました。
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