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2015年4月 7日 (火)

シベリウス ヴァイオリン協奏曲 タスミン・リトル

Ichigaya_1

曇り空の神田川。

飯田橋駅からの眺め。

吉祥寺あたりから、隅田川までを、ところにより細くなりながら流れる神田川は、かつては、江戸城の外堀の一角であったとか。

秋葉原あたりまで行くと、桜の花びらで、流れは埋め尽くされますね。

河川管理の皆さまは、きっとたいへんでしょうが、毎春、こうして、ほのかにピンクに染まる水辺を愛でる喜びは、筆舌に尽くしがたいです。
 うす曇のこの日も、ボートに乗る方が長蛇の列をつくってました。

先週末から、関東は、寒の戻りと、菜種梅雨がやってきて、うららかな春は、ちょっと隠れてしまいました。
 ですが、おかげで、桜もがんばり中。

Ichigaya_2


  シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調

       Vn:タスミン・リトル

  ヴァーノン・ハンドレー指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1991.9@リヴァプール)


元来、イギリスは、シベリウスを得意にする土壌があり、歴代の英国指揮者は、コリンズに始まり、みなさん、交響曲の演奏を、主なるレパートリーにしてきました。
 フィンランドよりは、南に位置しますが、それでも、連合国の最北端と、フィンランド最南端とは、ほぼ同じような緯度にあります。

島と泉に囲まれた神秘の国がフィンランド。
英国も広義にみれば、同じようなことがいえて、まして大陸でなく、孤高な島国で、かつ、いろいろな伝説もある。

気質的な符合も、こうしてあるのかもしれません。

わが国も、独自文化を築いた意味で同様ですし、シベリウスの音楽を、その北国的な自然の描写と合わせて、ごく普通に受け付けられるDNAを持っているような気がします。

 さて、今宵は、純英国産のシベリウス。

ロンドン生まれのヴァイオリニストと指揮者に、リヴァプールのオーケストラ。

シベリウスの協奏曲の演奏で、このところ、一番好きな演奏です。

タスミンこと、タスミン・リトルは、もうベテランですが、彼女が、若い頃から、そのディーリアスの演奏でもって、親しく聴いてきました。
若いころから、いまに至るまで、自国の作品を啓蒙とともに、素晴らしい感度の高さでもって演奏し続けて、かつ録音もたくさん残してきていただいてます。
 英国音楽好きにとって、タスミンの存在は、本当にありがたく、後光が射しているかのような彼女なのです。

英国以外は、EMIに、かなりの録音をしてます。

彼女のヴァイオリンは、快活かつ明るく、屈託がありません。
メニューンに師事した彼女ですが、技能的な部分と、その精神性を受け継ぎつつも、ロンドンっ子らしい、明るさでもって、誰が聴いても嫌味ない、素直な音楽造りが、そこに加わって、いつも、とても素敵なのです。

このシベリウスも、深刻さはなく、清涼かつ、わたくしには、暖かさすら感じ、そして、英国風の生真面目な情熱を感じる演奏に思えるのです。

タスミンのヴァイオリンには、民俗臭や、熱い思いは、あまり感じさせません。
その点で、名演と称されるチョン・キョンファのものと、同じ女性ヴァイオリンでも、まったく違います。
過度な主張はなくとも、タスミンの演奏は、明るい一方、淡々と、シベリウスのお国への思いや、その自然への讃歌を、充分に感じさせてくれます。

 そんな彼女のソロを、しっかり支えるハンドレーさんの指揮も、出すぎず、隠れもせずの、中庸の態勢ながら、ときに克明なサウンドでもって、おっ、と言わせてくれたりもします。
ハンドレーのシベリウスの交響曲、聴いてみたかったですね。
2008年に、惜しくも亡くなってしまいました。
何度もなんども、書きましたが、B・トムソン、V・ハンドレー、R・ヒコックスの3人の指揮者の喪失は、イギリス音楽界の最大の損失であります。

そんなこんなを思いつつ、今年生誕150年のシベリウス、1903年、38歳の作。
北欧に思いを馳せることのできる、幻想的かつ現実的な、ヴァイオリン協奏曲の傑作を聴きました。

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コメント

タスミン・リトルできましたか。イギリス音楽の大好きなyokochanさんにすれば、当然、最も身近にあるヴァイオリニストと思っていました。
以前FMで聴いた彼女のシベリウス。その屈託がなく大らかな演奏に、厳しさより温かながものがシベリウスにもあることを教えられました。それは、バックを受け持つハンドレーとリヴァプール・フィルの力もあるのでしょうが。
どうして彼女の演奏が注目されないのか、不思議でたまりません。

投稿: IANIS | 2015年4月 9日 (木) 00時14分

IANISさん、まいどです。
そうです、お姉さん株がタスミンで、妹分がニコラ。
わたしの、フェイヴァリット英国系女流ヴァイオリニストです。

若い頃からすると、昨今の英国ものに聴く充実ぶりは、そうとうなもので、熱い使命のようなものさえ感じてしまいます。
バッハも清々しく、明瞭な演奏なんですよ。
来日してほしいものです。

投稿: yokochan | 2015年4月11日 (土) 06時38分

yokochanさん

 この曲は大変奥深いもので、様々な解釈方法があるらしいですね。有名評論家のU氏は、「この曲はシベリウスなんだから、あまり明るい音色で弾いては、本質にそぐわない」旨の発言をされているそうです。だとすると、オイストラフ・オーマンディとかは否定されるでしょうし、アッカルドなんかは問題外なんでしょうねえ。イギリスの演奏家はさほど明るい音をだすわけではないでしょうから、U氏も問題視はしないでしょうが、私は個人的にはそれはあまり関係ないと思っています。オイストラフ・オーマンディ、しみじみとした演奏ですよ。
 yokochanさんが紹介されているこの演奏、初めて見ました。探してみましょう。

投稿: 安倍禮爾 | 2015年4月12日 (日) 13時00分

安倍禮爾さん、こんにちは。
U氏は、協奏曲ですから。かつて、この音盤をどう評価したかは知れずとも、普通に、素敵な演奏です。

取り立てて、個性的なものはありませんが、中庸のイギリス精神と、シベリウスの音楽への帰依の心持ちを感じたりもします。
シリアスになりすぎない、ほど良さが、とても心地よく感じる演奏です。

投稿: yokochan | 2015年4月15日 (水) 23時36分

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