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2015年6月21日 (日)

ドビュッシー 夜想曲 アバド指揮

Suga_1

雨の神社に映える紫陽花。

和の落ち着いた空間にこそ、お似合いですね。

最近、カタツムリが少なくなったと思いませんか?

雨粒のついた緑の大ぶりの葉に、カタツムリがいると、もっと日本の梅雨って感じになるけど。

Abbado_debussy

       ドビュッシー    夜想曲

       クラウディオ・アバド指揮 ボストン交響楽団
                        ニュー・イングランド音楽院合唱団

                  (1970.2 @ボストン、シンフォニーホール)

                        ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                        ベルリン放送合唱団

                  (1999.9 @ベルリン、イエス・キリスト教会)


梅雨の時期、そして、雨まじりの天気の日に聴きたくなるような音楽。

ドビュッシーには、そんなイメージをいだかせる作品が多いように思ってます。

誰しも、憂鬱になる雨。
ちょっと、アンニュイな気持ちになる。
雨降りよりは、晴れてた方が気持ちがいい。
でも、そんな雨も降らなくちゃ困る、恵みを授けてくれる存在でもあり。
そんな感謝の気持ちも持ちつつ、「夜想曲」をアバドの指揮で聴く。

ドビュッシー(1862~1918)、37歳のときに完成された「夜想曲」。
「ノクチュルヌ」と、仏語で言った方が、お洒落ですが、やはり、日本語訳の「夜想曲」と呼んだ方が、しっくりくる。

ホイッスラーの芒洋とした曖昧なまでの絵画の世界に、または、同名の詩作に、それぞれに影響を受けたとも言われますが、ここに聴くドビュッシーの音楽は、光と影の綾なすインプレッションを、目でなく、まさに耳で受け取ることができるところに、えも言われぬ感銘を受けるわけです。

「雲」「祭り」「シレーヌ」の3部分。

いまにも、雨粒の落ちてきそうな、雲に覆われた空。
そして、ひとしきり、ひと雨降ったあと、雲間から、強い日差しが差してくる。
人々は、貴重な晴れ間に、夏祭り。
そして、囃子に合わせて、神輿の一団が近づいてきて、人々の興奮はピークを迎える・・・。
しかし、祭りのあとは、寂しいもの。
急速に、勢いは萎えて、人々の去った森の社は、静寂に覆われる。
宵闇迫る中、人々の預かり知らぬ精たちが、夜のしじまに、しなやかに踊る。
村や街は、静かな眠りにつつまれるなか・・・・・。

原曲の描写したこととは関係なしに、ふふっ、こんな風に、妄想しながら聴いてみました。

もうじき、誕生日を迎えるアバドは、この「夜想曲」が大好きでした。
多感な少年時代、この曲をオーケストラで聴いて、いつか自分も指揮者になって、この曲を指揮したいと、誓ったアバド。
 正規録音は、音源では、ボストンとベルリンでふたつ、映像でひとつが残されました。
70年と、99年、アバドは、37歳と67歳。
30年の隔たりをもって録音した二つの演奏。
映像は、ストックホルムでのヨーロッパコンサートのもので、98年。

どれも、わたくしには、大切なアバドの演奏ですが、さすがに30年の年月は、音楽の深みと自在さの点で、大きな違いがあります。

ボストン響が、RCA専属の縛りから離れ、DGに初録音したのが、アバド指揮によるドビュッシーとラヴェルでした。
ベルリンの音色でイメージが出来上がっていたドイツのレーベルが、ついにアメリカで録音を開始した、その第1弾によるこの演奏並びに録音の響きは、明るく、そして派手さのないヨーロピアンなものでした。
当時、FMで聴いても、中学生だった自分にもわかりました。
このレコードは買えませんでしたが、次のアバド&ボストンのチャイコとスクリャービンは、すぐさま購入し、いまでも、アバドの一番の演奏のひとつとして大切にしてます。
 この2枚しか残されなかったアバドとボストンとの演奏ですが、ホールの響きも麗しく、全編明るく、雲ひとつない明瞭なもの。
そこに、アバドらしく、しなやかな歌が加わるものですから、表情がともかく若々しく、「祭り」においては、颯爽とした爽快感と大胆さにあふれております。
女声合唱の精度がもう少し高ければ、との思いもありますが、このボストン盤は、カップリングのラヴェルとともに、若きアバドの最良の姿を写し出した1枚でしょう。

ベルリンフィルでは、その若々しい表情と、爽やかなな歌い口はそのままに、音の彫りが深くなり、音楽の切実さがより増したように感じます。
ことに「シレーヌ」における緻密さと、表現の厳しさが、オーケストラの高性能ぶりで、より引き立っている。
「雲」の神秘感。浮足たたないけれど、熱い「祭り」の盛り上げ。
いずれも、アバドらしい透明感と、明晰さに貫かれた名演です。
しかも、この録音は、フィルハーモニーザールが改装中のときで、カラヤン時代にお馴染みだったイエス・キリスト教会での録音によるもので、自然な美しい響きが、この曲にとても合ってます。

演奏時間は、ボストンが、22分24秒。
ベルリンが、24分26秒。

ルツェルンでは、どのような「夜想曲」を聴かせてくれたのでしょうか・・・・。

アバドの誕生日に聴くディスクは、もう決定済みです。

そして、この曲のカッコイイ「祭り」の演奏で、忘れられないもの。
ショルティとシカゴの来日公演で、マーラー5番のあと、アンコールで、これをやりました。
ダイナミックレンジの広大な、すさまじい威力と虚しささえも感じるすごいものでした!

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