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2015年4月

2015年4月30日 (木)

レスピーギ 劇的交響曲 ナザレス指揮

Tokyo_tower_a

まいど、こちらでは、おなじみ東京タワーです。

そろそろ夏の白のライトアップ仕様に変更の季節です。

5月連休も始まるし、ほんと、月日の流れるのは早い。

この前、お正月だったのにね・・・

 先日の、「ローマ三部作」以来、脳内は、噴水松祭りとなっておりまして、ことあるごとに、それらのフレーズが鳴り渡っております。

その流れでもって、レスピーギのほかの作品も聴きましょう。

Respigi_sinfonica

  レスピーギ   劇的交響曲~Sinfonia Drammatica

    ダニエル・ナザレス指揮 スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1986.2@ヴラティスラヴァ)


1.レスピーギ

オットリーノ・レスピーギ(1879~1936)は、ローマ三部作や、リュート組曲ばかりが突出して有名ですが、交響曲から、室内楽、器楽、オペラ、声楽まで、あらゆるジャンルに広範にその作品を残した多作家です。

作曲以外にも、音楽学者・教育者としても実績があり、指揮者であり、奏者としても、ピアノ・ヴァイオリンの名手であり、音楽の分野すべてにその情熱を注いだ才人でした。

ボローニャに生まれ、音楽教師の父から、ピアノとヴァイオリンを学び、音楽の道を進む。
地元の音楽院で、本格的に楽器や作曲を習得し、当初は、ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタートさせ、ペテルブルグでは、R=コルサコフに出会って、大きな影響を受けたりもしている。
 1900年以降(21歳)からは、活動の主力を作曲に移し、1913年には、聖チェチーリア音楽院に職を得て、ローマに移住し、教鞭とともに作曲活動に従じることとなります。
 1919年(40歳)には、作曲の師弟で、歌手でもあったエルザ(1894~1996)と年の差の恋を経て、結婚。
エルザは、レスピーギを献身的に支え、自身の作曲活動は押さえ、主人の作曲した歌曲や声楽作品の演奏や、編曲、そして、没後も、未完のオペラの補筆完成、伝記の執筆、レスピーギ財団の設立など、多くの偉業を残し、102歳で亡くなってます。
 96年のことですから、まだ少し前ですね。
彼女の存在は、レスピーギにどれだけ、力を与えたか、はかり知れません。
彼女自身の作品も、そこそこ残っておりまして、オペラ作品もあるみたいです!

そんな献身的な愛を背景に、多くの作品をローマを拠点に残したわけです。
あと、レスピーギを語るうえで、忘れてはならないのは、トスカニーニの存在です。
「松」と「祭」の初演者であり、いまにいたるまで、その残された録音は名盤として輝いてますが、トスカニーニは、「松」の初演の大成功を自身が独占したかのようにふるまって、レスピーギの不興を買ったりもしてます。
 それと、方や自由の国アメリカで、その活動を謳歌したトスカニーニですが、ローマで、音楽の最高学府の院長も務め、ローマを愛したレスピーギは、ときに台頭したイタリアン・ファシズム、ムッソリーニとも折り合いをつけなくてはなりませんでした。
ローマの栄光の回帰を謳ったムッソリーニに共感も覚えたことは確かでしょうね。
 しかし、幸いなことに、といったらなんですが、戦争が激化する前、1936年に、レスピーギは、心臓の疾患で亡くなることとなりました。
 ひとまわり世代が上の、アルプスの向こう側にいたR・シュトラウスとナチスとの関係も、心の中では従っていなかったという点においても、どこか共通していると思います。

2.シンフォニア・ドラマティカ

1913~14年(34歳)の意欲作。
大規模な声楽作品や、オペラも3つ書いていて、その作曲の腕は、ほぼ完成の域に達していました。
15年には、「ローマの噴水」が待ち受けてます。

全曲で1時間。しかも3つの楽章。
 そう、先達のフランクの影響もあるのでしょう、同じ3つの楽章で、循環形式を思わせ、3楽章では、前の楽章の旋律が諸所回顧されます。

しかし、長いです。
1楽章:23分 2楽章:17分 3楽章:18分

多くの構想を経ての作曲だったらしく、しかも、全体は、シリアスなムードに覆われてます。

なかでも、長大な1楽章は、全編深刻。
フランクのような重々しい序奏部があり、その後の展開は、マーラーのような深刻・激情・憂愁、といった感じのなかに、明るさも垣間見られるものです。
しかも、その多彩な響きは、R・シュトラウスです。
 その音楽を聴いて、誰に似てるとか、・・っぽいとか言うのは簡単ですが、実は、年代の考察と、地理的環境を鑑み、それこそが、彼らの音楽の影響のし具合を推し量るものなのです。

第2楽章は、抒情の極み。
全編、メランコリックなまでに、いじらしい旋律が支配する。
それは、R・シュトラウスも感じさせつつ、でも濃厚さはなく、すっきり系のこだわりの少ないR=コルサコフって感じ。
そのオーケストレーションや、響きが、ちょっとロシアン後期ロマン派です。
そう、聴きようによっては、スクリャービンも顔を出します。
 ともかく、美しい音楽で、核心的な深みはなくとも、その磨き抜かれた美音は快感なのです。

第3楽章は、これまでの最終結として、すべての要素、作曲家の影が、ちらつき、オーケストレーションにおいても、明晰・明快の限りを尽くし、巧みの筆致に近づきつつあります。
この楽章は、まさに「劇的」で、3管編成、ホルン6、打楽器4、オルガンといった大編成オケが炸裂します。

正直、イマイチ感はありますが、レスピーギを知るうえで、この交響作品も必聴の音楽のひとつだと思います。

このCDは、インド出身の、ダニエル・ナザレスとスロヴァキアのオケという、多国籍演奏ですが、なかなかにウマイものです。
ほんとは、シャンドスのダウンズ&BBCフィルの方が、バリッとしてそうですが・・
でも、こちらの演奏の、ヨーロピアンな雰囲気とやるせない終末感、世紀末感は、とても気にいってます。
 ナザレスさんは、70年代後半からウィーンを中心に活躍した指揮者で、メータっぽい芸風で、確か、N響にも来たはずです。
知的な中に、没頭的なスタイルを有し、爆演もときに披歴する面白い指揮者だったと記憶してます。
FMの海外ライブでよく聴きました。
昨年、早世してしまったそうです。

レスピーギの特集、ほかの作曲家もランダムに挟みながら、いくつかやろうと思ってます。

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2015年4月26日 (日)

神奈川フィルハーモニー第308回定期演奏会  川瀬賢太郎指揮

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今年は、横浜公園のチューリップをまだ見にいってませんでした。

みなとみらいでのコンサートを前に、ちょっと足をのばして、ベイスターズ開催試合で賑わうハマスタに気を取られつつ、最後のチューリップの見ごろを収めてきましたよ。

Yokohama_park_f

とりどりの鮮やかなチューリップたち。

これから聴く、華やかな音楽たちへの期待が、いやでも高まりますnote

レスピーギの音楽は、ともかく艶やかで、音の輝きにあふれていて、いろんな側面が、抜群のオーケストレーションとともに楽しめます。

そして、まったく、爽快極まりない演奏に、この日、「ハマは、ローマになりましたsign03

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      レスピーギ   交響詩「ローマの噴水」

                 交響詩「ローマの松」

                                  交響詩「ローマの祭」

             マスカーニ   歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
                               (アンコール)


     川瀬 賢太郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                      (2015.4.25 @みなとみらいホール)


ローマ三部作を、一度に聴ける。

CD1枚分の演目で、時間的には、短めだけど、アンコールも入って、文字通り、イタリア尽くしのコンサートを思い切り楽しみ、そして、思いきり熱い拍手を送りました!

それにしても、神奈川フィル向きのこれらの曲。
以前に、神奈川フィルで聴きたい曲を、リストアップしたことがあります。
4年前に書いた、その聴きたい曲ランキング(→)ですが、10曲中、もう6曲も、実現してきております。
ほんとに、うれしい。
神奈川フィルに対する自分のイメージが、ひとつひとつ結実していくことも、応援の醍醐味です。

さて、前置き長いですね。

 3曲を、作曲順に、噴水(1916)→松(1924)→祭(1928)。
こうして聴くことで、レスピーギの筆致が円熟してゆくこともわかるし、より、芸術的なエンターテイメント性を高めて行くこともわかります。
 あらゆるジャンルに、まんべんなく、多くの作品を残したレスピーギですが、イタリアのR・シュトラウスと呼んでもいい。
56歳という、ちょっと短めの生涯に、後半は、オペラに心血を注いだ点でも、シュトラウスに近い。
さらに、古典主義への回帰と、当時イタリア・オペラ界における主流、ヴェリスモからの脱流という点でも。

こうして、パイプオルガンのあるホールで聴くと、3曲ともに、オルガンがいかに効果的に使われているかがよくわかりました。
なによりも、お家では楽しめない大音量と繊細なピアニシモを、誰はばかることなく楽しめるのもライブならでは。

・「ローマの噴水」

静かな朝から、ローマは始まりました。
1曲目から、神奈川フィルは精緻の限りをつくし、音の透明感が大切なこの曲の本質をしっかりとらえて聴かせてくれました。
 そして、ぞくぞくするクレッシェンドを、川瀬さんは、巧みに導きだし、「昼のトレヴィの噴水」では、この曲に、こんなに胸が高まるのは初めてというくらいに、ドキドキしましたね。
キラキラした眩い音のシャワーを、思いきり浴びた感じ。
 チェロトップの門脇さんのソロも艶やかで、斎藤さんのクラリネットも深みがありました。
夕暮れの、しじまが降りたつとき、思いきり、息をひそめて、神奈川フィルの美音に集中しました。
 が、前のご年配の紳士が、こともあろうに、飴ちゃん攻撃を。
おいおい、やめてよ。。。。すかさず、お隣の方が制止をして、大事には至りませんでしたが・・・・。

・「ローマの松」

静かな宵闇から、いきなり、真っ昼間!
湧き立つ音たち、華やぐ子供たちの賑やかな声、そして声。
今日も、譜面台から、ちょこんと頭をのぞかせたホルンの実加ちゃん、先輩・同僚たちに囲まれて、若々しい弾むホルンを聴かせてましたよ。
 うごめく低弦、金管の分厚い咆哮が聴けた「カタコンブ」
 ついでm斎藤さんの抑えたクラリネットが素敵で、小山さんのオーボエも可愛いし、首席交代した山本さんの繊細なチェロ、涼やかなピアノ、そして舞台袖で吹くトランペット氏、完璧で聴き惚れました。
この、「ジャニコロ」の幻想感あふれるシーンなど、静かで、抒情的な音楽の素晴らしさも、レスピーギの本領。
ナイチンゲールの鳴き声は、ホール左右の上から、降り注いできまして、ステレオ効果も満点で、さながら夜の帳も降りた桃源郷に、ひとり佇み、思索する想いでした。

 川瀬さんは、一音一音、とても丁寧に扱っていて、フォルテや激情場面との鮮やかな対比が実に見事です。
そして、それに応える神奈フィルの各奏者たちの、ソロも次々に決まりまくり、この「松」は、乗りまくりの、完璧なる激演となりました。
 爆発的な大団円では、平尾さんの渾身のシンバルに、神戸さんの、ティンパニの思い切りの乱れ打ち。
左右客席上方から、トランペット、オルガン脇でトロンボーンも加わり、ビジュアル的にも大壮観。
川瀬&神奈フィルの繰り出す音の洪水と荘厳な大伽藍は、ホールの聴衆を熱い興奮でもってステージと一体化して、言葉に尽くせぬ大エンディングとなりました。
ホールが、地鳴りするほどに、音で埋め尽くされ、わたくしは、もう、眼前のまばゆいばかりの出来ごとに、拍手も忘れて、ぽかーんとしてました。

 そしたら、真後ろから、超盛大なブラボーさんが登場。
この方、やたらと声がいいんだ(笑)
このオジサンにもブラボーだ。

・「ローマの祭」

ローマは、祭の季節。
わたくしは、3部作のなかで、「祭」が一番大好きだ、ワッショイ!

ホール正面、オルガンの左右に陣取ったトランペット舞台と、オーケストラの大咆哮で、にぎにぎしくも始まりまして、われわれ聴衆は、即座にテンションあがります。
ローマ時代を思わせる古風な和声に基づく弦にからみつく、金管たちの雄叫び。
このあたりを、音を濁らせることなく、明快に処理してまして、オケの力量とともに、川瀬さんの耳の良さもあるはず。
 淡々した祈り、イングリッシュホルンとヴィオラの客演のソリストも素敵。
祭のなかの、ひとときの静けさ。
そんな中でも、音の高まりを見せるレスピーギの筆の冴えは、ほんと大したものです。

 次いで時代は、ルネサンス期にいたり、この曲で一番うっとりとしてしまう、素敵な弦によるセレナーデが、神奈フィルの美しいストリングスで味わえる喜び。
 もう、わたくしは、ほわーーっとなってしまって、とろけそうでしたよ。
マンドリンの登場で、ホールの空気は、暖かな春の宵のように(実際は収穫祭の喜びですが・・・)。
マーラー以来、お馴染みのマンドリンは、その第一人者の青山忠さん。
味のあるマンドリンは、さすがの一言に尽きます!
石田さん、山本さんの、フルートの江川さんのソロも、そこに華を添えました。

 そして、いよいよ、三部作の大団円は、キリストの誕生を祝う、「主顕祭」で、巨大な大ピークを迎えることになりました。

さあさあ、寄ってらっしゃい、酔ってらっしゃい。
音のエネルギーは、高まるばかり。
 難曲揃いのこのコンサートの最後にあって、指揮者もオーケストラも、熱の入れようはハンパない。
すっとんきょうな踊りや、サーカスワルツ、おどけたトロンボーン。
川瀬さん、お尻ふりふり、楽しそうだし、ときおり、跳躍も!

 ここでも、その音楽の狂乱ぶりと興奮は、聴衆に熱く伝わり、息つく間もない音楽の展開に、そして、思いもしない川瀬さんの仕掛けた大アッチェランドに、ステージのみなさんとともに、大熱狂の渦へと、引き込まれ、巻き込まれてゆくのでした。
 すかさず、後ろのブラボーさんに負けないように、ワタクシも、渾身のブラボーを一声献上いたしましたこと、ここにご報告いたします。

アンコールは、レスピーギより、一回り目の世代、その作品も、「噴水」より26年も前のマスカーニの名旋律を。
ゆったりと、思いを込めて演奏されるこの曲。
オペラの間奏曲として聴くと、あっさり終っちゃうけれど、こうして単品で、しかもオリジナルのオルガン付きで聴くと、いじらしいほどの美しい旋律と、その歌心に、涙が出るほどの感銘を覚えました。
そして、繰り返しですが、神奈フィルの弦は美しい。

 ローマ三部作のような音楽は、若い感性を持った清新な指揮者によって導かれる演奏も、聴かせ上手のベテラン指揮者のものよりも、一層楽しく、スポーティで、かつ何が起きるかわからない反応を見るような楽しみがあること、オケと川瀬さんの幸せな結びつきで実感しました。

終演後は、シーズンスタートの乾杯式。

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トランペット・ファンファーレ付き

黒岩神奈川県知事からも、てっぺん目指せ的な激励もあって、楽団理事さん、川瀬さん、副指揮者就任の阿部さん、新入団の楽員さんたちの、楽しいお話もあり、和気あいあいとしたひと時でした。
 わたくしも、知事や川瀬さんと、一緒に写真を撮っていただき、有頂天です。

みなさま、お疲れさまでした。

 アフターコンサートは、We Love 神奈川フィルのメンバーで、土曜のマチネのお楽しみ、「横浜地ビール 驛の食卓」へ行った(みたいです)。

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わたくしは、今回も体調の関係で、お休みしましたが、そこでは、テノールのお歌も入り、イタリアの延長で、大いに盛り上がったみたいですよnote

次回の定期は、うって変わって北欧です。
その前に、イタリアオペラもアリマス!行けるかな?

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2015年4月24日 (金)

レスピーギ 交響詩「ローマの祭」 バーンスタイン・マゼール指揮

Festa_1

都会の祭りであります。

数年前の写真の再褐ですが、都心の三田で毎夏行われる、三田フェスの様子。

みんな、弾んでますねぇ~

関東人のわたくしですが、東北のお祭りも、関西のお祭りも、ろくに知りませんで、憧れをもって、毎夏眺めるばかりです。

日本の祭りは、キンチョーの夏ぢゃなくて、そこそこ、プリミティブで、夏の解放感も手伝って、野卑なところがあって、どこか、甘酸っぱいものがあります。

え? 自分だけかしら。

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湘南カラーに埋め尽くされた、こちらは、平塚の七夕祭り。

毎度の昔話で恐縮ですが、子供のころから、平塚の七夕はお馴染みで、湘南電車でふた駅いって、煌びやかさと、出店の数々、そして、ときには、恐怖のどん底も味わう、まさに、祭りの醍醐味を味わいつくしていたのでした。

その恐怖は、お化け屋敷もありましたが、戦地から帰還の傷痍軍人さんたちが、道端で施しを求める姿が、そこかしこにありまして、それが、子供心に怖かった。
 どんな組織がそこにあったのか、よくわかりませんが、軍服を着て、アコーディオンを弾いたりして、みずからを悲しみに染めて、同情をひかんとする、その姿に違和感を持ったのは、もう少しあとのことでした。
でも、いまでは、戦地に赴いた皆さまのこと、われわれ子供や、日本の地のために戦い、傷付いた方々に、敬意とその負傷に同情を覚える次第です・

平塚の七夕ばかりか、川崎大師にも見受けられましたし・・・・・

あっ、また、よけいなこと書いてるし。。。
レスピーギのローマ三部作のなかでも、もっとも意欲的かつ、オーケストレーション的に円熟の極みをみた、最高傑作。
 わたくしは、三作のなかで、「祭」が一番好き!!

Respighi

  レスピーギ  交響詩 「ローマの祭」

    レナード・バーンスタイン指揮 ニュー・ヨークフィルハーモニック

                     (1968.3 @NY)

    ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

                     (1975.5 @クリーヴランド)


「祭」は、ともかく、かっこよく、人を酔わせるほどに、興奮と酔狂の極みにまで持っていってしまう。

レコード時代は、LP1枚で、「噴水」と「松」で完結してしまい、編成も大掛かりで、お金のかかる「祭」は、あまり録音されることはなかった。

そんななかで、オーマンディとバーンスタインは、この曲を得意にして、レコーディングも、しっかり当時からしてました。

いまでは、CD1枚に、三部作をおさめて、連続した演奏で、その真価を問う指揮者が増えました。

そんな、特異な「ローマの祭」を、今日は、思い入れのあるふたつの演奏で。

過去記事ぺたり・・・

>「ローマの松」もそうだがともかく、オーケストラがよく鳴る。

3部作のうち、一番最後(1928年)に書かれただけあって「祭」の方が多彩な表現に満ちており、R・シュトラウスばりの熟練のオーケストレーション技法がバリバリに楽しめる。

プッチーニの20年後輩だが、オペラに向かわずにオーケストラ作品や素敵な歌曲に桂曲を残したレスピーギ。
それでもオペラ作品もあるようなので、聴いてみたいと日頃思っている。(脚注・ただいま準備中)

いきなり金管の大咆哮で始まる「チルリェンセス」はローマ時代の暴君の元にあった異次元ワールドの表出。

キリスト教社会が確立し、巡礼で人々はローマを目指し、ローマの街並を見出した巡礼者たちが喜びに沸く「五十年祭」。

ルネサンス期、人々は自由を謳歌し、リュートをかき鳴らし、歌に芸術に酔いしれる「十月祭」。

手回しオルガン、酒に酔った人々、けたたましい騒音とともに人々は熱狂する。キリストの降誕を祝う「主顕祭」はさながらレスピーギが現実として耳にした1928年頃の祭の様子。

①の不協和音が乱れ飛ぶかのようなカオスの世界、ジワジワと祈りが浸透しつつ美しい広がりを見せる②、まさに自由だ!的な③は、イタリアの歌心満載。
そして、だまっていてもすさまじい④で逝っちゃってクダサイ。

てな、わけで、オーケストラの精度は度外視して、勢いと即興的な流れで、一気に「ローマの祭」を描ききったバーンスタイン。
一気呵成のすさまじいまでの、一直線の流れは、ある意味快感の域に達しつつも、どこか危ないくらいのやばさがある。
そう、これがバーンスタイン。
サーカスカーニバルの音頭なんか、まったく堂にいったもので、思わず、体が動いちゃう。
そして、怒涛のエンディングはとんでもないですぜ!!

 それと、この曲の演奏で大好きなのが、マゼールのクリーヴランド時代の演奏。
デッカのアナログ録音の超優秀さを、まざまざと体感できる。
ずばずば、しゃきっと、各々、決めどころが、完璧なまでに決まりまくる、鮮やかにすぎるマゼールのキレのよい指揮ぶり。
そして、あきれかえるほどに、うまい、クリーヴランドのオーケストラ。
上出来すぎて、それが不満。
そこに何があるって・・・・、バーンスタインの怒涛の味わいや、オーマンディの煌びやかだけど、語り口の放漫さ、慎ましいけど、透き通るようなオーケストレーションマジックの味わえるマリナー、そして、若き血潮みなぎりつつも、うますぎるヤンソンス。

それらの、わたくしのファイバリットと同等に、適度なデフォルメと、極めて高い音楽性に満ちたマゼール旧盤は、とっても素晴らしい名演なのでした。

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2015年4月23日 (木)

レスピーギ 交響詩「ローマの松」 オーマンディ指揮

Pine_3

歴史ある、国道一号線を西へ。

大磯宿を超え、いまも残る松並木。

かつての昔から、歴史の大動脈だった、東海道。
国道一号線は、こちらの画像の、左側が海で、右が山。

旅人は、その道すがら、山や、近隣の寺社に詣でながら旅したことでありましょう。
この手前に、高麗山。
ちょっと行くと、左に、吉田邸(焼失したけど再建中)があり、左には、国府神社の鳥居も。
そこは、相模国の神社の総元締め的な場所でして、年に一度、相模の六社が集まる、国府祭(こくふさい)があります。

思った以上の規模でして、子供の頃は、よく行ったものです。

この松並木も、年々、病気などもあって劣化してます。
そりゃそうですよね、樹木・木々も、人間と同じく、生きているわけですからね。

可哀そうだけど、植え替えとか、伐採とか、悲しい決断も必要なのでしょうね。
そんなことが、成熟した日本の社会のあちこちに起きてます。

前置きが、本題から、どんどん遠くなっていく。

「松」、そう、「ローマの松」です。

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   レスピーギ  交響詩「ローマの松」

      ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

                         (1973.4 @フィラデルフィア)


川瀬&神奈川フィルによる「ローマ三部作」のコンサートで、前半のトリをつとめるのが、一番有名な、「松」。
有名度では、まさに、松竹梅の、松を担う存在で、1924年初演以来、その華やかさにおいて、世界中のオーケストラで演奏され、そして、われわれ愛好家にも、愛される名曲となっております。

以下、またズルしますが、過去記事より。

>この曲を最後にもってくれば、必ずコンサートのフィナーレとして成功するし、祝典的な気分も横溢しているから、ジルヴェスター系のコンサートにももってこいだ!
「松」を歴史の証人としての恒久的な存在として、ローマの悠久の過去を音楽で振り返るという寸法で、そのアイデアは実に秀逸。

①「ボルジア荘園の松」松の木立の下で元気に遊ぶ子供たち。

②「カタコンブ付近の松」ローマ時代の地下墓地、迫害を受けたキリスト教徒たちに思いをはせる。グレゴリオ聖歌の引用。

③「ジャニコロの松」満月を受けて浮かびあがる松。幻想的な光景でナイチンゲールも美しく鳴く。

④「アッピア街道の松」ローマ軍の進軍街道、アッピア街道沿いに立つ松。勇壮で力強い大行進が思い起こされる。

この4編の中では、③ジャニコロが一番好き。
ドビュッシー的な雰囲気で、いかにも詩的な夜のムード。夜鶯が心をくすぐる。
そしてもちろん、最後はローマ軍の大進軍で打ちのめされてください。<

という、かつての記事。
 レスピーギのリアルさは、こうしたタイトルに則した、完璧なまでの、そして、静止画像を超えて、見たまんまの画像が、聴き手にそのまま伝わるところの精度の高さ。

どうしても、勇壮で華やかなフィナーレに、耳目がいってしまいますが、あらためて、「ジャニコロの松」における、抒情の輝きと、ナイチンゲールの囀りの融合が素晴らしい♪

煌びやかなフィラデルフィア・サウンドを全開にさせつつ、こうした抒情を、しんみりと、さらりと聴かせてくれるオーマンデイの、味わい深い演奏は、永遠の名演と言ってもいいかもしれません。
爆発的な盛り上げには、欠けるかもしれませんが、オーケストラを聴く喜びは、ここにたっぷりとあるし、フィラ管の名技性と、鉄壁のアンサンブルも、あわせて味わえます。
 レコード時代、「火の鳥」とのカップリングで、擦り切れるほどに聴きまくった演奏でもあります。

川瀬&神奈フィルの「松」、若さはじける演奏を期待!

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こちらは、三保の松原。

松は、ほんのちょっとだけ。

手当もしてましたが、風や病虫対策がきっと難題なんだろうな・・・・・

 日本の松と、ローマの松、見た目は違いますが、いずれも、そこにあって、歴史の移り変わりを見てきた点では同じです。

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2015年4月22日 (水)

レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」 ルイージ指揮

Palace

文字通り、噴水です。

こちらは、皇居近くの和田倉噴水公園ですよ。

夜には、ライトアップされて、とても雰囲気がいいのよ。

そして、ローマの風物詩の噴水4つを、そのまま交響詩にしたのがレスピーギ。

ローマ三部作の第1作が、「ローマの噴水」です。

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   レスピーギ  交響詩「ローマの噴水」

      ファビオ・ルイージ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

               (2000.6 @ジュネーヴ・ヴィクトリアホール)


4月の神奈川フィルのみなとみらいホール定期は、新シーズンの華やかな開始演目として、レスピーギのローマ三部作がプログラミングされました。

演奏は、作曲順に、噴水(1916)→松(1924)→祭(1928)、ということになります。

本ブログでも、3部作は、何度も登場してますが、これら代表作以外にも、いくつものジャンルに作品を残したレスピーギの曲を、わたくしは、集めております。
オペラもなかなか面白い作品があったりです。

ちょっとズルして、以前の記事からコピペ。

①「夜明けのジュリアの谷の噴水」朝が来る前の曖昧な雰囲気のなか牧歌的なムードも漂う。
②「朝のトリトンの噴水」ナイアディスとトリトンが朝の眩しい日差しの中で踊る。ホルンは明るく響き、ピアノや打楽器が舞い踊るように活躍する。
③「昼のトレヴィの噴水」ついに日は高く昇った昼。ネプチューンの勝利の凱旋。この曲最高のフォルテが聴かれるまで大いに盛り上がってゆく。この場面、「アルプス交響曲」をいつも思ってしまうのは、私だけ?
④「黄昏のメディチ荘の噴水」夕暮れを迎え、夕焼けは徐々に夜へと変わってゆく。

全編に漂う幻想的なムードは、この曲の最大の魅力。
①と④を聴き、まだ見ぬひと気のないローマの朝靄や夜霧を思うのもいい。
キラキラ輝く②トリトンの泉に目を細めるのもよろしい。
そして、③活気ある観光地トレヴィで、コインを投げ入れ、そして噴水の水飛沫を思い切り浴びちゃってください。<

噴水と祭りの間には、12年の隔たりがあり、レスピーギの音楽は、あとになるほど、より大胆に、豪快に、そして緻密になって行きます。
それがよくわかることも、3つを並べて順に聴くことの面白さ。

噴水は、ともかく瑞々しさと、音の粒が跳ねるような新鮮さがよろしい。

今日は、ファビオ・ルイージの歌心と、冷静さとを兼ね備えた、ちょっとクールな演奏で。
アンセルメ時代と、スイス・ロマンドは変わりはしたけれど、でもその明るい音色は、魅力的で、ルイージの指揮によっても引き立っておりました。
 ルイージ時代は、1997~2002年と5年間でしたが、もっとここでやって欲しかった。
ルイージさんは、どうもいろんなポストが長続きしないですな。
ドレスデン、ウィーン響もそうだった。
いまは、チューリヒとメトが中心。

このCDには、「祭」もおさめられていて、そちらは、結構ハジけてますよnote

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2015年4月19日 (日)

シベリウスの交響曲 お願いランキング

Toya_a

だいぶ前になりますが、北海道の洞爺湖。

普通の日に通りかかったものですから、人っ子ひとりおりません。

静謐な動きのまったくない光景に、わたくしの頭のなかには、北欧、ことにシベリウス、それから英国の、こちらはディーリアスの音楽が静かに奏でられる思いでした。

今年、生誕150年(1865~1957)の、シベリウスの交響曲のランキング、ちゃちゃっとやっちゃいます。

Onegai_siberius

テレ朝の番組からお借りしたお願い戦士たちの画像に、恐れ多くも、シベリウスさまを。

7つの交響曲、いやその作品のほとんどを、60歳までに書き終えてのちは、沈黙と名声のうちに過ごしたシベリウス。

その残りの生涯に、作曲を継続していたら、いったいどんなに素晴らしい音楽が生まれていたことでしょう。
究極なまでに、凝縮された名作7番のあとの、8番を想像するだけで、震えがきます。

でもしかし、いまのわたくしたちは、7つの交響曲で、完結されたシベリウス像を享受しているわけで、その珠玉の作品たちに、感謝しなくてはなりませんね。

ランキングでは、交響曲を好きな順に、好きな演奏をあげてしまおうという企画です。

  ①交響曲第7番  短くてよろしい・・・じゃなくって、20分に凝縮された濃密さ
              人生、山あり谷あり、ここにそのすべてが圧縮された感あり

         ・バルビローリ&ハレ管の気合いとエモーショナルな熱さ
          唸り声も音楽のうち
          最後のピーク時のホルンが実によろしい

  ②交響曲第4番  暗くたちこめた雲、その中から光る輝きを垣間見るときの感動
              辛く厳しい毎日、人は所詮、孤独。
              でもそんななかに、喜びや輝きを見いだす枯淡の境地
              
         ・ベルグルント&ヘルシンキの言葉少ないなかに音楽が語る演奏
          3楽章のラルゴで、音の断片がだんだんと形をなし、じわじわと
          熱くなっていくところでは、感涙必須

  ③交響曲第5番  明るく牧歌的なれど、随所に北欧の自然の息吹が
              エンディングの面白さもいつも楽しみ、気分爽快

         ・デイヴィス&ボストン響 ヨーロピアンな美しさと、重厚さと軽やかさ
          小澤さん以外の指揮で聴いたボストンの魅力と底力
          端正ながら、これまた一本義の男の指揮、録音も極上
   
  ④交響曲第6番  渋くて、ミステリアス、和音や調性の展開も異世界の感じ
              そこに、ほのかに浮かびあがる北欧の寂しい自然と人間
              ほんとは、もっと順位を上げたいところ
              突き抜けるような弦は、鼻孔を刺激するかのような冷涼感

         ・N・ヤルヴィ&エーテボリ響 同コンビが登場したCD初期
          本場のサウンドに狂喜した。
          さりがなくも、音の節々にシベリウスならでは語感を感じ、
          その音色はクールかつ、暖か。

  ⑤交響曲第1番  チャイコフスキーの流れのなかにある幻想味とロマン
              旋律は、情熱的で、儚く、美しく、そして悲しい。

         ・渡辺暁雄&ヘルシンキ 自分にとって懐かしの演奏
          FM東京の同団のシベリウスチクルスを、カム指揮のものもふくめ
          全部録音し、社会人生活初期の侘びしい生活の夜毎の糧となった
          この曲のよさをわからせてくれた忘れ難い演奏

  ⑥交響曲第3番  シンプル、古典的、楽想が可愛い。
              北欧のさわやかな春、でも、1,2番からの作風からの決裂
              4番への橋渡しを随所に感じ、孤独感も

          ・ザンデルリンク&ベルリン響 克明な刻みが旧ドイツを感じさせる
           木管のソロも美しく、全体の様式美と、意外なまでのしなやかさも 

  ⑦交響曲第2番  一番有名な曲。通ぶってるわけじゃありませんが。
              子供の頃から、もう聴きすぎて、かえって慣れ過ぎて遠くに
              でも、聴けば聴いたで、やたらと感動する
              幻想的な1楽章と、じんわりの2楽章が好き。
            
          ・決められません。。強いてオーマンディか。
           でもやはり、セル&クリーヴランドないしは、コンセルトヘボウか。
           いや、カム&ベルリンフィルも懐かしいし、シュタインもいいよ。
           あとなんて言っても、バルビローリに、濃密バーンスタイン・・・
           もう、どんな演奏でもいいし

ということで、いずれも普遍的な演奏ばかりになってしまいました。

歳を経て、シベリウスの交響曲への嗜好や想いも変わってきました。

この先は、もう変わらないかもしれません。

演奏も、ここにあげたのは大好きな演奏のほんの一例で、CD時代になって、全集が求めやすくなったものだから、全集をそろえて、それぞれの番号を、ときに応じて聴き分けることができてます。
バルビローリ、ザンデルリンク、ヤルヴィ、ベルグルンド、ブロムシュテット、セーゲルシュタム、ラトル、オーマンディ、新旧デイヴィスなどなど。
 ヴァンスカと、サカリ、カラヤンを今後聴かねばと思ってます。

Sibelius_barbi

心の琴線に触れるシベリウスの旅、のこりの人生もともに楽しみたいと思います。  

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2015年4月18日 (土)

ブラームス ピアノ協奏曲第2番 ブレンデル&ハイティンク

Tokyotower201503

落日間もない東京タワー。

まだこの時期は、オレンジ色のライトアップ。

初夏から、白色のライトアップに切り替わります。

何度見ても、このタワーはバランス的にも、とても美しい。

スカイツリーより、数等好きですね。

そして、この暖かなカラーがいい。

暖色系の曲に、演奏。ブラームスを聴きます。

Brendel_2

   ブラームス  ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op83

        Pf:アルフレート・ブレンデル

   ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                      (1973.12 @コンセルトヘボウ)


ブラームス最充実期のピアノ協奏曲。
1番から22年を経てのシンフォニックな力作ですが、イタリア旅行を挟んでいるところから、かの地の陽光も、この作品の隅々には射していて、第2交響曲と通じるところもあり、わたくには、春の陽気のいい頃に聴く音楽のひとつとなっているんです。

もちろん、3楽章のチェロの独奏を伴う、実に魅力的な場面では、多分に内省的に聴くこともできて、秋の気配も感じることもできます。

そう、ブラームスって、「春と秋」がお似合いnote

ホルンソロで開始される伸びやかで、かつ雄大な第1楽章。
緊迫のなかにも、晴れやかなトリオを持つスケルツォ。
協奏曲に、スケルツォですから、これはもう交響曲の形態です。
そして、チェロのソロが、やたら暖かくて、朗々としていて、そこにピアノとオーボエが加わって、ほんと、ずっとずっと浸っていたくなる絶美の世界、そんな第3楽章。
 うってかわって、軽快で、うきうきと弾むような終楽章。

個性的なピアノ協奏曲です。
いかつく、悩み多き1番より、この2番の方が、数等好きであります。

今日は、これまた、この曲のイメージにぴったりの演奏と録音で。

ソフトで柔和なブレンデルが、ブラームスの柔の部分を思いきり引きだして聴かせてくれる。
ブレンデルの中庸なピアノが、ブラームスにはぴったりだと思います。
後年、アバドとも再録音をしてますが、あちらの円熟のピアノもよいですが、こちらには、春の華やぎのような若さもあります。
 そして、それ以上に素晴らしいのが、ハイティンク&コンセルトヘボウ
73年といえば、日本にやってきた年で、そこでの演奏や、マーラーやブルックナー、ロンドンフィルとのストラヴィンスキーなどが徐々に好評価を得るようになっていた時分です。
 この両者の個性が、渾然一体となったこの名コンビによるブラームスは、まろやかで、響きもたっぷりとしていて、まことに申し分がありません。
少し前の記事で、交響曲第2番を取り上げ、激賞しましたが、こちらもブラームスの理想的な演奏のひとつになっております。
 各ソロもうまくて、味わいがあり、ちょっと鄙びた音色を出してるところなんかたまりません。
録音も、もちろんフィリップスならではの、鮮明さと、重厚さ、そして温もり感たっぷり。

73年12月の録音ですが、この年の5月に、ブレンデルは、ハンス・シュミット=イッセルシュテットと1番を録音しました。
そして、その後に2番ということでしたが、その録音のあと、イッセルシュテットは急逝してしまい、ハイティンクにまわってきたものです。
1番は、たいそうな評判になりましたが、この2番は、静かに出て、いまに至るまで目立たぬ存在に甘んじてます。。。。
1番とともに、リマスターして、再発されんこと、強く望みます。

ハイティンクは、アラウ、ブレンデル、アシュケナージ、アックスと4度もこの協奏曲を録音してます。
そして、アバドも、ポリーニで2回と、ブレンデルで録音しました。
ソリストたちに好まれる指揮者、ということができるでしょうね。

 ちなみに、この曲で一番好きな演奏が、ポリーニ&アバドの旧盤。
そして、今日のこちらに、アシュケナージ&ハイティンク、バックハウス&ベームといったところでしょうか。
 今秋は、神奈川フィルで、オピッツ&ゲッツエルという夢のような演奏が予定されてますnote

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2015年4月17日 (金)

ブリッジ 狂詩曲「春のはじまり」 グローヴス指揮

Tokyo_tower_2

3月の終わりには、いきなり春がやってきて、4月に入ったら、冬のような気温に逆戻りして、しかも雨にみまわれました。

寒気が引いたあとは、爆発的にふたたび、春がやってきた。

花は再び開花し、虫たちも活発に、そして、フレッシュマンたちがあふれる街も、明るく活気がみなぎってきました!

今日は、英国の春の一面を描いた曲を。

日本よりも北に位置する英国は、冬が長く、暗い。
人々と、その自然は、冬をじっと耐え、春が来ると、曇り空が一気に晴れたかのような明るさに包まれるのです。

Bridge_2

    ブリッジ  狂詩曲「春のはじまり」

     サー・チャールズ・グローヴズ指揮

              ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニック管弦楽団

                         (1975.7.14 リヴァプール)


<フランク・ブリッジ(1879~1941)は、ロンドンの南、ブライトン生まれの作曲家・指揮者・ヴァイオリニストで、スタンフォードに師事し、室内楽、管弦楽作品を中心に、かなりの曲を残してますが、英国音楽が多く聴かれるようになった今も、ちょっと地味な存在かもです。

弟子筋に、かのブリテンがいて、「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」を書いてますので、そちらで有名かもしれません。

後期ロマン派風の作風プラス、ディーリアスのような夢幻的なサウンドも併せ持つ一方で、魅力的な旋律に乏しい面もあって、ちょっと取っつきが悪いです。>

以上は、以前の記事、ブリッジの交響詩「夏」の記事から、そのまま転用しました。

簡潔ですが、まさにブリッジの人と、その音楽を表現しきれたものと思ってます。

師スタンフォードにならい、初期の作風は、ことにその室内楽作品などで、ブラームスや、フォーレなどの香りや雰囲気を感じさせます。

そして、そのブリッジの最充実期、47歳、1926年の作品が、今日の「春のはじまり」です。

Brighton

 生まれ故郷のブライトンの街は、イングランド南東部イースト・サセックス州にある海辺の都市。
いまは、海水浴客であふれる、英国きってのリゾート地でもあるようです。
 イングランド南部の海岸線によくあるように、そこには、白い側壁を見せる切り立った崖地が多くあります。
そんな景色を、ブリッジは歩きながら、この曲のイメージとして取り入れたり、また、同市の丘陵地帯のなだらかな光景などにもインスパイアされたとされます。

約20分のラプソディですが、曲の前後は、春の力強いエネルギーにあふれていて、中間部が、鳥のさえずりも聴かれる、とても美しくも抒情的・内省的な場面です。
 冒頭は、ミステリアスな感じで、春がうごめきつつも、組成していく雰囲気。
どこか、スクリャービンやシマノフスキのような響きにも感じてしまいます。
そう、もう、この頃のブリッジは、師のドイツロマンティック的な世界から、大きく踏み出し、独特の英国音楽における後期ロマン派的な音楽の世界へと到達していたのです。

South

 それにしても、ここに描かれる(前後の場面)春は、じつにエネルギッシュで、眩しい。
日本の春は、ゆるやかで、うららかですから、音楽もそんな感じですよね。
ヨーロッパの春は、そうした面もありつつも、実にダイナミックな到来なのです。

グローヴスの伸びのびとした指揮に、リヴァプールpoのしなやかな音色。
21分かけて演奏してますが、もうひとつの愛聴盤、マリナーの演奏は、18分。
マリナーは、さりげなく、流れるように、春を迎えた感じですが、グローヴスは、待ちに待った感もありの、喜び爆発の演奏です。

音源は揃えにくい作曲家ですが、調べたらそこそこ持ってます。
また、ご案内できればと思います。

ブリッジの「春のはじまり」を、初夏に近づいた、どこか2度目の春のような陽気の晩に聴きました。

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2015年4月15日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第4番 セル指揮

Tokyo_tower_1

この青空、うららかな日差し、そして、もちろん桜の花。

桜はともかく、みんなどこへ行ってしまったの?

寒さと、雨模様。春の天気に三日の晴れなし、どころか、全然ないじゃんね。

そんな春を思いつつ、2月から、ずっと、心に引っかかってた曲を。

Szell

   チャイコフスキー  交響曲第4番 ヘ短調 op36

     ジョージ・セル指揮 ロンドン交響楽団

                 (1962.9 @ロンドン、ワルサムストウ)


そう、2月の神奈川フィルの定期演奏会のメイン、チャイコフスキーの交響曲第2番のあと、指揮者の川瀬さんが選んだアンコールが、同じチャイコフスキーの4番の第3楽章だったのでした。

ピチカートで、お洒落に3楽章を閉じたあと、こちらの耳は、おのずと、ダーンダッダ、じゃかじゃかじゃか・・・と豪勢なフィナーレを続けて求めていたのです。
そんな寸止めのような罪なことをなさる、川瀬さんには、いつかちゃんと4番も含めて、全交響曲をやっていただきたいものです(笑)

そして、なんだか、ようやく聴きましたよ、4番を全曲。
それもずいぶんと久しぶりに聴いたような気がします。
5番の月イチシリーズをやってるもんだから、とんとご無沙汰でしたよ。

いつか、ランキングをやりますが、チャイコフスキーの交響曲では、5番が一番好きで、それに次ぐのが、1番だったりで、賑々しいイメージの4番は、昨今、食傷ぎみ。
そんな今は、ジョージ・セルの割りきったような、スカッとした4番がいい。
もちろん、歌心にあふれた新旧アバドや、勢いのある小澤旧盤も好きですよ。

1970年春、万博の年に来日したセル&クリーヴランドは、当時、小学生でしたが、テレビで見て、その独特の正確な指揮ぶりと、なんといっても、初めて聴いたシベリウスの2番に大感激でした。
 帰国後まもなくして亡くなってしまったセル。
CBSソニーから大量で出ていた、セル&クリーヴランドのレコードは、その後の中学生の自分には、おいそれと買えるわけもなく、音のカタログと称するほんのさわりを集めたレコードでもって、そのセルの演奏や、ワルター、バーンスタイン、オーマンディといった指揮者と彼らの手兵の演奏を選んでは、何度も何度も聴いたものでした。
ここで養われた、それらの演奏のイメージは、いまに至るまで変わりません。

セルの死から間もない、73年に、ロンドンレーベルから、突然あらわれたのが、今日の音盤です。
62年の録音から、11年後の日本発売。
しかも、CBSじゃないし、ロンドンのオーケストラだしで、当時は、結構、話題になりました。
セルの遺産とか言って、レコ芸の裏表紙のカラー広告も打たれてましたね。

FMでもさんざん放送されて、録音して楽しんでましたが、本格的に聴いたのは、CD化以降。
当時は、とても録音がいいと思ってましたが、鮮明ながらも、音に若干の濁りがあって年代を感じさせます。
ちゃんとしたマスタリングをもう一度施せば、また一皮むけるかも。

 しかし、演奏は、そんなことしなくても鮮度はバッチリですよ。

終始、早めのテンポ運びで、まだ65歳だったセルは、気合充分。
ときおり、指揮台の上で、ドタドタと足を踏みならす音もしっかり聴こえる。
ズバッと切り捨てるような感覚も受けますが、よく聴くと、各フレーズを、主旋律以外も、じつによく大切に扱っていて、一音たりとも、無駄な音がなく感じる。
こうして、誠実でありながら、超・熱のこもった演奏は、1楽章のコーダと、終楽章のフィナーレの熱狂も聴き手を興奮させずにはおきません。

1楽章の歌うような第2主題や、2楽章のメランコリーな雰囲気、3楽章の克明さ、などなど、聴きどころ満載です。

オーケストラ、ことに金管がうまくて、ブリリアント。
まさにLSO。
当時は、モントゥーの時代で、ケルテスが次期指揮者としても活躍中だったLSO。
そのケルテスは、セルのあと、ブーレーズが補佐し、次の音楽監督として、クリーヴランドに就く予定だった。
イスラエルで、遊泳中、亡くなってしまう悲劇が起きたことも、忘れえぬ出来事でした。
いろんな符合がありますね。
ケルテスもハンガリー系だし、のちのドホナーニもハンガリー。
いまの長期政権W=メストはオーストリアですが、かつてのハンガリーも含んだハプスブルク系・・・。

そんなこんなを、妄想しつつ、チャイコフスキーの4番を3度聴き、いま、華々しく終楽章が散りました!

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2015年4月12日 (日)

神奈川フィルハーモニー音楽堂シリーズ第4回定期演奏会 川瀬賢太郎指揮

Kamonyama_1

ところにより、雪まで降らせた先週、寒の戻りにもほどがある。

週末の横浜も、こんな空のもと、寒かったです。

うららかな陽気と春の空のもとで、楽しみたかった音楽会ですが、ご覧のとおり、頑張ってる桜を愛でてから、音楽堂へ向かいましたよ。

Kanaphill201503

  モーツァルト   ホルン協奏曲第3番 変ホ長調

  ピアソラ(大橋晃一編)  アヴェ・マリア~アンコール

         ホルン:豊田 実加

  ハイドン      交響曲第45番 嬰へ短調 「告別」

  シューマン     交響曲第3番 変ホ長調 「ライン」

     川瀬 賢太郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                  (2015.4.11 @神奈川県立音楽堂)


神奈川フィルの新シーズンの始まりは、まずは、音楽堂シリーズから。

春は、出会いと別れ、そんな初々しさと、ウィットに富んださみしさ、そして気分爽快さ。
そんな感じのプログラムでした。
 そして、プログラムを読んで、気付かせていただいたこと、3つの作品に共通する、「3」。
その調性に、フラットないしは、シャープが3つ。
また、それぞれの曲の意味する「3」を巧みに解説されてました。
なるほどでしたね。

それはそれ、わたくしは、神奈川フィルがおりなす、いつもの柔らかく親密なサウンドに、心地よく浸ることができました。

まずは、実加ちゃんと、楽員さん、われわれ聴き手からも、親しまれるようになった神奈フィルの若い顔、豊田実加さんのソロでモーツァルト。
いつもホルンセクションの中にいるときは、小柄な彼女ですから、譜面の上から、ちょこんと頭だけが見えていただけですが、本日は、ソリストとして、臙脂に近い赤いステキなドレスで颯爽と登場。

わたくしを含む、多くの方が抱く、父親目線(笑)。
頑張るんだよ、と念じつつ、最初はちょっと緊張ぎみだったけど、暖かな川瀬さん率いる神奈フィルのバックに支えられつつ、いつもの彼女らしい柔らかで、素直な音色が、聴こえてまいりました。
音量でいうと、厳しいものがあるかもしれませんが、それを補う安定感(ときに、冷やっとさせてくれちゃうのも、いつもご愛嬌)と、艶のある音を引き出す彼女。
 1楽章のカデンツァは聴きものだったし、たおやかな2楽章では、緩やかな春風のようなサウンドを聴かせてましたね。
そして、快活な3楽章は、キビキビしたオーケストラにのって、とても楽しそうに演奏してらっしゃる。
こうしたオケ仲間同士の、家族的なムードも、聴いて、拝見していて、われわれ聴き手は、ほのぼのとしてしまうのでした。

大きな拍手に迎えられて、アンコールは大橋さんの手によるピアソラの作品。
ロマンティックで、まるでノクターンのような感じのこの曲をホルンで聴くのも、とても心地よく、そしてとてもステキな演奏にございましたね~

素晴らしいホルンでした。いつかは、R・シュトラウスを朗々と吹いていただく日がくるかも!

終演後、「We Love 神奈川フィル」有志で、実加ちゃんにブーケ贈呈しました。
ご了解もいただきましたので、こちら。

Mikachan

 次いで、曲調はうってかわって、短調に。

舞台袖には、「めくり」が置かれました、ん?、またなんかやるぞ。

疾風怒濤期の感情の嵐のようなこの「告別」交響曲。
緩急をものすごくつけて、鮮やかさ際立つ第1楽章で、モーツァルトの春の世界から、いきなり、春の嵐へ引き込んでくれた川瀬さん。
3拍子のキレもよく、思いきりのよさが、前にも増して出てきたと思います。
オーケストラも、その指揮にピタリとついていきます。
 次ぐ2楽章の静かな穏やかさでは、前の楽章との対比が聴きものでした。
弦の音の動きを聴いていて、モーツァルトの40番を思い起こしてしまいました。
 そして、可愛いメヌエット楽章は、チャーミングなフレージングが新鮮。
すっと消えてしまった3楽章のあと、仕掛け満載の、これはある意味ハイドンらしい終楽章は、元気一杯、これまたキッレキレで開始。
疾走感がまたある意味快感で、ハイドンの良さをストレートに伝えてくれる演奏。
音が弱まり、アダージョとなって、第1ヴァイオリンの下手から始noteまり、各奏者さんたちが、そろりそろりと、ときには、仲間を誘いつつ、指揮者の顔色をうかがいながら、ステージを去っていきます。
 観客を振り返って、あれ?どーなってんの?的な困惑顔を見せる川瀬さん(笑)
かなり少なくなって、まさかの石田コンマス立ちあがり。
これがまたフェイントで、トップの崎谷さんと入れ替わり。
そして、その崎谷さんも、上司の顔色を伺いつつ、こっそり退却。
最後に残ったのは、石田さんと、小宮さん。
ついには、指揮者の川瀬さんまで、こそこそと静かに逃げ出し、照明も落ちて、ふたりのソロで静かにエンディング。
握手を交わすお二人、拍手を受けながら舞台を去りつつ、石田さん、あの「めくり」をそれこそ、ひとめくり。
そこには、「休憩」と記されてまして、われわれ聴き手は、ひと笑い!

ナイスでしたnote

 後半のシューマン。
編成を増やすかと思ったら、コントラバスが増えただけで、前半と同じプルト数(8・8・6・5・3)。
それでも、なみなみと鳴るオーケストラ。

神奈川フィルのシューマンで忘れ得ないのは、シュナイトさんとのもの。
同じ音楽堂で聴きましたが、そのときのプログラムは、ブラームスのハイドン変奏曲と、シューマンのチェロ協奏曲(山本さん)と「ライン」というものでした。
そのときの感動は、まだ覚えてますよ。
ヨーロッパの景色が思い浮かぶ、そして聖堂の大伽藍さえも、思い起こすことのできる充実極まりない演奏でした。

そして、その7年後の、若いシェフによるシューマン。
感じたままを、音にぶつける若い感性が、活きてましたね。
個々を捉えると、まだ消化しきれていない部分もありますが、それでも、その感性が最初から最後まで、一本貫かれていて、それが実に頼もしくも、眩しいのでした。

たっぷりと響いた1楽章。
弾けるティンパニ、ホルンの咆哮、突き抜ける弦。。。。とても爽快。
響かないシューマンのスコアを、ことさらに細工することなく、ストレートに鳴らすことの、ある意味快感を味わいましたね。これは、全曲にわたっていえたことです。
 ときには、たっぷり弾いて、たっぷり鳴らすことの大切さを感じましたね。
音楽に生気が宿って、生き生きとしてくるんだ。

有名な大らかな旋律の第2楽章では、スケルツォ部分と中間のトリオ、とてもメリハリをつけて、フレーズを大きく強調する場面も新鮮。
 神奈川フィルらしさ、優しい木管としなやかな弦の交差するさまが美しかった第3楽章。
どこをとってもシューマンらしい愛らしさが。

次ぐ4楽章と終楽章の対比も、この曲を聴くうえでの楽しさ。
あまり荘重すぎず、淡々と、描いた緩除楽章は、トロンボーンも加わり音楽堂の木質の響きが心地よく、次いで休みなくアタッカで始まった終楽章では、早めのテンポによる疾走感がとてもよい。
シューマンのぎくしゃくしたオーケストレーションをそのままに、流れを大切に、ここでも気持ちいい演奏に変わりはなし。
 エンディング・コーダでのアクセルの踏み具合もとてもよろしくって、感興あふれる興奮のもとに、ばりっと曲を閉じました。

大きなブラボーが飛び交ったのは、いうまでもありません。

 奏者も指揮者も、神奈川フィルの若い顔が、その個性にどんどん磨きをかけ、ベテランの皆さんたちと、いろんな融合や反応を起こしていくこと、それを見守ること、われわれファンの大きな楽しみとなりました!

あとひとつ、退団の方もいらっしゃり寂しい一方、ヴィオラ首席に大島亮さんが決まり、この日も、内声部がいっそう引き締まり、克明になったような気がしますこと、ここに記しておきます。

体調不良で、お休みしましたが、いつもの応援メンバーは、こんな美味しそうなものを食べながら、楽しかった演奏会の余韻に浸りまくったみたいですよ。
みなさまも是非、ご参加くだされnote

Kamon

湘南しらすピザ~

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2015年4月 7日 (火)

シベリウス ヴァイオリン協奏曲 タスミン・リトル

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曇り空の神田川。

飯田橋駅からの眺め。

吉祥寺あたりから、隅田川までを、ところにより細くなりながら流れる神田川は、かつては、江戸城の外堀の一角であったとか。

秋葉原あたりまで行くと、桜の花びらで、流れは埋め尽くされますね。

河川管理の皆さまは、きっとたいへんでしょうが、毎春、こうして、ほのかにピンクに染まる水辺を愛でる喜びは、筆舌に尽くしがたいです。
 うす曇のこの日も、ボートに乗る方が長蛇の列をつくってました。

先週末から、関東は、寒の戻りと、菜種梅雨がやってきて、うららかな春は、ちょっと隠れてしまいました。
 ですが、おかげで、桜もがんばり中。

Ichigaya_2


  シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調

       Vn:タスミン・リトル

  ヴァーノン・ハンドレー指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1991.9@リヴァプール)


元来、イギリスは、シベリウスを得意にする土壌があり、歴代の英国指揮者は、コリンズに始まり、みなさん、交響曲の演奏を、主なるレパートリーにしてきました。
 フィンランドよりは、南に位置しますが、それでも、連合国の最北端と、フィンランド最南端とは、ほぼ同じような緯度にあります。

島と泉に囲まれた神秘の国がフィンランド。
英国も広義にみれば、同じようなことがいえて、まして大陸でなく、孤高な島国で、かつ、いろいろな伝説もある。

気質的な符合も、こうしてあるのかもしれません。

わが国も、独自文化を築いた意味で同様ですし、シベリウスの音楽を、その北国的な自然の描写と合わせて、ごく普通に受け付けられるDNAを持っているような気がします。

 さて、今宵は、純英国産のシベリウス。

ロンドン生まれのヴァイオリニストと指揮者に、リヴァプールのオーケストラ。

シベリウスの協奏曲の演奏で、このところ、一番好きな演奏です。

タスミンこと、タスミン・リトルは、もうベテランですが、彼女が、若い頃から、そのディーリアスの演奏でもって、親しく聴いてきました。
若いころから、いまに至るまで、自国の作品を啓蒙とともに、素晴らしい感度の高さでもって演奏し続けて、かつ録音もたくさん残してきていただいてます。
 英国音楽好きにとって、タスミンの存在は、本当にありがたく、後光が射しているかのような彼女なのです。

英国以外は、EMIに、かなりの録音をしてます。

彼女のヴァイオリンは、快活かつ明るく、屈託がありません。
メニューンに師事した彼女ですが、技能的な部分と、その精神性を受け継ぎつつも、ロンドンっ子らしい、明るさでもって、誰が聴いても嫌味ない、素直な音楽造りが、そこに加わって、いつも、とても素敵なのです。

このシベリウスも、深刻さはなく、清涼かつ、わたくしには、暖かさすら感じ、そして、英国風の生真面目な情熱を感じる演奏に思えるのです。

タスミンのヴァイオリンには、民俗臭や、熱い思いは、あまり感じさせません。
その点で、名演と称されるチョン・キョンファのものと、同じ女性ヴァイオリンでも、まったく違います。
過度な主張はなくとも、タスミンの演奏は、明るい一方、淡々と、シベリウスのお国への思いや、その自然への讃歌を、充分に感じさせてくれます。

 そんな彼女のソロを、しっかり支えるハンドレーさんの指揮も、出すぎず、隠れもせずの、中庸の態勢ながら、ときに克明なサウンドでもって、おっ、と言わせてくれたりもします。
ハンドレーのシベリウスの交響曲、聴いてみたかったですね。
2008年に、惜しくも亡くなってしまいました。
何度もなんども、書きましたが、B・トムソン、V・ハンドレー、R・ヒコックスの3人の指揮者の喪失は、イギリス音楽界の最大の損失であります。

そんなこんなを思いつつ、今年生誕150年のシベリウス、1903年、38歳の作。
北欧に思いを馳せることのできる、幻想的かつ現実的な、ヴァイオリン協奏曲の傑作を聴きました。

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2015年4月 5日 (日)

バッハ ヨハネ受難曲 シュナイト指揮

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イースター週間。

今年の聖金曜日は、4月3日。

復活祭は、5日です。

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六本木の霊南坂教会。

満開の桜の見ごろに。

そして、イースターの時期には、欧州、ことにドイツでは、バッハのふたつの受難曲と「パルシファル」が演奏されます。

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      バッハ   ヨハネ受難曲 BWV245

  福音史家:畑 儀文       イエス:戸山 俊樹
  ソプラノ :平松 英子       メゾ・ソプラノ:寺谷 千枝子
  バリトン、ピラト:福島 明也

   ハンス=マルティン・シュナイト指揮

       シュナイト・バッハ管弦楽団/合唱団

                     (2005.11.26 @オペラ・シティ)


バッハの偉大なふたつの受難曲。

現存するのは、そのふたつですが、生涯に5つの受難曲を手掛けたともされてます。
(ヨハネ、マタイ、ルカ、マルコ、ヴァイマール)

マルティン・ルターの宗教改革から端を発したプロテスタント教派。
その音楽においても、ローマ・カトリックは、降誕と復活に重きをおいたものが多いのに比し、プロテスタントでは、降誕と受難が重んじられてます。

 ですから、バッハの受難曲も、その名の通り、ゲッセマネにおけるイエスの捕縛と、ピラトによる尋問、裁判、磔刑、十字架上の死までを描いていて、その後の復活については、触れられておりません。

「マタイ」と「ヨハネ」、そして「ロ短調ミサ」、いずれも、バッハの最高傑作、いや、人類がもちえた最上の音楽のひとつだということに、みなさま、ご異存はありませんね。

1724年(39歳)の作が「ヨハネ」。
1727年(42歳)に、「マタイ」。
ともに、ライプチヒ時代の作品。

「ヨハネ」は、イエスを追い詰めてゆく群衆がとても劇的に描かれていて、合唱やコラールの比率が高い。
おのずと、全体は動的なイメージ。
それは、すなわち、バッハの意欲的な若さにもつながります。
 一方の「マタイ」は、ソロのアリアが多く散りばめられ、それぞれの心情吐露は、深いものがあります。
「ヨハネの動」に対して、「マタイの静」です。
ライプチヒのトーマス・カントル就任の初期の「ヨハネ」に比べ、3年後の「マタイ」では、教会歴に即した数々の活動や、おそらく信仰上の想いの深化なども加わり、内面的掘り下げも深くなったに違いありません。

 合唱は、3種類の役割を担います。
受難の出来事に対し、イエスに寄り添うような思いを吐露するコラール。
合唱曲として。
そして、群衆として。
 アリアは、登場人物たちの想いや、しいてはバッハ自身の心情を歌う。
そして、レシタティーボは、福音の語り。
 こうした色分けは、「ヨハネ」の方が明確に思います。

そして、もうひとつ、イエスの死に向かって、淡々と進む「マタイ」では、最後が大きな合唱で、それは、悲しみに覆われ、涙にぬれていて、聴き手をもその悲しみと同情へと巻き込んでしまうものです。
 一方の「ヨハネ」は、一気にイエスの磔刑とその死まで駆け抜け、最後は、イエスよ安らかなれと慰めの合唱があり、そして、コラールで終る。
そのコラールは、イエスをほめたたえ、自身の死のあとの蘇りも願うもの。
イエスそのものではありませんが、死後の蘇りに言及したコラールが、受難曲の最後にあることによって、悲しみのうちに終わるのでなく、救いの光を感じさせながら、力強く終るのです。
日本を愛したシュナイトさんが、このCDの解説でも、そうしたことに触れてますし、この音盤でも、実際にその演奏に接したときにも、こうした「ヨハネ」の性格を、浮き彫りにして、大いに、感銘を受けました。

 「ペテロの否認」は、マタイの中で最大の聴きどころですが、こちらヨハネでも、その場面は描かれてます。
本来のヨハネ福音書には、このシーンはないのですが、バッハは、ほかの福音書から引用してまで、ここに描きたかった名場面。
人間の弱さと悲しさ、バッハは受難の物語に絶対に欲しかったテーマだと確信していたのでしょう。
福音史家の語りも、その後のアリアもふくめ、マタイほどの、深淵さはありませんが、それでもなかなかに劇的です。アリアはテノールにあたられてます。

 さらに、ヨハネ福音書にない場面があって、それは、イエスが息を引き取ったあとの、天変地異。
ここは、マタイやルカから採用されてまして、イエスの神性の表出と神からのメッセージをあらわすこの事象は、人間ドラマとも呼べる受難曲のなかにあって、大きなアクセントとなってます。

アリアにも、至玉の名品がぎっしり。
イエスに従う思いを、フルートを伴いながら、軽やかに歌うソプラノのアリア。
十字架上で、イエスが、「こと足れり」と言い、息を引き取る場面での、痛切なる悲しみのアルトのアリア。これは泣ける。そして、その後の消え入るような福音史家のレシタティーフ。
このあたりが好きです。

 シュナイトさん、3度目の録音で聴きました。
70年代にレーゲンスブルクでアルヒーフレーベルに、あと2回は、日本でのシュナイト・バッハとのライブ。
ライプチヒのトーマス教会で歌うことからスタートしたシュナイトさん。
その体に沁みついたバッハの魂、ドイツ音楽の神髄を日本で披歴してくれたことを、まことに感謝しなくてはなりません。
 宗教音楽ばかりでなく、ドイツ各地でオペラの指揮をしていて、ワーグナーのリングまでその記録にはあります。
その広範なレパートリーを、もっと日本で聴きたかったところですが、体調不良でいまは、ドイツで静かに暮らしております。
 コンサートでは、わたくしたち聴き手には、いつも好々爺然とした方でしたが、練習では、ほんとうに厳しくて、驚きの逸話もたくさんあります。

それもこれも、音楽に対する愛と奉仕。
そして、日本の演奏家と聴き手に、いかに自分の持っているものを体感させたいとの想い。

そんなことを、このヨハネを聴いても感じます。
言葉に乗せた思いを音楽で表現すること。
ドイツ語のディクションも含め、そうとうな練習の末に、成し遂げられたこの演奏の素晴らしさ。
シュナイト・ファミリーともいえる、ソロのみなさんや、各楽器奏者の精度もとても高いです。

最後のコラール。
2009年に聴いたライブと同じく、じわじわとカーブを描くように盛り上がっていき、祈りの気持ちがまるで高まっていくかのように、輝かしさも感じさせつつ感動的に終結します。

このように、エンディングに、いつも、おおいなる感動が隠されている、シュナイトさんの演奏。神奈川フィルのコンサートで、何度も同じように体験しました。
本当に、忘れ得ぬことばかりです。

今年、85歳になるシュナイトさん。
いつまでもお元気でいて欲しいです。

ところで、シュナイトさんの生地は、ドイツのキッシンゲン・アム・マインとされてますが、ご本人が、インタビューに応えて語るものでは、同じバイエルンのリンダウとしていますが、どっちなんでしょうね。かなり離れてますよ。
リンダウは、スイス・オーストリア国境に近く、ボーデン湖に接する美しい街です。
いつか行ってみたいものです。

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2015年4月 2日 (木)

ブラームス 交響曲第2番 ハイティンク指揮

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一足先に、満開だった、芝増上寺のしだれ桜。

もう、いまは、散ってしまい、寂しい感じになってます。

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ソメイヨシノは、満開で、週の終わりには、雨も降り、きっと散ってしまいます。

本格的な春の訪れは、桜の開花でもって急に始まり、散ってしまうと、初夏への準備に入ります。

うららかな、時候に、ブラ2。

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   ブラームス  交響曲第2番 ニ長調

  ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                      (1973.6 @アムステルダム)


春の陽気に相応しい音楽のひとつが、ブラームスの2番。

明るい長調が基調の、喜びと暖かさにあふれたこの交響曲。

1番と4番よりは、2番と3番の方が、好き。

それは、北と南って感じかな。

でも4曲ともに、等しく名曲ですね、なんだかんだで、しょっちゅう耳にすることになってます。

 ハイティンクは、ブラームスの全集を、コンセルトヘボウ、ボストン、ロンドンと、3度録音してます。
ドレスデンやウィーンとも残して欲しかったところですが、これら3つのブラームス全集は、わたくしには、とても大切なセットです。

ロンドンのものは、録音が、ちょっといまひとつに感じ、ボストンは完璧ですが、どこか余所ゆきな感じで、ほんとのハイティンクの姿じゃない感が、わずかにあり。
そして、コンセルトヘボウのものが、一番に思えるのは、指揮者とオーケストラの均一なまでの関係が、それぞれに補完しあって、見事に結びついているからなのです。

4曲の録音で、一番古い3番は、旋律の扱いに、やや、そっけないところがありますが、オケの暖かなの響きでもって、包まれるようにして救われてます。
1,4番と経て、その音にも気合と充実ぶりを込めるようになったあと、最後に録音された2番にいたって、指揮者とオーケストラが、完全に、渾然一体となり、それがおのずと音楽を語るようになった。

どこがどうの、といった特徴は、取り立ててありません。

でも、この演奏のそこかしこ、隅々にみなぎる親密感は、今日明日で造られたものでなく、まして、優秀な指揮者が、瞬間風速的にいっときの名演を造り上げたようなものでもありません。
 同じ血の流れるもの同士が、長きにわたって育んできた関係の、最良の美しい結実とも呼ぶべきもので、指揮者とオーケストラとの幸せな結びつきが、ここに完結したのでした。

 高校生だったわたくしが、ハイティンク好きになったのは、それより少しまえで、いつも、ぼろくそに批評されてういたこの指揮者のことを、応援し始めたのは、3番の交響曲のレコードを買い、おりから来日した、このコンビの演奏をテレビで観てからでした!

 この2番と、チャイコフスキーの5番のレコードでもって、辛口だった、レコ芸の大木正興さんの評論が、絶賛に切り替わった。
それもまた、当時、喜ばしかったこと。
氏は、アバドのマーラーでも、高評価を下し、わたくしの溜飲を下げていただいたものでした・・・・。

 ともかく、この2番の演奏は、ほんと、素晴らしい。
言うことないから、なにも書きません。
録音もフィリップスのアナログ時代の、最盛期の素晴らしさ。

目をつぶって聴くと、行ったことはないけど、赤い絨毯に敷き詰められた、木質のコンセルトヘボウのあのホールの画像が、脳裏によみがえります。
 そして、同時に、日本の美しい、春と秋の景色にも、ぴたりとくるようです。

ブラ2の、わたくしのマイベストは、アバド&ベルリンフィルの旧盤と、こちらのハイティンク&ACO。そして、非正規ですが、クレー&フランクフルト放送。
ライブでは、なんといっても、シュナイト&神奈川フィルです♪
  

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2015年4月 1日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第5番 カヒッゼ指揮

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4月の小便小僧さんは、ほれ、ごらんのとおり、桜を背負った新入生。

天気のいい日でしたので、まさに、ぴっかぴか。

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特製、小便小僧クンバージョンのランドセルも、カワイイ。

日本は、年度替りで、なにかと、新鮮なムードですが、海外、ことに欧米は、今年は、今時分が、イースターで、ロングバケーションをとるご家族も多く、都内は、欧米系の子供連れの家族がたくさん見受けられます。

ともあれ、新入生さん、新入社員さん、新人さん、すべての皆さんの、ご活躍、ご健勝を、お祈りいたします!

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  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

    ヤンスク・カヒッゼ指揮 トリビシ交響楽団

                  (1999.12 @トリビシ)


今月の月イチは、チャイ5で。

それも、謎の指揮者、謎のオケで。

 この指揮者、このオケ、そして、レーベルは、MAZUR MEDEIAというもので、いまは、いずれも、まったく機能してなくて、散発的に復刻されてはいますが、かつては、秋葉原あたりのソフマップとか、こちらも、いまや、クラシックCDを購入するに、まったく相応しくない店で売られていて、ワタクシも興味シンシンで、いくつか購入したものでございます。

ナヌーイとか、リューブリアーナ響とか、さらに怪しげな組み合わせよりは、数等に、まっとうな演奏と録音のメンバーですよ。

 いや、むしろ、変なオケを聴くより、ずっとうまいし、妙に味わいがある。

カヒッゼ先生は、1936年生まれの2002年没の、グルジア出身のソ連邦時代の指揮者で、トリビシ響は、彼の出身国の首都で、彼が造り上げたローカル・オーケストラであります。
いまでは、活動していないそうですが、ともかく、遠い日本で聴く、異世界のオーケストラは、面白いものです。

ソ連人として、活躍していたカヒッゼさんは、みずから、グルジア響を創設し、その指揮者となり、同時に当地の歌劇場も統括し、ソ連邦の一員として、グルジア地区に文化貢献しました。

 ソ連崩壊後、1991年に独立したグルジアは、そのすぐあとの、ゴルバチョフの右腕的存在であった、同地出身のシュワルナゼが大統領となり、西側の国として、脱ロシア、親EUに根差した国となってます。
 その立地上、ロシア、トルコ、アルメリアなどに囲まれ、かつ、黒海に面することから、ワインの産地であったりと、とても複雑な国情に変わりはないようですが。

 だから、カヒッゼ先生も、トリビシ響も、そんな背景を得て、ロシア的な重厚さや、威圧感、
右に倣え的な統率感は、かなり少なめで、不思議な明るさと、明快さ、そして、おおざっぱな雑加減が、いい感じに作用している感じが、妙に新鮮なのです。

大国に飲みこまれてしまった、近隣諸国の個性は、おいそれとは回復できませんし、へたすれば、飲まれてしまったゆえの、その個性も本来、弱かったのかもしれません。

 音楽を聴きながら、その各国の事情や、歴史背景をあれこれ探るのも、これまた、音楽を聴く楽しみです。

 さて、ソ連時代から、独立国までを、駆け抜けたカヒッゼさんのチャイ5。

熱すぎず、寒すぎず、かといって、凡庸でもなく、不思議な味わいのある演奏です。

1楽章は、陰影ありすぎのクラリネットの開始に、ちょっと揺れる感じの他の木管に、おおっと思いつつも、意外とストレートに進行する流れ。
緩急は、この楽章をはじめ、かなりついてまして、気が抜けない。

2楽章は、思いのほか、ストレートな解釈。
録音のせいか、風呂場から聴こえるようなホルンに、妙に感心しつつ、やりすぎ感も漂う吹き方で、その印象は、のちの展開にも継続。
しかし、それらも、中途半端で、もっとやるなりゃ、やりゃぁいいのに・・・・って感じ。
オケは、でも、うまいぞ!

3楽章は、可も不可もなし。
思いのほか、なめらかな展開じゃん。

4楽章、激しいティンパニの殴打。
克明な展開ながら、一音一音を、丁寧にあつかっていて、突っ走る感は少なく、どしどしと進行。
でも、ロシア的な、おらおら感や、壮大な大地感はなくって、サバサバ感が優先。
このあたりも、不思議な感覚で、とりとめないままに、曲は進行して、終わってしまう。

個々には、オモシロおかし的な場面が随所に噴出しつつ、全体の流れが作れず、これといった印象を、聴き手に与えることができない、そんな典型の演奏。

 しかし、再度ですが、そんな国の、そんな指揮者の演奏なのですが、そこに、歴史と、いろんな背景があるんです!

それが、おもしろい♪

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