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2015年2月

2015年2月28日 (土)

ラフマニノフ 交響曲第3番 デ・ワールト指揮

Biei

遅い春を待つ、北海道の風景を。

再褐ですが、数年前の5月の美瑛の景色。

札幌から旭川に出張したとき、車で走りました。

そろそろ種を植えて、という時期で、それでも、10度を切る気温で、旭川のこの夜は雪も舞いました。

沖縄から北海道まで、日本列島は大きくて、豊かです。

こんな景色を見ると、どうしても、チャイコフスキーやラフマニノフのロシア・ロマンティシズムを感じさせる音楽を想起してしまいます。

Rachmaninov

   ラフマニノフ 交響曲第3番 イ短調

    エド・デ・ワールト指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

                (1976 @ロッテルダム、デ・ドゥーレン)


歴史の「たられば」は、多く語られることですが、ラフマニノフが、あの交響曲第2番のあと、28年も、次の交響曲を作曲しなかったから、その長きブランクに、もし、どんな交響曲を生んでいたかと思うと・・・・・。

その間、ソ連革命政府のロシアを去ったラフマニノフは、アメリカに渡り、ピアニストとしての活躍が主流となっていたからです。
 同時に、よく言われるように、作品を書き、発表するたびに、評論筋から酷評を受けてしまい、自信を喪失してしまうこともしばし。

 ですが、大丈夫ですよ、ラフマニノフさん。
あなたの音楽は、いま、そのすべてが愛されてます。
時代の変遷のなかで、当時の保守的でメロデイ偏重の音楽は、いまや、普通に好まれる音楽だし、ロシアのいまある歴史なども俯瞰しながら聴くことができる、いまの現代人にとって、望郷の作曲家ラフマニノフは、とても好ましく、親しみ持てる存在となりました。

1936年、アメリカでの演奏活動のかたわら、スイスで過ごす日々も多く、そこでこの交響曲は作曲されました。
3つの楽章からなる、35分くらいの作品。
メランコリックな2楽章のなかに、中間部はスケルツォ的な要素も持ってます。

3つの楽章を通じ、メロディックでありつつ、リズム感豊かな舞踏的な弾むラフマニノフサウンドを満喫できますし、オーケストラの名技性もありです。

2番に飽いたら、3番で、少しアメリカナイズされた望郷の念を堪能しましょう。
さらに、遡って意欲的だけど、死のムードも感じさせるほの暗い1番をどうぞ。

前にも書きましたが、協奏曲のあとに来たラフマニノフの交響曲との出会いは、社会人になってから。

通えるのに、実家を離れての都会暮らしは、新宿3丁目にほど近い、6畳一間の裏寂しいアパート。
家賃は26,000円で、風呂なし、共同便所、居住者は婆さんと、夜のお仕事系。

悲しかったけれど、楽しかった一人暮らし。

そして真冬に出会った、ラフマニノフの2番の交響曲は、ヤン・クレンツ指揮のケルン放送のもので、これは、好事家の語り草にもなっている名演で、いまでもそのカセットテープを大切にしてます。
 プレヴィンとロンドン響のテレビ放送より、ずっと迫真的な思いでとなってます。
そして、間もなく聴いたのが、マゼールとベルリンフィルの3番のライブ放送。
これもまた録音して、何度も何度も聴きましたし、すぐにレコードになり、そちらも、すり減るほどに聴きました。
 ブルー系のクールなラフマニノフ。
それがいまでも刷り込みで、どうしても、あのベルリンフィルのサウンドが耳から離れません。

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でも、いくつも聴いてきました。
暖かいプレヴィン盤、実演も含めた含蓄ある尾高さん。
ウェラー盤は、ロンドンフィルが抜群にうまい。
ナイスな雰囲気の弾むスラトキン盤。
そして、このデ・ワールト盤の若々しさと、丹念なまでに静かな演奏。
 後年のオランダ放送との演奏より、表情がフレッシュで、打楽器やチェレスタも録音のせいか、効果的に聞こえる。
 そう、フィリップスの名録音のひとつで、コンセルトヘボウとともに、ロッテルダムのデ・ドーレンでの録音は、リアルさと、厚み、ぬくもりともに、最高の録音記録だと思います。

今宵も、新宿の一人暮らしの侘び住まいを回顧して、安酒なんぞを、ちびりちびりとやりながら、ラフマニフを聴くのでした。

 もう30年以上が経ちます。
これもまた、人それぞれの、望郷・忘失の思いであります・・・・・・。


過去記事

「交響曲第3番 ジンマン&ボルティモア」

「交響曲第3番 尾高忠明&日本フィル」

「交響曲第3番 ウェラー&ロンドンフィル」

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2015年2月26日 (木)

チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」~マウリツィオのアリア カレーラス

Collete

不届きなやからが、ハートにいたずらの缶を置いちゃってますが、桜木町のコレットマーレのエントランス。

クリスマス・バレンタイン・ホワイトデーと、ハートマークが活躍しますな。

寒い冬も、もうじきおしまい。

 わたくしの、好きなイタリアオペラでも、1,2をあらそう、チレーアの「アドリアーナ・ルクヴルール」から、テノールのアリアをツマミ聴き。

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 チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」から

     マウリツィオのアリア

        「あなたの中に母の優しさと微笑みを」

        「心、疲れて」

        「ロシアの将軍の命令は!」

      マウリツィオ:ホセ・カレーラス

       ジャン・フランコ・マシーニ指揮 NHK交響楽団

                            (1976)


このオペラ大好きで、映像はまだ少ないですが、音源は、そこそこ集めて聴いてます。

プッチーニと同じころのイタリアオペラ界のヴェリスモの潮流に乗りつつも、抒情派として、旋律重視の優しくも儚いオペラを数々残したチレーア。

当時、まださほど知られていなかったチレーアのこのオペラを世界最高のキャストでもって上演したNHKのイタリア・オペラ団。

1976年のこと、わたくしは、高校生ながらに、銀座のどこだかのチケットセンターに並び、このオペラと、「シモン・ボッカネグラ」のチケットをなけなしのお小遣いでゲットしたのでした。
前にも書きましたが、カウンターのチケット売りのおばさまは、「え?ドミンゴはいいの?」と聞いてきたものでした。

そう、このときの、もうひと演目は、ドミンゴが、二役やった「カヴァ・パリ」で、並んだ大方のお客さんは、そちらが狙い。

 そして、巨大なNHKホールの隅々にこだました、カヴァリエのピアニシモと、コソットとの丁々発止の迫真のやりとり。
 彼女たち、存在感ばりばりのお姉さまたちに挟まれ、翻弄される憂国の志士を歌ったカレーラス。

おっきなカバリエに愛を告白するカレーラスは、健気で、その一途さが、男のわたくしにも、とても好ましかったものです。


ほかのふたつのアリアも、さらのあのときの全幕も、youtubeにあるとこがすごいものです。


このアリアの、盛り上がりの途中で、フライング拍手があったのですが、そこは巧みに編集されてました。


マウリツィオ役は、多くのテノールが歌ってますが、わたくしには、カレーラスがいちばん。
デル・モナコは強すぎてヒロイックだし、コレルリは重たい。
ドミンゴは、ワケ知りすぎて面白くないし、ベルゴンツィは、おっさんにすぎる。
ちょっと真面目すぎのカレーラスが、この悩める愛する男にはぴったり。


そして、N響が、こんなに柔らかく、雰囲気豊かなのは、フランコ・マシーニの素晴らしい指揮があってのものでした。

チレーアのオペラは、いくつあるかまだ勉強中ですが、4作ほど揃えて、ちょびちょび聴いてます。
いつか、しっかり記事にできればと思ってます。

 過去記事

 「アドリアーナ・ルクヴルール」NHKイタリアオペラ

 「アドリアーナ・ルクヴルール」 テバルディ、シミオナート、デル・モナコ

 「アルルの女」

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2015年2月21日 (土)

神奈川フィルハーモニー第306回定期演奏会  川瀬賢太郎 指揮

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みなとみらい定期の定点観測。

思えば、この観覧車の原型が、いま立って写真を撮っているクイーンズスクエアの場所に出来たのが横浜博覧会「YES89」のとき。

1989年、その年に、わたくしは、結婚いたしまして、博覧会に遊びにきましたね。
そして、その年は、世界的にもいろんなことがあった。
1月には、昭和天皇が崩御され、平成が始まり、私が初ヨーロッパ旅行から帰ってきたら、消費税が施行されていて、オウムによる事件や凄惨な出来事が発生。
そして、天安門事件、ベルリンの壁崩壊もこの年。

なんか、すごい年だった。

その年、5歳の少年が、いま若きマエストロとなって、わたくしをこのところ楽しませてくれてます。

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  ヒンデミット     ウェーバーの主題による交響的変容

  ウェーバー     クラリネット協奏曲第1番 ヘ短調

           クラリネット:アンドレアス・オッテンザマー

  レオー・ヴァイネル 2つの楽章より 第2曲「Barndance」~アンコール

  チャイコフスキー  交響曲第2番 ハ短調 「小ロシア」

     川瀬 賢太郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                     (2015.2.20 @みなとみらいホール)


先週の音楽堂のリゲティ&ハイドンに次いで、本拠地みなとみらいでの定期も、ご覧のとおり、ユニークなプログラムです。

音源はそれぞれあふれるほど持ってるけれど、いずれの曲も、コンサートで聴くことは、お初でありました。
そして、いずれの曲も、ライブで聴くことの面白さを満喫。

フルオケ大迫力のヒンデミット、マイルドでその息使いまでが聴こえるクラリネットソロ、手に汗握る怒涛のチャイコフスキー。

①この日は、NHKの放送で、カメラが随所に陣取り、いつもと違った雰囲気だし、指揮者もオーケストラも気合の入り方が違う。
 一曲目、ヒンデミットの力強い出だしからして、おっ、今日はよく鳴ってるな、と思いました。

 第1部 アレグロ 「4手のための8つの小品」第4曲
 第2部 トゥーランドット・スケルツォ 劇音楽「トゥーランドット」
 第3部 アンダンティーノ 「4手ピアノのための6つの小品」第2曲
 第4部 「4手のための8つの小品」第7曲

交響曲のような容姿を保ったウェーバー作品をテーマにした自在な作品。
ふだんは気難しい音楽のヒンデミットでも、この曲は、親しみやすく賑やかなものですから、とかく表面的になりがち。
 この日の演奏は、オケをよく鳴らしながらも、濃淡をしっかりつけて、第3部の緩徐楽章的な場面を、とてもしっとりと響かせて、その前後の威勢のいい部分との対比をしっかりと際立たせてくれました。
シニカルなパロディともとれるのも、この作品のまた違った一面。
 ことに、神奈川フィルの誇る、打楽器陣が勢ぞろいして、目にも耳にも楽しめた第2楽章はとりわけ面白かった。
 ソロとアンサンブル、双方が引き立つように巧みに書かれているのも、多彩なヒンデミット
ならではで、各奏者さんを、あっち向いたり、こっちむいたりしながら、きょろきょろ堪能。
 そして、チョーかっこいい第4部は、マーラーをも思わせる行進曲調で、のりのり。
川瀬さん、よく見ると、髪型変わった?
その若い後ろ姿が、縦横無尽に、躍動する姿は、日に日に、頼もしく思えてきました。
曲のジャジャジャじゃん、という終結に、ささやかながらブラボー献上しましたよ。

次いで、ベルリンフィルの首席奏者であります、オッテンザマーさんのウェーバー。
この曲は、まるでさながら、オペラです。
オペラ作曲家ウェーバーの本領を、この日の演奏ほど感じたことはありません。
全曲にわたって、よどみなく、しなやかに響きまくるオッテンザマーさんのクラリネットに、ホールを埋めたすべての聴衆の耳が釘付けになりました。
 おまけに、背が高く、すらっとしたイケメンさん。
困ったもので、完璧すぎて、非のうちどころがありません。
強いていえば、その完璧さが、唯一の不満かしら(笑)

少しシリアスに、情熱的なアリアのような第1楽章で、一気に引き込まれ、仲のいい、お友達という指揮者の川瀬さんの合いの手も素晴らしく、オケは切実な演奏。
 そして、ロマンティックなドイツの深い森から響いてくるような、繊細かつ濃密な第2楽章。
ほんとに素晴らしかった。
「魔弾の射手」のアガーテのアリアみたいだった。
そして、ホルン3本が、あまりに素敵でしたよ。
 オペラの幸せなフィナーレは、明朗快活で、生き生きとした表情が、聴く側をも幸せにしてくれました。

 大きな拍手に応えて、弦楽を従えてのアンコールは、ハンガリアンダンス調の、イケイケ音楽。
いぇーーい♪
鮮やかなエンディングが見事に決まって、ハイタッチをする若者ふたりに、歓声は鳴りやみませんでした。

あとで聞いた話ですが、なんでも、熱っぽくて体調がイマイチだったというオッテンザマーさん。
プロ魂に脱帽です。

大好きチャイコフスキー、と言ってしまおう。
2番は、新旧アバドの演奏が大好きで、抒情と弾むリズム、そして歌がこの作品の身上と思います。

そんな思いに、しっかりと応えてくれました。

冒頭のウクライナ民謡。実加さん、ツヤのあるホルンで危なげなくスタート、そしてズッキーさんのファゴットに橋渡しされ、今の神奈川フィルの若い世代が、このオーケストラの新しい顔になりつつあることを確認。古山さんのオーボエもいつもながら、優しい音色です。

オーケストラにだんだんと力がこもり、盛り上がってゆくさまを俯瞰するのも楽しいし、川瀬さんの踊るような指揮も微笑ましい。
 わたしの好きなヶ所は、弦が克明なまでに刻む第2主題が展開する場面。
ここで、川瀬さんは、思いきり掘り下げるような指揮ぶりでしたが、わたくしの趣味では、もっとテンポをあげた方が好きかも。

緩徐楽章とも呼べないチャーミングな行進曲2楽章は、斉藤さんのクラリネットが素敵なもので、チャイコフスキー独特の節回しも楽しみました。
江川さんの憂愁のフルートもステキすぎ。
しみじみ、いい曲だよなぁ~と思わせてくれましたね。

そして、バレエのひと場面のような3楽章、中間部の木管の活躍も可愛い。
でもって、大爆発のラストは、弦の激しいまでのダウンによる刻みが、見ていて、「チャイコフスキーのばか」って思えるほどに、情け容赦なく過酷。
おおどころで、よく腰を浮かせてジャンプする、石田コンマスも、腰を浮かせる余裕もヒマもない。
ともかく激しい。楽員さんに、心からお疲れさまを申し上げました。
 でも、聴いてる方は、ドキドキしながらも気楽なもんですが、ほんとに手に汗の終楽章でした。
くどいくらいのエンディングに突入前の大見さんのピッコロ最高で、ワクワク大作戦の開始に相応しかった。
あとはもう、怒涛の全力全開全速力で、こっちも首が動いちまう。
 この日、2発目のブラボーをお見舞いしましたぞ!

繰り返します、ベタですが、チャイコフスキー大好き。

若い神奈川フィルの新しい顔ぶれと、以前からお馴染みのベテランのみなさん。
そして、それを率いる若いマエストロ。
いい感じになってきました

次回は、5番だぜ

楽しみで、いまから吐きそう~

Seiryumon

興奮で火照った喉と、気合を込めすぎて空きすぎたお腹を、みんなで満たしました。

お疲れのところ楽員さんにもいらしていただき、いつものように、楽しく、和やかな時間を過ごすことができました。

みなさま、お疲れ様でした。



今回のNHKのテレビ放送は、3月29日のEテレです。

全国のみなさま、神奈川フィルのいまをご確認ください

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2015年2月15日 (日)

神奈川フィルハーモニー音楽堂シリーズ第3回定期演奏会 川瀬賢太郎指揮

Iseyama

コンサートの前に、お邪魔して、咲き始めたばかりの梅を見てきました。

あたりは、ほのかな香りがあふれてましたよ。

メジロさんもいらっしゃいますね。

連日、寒いけれど、地域によっては、まだまだ悪天候が続くと思われますが、日は確実に伸びてきて、ぬくもりも感じるようになってきました。

そんな土曜日の午後、鮮烈な驚きと、暖かな思いと元気をあたえてくれた神奈川フィルのコンサート。
びっくりと、笑いを、生真面目な歌心をはさんで、両端の曲目で味わえました

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    リゲティ    ミステリー・オブ・ザ・マカブル

           ソプラノ:半田 美和子

    ハイドン    チェロ協奏曲第1番 ハ長調

    バッハ     無伴奏チェロ組曲第1番からプレリュード

 

           チェロ:門脇 大樹

     ハイドン    交響曲第60番 ハ長調 「うかつ者」

      川瀬 賢太郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                  (2015.2.14 @神奈川県立音楽堂)


一目、面白いプログラムでしょ。

コンパクトで、客席との距離が近い、音楽堂ならではの演目だし、なんてたって、めったにやらないリゲティと、めったに聴けないハイドンのネイムズシンフォニーのひとつが聴けたんですから。

まず、リゲティ。

Ongakudo

開演前のステージの様子を、ロビーテレビから。

ご覧のとおりの、風変わりな配置。

多彩な打楽器に、チェレスタとピアノ、そして奏者は、弦も管も、みんなひとり。
左端には、マンドリン奏者が座りました。
 さらに、リゲティでは登場しない、バロック・ティンパニも袖にあるところが、この日のコンサートの面白いところ。

リゲティ(1923~2006)の作品では、昨シーズン「アトモスフェール」を聴いたけれど、同じ作曲家でも、ことにリゲティは、作風を時代に応じて変化させた人なので、今回のマカブルは、まったく違う人かと思うほどに、その音楽が異なる。

どちらの作風も「前衛」という言葉でひとくくりにはできないけれど、わたくしのうような後期ロマン派系ばかり好む聴き手には、77年のこの作品は、「前衛」というゲンダイオンガクの典型として聴いてしまいます。
2時間の原作のオペラ「グラン・マカブル」もネットで観劇チャレンジしたけれど、半分で挫折(笑)。
 そのオペラのヒロインとも呼ぶべきソプラノ役のゲポポのアリアをつなぎ合わせて編んだのが、E・ハワースというこのオペラの初演者。
リゲティ作曲、ハワース編の「ミステリー・オブ・ザ・マカブル」は、9分ぐらいの濃密な作品。

編成は先にあげたとおりで、バラエティあふれる楽器に、独語ソプラノ。
楽員は、口でピシュピシュ歌うし、新聞紙をビリリと破くし、1番から順に番号を立って述べる。
さらに、歌手に対し、うるさいと因縁をつけるおっかないコンマスと、若い指揮者(笑)
これもまた音楽で、スコアに書かれてあるという再現行為。
映像で確認できる、ベルリンフィル(ラトル)とエーテボリ響の演奏も、まったく同じ。
 楽員さんも楽器以外で、舞台上で表現行為をするという点でも大変だと思います。
もっとはっきり、思いきり大げさにしてもいいかも、とも思いましたが、そこは日本人だから、こんな感じなのかな。
それにしても、「うるさいんだよ、お○サン!」には参った(笑)
 

そして、素晴らしかったのが半田美和子さん。
歌でありながら、そうでもない、でも、これはオペラアリア。
コロラトゥーラの難所と、明快なシュプレヒティンメを鮮やかにこなし、まったく崩れることのない歌唱は、見事すぎて口がふさがらない。
曖昧にならないクリアーボイスは、きっと、「ルル」なんかにはぴったりかも。
この作品をはじめ、リゲティ、クセナキスなどにお詳しい、この日、新潟から聴きにいらした友人も、彼女の歌を絶賛しておりました。

首席チェロ奏者の門脇さんをソリストに据えた、ハイドンのチェロ協奏曲。
ちょっとの配置換えによるタイムロスはあったものの、リゲティの作品との年代の開きは、おおよそ200年。
なんという、このギャップ。当たり前だけど、こんなにも違うなんて。
ソリスト付きの作品という共通項はありながら、ハ長調の調和の世界は、ほんとうに安らぎます。
 開口一番の、門脇さんの真っすぐなチェロの音色に、耳が釘付けになります。
オーケストラのメンバーが協奏曲のソリストをつとめる場合の和やかさと、ちょっとの緊張感。
それを今回もとても感じました。
 でも、危なげなき、安定の門脇さんの演奏を聴くと、あぁ、なんて素晴らしいんだろう、という思いに満たされました。
マイルドでありながら、たっぷりとした音色は、とても魅力的。
土曜の午後ということで、この曲の第2楽章あたりで、前夜の寝不足がたたるかとも思いましたが、そんなことは杞憂にすぎず、歌心満載のチェロの音色に聴き惚れてしまいました。
川瀬さんの指揮も、メリハリがよく効いて、しっかり門脇さんをサポート。
ブラボーと言いたくなる、鮮やかなフィナーレでした。
 アンコールのバッハも、誠実で伸びやか。素敵でした。

残念だったのは、協奏曲が始まる瞬間、ピロピロ~があったこと。
どうしてこうなるんだろ。

戯曲「うかつ者」につけた付随音楽から編み出された交響曲は、6つの楽章。
まるでベルリオーズやマーラーの先取りみたいな、いびつな形式ではあるけれど、そこは、パパ・ハイドン。
明るく朗らか、深刻さ少なめ、リズミカルで、緩急きっちり、仕掛け満載。
そんな曲でした。
 事前にお勉強を済ませていたので、4楽章での、まるで、そこで終った感には、だまされることがなく、会場も誰も乗らなかった。
90番を同じメンバーで聴いたときは、思わず、拍手しちゃったけれど。。。。。

 入念な練習を経ての演奏でしょうか。
川瀬さんのときに煽り、ときに抑える指揮に、ぴたりと応える神奈川フィル。
意気もあってきて、お互いの手さぐり状態から完全に脱して、指揮者のやりたいことが、素直にオーケストラから出てくる音に反映されるようになりました。
そして、なんたって、音楽がフレッシュで、嫌みはまったくなし。
もっと大胆にやってもいいとも思ったけれど、それ以上は、あざとくなってしまうかな。
でも、失敗を恐れず、ガンガン、思ったとおりのことをやって欲しい、そんな風に、このスリムで若い指揮者の背を見ていて思いました。

 さて、5楽章の憂愁のアダージョと、ファンファーレの対比も見事でしたが、大仕掛けの6楽章。
ヴァイオリンが曲中、調弦をするのですが、いつまでたっても止めない崎谷さんに、隣りの石田アニキが、おらおら攻撃を仕掛けるところ。
さらに、全ヴァイオリン奏者からクレームを受けてしまう、いじられ役となりました(笑)。
 曲が終って、ふたりのコンマスが、顔を合わせて嬉しそうに、でも、ちょっと照れていたのが面白かったです~。

いやはや、今回も、刺激的なプログラムに、大いに楽しませていただきました。

アフターは、遠来の仲間もまじえて、神奈川産の食べ物の数々を肴に乾杯いたしました。

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見た目も美しい、神奈川産の生野菜。

甘い!

来週は、みなとみらいへ移動して、ヒンデミット→ウェーバー→チャイコフスキーであります。

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2015年2月14日 (土)

モーツァルト 「バスティアンとバスティエンヌ」 ハーガー指揮

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LOVEざんす。

バレンタインデーとか、なんとかデーとかから、縁遠くなって久しいけれど。

なんだか、甘酸っぱい青春の記憶や、若いサラリーマン時代の記憶がよみがえる。

子供のときから、チョコ好きだった。

メリーチョコレートの甘い匂いの残る包み紙まで集めていた子供時代。

こんな時期に、ひとり、チョコレートを買うと、恥ずかしさを覚えるオジサンになりました。

愛せよ、若人たち。

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  モーツァルト 歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」 K50

   バスティエンヌ(羊飼いの娘):エデット・マティス

   バスティアン(その恋人):クラウス・アーカン・アーンシュ

   コラ(村の賢者、占い師):ヴァルター・ベリー

  レオポルド・ハーガー指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団

 

                     (1976.2 @ザルツブルク)

いまから250年ほど前。

1767年、モーツァルトが12歳で作曲した、愛らしいオペラ。

交響曲でいうと、8番まで書いていたし、クラヴィーア付きのチェロやヴァイオリンのソナタも複数、ピアノ協奏曲も数曲残していた12歳の神童は、父レオポルドのプロデュースで、ザルツブルクからヨーロッパ各地に遠征をさかんにしておりました。
 こちらは、ウィーン楽旅のおりに書かれたもの。

オペラというよりは、ジングシュピールで、ドイツ語によるコミカルな音楽劇で、同じモーツァルトでも、イタリア語によるブッファやセリアと明確に異なるジャンルとなります。
後年の、後宮や劇場支配人、魔笛などと同じくするもの。

原作は、作曲もなした、かのジャン・ジャック・ルソーの牧歌劇「村の占い師」で、そちらは、1752年で、モーツァルトの生まれる4年前。
そちらをパロディ化した劇の独語訳が、直接のこの作品の原作となります。

序曲と11のアリア、5つの重唱、それらをつなぐ13のレシタティーヴォで成り立ってますが、それぞれの曲は短いので、全曲でも40分。

平易なメロディとシンプルな音楽運びは、実に耳に優しく、深刻さのカケラもないので、気持ちよく楽しめます。
しかし、そこは、さすがのモーツァルト。
若書きながらに、喜怒哀楽の単純な恋愛ドラマに、音楽は人物たちの感情の機微にあわせ、ぴたりと寄り添ってます。
 ことに、ヒロインのバステイェンヌはカワユク描かれてます。
それと、やたらと耳について離れないのは、占い師コラの歌う、怪しげな、おまじないのアリア。
 「デッギー、ダッギー、シュリー、ムリー、ホーレム、ハーレム・・・・・」(笑)
これはどうも、ラテン語由来らしいのですが、その意味はさっぱりで、韻語好きのモーツァルトですから、なにか意味がありそうで、そのあたりを解説されてる方も、調べたらいらっしゃいまして、すごいな、と思いました。
 映画でもありましたが、おふざけ好きのアマデウスくんは、姉とよく、スカ○ロ系の冗談を言い合ったりしてたそうですから、純な天才のやることは、まさに天真爛漫すぎですな。

さて、あともうひとつ、この作品でよく皆さん書かれていること。
そう、たった1分半の序曲ですが、これがベートーヴェンの「英雄」のメロディに激似。
ジャン、ジャンのあとチェロで奏でられるあの勇壮な旋律ですよ。

 簡単なあらすじ

コルシア島のバステァィア地方

 「バスティアンとバスティエンヌは恋人同士だけれども、最近、彼氏のバスティアンが、ほかの娘に心移りしているとして、私を捨ててしまったの・・と嘆いている。
そこにあらわれた占い師コラに悩みを打ち明け、コレは、一度、冷たくしてみたらとアドヴァイス。
 今度は、バスティアンが登場し、コラは、彼女は、わしの魔法で他の男のもとに去ったよ、とおどかす。それは勘弁してくれ、なんとかしてと懇願され、コラや怪しげな呪文を説く。
 そこに、バスティエンヌがやってくるので、バスティアンは、可愛い人よ好き~と言いよるものの、彼女はコラのアドヴァイス通り、わたしは街へ去るのよ、冷たくあしらう。
 しかし、彼は、君なしには生きていけない、水に飛びこまなくちゃいけない・・・と歌い、その言葉に彼の真の愛を見出したバスティエンヌは嬉しくなって、彼のもとへ飛び込む。
 そこに登場のコラは、子供たちよ、ほら、嵐や雨のあとには、こうして仲直りと二人を祝福して、めでたしめでたし・・・・。」

エディット・マティスのチャーミングな歌声は、まさにモーツァルトを歌うためにあるような感じ。素敵です。
それと、ベリーは、こういうのを歌うと、ほんとウマいし、嫌味がまったくない。
アーンシュは、悪くないです。
70~80年代はじめ、この北欧出身のテノールは、バッハやモーツァルト歌いで、そこそこ活躍し、マイスタージンガーのダーヴィット、シュトラウスの「エジプトのヘレナ」のスペシャリストでもありました。

 
今日も、モーツァルトは、幸せな気分にしてくれます。

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2015年2月11日 (水)

マリオ・デル・モナコ ヴェリスモアリア

Tokyotower20150129

真夜中の東京タワー。

先日、アバド会のあと、歩いて帰還。

人っ子ひとりいない寒い街に、このタワーのオレンジの灯は、とても暖かく、心強いのでした。

途中あった、熊野神社から1枚。

Del_monaco

  マリオ・デル・モナコ  ヴェリスモ・オペラから

  ジョルダーノ 「フェドーラ」(56エレーデ)
           「アンドレア・シェニエ」(48,51クワドリ)

  ボイート    「メフィストフェーレ」(58セラフィン)

  ザンドナイ  「ロメオとジュリエット」(56エレーデ)

  カタラーニ  「ワリー」(56エレーデ)

  チレーア   「アドリアーナ・ルクヴルール」(48ネグリア)

  プッチーニ  「蝶々夫人」(56エレーデ)、「西部の娘」(58カプアーナ)
           「トスカ」(抜粋、59プラデッリ、テバルディ)


ヴェルディもいいけど、デル・モナコの魅力は、ヴェリスモ系のオペラにあると思います。

激情的なドラマに、音楽だから、デル・モナコの直情径行的な真っすぐの情熱的な歌唱は、まさにぴたりときます。

「カヴァ・パリ」と、「トゥーランドット」は、別なCDに収録されてますが、こちらは10枚組の激安アンソロジー集からとなります。

1915年生まれ、1982年没。
そう、今年は、デル・モナコの生誕100年なんです。
67歳での心臓発作によるその死も早かったですが、デル・モナコの全盛時代も意外と短くて、それでも、たくさんの録音が残されたのは、デッカレコード専属であったことが大きいですね。

63年に自動車事故に会い、その後は、声も少し後退してしまった。
40年代後半から50年代がそのピークで、62年のカラヤンとの「オテロ」は、確かに素晴らしいものの、声の威力では、54年の旧録音、そして、なんたって、NHKイタリアオペラの来日上演が無敵にすごい。
あの声の威力を維持するのはたいへんなことだったろうけれども、喉を酷使しても、歌に、演技にと全力投球するその姿は、まさにプロ中のプロであったと痛感します。

69年の単身来日では、子供時代の記憶に、N響と共演したリサイタルのテレビ放送が、うっすらとですが残ってます。
オペラに目覚めた中高生は、イタリアオペラは、もうなんでもデル・モナコしかなかった。
ステファーノも好きだったけれど、破滅的なまでの一期一会の感情移入と、聴く側へ没頭感と快感をもたらすのは、デル・モナコをおいて、ほかにいなかった。。。

そして、テノール歌手のありかたは、その後、スタイリッシュで危なげのない、スマート歌唱が主体となりました。
まさに、不世出の大歌手と呼ぶに相応しい、マリオ・デル・モナコさまです。

この1枚の中では、やはり、アンドレア・シェニエが素晴らしい。
祖国を思い、ギンギンに熱くなるシェニエは、わたくしには、このデル・モナコが一番。
そして次に好きなシェニエは、以外にもカレーラスとコレッリだったりします。
 あと、「トスカ」が、デッカの正規全曲盤のものだけに、録音も素晴らしくよくて、デル・モナコの情熱のカヴァラドッシは、新鮮さすら感じるテバルディとともに、ローマの輝かしいオケも含め、とても魅力的でした。

休日の午前、デル・モナコの声に力を与えられ、やたらと元気もいただきました

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2015年2月 8日 (日)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ロジェストヴェンスキー指揮

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しゅわっ~っち!

2月の小便小僧は、ウルトラマン一族から、ウルトラマンジャックさん。

JR東日本のキャンペーン、ウルトラマンスタンプラリーに連動して、このコスプレ。

あいかわらず、今月も、いい仕事してます。

Hamamatsucho201502_b

うしろ姿も、まんま、ウルトラしてる。

わたくしは、ウルトラマン世代だから、こちらのジャックさんは、まったく知りません。

というか、セブンで終ってるかも。

小学生のときに、ウルトラQで、中学で、セブンで、そのあとは、よくわからない。

ウルトラマンよりは、ウルトラセブンの方が、内容も深かったりで今ではとても印象に残ってますね。

浜松町の駅には、これもありますよ。

Jack

ちなみに、スタンプラリーは、なかなか壮大なもので、全64駅。

わたくしは、早々に断念してしまいました。

というわけで、月イチシリーズは、今月はチャイ5。

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 チャイコフスキー  交響曲第5番 ホ短調 op64

   ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮 ロンドン交響楽団

                  (1987.2 @ロンドン、オールセインツ教会)


いま、調べたら、おなじみの、ロジェヴェンさんこと、ロジェストヴェンスキーの正式なお名前は、ゲンナジー・ニカライエヴィチ・ロジュジェストヴェンスキーなんだそうな。
たしかに、ジャケットとか見ると、そう書いてある。
「ジュ」がひとつ入るだけど、とてつもなく、呼びづらい名前になってしまう。

そんなロジュジェヴェンさん、いやめんどうだから、ロジェヴェンさんのチャイコフスキー5番は、複数の録音がありますが、一番の有名どころでは、モスクワ放送響との70年代の録音。
正規盤には、その次に、BBCライブ、こちらのロンドン響があって、そのあと、ソビエト文化省管とのものがあります。

 ロシアのオーケストラ、ことにソ連時代のその響きは、わたくしは、どうにも苦手で、ネタで聴くときはあっても、ふだんはなかなか聴きません。
まるで、ねじ込まれるようなアジる金管、ぶっとい弦の響き、濃い口の木管・・・・・。

そんなイメージに覆われていて、その典型が、モスクワのオケだと思いこんでました。
これからも、あまり聴くことはないと思いますが、たまに、刺激を求めて聴くのもありかな・・・・って感じ。
 でも、いまのロシア系のオケは、西欧化してしまいましたね。
とくに、Gさんのキーロフなんか特に。
これもまた、面白くないという贅沢を言うわたくしですから、ちょっと支離滅裂ですな。

というわけで、わたしの持つ唯一のロジェヴェン・チャイ5は、ロンドン響との録音なのです。
さすがは、曝演大魔王、ロジェヴェンさんですから、ロンドン響から、かなり濃い味の音を引き出してます。
それでも、イギリスのオケだったから、わたくしには、ほどほどに中和されて、ちょうどよく感じるのでした。

思えば、この録音がなされた1987年は、クラウディオ・アバドが、首席指揮者だった年。
その機能性を活かしつつ、明るくしなやかな響きをLSOから引き出したアバド。
その様子と、ここで聴くロジェストヴェンスキーの導き出す音たちは、当然にまったく違っていて、指揮者がオーケストラにもたらすものと、また、ことにLSOというオケの持つフレキシビリティの高さに感心をすることになるのでした。

・演奏の様子

 まさに運命の主題が、ロシアの大地からわきあがってくるような、暗欝な重々しい1楽章の冒頭部。
その後の盛り上がりぶりとの対比も、この指揮者ならではの明確さで、ともかく、棒さばきがとても上手く感じ、微妙なテンポの揺らしも心憎い。

 ゆったりと、そして朗々と、泣きのホルンを聴かせるのは、当時の首席デイヴィット・クリップスでしょうか。
当時のLSOは、綺羅星のような名手が、各セクションにおりました。
オーボエのキャムデン、フルートのロイドなどなど。
彼らの、ブリリアントな名人芸を楽しめるのが、ことに第2楽章。
ロジェヴェンも、思いの丈を、ここでは披歴してまして、かなり感動的です。

 流れのよろしい3楽章は、リズムの按配がとてもよくって、バレエでも踊れちゃいそう。
よくよく聴くと、いろんな隠し味もあるけれど、もっと色っぽくてもよかったかも。

 
 以外に大人しい終楽章の入り。
しかし、ここでも、リズミカルな拍子のよさが際立ち、弾むような主部の展開は、心躍ってくる。あぁ、なんて、乗せ上手なんでしょう、ロジュジェジェジェさん♪
要所要所を、ぐいぐいと責めつつ、面白さがどこにも転がっていて、飽くことなく曲は進みますが、基本は王道の責め。
奇抜なことはやってません。
しかし、コーダの無類のカッコよさにはまいりました。
大見栄をきったトランペットの強奏。
全オケ全力投球。
でもうるさくならないのが、LSOでよかった。
タメも充分、堂々たるエンディングに、日頃の鬱憤も晴れる思いです。

 ロジェストヴェンスキー、ほんとうに、うまいんだから♪




                   
              (Euro Artsより たぶんシュニトケの曲)

今年、84歳になる大巨匠。
この活動歴の長い指揮者は、70年のボリショイオペラとの来日以降、読響との共演も含めて、何度、日本に来てくれたことでしょう。
長い指揮棒に、指揮台に立たずに、楽員と同じ平土間立ち。
世界中のオケとの親密な関係を背景に、広大なレパートリーを誇る、器用さとバランス感覚に秀でた名指揮者であります。

フランスからは、レジオンドヌール勲章、日本から、旭日中綬章。
ストックホルムの名誉会員、そして、英国からCBE勲章。

いつまでも、ご健在であって欲しいですね。
 

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2015年2月 6日 (金)

ウォレス 「天地創造交響曲」 ブラビンズ指揮

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素晴らしく染まった空に、富士山のシルエット。

太陽は、富士の左肩のあたりに沈み、ダイアモンド現象がきっと起きたのですが、間に会いませんでした。

こちらは、東京湾を挟んで、千葉港からの眺め。

直線距離にして、125kmぐらい。

関東のいろんなところから、こうして富士を眺めることができる。

昔、そう、江戸時代とかは、もっとよく見えたのでしょう。

でも、姿は美しい富士山、ずっと静かに、おとなしく佇んでいて欲しい。

Wallace

  ウィリアム・ウォレス(1860~1940)

       「天地創造交響曲」(Creation Symphony)

       マーティン・ブラビンズ指揮 BBCスコテッシュ交響楽団

               (1997.6 @グラスゴー、ヘンリーウッドホール)


まず、ちょっとややこしいところから。

①複数のウォレスさん

「ウィリアム・ウォレス」=「William Walace」という、人物は、著名なところでは、3人います。

・一番有名なのが、13世紀スコットランドの騎士で、熱烈な愛国者だった彼は、時のイングランドの圧政に屈せず、立ちあがり、弱者だったスコットランドを勝利に導くという人物。
メル・ギブソンの映画「ブレイブ・ハート」の不屈の主人公であります。
テレビで放映されたのを見ましたが、面白かった。

・もうひとりは、間にヴィンセントが入る、ウィリアム・ヴィンセント・ウォレス。
1812年、アイルランド南端、ウォーターフォード生まれの作曲家で、膨大なピアノ作品と、ウェーバーの時代を思わせるオペラをたくさん書いた人。
CDもそこそこ出てます。

・そして、もうひとりのウィリアム・ウォレスは、1860年、スコットランドのグラウゴー北西部にあるグリーノックという街に生まれた、これもまた作曲家です。
こちらは、エルガーと同時期の存在で、リストのような交響詩をたくさん書いたり、ロメ・ジュリや、ペレアスのような劇音楽も残した、どちらかといえば、時代的には保守的な作風の方です。

あと、アメリカにも、同名の作曲家がいる様子ですが、いまひとつ分かりません。

 その3人目のウォレスの、タイトルもやたらと壮大な「天地創造」と題する交響曲を聴きます。

②その生涯

先にふれた通り、スコットランド生まれのこの方。
なかなかに、波乱万丈の人生でして、彼の父は、スコットランドの高名な外科医(ジェームズ・ウォレス)で、当然に、医者の息子としての教育を受けました。
エディンバラ大学で医学全般、その後、ウィーンとパリで、眼科学を学びグラスゴー大学へ。帰還する前に、ロンドンで薬学を学ぶ。
このロンドンのロイヤル・アカデミーで、音楽の勉強もしており、このことが、彼を音楽への道を向かわせることになるのですが、きっと、ウィーンやパリで、その時の音楽に触れ、おおいに心動かされたのかもしれません。
 ところが、これが、父との生涯の葛藤を生むことになるのでした。
世によくあるうに、優しい母は、影に日向に、いつもウィリアムの見方となるのです。

医師としてのドクターの称号を得たあと、1888年、28歳にして、ロンドンのロイヤル・アカデミーで、音楽の勉強を始め、同時に、作曲家として身を立てるべく、その活動も開始。
この時に知己を得た、グランヴィル・バントックは、彼より8歳下ですが、産婦人科と外科医の息子という似た境遇もあり、友として親交を深めることとなります。
 そのバントックも、ウォレスと負けじおとらじの人生ぶりで、しかも多彩なことにかけても、同等であります。
ともに、文才もあったため、多数の文筆作品も残していて、ウォレスの方は、自身が大きな影響を受けた、ワーグナーやリストの伝記なども書いております。

バントックの協力も得て、その作品の演奏機会も少しはあったものの、まだまだ作曲家として認めらなったウォレスは、あくまでもどこにも属さない独立の存在。
1895年に知りあった、ヘレン・マクラーレンと、15歳の歳の差がある故か、同時に、収入も少なかったことも加わり、裁判官でもあった彼女の父親からは、結婚の許しを得ることができず、長い婚約期間を経て1905年に結婚(45歳)。

その間に、かなりの交響詩や、オペラ、そして、今回の交響曲なども書き、徐々にその独創性を発揮していきました。
そして第1次大戦の勃発時の頃、ロイヤル・アカデミーの委員会のメンバーとしての地位をようやく得ることとなり、さらに、ロイヤル・フィルハーモニック協会の秘書なども務めるものの、戦火のなか、隊医として、東部戦線に参加することとなります。
眼科医としてつとめあげ、隊長の名誉を得て、1919年に軍医を引退。
その後は、文筆の仕事が多かったようで、調べた限り、音楽作品はあまり書いていないようです。
1940年12月に、ロンドン西部のマームズブリーで、パーキンソン病と気管支炎のため亡くなります。

③その作風

その時代性から、ドイツロマン派~後期ロマン派の影響が大きいです。
ワーグナーとリスト、ことに、交響詩や劇作品を多々残したことから、リストへの思いは強かったはずで、その作品にも、その響きを聴きとることができます。
 時代を考えれば保守的で、リスト、ブルックナーと、マーラーの中間に位置するような音楽と思えばいいかも。
一方で、スコットランドの自然風物を感じさせるという意味で、北欧風の響きも感じます。
若い頃のニールセンや、もっといえば、ロシアのグラズノフとかスクリャービンも。
 さらに、英国音楽特有のノーブルな雰囲気も漂うところが、独特な風潮を呼び覚まします。

 しかし、これら多面的な様相が、独特な個性までに至っていないところが、その地味っぷりをあらわすところでして、瞬間瞬間に、おっ、と思うところはあっても、漫然と音たちが通り過ぎてゆく感があります。
 未知の音楽にチャレンジする際の常套として、何度も何度も繰り返し聴くわけですが・・・。
わたくしには、バントックの方が・・・・。

④「天地創造交響曲」

壮大さ感じるタイトルですが、そうでもないです。
というか、演奏時間47分、4つの楽章を持つ暗から明へという流れを持つ、伝統的ともいえる交響曲の姿をした普通の作品です。
 一方で、交際中であった、愛する女性のことも、この作品に織り込んでいるところが、またなんとも巧みなところ。

・第1楽章 カオス~混沌から生まれる、天と地の創造。
 
旧約の創世記でいうところの、第1章2節ぐらいまで。
 「はじめに神は、天と地を創造された。地はかたちなく、混沌とししていて、闇におおわれ・・・」

 あんまり、言いたくないけれど、件の、作者いまのところ不詳の、ヒロシマ交響曲の冒頭にそっくりな不安と不穏、ミステリアスな雰囲気。
やがて、大きなうねりが活気ある音楽に向かっていきます。
なかなかいいですよ。

・第2楽章 光!
第1章3~8節 「光あれ、すると、光があった。・・・、光を昼と名付け、闇を夜と名付けられた。・・・」

 この楽章は、なかなかによろしい。
英国音楽の流れのなかに、ちゃんと位置してる、自然の息吹きを感じる抒情性があります。
たゆたうような波のような弦楽器。それが、徐々に盛り上がってゆくさまは、極めて感動的。

・第3楽章 陸と海
第1章9~・・・・、9節は、「空の下の水はひとつ所に集まれ、乾いた地があらわれよ・・・」

勇ましく、活気あふれる様相の楽章。いまひとつ、つかめないが、勇ましい。
この楽章と終楽章は、節が293小節(?)で、6日かけて天地を創造した神に基づき、一年の区切りを360日(?)としたことを受けて、愛する女性、マクラーレンの名前を数字にして、360-67=293、ということで、大いに意味づけているのです。
わたくしの英語力がダメなものですから、外盤の解説書にあることの、ほんの少ししか、お伝えできません。

・第4楽章 第1章26節~ 「われわれにかたどって、人を造ろう・・・・男と女を創造された」

アダムとイブを、ウォレスと許嫁になぞらえたかった作者は、愛すべき壮大さだし、可愛い。
輝かしい成功への道のりを辿るかのような盛り上げ方。
ずっと後ですが、アメリカのハンソンの作品っぽい、シンプルだけど、ハリウッド的な感動の盛りあげがあり、気分も高揚しますが、意外とあっけない終了を迎えます。


⑤ハイペリオンの録音

1896年から作曲を開始し、1899年に、ニュー・ブライトンで初演。
バントックの指揮。
しかし、そのあとはさっぱりで、1997年のハイペリオンにおける、こちらの録音まで、演奏されることはなかった(と書いてあります・・・)

こうした曲を果敢に録音できたレーベルや、そうした時代が、いまや懐かしいのですが、それにも増して、M・ブラビンズさんの素晴らしさ。
彼によって、紹介された英国音楽や、後期ロマン派の作品の数々は、はかり知れません。
亡きヒコックスとは、また違うタイプで、硬軟さまざま。
昨秋には、都響のふたつのプログラムで、英国音楽の奥行きの深さを、日本のオケから引き出してくれました。
そして、名古屋フィルの指揮者としても、通常の名曲に加え、味わいあるプログラムを組んでおられます。
 その明快極まりない指揮ぶりによって、よみがえったウォレスの作品は、ほかにもありますので、これからも、聴いてみたいと思っております。

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2015年2月 1日 (日)

ハーティ 「アイリッシュ・シンフォニー」 トムソン指揮

Umezawa

1月の相模湾の夕暮れ。

箱根の山と、真鶴半島。

そして、輝かしい黄金の夕陽。

こんな景色を子供のときから見てました。

海や山に沈む夕焼けの絵をよく書いていたものです。

夕焼け大好き。

そんな景色には、イギリス音楽がお似合いで、そんな嗜好から、ますます英国の音楽にのめり込んでいったという経緯がございます。

Harty_irish

  ハミルトン・ハーティ    「アイリッシュ・シンフォニー」

    ブライデン・トムソン指揮 アルスター管弦楽団

                     (1980.10 @ベルファースト)


ハーティといえば、ヘンデルの「水上の音楽」のフルオーケストラ・バージョンを編みあげた人として高名です。
作曲家として、指揮者として、マルチ的な存在でもあります。

その作品を取り上げるのは、これで、3度目。
もっとも初期に、録音されたハーティ作品が、今日の、「アイリッシュ交響曲」。
その名もズバリの、アイルランド生まれのハーティの、ソウルシンフォニー。

1879年生れ、1941年没。
英国作曲家では、ヴォーン=ウィリアムズやホルストの数年後輩。
そんな世代で、第一次大戦も体験し、第二次終了前に亡くなってます。

北アイルランドのヒルズバラに生まれ、父は、その地の教会のオルガニスト兼音楽教師でした。
10人の子だくさんの家庭でしたが、その父の手ほどきを受け、自身もオルガニストとしてのキャリアを12歳ではじめ、生地の南、ブレイに16歳で赴き、正規オルガニストとして活動をスタートさせ、作曲も始めます。
 そして、20歳の頃には、首都ダブリンで、ピアニスト兼作曲家として、その名も知られるようになったハーティ。

ダブリン音楽祭の作曲コンクールへ寄稿し、作曲家としての頭角を現しはじめ、弦楽四重奏などの大きな作品も残し、賞金も得るようになりました。

1901年、音楽祭は、「伝統的なアイルランド民謡に基づく組曲、ないしは、交響曲」の作曲コンクールを行う旨を発表し、1904年、ハーティは、まさに「アイリッシュ・シンフォニー」を作曲、見事に1位を勝ち取ります。
そのとき、ハーティは、25歳。
成功した大出世作となります。
 ダブリンで行われた、ドヴォルザークの新世界交響曲に刺激されて発想が浮かんだともあります。
アメリカの民謡や黒人霊歌とボヘミアを重ね合わせたドヴォルザークの名作は、1893年ですから、ハーティのこの作品の10年前となります。

4つの楽章からなり、それぞれの楽章に、ひとつ、ないしは、ふたつのアイルランド民謡が巧みに使われていて、その楽章には、アイルランドにちなんだタイトルが付されております。

 第1楽章 「ネイ湖畔にて(Neagh)」

 第2楽章 「定期市の日」

 第3楽章 「アントリム丘にて」

 第4楽章 「7月12日」


ベルファーストの西側にある、大きな湖、ネイ湖。
ホルンのかっこいい咆哮により始まる第1楽章は、そのあと「Avenging and Bright」という民謡があらわれ、ついで、ふたつめ「The Croppy Boy」という、ちょっとノスタルジックな雰囲気の民謡も出てきて、このふたつの硬軟の取り合わせで、曲は進行します。
 最後の方に出てくる、フィドルを思わせる独奏ヴァイオリンとフルートやオーボエとのからみは、「「The Croppy Boy」で、このメロディアスな雰囲気はとても素晴らしいです。

楽しい、わくわく感満載の第2楽章。
誰もが聴いたことある「The Girl I Left Behind」が異なる調で、同時進行し、なかなかの効果をあげておりまして、ハーティの腕の冴えを感じさせます。

長いオーボエによるソロは、まさに新世界交響曲を思わせる、懐かしい雰囲気が満載の第3楽章。
「Jimin' Mo Mhile Stor」というアイルランドの古謡がメインで、この曲はyoutubeなどで聴くことができますが、極めてステキです。
そして、英国系音楽を愛する者たちにとって、この楽章は、この交響曲の白眉とも呼ぶべきノスタルジーに溢れた名品なのです。
レント・マ・ノン・トロッポの速度表示を持つ、ゆったりとした流れの中に、美しい自然の風景を垣間見させてくれるようですし、郷愁に満ちたこの雰囲気は、日本人のわれわれにも、とても親しいものであります。
 アントリムは、ネイ湖の北東部にある街で、広大な湖を望むようにして、丘陵地帯が広がっているようです。
このCDジャケットは、そのアントリムから見たネイ湖の神秘的な姿です。

7月12日という日は、1690年のその日、イングランド・オランダ連合軍とアイルランド軍との戦いが行われた、「ボイン(Boyne)川の闘い」を象徴する日です。
活気にあふれたこの楽章は、「Boyne Water」という民謡を中心に進行しますが、後半に、は、3楽章の「Jimin' Mo Mhile Stor」が改めて登場します。
 そして、最後のコーダでも、ホルンが、このメロディーを神々しく奏して、感動を呼び醒ますのでありました。

親しみやすいメロディ満載の、聴きやすい音楽です。
スコットランド出身のブライデン・トムソンと、地元オケ、アルスター管の名コンビによる名演のひとつは、キレもよく、旋律の歌わせ方も、心のこもった熱いものです。
いまは、入手難かもしれませんが、ナクソスからも出てますので、是非。

悲しい出来事がありました。
日本も、きな臭い世界のなかで、どう舵取りをしていくべきなのか。
しかし、命は尊く、なにごとにも替えがたい。
かつて、北アイルランドも、大きな紛争のなかにありました。
 なにも考えることなく、この曲を選択しましたが、今朝は、「アイリッシュ・シンフォニー」の3楽章がとても沁みました。
 人間の英知を信じたい。

ハーティ 過去記事

 「ヴァイオリン協奏曲/ピアノ協奏曲」 

 「ロンドンデリー・エアほか 管弦楽曲集」

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