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2015年5月

2015年5月31日 (日)

レスピーギ 「セミラーマ」 ガルデッリ指揮

B

5月のある日の夕焼け。

くっきりとした冬の夕焼けと違って、この時期のものは、地上の熱の影響で、なかなかに、ドラマティックな光景になることが多いです。
何度も、書きますが、夕焼け大好き。

Respighi_semirama

  レスピーギ  歌劇「セミラーマ」

    セミラーマ(バビロニアの女王):エヴァ・マルトン
    スジャーナ(カルデアの王女):ヴェロニカ・キンチェシュ
    メロダーシュ(バビロニアの士官):ランドー・バルトリーニ
    ファラッサール(アッシリアの統治者):ラーヨス・ミラー
    オルムス(バアル神の高僧):ラースロ・ポルガー
    サティバーラ(バアル神の預言者):タマス・クレメンティス

  ランベルト・ガルデッリ指揮  ハンガリー国立管弦楽団
                    ハンガリー放送合唱団

                     (1990.8.20~29 @ブタペスト)


レスピーギ(1879~1936)の10あるオペラ関連作品(そのうち一つは、未完。さらにひとつは、未完を夫人が補筆完成)のうち、3番目、「セミラーマ」を。

レスピーギの概略、その人となりは、こちらに書きました(→)

レスピーギのオペラは、そのすべてが録音されておらず、また、その限られた音源も手に入れにくく、しかも外盤ばかりで、その作品の詳細理解が難しいのですが、未知オペラをじっくり聴きあげることが好きなワタクシ、次のターゲットをレスピーギにいたしました。

1908~10年にかけての作品で、ドイツ滞在中に書きはじめ、ボローニャにて完成。
初演も、ボローニャで、同年、11月に行われ、大成功を博したとされます。

原作は、ヴォルテールの「セミラミス」で、これを台本作家アレッサンドロ・チェーレが3幕仕立てにいたものが、このオペラのベースです。

 このセミラミスは、美貌・聡明・残虐さをそなえた、紀元前9世紀のアッシリアの伝説上の人物で、アッシリア王に気に入られ、王子も産むが、その王を殺し、王子は行方不明になり、やがてあらわれた王子を、実の息子とお互い知らずに結婚しようとし、最後は、その息子に、父殺しの復讐をされてしまう。

かつてのギリシア神話によくある説話のたぐいで、オイディプスやエレクトラを思い起こします。

そして、この題材は、多くのオペラとしても残されてます。
一番有名どころでは、ロッシーニの「セミラーミデ」でしょう。

 この壮絶なドラマに、レスピーギは、その劇的なオーケストレーションの才能と、イタリアオペラの伝統の豊麗な歌唱を組み合わせ、見事な作品を書き上げました。
30歳のレスピーギの意欲的なこのオペラには、いろんな要素がぎっしり詰まっていて、以下、解説からや、聴いた印象も含めて羅列してみます。

・強気で自己中心的な女王(王女)、そして、暗い影を引きずっているという意味で、
 サロメや、エレクトラ、トゥーランドットに通じる。
 同様に、壮大な歴史ドラマが背景に。

・そうした意味もこめて、その音楽は、R・シュトラウス(1864~1949)顔負けの濃厚
 芳醇世紀末サウンド。
  同様に、先輩プッチーニ(1858~1924)顔負けの、甘味で美しい旋律の渦。
 さらに、ロシアで教えを受けたR=コルサコフ譲りの、エキゾティシズム。
 ペンタトニック音調が、いかにもメソポタミアン(?)な雰囲気を醸し出してる。
  レスピーギ若き日々の立ち位置が、よくわかります。
 古典的な佇まいを示すのは、ずっと後年のこと。

・プッチーニは、このレスピーギの「セミラーマ」が作曲されたころ、まだ、
 「トゥーランドット」(1919年頃より準備、1924年未完)の発想をまだ持ち合わせて
 いなかったが、レスピーギのスコアを どこかで見たという可能性が云々される・・・・

・「トゥーランドット」とのキャストの類似性
 そちらも、もともとが、アラビアが舞台の物語。
 ドラマティックソプラノによる女王、ヒーローの王子、その王子を慕う優しいソプラノ
 慈悲に溢れたお爺さん(バス)は、共通。
 そこに、「セミラーマ」は、横恋慕するバリトンが加わる。

・「サロメ」の影響
 シュトラウスの「サロメ」は、1905年の作で、「セミラーマ」作曲開始の3年前。
 セミラーマ前に、ドイツに長期滞在していたレスピーギ。

・コルンゴルトサウンドへの近似性
 コルンゴルト(1897~1957)は、レスピーギの一回り後輩。
 近未来的なキラキラサウンドは、お互い近いものがある。
 ことに、「死の都」を一瞬思わせるヶ所が、「セミラーマ」にもありました。
   しいては、ハリウッドの壮大な歴史ドラマにも相通じるものも!


 以上のように、聴いていて、いろんなインスピレーションが湧き上がってくるレスピーギの初期のころのオペラ。
あと出しイメージ操作のできる、いまのわれわれ聴き手ですがゆえ、このように、何に似てるとか、誰の影響とか言ってしまいます。
 ですが、以前にも、ぼんやりと書いたとおり、音楽って、そういうものだし、作曲家も、演奏家も、みんなお互いに影響しあって、刺激しあって存在してるもの。
何々風とか、誰それに似てるなんて、別に、その音楽の存在価値をおとしめるものでは、一切ない表現や評価だと思います。
 そして、いろんな作曲家たちが活動した時代背景や、場所、それらの相関関係を紐解くことも、後世のわれわれには、楽しみのひとつであります。

 物語は、紀元前9世紀ごろのバビロニア

第1幕 バビロンの王宮
 
女王セミラーマと、かつて征服された国の王女、いまは、その待女となったスジャーナが、反乱軍との戦いに勝利した自軍が、多くの豪華な戦利品を積んで入港するのを空中庭園から見守っている。
しかし、ふたりの女性が気になるのは、それらのお宝ではなく、その出生も謎に満ちた勇敢な戦士、メロダーシュのこと。
 
 反乱軍の指導者の処刑も行われ、セミラーマは、冷徹に対処しつつも心が苦しい。
その晩、スジャーナとメロダーシュは、久方ぶりに会って、お互いの愛を確認する。
ふたりは、幼馴染みであった。

第2幕 バアルの神殿

高僧オルムスが朝の祈りを捧げている。
そこへ、ファラッサールが預言者とともに、相談にやってくる。
彼は、かつて、バビロニアの国王を高僧から約束もされ、かつての国王殺しも加担していて、セミラーマが、メロダーシュに夢中になっていることから、彼女のことを失いたくないと思っている。
 この横柄な態度に、バアル神の像の後ろで聞いていたセミラーマが躍り出て、怒りをあらわにする。
 ファラッサールは、あの正体不明の亡命者、メロダーシュこそ、かつてのセミラーマの息子ニノでありことを告げるが、セミラーマはまったく信じることがなく、メロダーシュとの婚姻を進めることを宣言する。
高僧オルムスの占いでは、不吉の預言が・・・

第3幕 宮殿

セミラーマとメロダーシュの婚姻が発表され、その賑やかな祝宴に皆は浮かれている。
ファラッサールは、スジャーナに、メロダーシュの身の上の秘密を告げ、彼女からメロダーシュに思いを踏みとどまらせようと画策する。
 深い悲しみに落ち込み、愛する恋人を失うことでは、利害の一致する彼女は、メロダーシュに、ファラッサールから聞いた話を伝え、母親と結婚することをやめさせようとする。
 熱い愛を語りあう、セミラーマとメロダーシュのところにスジャーナは意を決して登場。
女王は、席を外すが、スジャーナから話を聞いた血の気の多いメロダーシュは、意味のない中傷として腹をたて、むしろ、ファラッサールを殺害する計画をたてる。
 その晩、暗い霊廟にて。
ファラッサールがかつて、先王を暗殺したのと同じように、今度は、メロダーシュが隠れ、待ち受ける。
そして、あらわれた人物にメロダーシュは襲いかかり、一撃で倒してしまう。
 
 ところが、倒したその人物は、セミラーマであった。
セミラーマは、息も絶え絶えに、「わたしの息子よ、母親の言葉を聞け、わたしは、これから暗黒をさまよいます、そして、永遠にあなただけを愛します、ニノ、わたしの子供、母は、あなたに口づけがしたい・・・・」といってこと切れる。
外では、セミラーマの名を歌い呼ぶ、声がこだまする。

                幕

対訳なしで、まっく難渋しましたが、だいたいこんな感じの物語です。
セミラーマは、冷たいトゥーランドットのようで、でも、息子に命を奪われることで、母として覚醒し、優しいひとりの女性となって浄化されるのです。
最後の、静謐なシーンは、とても印象的で、感動します。

そして、全編にわたる、若いとはいえ、レスピーギならではのオーケストラの素晴らしさ。
歌も、イタリア・オペラの伝統を踏まえながらも、激烈なヴェリスモとは一線を画した、どちらかといえば、フランスやドイツのオペラに近い感じで、抒情と流麗さが際立ちます。

1幕の若い男女の二重唱は、匂い立つほどの芳香を感じます。
とてつもなく美しく、官能的で、トリスタン的でもありました。

2幕では、東洋風の調べが、アラビアンな雰囲気ムンムンで、エロティックかつエキゾティック。
そして、ファラッサールの、まるで、スカルピアをも思わせるような信条告白がナイスなアリアがありました。
さらに、セミラーマの気の強さが満々なのが分かるアリアもあります。
まるで、不感症のトゥーランドットみたいだ。
何度もいいますが、トゥーランドットより先の作曲ですから。

3幕では、スジャーナの「悲しいかな・・・」という、それこそ哀れさそうアリアが美しい。
そのあと、一転して、パーティのどんちゃん騒ぎになだれ込む、その対比。
ベルクやシュレーカーすらも思いおこしたその鮮やかさ。
その宴会は、「神々の黄昏」の第2幕っぽい。
そして熱い親子の恋人的な二重唱に、母として死を迎える、楚々とした最後の場面。
優しい女性として、自省もこめて、人生の括りとして、力強く、でも愛情を込めて歌う死のセミラーマは、ほんとに感動的です。
死による浄化が、ここで行われる訳です。

 全体を統率する、ガルデッリの指揮が、まことにもって素晴らしい。
オペラの呼吸を完璧なまでに身に付けたこの指揮者は、ヴェルデイを指揮する如く、真摯に、そして旋律のラインを大切にしながらも、歌手を盛りたててます。
ハンガリーのオケが、こんなに軽やかで明るいのも、この指揮者のおかげです。

エヴァ・マルトンは、相変わらずの熱演ですが、マゼール盤のトゥーランドットが刷り込みでもあるので、どうしても、そちらの印象に引っ張られます。
強引さが逆によく出ていて、これはこれで良い歌唱でしょう。

息子兼恋人のバロトリーニは、ちょっと一本調子。
ドミンゴだったら・・・との思いをぬぐい切れません。
もっと、スタイリッシュな歌を望みたい。

あと、ポルガーの深いバスが印象的で、このハンガリーの亡き名バリトンの良き記録ともなりました。
ほかは、まずまずかな。

なによりも、ゼロから始まって、何度も何度も聴いて、ものにしてゆく、初聴きのオペラ体験。
レスピーギのオペラ、ほかの作品も、なかなかでして、これから聴き馴染んでゆくこと、大いに楽しみです。

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2015年5月29日 (金)

「オペラ間奏曲集」 カラヤン指揮

Takt_1

色鮮やかな、イタリアンサラダ。

こちらは、東京都内だけど、湘南野菜だけにこだわったお店。

歯ごたえも楽しめ、野菜の甘みもたっぷりあるんですよ。

Takt_2

メインのお肉は、短角牛の香味ロースト。

柔らかくジューシーなお肉に、頬がとろけそう・・・。

ちょっと前の画像です。

知ってる人は知っている、いまは、こんな美味しい生活をしてませんワタクシです。

でも、たまには、いい。
あとで、調整するという生活のサイクルを身につければね。

Karajan

     「オペラ間奏曲集」  

 
  1.ヴェルディ 「ラ・トラヴィアータ」 第3幕間奏曲

  2.マスカーニ 「カヴァレリア・ルスティカーナ」 間奏曲

  3.プッチーニ 「修道女アンジェリカ」 間奏曲

  4.レオンカヴァルロ 「パリアッチ」 間奏曲

  5.ムソルグスキー  「ホヴァンシチナ」 第4幕間奏曲

  6.プッチーニ 「マノン・レスコー」 第3幕間奏曲

  7.F・シュミット 「ノートル・ダム」 間奏曲

  8.マスネ    「タイース」 瞑想曲

  9.ジョルダーノ 「フェドーラ」 第2幕間奏曲

 10.チレーア   「アドリアーナ・ルクヴルール」 第2幕間奏曲

 11.ウォルフ・フェラーリ 「マドンナの宝石」 第3幕間奏曲

 12.マスカニーニ  「友人フリッツ」 間奏曲

   ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1967.9.22 @イエス・キリスト教会)


今宵は、大好物の1枚を。

このジャケットからして懐かしい。

レコード時代、カラヤンのこのカッコいい横顔のジャケットは、ベートーヴェンの第9のゴージャスなジャケットと同じものでした。

そして、久しぶりに聴き直してみて、うめぇ~もんだ、と、思わず膝を叩くことになりました。

カラヤンとベルリンフィルが、もっとも、「カラヤンのベルリン・フィル」だった時代。

DGに大量の録音を、せっせと行っていた60年代。
ザルツブルクで併行上演中だった、リングも、ワルキューレやジークフリートの頃。
そんな大作に混じって、このような小粋なアルバムも、本気モードで録音してたカラヤン。

イタリア・オペラが中心ながら、ロシアとフランスも少し。

オペラ指揮者としてのカラヤンの面目躍如たるこの1枚は、序曲や前奏曲でなく、オペラ劇中の間奏曲=インテルメッツオばかりを集めたところがミソです。

オペラの中で、序曲や前奏曲は、劇全体の雰囲気を先取りした、いわばエッセンス的なものが多いのですが、間奏曲の場合は、劇の中の「つなぎ」「箸休め」的な存在。
そして、ドラマの進行のなかで、全体の話ではなく、直前に起こったこと、または、これからの幕で起こるであろう出来事を暗示したりもする役割を担います。

そんな間奏曲たちを、全力投球でもって演奏した、カラヤンとベルリンフィル。

ともかく、心をくすぐられ、痒いところに手が届くほどに、気が効いてるし、隙もなく完璧で、お上手。
特に、連綿たる旋律が、人工甘味料的な甘さと、怖いほどに美的に、滔々と演奏されるのは、耳の快楽であるとともに、イケナイものを聴いてしまった的な不安をも呼び起こします。
 それほどまでに、凄い魔力を持つこの1枚。

プッチーニ狂としては、そのオケ作品としては、もっとも大好きな「マノン・レスコー」が、世紀末の香りもぷんぷん、退廃的なまでに濃厚で、狂おしいほどの演奏です。
 全曲録音している、お得意の「カヴァ・パリ」も、実に堂に入った演奏で、うなりをあげるベルリンフィルの威力に、完全にお手上げになります。

「タイス」では、かのシュヴァルベの名ソロが、泣けるほどに美しい。
そして、カラヤンのチレーアも、実に貴重で、4幕の前奏曲でなく、2幕の間奏曲を選んだのが実に心ニクイ。
いじらしいほどに、ステキなチレーアの音楽の真髄を味わえるのだ。
この「アドリアーナ」に、「アンジェリカ」、「フェドーラ」は、いずれも大好きなオペラだけに、カラヤン節の一節でも録音が残されたのはうれしい。

しかし、純正なイタリア・オペラのカンタービレからすると、これら「カラヤンのベルリンフィル」の音は、正直、異質です。
あまりに、威力がありすぎて、嵩にかかったように鳴り渡る音の洪水は、しんどいことも事実。
「ノートル・ダム」と「友人フリッツ」にとくに強く、それを感じます・・・・。

ですが、豪華絢爛のエンターテイメント、ときには、こんな美味しいものを、次々にいただくのも、耳の贅沢というものです。

美味しゅうございました

いまや、姿を変えたベルリンフィルは、次のシェフを選べずに混迷してます。
あらためて、カラヤンの凄さを実感したし、大指揮者の時代、そしてアバドのような名指揮者の時代も、すでに過去のものになった感ありです。

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2015年5月28日 (木)

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番 ルービンシュタイン

Green_azumayama_1

眩しくも鮮やかな新緑。

緑は、いまが一番、空にも、街にも、映えますね。

もうじき梅雨を迎える、濃くなる前の、そんな前の緑が美しい。

若々しい、緑のような音楽を。

Green_azumayama_2

   ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 op15

        Pf:アルトゥーロ・ルービンシュタイン

   ダニエル・バレンボイム指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                      (1975.4.9 ロンドン)


ベートーヴェンの5つのピアノ協奏曲のうち、何番がお好きですか?

そんな質問があったら、クラシック聴き始めの自分だったら、1番か5番。
そのあと、そこそこ、クラシックに馴染んだ自分だったら、4番。
そして、いま、普通もいいけど、それじゃすまない、多方面外交にうつつをぬかす自分だったら、1番か3番。

聴き始めのころの好印象の1番が、いまのヲタク聴き的な自分からしても、かなりのお気に入り位置にいることに、妙にうれしかったりします。

調和のとれたハ調、モーツァルトの協奏曲の延長上にありつつも、ベートーヴェンならではの、キリッとした表情と、青年の主張的な爽やかさと、たどたどしさ。
 1番には、そんな清潔な美感と、旋律の美感があふれているんです。

1794年、ベートーヴェン24歳のときの作品は、出版の関係から、2番の方があとになったが、実は、この1番の方が後年の作品。
1番・2番ともに、古典的でありますが、作曲家の思いを強くしみ込ませ、後の、ロマン主義の萌芽を、より見出すことのできるのは、1番の方。

うららかな歌と、抒情にあふれた3つの楽章を、晩春に聴くと、寂しさよりは、これから始まる自然の爆発を、より強く感じることができます。
 とりわけ、たおやかな第2楽章がステキです!

ルービンシュタインは、この録音時、すでに88歳。
生涯に3度のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を残したルービンシュタイン。

56年に、クリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エア~56歳
63年に、ラインスドルフ&ボストン響~76歳
75年に、バレンボイム&ロンドン・フィル~88歳

どうです、この履歴。
人間の生きざまの、可能性として、こんなに嬉しい年代の記録ってないです。

88歳の老人(失礼)が、かくしゃくと、寸分たがわず、明晰に弾くベートーヴェン。
そして、そここに、味わいのある、タメやフレーズの歌い回しが。

これはもう、なにをかいわんやの世界です。

ほかの番号も、同様に素晴らしいのですが、88歳の老齢の巨匠が、24歳の作曲家の曲を、いかにも、昨日今日出会ったかのような、新鮮なタッチでもって演奏する、そんな1番が、とっても美しく、鮮やかなんです。

指揮に、バレンボイムというのも斬新な70年代半ば。
バレンボイムは、アシュケナージとならんで、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の、ピアノ弾き語りと、ピアノ独奏、オケ指揮という、文字通り多方面の顔を、CDに刻んだ、最初の超人であったと思います。

流れと、勢いにまかせて、今宵は、このコンビの演奏で、3番なんぞも、聴いてみようと思ってます!

しかし、歳を経て、年代と共に、アダージョなどの緩徐楽章にこそ、心奪われるようになってきました。
ちょっとの、ギャラントさも残す、1番の2楽章が、この演奏では、このうえなく、達人の演奏の域に思えるのでございました。。。。

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2015年5月22日 (金)

ベルリオーズ 幻想交響曲 ミュンシュ指揮

Hamamatscho201105

今月、5月の小便小僧クンの写真を撮り忘れてしまいました。

よって、今年、2015年5月は欠番します。

過去4年間の5月をレヴュー。

まずは、2011年、震災の2カ月後・・・・。

Hamamatsucho_201205

2012年5月。

Hamamatscho201305

2013年5月。

Hamamatscho201405

2014年5月は、変化して、桃太郎コスプレ!

今年、電車の中からチラ見したら、兜と鯉のぼりしょってました。

そして、ツキイチ幻想。

Much_ber

  ベルリオーズ  幻想交響曲

    シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

                     (1962.@ボストン)


名指揮者シャルル・ミュンシュ(1891~1968)は、ご存知のとおり、ベルリオーズを得意にし、多くの録音も残しましたが、そのミュンシュに若き日に師事した、小澤さんも、ベルリオーズをレパートリーにして、師のボストン響の音楽監督を長く務めたことは、ご存知のとおり。

 ミュンシュの幻想は、いま、5ないしは、6種類の録音が残ってますが、そのうち、代表的な3つのスタジオ録音のみ聴いてます。
パリ管ライブや、ハンガリーの放送録音は、聴いたことありません。

そして、新旧ボストンと、EMIパリ管の中で、とびきり一番の演奏が、ボストン新盤62です。

旧盤は勢いがありますが、録音も含めて荒い。
パリ管盤は、自在さが増したのと、新生オケとのやる気のエモーショナルが、熱く燃えた演奏になっておりますが、EMIの録音が好きじゃない。
そのパリ管より、さらに激してるのが、ボストン62。

おまけに、RCAのボストン録音の中でも、とりわけ素晴らしい音で、とても50年以上前のものとは思えない生々しさと、音の力感、分離のよさが際立ちます。
もともとの演奏がそうだからなのですが、低音のうなりをあげる迫力を、まともに捉えているところも、この録音の素晴らしさです。

しかし、すさまじい迫力。

ミュンシュの指揮の一本義な熱さ、縦割りにキレのいいド迫力サウンドは、聴いていて、人を思いきり夢中にさせてしまう情熱の爆発に、タジタジになってしまう。
 ちょうど、ベイスターズが、曲の途中で、サヨナラ勝ちをしたもんだから、その興奮も乗り移って、自分の中で気分大高揚、すごいことになってしまった、終楽章サバトのシーン。
 息つく間もない一気ぶりに、思わず、笑いがこみ上げてくる。
最後の、途方もない大迫力のエンディングは、パリ管でも、旧盤でもそうですが、かなり音を伸ばします。

そんな迫力シーンばかりでなく、ミュンシュのオシャレなところは、舞踏会のワルツのセンス溢れる歌い回しや、1楽章にあらわれる、恋人の主題の緩急の付け方。
 そして、もうここ数年、この曲で一番好んでる静かな田園風景の、おっとりした中にも、不穏な影を潜ませる味わいの深さ。

ベルリオーズの狂気が、そのままミュンシュの棒に乗り移ってしまったかのような、凄まじさと、熱気と情熱に溢れた演奏。
アメリカ的な派手さやにぎにぎしさに陥っていないのは、ヨーロピアンなボストン響の響きあってのもの。

そうそう、ホールの外の車の音も、ちゃんと聴こえる優秀録音なんですよ。

以上、おしまい。

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2015年5月19日 (火)

茅ヶ崎交響楽団演奏会 永峰大輔指揮

Chigasaki

暑かった日曜日。

電話ボックスを撮ったワケじゃないけれど、なかなかいい角度でホールを俯瞰することができなかった。

ここは、茅ヶ崎市民文化会館。

都内を発して、茅ヶ崎へ下車し、茅ヶ崎交響楽団を聴いて、電車でちょっとの実家には寄らずに、千葉のお家へトンボ帰りして、用事をすませて、また都内へ戻るという、妙に慌ただしい相模湾・東京湾の旅でした。

でも、とても清々しい演奏会が聴けて、疲れなんて、少しも感じなかった日曜でしたね。

神奈川フィルの前副指揮者の永峰大輔さんが、茅ヶ崎のオケに客演すると聞きおよび、出かけたわけです。

子供時代、ハレの日の買物は、通常は平塚のデパートで、ときおり、藤沢か横浜。
そして、茅ヶ崎は、ディスカウントストアの走りのようなチェーン店、「ダイクマ」が駅近にあったので、釣り好きの父親とよく行ったもので、茅ヶ崎は、わたくしには、加山雄三や、のちのサザンではなく、ダイクマの印象が強いのです。

釣り具も豊富だったけれど、オーディオも妙に充実していて、ダイヤトーンのでっかいスピーカーで、メータ&ロスフィルの「ツァラトストラ」を鳴らしてもらって、堪能したのは中学生だった自分です。
そう、レコードもクラシックは、そこそこ置いてあったのですよ。

そんな音楽との出合いも、茅ヶ崎というと思い起こすこと。

前置きが長くなりましたが、茅ヶ崎で、アマオケとはいえ、本格的なプログラムによるコンサートを味わうとは、当時は思ってもみなかったことですね。

Chigasaki_2

  ヴェルディ     歌劇「ナブッコ」 序曲

  サン=サーンス  「アルジェリア」組曲

  シベリウス     交響曲第2番 ニ長調

             アンダンテ・フェスティーボ(アンコール)

       永峰 大輔 指揮  茅ヶ崎交響楽団

                    (2015.5.17 @茅ヶ崎市民文化会館)

どうです、なかなか意欲的な曲の並びでしょう。
生誕180年のサン=サーンス、同じく150年のシベリウス。

茅ヶ崎交響楽団は、1983年発足で、今回で63回目の定期演奏会を迎え、地元・茅ヶ崎に根差し積極的な活動をしている団体です。

そして、お馴染みの永峰さんの経歴をここでご案内しますと、洗足学園音大を経て、フランツ・リスト音楽院や、ドイツ北部のメクレンブルク学び、海外各地での経験も豊か。
首都圏・関西圏での活動のなかでは、2012年から務めた神奈川フィルの副指揮者として、多方面での活躍が、印象に新しいところです。
その間、ウクライナ、アトランタ、それぞれの指揮コンクールで、最優秀指揮者に選ばれていて、今後の活躍もますます期待される若手です。

ステージをよく見れば、神奈川フィルのおなじみのメンバーも発見♪

 冒頭にヴェルディの、イケイケ系の序曲を持ってきたのは正解ですね。
ただでさえ固くなりがちなコンサートのスタートに、オケも聴衆も、熱い歌で一気に、緊張もほぐれるというものです。

 次ぐサン=サーンスの曲は、実は初めて聴きました。
「アルジェを目指して」、「ムーア風狂詩曲」、「夕べの幻想 ブリダにて」、「フランス軍隊行進曲」の4曲からなる、まさに南国風かつ南欧風のエキゾチックなムードの曲です。
 この中では、砂漠のオアシスの熱い夜を思わせる、ムーディなヴィオラソロが入る3曲目が、曲も演奏も聴かせました。
最後の威勢のいい行進曲は、フランスの植民政策が背景にあったかの時代を思わせはしますが、ラ・マルセイエーズが寸どまり気味に顔を出して面白かったです。
演奏も、最後は、永峰さんのリズムさばきが見事で、軽快かつ盛り上がった演奏となりました。

後半は、シベリウスの大曲。
1と2楽章をアタッカでつなげて、3・4と連続する楽章との対比と、構成感を巧みに表出しました。
細かなところで、いろんなことは起こりますし、ありますが、ですが、演奏する皆さんの真剣さと、熱い思いが、ジワジワと滲み出てきて、感動を呼んだのが第2楽章。
 前日に聴いたヴァイオリン協奏曲でもそうですが、シベリウスの音楽は、緩徐楽章や静かな場面が、北欧ならではの我慢強さや、熱い信念、厳しい冬との対峙などを感じることが出来て、大好きです。
また、そこには、だれしもが思い描くことのできる、北欧フィンランドの森と湖の光景が、そのまま音になっていることを感じる。
 この楽章で、トランペットのソロが寂しさも感じられ、素敵でした。

そして、思いきり爽快だった終楽章。
みなさん、これまでの練習の成果と、これが最後だという思いからでしょう、気持ちよさそうに弾いてらっしゃるし、永峰さんも、楽員さんの思いをしっかり受けて、解放してゆくような指揮ぶりでした。
音楽には、力強さと、うねりも感じられ圧巻のエンディングです。

 アンコールは、渋いところで、弦楽だけの、これまたじっくりジワジワ感動が来る曲、「アンダンテ・フェスティーボ」。
桂曲・桂演、湘南の地に相応しい、爽やかな風、届きました。

終演後は、この日集まった、We Love神奈川フィルのメンバーとともに、楽屋口に、永峰さんを訪れ、ご挨拶いたしました。

神奈川と、千葉のアマオケも、これから要チェック。
そして、永峰さんとともに、その先代、伊藤翔さんも、神奈フィル・ファミリーとして、その活躍をお祈りするとともに、これからも、聴いて行きましょう。

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2015年5月18日 (月)

神奈川フィルハーモニー第309回定期演奏会  小泉和裕指揮

Minatomirai20150516_b

16日、土曜のみなとみらいは、曇天でしたが、湿度が高くて、ちょっとむしました。

広場では、横浜出身の音楽ユニット、「コアラモード」が歌ってまして、握手会にたくさんの行列が。
前にも、彼女たちをここで見ましたが、人気も出てきて、人も集まるようになってきましたね。
彼らの曲は、「七色シンフォニー」という可愛い曲で、とても音楽的ですよ。

 さて、この日は、神奈川フィルの定期。

北欧の協奏曲とシンフォニーを聴きます。

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   シベリウス   ヴァイオリン協奏曲  ニ短調

             Vn:米元 響子

   ニールセン   交響曲第4番 「不滅」

      小泉 和裕 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                     (2015.5.16 @みなとみらいホール)


ともに、今年生誕150年を迎える北欧のふたりの作曲家、フィンランドのシベリウスと、デンマークのニールセン。
その代表作を同時に味わえる、魅力的なコンサートでした。
ナイスプログラミングですね。

そして、両曲ともに、曲の真髄を堪能することのできた名演だった。

2007年のシュナイトさんとのブラームス以来の、米元さん。
彼女の、決してぶれることのない、強い意志に貫かれたヴァイオリンのひとつひとつの音色が、実に素晴らしい。
強い音から、繊細な弱音まで、音の幅の表出力が鮮やかで、どれひとつとして気持ちのこもっていない音はないように聴きました。

とりわけ、2楽章は、深々(しんしん)として、胸に迫ってくる感動を届けてくれました。
この協奏曲で、一番好きなのは、この楽章なのですが、オーケストラのクールな情熱のパレットを背景に、米元さんのヴァイオリンがしっとりと、そして、だんだんと熱くなってホールに響いてゆくのを、耳をそばだてて聴きました。
そして、不覚にも、涙ぐんでしまいました。
 この楽章で、応援メンバーの仲間Aさんも、ハンカチで涙をぬぐう姿を、わたくしは見逃しませんでしたよ!

この協奏曲では、小泉さんは、譜面を置かず、暗譜で指揮しました。
編成は、さほど大きくはありませんが、オーケストラは、いろんな仕掛けがあったり、リズムが難しかったり、そして大いに幻想的なものですから、以外と難しい曲なのです。
ソロもオーケストラも、小泉さんの指揮は、きっと安心できるものだったでしょうね。

いつも思うけれど、小泉さんは、指揮中、日本の足を絶対に動かさない。
しっかり地に足が着いてます。
そして、米元さんも、しっかり、動くことなく、きれいな立ち姿での演奏でした。

 後半は、ニールセン。
この曲を実演で聴くのは初めてかも。
CDでは、ラトルやベルグルンドが刷り込み。

オーケストラの編成は、ぐっと大きくなり、ティンパニが左右に別れて、二人の奏者が構える。
爆発的な出だしから、神奈川フィルのきらめくサウンドは全開で、次いで出てくる牧歌的な、いかにも北欧らしい場面も、このオーケストラならではの繊細さと優しい音色がぴたりときます。
 ニールセンの6つの交響曲は、それぞれに個性的で面白いけれど、どの曲にも通じるとっつきの悪さ。
晦渋さをも備えもった作品たちなのです。
4つの連続した楽章は、思えば至極古典的な構成で、最後の輝かしい集結に向かって、悲劇色や、緊張、そして柔和さも併せ持つ場面が続出します。

それらの流れを、小泉さんは、しっかりと把握したうえで、オーケストラを統率していた感があり、聴いていて、その流れがとてもよく理解できました。
 CDで聴くと、最後の最後ばかりに耳を奪われてしまい、それまでの経緯や過程が、どっかへいってしまうのですが、この日の演奏は、眼前で展開されるお馴染みのオーケストラの演奏ぶりと、安定の小泉さんの指揮により、曲全体を俯瞰するようにして、詳細な場面の積み上げを楽しむことができました。

深刻な3楽章には深いものを感じ、またバルトークのような響きとも思いました。
戦乱の不安も描かれたこの楽章。
さらに、のちのショスタコーヴィチをも思い起こしました。
その不安を一掃してしまう、ティンパニ協奏曲のような終楽章は、少し眠りに入りそうな観客の方々をも覚醒させる強烈なもの。
神戸さんの鮮やかさは、いつもの通り言うにおよばす、今回は、広響からの岡部さんの来演で、ふたりが張り合うかのような、すさまじいティンパニの殴打を聴かせてくれました。
これには、ホールは湧きましたね。
間髪いれずのブラボーは、フライングぎみでしたが、その思いも分からなくなありません。
 指揮者もオーケストラも、目いっぱいの熱演・秀演でした。

抜けるように美しい響きの神奈川フィルは、北欧音楽にも適性がばっちり。
ニールセンのほかの作品や、シベリウスの全作を、今後も取り上げて欲しいです。

6月は、フランスものと、オール・プッチーニ。
楽しみが止まりません。

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2015年5月13日 (水)

モーツァルト 交響曲第40番 ジュリーニ指揮

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秦野の白笹稲荷。

稲作・農作物の豊穣を祈り、祀ったのが稲荷神社。

鳥居の左右には、お稲荷さんが、それぞれ座しておりましたよ。

こちらは歴史も古く、関東三大稲荷のひとつでもあります。

秦野は、丹沢山系の麓にあり、名水の里でもありまして、市内の各所に湧水があふれておりまして、その水道水もボトリングされて、「秦野の水」として販売されてます。

こちらの神社にも、清々しい湧水が流れておりまして、手水として利用してます。

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水のいい秦野は、美味しいお酒と、お蕎麦も有名。

そして、落花生と、たばこですな。

桜漬の生産も日本一。

いい街ですよ。

わたくしの、実家から車ですぐ。

親戚も近くにあり、親しい街ですよ。

五月晴れ、新緑の季節に、モーツァルトのト短調。

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   モーツァルト  交響曲第40番 ト短調 K550

    カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

                        (1965.10@キングスウェイホール)


それこそ、聴き古された名曲ですが、この曲の場合、古楽器や、古楽奏法によるものよりも、従来奏法で、たっぷりと、なみなみと演奏された方がいい。

そんなモダン楽器演奏のなかで、この40番は、どれだけ聴いてきただろう。

それらのどれ一つとして、駄演はない。

ありきたりだけど、ワルター(各種)、ベーム(2種)、アバド(LSO)、スゥイトナー、ケルテス、シューリヒト、バーンスタイン、セル・・・などが次々に脳裏をよぎります。

そして、忘れちゃいけない、ジュリーニ盤。

ジュリーニには、晩年のベルリン盤もありますが、そちらは、聴いたことありません。
CBS時代のジュリーニは、あんまり聴かなくなってしまったワタクシ。
60~80年代初めが、わたくしにとってのジュリーニの最良の時期なんです。
70年代に、実演に接し、その泰然としつつも、巨大な演奏と、麗しい歌い回しに、すぐさま好きになったジュリーニ。
アバドの兄貴的な存在だったから、余計にそうなりましたね。

そして、レコード時代に、よく聴いたのが、この1枚。
41番との、カップリングで、ジャケットもザルツブルクの街並みを写したヨーロピアンなものでした。

流麗でありながら、かっちりとした構成のなかに、泣きぬれたような歌う旋律回しが映える演奏。
CD化されたもので聴くと、ときおり、ジュリーニの唸り声も入ります。
そう、ここぞというときは、気合も感じるモーツァルトで、弦もフルに弾ききって、なみなみとした情感があふれ出ている。
 若々しい表情も、後年の演奏には、ありえないもの。

久しぶりに、この演奏聴いて、とっても気持ちがよろしいのだ。
第2楽章には、とことん癒されました。

「ジュピター」も、キリッとした桂演ですよ。

1964年に、解散を余議なくされ、同年自主運営組織でもって、「ニュー」を冠して再スタートした今のフィルハーモニア管。
その1年後の、ニュー・フィルハーモニアとしての録音です。
カラヤンや、クレンペラーとともに、レッグのオケ、旧フィルハーモニアの指揮と録音を盛んにしたジュリーニですが、「ニュー」になってから、その録音は、ほかのオケとのものも含め、かなり少なくなりました。
 そんな中での唯一のデッカ録音。
デッカのロンドン録音らしく、分離と広がりも豊かで、芯もあって、とてもいい音です。

このあと、EMIに、録音を少しづつ残して、DGに移るのが70年代半ば。
以降が、ジュリーニの最充実期だと思います。

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2015年5月10日 (日)

モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」 ベーム指揮

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もう、ここ千葉では、とっくに見ごろを過ぎてしまいましたが、千葉市富田の都市農業交流センターです。

船橋から東金にかけて、徳川家康が造らせた鷹狩のための道筋。
御成街道(おなりかいどう)をずっと下った千葉市若葉区にある農業公園です。

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紫に、赤に白・・・・こうして細かな花がたくさん集積して、一色に。
マスとしての美しさと、ひと花、ひと花の可憐さ。

明るく、陽気もいい。

さぁ、モーツァルトでも。

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  モーツァルト  歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」

      フィオルディリージ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ 
      ドラベッラ:クリスタ・ルートヴィヒ
      フェルナンド:ルイジ・アルバ
      グリエルモ:ヘルマン・プライ
      ドン・アルフォンソ:ヴァルター・ベリー
      デスピーナ:オリヴェラ・ミリャコヴィチ

   カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                ウィーン国立歌劇場合唱団
             演出:ヴァーツラフ・カシュリーク

                         (1969年製作)


モーツァルトの名作オペラ、「コジ・ファン・トウッテ」。

1790年作曲の、ダ・ポンテとのコンビの生み出したブッファで、同じ、ダ・ポンテ3大オペラ(フィガロ、ドン・ジョヴァンニ)の中でも、際立つ個性は少なめながら、アンサンブル・オペラとして、形式上も、ドラマ仕立ても、そして歌手たちのあり方も、シンプルでシンメトリーな構成が美しく完結しております。
 そして、その音楽は、ギャラントで、ロココ調な美質と抒情を有しています。

そんな「コジ」のわたくしにとって理想ともいえる映像作品が、ベームの指揮により、映画版。

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 予算上も、演出上も、いまやなかなかありえない、オペラの映画化。
60~80年代前半ぐらいまでが数は少ないけれど、全盛だったように思います。
その代表が、今回のベーム盤。
カラヤンのカルメン、カヴァ・パリ、ラインゴールド、ベームのサロメ、アリアドネ、レヴァインのトラヴィアータ・・・、いくつも名作が残されました。

そして、自分にとって忘れられない憧れのツールが、かつて存在した、「クラシック・イン・ビデオ」という製品です。

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ポニー・ビデオ(いまのポニー・キャニオン)が、ポニー・クラシックという法人を設立して、家庭向けビデオと、カラヤンを中心とするビデオ映像作品をパックにして販売しておりました。
71年頃だったと思いますが、当時の価格で、38万円!
いまでは、その何倍もの感覚の金員ですよ!
子供心に、欲しくてたまらなかったけれど、そんなもの、一般家庭では、高嶺の花。
毎日、憧れと、想像力ばかりが高まるばかりの少年でありました。

それが、いま、映像作品も簡単に手に入るし、はるかに鮮明で、かつ豊かなサウンドで、いとも簡単に、それらの作品が楽しめる世の中になりました。
ほんと、この分野も隔世の感ありありですね。

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 さて、モーツァルトのオペラでも、「コジ」をもっとも得意にし、愛したベームですから、その音源も、非正規もいれると、ほんと、たくさんあります。
ですが、代表作は、74年のザルツブルク・ライブと、62年のフィルハーモニアEMI盤、そして、この映像版ということになるでしょうか。

理想的な歌手の顔ぶれは、それぞれの全盛期で、ビジュアルも歌声も言うことナシ。
そして、オーケストラがウィーンフィルで、69年当時のこのウィーンならではの芳醇な音色といったらありません。

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序曲は、オペラ全体に共通する、白基調のロココ風邸宅が、スタジオ内にしつらえられ、そこに懐かしのウィーンフィルの面々が陣取って、高座にいつもの、ニコリともしないベーム。

コンサートマスターは、ウェラー。その横には、やたらと若いヒンク。
フルートには青年のようなトリップ。オーボエはトレチェクかな。
つくづく、この頃から、ベームやアバドとの来日の頃が、ウィーンフィルにとっても、自分にとっても、いい時代だったな、とつくづく思います。

 オペラ本編は、ゴージャスなリアル衣装に、シンプルだけど、写実的な舞台装置に、本物ばかりの小道具。
鮮明な映像で、それらが実に見ごたえあります。
まさに映画ならではのリアル・カットで、往年の歌手たちの若き日々も、アップに耐えうるものです。

場面の転換ごとに、インターバルがあって、字幕による簡単なト書きや、場面説明があって、オペラの流れが無味乾燥にならず、とてもいい効果をあげております。
 さらに、ときおり、シルエット影絵も挿入され、登場人物たちの心象や、よからぬ妄想(ちょっとエッチだったり・・・笑)をあらわしたりもしてますよ。

ユーモラスな仮面を装着した、背景人物たちも含め、主役の歌手たちの演技は、今風でないことは事実ですが、モーツァルトの音楽の懐の深さは、これこそが、ぴたりと符合するように、ことに、わたくしのような世代の人間には、そう思われます。
同時に、昨今の時代考証を自由に動かし、いろんな意味合いを込めた現代演出にも、モーツァルトの音楽は、しっかりと似合ってしまうところが、すごいところなのですね。

ベームの「コジ」に、必須の歌手。
ヤノヴィッツ、ルートヴィヒ、プライ、ベリーの4人は、もう完璧で、愉悦と軽やかさ、そして軽妙さに加えて、しっとりとしたモーツァルトの品位を歌いだしていて、文句なし。

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ことに、揺れ動く心を、そのクリスタルな美声でもって聴かせるヤノヴィッツは素晴らしいと思います。
 ルートヴィヒもそうですが、声の揺れが気になる、方もいらっしゃるでしょうが、後年のよりも、声はハリがあって若々しくていいですね。

もちろん甘い美声に、しっかりとしたフォルムを持ったルイジ・アルバのモーツァルトは、ロッシーニ以上にステキなものだし、セルビアの名花ミリャコヴィチの狂言回しも楽しいですよ。

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ほのぼのと、モーツァルトのよさ、ウィーンフィルの味わいのよさ、そして往年の耳にすっかり馴染んだ歌手たちのよさ。
そしてベームのオペラの素晴らしさを堪能した土日でした。

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2015年5月 8日 (金)

レスピーギ 交響組曲「鳥」 オーマンディ指揮

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連休終わりましたね。

概ね、好天に恵まれ、各地はラッシュ状態だったみたいですね。

わたくしは、いつもどおり、神奈川の実家に帰って、その周辺のみで、毎日、早朝散歩を楽しみつつ、のんびりしましたよ。

アヤメの花と、夏みかんと青空。

5月ならではの光景でした。

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  レスピーギ  交響組曲 「鳥」

           ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

                        (1960年代 フィラデルフィア)


レスピーギシリーズ。

今日は、ちょっと短めの可愛い管弦楽作品。

1927年、48歳のレスピーギ。
「ローマの祭」の1年前の作品です。

ローマ三部作の、華やかで豪快なサウンドから、うって変わって、古典的な佇まいを持つ、瀟洒で、典雅な組曲です。

17世紀から、18世紀にかけてのフランス、イタリア、イギリスのクラブサン作品をもとに作曲されたもので、原曲の雰囲気を巧みに残しつつも、レスピーギらしく、描写のウマさ、キラリ系の音色も散りばめ、楽しくも優雅な作品となりました。

 ①「前奏曲」  誰もが聴いたことあるような楽しい出だし。あとのめんどりも登場。

 ②「はと」   はとポッポというと、いまや、あの宇宙から来た問題行動のヒト??
          でも、こちらは、憂愁を感じさせる緩やかな曲。
          フランスのジャン・ガロという人の原曲。

 ③「めんどり」 いかにも「めんどり」、かまびすしいし、ちょこまかしてる。
           最終のトランペットの嘶きが、おもろい。
           町内に、鶏肉屋さんがあって、そこのもものローストは絶品だった。
           その店のオバサンは、鳥にそっくりだった。
           ラモーの原作。

 ④「夜啼き鶯」 作者不詳のヴァージナル原曲(英)。
           夜のしじまに泣く夜鶯は、ロマンティックで涼やか。
           いい感じ~

 ⑤「かっこう」  誰が聴いても、かっこう鳴いてます。それもたくさん、何度も何度も
           レスピーギの見事な筆致が冴え渡る。
           各楽器に橋渡しされ、弦楽器も鳥の羽ばたきのように軽やか。
           そして、最後は、冒頭の主題がちょっと晴れやかに登場してお終い。
           イタリアのパスキーニの作品が原曲。

なんか、すっきりする桂曲にございましたね。
休み明けの、ぼんやり頭にちょうどいい。

そしてオーマンディとフィラ管は、こうした曲では、抜群にうまく、キラキラ感も、爽快感も充分。
CBSの録音も、それに相応しく、60年代のアメリカンサウンドって感じ。

レスピーギ、楽しいな。
           

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