ラフマニノフ 交響曲第3番 デ・ワールト指揮
遅い春を待つ、北海道の風景を。
再褐ですが、数年前の5月の美瑛の景色。
札幌から旭川に出張したとき、車で走りました。
そろそろ種を植えて、という時期で、それでも、10度を切る気温で、旭川のこの夜は雪も舞いました。
沖縄から北海道まで、日本列島は大きくて、豊かです。
こんな景色を見ると、どうしても、チャイコフスキーやラフマニノフのロシア・ロマンティシズムを感じさせる音楽を想起してしまいます。
ラフマニノフ 交響曲第3番 イ短調
エド・デ・ワールト指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団
(1976 @ロッテルダム、デ・ドゥーレン)
歴史の「たられば」は、多く語られることですが、ラフマニノフが、あの交響曲第2番のあと、28年も、次の交響曲を作曲しなかったから、その長きブランクに、もし、どんな交響曲を生んでいたかと思うと・・・・・。
その間、ソ連革命政府のロシアを去ったラフマニノフは、アメリカに渡り、ピアニストとしての活躍が主流となっていたからです。
同時に、よく言われるように、作品を書き、発表するたびに、評論筋から酷評を受けてしまい、自信を喪失してしまうこともしばし。
ですが、大丈夫ですよ、ラフマニノフさん。
あなたの音楽は、いま、そのすべてが愛されてます。
時代の変遷のなかで、当時の保守的でメロデイ偏重の音楽は、いまや、普通に好まれる音楽だし、ロシアのいまある歴史なども俯瞰しながら聴くことができる、いまの現代人にとって、望郷の作曲家ラフマニノフは、とても好ましく、親しみ持てる存在となりました。
1936年、アメリカでの演奏活動のかたわら、スイスで過ごす日々も多く、そこでこの交響曲は作曲されました。
3つの楽章からなる、35分くらいの作品。
メランコリックな2楽章のなかに、中間部はスケルツォ的な要素も持ってます。
3つの楽章を通じ、メロディックでありつつ、リズム感豊かな舞踏的な弾むラフマニノフサウンドを満喫できますし、オーケストラの名技性もありです。
2番に飽いたら、3番で、少しアメリカナイズされた望郷の念を堪能しましょう。
さらに、遡って意欲的だけど、死のムードも感じさせるほの暗い1番をどうぞ。
前にも書きましたが、協奏曲のあとに来たラフマニノフの交響曲との出会いは、社会人になってから。
通えるのに、実家を離れての都会暮らしは、新宿3丁目にほど近い、6畳一間の裏寂しいアパート。
家賃は26,000円で、風呂なし、共同便所、居住者は婆さんと、夜のお仕事系。
悲しかったけれど、楽しかった一人暮らし。
そして真冬に出会った、ラフマニノフの2番の交響曲は、ヤン・クレンツ指揮のケルン放送のもので、これは、好事家の語り草にもなっている名演で、いまでもそのカセットテープを大切にしてます。
プレヴィンとロンドン響のテレビ放送より、ずっと迫真的な思いでとなってます。
そして、間もなく聴いたのが、マゼールとベルリンフィルの3番のライブ放送。
これもまた録音して、何度も何度も聴きましたし、すぐにレコードになり、そちらも、すり減るほどに聴きました。
ブルー系のクールなラフマニノフ。
それがいまでも刷り込みで、どうしても、あのベルリンフィルのサウンドが耳から離れません。
でも、いくつも聴いてきました。
暖かいプレヴィン盤、実演も含めた含蓄ある尾高さん。
ウェラー盤は、ロンドンフィルが抜群にうまい。
ナイスな雰囲気の弾むスラトキン盤。
そして、このデ・ワールト盤の若々しさと、丹念なまでに静かな演奏。
後年のオランダ放送との演奏より、表情がフレッシュで、打楽器やチェレスタも録音のせいか、効果的に聞こえる。
そう、フィリップスの名録音のひとつで、コンセルトヘボウとともに、ロッテルダムのデ・ドーレンでの録音は、リアルさと、厚み、ぬくもりともに、最高の録音記録だと思います。
今宵も、新宿の一人暮らしの侘び住まいを回顧して、安酒なんぞを、ちびりちびりとやりながら、ラフマニフを聴くのでした。
もう30年以上が経ちます。
これもまた、人それぞれの、望郷・忘失の思いであります・・・・・・。
過去記事
「交響曲第3番 ジンマン&ボルティモア」
「交響曲第3番 尾高忠明&日本フィル」
「交響曲第3番 ウェラー&ロンドンフィル」
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