« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »

2015年6月

2015年6月26日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」 アバド指揮

Azumayamatop_1

ここは、わたくしのもっとも好きな場所。

自分が育った町と海を見下ろせる小高い山の上です。
 

どこまでも澄んだ青空、高い空、緑。

気持ちも、心も、飛翔するような気持ちになります。

あの高みに昇っていった、敬愛やまないクラウディオ・アバドの誕生日が6月26日です。

  シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 D944

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

              (2011.9.19~25 ボローニャ、ボルツァーノ)


アバドの新譜が、こうして出てくることが、いつも通りに感じる。

マエストロからの、素敵な贈り物のように。

そして、いつも、アバドの新譜が出ると、喜々として手にして、封を開けるのももどかしく、そして、でも慎重にターンテーブルや、トレイに、ディスクを置いて、ワクワクしながら、その音を待ち受けてきた。
そんなことを繰り返しながら、もう45年も経ってしまった。

そして、つい先ごろ登場した、シューベルトの大交響曲。

2011年、いまから4年前のライブ録音で、若き手兵、オーケストラ・モーツァルトの本拠地ボローニャと、ボローニャから北へ220kmほどのボルツァーノという街、その2か所での演奏会のライブ録音です。
このときに、それぞれ演奏されたのが、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第27番で、ピアノは、ジョアオ・ピリスです。
そう、もうすでにCDになってるあの名盤です。

ボルツァーノについて気になったので調べてみました。

Bozen

オーストリア・アルプスを背に、国境も近く、地図で見ると、インスブルックやミュンヘンもそんなに遠くなく感じます。
アバドの生まれたミラノよりも北。
そして、このボルツァーノから、西へスイス国境を超えて向かえば、クラウディオが永久に眠る場所ということになります。
 アバドは、晩年は、ボローニャから北、このあたりからスイスにかけてを、ずっと愛していたのですね。
 イタリアは、日本と同じく、南北に長い国。
同じ国でも、北と南では、その気質も全然違う。
そんなことを、こうした地図を眺めてみて、よくわかることです。
 そう、アバドとムーティの違いなんかもね。

いつか、このあたりを旅してみたいものです。

Abbado_3

こんな美しい青空のとおりに、けがれなく、澄みきった透明感にあふれたシューベルト。

アバドの行きついた高みは、まるで無為の境地にあるようで、何もそこにはないように感じ、あるのは、音楽だけ。
シューベルトその人の顔すら思い浮かばせることもない。

どこまでも自然そのもので、音楽を愛し抜き、全霊を込めて信じたアバドの、いわば、なにごともなさざる指揮に、若いピュアな演奏家たちが、心を無にして従っただけ。

ただひとつ、晩年のアバドの様式として、古典ものは、ヴィブラートを抑えめに、表情もつつましやかに演奏することが多く、ここでも、弦楽器は、滔々と歌うというよりは、きめ細やかに緻密な歌い回しが目立ちます。
特に、第2楽章では、ヴィブラート少なめの弦が綾なす、繊細かつ敏感な音色が、静謐な響きと雰囲気を出していて、その得もいわれぬ場面に、わたくしは、涙ぐんでしまうのでした。

全楽章、繰り返しをしっかり行っていて、全曲で62分54秒。

堂々と、ロマン派交響曲として演奏される典型の第1楽章も、楚々たる様相で、足取りは着実かつ静か。
オーケストラのバランスも美しく、各楽器のやりとりが透けて見えるようで、聴いていて、いろんな発見があったりします。

リズム感は、さすがと思わせる3楽章。
伸びやかなトリオの大らかさは、アバドの笑顔が思い浮かびます。

そして、通常、大オーケストラでは、晴れやかかつ、歓喜にあふれた4楽章を描きだし、大団円としてのフィナーレとなります。
しかし、このアバドの指揮では、そんな風には聴こえず、ここでも淡々と、スコアをあるがままに鳴らし、そして室内オーケストラとしての機能性を活かし、響きは、どこまでも、緻密かつ透明です。
ふだん、大きなオーケストラでの演奏に聴きなれている方は、この終楽章には、もしかしたら、肩すかしをくらうかもしれません。
柔らかく、優しい眼差しと、微笑みでもって包まれるような、そんなアバドのシューベルトのフィナーレでした・・・・・。
 ここで、また涙が出てしまいました。

アバドには、もうひとつの正規録音、1987年のヨーロッパ室内管弦楽団との全集録音のものがあります。
こちらは、新シューベルト全集が、この曲までは、まだ刊行されていない年代だったので、アバドは、自筆譜と出版譜との照合を、当時のこのオーケストラ団員だったステファーノ・モッロと共同で行い、新たな解釈を施しました。
 結果、とくに、第2楽章では、オーボエの旋律が、いままで聴いたことのないフレーズになっていたり、強弱が、目新しいものになったりと、新鮮だけど、何度も聴くには、ちょっとスタンダードじゃないな、的な演奏になってました。
 ここでの演奏は、キビキビとしていて、大胆な表現意欲にもあふれ、シューベルトへの愛情を思いきり表出したような活気と歌心にあふれたものです。

しかし、1991年、ECOと来日してシューベルト・チクルスを行ったとき、わたくしは、この曲を聴きましたが、それは、その改訂版ではなく、従来の版での演奏で、すごく安心し、かつ颯爽とした名演に酔いしれたものでした。

それともうひとつ、FM録音の自家製CDRで、88年のウィーンフィルとの演奏もあります。
こちらは、ムジークフェラインにおけるウィーンフィルの丸っこい響きが全面に押し出された、ウィーンのシューベルトという感じで、さらにライブで燃えるアバドならでは。
すごい推進力と、とてつもないエネルギーを感じます。
これはこれで、あの次期の充実しきったアバドらしい名演です。
これも正規盤にならないかな。。。

次のアバドの新譜は、なにが出てくるかな・・・・・

アバドの誕生日に。

 アバド誕生日 過去記事一覧

2006「チャイコフスキー ロメオとジュリエット、スクリャービン 法悦の詩」 

2007「ワーグナー ベルリン・ジルヴェスター・コンサート」

2008「ドビュッシー ペレアスとメリザンド組曲」

2009「マーラー 交響曲第1番<巨人> CSO」

2010「ブラームス 交響曲全集 1回目」

2011「シェーンベルク グレの歌」

2012「R・シュトラウス エレクトラ」

2013「ワーグナー&ヴェルディ」

2014「マーラー 交響曲第2番<復活> 3種」

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年6月23日 (火)

ベルリンフィル次期首席にペトレンコ

Prince_tokyotw

祝福も込めて、夏でもこんなステキなイルミネーションのプリンスホテルと東京タワー。

5月始めに決定打が出ずに、1年以内にと、先送りとなったベルリン・フィルの次期首席指揮者選考。

ところが、思いのほか早く、決着をみることとなりました。

じっくり検討してると、他の楽団に、有力者を持ってかれてしまうし、現ポストを延長してしまう指揮者も出るからでしょうか。

Petorenko

決定されたのは、キリル・ペトレンコ。

その報に、昨日接し、正直驚きましたね。

ティーレマンと、ネルソンスに絞られた感があり、この1年の客演指揮者も含めた中から選ぶものとばかり思ってました。

ペトレンコは、ここ数年、ベルリンフィルに客演が続いていて、その人柄も含め、音楽造りに賛同を得ていたようですが、5月の選考会の直近の演奏会をキャンセルしてしまい、レースから脱落かとも思われてました。

しかし、いまは、実にいい選択ではなかったかと納得してます。

①まず、42歳と若いこと。
ベルリンフィルは、若くて清新な血が常に必要に思うから。
フルトヴェングラー、カラヤンの伝統を持ちつつ、アバドとラトルによってもたらされた新風を引き継ぐのは、やはり若い力です。

②オペラの実力者であること。
西シベリアに生まれ、オーストリアに移住したあとは、オペラの下積みから叩きあげたカペルマイスター的な育ち方をしたペトレンコ。
マイニンゲンの劇場、ベルリン・コーミュシュ・オーパーから、バイエルン州立歌劇場の音楽監督へと、着実にステップアップして、ついには、バイロイト音楽祭で「リング」新演出を、一昨年から手掛けている。
ベルリンフィルは、オペラ指揮者であることも肝要。

③近現代ものに強み
マーラーを始めととする後期ロマン派以降の音楽が得意。
ベートーヴェンやブラームスは未知数
まだ、若いから、オーケストラと手を携えて、王道のプログラムを極めて欲しい。

④メジャーレーベルと未契約
DGかワーナーか、どこのレーベルが獲得するか。
わたくしは、どことも契約せずに、我が道を行く式になりそうな予感。
自主レーベルを運営する楽団としても、商業色のないシェフはありがたいかも。
 バイロイトは、今年で降板してしまうけれど、このたびの祝報で、録画とライブ録音もされるのではないかと推察。

まだ就任まで3年ありますが、こうして、あれこれ妄想してますよ。

今日は、ペトレンコの音源をいくつかツマミ聴きしてみました。

Prince_tokyotw_suk

スークの「人生の実り」「冬の夕べの物語」「夏の物語」。
コーミシュオーパーのオーケストラから、スークの緻密な世紀末サウンドを見事に引き出してます。

2013年と14年のバイロイト・リングから
ネット放送を録音したもので。
音楽が浮き足立つことなく、実に堂々としてるし、歌手が歌いやすいと思われる間の創出。
そして、沸き立つオペラティックな感興。
躍動感と、颯爽とした音楽の進行に、全体を見通す構成力。
ちょっと硬いけど、初めてリングを指揮した人とは思えない初年度。
2年目の方が、もっといい。

しかし、大指揮者の時代は遠く去り、名指揮者も次々に世を去り、大物不足は否めない。
でも、こうして、若い指揮者たちが次々に台頭してきて、名門オーケストラが、それをしっかりすくいあげて、新陳代謝を繰り返してゆく。
さらに、かつての名門に加え、わが日本も含め、オーケストラとオペラ界は、世界中がつながり、実力がアップ。
オケも指揮者も、国籍関係なし。
そんな音楽界になりましたなnote

過去記事

「スーク 人生の実り」

「スーク 夏の物語」

「バイロイト ニーベルングの指環 2013」

「バイロイト ニーベルングの指環 2014」

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015年6月21日 (日)

ドビュッシー 夜想曲 アバド指揮

Suga_1

雨の神社に映える紫陽花。

和の落ち着いた空間にこそ、お似合いですね。

最近、カタツムリが少なくなったと思いませんか?

雨粒のついた緑の大ぶりの葉に、カタツムリがいると、もっと日本の梅雨って感じになるけど。

Abbado_debussy

       ドビュッシー    夜想曲

       クラウディオ・アバド指揮 ボストン交響楽団
                        ニュー・イングランド音楽院合唱団

                  (1970.2 @ボストン、シンフォニーホール)

                        ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                        ベルリン放送合唱団

                  (1999.9 @ベルリン、イエス・キリスト教会)


梅雨の時期、そして、雨まじりの天気の日に聴きたくなるような音楽。

ドビュッシーには、そんなイメージをいだかせる作品が多いように思ってます。

誰しも、憂鬱になる雨。
ちょっと、アンニュイな気持ちになる。
雨降りよりは、晴れてた方が気持ちがいい。
でも、そんな雨も降らなくちゃ困る、恵みを授けてくれる存在でもあり。
そんな感謝の気持ちも持ちつつ、「夜想曲」をアバドの指揮で聴く。

ドビュッシー(1862~1918)、37歳のときに完成された「夜想曲」。
「ノクチュルヌ」と、仏語で言った方が、お洒落ですが、やはり、日本語訳の「夜想曲」と呼んだ方が、しっくりくる。

ホイッスラーの芒洋とした曖昧なまでの絵画の世界に、または、同名の詩作に、それぞれに影響を受けたとも言われますが、ここに聴くドビュッシーの音楽は、光と影の綾なすインプレッションを、目でなく、まさに耳で受け取ることができるところに、えも言われぬ感銘を受けるわけです。

「雲」「祭り」「シレーヌ」の3部分。

いまにも、雨粒の落ちてきそうな、雲に覆われた空。
そして、ひとしきり、ひと雨降ったあと、雲間から、強い日差しが差してくる。
人々は、貴重な晴れ間に、夏祭り。
そして、囃子に合わせて、神輿の一団が近づいてきて、人々の興奮はピークを迎える・・・。
しかし、祭りのあとは、寂しいもの。
急速に、勢いは萎えて、人々の去った森の社は、静寂に覆われる。
宵闇迫る中、人々の預かり知らぬ精たちが、夜のしじまに、しなやかに踊る。
村や街は、静かな眠りにつつまれるなか・・・・・。

原曲の描写したこととは関係なしに、ふふっ、こんな風に、妄想しながら聴いてみました。

もうじき、誕生日を迎えるアバドは、この「夜想曲」が大好きでした。
多感な少年時代、この曲をオーケストラで聴いて、いつか自分も指揮者になって、この曲を指揮したいと、誓ったアバド。
 正規録音は、音源では、ボストンとベルリンでふたつ、映像でひとつが残されました。
70年と、99年、アバドは、37歳と67歳。
30年の隔たりをもって録音した二つの演奏。
映像は、ストックホルムでのヨーロッパコンサートのもので、98年。

どれも、わたくしには、大切なアバドの演奏ですが、さすがに30年の年月は、音楽の深みと自在さの点で、大きな違いがあります。

ボストン響が、RCA専属の縛りから離れ、DGに初録音したのが、アバド指揮によるドビュッシーとラヴェルでした。
ベルリンの音色でイメージが出来上がっていたドイツのレーベルが、ついにアメリカで録音を開始した、その第1弾によるこの演奏並びに録音の響きは、明るく、そして派手さのないヨーロピアンなものでした。
当時、FMで聴いても、中学生だった自分にもわかりました。
このレコードは買えませんでしたが、次のアバド&ボストンのチャイコとスクリャービンは、すぐさま購入し、いまでも、アバドの一番の演奏のひとつとして大切にしてます。
 この2枚しか残されなかったアバドとボストンとの演奏ですが、ホールの響きも麗しく、全編明るく、雲ひとつない明瞭なもの。
そこに、アバドらしく、しなやかな歌が加わるものですから、表情がともかく若々しく、「祭り」においては、颯爽とした爽快感と大胆さにあふれております。
女声合唱の精度がもう少し高ければ、との思いもありますが、このボストン盤は、カップリングのラヴェルとともに、若きアバドの最良の姿を写し出した1枚でしょう。

ベルリンフィルでは、その若々しい表情と、爽やかなな歌い口はそのままに、音の彫りが深くなり、音楽の切実さがより増したように感じます。
ことに「シレーヌ」における緻密さと、表現の厳しさが、オーケストラの高性能ぶりで、より引き立っている。
「雲」の神秘感。浮足たたないけれど、熱い「祭り」の盛り上げ。
いずれも、アバドらしい透明感と、明晰さに貫かれた名演です。
しかも、この録音は、フィルハーモニーザールが改装中のときで、カラヤン時代にお馴染みだったイエス・キリスト教会での録音によるもので、自然な美しい響きが、この曲にとても合ってます。

演奏時間は、ボストンが、22分24秒。
ベルリンが、24分26秒。

ルツェルンでは、どのような「夜想曲」を聴かせてくれたのでしょうか・・・・。

アバドの誕生日に聴くディスクは、もう決定済みです。

そして、この曲のカッコイイ「祭り」の演奏で、忘れられないもの。
ショルティとシカゴの来日公演で、マーラー5番のあと、アンコールで、これをやりました。
ダイナミックレンジの広大な、すさまじい威力と虚しささえも感じるすごいものでした!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年6月18日 (木)

モーツァルト セレナード第10番「グラン・パルティータ」 デ・ワールト指揮

Ninomiya1

五月晴れの日の、吾妻山。

まだ、ツツジ咲く頃、白い雪いただく富士と、青い空のコントラストがきれいなものでした。

梅雨の季節になると、陽光まぶしかった5月が、愛おしくも思えますね。

今日は、そんな5月を思いながら、モーツァルトのセレナードを聴きましょう。

Ninomiya2

モーツァルト セレナード第10番 変ロ長調 K361 「グラン・パルティータ」

     エド・デ・ワールト指揮 オランダ管楽合奏団

                     (1968 @アムステルダム)


モーツァルトは、13曲のセレナードを作曲しましたが、そのスタイルや規模は多様で、まさに天才の名に相応しい曲たちを、このジャンルに残しました。

声楽でいうところのセレナードは、静かな夕べに、恋人の窓辺で、ギターやマンドリン片手に歌う愛の歌のことでして、オペラにも、たくさん、そんなシーンがありますな。
まさに、モーツァルトや、ロッシーニ、そして、ワーグナーのマイスタージンガーにもあります。

それが、ハイドンやモーツァルトの時代には、器楽作品のジャンルにも拡大されて、しかも、お祝い用や、催しものように、貴族やお金持ちから依頼されて書くことも多く、おのずと、喜遊的な明るく屈託ない内容となりました。
しかし、われらがモーツァルトは、それを、さらに発展させて、多楽章となり、短調の楽章もあったりで、本格的な演奏会用の音楽にも転じるような規模の大きなセレナードを書くようになりました。

4番や、5番、ハフナーや、ポストホルンなどに加えて、管楽器のための今宵の10番も、そうした中のひとつですね。

1番から9番までは、だいたい1769年から1779年までの10年間、13~23歳で書かれ、10番から12番の3曲は、いずれも管楽器のために、1781~82年、25、6歳で書かれてます。
残り1曲、すなわち、超有名な「アイネ・クライネ」は、1787年31歳の後期作品となっているところが面白いです。

「グラン・パルティータ」は、13楽器のための、と注釈がついてますが、その楽器は、オーボエ2、クラリネット2、バセット・ホルン2、ホルン4、コントラ・ファゴット1、という、一見風変わりな編成となってます。
コントラ・ファゴットは、コントラバスでの代用も可能。
全体に、落ち着いたムードになっているのは、中域から下の楽器たちによるものだからでしょう。
ここに、フルートが入らなかったところは、さすがはモーツァルトで、お気に入りのバセットホルンがあることで、まろやかさと、暖かさ、そして、少しのほの暗さも、その全体の響きの印象に聴きとることができます。
 管楽合奏団の演奏会でも、オーケストラのコンサートでも、どちらでも、よく取り上げられる名曲ですが、13人の音色の均一性と、アンサンブルとしてのまとまりのよさ、そして、そこそこの名人芸とを要するところです。
 レコーディングでも、名オーケストラの管楽器部門を指揮した、名指揮者のものが多いですね。

今宵は、オーケストラではなく、管楽器のアンサンブル集団、オランダ管楽アンサンブルをかつて、その首席指揮者だった、デ・ワールトが指揮したもので。
 この楽団は、1959年設立で、オランダ国内のオーケストラの首席たちによる名人集団で、コンセルトヘボウ、ロッテルダム、ハーグ、放送フィルなどが、その母体であります。
 デ・ワールトは、ロッテルダム・フィルとともに、このアンサンブルで、緻密な指揮ぶりを手に入れ、以降、メジャーではないオーケストラを渡り歩き、各オケの力量アップを成し遂げてきました。
バイロイトも、1年で降りちゃったし、どうもメジャーに対する反骨があるのか、はたまた、彼に付いてるマネージメントが厳しいのか、どうもわかりませんが、本来なら、生粋のオランダ人として、ハイティンク以来のコンセルトヘボウの座に着いて欲しいものと、前から願っておりますが、難しそうです。

そんなワールトの、モーツァルトがこの作品を書いた頃のような若さ、27歳のときの録音。
大物指揮者の録音しか、当時はなかったこの曲に、しかも、オランダのやたらと上手くて、キレのあるアンサンブルでもって、まさに、切り込みをかけるようにして登場した当盤は、やたらと評判になりました。
いまでも、新鮮で、鮮烈な響きと、そして、豊かな響きを伴った録音もプラスに作用して、暖かくも気品のある演奏として、とても気持ちよく聴くことができます。
ともかく、その表情が若々しく、生気があふれています。
おそらくコンセルトヘボウでの録音でしょうか、まさに、あのフィリップスサウンドがしてます。
 ワールトには、ドレスデンを指揮した、4,5,9のセレナード録音があるはずなので、是非、復刻して欲しいです。
あと、全然違うけど、放送フィルとのマーラー全集もね!
 

この曲は、全7楽章。

快活な1楽章、最初のメヌエット楽章である2楽章、深淵な雰囲気の3楽章、第2のメヌエットである4楽章は明るいなかにも陰りもあったりして、管楽のモーツァルトの代表的な雰囲気。ロマンツェの5楽章は、夜曲という名が相応しいナイト・ミュージック。
クラリネットの旋律からはじまり、それが変奏されてゆく長大な6楽章は、これだけ取り出しても、各楽器の名技性も味わいつつギャラントなムードにも浸れます。
最終7楽章の快活さは、モーツァルトのオペラの終曲そのもの。
(以前の記事からコピペしました)

過去記事

 「ベーム&ベルリンフィル」

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015年6月16日 (火)

サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」 ロト指揮

Shiba_park_1

梅雨来たれども、首都圏は、中休み多し。

そして、雨でも、晴れでも、曇りでも、気温は高く、湿気が多い。
しかし、スポット的な豪雨や、九州の大雨は心配です。

 花々の咲きごろを、人間がコントロールしてしまう商業用のお花屋さんですが、野辺の花々は、あくまで、異常気象といえども、自然のままにあって欲しいもの。

音楽の演奏スタイルも、ゆっくりとですが、変化しつつあり、そして、それはそのまま多様化へとつながってます。
 そして聴き手も、さまざまなあり方で、受容の多様化を生んでますね。

楽器の仕組みそのものの問題は置いておいて、いまや、世界のオーケストラは、指揮者の要望に応じて、好むと好まざるをえずして、ピリオド奏法・ヴィブラート少なめの演奏スタイルを供出しなくてはなりません。
 それが、指揮者によっては、虚しい結果を呼ぶことともなりますが、いまや、ルネサンス・バロックを指揮する人が、同じコンサートのなかで、古楽ジャンルの音楽とともに、近現代音楽を普通に取り上げる、そんな世の中になってきたのです。

Shiba_park_2

  サン=サーンス 交響曲第3番 ハ短調 op78 「オルガン付き」

    フランソワ=クサヴィエ・ロト 指揮 レ・シエクル

              オルガン:ダニエール・ロト

             (2010.5.16@サン・シュルピース教会、パリ)


先日に、愛する神奈川フィルの圧倒的だけど、繊細かつ自在な演奏で、この曲を楽しみました。

オルガンが堂々と入ることで、この交響曲は、華々しい演奏効果を生み出す、コンサートの人気プログラムのひとつとなりましたね。

レコードでも、80年代のデジタル移行後は、各社が、こぞって、この曲を録音しましたが、それは、デジタル録音の恩恵で、重厚なオルガンと、軽やかなピアノ連弾、分厚いオーケストラが混濁せずに、すっきり・きれいに再生できるという強みが生まれたためでした。

でもしかし、わたくしは、入門時代にメータの豪華な演奏を経てからというもの、ずっとずっと、遠ざかっていて、ちょっと苦手な存在として、距離を置いてきたのです。
 大きな音響に、華美なまでの賑やかさは、聴いていて心すく快感と、解放感を呼び覚ましますが、はて、それでいいのか、そこに何があったのかと、疑念を抱くようになりました。

そんななかで、昨年、久しぶりに手にした新しい録音が、ロト指揮によるものです。
とはいっても、いまから5年前のものですが・・・

まだ45歳のロトさんは、生粋のパリっ子で、手兵のハイブリット・オーケストラである、レ・シエクルを創設してから12年。
ブールやギーレン、カンブルランの南西ドイツ放送響の指揮者を請け負ったことからわかるように、現代・前衛音楽にも、その適性を示すヒトでありました。
 そのバーデン・バーデン&フライブルクの放送響は、2016年には、シュトットガルトのオーケストラと統合されることが発表されていて、とても寂しい思いを呼び覚ましてます。
 で、その統合後のオケの指揮者は、ロトさんということになるのでしょうか。

そんな、登り調子のロトさん。
N響に続いて、読響にも客演しますね。

ロトさんと、彼のフランスのハイブリット古楽集団、レ・シエクルによる、サン=サーンス。

これが予想外に、渋くて落ち着いた演奏でした。
古楽器による演奏ですから、ピッチも低めに抑えられ、華やかさは抑制されて聴こえます。
 初めて聴いたとき、大人しめに聴こえ、面白みも薄く感じました。
でも、何度も繰り返し聴き、そしてロト指揮によるほかの演奏を、新しいものから逆に聴きだした自分、そんな耳からすると、新鮮な味わいが、このサン=サーンスの、そこかしこに発見できるのでした。

幻想やハルサイにおける斬新な切り口は、控えつつ、ロトさんの指揮は、各旋律を丹念に、じっくりと扱い、そして、敏感なリズム感でもって、従来の演奏とは異なるダイナミズムと柔軟性、そしてピリオド奏法なのに、歌心を持った演奏が出来上がりました。
 その緩徐楽章では、弦楽器が繊細に、古楽奏法らしく、ツィー、ツィーっと、弾きますが、それがときに、共感を込めて、ほどよいヴィブラートも加味して奏されるシーンは、本当に美しく、儚いです。

P1050084742460

この録音は、17世紀前半に建てられたパリのサン・シュルピース教会でのライブ録音で、そちらのカヴァイエ=コル作のオルガンが、そのまま演奏されてます。
このオルガンは、1862年の製造で、サン=サーンスがこの曲を完成したのが、1886年ですから、きっと作者存命中に演奏されたこともあったかもしれません。
 ともかく、豪快な音色で、教会の広い空間が圧倒的にオルガンの音色で満たされるのを感じることができます。
コンサートホールのオルガンと、教会のオルガンとの違いは、この天に突き抜けるかのような広大な空間を感じることでしょう。

Ssulpice_concerta

軽やかさや、音色の美しさも持ちつつ、オルガンの凄まじさに引っ張られ、このロト盤は、教会という格別な場所の強みを味わうことができる、面白い演奏となってます。
ハルサイで、小股の切れあがったような演奏をしたかと思うと、こうした壮麗な演奏も、こともなげに成し遂げるロトさん、やはりただモノではありません。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2015年6月14日 (日)

神奈川フィルハーモニー第310回定期演奏会  パスカル・ヴェロ指揮

Minatomirai201506

神奈川フィル定期演奏会の日の定点観測地点から。

蒸し暑かった土曜の午後、これからフランス音楽特集を聴くのだ。

今シーズンは、土曜の午後が多くて、集客にはよろしいですが、なんだか、金曜の夜も懐かしい今日このごろ。

夜の方が聴くに相応しい音楽もあるからして・・・・

Kanaphill201506

   ラヴェル      組曲「マ・メール・ロワ」

              ピアノ協奏曲 ト長調

   ショパン      練習曲作品25 第1番「エオリアン・ハープ」~アンコール

              ピアノ:小菅 優

   サン=サーンス  交響曲第3番 「オルガン付き」

              オルガン:石丸 由佳

       パスカル・ヴェロ指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                       (2015.6.13@みなとみらいホール)


夜と昼、コンサートの時間について、冒頭書きましたが、自分的には、ラヴェルは夜、サン=サーンスは、白中。
そんなイメージですが、もちろん、昼のコンサートで聴いたからといって、ラヴェルの精妙な音楽の素晴らしさは、少しも劣ることはありません。
 ふだんCDでは、全曲盤を聴くことが多い「マ・メール・ロワ」ですが、こうして本来の組曲版で聴いても、マザーグースの夢の世界は、変わりなく素敵なものでした。
計算されつくされたラヴェルの精緻な音楽は、こうして生で聴くと、ほんとうによく出来てるなと思う。
そして、神奈川フィルの繊細・美麗なサウンドが、ラヴェル、そして、なんといってもこのお伽の音楽にぴたりと符合します。
各奏者が、少しづつですが、あまりにすてきなソロを奏でるのを、まるで夢見心地で聴いておりました。
なんてたって、石田コンマスの美しい、あまりに美しいソロがちょこっとはさまれる「妖精の園」。思わず涙ぐんでしまいました。
白昼のまどろみ誘う夢の世界を、優しく導いたのは、久しぶりのヴェロさんの指揮。
若々しいイメージだった南仏生まれのヴェロさんも、ずいぶんと落ち着きを増してきました。

きらめくラヴェルは、次いでピアノ協奏曲に引き継がれました。
シンプルで明快、弾むリズムのこの曲、初小菅さんですが、音楽への集中度、のめりこみ具合が、拝見してて楽しく、そして、その溌剌たる演奏がぴったりでした。
 ことに、第2楽章アダージョは、ふたたび涙ぐんでしまうほどに、美しく、そして内省的でした。
長いソロ、オーケストラは休止してますが、オケの皆さんは、ときに目を閉じ、じんわりと小菅さんのピアノを聴いて、出に備えます。
鈴木さんのコールアングレのソロが、ふるいつきたくなるような美しさ。
みなさん、小菅さんのソロに感じて、同質の音のパレットをゆったりと広げてくれました。
急転直下の華麗なエンディングも、見事に、オシャレにきまりました!

アンコールは、流れるような流線型の音楽、ショパンのエチュードからでした。
おフランスの流れに沿った、エレガントな選曲に、演奏にございました。
小菅さん、今度は、プロコフィエフあたりを聴いてみたいな。

 休憩後は、豪奢なサン=サーンス。
ヴェロさんの、自在かつ即興に溢れた指揮姿は、後ろから拝見してても、面白い。
大振りはせずとも、オーケストラから強大なサウンドを引き出し、そればかりでなく、抒情味に富んだ1楽章の第2部が、神奈フィルの弦の魅力もたっぷり味わうことができて、極めて魅力的でした。
弦楽器が、分奏で弾き分けて、きめ細かくその抒情の綾が成り立っていくのを目で確認しつつ聴くのも、実に楽しいものでしたね。

 それと対比して、2楽章2部のゴージャス極まりない音の洪水。
涼やかなピアノも楽しい第2主題、強大なフォルテも濁らずに、すっきり聴こえます。
CDで聴いてると、途中で虚しくなってしまう音楽ですが、ライブはいい。
集中できるし、なんてたって、お馴染みの神奈川フィルの面々が夢中になって演奏している様子を拝見しながら、音楽に入り込むことができるから。
神戸ティンパニ、豪放乱れ打ちを伴って、圧倒的な大迫力で最後の一音を、これでもかとばかりに伸ばしたヴェロさん。

オルガンの石丸さんを称えるヴェロさん、いかにもフランス紳士らしく、さりげなく、そしてオシャレでしたよ。

みなとみらいホールのオルガンが、こんな風にして大音響として鳴り響くのを聴くのは、実は初めてなんです。
オルガンリサイタルでも聴いてみようとは、前から思ってましたが、ここで聴いたそのオルガンは、豪快さよりは、明るい鮮明さが際立ち、この豊かな響きのホールに似合うものでした。
優しい音色というとパイプオルガンらしくない表現ですが、石丸さんのオルガンは、きっとそんな響きなのでしょうね。
ソロや協奏曲で是非、と思いましたね。
それと、神奈川フィルには、次は、ヴェロさんとプーランクですな!

鳴りやまない声援と拍手に応えて、「(この曲は)、ちょっと、うるさいですねぇ、でももう一回」と、2楽章2部を短縮して再演。
今度は、さきほどと、少し表現を変えて、より演奏効果を高めていたように思いますし、神戸さんも、叩き方が違ってました。
そして、さらに、最後の和音を引き延ばし~

大ブラボー飛び交いました。

気分すっきり、頬も紅潮したまま、この日は、都内で用事がありましたので、仲間や楽員さんへのねぎらいもせず、すぐさまホールを後にしました。

演奏する側は、きっとテンションの維持も含めて大変な演奏会ではなかったでしょうか。
お疲れ様でした。
そして、いつも、素敵な演奏をありがとう、神奈川フィルnote

We Love神奈川フィルのみんなは、お約束の横浜地ビールの店で、こんな美味しそうなのを食べてたみたいですよ。

Umaya

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年6月10日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第5番 小泉和裕指揮

Hamamatsucho_201506_a

6月の小便小僧は、これまた、お約束の雨ルック。

梅雨入りして、すぐの中休み。

日が出ると、雨合羽も蒸し暑そうね。

でも、小便水が涼しげだったり・・・

Hamamatsucho_201506_b

はい、うしろ。

レインシューズ、かわいいね。

左右の山手線、京浜東北線、うまく撮れましたよ!

Tchaiko5

   チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調 op64

     小泉 和裕 指揮 ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団

                       (1988.2.27@ロンドン)


月イチ、今月は、チャイ5の番です。

幻想に、チャイ5、いつ聴いても楽しい。

オーケストラ好きなら、当然のことかもですが、ともに、昔から大好きだった。

ポケットスコアも買って、一生懸命に聴いたし、唯一演奏できたフルートを、レコードに合わせて、むちゃくちゃになりながら吹いたし、指揮の、ものまねなんかも、まんま、カラヤンやアバドしましたよ(笑)

そのスコアは、まだあるけれど、チャイ5は、昭和48年の版で、たったの350円ですよ。

ちょうど、そんな頃、小泉和裕さんが、カラヤン指揮者コンクールで1位を取る快挙を成し遂げました。

1973年のこと。
課題曲は、たしか、「トリスタンとイゾルデ」だったかな?
それとも、優勝後、すぐさま招かれてベルリン・フィルを指揮したときが、トリスタンだったかな?
飯守泰次郎さんが、バイロイトで副指揮者として活躍していたのもその頃で、N響に招かれて指揮したのも、やはりトリスタンで、ごっちゃになってるかも・・・・

で、1974年、今度は、夏のザルツブルク音楽祭に登場して、小泉さんは、ウィーンフィルを指揮することとなりました。
カラヤンとベームという大巨匠に、アバドやメータが常連、そして、ムーティやレヴァインが同時期に登場し始めた頃。
残念ながら、小泉さんの登場は、この年だけでしたが、翌年からバーンスタインや、小澤さんが登場したものと記憶します。

そして、ウィーンフィルとの、そのプログラムは、ハイドンの92番「オックスフォード」と、チャイコフスキーの5番なのでした。
演奏は、概ね好意的に迎えられ、その年の暮れには、NHKFMでも放送され、わたくしも、この耳で聴くことができました。
ハイドンはともかく、チャイコフスキーでは、決して、この曲を、当時まだそんなに演奏しなれていなかったウィーンフィルを、慎重ながらも、うまくリードして堅実に仕上げていたものと思いました。
当然に、カセットテープに録音しましたが、のちに、そのテープも上書きしてしまい、いまや残念極まりないことにございます。

その後の、小泉さんの活躍と、内外のポストに関しては、ここに記すまでもないですね。

14年後、ロイヤル・フィルを指揮して、お得意のチャイコフスキーの後期交響曲を録音しました。

当時、国内では、クラウンかどこかから出ましたが、いま聴く、このRPOレーベルの1枚は、驚くことに、楽章ごとのトラックがなくって、1曲まるまるなんですよ。
48分27秒。
ジャケットには、楽章ごとのトラック表示がありますが、わたしの装置では、トラックを読みとりませんでした。
このレーベル、以前も、マーラーの5番を、プレヴィン指揮と表示していて、実は、井上道義の指揮だった、とか、非常に信頼が薄いのよ。
ロイヤルなのに、いかんでしょ。

で、この演奏、録音場所が教会ということもあって、響きが過多で、高音が少しキンキンします。そして厚みが、ちょっと薄くって、その点で、演奏の良さが減点されてしまいます。

小泉さんらしく、手堅く、かっちりした構成を感じさせつつ、各所に目配りの行き届いた、安心安全の演奏。
ロイヤルフィルも、きっと演奏しやすかったのでは。
そして、手馴れた曲らしく、お馴染みの各フレーズを、とても念入りに歌わせていて、すみずみまで、丁寧な歌い回しです。
ひとつとして、気の抜けた音がしてないのも、演奏会で聴く小泉さんと同じ。
 しかし、オーケストラが、ニュートラルにすぎるものだから、個性の表出という点では、ちょっと薄いかもしれません。
もっと、分厚く鳴らしてもいい場所があるし、テンポも、もう少しいじってもよかった場面もあります。

そんななかで、2楽章が実にステキですよ。
カラヤンのように、聴かせまくりの、お化粧しまくりの美人タイプじゃなくって、スッピンでも、この曲は、こんなにキレイで、美しいの、という典型の演奏。
指揮者とオケが、音楽に感じ入りながら無心で取り組んだ、音楽の良さだけを感じさせるものに思います。

終楽章は、もっと盛り上がってもいい。
でも、堂々としてないとこ、こけおどしにならないところがいい。
そして、エンディングはカラヤンに似てる。

小泉さんには、川瀬さんが、この前やったばっかりですが、神奈川フィルで、ここ数年のうちにやって欲しいな。
わたくしにとっても、思い出に残る、チャイ5を、横浜の地で、是非、成し遂げて欲しいです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年6月 8日 (月)

シューマン ヴァイオリンソナタ第2番 クレーメル

Ajisai_1_2

わたくしの住む関東地方も、本日、6月8日に、梅雨入りしました。

昨年より、3日遅いそうですが、それでも、ちゃんとやって来た梅雨。

どたぴしゃ降らないで、日本らしく、しっとり、しとしとした梅雨になって欲しいものです。

そして、今日、6月8日は、205年前、ドイツ・ザクセンのツヴィッカウにR・シューマンの生まれた日です。

Schumann

  シューマン ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ短調 op121

          Vn:ギドン・クレーメル

          Pf:マルタ・アルゲリッチ

                  (1985.11 @スイス、ラ・ショー・ド・フォン)


シューマン(1820~1856)には、番号付きのヴァイオリン・ソナタが3つありまして、そのいずれもが、40代になってからの作曲。

1番と2番は、期を接していて、1851年。
残りの3番は、ちょっとその生い立ちが変わっていて、ディートリヒという作曲家と、ブラームスとの3人で、ヨアヒムのデッセルドルフ訪問を歓迎する意図で共作した作品から、自作部分に、プラスして書き足して、全作をシューマン・オリジナルとしたもの。
 そして、3人の共同作品は、ヨアヒムのモットーにちなんで、F・A・Eソナタと呼ばれてます。

ブラームスも3つのソナタがあり、F・A・Eもありで、やはり師への思いは、なにかと格別だったのですね。

実は、わたくし、シューマンのソナタは、3番の音源を持ってませんで、このクレーメル盤にある、2曲しか聴いたことないのですよ。

作品番号は離れているけれど(1番:op105)、このふたつは、姉妹作で、先にあげた年、1851年の秋の作です。
3楽章形式で、情熱的な1番の出来栄えに、ちょっと不満を抱いたシューマンは、すぐさま、2番に取り掛かり、より規模と構成の大きい、4楽章形式のソナタを、ほぼ1週間で書き上げました。

この頃のシューマンは、デュセルドルフで、指揮者としても活動しており、これまでライプチヒや、ほかの都市では、その楽壇との折り合いもよろしくなく、さらに、精神疾患も患うなか、ライン沿いの明るい陽光にあふれた新しい街で、充実の活動を始めておりました。
 それでも、シューマンの内面には、さまざまな形での疾患の予兆が出始めていた。

そんな、明るさと、内面の複雑さとが、織り交ぜになった二つのヴァイオリンソナタですが、ちょっと、取っつきが悪く、晦渋な顔付きですが、よく聴けば、いいえ、どう聴いても、そこはシューマンらしさが一杯であります。

静かに、という表示が付いた3楽章の歌心にあふれた旋律には、とても癒されますし、それがまた変奏形式でもって、表情を変えつつ繰り返されるのには、堪らない魅力を感じます。
この旋律は、コラール「深き苦しみの淵より、われ汝を呼ぶ」です。

長い充実の第1楽章は、ドラマティックで、序奏のあとの主部は、ときおり、シューマネスクな世界を垣間見せるピアノが素敵であります。
スケルツォ風の第2楽章、そして、先にあげた3楽章。
終楽章は、音符の動きの忙しい展開と、ちょっと落ち着いた楽想の第2楽章とが交差する、ちょっと不安も感じさせる、これもまた、この時期のシューマンの心情を反映させる内容に思います。

全曲で30分あまり。
聴いて、終わって、感動や充実感とは違う、シューマンの世界を垣間見たという感想を抱きます。
そんなところが、またシューマンなところなのでしょうか。
 シューマンのヴァイオリン・ソナタは、まだ初心者ですので、これらの曲の魅力を、お聞かせいただければ幸いです。

クレーメルとアルゲリッチのいくつかあるソナタ録音の中でも、このシューマンは、お互い、異なる個性が、微妙にマッチングして、明快でありつつも、シューマンのほの暗さや、歌を巧みに聴かせてくれているように思いました。

3番も、いつか聴かなくちゃ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年6月 7日 (日)

「グリーンウェーブコンサート 17th」

Grennwave_1_2

首都圏は梅雨入り間近。

天気にもめぐまれ、今年も、気持ちのいい緑に囲まれた、保土ヶ谷のハンズゴルフクラブでの、「グリーンウェーブコンサート」に行ってまいりました。

神奈川フィルの森園ゆりさんと、ピアノの佐藤裕子さんの、恒例のコンサートです。

天上の高い吹き抜けのレストランは、外からの光に溢れ、音も拡散することもさほどなく、教会のようなほど良い響きを伴って、とても雰囲気のいい演奏会場となるんです。

毎回、満席のお客さん。
クラブの常連さん、ご近所の方々、神奈川フィルを聴く方などなど、コンサート前に、軽食ビュッフェもあって、毎回、盛り上がります。

Grennwave

  1.フォーレ       子守唄

  2.シューベルト    ソナチネ第1番

  3.バッハ        無伴奏パルティータ第2番より シャコンヌ

  4.ショパン       即興曲第3番

  5.プロコフィエフ    歌劇「三つのオレンジの恋」より 行進曲

  6.F・シューベルト  みつばち

  7.イザイ        子供の夢

  8.シンディング    組曲より プレスト

  9.ナイジェル・ヘス  ラヴェンダーの咲く庭で

 10.サラサーテ     カルメン幻想曲

 11.森園康香      妖精の森  ~初演 アンコール


       ヴァイオリン:森園 ゆり

       ピアノ    :佐藤 裕子

             (2015・6.6 @ハンズゴルフ・スペシャルホール)


いつも、テーマを決めて、工夫を凝らしたプログラミングをされる森園さん。

今年は、この時期ならではの、「初夏の香り」を思わせる、さわやかな音楽たちで。

ゆるやかなフォーレから始まりました。
高い窓からこぼれる日の光が、柔らかくって、フォーレの優しい音楽が引き立ちます。

そして、2曲目は、シューベルトのソナチネ。
青年シューベルトの清らかな音楽は、こんな緑の中で聴くと映えますね。
3つの楽章を続けて演奏しますと、森園さんの解説付きで始まりましたが、楽章ごとに拍手が起きちゃうのも、ご愛嬌。
音楽の楽しみ方もいろいろ。
みなさん、初めて聴く音楽かもしれないけど、一生懸命に耳を傾けていらっしゃる。
ときおり、短調が混じり、寂しい表情を見せる第2楽章が素敵でした。

この日の、おそらくメインともなり、圧巻の演奏だったのがバッハ。
あらゆるヴァイオリニストたちのバイブル的な音楽、バッハの無伴奏。
全曲聴きたいところでしたが、森園さん入魂のシャコンヌに、会場は、このコンサートの中では異例とも思わせる長さと本格曲なのに、緊張感とともに、皆様が集中して聴き入る様子がみなぎりました。
おそらく、いろんな思いがたっぷり詰まって、その思いが奔流のようにして湧き立つところを、抑えて、じっくり内面を見つめたような、そんな森園さんのバッハでした。
本日、一番、感銘を受けたのが、このバッハでした。
そして、バッハは偉大なり。

続いては、うってかわってピアノのソロでショパン。
音楽って、こんなに変わるもの。
感覚的な、その詩的世界に、すぐさま引き込まれます。
佐藤さんのピアノが、第一声、鳴った瞬間に、あぁ、ショパンいいわ・・・
音楽好きは、げんきんなものです。バッハとショパン、どっちも好き。

続けての5曲。
アロマの資格を昨年、取得された森園さん。
神奈川フィルメンバーとのコンサートでも、音楽と香りにまつわる演奏会をされましたが、今回も、色合いを感じさせる小品たちということで。
こじゃれて軽快なプロコフィエフに、フランスの別人シューベルトさんの曲。
これは、実は初聴きでしたが、のちの、サン=サーンスを思わせる雰囲気をもったフランソワ・シューベルトさんの桂品でした。
イザイのゆるやかな音楽の、女性らしい演奏のあと、このコンサートのお約束ともいえる、シンディングは、毎回演奏されます。
5回目となる、わたくしも、すっかり覚えました、お馴染みとなりました。

そして、自分的に、もっとも楽しみにしていた、ヘスの「ラヴェンダーの咲く庭で」。
これは、わたくしには、イギリス音楽なんです。
ニコラ・ベネデッテイのコルンゴルトをはじめとする、銀幕の音楽を集めたCDで知った曲。
同名の映画のための音楽ですが、その映画が、また、儚くも哀しくも愛らしい。

対岸にフランスを望むケルトの文化の香るイングランドの地、コーンウォールが舞台。
イングリッシュガーデンも美しい邸宅に住む初老の姉妹のもとに、浜に打ち上げられた若い青年がやってきて、その彼が弾くヴァイオリンが、ふたりの女性に様々な思いを呼び覚ますようになります・・・・

その音楽が、とっても、とっても美しい。
英国音楽ならではの気品と、抒情と、慎ましい情熱。
素敵すぎるこの曲を、森園さんは、思いを込めて、演奏されました。
わたくしも、この曲を初めて実演で聴けて、感きわまりましたね。

最後は、大盛り上がりの「カルメン」。
途中、拍手とブラボーが乱入してしまうというハプニングもありましたが、超絶技巧で終ってみれば、さらなる大声援が!

アンコールは、ここ数年の恒例。
ドイツ留学中、今年も、賞をひとつ取り、躍進中のヴァイオリニストの娘さん、康香さんの新作を。
少しミステリアスで、和テイストもある、繊細な作品。
こちらも、年々、その作品のタッチの腕が上がっていますね。
ご主人も含めて、音楽一家の森園さん。

この初夏も楽しませていただきました。

Grennwave_5_3


ことしの軽食は、レストランのオリジナル・ハンバーガーが。

ぎっしり、ずっしりのパティに、カリっとしたバンズ、とっても美味しかった。

Grennwave_2 Grennwave_4

 「2011年 第13回」

 「2012年 第14回

 「2013年 第15回」

「2014年 第16回」

音楽も、食事も、とてもおいしくいただきましたnote

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年6月 6日 (土)

プロコフィエフ 「ピーターと狼」 ハイティンク指揮

Shibaneko_1

呼べばやってくる、某公園のおなじみの、にゃんにゃん。

親しみもありつつ、ツンデレで、逞しい一面も。

いろんな人に可愛がられる公園のにゃんこでした。

Peter

   プロコフィエフ   「ピーターと狼」

       語り:ヘルマン・プライ

 ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                      (1969.9 @アムステルダム)


プロコフィエフ(1891~1953)の生没年を見ると、そんなに昔の人じゃないですね。
帝政ロシア時代に生まれ、26歳のときに、ロシア革命を経験し、一時亡命はするも、ソ連邦時代には、同邦を代表する作曲家としていろんな縛りの中に生きた人だし、一方で、世界各地を巡って、ソ連邦の作曲家としての顔を売り込むという、ある意味、自由な日々も送れた、そんなプロコフィエフさん。

ちなみに、日本の明治・大正・昭和をも全部、きっと知っていたはずのプロコフィエフさん。
日清戦争(1894)、日露戦争(1894)を経て、列強の仲間入りしてゆく日本との関係も深いですな。
日本滞在中に、和のリズムや旋律に感化されていることも、嬉しい出来事です。

そして、われわれ日本人が、学校の音楽の授業で、必ず聴いた音楽を書きました。
「ピーターと狼」。

いまは、どうかわかりませんが、わたくしは、習いましたよ。

日本語のナレーションは、坂本九。
演奏は、カラヤンのフィルハーモニア盤だったような記憶がありますよ。
なんたって、小学生だったから、もう半世紀くらい前ですよ。

作風が色々変化したプロコフィエフ、1936年、「ロメオとジュリエット」と同じ年の作品。
モダニズムや、激烈な音楽造りから脱して、メロディもしっかりあって、抒情と鋭さも兼ね備えたシャープな作風を取るようになりました。
 親しみやすさと、平易さ、そして、たくみな描写でもって、ナレーションの語るその場面が目に浮かぶほどのリアリティさ。

子供のときは、狼が出てきて、ヒヤヒヤしたし、こずるいネコが憎らしく思い、そして、狼が捕まって、みんなで行進する場面では、晴れやかな気持ちになったものです。

 でも、プチクラヲタ・チャイルドだった自分、廉価盤時代でも、こうした曲には手を出しませんでしたが、フォンタナから出てた、ハイティンク盤が、ハイティンク好きとしては、気になってましたね。

そして、CDを最近購入。
国内レコードでは、ナレーションは、樫山文江さん。
そして、外盤では、なんと、バリトンのヘルマン・プライなのでした。

この、深くて暖かみのあるバリトン声によるナレーションが、とても包容力と親しみに溢れていて、素敵なのですよ。
 そして、それに、完璧なまでに符合しているのが、ハイティンク指揮するコンセルトヘボウの、いつものあの、あったかサウンドに、フィリップスの明晰ウォームトーン。
ことに、この手の曲は、分離がよくなくては話しにならないが、ここでは、ごく自然な、ソロ楽器の捉え方と、劇に合わせたステレオサンドが、とても素晴らしいのですよ。

こうした曲の場合、指揮者が素晴らしいとか、解釈がどうの、とははなはだそぐわないのですが、ここでは、ハイティンクとコンセルトヘボウならでは、ということと、プライの声が、いつものプライらしいですよ、ということにとどめておきましょうかね。

ねこさんも、ピーターの飼い猫として、登場しますが、楽器はクラリネットということで、そのイメージは、そろり、そろりとした動きが、いかにも、ですな。

カラヤン、バーンスタイン、ベーム、小澤、アバド・・・、幾多の大指揮者も録音してきた、「ピーターと狼」。
みなさまも、たまには、いかがですか?
その際は、ナレーターで演奏を選ぶのもひと手ですよ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015年6月 2日 (火)

エルガー ヴァイオリン協奏曲 N・ケネディ

Rosa_banksiae_1

モッコウバラ(木香薔薇)、実家のお庭に、毎年5月の前半に咲きますが、今年は、どちらも、花の開花が早めですね。

もう、とっくに枯れて、萎んでしまってます。

このたわわに、賑やかに咲くバラは、中国原産で、こうして石垣などに、垂れるようにして育てると、とっても見栄えがよくって、華やかなな気持ちになるし、色が清潔なイエローなので、バラらしい、ノーブルな雰囲気もでますな。

お隣のお家の、藤の花のパープルとグリーンとの対比もきれいなものです。

Rosa_banksiae_2_2

  エルガー  ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 0p.61

          Vn:ナイジェル・ケネディ

    ヴァーノン・ハンドレー指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                        (1984.3 @ロンドン)

    サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

                        (1997.7 @バーミンガム)


今日(6月2日)は、エルガー(1857~1934)の誕生日です。

ウスター近郊にある、いかにも英国を思わせる前庭のあるエルガーの生家にも、モッコウバラが咲いていそうです。

チェロ協奏曲は、大いに有名で、音源も、演奏会の頻度も非常に高いものがありますが、もう一方の、残された協奏作品、こちらのヴァイオリン協奏曲は、そこそこCDは出てますが、演奏会でかかる頻度は、まだまだ少ない。
わたくしも、1度しかコンサートでは聴いたことがありません。
 演奏時間が50分以上かかるうえ、技巧的にも難易度が高く、なによりも、コンサートの前半として、この曲をまるまる取り上げると、聴衆の集中力の持続の点で、超有名曲でないだけに厳しいのかもしれません。
 それはまた、3つの交響曲にも通じる規模ともいえて、コンサートの後半に、思いきり、堂々と演奏されるに相応しい、大協奏曲であるともいえる。
 ですから、3つの交響曲を湯浅さんの指揮で演奏し終えた神奈川フィルの次のエルガーは、是非にも、コンマス石田氏のソロで、この協奏曲を取り上げて欲しい。
前半でも、後半でもかまいませんが、組み合わせは、「エニグマ」でお願い。

1910年、エルガー53歳の気力充実期の作品で、英国の待ち望んだ純正交響曲の第1番が、1908年。
ちなみに、チェロ協奏曲は、もう少しあと、1918年となります。
さらにちなみに、エルガーの協奏作品には、未完のピアノ協奏曲がありまして、草稿だけで終わったのが1913年、それを補筆完成させて1997年に初演されてます。
以前に、NHKで、その作品の特集があり、録画してありますので、いつか、このブログでも取り上げたいと思ってます。

さて、このヴァイオリン協奏曲、3つの楽章を持つ正統的な構成で、それぞれ、18分・14分・21分、というように、各章ともに、長いです。
 いかにもエルガー。ノーブルで、ちょっと哀愁を帯びたオーケストラの長い前奏で始まる第1楽章は、気合の入ったソロが登場することで、熱く、ときに熱狂的にもなり、そして、時に、静かに、立ち止って、懐かしい雰囲気に佇んだりと、聴き手を飽きさせることなく進みます。

 そして、この曲で、とりわけ素晴らしく、わたくしも、もっとも好きなのは、抒情的な第2楽章です。
しかも、心にしみ込むように、内面的な様相が、徐々に熱を増していって、大きな盛り上がりを見せるところも、やはりエルガーならではです。
聴いていて、胸が熱くなり、拳を握って聴いてしまい、思わず涙ぐんでもしまいます。

 一転、アレグロに転じ、すばやいパッセージの連続となる3楽章。
こちらも長大で、スリリングな展開から、ときに、テンポも落として、回顧調になったりと、多面的なエルガー・サウンドを満喫できます。
しかも、多彩なまでに、ヴァイオリンのさまざまな奏法がなみなみと投入され、息つく間もない。それで、いて、音調はときに渋く、内省的です。
そして、なんといっても素晴らしいのは、最後に至って、これまた、エルガーらしく、第1楽章の旋律が、回帰してきて、感動的にこの大作を締めくくる場面です。

聴後の、深い満足感は、交響曲に負けじ劣らじであります。

多くのヴァイオリニストが、とりわけ、英国系のヴァイオリニストは、この曲を必ず演奏し、音盤に、そのエルガーへの思いをしっかり刻んでおります。
複数回、録音する奏者も何人かいて、ナイジェル・ケネディも、そのひとりであります。

ジャズやロックなど、オールラウンドにクロスオーバー活動をする、やんちゃなムードが先行するナイジェルですが、28歳でこの曲を録音するという本格大物ぶりを80年代にすでに、発揮してます。
 ハンドレーという、このうえもない、英国音楽の導き手をバックに、1回目の録音では、年齢を感じさせない、大人びた、思わぬほど渋い演奏を繰り広げております。
正攻法ともいえる英国伝統に根差したかのようなこの1回目録音。
横への広がりのいい、どちらかといえば、のっぺりしたEMI録音の大人しさの影響と、練習の厳しかった指揮者の影響などもあるかもしれません。
 ですが、キッパリした終楽章と、瑞々しい2楽章は、この時期のナイジェルならではの魅力かもです。

一方、41歳になって、しかも活動休止期間を経て、脂の乗り切った名コンビ、ラトル&バーミンガムをバックに録音した、2度目の演奏は、音楽の構えが、俄然大きくなりました。
 演奏開始後、すぐにわかるオーケストラの密度の濃さと、なによりも、音の輪郭がよりくっきりと聴こえる録音のよさを実感。
全体に、ラトル指揮するバーミンガム市響は、雄弁で、指揮者の意思をそっくりそのまま感じる音作りとなってます。
対するナイジェルさんも、長い前奏のあとの弾き始めは、気合いも充分にこもっていて、それが全曲にわたって張り詰めていて、すべての音が意味合いを持っているように感じる。
それほどまでに、この曲を、自分のものとして演奏していて、ときおり、ハッとするような節回しを聴かせたりするんだ。
 抒情の雫の表出は、若い1回目録音に劣らず、オーケストラとともに、神々しいまでの演奏です。

新旧並べて聴くと、どうしても、新盤の方に歩があるように聴いてしまいますが、渋い旧盤も捨てがたく、それぞれに、わたくしの大好きなこの作品の、大切な音盤たちです。

 過去記事

  「ズッカーマン&スラトキン」

  「川久保賜紀&ロッホラン 日フィルライブ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »