ウォレス 「天地創造交響曲」 ブラビンズ指揮
素晴らしく染まった空に、富士山のシルエット。
太陽は、富士の左肩のあたりに沈み、ダイアモンド現象がきっと起きたのですが、間に会いませんでした。
こちらは、東京湾を挟んで、千葉港からの眺め。
直線距離にして、125kmぐらい。
関東のいろんなところから、こうして富士を眺めることができる。
昔、そう、江戸時代とかは、もっとよく見えたのでしょう。
でも、姿は美しい富士山、ずっと静かに、おとなしく佇んでいて欲しい。
ウィリアム・ウォレス(1860~1940)
「天地創造交響曲」(Creation Symphony)
マーティン・ブラビンズ指揮 BBCスコテッシュ交響楽団
(1997.6 @グラスゴー、ヘンリーウッドホール)
まず、ちょっとややこしいところから。
①複数のウォレスさん
「ウィリアム・ウォレス」=「William Walace」という、人物は、著名なところでは、3人います。
・一番有名なのが、13世紀スコットランドの騎士で、熱烈な愛国者だった彼は、時のイングランドの圧政に屈せず、立ちあがり、弱者だったスコットランドを勝利に導くという人物。
メル・ギブソンの映画「ブレイブ・ハート」の不屈の主人公であります。
テレビで放映されたのを見ましたが、面白かった。
・もうひとりは、間にヴィンセントが入る、ウィリアム・ヴィンセント・ウォレス。
1812年、アイルランド南端、ウォーターフォード生まれの作曲家で、膨大なピアノ作品と、ウェーバーの時代を思わせるオペラをたくさん書いた人。
CDもそこそこ出てます。
・そして、もうひとりのウィリアム・ウォレスは、1860年、スコットランドのグラウゴー北西部にあるグリーノックという街に生まれた、これもまた作曲家です。
こちらは、エルガーと同時期の存在で、リストのような交響詩をたくさん書いたり、ロメ・ジュリや、ペレアスのような劇音楽も残した、どちらかといえば、時代的には保守的な作風の方です。
あと、アメリカにも、同名の作曲家がいる様子ですが、いまひとつ分かりません。
その3人目のウォレスの、タイトルもやたらと壮大な「天地創造」と題する交響曲を聴きます。
②その生涯
先にふれた通り、スコットランド生まれのこの方。
なかなかに、波乱万丈の人生でして、彼の父は、スコットランドの高名な外科医(ジェームズ・ウォレス)で、当然に、医者の息子としての教育を受けました。
エディンバラ大学で医学全般、その後、ウィーンとパリで、眼科学を学びグラスゴー大学へ。帰還する前に、ロンドンで薬学を学ぶ。
このロンドンのロイヤル・アカデミーで、音楽の勉強もしており、このことが、彼を音楽への道を向かわせることになるのですが、きっと、ウィーンやパリで、その時の音楽に触れ、おおいに心動かされたのかもしれません。
ところが、これが、父との生涯の葛藤を生むことになるのでした。
世によくあるうに、優しい母は、影に日向に、いつもウィリアムの見方となるのです。
医師としてのドクターの称号を得たあと、1888年、28歳にして、ロンドンのロイヤル・アカデミーで、音楽の勉強を始め、同時に、作曲家として身を立てるべく、その活動も開始。
この時に知己を得た、グランヴィル・バントックは、彼より8歳下ですが、産婦人科と外科医の息子という似た境遇もあり、友として親交を深めることとなります。
そのバントックも、ウォレスと負けじおとらじの人生ぶりで、しかも多彩なことにかけても、同等であります。
ともに、文才もあったため、多数の文筆作品も残していて、ウォレスの方は、自身が大きな影響を受けた、ワーグナーやリストの伝記なども書いております。
バントックの協力も得て、その作品の演奏機会も少しはあったものの、まだまだ作曲家として認めらなったウォレスは、あくまでもどこにも属さない独立の存在。
1895年に知りあった、ヘレン・マクラーレンと、15歳の歳の差がある故か、同時に、収入も少なかったことも加わり、裁判官でもあった彼女の父親からは、結婚の許しを得ることができず、長い婚約期間を経て1905年に結婚(45歳)。
その間に、かなりの交響詩や、オペラ、そして、今回の交響曲なども書き、徐々にその独創性を発揮していきました。
そして第1次大戦の勃発時の頃、ロイヤル・アカデミーの委員会のメンバーとしての地位をようやく得ることとなり、さらに、ロイヤル・フィルハーモニック協会の秘書なども務めるものの、戦火のなか、隊医として、東部戦線に参加することとなります。
眼科医としてつとめあげ、隊長の名誉を得て、1919年に軍医を引退。
その後は、文筆の仕事が多かったようで、調べた限り、音楽作品はあまり書いていないようです。
1940年12月に、ロンドン西部のマームズブリーで、パーキンソン病と気管支炎のため亡くなります。
③その作風
その時代性から、ドイツロマン派~後期ロマン派の影響が大きいです。
ワーグナーとリスト、ことに、交響詩や劇作品を多々残したことから、リストへの思いは強かったはずで、その作品にも、その響きを聴きとることができます。
時代を考えれば保守的で、リスト、ブルックナーと、マーラーの中間に位置するような音楽と思えばいいかも。
一方で、スコットランドの自然風物を感じさせるという意味で、北欧風の響きも感じます。
若い頃のニールセンや、もっといえば、ロシアのグラズノフとかスクリャービンも。
さらに、英国音楽特有のノーブルな雰囲気も漂うところが、独特な風潮を呼び覚まします。
しかし、これら多面的な様相が、独特な個性までに至っていないところが、その地味っぷりをあらわすところでして、瞬間瞬間に、おっ、と思うところはあっても、漫然と音たちが通り過ぎてゆく感があります。
未知の音楽にチャレンジする際の常套として、何度も何度も繰り返し聴くわけですが・・・。
わたくしには、バントックの方が・・・・。
④「天地創造交響曲」
壮大さ感じるタイトルですが、そうでもないです。
というか、演奏時間47分、4つの楽章を持つ暗から明へという流れを持つ、伝統的ともいえる交響曲の姿をした普通の作品です。
一方で、交際中であった、愛する女性のことも、この作品に織り込んでいるところが、またなんとも巧みなところ。
・第1楽章 カオス~混沌から生まれる、天と地の創造。
旧約の創世記でいうところの、第1章2節ぐらいまで。
「はじめに神は、天と地を創造された。地はかたちなく、混沌とししていて、闇におおわれ・・・」
あんまり、言いたくないけれど、件の、作者いまのところ不詳の、ヒロシマ交響曲の冒頭にそっくりな不安と不穏、ミステリアスな雰囲気。
やがて、大きなうねりが活気ある音楽に向かっていきます。
なかなかいいですよ。
・第2楽章 光!
第1章3~8節 「光あれ、すると、光があった。・・・、光を昼と名付け、闇を夜と名付けられた。・・・」
この楽章は、なかなかによろしい。
英国音楽の流れのなかに、ちゃんと位置してる、自然の息吹きを感じる抒情性があります。
たゆたうような波のような弦楽器。それが、徐々に盛り上がってゆくさまは、極めて感動的。
・第3楽章 陸と海
第1章9~・・・・、9節は、「空の下の水はひとつ所に集まれ、乾いた地があらわれよ・・・」
勇ましく、活気あふれる様相の楽章。いまひとつ、つかめないが、勇ましい。
この楽章と終楽章は、節が293小節(?)で、6日かけて天地を創造した神に基づき、一年の区切りを360日(?)としたことを受けて、愛する女性、マクラーレンの名前を数字にして、360-67=293、ということで、大いに意味づけているのです。
わたくしの英語力がダメなものですから、外盤の解説書にあることの、ほんの少ししか、お伝えできません。
・第4楽章 第1章26節~ 「われわれにかたどって、人を造ろう・・・・男と女を創造された」
アダムとイブを、ウォレスと許嫁になぞらえたかった作者は、愛すべき壮大さだし、可愛い。
輝かしい成功への道のりを辿るかのような盛り上げ方。
ずっと後ですが、アメリカのハンソンの作品っぽい、シンプルだけど、ハリウッド的な感動の盛りあげがあり、気分も高揚しますが、意外とあっけない終了を迎えます。
⑤ハイペリオンの録音
1896年から作曲を開始し、1899年に、ニュー・ブライトンで初演。
バントックの指揮。
しかし、そのあとはさっぱりで、1997年のハイペリオンにおける、こちらの録音まで、演奏されることはなかった(と書いてあります・・・)
こうした曲を果敢に録音できたレーベルや、そうした時代が、いまや懐かしいのですが、それにも増して、M・ブラビンズさんの素晴らしさ。
彼によって、紹介された英国音楽や、後期ロマン派の作品の数々は、はかり知れません。
亡きヒコックスとは、また違うタイプで、硬軟さまざま。
昨秋には、都響のふたつのプログラムで、英国音楽の奥行きの深さを、日本のオケから引き出してくれました。
そして、名古屋フィルの指揮者としても、通常の名曲に加え、味わいあるプログラムを組んでおられます。
その明快極まりない指揮ぶりによって、よみがえったウォレスの作品は、ほかにもありますので、これからも、聴いてみたいと思っております。
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